03:王都・マーテルという規律
ロアとルイスは正門前で門番に引き留められた。
関所と同じく駆け落ちを疑われたが、受験票のおかげで王都・マーテルの門をくぐることができた。
王都・マーテルは、異世界だった。
石畳の上に高く控えめに響く靴音に、馬車の音。
まっすぐに伸びた道の先は、遠すぎて見えない。
二人は正門からずっと先に続く大通りを歩いた。
たたき売りの市は、一つも出ていない。
通りの両端には、看板を掲げた店が整列している。
どの店もガラス越しに店内が見えるように工夫されていた。
〝魔法屋〟の店内には、乾燥させた薬草、魔法石。
製本屋には古い本が重ねてある。時計屋、仕立屋、本屋。
王都・マーテルの住人は、誰もが凛と背筋を伸ばしていた。
上品でシンプルな服を身にまとう住民たちは、当たり前の顔をして、どこかに向かって行く。
ロアは歩きながらふと目を止めた。
大通りに入る前の一角で立ち止まる住人たちが、すっと何かに向かって会釈をして通り過ぎる。
去り際にロアが見たのは、外壁に掲げられた時の魔女の像だった。
たくさんの専門店。
香ばしい香りがするパン屋。
ゴミどころか、雑草一つない町。
旅人が汚れた靴で歩いていいのだろうかと思わずにはいられない。
それほど、大通りの一本道は洗練された雰囲気を持っていた。
「なんかこの町、緊張する……」
「旅人はお呼びじゃない、って感じの雰囲気だね」
ルイスとロアはその足で宿屋に向かった。
大通りから何本も道を入った宿屋は、掃き清めたように静かだった。
色を合わせた照明が、白の漆喰の壁に落ちている。
薄い灰色の石床を歩く音だけがロビーに響いた。
「いらっしゃいませ」
受付の女性はそう言って頭を下げたあと、ルイスとロアを上から下まで視線でなぞった。まるで、検品されているような視線だった。
受付の女性は顔を上げると、ルイスとロアの顔を交互に見た。
「失礼ですが、ご夫婦ですか」
「いいえ。違います」
淡々としたルイスの返答に、受付の女性は一拍だけ間を開けて口を開いた。
「では、男女同室はお断りしております」
「別室で構いません。二部屋お願いします」
「かしこまりました。では、何点かお伺いします。……王都・マーテルに来られた目的は?」
「騎士採用試験を受けるためです」
「……お二人とも?」
「はい」
淡々と述べる受付の女性に、ルイスも淡々と返事をする。
受付の女性はルイスが答える度に、紙にペンを走らせた。
すぐ隣では別の女性が「こちらで伺います」と客を誘導している。
ここは宿屋というよりホテルのように思えた。
「では、お二人とも受験票を見せていただけますか」
二人が受験票を出して見せると、受付の女性は紙に受験番号を控えた。
そして手早く受験票を二人に返した。
「どれくらい滞在される予定ですか」
「十日ほど」
「……採用試験当日まで七日あります」
「早めに来ましたので。到着が遅れる可能性と試験準備を考えて」
「残り三日のご予定は?」
「観光です」
受付の女性の持つペンが走って、止まった。
ロアは自分に質問が飛んでくるのではとひやひやしながら、二人の様子を見ていた。
「王都・マーテルを出て、次はどちらに?」
「エリュマの町を経由して、マーテル地方の北にある、トアルの村まで」
「お二人とも?」
「そうです」
淡々とした調子で、会話は進む。
受付の女性は書き上げた書類を指でなぞって確認している。
それから二枚分の紙の向きをくるり変えると、二人に差し出した。
「では、名前の記載をお願いします」
ロアは受付の女性に言われるままに、名前を書いた。
「ルイス・ミレインさまに、ロア・リーヴさま」
受付の女性は復唱しながら、紙の上でペンを止めた。
ほんの一拍だけ、ロアの姓を目でなぞる。
そして何事もなかったように紙を揃え、すっと顔を上げた。
「ようこそ、王都・マーテルへ。お部屋へご案内いたします。こちらへどうぞ」
受付の女性に促されて端へ寄ると、すぐに後ろから「こちらで伺います」と言う声がする。
二人は受付の女性に促されて階段を上がった。
二階は真っ白な壁紙に、深いワインレッドの床。
シミや汚れはひとつもない。それどころか、人が一人もいないのではと思うほど静かだった。
「男性と女性は階を分けておりますので、ご配慮いただけると幸いです」
受付の女性は部屋の前で止まった。
「ミレインさまは205の部屋をお使いください。ごゆっくりおくつろぎください」
「ありがとうございます」
受付の女性は部屋の鍵を開けると、そのカギをルイスに手渡した。
「ではリーヴさま。こちらにどうぞ」
ルイスと急な別れとなり、仕方なくロアは「また後で」と言い残して、受付の女性について歩く。
さらにもう一階上に上がり、306の部屋の前で立ち止まった。
「リーヴさまは、こちらを。ごゆっくりおくつろぎくださいませ」
そう言って受付の女性はルイスの時と同じ手順で鍵を開け、ロアに鍵を手渡して廊下を歩く。
「ありがとうございます」
受付の女性はロアの感謝の言葉を受け取るより前に、階段の方へ消えた。
ロアが部屋の中に入ってまず見たのは、大きな窓だった。
窓には鉢植えが吊られて宿屋の外観を美しく見せていた。
低いが柔らかいベッドに、ピンと張ったシーツ。その向かいの壁に飾られた細い枠の鏡。
小さな書き物机にまっすぐな椅子。
振り返って見ると、ドアの内側には魔女の顔のメダルがはめ込まれていた。
どう考えても今までで一番いい部屋だ。
しかし、居心地が悪い。
長旅をしてきた服装でこの部屋に居るのも申し訳ないくらいの気持ちだった。
整いすぎていて散らかす余白がないこの部屋では、怠け方まで監視されていそうな気がした。
ロアは耳を澄ませた。
どこかで旅人が昼間から酒盛りでもしていないかと思ったが、なにも聞こえない。
無音すぎて耳がツーンと鳴るほどだ。
ロアは落ち着かなくなり、すぐに部屋を出てカギを差し込む。
二階に向かうと、ルイスは自分の部屋の前に立っていた。
「ルイス!」
ロアは少し大きな声を出して、それから辺りの静けさに合わせてすっと息を止めた。
「外に行こうか。ロア」
ルイスにそう言われて、二人は外に出た。
外の空気を吸って、ロアはやっと息ができる気がした。
綺麗すぎると思っていた町を眺める。宿屋の中より、ずっとましだ。
日はもう傾いていて、夜を連れてくる気配がする。
「ねえルイス。本当に今夜、ここに泊まるの……?」
「そうだよ。落ち着かない?」
「落ち着かない。なにこの宿屋。音立てたら死ぬの?」
真剣な顔でそういうロアに、ルイスは笑った。
「王都・マーテルはそういう町なんだよ」
ルイスはそう言って歩き出した。
「エリュマで言ったよね。〝エリュマは王都の制約から逃げてきた人間もたくさんいる〟って。王都・マーテルは、規律を重んじる。ここに住んでいる人たちは、規律を守ることは人間が最低限しなければならないことだって思ってる」
ルイスが視線をやった方向をロアも見た。
そこには街角の時の魔女の像に、すっと頭を下げて通り過ぎる人たちがいた。
「シェルはこんなところに住んでいるんだね」
「城下町はまだマシかもね。シェルはこの規律を仕切っている人たちと一緒にいるんだから」
ロアは二度目の人生のシェルと、マーテル城での出来事を思い出した。
この規律と町の雰囲気も、シェルを壊す原因になったのだろうか。
ロアは少し自分を恥じた。
案外簡単になんとかなると思っていたのかもしれないとすら思った。
知らなかった。マーテルという国の壮大さも、根深さも。
「夜ご飯、どうしようか」
ルイスに問いかけられて、ロアは考えることをやめた。
頭の中で考えたって、答えは出ない。
「あの宿屋以外ならどこでもいい」
「じゃあ、ロアが好きな探検ついでにさがそうか」
二人は時の魔女に頭を下げる住民たちをよそに、石畳の町を歩きだした。




