02:王都・マーテルの門前
ロアは宿屋の女に問われて、初めて片方が落ちたらどうしようと考えていなかったことに気がついた。
「いるのよね、時々。何人かで採用試験を受けて、一人だけ落ちちゃうパターン」
宿屋の女は、くるりと体の向きを変えてルイスを見る。
ロアはその隙に、持っていたノートを開いてペンを走らせた。
〝片方が落ちることを考えていなかった。〟
この議題に、問いかけを深めていく。
――どうして?
ルイスは落ちない気がしてる。落ちるなら私の方。
――どうして?
ルイスは研究結果とか持ってる。私は持っているものが不確実。
違う。〝問い〟がずれた。この問いかけの先に、〝片方が落ちることを考えていなかった。〟の答えはない。別の問いかけを。
「あなただけ受かったらどうするの? この子、置いてくの? 連れてくの?」
――どうして、私だけが落ちた先を考えていなかった?
ルイスと私は関係ない。
――ということは
考える必要がなかった。
「僕たちはもう、置いていくとか連れていくとか、そういう関係じゃないんですよ」
――ということは……
「僕は僕で行くし、ロアはロアで行く。同じ方向に歩いてるから一緒に来た」
〝私は私。ルイスはルイス〟
ロアが結論を出したのと、ルイスがそう言ったのは同じタイミングだった。
ロアがノートから顔を上げると、ルイスは柔らかい笑顔を浮かべてロアを見ていた。
「そうだよね。ロア」
ロアは大きく頷いて、ルイスに笑顔を返した。
「うん。私もそう思ってたみたい」
宿屋の女は納得した二人の様子を見ると、テーブルに肘をついて二人を交互に見た。
「なんかアンタたち、かっこいいかも」
宿屋の女がそう呟いた途端、彼女の頭に思いきりゲンコツが落ちた。
「痛あー!」
「さっきからずっと、料理を運べって呼んでんの!」
エプロン姿の宿屋の女将は鬼の形相をしていたが、ロアとルイスを見るとにっこり笑った。
「ごめんね。ウチのバカ娘、本当に噂好きで困ってんのよ。……トアルの村から来たんだってね。たくさん食べて行って」
宿屋の女将はそう言うと、カウンターに置かれた料理を次々とテーブルに運んでくれた。
二人が食事をとっていると、宿屋の娘は隙あらば二人の座る席にやってきて話を聞きたがった。
二人は食事を済ませると、それぞれの部屋に入って休んだ。
そして次の日の早朝。二人はルドラドの町を発った。
その日の夜は教会の巡礼宿に泊まった。テーブルが二つ並ぶ簡素な大食堂で見知らぬ旅人たちと共に食事をとり、会話をした。それから、時の魔女に祈った。
夜。ランタンを持ったロアは、外の井戸に魔法石をかざした。共鳴して、滑車が回る。引き上げられた水を横広い桶に移して、切り株に腰を下ろしてから、水桶に足を浸した。
「……いたっ」
足は指同士が擦れて、皮がむけていた。
ロアは一度目の人生の現代技術の高さを感じていた。
テーマパークで丸一日歩くことがあっても、足の皮がむけることなんてなかった。
足場の悪さに加えて、靴の精度の低さ。
絆創膏が数枚あれば気持ちが楽なのに、この世界にはそれもない。布でも巻けばいいのだろうか。
なんだか一度目の人生の技術が恋しくなった。
「怪我した?」
ロアは急に聞こえたルイスの声にびくりと肩を浮かせた。
「ルイス……うん。でも大したことないよ」
「見せて」
ロアは水桶の縁に足を乗せた。
ルイスは桶を挟んで跪いて、ロアの足に触れる。
「さ、触らないでね……本当に痛いから」
「大したことないんじゃなかった?」
「大したことはないけど、痛いの!」
ルイスはロアの足を包むように持つと、傷口の近くに親指を当てた。
ランタンの光よりもずっと小さい、薄緑の淡い光がロアの足を包んでいた。
「きっ、きれい、だけど痛いっ」
「痛いよ。細胞を無理やり働かせてるんだから」
むき出しの傷口を、針でチクチク刺されているような痛みだった。
「でも、傷から菌が入ったら歩けなくなる。今、我慢して。僕の肩持ってていいよ」
ルイスにそう言われて、ロアはルイスの肩を正面から掴んだ。
「うう、痛いっ」
「痛い痛い」
ルイスは相手にしていないような、でも寄り添うような声でそう言った。
それから五分も経つと、傷は完全に癒えた。そして二人は明日に備えて、すぐに眠りについた。
次の日には関所についた。ルドラドの宿屋の女と同じように駆け落ちを疑われ、二人は騎士採用試験の受験票を見せて関所を超えた。
日が落ち切ってから、ルドラドよりも大きな町ドーリエに一泊した。
そして早朝から、また歩き出す。
「見えた!」
日が沈んですぐのこと。丘の上から平原の向こうに、小さくマーテル城が見えた。
四日歩き続けて、やっと見えた。
しかしまだあと一日ある。そう思うと疲れが一気に襲ってきて、ロアは静かに息をついた。
旅は過酷だ。
「あそこにシェルがいる」
ルイスは感慨深い様子で、王都・マーテルを眺めている。
ロアは大きく息を吸った。こんなところで疲れていられない。まだ、始まってもいないんだから。
そう思い直して二人はまた歩き出し、エリュマという大きな町に足を踏み入れた。
ロアはエリュマの石畳を踏みしめながら、石を積み上げて出来た建物をきょろきょろとしながら眺めた。
「いらっしゃいませ。宿泊ですか?」
宿屋に入ると、カウンターの女性はテキパキとそう言ってふたつのカギを渡した。
すぐ後ろにならんでいる人を避けて、二人はそれぞれの自室で荷物を下ろす。宿屋の食事処は満席だったため、二人は食事をとるために夜の町に繰り出した。
表通りの街灯は、夜を眩しいくらいに照らしている。
街灯は石の町に赤い光を落としていて、海外旅行にきたような気持ちになる。
「トアルの村とは全然違うね」
二人は食事をする場所を探して辺りを歩いたが、どこも酒を提供している店ばかりで、羽目を外した旅人たちが大騒ぎしていて安全とはいえない。
ロアはふと街灯のない細道に目を止めて、その先を指さした。
「こっちに行ってみようよ」
「僕はあっちに行きたい」
何気ないロアの言葉に、ルイスはすぐに別の方向を指さした。
ロアは自分が提案した道を見る。街灯の光が届かない道だった。
一方ルイスが指さしたのは、表通り。
ルイスの拒絶に、薄暗い路地。絶対にこっちになにかある。そう直感すると、ロアは裏通りを指さしたままルイスを見た。
「こっちが気になる」
「気にならない。あっちに行こう」
「こっちに楽しいことがあるかもしれないじゃん」
「ねえ、こっち」
二人の会話に交じって、女の声がぽつりと聞こえた。
二人は、ロアが指さした細道を見た。そこには綺麗な女がいた。
体にぴたりとはりついたドレスを身にまとった女は、壁に手を添えて、一歩一歩おぼつかない足取りで歩いてくる。
彩られた長い爪が、石の壁をジリジリと音を立ててかすめている。
「こっち」
ロアはその女と目が合う。女はロアに向かって手招きをした。
旅人ではなさそうだ。
定住民だろうか。
酒に酔っているのか。
女は明らかに、正常じゃない。
でも美しい女に路地裏に招き入れられた先に、なにがあるんだろう。
恐怖心のすぐ隣にいるのは、好奇心だった。
「ねえ、ルイス。お姉さんこっちだって、」
ルイスはロアの手を取ると、通りを進んだ。
「エリュマは王都の制約から逃げてきた人間もたくさんいる。旅人に向けた表通りと、定住民のための裏通りに、はっきり分かれてるんだよ」
ルイスにそう言われて、ロアは振り返った。
あの狭い路地の先にはなにがあって、なにがないんだろう。
どんな人がいて、どんな人がいないんだろう。
行ってみたい。
「……でも気になる」
「なにかあってからじゃ遅い。ロアにもしものことがあったら、シェルはきっと悲しむよ」
確かにそうかもしれないと思う。
だけど、それで自由が縛られるのは少し悲しい気がした。
「危険が気になる気持ち、わかるよ。だけどせめて、自分の身を自分で守れるくらいにならないと」
自分の身を自分で守れるようになれば、危険な場所にも入ることができる。
好奇心を満たすには、強くならないといけないのか。でもなにをすべきなんだろう。
「ノート開いていい?」
「今はダメ。後にして」
今すぐにノートの上に思考を広げたかったロアだったが、ルイスにそう言われて諦めた。
それから二人はやっと見つけた食事処で夕食を済ませた。早めに眠りについて、次の日。エリュマを発った二人は、再び早朝から昼すぎまで歩いた。
「ついた」
二人はそう言って門を見上げた。
外壁は、門前から見ると横にどこまでも続いているように見えた。
「王都・マーテル!」
石畳の街を、たくさんの人が行き交っている。




