心理テストの友
柄にも無く大真面目な作品です。
出来の方はともかくとしても。
「エレベーターに乗ったとき。『閉』ボタンを連打する人はせっかちである」
唐突に耳元で囁かれ、思わず身を震わせた。見ると、いつの間に現れたのか、黒いスーツに身を包んだ男が俺の顔をまっすぐに見つめていた。
「…………」
俺はすぐさま『開』ボタンを連打すると、いそいそとエレベーターから降りていった。奴は、こちらを見つめてこそいたが、特に追ってくるようなことはなかった。あそこが『管轄』ということなのだろう。
心理テスト、なんていう曖昧な定義のされているものにも、人々は案外意識を奪われがちだ。これこれこういう行動をする人は、性格が悪い。なんて心理テストで暴かれたものなら、無意識の内に今後はその行動を避けるようになる。そして、自分の本質が何も変わっていないことにも気づかずに、一丁前に一皮むけたような顔をするのだ。
謎の集団、『心理テストの友』が全国各地に現れるようになって、もう何年経っただろうか。
奴らは正に神出鬼没。いつの間にか現れるし、また、どこにでも現れる。彼らの活動内容は至ってシンプルだ。
「電車に乗って、すぐにドア付近の壁をキープする人は、人前に名乗り出ていくのが苦手なタイプ」
道行く人々に、こんな風に一言心理テストを提供することだ。
俺は黒スーツの無表情ヤロウを睨み付けると、ふてぶてしく腕を組んで目を瞑った。
どうして見ず知らずの人間に余計な口をきかれなくてはならない? 誰もが最初はそう思いはする。でも、それだけだ。彼ら『自体』はそれだけの存在でしかない。
ただ唐突にミニ心理テストを放つだけの奴らを大げさに糾弾する理由はないし、そもそも、奴らに文句を言おうとも、この連中は心理テスト以外の話を一切しないのだ。
しかし、『心理テストを聞かされた』。その結果だけは、人々の心にしっかりと残る。それが非常に質が悪い。
唐突に人前で自分の行動に難癖をつけられる。自分の深層心理を露わにされる。心が乏しい人間だと、見ず知らずの者に指摘される。幾らそこまでの過程が不快なものであろうと、聞いたものは聞いたのだ。それで全ておしまい。
今後、その心理テストが人々の頭から離れることは無く、無意識にある特定の行動を避けるようになっていく。そしてそうすることがまるで当たり前かのような、暗黙の了解さえ生まれ始める。
彼らの存在を『便利じゃないか』と言う者もいる。だが、俺からすればとんでもない話だ。
俺はホームを出ると、真夏の日差しを手で遮る。
一年前なら、比較的混雑していたこの街道。道行く人々を……誰に命令されたわけでも無く、きっちりと右側通行で整列して歩みを進める人々を眺めながら、俺は寒気を感じる。
どう考えても何かがおかしい方向に進んでいるように思えてならないのだ。まるで、奴らの思い通りの社会がゆっくりと構成されている。そんな風に思えて……それを誰も不思議に思わないのがさらに不気味で……俺はより一層奴らへの反抗心を強めさせるのだ。
遊びの内の心理テストならまだよかった。しかし、これは最早テロだ。マインドコントロールなのだ。
心理的に性格を暴かれ、心理的に行動を制限させられ、いつしか心理的に奴らの存在する社会が『日常』だと思い込むようになっていき、そして集団心理的に、奴らの言うことを聞かないことが罪だと言うような認識が蔓延している。
人々の個性を暴き、人格を掠め取り、人間をアンドロイドのようなものに変えようとしている。そんなものは、心理テストと言う名の、立派な兵器じゃないか。
様変わりした街の様子に吐き気を催しながら、俺はようやくの思いで約束の場所へ到着した。
「すまん。待たせた」
街路樹の前で待つ青年は、俺のかけ声にも顔を上げず、じっと腕時計を覗き込んでいる。
「おい、聞いてるのか?」
「三十分前に到着した俺は、心配性に思われがちだが、実はリーダーシップが強いタイプである」
彼は腕時計の針を指しながら呟く。
「十五分以上遅刻したお前は、危機感の薄いタイプ。物事の大小を見極めることができない。人からの信頼に応えられず……」
「わかったからやめてくれ。もう二度と遅刻はしない。ちゃんと時間通りにくるって」
「時間ちょうどに来る人間は、実は一番救いようがないタイプ。怒られたくないとは思っているが、あらゆる物事を心底どうでもいいと思っているので申し訳程度の……」
「わかったよ!!! 俺も三十分前につくようにする!! それがベストなんだろう!?」
「ああ、それがベストだ」
そこで彼はようやく顔をあげると、にやりと笑って見せた。
これだ。これが一番最悪なんだ……。
『心理テストの友』。発足はごく小規模のものだった。しかし、社会の仕組みが心理テストの友によって動かされるようになっていることを、暗黙の内に受け入れ始めた人々は、自らが心理テストの友となっていく。誰に誘われたわけでも、誰に強制されたわけでもないのにだ。これが、心理テストの友という集団が、異常なまでの規模の物を成し得る種明かしというわけだ。
漫画じゃあないが、いわゆる『我々がいなくとも、いずれ第二、第三の心理テストの友が現れる』と言ったところだろうか。
「ところで、俺に一体何の用なんだ?」
ちなみに、先ほど待ち合わせたこいつは大学時代からの友人だ。何でも、大切な話とやらが俺にあるらしい。
「ああ。実は、お前に確認したいことがあってな」
「確認?」
「ああ。間違っていたらすまないが……お前、もしかして心理テストとか信じない方か?」
……絶句だった。
こいつらのなかでは、心理テストが未だに『信じる方』とか『信じない方』とか、そんな軽いものとしてあるのだ。心理テストに依存しきっているくせに、心理テストは『身近な物』だと、そんな都合のいい主軸だけは本来の心理テストのあるべき姿から変わっていないのだ。
呆れたとかそういう感情じゃない。恐ろしかった。恐怖した。
だからこそ、俺は友人に、こう言うのだった。
「何度も言うが、俺は心理テストなんか信じない。……いや、あんな物はもうお遊びなんかじゃない。宗教みたいなものだ。何故お前はそれに気づかないんだ? どうしてお前は心理テストに依存しきってしまっていると認めない!? いい加減に目を覚ませよ、おい!!」
こんな大通りのど真ん中で大声をあげているのに、整列された人々の中に俺を見やる者は一人としていない。大方、ちょっとした騒ぎに反応する奴は云々かんぬんだとか、適当なことを吹き込まれているのだろう。
そんな中、俺の目の前に立つ彼は、やれやれと眉間に指を当てた。
「そうか。残念だよ……」
ぱちん。
そう言って、彼おもむろに指を鳴らした。
「なにを……」
言い終わる前に、ハッと気づく。自分の周りに起きている異変。いつの間に起こったのかは全く分からなかった……。
しかし、たった今俺は確かに、バットや鉄パイプなどを握った集団に囲まれているのだった。
「お前は俺の大切な友人だが……世の中の秩序を乱すのなら仕方ないな……」
「ば、馬鹿な!! 秩序だって!? 一体誰がそんな物を守れと頼んだ!? 大体、お前たちの言う秩序っていうのは人間から個性を奪って、洗脳されたようなくだらない社会を……!!」
ごっ。
言い終わる前に、俺の後頭部に衝撃が走っていた。視界に火花が散り、体感的にはとてもゆっくりと地面へ崩れていく。
ああ、助けを呼ばないと。誰かに助けを……! 列を成して歩く人の群れに手を伸ばしかけて……すぐに思い至る。
そうか。そもそも、日中から金属バットを持ち歩いて、しかも一般人の俺を囲むような連中が、この薄気味悪い行列を構成しているんだっけ……。
地面に顔がつくまでに、そこまでの事を悟るのは極めて容易だった。そんな俺に最後にできることがあるとすれば、ただゆっくりと、瞼を閉じるだけなのだ……。
◆
「生きようと必死になる人は、最高にかっこいい」
しゃがみこんだそいつは、俺の顔を覗き込んでそう呟いた。
日もすっかりと傾いている。人々はある時間きっちりに家路につき、既に大通りに人の姿はない。俺だけがただっ広いこの街中で、誰にも目を向けられることもなく地面に這いつくばっていた。
「生きようと必死になる人は、最高にかっこいい」
俺に耳打つ男は、真っ黒なスーツを逆行の中に溶け込ませ、やはり無表情のままだった。
でも……俺は幻聴のようなその一言で、全てを許されたような気がした。
奴の言いなりにだけはなってやるものか。
それだけは貫いて生きていこうと思っていたこの数年。そのせいでむしろ自分の行動に制限がかかり、結局ストレスは溜まる一方だった。だが、今この瞬間だけは、奴に反抗することで、俺は永遠に楽になれると言うわけだ。へへ、ざまあみろ。
もう、俺に何かを考えるだけの気力はなかった。ただ、さっさと楽になりたい。そして、この方法が一番最善だという確信だけが心にあったのだ。
先ほどの連中が落としていったのであろうナイフを手繰り寄せると、俺はゆっくりとそれを首元に寄せた。
最後まで、奴らが嫌がる行動を取って最後を迎えることが出来た。奴らに一矢報いることで、こんな絶望的な世界から消えていけるんだ。悔いはない。
俺は首筋にあてた得物を、一思いに引いた。その瞬間、体が一気に脱力したような気分に襲われたが、不思議と痛みはなかった。
ぼんやりとした視界に最後に写ったのは、俺の死に顔を見てやろうとでも言わんばかりに、ぐいっと寄せられた黒スーツのツラ。
その時だった。
俺は我に返り、己の行動を悔やんだ。
忘れていた。大前提として奴らは、いつだって巧妙に、日常の中に心理テストを浸透させていくような集団だったんだ……。つまり奴らは、心理テストを信じない、俺のような人間をうまく誘導する方法だって簡単に分かっていて……。
無表情の闇が最後に見せた、満面の笑みに看取られて、俺はそのまま息を引き取った。
「最高にだっせえのである」
大丈夫
きっと次回からまたふざけるので
これの一個前の作品が『でも、実はゴリラ』
なんていうくらいだから