年越夜勤
私の専門職が介護なので、介護をモチーフに書きました。時折、食事中には適切ではない表現を含むかもしれませんが、ご了承ください。
「あ〜! 欝陶しい!!」
そう声に出して鬱憤を晴らす同僚に、僕はボソッと呟いた。
「じゃあ、こんな職種選ばなきゃいいんだよ……」
「何だって! 聞こえたぞ! 俺だって別にこんな仕事したくてやってんじゃねぇよ!」
『じゃあ、どんな理由でやってんだよ』と思っていると、利用者の年寄りがトボトボと、歩いてくるのが見えた。
「増田さん。どうかしましたか?」
こんな夜中に出歩くなんて本当に珍しいしっかりしたおばあちゃんだっただけに、僕は余計に心配になって声を掛けた。
「おいおい、山下。増田さんだって、紅白くらいは観たいんだろうぜ!」
そう言って、増田さんの傍にしゃがみ込んだ栗木は、「な!」と増田さんの顔を覗き込んだ。
紅白か……。紅白歌合戦。毎年年の瀬の恒例行事。紅白をみて、除夜の鐘を聞いて、百八つの煩悩を振り返りつつ、未来に繋げていくのだ。そう、僕達は今、大晦日と元旦をまたいだ、正月夜勤の真っ最中だ。
「増田さん、そろそろオムツの交換時間ですよ」
そう言う僕を栗木は、「まぁそんなに真面目になんなよ。増田さん、気が済むまでテレビ観てていいからな」と言いながら押し退けた。
『何が、あ〜! 欝陶しい!! だ! 一番イキイキ仕事してんのは、お前じゃないか!』
そんな事を思いながらも、僕はオムツ交換の台車の用意を済ませると、施設の一番奥の部屋からオムツ交換を始めた。
「♪♪♪」
「♪♪〜♪」
「♪〜♪〜♪♪」
オムツ交換をしながら気が付いたことだが、栗木の奴が音量を上げた為か、多くの利用者がテレビから流れる演歌を口ずさんでいるのだ。
「なぁ、山下……。お前真面目なのは良い事だけどよ、真面目真面目も、適当が一番だと俺は思うぜ! 周りの人達を見てみろよ。聞こえる歌を口ずさみ、中には涙を流している人もいる。これが年越し夜勤なんだよ。確かに俺は、欝陶しいって言った。でもよ、それは、お前みたいな真面目君との夜勤が欝陶しいって意味でもあるんだよ。みんな、年越しで、また一つ寿命が縮まる。でも、今年にあった事を振り返って、家族が迎えに来ない事を悔やんで、それでもやっぱり正月はめでたくて、また一年経ったって、実感してんのさ。これは、しっかりしているとか、認知症だとか関係ねぇ。紅白がやってりゃ大晦日で、何だか知らねぇが、年越蕎麦食って、除夜の鐘聞きながら眠るんだよ。そうして、また一年、先まで頑張って生きるのさ。俺達が今ここで、どれだけ真面目に業務をこなしたって、利用者は誰も感謝なんてしねぇ。だからと言って、不真面目にやれって言ってんじゃねぇんだけどな」
そう言ってニカッと笑った栗木を見て、僕はなんだか恥ずかしくなった。初めは人間らしく人間らしい生活を提供したい……。なんて思っていたのに、気が付いたら、介護ロボットになってしまっていて、業務を時間通りにこなす事ばかりが頭を支配していた。
『そうだよな。【人間らしく人間らしい生活】そう思うなら、大晦日に紅白を観たって全く変じゃないじゃないか!? 【人間らしく人間らしい生活】そう思うなら、除夜の鐘聞いて、年越蕎麦食べても普通だよな。明日の朝は、寝坊して、眠い目を擦りながら、新年の挨拶をひたすら繰り返すんだ。『あけましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。本年も宜しくお願いします』ってね』
そう思うと、手際よくオムツ交換するのが馬鹿らしくなって、気が付いたら、利用者と笑顔で話をしながらオムツ交換をしていた。
「山下。そういう事だ」そう言って、ポンと僕の肩を叩くと、別の部屋へと入って行った。オムツ交換を終えると、増田さんが僕の傍へやってきて、僕をトイレの方へと連れていく。
『うん。そうだね。オムツ交換じゃなくても、トイレ誘導でもいいんだよね』
そう思って、増田さんをトイレ誘導し、汚れたオムツを交換すると、増田さんが僕の方を見て満面の笑みを浮かべた。そのまま去っていく増田さんを後ろから眺めながら、『やっぱり介護って楽しいなぁ』と思った僕だったが、汚染オムツの片付けがまだだった事を思い出して、慌てて汚物処理室へと足を運んだ。
汚物室を出ると、初めて施設の生活がいかに人間らしさを損ねているのかを実感した。
「けど、俺達ぁプロだ。どれだけ人と掛け離れた生活を提供しようが、集団生活の場で各個人を尊重しつつ、個人を無視した業務を遂行する矛盾した観念を持ち合わせた介護のプロだ。そこんとこ、忘れるなよ!」
僕の心を見透かしたように、栗木がそう言って通り過ぎて行ったと思うと、ただ、サボるのではなくて、ただ、愚痴るだけではなくて、利用者の笑顔を引き出しながら、手際良いとはとてもいえない業務を遂行していた。
『介護のプロ。介護を行う事により、生計を営む者。けれども、だからと言って介護ロボットになる必要なんてない』
僕の中で何かが弾けたような気がした後、僕はその光り輝く暖かい場所へ戻って行った。
外の暗さを忘れてしまう程の気持ちで。
本当の現場は、こんなにもドラマチックではありませんけどね(^o^ゞ




