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触れてみたい

「なあなあ、知ってるか?隣のクラスの向井がパパ活してるって噂」


「えー、誰?可愛い系?」


「あぁ、知ってる!!5万払えばヤらせてくれるってやつ?」


「俺らも払えばヤらせてくれんのかな?」


「おい、お前聞いてこいよ〜」


「お前が行けよ!」


「俺は彼女居るから間に合ってんの!!」


ゲラゲラとでかい声で下世話な話をする陽キャ男子の輪の中に俺はいない。


机に突っ伏して無関心を装うが、内心ドキドキだった。


あの向井が?


いつも怠そうで、黒目がちで肌が白くて、胸がデカくて、走るのが遅くて、だけど歩き方が綺麗なあの向井が?




向井は図書委員である。


その日、怠そうに机に胸を押し付けながら持ち出し禁止の漫画をペラペラ見ている様を見た俺は、その夜も非常に捗った。


あの平になった下の胸を透明ガラス越しに覗きたい。


一見地味な向井に対してこのような感情を持っているのは自分だけである。


その妙な安心感が、つい今しがた崩れ去った。


そうか、向井はパパ活をしているかもしれないのか。


俺はこっそり誰よりも向井を知っているつもりだったのに、その実、俺の席の横でたむろしている男子達よりも何も知らなかったのだ。





向井の胸を揉みたい。


昔、巨漢の石井の胸をみんなで1000円払って揉ませてもらったことがあるくらい、俺達は乳房に飢えている。


今考えると、男の胸を揉むために1000円を払うなど馬鹿のすることである。


感想は…脂肪だな。それ以外なかった。


「金子〜、次移動教室」


「んー」


俺は一旦、思考を自身の席に置いて勉学に励む…ことなんて出来なかった。


あいも変わらず授業中は悶々と向井のことを考える。





俺は一年の時に一度だけ向井と会話したことがある。


「わっ、す、すんません…」


特別予定もないけれど、なんとなく意味もなく急いで帰ろうと鞄を鷲掴み、俺は階段を目指していた時だった。


角でぶつかりそうになり急停止したが、鞄があいていたせいで勢いが止まらないまま中身をぶち撒けた。


目の前には当時顔を合わせたことすらない向井。


前方不注意だったのは俺の方なのに、あー…ごめんね。と言い、怠そうにしつつも向井が拾うのを手伝ってくれた。


不意に、向井が散らばった俺のCDに目をやる。


「アタシも赤盤の方が好き」


「えっ…」


「はい、割れなくてよかったね」


俺もだよ!とか、青盤派が多いから仲間だ!!とか、家に帰ってから今更頭の中で溢れ出す言葉を反芻しては、恋する乙女の如く枕に顔を押し付けた。


向井は俺のことなんて、隣のクラスでたまに移動教室で一緒になる程度の男としか認識していないだろう。


いや、寧ろ認識すらしていないかもしれない。


あの会話をしたことだって忘れているに違いない。


あーあ、向井がブスだったら良かったのに。


デカいうるさい声でガニ股で歩いていたらこんな気持ちにならなかったのに。


向井が夏の日に足を広げて下敷きでスカートの下を仰いでいたら幻滅したのに。



***



「雨かよ…」


帰宅途中、急な土砂降りに見舞われた俺は小さい頃よく買いに来た惣菜屋のシャッターの前に駆け込み雨宿りした。


ずぶ濡れのなか帰ろうとする者、しっかりと折りたたみ傘を用意していた者、俺の立っている所とは別の場所に雨宿りをする者。


雨に濡れて少し冷えた体をさすりながらぼんやりと眺める。


パパ活してるならこんな雨くらい車で"パパ"に迎えに来てもらえるだろう。


もしも俺が車を持っていたら。


俺が背が高くてかっこいい運動神経抜群のカースト上位だったとしたら。





「はー…最悪」


その時、視線の端から走って来た、俺と同じ屋根に雨宿りした女子の姿に心臓がギュッと跳ね上がった。


気怠そうに雨水を払い、ミニタオルで身体を拭きながら来たのは…


「む、向井……さん?」


「あ?あー。金子君だっけ」


「あ、はい。金子…です。そうです」


「雨困ったね」


「あ、うん。そ、そうだね」


「…………」


「…………」


何か喋れ俺!


こういう時こそ聴き古した洋楽の愛の言葉を思い出せ!


何の為にわざわざ輸入盤を購入し、セルフ翻訳してるんだ。


………無理だ。俺たちみたいなのは女を母親とオノ・ヨーコしか知らない。



チラリと向井に目を向けると、その姿はあまりに欲情的で頭の奥がチカチカと破裂した。


髪が雨に濡れて首筋を伝いそれがやけに官能的で、濡れた学校指定のシャツが透け、タンクトップが浮き上がる。


俺は、向井が好きだ。

一目惚れだ。


理由なんてない。ろくに話した事もない。


話したい、触れたい、キスしたい、エッチしたい。


何故なんだ。君は気怠そうだけど、赤盤が好きな女の子なはずだろ?


雨音よりも心音が大きくなる。






「向井さん…5万でパパ活してるって本当?」


俺!何言ってんだ!!テンパって訳わかんない事を口にして血の気が引く。


「は?何それ」


ほら、ほらほらほら!向井めちゃくちゃ怒ってるし!当たり前だよ、殴られても文句言えないよ。


「それって…」


言い訳しろ!周りが言ってたから違うなら俺から否定しておくとか!!


心臓がドッドッドッドッとうるさい。


うるさいな。


「俺も5万払ったら胸揉ませてくれるの?」


「な…」


「あ…いや、ごめん。ごめん!!!」


俺は奥底でぐしゃぐしゃになったタオルを鞄から掴むと、向井に押し付け走って逃げ出した。




ーーーーーーーーー




俺は、パパ活をしているという噂の向井に、「俺も5万払ったら胸揉ませてくれるの?」なんて馬鹿げたことを聞いてしまった。


雨の音がうるさい。


濡れた身体はどんどん冷えるが、それは雨のせいだけではないだろう。


完全に嫌われた。


ボコボコに殴られても文句は言えない。


雨水なのか、冷や汗なのか、背中を流れるそれは何だっていい。


俺はとにかくこの場から逃げ出したかった。


「待って」


向井の声だ。


俺はこの言葉の続きに、罵詈雑言を覚悟した。


だが向井は意外にもクスクスと笑いこう言った。


「胸揉むだけでいいんだ?」


「えっ!」


戸惑う俺に向井は追い討ちをかけるように俺の耳元で囁く。


「エッチしたくない?」


「えっ…」


喉から絞り出したような声はカサカサで音にすらならなかった。


俺、向井とセックスできる…?


「ねえ、金子君。5千円、払ってくれるならしてもいいよ?ウチ、今日はパパもママも家にいないんだ」


雨の音がうるさい。…いやきっとこれは俺の心臓の音だ。



***



俺は、童貞を卒業した。


その胸もいつも纏めている長い髪も、乱れて揺れて、じっとりと潤んだ瞳でこちらを見つめてくる。


女の子の身体って、ふわふわで柔らかくていい匂いだ。


それを感じるだけで、ついさっき弾けた熱は再び熱く迫り上がっててきた。



「ねぇ、金子君。アタシの名前で呼んでよ、下の名前」


向井の下の名前…?


漢字が頭に出てくる。向井※※。


何て読むんだっけ?


「ーーーー!」


俺は…俺は、この後どうしたんだっけ?


「金子君?」


場面が切り替わったかのように向井に声をかけられハッとする。


あれ?何をしなきゃいけないんだっけ?


「向井…気持ち良かった?」


「うん。金子君は?」


「俺も…気持ちよかった…」


「ふふふっ…良かった」


向井が、くるりと体勢を変えてこちらを見つめてきた。


「だってこれ、夢だから」




デ、デ、デ、デ、デ、デ、デ、デ!!


うるせぇな…。


不快な特大アラームで目を覚ます。


俺は童貞を卒業していなかった。


向井とした事は……全て夢だったのだ。


しょうもない夢見せやがって。


本当の俺は、向井がどれくらい柔らかくていい匂いなんて知らない。


惨めな思いをしながらベトベトに冷えた下着をこっそり洗濯へ回し、俺は学校へ行く準備をした。



***



俺は昨日、向井にパパ活の噂が本当か聞いてしまった。


なんて愚かな事をしてしまったのだろう。


これは夢でなく実際起きてしまった事。昨日あった事をリセットなんてできない。



「俺の彼女さぁ、乳輪デケェんだよなぁ…茶色いって言ったらキレるんだよ」


お前が吸うから茶色くなんだろぉ〜?

ちげぇよ!などと陽キャ共がキャッキャしてる。


「そう考えると、ポークビッツって可愛い色してるよな」


うるせぇな。


俺が物思いに耽っているのに、陽キャ共はお構いなしに毎日お祭り気分である。


毎度毎度休み時間になると陽キャに囲まれる席の俺は不貞寝を決め込んでいる。


どう考えても会話が聞こえる距離に他人がいるんだから、もうちょい気を遣え。


俺はこいつの彼女を見る度に、あぁ…色素沈着乳首の。って思うだろうが!



「あ、向井。モテモテの三年の先輩と歩いてる」


俺は思わず顔を上げそうになったが懸命に腹に力を入れて堪えた。


まだ待て、女の先輩かもしれないだろ。


「あの二人付き合ってんだ?」


「んー?先輩が告ったって聞いたけど」


先輩って男かよ…。


後頭部から背中にかけて、指先から爪先まで。

俺の体はさぁっと血の気が引いて冷たくなった。



***



「向井がモテない訳ないじゃん」


イマジナリー向井が悪戯っぽく耳に髪をかけて笑う。


ああ、またこれか。


今度は夢って分からせてくるタイプの夢。


「うるせぇな、どうせお前は夢なんだろ?出てくんなよ」


夢くらい楽しく幸せでありたい。


こんな時でさえ俺は惨めな気持ちになるのか。


だがイマジナリー向井は俺の悪態なんてどうでもいいと言った様子でくすくすと笑った。


「胸がデカくて、地味で気怠そうに見えてどこか上品で清潔感があって。向井の良さが分かるのは俺だけだって勘違いしてるアンタみたいなのがあの学校には山ほどいるの」


「黙れよ、偽物のくせに」


「ニセモノにならこんなに喋れるんだね」


「うっさいな…」


「キミは所詮友達止まりだよ。共通の趣味のお陰でギリギリ認識されてるだけ。あ、ワンチャンそのまま付き合えるって思ってた?ないと思うな〜」


イマジナリー向井が後ろに手を組んでくすくすと笑う。


うるさいな。うるさい、うるさい。偽物のくせに。恨めしくイマジナリー向井を見つめると、彼女はやれやれとため息をついた。



「そうだよ。ここにいるアタシはね。君が知ってる向井なの。君が知ってる向井から想像で作られたほんの一部の向井。君に都合が良いことしか言わない、君が想像したエッチな事させてくれる向井」


そうだ、これは夢だ。だって向井はこんな風に俺に笑いかけてきた事なんてない。


「だから誘うし、感じるし、中出ししても平気。ふわふわでいい匂いなの。君が知ってるエッチしかしない、意外性0の向井」


この前の夢はAVとエロ本とインターネットの知識と俺の記憶の向井が喋っているに過ぎない。


「本当の現実はね、辛くて痛くて…悲しいよ」


「先輩と付き合ってるって言ってたもんな」


そもそも現実の俺は、向井とこんなに喋る事なんて出来ない。


休み時間は音楽を聴いているか寝ているだけの暗くて冴えない男。


その上、俺にも胸揉ませてくれるのかと聞いてきた嫌な奴だ。



「あでっ」


ふてくされている俺にイマジナリー向井はピンとデコピンをした。


「違うでしょ」


「違うって何が」


「違うの」



***



机の上に、あの雨の日に向井に押し付けたド派手なレインボーのタオルが綺麗に洗って、畳んで置いてある。


ぷかぷかと摘んで柔軟剤の香りを確かめていると近くの席に居た友人が声をかけてきた。


「あ、金子!向井さんがついさっき来てさ、タオル貸してくれてありがとうだって。お前こんなクソダサいタオル貸したの?」


「さっき…」


俺は教室を飛び出した。


俺は…俺は向井の事をよく知らない。


将来の夢は何なのか、得意な教科は何か。


何が好きで、何で笑って、何で感動するのか。


何で怒って、何で泣いて、昨日何してたかとか。


青盤より、赤盤が好きって事くらいしか知らないんだ。


「向井!…さん、あ、あのっ!タオルッ!!」


俺は下駄箱で靴を履き替える途中の向井に声をかけて、すぐさまやらかした!と思った。


やべえ、この後何話せばいいんだ。


ちらほら周りに生徒もいるし下手な事言って変な噂が立ったらどうしよう。


「歩きながらでいい?」


向井はちょいちょいと手をこまねいた。


好きだ。


そんな仕草一つ一つが好きなんだ。


でも知ってるんだ。俺と向井は友達以上にはなれないって。


「…タオル、大事なものかなって思って。この前ドーム来てたでしょ?」


あの時貸したタオルは海外バンドのツアーグッズだった。


わっくわくでタオルを買ったのに終演後のコレジャナイ感が強くてもういっそ使ってやる事にしたのだ。


海外バンドのグッズはロゴもデザインもダサい。


側から見て俺はダサいタオルを使う地味で発言もしない冴えないクラスメイトだ。


だがこれが向井にはツアーグッズだと分かる事が俺は嬉しかった。


「き、気にしなくていいって!だって凄く期待してたんだけど、アンコール含めて一時間半も演奏してくれなかったから」


「あはは、兄貴も同じ事言ってた」


向井にはお兄さんがいるのか。


向井の事が知れて嬉しい。


だけど、俺は。俺には言わないといけない事があるんだ。



「ぁ…のっ!…この前の事謝りたくて」


勇気を振り絞って発した言葉はあまりにも情け無い。

俺はこの日ほど、自分が口下手だという事に恨んだ事はない。


気まずい沈黙が流れた後、向井が口を開いた。


「…………アタシ本当はね、パパ活なんてしてない…つもりなの。同じ部活の友達と思ってた子に、あわせたい人が居るからって一緒に知らないおじさんとご飯食べた。それだけで5千円くれて。後からパパ活だって知ったの」


同じ部活…?そう言われてみれば、向井は最近専ら一人行動が多いが、前ははよく同じ部活の友達と連んでいた。


「そしたらその子が私がパパ活してるって噂広めて、でもお金貰ったのは事実だし完全に嘘じゃないから否定できなくて…」


そうだったのか。


いやまてよ、モテモテの先輩?部活の……?


ハッと全てが繋がった気がした。

俺は、あの雨の日に向井に言った言葉を思い出し眩暈がした。


「金子君は信じてくれる?」


「信じる。信じるに決まってる。赤盤派に悪い奴はいないんだから」


「あはは、何それ」


向井は、本当の向井はこんな風に笑うんだ。


愛想笑いじゃない、困ったように眉を下げ、口を少し開けて、その声は空気みたいに跳ねる。


「ね、金子君はさ、音楽好き?」


「うん………大好き」


「アタシも、大好き」

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