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三度目の人生は、キミのために。  作者: 野風まひる
マーテル騎士採用試験
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05: マーテル騎士採用試験

 バター専門店の中は、ひんやりと冷たい。

 水色の壁に白いランプが灯る店内は、落ち着いた雰囲気だった。


「いらっしゃいませ」


 カウンターの店員に軽く頭を下げて、ロアは店内を歩く。


 店の中には身なりのいい先客が二人。

 どちらにも店員が付いて回っている。


 ロアはカウンターを見たが、店員がこちらに来る気配がない。


 静かな差別。

 ロアはくじけそうになりつつ、これは〝自分には代えられないこと〟だ、と言い聞かせて店内を見て回った。


 バターは、供え物か、あるいは宝石のように並べられていた。


 蜂蜜バター、香草バター、塩バター。

 パイ用、ブリオッシュ用、贈答用食べ比べセット。


 小さすぎる値札に書かれた値段は、まじまじ見なければ理解できない。

 王都・マーテルの住人は、値段を見て買い物をする習慣がないのだろうか。


 ロアは控えめで上品な〝王室献上品〟の文字の前で止まった。

 ハーブが練り込まれたバターが、ぽつりと展示されている。


「……ねえルイス。これ、王室献上品って書いてある」

「じゃあシェルも、このバターの味を知ってるんだね」

「そっか。じゃあこれにしようかな」


 ロアはそう言って金額を見た。


 〝50グラム 1銀貨(セレス)


 見間違いかと思った。


 今朝、荷車から買った肉入りのパイがひとつ3黄貨(ヘイロ)

 昨日、夕食で食べた野菜とチキンのグリルが1銅貨(ルーメ)

 王都・マーテルの音を出したら死ぬ宿屋が6銅貨(ルーメ)


 しかしここに書かれているのは、黄貨(ヘイロ)でも銅貨(ルーメ)でもない。


 銀貨(セレス)

 トアルの村で生活をしていて、まず見ることのない単位だった。


 たかがバターに、銀貨(セレス)

 一気に食欲が失せたロアは、ルイスを見た。


「ねえ、ルイス、」

「ハーブバターを50グラムください」


 しかし、ルイスはすでに店員を呼びつけて注文をしていた。


「かしこまりました。贈り物ですか?」


 〝贈り物ですか〟

 そんな上品な言葉をこの世界で聞く日が来るとは思わなかった。


 一言も出ないロアに、ルイスは全く動じることなく口を開く。


「家で食べるだけなので、包装は簡単なものでいいです」

「かしこまりました。お待ちください」


 店員は慣れた様子でそう言うと、カウンターの中でバターを包み始めた。


「ねえ、やっぱりやめようよ」

「食べようよ。きっといい思い出になる」


 ルイスが会計を済ませてバターを受け取って、二人は店を出た。

 今のロアは楽しみという気持ちよりも、大切な何かを失った気分だった。


 〝50グラム 1銀貨(セレス)


 住む世界が違う、というのはこういうことを言うのだろう。


 バター専門店の冷たい空気が途切れて、通りの匂いが押し寄せる。

 焼きたてのパンの香りだった。


「パンひとつ6黄貨(ヘイロ)が可愛く思えるよ」


 焼きたてパンを店員から受け取ったロアの言葉に、ルイスが笑う。

 二人はパンとバターを抱えて今朝の公園のベンチに座った。


「ナイフがないね」


 ルイスがそう言ったのは、すでにバターの包みをベンチの上で開いた後だった。

 ロアは焼き立てのパンを片手に考えた。今からまた、あの高級通りを歩く。そう思うだけで疲れた。


「もういいよ、これで」


 ロアは焼き立てのパンを大きくちぎると、バターに直接擦り付けた。

 ルイスはすべてを諦めきった様子のロアを見て、笑みをこぼした。


「テキトーでいいの? ロアが楽しみにしてた高級バターだよ」

「どう付けたって味は変わんないって。バターはバターなんだから」


 バターはあっという間に熱に負けて、熱いパンに吸い付いた。

 通りすがりの人々が、信じられないといった目でロアを見て通り過ぎていく。


「私は、マーテルの人たちに気に入られるために来たんじゃない。騎士になるためにきたの。だから私は、この街を自分で楽しみたい」


 支離滅裂に聞こえただろうか。

 すこし不安になるロアをよそに、ルイスは相変わらず柔らかい笑顔を浮かべていた。


「ロアらしいね」


 ルイスはそう言うと、ロアと同じようにパンをちぎり、バターをすくうようにして付けた。


「あ、ルイスも私と同罪」

「うん。きっと重罪だ」


 そう言い合って笑い、二人は同時にパンを口に放り入れた。


 いつも通りの調子で咀嚼したロアはまず、勘違いかもしれないと思った。

 だからよく、よく噛んで鼻から息を抜く。

 そしてパンを飲み込んで少ししてから、口を開いた。


「……信じられないくらい美味しい」

「うん。本当に美味しいね」


 愕然とするロアに、ルイスも同意する。

 銀貨一枚の味だとロアは思った。そして先ほどと同じ手順でまた、パンを口に運ぶ。

 

 ロアは胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。

 この町は冷たくて理不尽だ。だけど自分で手を伸ばせば、ちゃんと楽しい。


 それからロアとルイスは、二人でこの町の楽しいところを探して回った。


 夜にはひとつ、劇場を見つけた。


 ロアは生まれて初めて歌劇を見た。

 当然、全く知らない物語だ。ただし、ヒロイン女優の美しさが素晴らしかった。


 ヒロイン女優の容姿に見とれていて、事の顛末は分からないが、彼女はいつの間にか天使になって空に上がっていく。

 その様子を見て、主人公のイケメンがひどく悲しんでいた。


 イケメン主人公があまりにも悲しそうに泣くから、よく分からないままなぜか一緒に泣いた。

 大号泣するロアを、ルイスが隣で苦笑いしながら見ていた。


 次の日には、壁に貼り付けられた騎士採用試験の募集を見つけた。

 〝研究施設で働く仲間を募集中! お友達と振るってご応募ください! マーテル騎士採用試験〟という文言。

 しかし合格率5%という事実は、煽り文句だと思った。


 別の日には外から城下町へ続く門を四か所回ったり。

 夜の酒場を探したり。


 そんな日々もあっという間に終わろうとしている。

 指折り数えていた試験の日が、もう目の前まで来ていた。


「試験が終わったら、また探そう」


 ルイスのその一言が、心強かった。


 試験当日。

 極限の緊張は反転して開き直りになった。

 ロアとルイスが向かったのは、マーテル城の正門。すでに列ができていた。


「今年ダメだったら諦めます! ああ時の魔女さま……ああ、ヤバいどうしよう」

「受かりますように受かりますように受かりますように――」


 胸の前で指を組み、目を閉じている人。十字を切っている人。本を片手にぶつぶつと呟いている人。

 ロアたちと同じくらいの人もいれば、四十代くらいの人もいる。

 二列に並ぶ人々は、それぞれの世界に没入している。異様な光景だった。


 二人は前の人にならい、隣同士に並んで順番を待った。

 案外すぐに順番は来た。


 受付の騎士は二人。


 膝下まで覆い隠す夜紺のロングコートに、同じ色のズボン。

 肩からは白いマントが後ろへ流れ、足元は白いブーツで揃えられている。

 腰の茶色のベルトには、鞘に収まった剣が一本。

 騎士の制服は、規律を重んじるマーテルらしい冷たく整った装いに思えた。


「受験票をお願いします」


 ロアは受付の騎士に受験票を手渡した。


「ロア・リーヴさん。ようこそ王都・マーテルへ」


 受付の騎士は、白い手袋をつけた指でロアの受験票に触れた。

 そこにすぐに、〝確認済〟の文字が焼き付いた。

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