01・出題
01
私にはもう分からない。
この学校が、ゲームに飲まれてどれだけの時間が経ったのだろうか。
ただ、ただ、ぼんやりと大半の生徒は過ごしている。思い出せば、何の前触れも無く、私たちは世界から除外された。閉鎖された小さな空間。誰も出られない牢獄。
人が狂うには、好条件過ぎた。
誰もが質の悪い冗談だと思った。だが、通信機器は繋がらない、外が見えているのに校門からは一歩も出られない。やがて、その現実は全校に蔓延した。泣くもの、怒るもの、呆然とするもの。そんな混乱の最中、一人の生徒が窓から飛び降りた。…皮肉にも、その行動が我々が逃れられないと言う現実を知らしめた。死んだ生徒は、その後、五分も経たずして息を吹き返したからだ。
誰も外に出られない空間。そして死ぬ事さえ許されないのだと、私たちは知った。
食事も必要がなくなった。
「何書いてんだ…下手だな」
「ちょ、先輩見ないでくださいよ!」
私が慌ててノートを隠すと、彼は、なんだつまらねえと言いながら、窓際の定位置に戻った。
もう――と、私が頬を膨らますと、彼は古い辞書を放り投げて私を見た。長い睫毛、痩せた頬。すこしだけ鷲鼻が残念な、いい男。先輩は、ため息まじりに言う。
「あー退屈だ」
私は、そんな先輩にちょっと仕返ししたくて言った。
「そうえば、攻略組の一つが、コロッセオを踏破したらしいです」
返事無し。話題を変えよう。
「そう言えば、先輩会いにに3ーCの女の子が来てましたよ」
「うそつけ、俺のクラスで机付きになった女子がくるもんか」
くだらないぞ森久保と、芙佐久郎――新聞部部長で私の好きな先輩は言った。
部室棟の二階、奥から三番目の新聞部の窓際で彼は団扇で仰ぎながら先輩は、動かなくなった生徒の事を言った。
「机付きって、そんな言い方ないでしょ」
「じゃ、身もふたもない、教室ゾンビか?うごかねーのに、ゾンビって不思議だけどな」
「…動かないでもゾンビしょう、あの人達は」
「そうだな。返事も無いし、動きもしない。だから面白いのだけど」
先輩は20日前と変わらない事を言った。
「…何日経ったんでしょうか、学校が切り離されて」
問いかけると、先輩は知らんと言った。
「その内動くさ」
「その内って?」
疑問で返すなよと、先輩は言った。梅雨の晴れ間の6月16日、決まりきった快晴の中、先輩は汗の球を拭いながら言う。
「この学校が本当に終末になったら」
「よくわかんないです」
「勉強しろ、すかぽんたん」
「…意味ないですよ、6月16日を繰り返してる今じゃ」
そう、この学校は、今、おかしな状態になっている。
6月16日を、狂ったように繰り返している。ループに入った時を、誰も覚えていないが、それでも多くの生徒はこの異常事態に巻き込まれたままだ。…屋上から、この学校の外、話題のゲームそっくりな異世界に向った生徒を除いて。
「ばっか、だからいいんだろ。勉強の遅れも取り戻せる」
「何時、動くか分かんないじゃないですか」
「だからいいんだろ。それに――お前も、暇だな、俺と話しても楽しくないだろうに」
「先輩の鈍感」
私が言うと、彼は、なんだそれと言う。
「好きな奴と過ごせばいいじゃないか。そしたら少なくとも――机付きにならなくて済む」
彼はそう言った。
「…バカップルと一緒にしないでくださいよ」
「でも、そうじゃないか?ちょっと、クラスを覗けば分かるじゃないか。大抵机付きになってんのは、冴えない奴ばっかだぜ…」
先輩はそう言って、立ち上がる。
「どこ行くんですか?」
「購買…腹は減らないけどさ」
そう、先輩は言った。
「私も」
「そか」
二人で、そのまま部室等から出る。廊下を歩きながら、彼は、隣りの部室をノックする。
「古田ー、いるか?」
がちりと鍵が開いて、ぬっと将棋部の部長さんが顔をだす。
大柄で短髪の男子。
「どうした?」
「購買で、飲みモンがめてくる、欲しいもんあるか?」
「麦茶、あと煎餅」
「了解、戻ったら一局指そう」
「……菊花との勝負が終わったらな」
「そか」
先輩はひらひらと手を振る。古田先輩は、そのまま部室に引っ込んだ。
「行くか」
「……古田先輩以外にもいたんですね、部員」
「いるよ、松原菊花って女子」
「嘘、見たこと無いです」
「日がな一日、古田と指してるからな」
そう先輩は言って、階段を下りて行く。慌てて後ろを追う。
グラウンドでは、まだ動ける生徒達が遊んでいた。遠くで、ブラスバンドか軽音だろうか、演奏している音が聞こえる。私は、その風景を見ながら先輩に言う。
「あの人達も、動けなくなるんでしょうか?」
「しらね、おれらも何時、そうなるか分かんないし」
そう、先輩は頭を掻きつつ言った。
私は想像してみる、先輩が先輩の籍について黒板を向いたまま動かなくなった状態を。ソレは酷く嫌だった、私が話しかけても、もしかしてキスをしたって動かないんだとしたら。
「ヤです、それ」
「ヤですって…」
呆れた声、彼は首だけ振り返って私を見た。
「まあ、いいや」
「良くないですよ」
「五月蝿い、森久保」
「あう」
黙って、それから私たちは廊下を歩いて、購買部に到着した。
「ちわーす…って誰もいないんだけどね」
そう、先輩は一人で言って扉を開けると、購買の中を見渡す。
「…おー、今日は珍しく意外に残ってる」
「ですね、ワタシ、ポテチが残ってるの初めて見ました」
「まーた、どっかで動かない奴が増えたのかもね。黒板向いて固まった奴が減れば、確かに当たるしな」
そう言って、先輩は煎餅と、麦茶のペットボトルをひょいと持つ。
それから、自分のぶんらしいコーラ味の氷菓を二本。私は、何故二つも取ったのか不思議に思った。
「二本って、どうするんです、先輩?」
「エリゼの分、顔見てこようかなってさ」
先輩は何事も無く、言った。私はもやもやとした気持ちがたまる。
「…それって後でもよいですよね。古田先輩に頼まれてますし」
指摘すると、先輩。
「古田と菊花の一局は長いんだ。あいつら実力が拮抗してっから…俺だと弱いから、古田が手を抜いてくれるんだけど。つーか来なくてもいいし」
「それ、哀しくないですか?」
「ほっておけ、楽しいんだから。それに答えてねーぞ、森久保」
そう言って、先輩はそのまま購買部から出て行く。何時もの事だ。ループするこの学校に、大人はいない。そして、商品も再ループ時に回復する。私はそれでも、レジの上にお金を置いた…どうせ翌朝、私の財布に戻っているのだけど。
先輩の後を追って、私は階段を上がる。先輩はさっさと、屋上へと上がって行く。私はその背中を眺めながら、着いて行った。
「エリゼ、いるか?」
先輩がそう言って扉を開けると、上から声がした。
「いる。何、芙佐?」
どうやら、エリゼ先輩は、給水塔の近くにいるらしい。先輩は勝手知ったると、鉄製の階段を上がる。私は、ちょっとスカートを気にしながらも、その後を追った。
校舎で一番高い場所に、彼女はいた。何処から持ち出したのか、ビーチパラソルとビーチチェア、それからテーブルもかねているらしい、小さなミニ冷蔵庫。あとオレンジ色のサーキュレーターがうなりをあげている。そんなところで、エリゼ…藪原恵理世先輩は涼んでいた。
「ほい、アイス」
「ありがと、なに、どうかしたの?」
「んにゃ、用は無い。単に購買で、お前好きだったろってさ」
「ふふん、いい心がけ」
「お前、誰がコレ入れたと思うんだ」
「ソレくらい当然」
ひらひらと彼女は言うが、露出の激しい格好だ。ブラ見えてるし、ブラウスなんだけど前結びシャツの用に縛ってる。染めた明るい長い髪、細くて高い身長…胸もでかい。これで喧嘩が強いってなんのアニメだろうか。
「ん、それでどしたの、コーハイチャンなんか連れて…何、マグメイルでも行くの?」
「お前、忘れたか」
「ああ、そそ、そだったうん」
彼女はそう言って、胸ポケットから、煙草を取り出す。
…職員室からガメたそうだ。
「最近、行かないし戻ってこないしね、みんな。戻って来ても教室ゾンビになるし」
「俺はお前がゾンビにならないのが不思議だよ」
「やだー、なにそれ面白くない。暇つぶしの手段なら色々あるもの」
そう言って、彼女は足下のでかいラジカセを蹴った。…古い奴だ。何せ、カセットテープまで入る。
「何処で見っけた?」
「んー拡張組が行けるようにした、表の民家倉庫から。いいよ、90s」
「お前はそうだもんな。何聞いてんの?」
「電気グルーヴのシャングリラ…なに、その顔。芙佐だってギター弾けるでしょ?」
会話に入り込めない。
ものすっごく、もやもやムカムカする。芙佐先輩と、エリザ先輩の関係はカキタレどうし…らしい。と言っても、つき合ってる訳ではなさそうだ。だが、楽しそうに話してるのを見ると、妬けてくる。
「せんぱーい、戻りましょうよ」
だから私は空気を読まずに言ってみた。
「森久保、じゃ、戻ればいいべ、お前いらね」
「べって…しかもイラネ?何ですか、雑くないですか私の扱い」
「おこちゃまだからな」
「おきゃちゃまってなんですかー!!」
私が怒ると、エリゼ先輩が言う。
「そだよ、芙佐。ちびっ子いでしょ?」
「ああ、そだ小さいもんな、おーよしよし、帰れ、ハウスだハウス」
ちょ、てめーら。高身長だからって、私を哀れむような目で見るんじゃ無い。
「…あ、そだ、芙佐」
私の抗議を無視してエリゼ先輩。
「なに?」
「こないだ戻ってきたグループに着いて知らない?」
「…誰?」
「ほら、腐肉…コロッセオ踏破のパーティー」
話題が、思わぬ方向に転がった。
私は、エリゼ先輩からってのが気に入らなかったが、聞きたい話題が出て来てよしと思う。
「お前もか」
「お前もって、なあに、誰かから聞かれた?」
「コイツ」
雑に指差された。
「ああ、そ、ちびちゃんから」
まて、エリザ先輩。アンタ今、私の事何つった?抗議の視線を向けるのだが、彼女、ほぼ無視。煙草に火をつけつつ、芙佐先輩に言う。
「でねーちょっと、話題になってんの」
「何が?」
「ん、いや、そのね。腐肉を倒したのは、リーダー。って電影部が放送したじゃん?」
「そだな」
先輩は、どうやら話しを聞く気になったらしい。なんの躊躇も無く、エリゼ先輩の座るビーチチェアに腰掛けた。おい、パイセン、ちゃらくねーか。エリゼ先輩もやめさせろよ。
「でね、ところが噂になってんのよ。腐肉を殺したのは、別の奴だって」
「ほぉ…そら、荒れるな」
「でしょでしょ?」
「それで、エリザは何が気になる訳」
「んー、嘘つきは行けないなーってそれだけ」
「嘘つけ、お前がそんなもんか」
先輩はそう言って、煙草をすっと抜く。
「ヤダ、手癖悪い」
「うっせ」
こ…こいつら、フツーにシガーキスしやがった。
「でだ、俺はお前が、そんな野次馬根性でいってねーと勘ぐるんだわ」
「え、そんなに信用ない?」
「ビッチが言っても説得力がな」
「えーひどい、ギャルって言えよ芙佐。…ってね、本題だけど」
そう言うと、エリゼ先輩は煙草を捨てる。
「そのパーティーの一人が殺されたわけ」
私と芙佐先輩は、思わず顔を見合わせた。
三日に一度、投下します