落語声劇「狸札」
落語声劇「狸札」
台本化:霧夜シオン@吟醸亭喃咄
所要時間:約20分
必要演者数:最低2名~3名
(0:0:2)
(2:0:0)
(1:1:0)
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(0:0:3)
(3:0:0)
(2:1:0)
(1:2:0)
(0:3:0)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
八五郎:親方とか言われてるから、大工とかそこら辺なのであろうか。
狸からは義侠心に富んでいると言われている。
狸:八五郎に助けられた子狸。
化けるのを忘れるとかうっかりにもほどがある。
呉服屋:越後(今の新潟県)から来た呉服屋。
子供:狸をいじめてた子供。
●配役例
【2人】
八五郎:
狸・呉服屋・子供:
【3人】
八五郎:
狸:
呉服屋・子供:
※枕は誰かが適宜兼ねてください。
枕:狐七化け、狸は八化けなんという事を申します。
狸の方が狐より一つ多く化けたりできるそうなんですが、どうも狸の
化け方というのはそそっかしいもので、最後まで化け通せたという事
がない、大概どこかで失敗してしまいます。
そんなとこも愛嬌があるんでございますが。
八五郎:おぉいおい、いけねえな。
そういう事をしちゃダメだろ。
子供ってものはな、犬と仲良しのもんだ。犬をいじめちゃいけね
え。ほら、石なんかぶつけんじゃないよ。
子供:おじさん、これ犬じゃないよ。狸だよ。
八五郎:狸ぃ?あぁなるほど、どうも様子がおかしいと思ったんだ。
いやにムクムクしてやがって、口がとんがってら。
子狸のようだな。
子供:そうなんだ。おいら達がメンコしてたら、いきなりとことこ入って
来たもんだから、とっ捕まえたんだ。
これぶち殺しちゃってね、皮剥いでね、狸汁にして食っちゃうんだ
。
八五郎:おいおい、狸汁なんてかわいそうなこと言うんじゃないよ。
狸だって子供、おめえ達だって子供だ。子供同士、仲良くするも
んだ。
ほら、こっちへ狸をよこしな。
おじさんが買ってやるから。
子供:おじさんこの狸買ってどうすんだい?
八五郎:どうすんのって、逃がしてやるんだよ。
子供:逃がしてやる?いやぁ…さては仲間だな…?
八五郎:ハァ?なに言ってやんでェ。
子供:たぬきおやじぃー。
八五郎:変なこと言うなこのガキ。
いいからこっちへよこせ。
代わりと言っちゃなんだが…ほれ、いくらもねえけどな、
こづかいくれてやるから、これで飴でも買ってしゃぶってな。
子供:いいの?やったあ。
じゃ、はい狸。
八五郎:おう。
…ほら、こっち来いこっち来い。
お前さん、なんで子供とはいえ人間の前に出たんだ?
うっかりしてるからそういう事になるんだ。
ほら、逃がしてやるから、家に帰れ。
…はは、丸くなって逃げて行きやがった。
あぁいい事した。墓参りの帰りに生き物の命を助けるなんてな、
いい後生だよ。すーっとしたな。
…すーっとしたのはいいけど、懐まですーっとしちゃったよ。
なけなしの銭、みんな子供にくれてやっちゃったんだからな。
ま、いいや。なんとかなるさ。
どれ、もう寝ちまうか…。
狸:【戸を叩きながら】
こんばんわ!こんばんわ!
八五郎:おう、誰だい!?こんな夜遅くに。
もう寝ちゃってるんだ。明日にしてくんねえ!
狸:あの、○○【何と言ってるのか分からないくらいもにょもにょ言う】
でございます!
八五郎:なにをゥ?
狸:○○【何と言ってるのか分からないくらいもにょもにょ言う】
でございます!
八五郎:んん?兄貴かい!?
狸:○○【何と言ってるのか分からないくらいもにょもにょ言う】
でございます!
八五郎:なんだよおい、はっきりしろよ!
そんなおめえ、狸みてえな声をだすんじゃねえよ!
狸:えぇ、その狸が参りました!
八五郎:…は?た、狸が?
狸に知り合いはいねえはずなんだが…。
狸がまたなんだって俺のとこなんかに来るんだい?
狸:ちょいと親方に相談したいと思いまして!
八五郎:えぇ…やだなおい、狸と相談なんてのはいけないよ。
帰んな帰んな!
狸:そんなこと言わないで親方、ひとつ聞いて下さいな!
開けないってえと、戸の隙間から入りますよ!
八五郎:気味の悪い野郎だな…待ってろ、いま開けてやるから。
【戸を開けて】
さあ入れ!
?なんでェいねえじゃねえか。
また悪い狸がいたずらしに来やがったんだな…っておお!?
おめえ、どっから入って来た!?
狸:えぇ、戸が開いてすぐに親方の股ぐらの間をくぐって入って来たんで!
その時ひょいって見ましたら、ずいぶんふんどしが汚れてましたね。
八五郎:大きなお世話だよ!
で、何しに来やがったんだ?
狸:実はあたし、昼間に親方に助けていただいた子狸でございます。
八五郎:昼間?
あああの、子供たちに捕まってた狸か!
狸:えぇそうなんです。
八五郎:何だってまた、子供になんか捕まったんだよ?
狸:それが、だらしないなんてもんじゃない、お話にならないんですよ。
道で子供がメンコしてましてね、あたしもやりたいなァと思って、
木の陰に隠れて見てたら、子供の一人が「あたい帰ろ―っ」て帰って
ったからこりゃちょうどいいと思って、「あたいもう一回やろーっ」
って入ってったら、狸だ狸だ捕まえろ!って捕まっちゃったんです。
八五郎:なんで狸だってバレちまったんだ?
狸:なんでって、あんまり慌ててたんで化けるのを忘れちゃったんです。
八五郎:そりゃあたりめえだおめえ。そのまんまで入ってったら捕まるに
決まってるじゃねえか、そそっかしいな。
狸:えぇ、それで縄で縛られましてね、池の中にほうり込まれて
棒でつつかれて、あぁもういけないなって思ってたとこを、
親方が助けてくれたんですよ。
あの時は嬉しかったですよ。
で、家に帰りますとね、親父はもうちゃんと知ってまして、
「あの親方という人は実に義侠心のあるお方で、ああいうお方を人間
にしとくにはもったいない。狸の仲間に入れてあげても恥ずかしくない
。」なんて腹ァ叩いて笑いながら言ってるんですよ。
八五郎:なんだよおい、変な褒め方をするなよ。
人間なら膝ァ叩いて笑うとこだが、狸はやっぱり腹ァ叩いて
笑うんだな。
けど、人間にしとくにもったいないってんなら、何になるんだよ
。
狸:ええ、狸の仲間に入ってもらって、狸組合の組合長になってもらいたい
なんてこと言ってるんですよ。
八五郎:おいおい変なものにすんなよ。
それでおめえは一体、何しに来たんだ?
狸:ええ、親父が、
「お前は親方に恩を受けたんだから、恩返ししに行きなさい。」
ってんで、恩返しに来ました。
八五郎:ふーん、狸が恩返しなんかするのかい?
狸:ええもちろんですとも。
八五郎:へえ、狸に恩返しをされる日が来るとは思わなかったな。
ずいぶん義理堅いんだな。
まぁその心持ちだけでたくさんだよ。
さ、帰んな。
狸:えぇ!?
八五郎:いやな、その心持ちだけでたくさんだから、帰んなってんだよ。
狸:そんなこと言わないでここに置いてください親方ぁ。
あたしこのまま帰ったりなんかしたら、狸仲間に評判が悪くなっちゃ
います。
あの野郎、人に恩を受けておいて返さねえ。まるで人間みてえだって。
八五郎:おぉいおい、どうしてそう人間をけなすんだよ。
とにかく帰んな。
狸:いえ、どうか置いて下さい。
このまま帰った日には、うちの親父は一刻者ですから、あたしは勘当
になっちゃいます。
八五郎:なんでェ、狸の世界にも勘当だの廃嫡だのがあるのかい?
狸:ええ、最近もう規則がやかましくなっておりまして。
八五郎:まあ…いたっていいけどさ、食う物なんかありゃしねえぞ。
狸:それはどうにしかします。
八五郎:寝るものだってありゃしねえよ。
狸:親方と一緒に寝ます。
八五郎:俺と一緒に寝るったっておめえ、家の中を見りゃ分かるだろ。
こんな貧乏人で、一枚の布団を柏餅にして寝てんだよ。
狸:でしたらそれをこう、広げて並んでみましょう。
八五郎:広げちまったら上に掛けるものがねえじゃねえか。
狸:あたし持ってますよ。
八五郎:んん?布団かなんか持ってきたのか?
狸:いえそうじゃないんです。
八五郎:じゃあなに持ってきたんだ?
狸:ええとですね、親父のは大人ですから八畳は広がるんですけど、
あたしはまだ子供ですから、まだ四畳半しか広がらないんですよ。
それ掛けて寝ましょう。
八五郎:よせよ汚いなおい!
狸:え、あったかいですよ?
八五郎:あったかくたってやだよ!
おめえが一人でくるまって寝な。
俺ァやっぱり一枚の布団を柏餅にして寝るから。
今晩はもう遅いから寝ちまうぞ、いいか?
?おいおい、なんだって土間まで降りてくんだよ?
狸:畳の上だと冷えてしょうがないんです。
八五郎:なんだか言う事が変わってんな。
まあいいや、明日の朝、あんまり早く起きるんじゃないよ。
早く起きたって食う物なんかありゃしねえんだから。
あ、あとな、今は夜だからいいけど、昼になったら俺んとこに
友達とか来たりするんだ。その時に狸の姿のまんまうろちょろさ
れちゃマズいんだ。
みんな口が悪いから見つかった日にゃ、「狸の八五郎」なんて
あだ名を付けられちまわあな。
狸:大丈夫です。ちゃんと心得てますから。
八五郎:そうかい。
じゃ、万事明日の朝てことにして、寝るか。
狸:はい。
親方、おやすみなさいまし。
【いびきをかく】
八五郎:へへ、行儀の良い狸だな。お休みなさいなんて挨拶してとぐろを
巻いたと思ったらもう寝ちまったのかい。
こう寝つきがいいとこを見ると、狸に神経衰弱なんてのはねえだ
ろうな。
しかし大きないびきをかくねこいつは。
へへ、可愛らしいもんだ、狸でも人に恩を返そうってんだからな
。その心持ちだけでも嬉しいや。
【子狸をまじまじと見て】
ふーん…やっぱり子供の狸だね。寝顔が可愛いよ。
お?目が開いてる?おめえ起きてたのかい?
狸:ええ、これがホントの狸寝入りで。
八五郎:よせよおい!
ったく、寝るぞ!
【三拍】
狸:…もし親方、親方、お起きなすって。親方!
八五郎:ん…うーん…あぁ…!えっ、あっ、こりゃどうもすいません。
どうも夕べおかしなことがあってすっかり寝そびれちゃったもん
で、やっと朝方にトロトロっと…お?なんでェ、俺ァお向かいの
おかみさんかと思って話してたらそうじゃねえや。
見慣れねえ小僧だな?
おい、笑ってちゃダメだよ。
おめえ、どこの小僧さんだ?
狸:へへへ、夕べの狸です。
八五郎:なぁんだ、昨日の狸か。うまく化けやがったなぁ。
尻尾とか出てねえか?ちょいと回って見ろ。
おぉ、ねえな…こりゃたいしたもんだ。
狸:ええ、仲間内じゃ一番でございまして。
あたしの先祖は茂林寺のぶんぶく茶釜なんです。
八五郎:つまんねえこと言ってやんな。
狸:狸のまんまで動くのは危ないですから、最初は親方のおかみさんに
化けてみたんです。だけどご近所の付き合いもあるでしょうし、急に
女房ができたらおかしなもんだと思って、やめたんです。
次は綺麗な小僧さんに化けてみたんですけど、この家はずいぶん汚い
から釣り合いが取れないと思ったので、遠慮して汚い小僧になりまし
た。
八五郎:はは、つまらねえ事で遠慮するねえ。
汚ねぇどころじゃねえ、見違えるようなこざっぱりとした、いや
、小綺麗になったなあ。
狸:それに親方、不精だと見ましたので、掃除をーー
八五郎:あぁあんなもの、掃除なんぞやった事がねえや。
掃きたいったってホウキはなし、ハタキも無いからな。
狸:しょうがないので、尻尾でもって掃き掃除してました。
これでずいぶん尻尾の毛が抜けちゃいました。
八五郎:おぉいおい、無理すんな。
しかし、狸はマメだね。
狸:親方、お膳の支度ができてますよ。
ひとつ起きて顔を洗ってご飯でも食べてください。
八五郎:よせよおい、お膳の支度ったって、米なんかありゃしねえよ。
狸:なかったですね。でも大丈夫です。
八五郎:おい変な事するなよ?知ってんだぞ、俺ァ。
うどんがミミズだとか、おはぎが馬糞だとか。
狸:心配いりませんよ。
ご恩人なんですから、そんなバカな真似はしません。
ちゃんと買ってきましたから。
八五郎:待て待て、買って来たっておめえ、俺んとこに銭なんかありゃ
しねえぞ。
狸:ええ、ありませんけど火鉢の引き出しをあけると古いハガキが一枚ありま
したから、それでお米を買ってきました。
八五郎:なに、ハガキで買って来たってのかい?
狸:ハガキそのままじゃ買えませんよ。
あれを二、三回こう撫でまわすと、立派なお札になっちゃうんですよ
。
八五郎:へええ、古いハガキをおめえが撫でるとお札になるのかい?
そりゃ都合がいいや。当分おめえにいてもらおうかな。
義理の悪い借金してるとこなんか狸で用が足りちまうよ。
こりゃ貧乏人はかかあもらうんじゃなくて、狸を飼ってたほうが
お得だなぁ。
しかし家で飯を食うなんてのはずいぶん久しぶりだな。
じゃあご馳走になるよ。
狸:ええどうぞ。
あ、そうだ、親方は行けるクチだと思いましたから、お酒も用意しま
した。ちょいと辛口ですけど五合ばかり買ってきました。
八五郎:え、酒!?こりゃあ気が利いてんなあ。
まさか狸と酒盛りをする日がこようとは思わなかったね。
こらァありがてえな。
そうだ、おめえに一つ頼みがあるんだ。
見ての通り、俺ァ貧乏人だ。家の中に道具ひとつあるわけじゃね
え。
借金だらけでな、どうにもならねえんだ。
さっきおめえが言ってた火鉢の引き出し、あの中にまだ古いハガ
キが五、六枚くらいあるはずだから、ひとつ札をこしらえてくれ
。
狸:それがそうはいかないんですよ。
いつまでもお札になってるわけじゃなくて、向こうの手に渡ってしば
らくすると、元のハガキに戻っちゃうんです。
だから、あいつの持ってきたお札がハガキになったなんて事になって
怪しまれるといけません。
だから米屋にはお婆さんに化けて、酒屋へは小僧に化けて、薪屋へ
行くときはお爺さんに化けたんです。
だけどしまいには泡を食っちゃってお婆さんと小僧と半々に化けちゃ
ったりなんかしまして。
八五郎:おいおい危ねえな。
狸:慌てて化け直ったので大丈夫でした。
だけど家に取りに来る人はマズいですよ。
この家から出たお札がハガキになったなんて事になりましたら、
後ろに手が回っちゃうことになりますよ。
八五郎:う~~ん、狸の考えが深えな…。
それじゃつまんねえから、なんとかなんねえかな。
狸:なんです、親方。銭が入用なんですか?
八五郎:そうなんだよ。いま一件取りにくるんだ。
実はな、越後から来てる縮み屋て呉服屋に五円借りちまってるん
だ。
こいつに払っちまうとさっぱりするんだが、どうも金の回り具合
が良くなくてな。
五円なんて金は当分のあいだ入ってこねえんだ。
そうかといって返さなかったら、江戸っ子の面汚しになると、
こういうわけなんだ。弱っちまってるんだよな。
狸:じゃ、どうでしょう親方。
あたしがひとつ、五円札に化けましょうか?
八五郎:え、できるのかい?
狸:できますとも。
仲間内でいろんな物に化けて、人間を脅かす競争をやるんですよ。
こないだあたしの友達ががま口に化けたんです。拾おうとしたら
パクっと口を開いて脅かすてえ算段だったんですが、このごろの人間
は疑り深いですからね、すぐには拾わないんです。
「こんなとこにがま口が落っこってるはずがねえ」
って蹴とばしたもんですから、アバラを二枚折りましてね。
いまだに穴の中で唸ってます。
八五郎:おいおい、危ねえな。
狸:あたしはそんなドジな真似はしないんですよ。
お札に化けて、風に舞ったようにして足元にコロコロと転がってやる
んです。
すると欲の深い人間があたりをキョロキョロして拾おうとするんで、
そいつの手をバリバリって引っ掻いてやるんです。
八五郎:なんだよ、札が引っ掻くのかい?
狸:ええ、そりゃもう驚きますよ。
八五郎:驚くだろうな。
狸:たまにうわーっと喰い付いてやるんです。
びっくりして真っ青な顔して逃げ出したり、中には腰を抜かす奴が
いたりするんです。
それを大勢で木の影で見て笑ってるんですよ。
人間なんてものは、バカで愚かで卑しいもんです。
八五郎:おいおいおい、あんまり人間を悪く言うなよおめえ。
俺だって人間だぞ。
狸:いぃえぇ、親方は人間というよりどちらかというと狸に近い方で。
八五郎:バカなこと言うなよ。
まあいいや、化けられるんだったらひとつ頼むよ。
一円札を五、六枚で。
狸:それが、バラバラには化けられないんです。一匹一役ですから。
八五郎:あ、そうか。バラバラはダメか。
狸:どうしてもバラバラでお入り用でしたら、これから穴へ帰りまして
親類一同呼び集めて相談しますが。
八五郎:いやいや、そう狸を集められちゃ困るよ。
狸の総会になっちまわあな。
狸:それでしたら、百円札かなんかに化けて、向こうからうんとおつりを
取ってあげましょうか。
向こうのお札は本物なんですから。
八五郎:いや、それはそうだけどな。
知ってる仲だから、そう取っちゃ気の毒だよ。
狸:そうですか。それじゃあ二円ぐらいならどうです?
八五郎:おいおい、二円札だったら足りないじゃないか。
狸:それじゃあ七円札とか。
八五郎:おいおい、そんな半端な額のお札はねえよ。
五円でいいよ五円札で。
狸:分かりました、化けましょう…って親方、そんなにじろじろ見られた
ら化けにくいですよぉ。化けられてもお札が三角になっちゃったりし
ますよ。
八五郎:三角のお札なんてのはないだろ。
狸:ですので、目をつぶって三つ勘定してください。
その間に化けちまいますから。
八五郎:なに、目をつぶって三つ?おぅわかった。
その代わりひとつ、うまく頼むぜ。
…いいかい?行くぜ。
ひの、ふの、みっ!【手を一回叩く】
どれ…目を開けるぞ…っておいおい、どうしてこんなに大きく
化けるんだい?
畳一畳敷きの五円札なんてはマズいよ。
もっと小さくなってくれもっともっと。
狸:こうですか?
八五郎:あぁまだまだ、それじゃ座布団だよ。
狸:これでどうです?
八五郎:あ~まだまだ。
うん、まだまだ。
まだまだまだ…よし!
いやぁ上手いねェ。こんなに上手く化けるとは思ってなかった。
重みなんてのはどこに行っちまうんだろうね…っておいおい、
裏に毛が生えてんじゃないか。
狸:え、裏起毛で温かいですよ?
八五郎:あのな、シャツじゃないんだから、これ取ってくれ。
狸:じゃあ一回、撫でて下さい。
八五郎:撫でる?撫でれば取れるってのかい?
どれ…おお!取れちゃったよ。
へええ、すごいもんだ…っておいおい、どうでもいいけど、
お札からノミが出て来ちゃいけないね。
狸:あ、すいませんが取ってもらっていいですかね?
八五郎:いや、取ってやらねえ事もねえけどさ…。
お札のノミをとったなんてのは初めてだよ。
…ほら、取ったぞ。
狸:あの、ついでに痒いところを掻いてもらっていいですか?
八五郎:なに?しょうがないな…いや、掻いてやるけどさ。
せっかくお前が化けてくれてるんだからな。
だけどお札を掻いてやるなんてのも初めてだよ。
…よし、もういいだろ?
狸:ありがとうございます。
気持ちよくて寝ちまうところでした。
八五郎:おいおい、寝ちまって元の姿に戻っちまうのは勘弁してくれよ。
しかしこうやって見ると、本当に本物の五円札と全然変わらねえ
な。
狸:あっあっあっ、そんなにぐるぐる回さないで下さい。
目が回ります。
八五郎:あ、そうか。
じゃあとりあえず畳んでおくか…。
狸:あっあっ、折り畳まれちゃいますと、背骨が痛くなります。
あとお腹が押されるのでしょんべんが出ちゃいます。
八五郎:汚いな。
しょうがないなぁ、じゃあここにぶる下げておくか?
狸:あっ、そっちは足なので上にされると、頭に血が下がって苦しくなり
ます。
八五郎:ずいぶん注文が多いんだな。
じゃあこの、こっちが頭か?こっちを多少高くして置いておくか
ら、呉服屋が来たら、ひとつ上手く頼むよ。
呉服屋:えぇ、ごめんくださいまし!
八五郎:おう、誰だい!?
【声を落として】
来たぞ、ひとつ、上手く頼むぜ。
狸:ええ、任しといてください。
八五郎:おう、こっち上がってくんねえ!
呉服屋:へえ、どうも。
わたくし、このたび仕事をしまいまして、国に帰ろうと思いまし
て。
それで、お勘定の方ができておりましたら半分でもよろしいんで
、お支払いいただきたいんですが。
八五郎:おいおい、半分と言わず全部持って帰ってくれよ。
さっき狸にーーいいやなんだ、
五円に化けてーーいやそうじゃねえ、こしらえといたからよ。
呉服屋:あ、さようでございますか。
それはどうもありがとうございます。
ではさっそく頂戴いたします。
八五郎:おぅやるよやるよ。へへ、受け取りをいただきゃこっちのもんだ
。あ、こっちが頭になってっからな、逆さにしねえでくれよ。
頭に血が下がったらかわいそうだからよ。
呉服屋:え?
八五郎:このまんま、そーっと持ってくんな。
呉服屋:へっ?あっ、はあ、ありがとうございます。
いや、これは実に綺麗なお札ですなあ。
八五郎:ああ、今できたばっかりだからな。
呉服屋:えっ?
八五郎:いいから、黙って持っていきなよ。
呉服屋:いやぁですけどね、わたくしはこんなに新しいお札を見た事が
ございませんよ。実に綺麗ですな。折り目ひとつ付いて上に手が
切れそうですな。
八五郎:手なんぞ切れねえぞ。
引っ掻くぞ。
呉服屋:?なんですって?
八五郎:おいおいおい、どうしてそうぐるぐる回すんだよ。
目が回るじゃねえか。
呉服屋:えっ?
八五郎:あァあいいから、早く持ってっちまいなってんだよ!
呉服屋:さようでございますか。
ではまた来年、ひとつよろしくお願いします。
へい、ごめんください。
八五郎:おう、畳むな畳むな!折ったら背骨が…あぁ、行っちめえやがっ
た。
狸の野郎、背骨が痛えだろうな…。
かわいそうな事しちまったなあ…。
上手く帰ってくりゃあいいが…。
狸:親方、ただいま戻りました!
八五郎:!おう戻って来たか!心配したんだぞ。
上手く逃げられたみてえだな!
狸:いぃえいえ、もう冗談じゃありませんよ。
お札はこりごりです。
表に出たらあの野郎、「このうちにこんな新しい札があるわけがない
」ってんでね、天日に透かして見るもんですから眩しくってしょうが
ないんですよ。
そのうちぐるぐるっと回したから、目が回ったなと思った途端に、
今度はポーンと二つに折られちゃって背骨が痛いなと思ってたら、
さらにポーンと四つに折られちゃったから、頭を股ぐらに突っ込んで
我慢してたら、小さながま口出してその中にギュッと押し込んで口を
閉じられちゃったから、とうとうたまりかねてがま口の中でしょんべ
んしちゃったんです。
八五郎:汚ねえな!
しかし大変な目にあったな…で、それからどうしたんだ。
狸:しょうがないんでがま口の底を食い破って逃げて来ました。
八五郎:そォか!そりゃあよかった!
よく逃げられたなァ!
狸:その時ひょいっと脇を見たら五円札が二枚ありましたから、
持って来ましたよ。
八五郎:おぉいおい、札が札を持って来ちゃいけねえ。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
古今亭志ん朝(三代目)
柳家小さん(五代目)
※用語解説
・一刻者
南九州の方言で「頑固者」を意味する。
転じて自分の信念を曲げない実直な性格、責任感が強い「職人気質」を
指すこともある。
・廃嫡
旧民法における家督相続制度において、家督を継ぐべき嫡子などの推定
相続人の地位を奪うこと。
・義理の悪い借金
言ってしまえば、良くない所から借りた金。
今で言う、高利貸しとか闇金とかヤクザとか。




