04:だから私は王室御用達バターを食べる
外壁が夕焼けを区切っている。
王都・マーテルの城下町は、夕方から夜までの距離が短い。
ロアとルイスが大通りに出たとき、外壁の正門は閉まろうとしていた。
「この門、閉まるの?」
「そうだよ。夜の七時になったら閉まるんだ」
「じゃあ旅人が間に合わなかったら」
「門の前で野宿だね」
ロアはゆっくりと閉まっていく門を見て思った。
この町はきっと、大荷物を抱えた旅人が走ってきていても、目の前でぴしゃりと門を閉め切るのだろう。〝規律〟の名の下に。
閉まる外壁の正門。
近い夜。
この町はどうやら〝もう帰る時間ですよ〟と言いたいらしい。
息苦しい。
まるで一度目の人生の、現代社会のような場所だ。
「ロア、なに食べたい?」
「改まってない場所に行きたい」
ロアの即答に、ルイスは「答えになってない」と言って笑った。
二人は町の中をしばらく歩き、正門から遠く離れた食事処に入った。
「いらっしゃい。好きなところにどうぞ」
食事処の女将は恰幅がよく気さくな様子で、ロアは安心感を抱いた。
しかし、やはり落ち着かない。
白い漆喰の壁に、木の床。テーブルは部屋いっぱいに等間隔に広がっていて、ほとんどの席に人が座っている。
どのテーブルにも目立った傷はなく、蜜蝋で磨かれて光っていた。
店内は、ざわ、という話し声と笑い声があるだけで、もちろん酒に酔って暴れる人は誰もいない。
気さくな女将の営む食事処でさえこの様子だ。他の店はどんな様子か。考えるだけでどっと疲れが襲う。
二人は適当なテーブル席に座り、置いてあるメニュー表を見た。
あるのは軽食と簡単な食事ばかりで、酒類の記載がない。
「決まった?」
注文を聞きに来た女将に、ルイスは豆と肉の煮込みと薬草茶、ロアは野菜と鶏肉のグリルと果実水を注文した。
「あの、どうしてメニューにお酒がないんですか?」
「アンタ、未成年でしょー?」
酒を注文しようとしていると思ったのか、女将はニヤリと笑いながらロアを見た。
「私が飲みたいんじゃなくて。食事処なのにお酒がないって、珍しいなって」
「ああ。マーテルは、酒を飲める場所が決まってんのよ。この辺りには二か所しかない。っていっても、よその町ほど種類はないよ。香草酒に葡萄酒くらい。……そうだ。最近は蜂蜜酒もあるって聞いたね」
酒のない食事処。
エリュマなんて、どこの食事処でも酔っぱらいたちが大騒ぎしていた。
あの中にはきっと、王都・マーテルで我慢に我慢を重ねた旅人もいただろう。
騒がしいと思っていたエリュマの酔っぱらいたちが可愛く思えた。
女将は「じゃあ、待っててね」と言い残してカウンターの向こうへ戻っていく。
それから二人は他愛ない話をしながら食事を済ませて、外に出た。
「こんばんは。警備の者です」
制服を着た男に声をかけられ、ロアとルイスは立ち止まった。
「夜道は危ないですから、気を付けてくださいね」
「ご親切にありがとうございます」
ルイスの言葉を聞いた警備の男は、軽く会釈をして去って行った。
どれだけ歩いても、マーテルの城下町には夜の匂いがない。
浮ついた旅人も、酔っぱらって潰れた旅人もいない。『寄ってってよ』と誘惑する女性もいない。
騒ぎ声も、笑い声もない。
つまらない。
それが夜のマーテルを見たロアの感想だった。
息苦しい。
この町は整い過ぎていて、なんのために生きているのかわからなくなりそうだ。
マーテルの研究施設の中も、こんなふうに規律に縛られているのだろうか。
窮屈さを感じて、思い出した。
〝呼吸が深くなるということは、心の動きが落ち着くというわけである。〟
ロアはいつか読んだ本の内容を頭の中でなぞって、ゆっくりと深く、呼吸を繰り返す。
それから自分に問いかけた。
〝なんのために王都・マーテルに来たの?〟
この問いに、もうノートは必要ない。
――シェルを助けるために、王都・マーテルに来た。
ロアはそっと拳を握りしめて息を吐き切った。
二人はそれから宿屋に戻り、それぞれの部屋で次の日の朝を迎えた。
朝日で目を覚ましたロアはひとつ伸びをして、窓から外を見る。
荷車を押す売り子が見えた。
ロアは簡単な身支度を済ませて外に出ると、売り子から肉入りの小さなパイを二つ買った。売り子から手渡されたパイは、まだ温かい。
ロアが公園でパイを口に運んでいると、人が同じ方向に流れ始めた。
視線で追った先は、教会。
「おはよう、ロア」
「ルイスおはよう」
ロアはルイスに視線を向けた後、また教会に視線を戻してルイスに問いかけた。
「あれ、なにかな?」
「祈りだよ」
「祈り?」
「そう。王都・マーテルでは、日曜日の朝に時の魔女に祈りを捧げるんだ」
「田舎の村よりも宗教意識が強いんだね」
ロアはパイの最後の一口を食べ終えたあと、立ち上がってルイスを見た。
「今日は正門とは逆の方向に行ってみようよ」
ロアの提案で公園を離れた二人は、正門とは逆方向に歩いた。
城下町は、マーテル城を囲む城壁と、外とを仕切る外壁に挟まれている。
どちらの壁も人間の力で乗り越えられるような高さではない。
二度目の人生でシェルに監禁され、マーテル城の最上階から見下ろした時には、城下町全体がもっと小さく見えた。
表通りから離れるほど、洗濯物が見えたり一軒家が増えたり、生活の気配が強くなっていく。桁違いに大きな屋敷もあった。
しかし、どれだけ細い裏道に入り込んでも、すれ違う人は誰も綺麗に汚れを取った服を身にまとっていた。
路地に座り込む人もいない。
生ゴミの匂いも、家畜の匂いもない。
朝から酒に溺れる人間もいなければ、叩き売りや呼び込みの活気もない。
子どもの騒ぎ声もなく、口論も、転げるほどの笑い声もない。
王都・マーテルの音は全て、許可された大きさに収まっていた。
「ねえ、ルイス。私、どうしても今言いたいことがある。聞いて」
「うん。いいよ」
「……この町の人たち、なにを楽しみに生きてるの?」
ロアがそう言うと、ルイスはやっぱりと言いたげに笑った。
「わかるよ、ロアの気持ち。この町の人たちは安心を買っているんだよ」
「安心を買ってるって?」
「孤独にならない。それに犯罪も少ない。王都・マーテルの規律に従うことさえできたら」
「……私、エリュマの裏路地に逃げる人の気持ち、すっごくわかる」
それから二人は正門から続く、大通りに戻った。
最初に見た時には壮大だったが、改めてしっかり見てみると、無駄に綺麗で面白みのない景色だ。
「ルイスどうしよう。私ひねくれてる。人間らしさも面白みもない景色~とか思ってるもん」
「こら」
ルイスは薄く笑って、窘めるようにそう言うが、おそらく同じことを思っているに違いない。
しかしここで文句ばかり言っていてもしょうがない。
残り九日、王都・マーテルで過ごさなければいけない。さらに騎士採用試験に合格したら、ずっとこの雰囲気の中に居なければいけないかもしれない。
ロアは落ち着いて、自分の思考へ意識を向けた。
王都・マーテルの規律は〝他人型〟だ。
どれだけ自分の肌に合わないと嘆いても、すべて無駄な時間。
なぜならその規律は、ロアには変えられない範囲のものだから。
それなら、自分で変えられることに集中する。
ふと目に入った看板には、〝王室御用達〟の文字。
バターの専門店と書かれた看板には、紋章が描かれていた。
王都・マーテルの規律なんて知るか。
せっかく遠路はるばるやってきたんだ。王都・マーテルを楽しみつくしてやるからな。という気持ちで、ロアはびしっと看板を指さしてルイスに言う。
「ルイス! 私、今からこの高級バターを食べる!」
「じゃ、買おう」
ルイスはあっさり言うと、もう扉に手をかけていた。
危うく無駄に綺麗な大通りに取り残されかけたロアは、全速力で、かつ何事もなかったような顔をして、ルイスのすぐ後ろを歩いた。




