草を食む
吾輩は牛である。農耕用の牛で、熊手状の馬鍬を咥えて畑を耕したり、収穫された野菜を背に載せたり、荷車で牽いたりする、あの牛だ。
畑を耕したり、荷車を牽くのは大変ではあるが、それ以外の時間は案外楽なもので、近くの共有放牧地で、他の牛馬たちとのんびりしている。
牛はなんて呑気なんだ。などと思うかも知れないが、まあ、その通りだ。吾輩の主は吾輩を大事にしてくれているから、他の農地で働く牛馬たちよりは吾輩は楽が出来ているだろう。
吾輩が丁重に扱われるのには理由がある。元々は世間に疲れ、厭世的となり、隠者の如く農家となった主からは、道具の一つと見做され、これ程大事にはされていなかった。それが変化したのは、夢に関係している。
吾輩はいつの頃からか、夢を見るようになった。それは主の夢だ。主と同じ夢を共有し、お花畑で遊ぶ夢とはちょっと違う。吾輩が主となり、牛を扱う夢である。
夢の中で、吾輩は主となり、吾輩の姿をした牛を用いて畑仕事をしている。夢の中の吾輩(牛)は、余り主には協力的ではない。そんな吾輩に対して、吾輩(人間)は、時に押し、時に引っ張り、時に鞭で叩いて、吾輩をどうにか働かせようとするのだ。
しかし吾輩にも吾輩のペースと言うものがある。無理矢理押されたり引っ張ったり、更には鞭で叩かれたりなどすれば、やる気も下がると言うものだ。
しかし吾輩(人間)からしたら、牛が働かないと言うのは、大問題なので、それでも押し、引っ張り、鞭で叩く。そうしてどうにか牛に畑仕事を手伝わせるのだ。
人間は大変だ。吾輩を働かせるだけでなく、自らも働かなければならない。特に種蒔きや雑草取り、収穫などは吾輩の力を借りられないので、人間自ら行わなければならない。
そんな夢を毎日のように見るようになった吾輩は、畑仕事への意識が徐々に変わってきた。吾輩には吾輩のペースがあるが、主にも主の事情と言うものがあると知ったからだ。
なので、少しくらいは主の言う通り働いてやらないでもなくなった。主になる夢を見るようになった事で、主が吾輩をどのように運用したいのかが理解出来てきた事も一因だろう。
何をすれば良いのか理解出来ているから、他の農地の牛馬に比べ、吾輩は効率的に働く事が出来るようになったので、自然と畑仕事の時間は減り、暇な時間が増えた。お陰で放牧地でのんびり出来る時間も増えたし、主も休憩時間が増え、詩歌に興じている。一人で生きていくなら、これくらいの共同作業で充分だろう。
吾輩が効率的に働くようになったからか、いつからか主は吾輩を鞭で叩く事はなくなった。そのうえ、放牧地から帰ってくれば、吾輩の牛舎は綺麗になっている。殊勝な心掛け。有り難い事だ。まあ、夢を見れば、牛舎を綺麗にしているのは吾輩なのだが。人間の身体と言うものは、とても融通の利く身体をしているので、隅から隅まで綺麗に出来る。
しかし夢の中でも働かなくてはならないと言うのは、何とも残念だ。人間は能く働く。そうしなければ生きられないらしく、朝早くから、日が沈むまで、能く働いている。これでヒト一人と牛一頭が生きていくだけの稼ぎにしかならないのだから、人間として生きるのはままならない。寸暇に詩歌に耽るのも理解出来ると言うものだ。
草を食む。放牧地の草を食みながら、この時間が続けば良いとのんびりする。しかしそうもいかない。日が沈む頃には牛舎に帰らなければならないし、夜に寝ればまた人間になった夢の中で、人間として働かなければならない。最近は夢を見るのも億劫だ。
はたして吾輩は本当にあの牛なのだろうか? 本当は吾輩は人間で主で、実は養っている牛になった夢を見ているのではなかろうか? 最近、そんな事を考えるようになった。今自分が生きているのは、現実なのか、夢なのか、吾輩は牛なのか、人間なのか、それとも別の何かなのかも知れない。
そう思うのは吾輩だけでないらしく、主が人間の時には、吾輩を慈しむように撫でる事が多くなった。理由は、主も吾輩と同様の夢を見るようになったからだ。だから、吾輩を撫でながら、「お前は俺か?」などと良く尋ねてくる。それに対して吾輩に出来るのは、牛の鳴き真似だけだ。
これに嘆息した吾輩は、牛を牛舎に戻すと、夕飯には人間らしく少量の肉や野菜、パンなどを食べながら、これは牛である吾輩が見ている夢なのか? と疑問を反芻しながら、独り寝床に伏せるのだ。そして夢の中で吾輩は牛となり、畑仕事を手伝う。
牛なのか、人間なのか、境界が曖昧となり、自分を使役して働くと言う悪夢が繰り返される。せめて相棒には優しくしてやろう。と、牛の頃には畑を良く耕し、荷車を牽き、人間の頃には鞭は打たず、牛舎も綺麗にしてやる。
そうして、一人と一頭は今日も人間として牛として働くのだ。自分が何者であるかも曖昧に。
だから尋ねたいのだが、吾輩の言葉は、あなたに届いているのだろうか? あなたは人間で、吾輩は人間の言葉を紡いでいるのだろうか? それとも、あなたは牛? いや、別の生き物の夢の中なのかも知れない。だから吾輩の言葉が通じているのだ。人間と牛など、言葉が通じる訳がないのだから。




