20:未来の希望に祝福を
鳥が鳴いている朝。
ロアが家の前にいると、屋敷から旅支度を終えたシェルと従者たちが出てきた。
シェルとオズワルド、それから十人の従者は、リディアの家の前で立ち止まった。
「おはよう、シェル」
「おはよう」
二人の間に、沈黙が走る。曖昧な沈黙だった。これからどんなことを話したらいいのか、お互いの感情を探り合うような。
シェルは悲しんでいるだろうか。
ロアがそう考えていると、シェルはふっと笑って薬草畑を見渡した。
「俺、この薬草畑好きだったんだよね」
シェルと同じように、ロアも薬草畑を見渡した。
薬草畑は重要な薬草たちが生い茂っていて、まだ名前の知らない薬草たちがたくさんある。
シェルの言葉に過去がにじんで、胸を締め付けた。
「古の魔女の菜園って感じ。これを全部理解するには、どれくらいかかるんだろうって、見るたびに思ってた」
ロアもリディアの知識に及ぶにはどれだけかかるのか。
想像もできなかった。
「あっ、リディアさん!」
シェルは居間の窓のリディアに気づき、大きく手を振った。
その後ろでオズワルドは、深く深く頭を下げていた。
「今から帰るよー! 鍵ロアに預けとくー」
シェルがそう言うと、リディアは頷き、軽く手を振った。
シェルから手渡されたカギを受け取ったロアは、歩き出した。
「ゆっくり歩いて行こうよ」
「うん。そうしよう」
ロアとシェルに、従者たちは後ろから温かい視線を送っていた。
二人は村の入り口に向かいながら、時間をさかのぼっていく。
「この図書館も、静かでいいよね。自分と向き合うための場所って感じがしてさ」
「私かシェルかルイスの誰か一人はここにいた、って言うくらい、いつも図書館にいた気がする」
「絶対ロアが一番いたよ。一時期、図書館に住んでたじゃん」
「それは……そうだけど。反省したからちゃんと家で寝てたし」
二人は図書館を通り過ぎ、シェルは畑を指さした。
「ベードさんたちの種まきも手伝ったね」
「鬼ごっこしてたら、『野菜は踏むなよー』って言われるんだよね」
「そうそう」
「おお。もうそんな時間か。おーい時間になった」
ベードがそう言うと、農夫が二人顔を上げて身支度を整えた。
ロアとシェルは石の橋を渡り、井戸の側を通った。
井戸の周りでは、いつもと変わらずマルタを含めた三人の夫人が話をしている。
「もうそんな時間かい」
マルタはロアとシェル一行に気づくとそう言って、振り返って声を張り上げた。
「エマ、ニコ」
名前を呼ばれた二人は、遊んでいた手を止めてマルタの側に駆け寄った。
いくつかの家を通り過ぎると、教会の前にはルイスがいた。
「おはよう。二人とも」
ルイスはそう言うと、ロアとシェルの隣に並んだ。
「シェルと懐かしいねーって話してたの。図書館のこととか、種まきとか」
「懐かしいね。〝生活に使えそうな本を持ってきた人が勝ちゲーム〟もしたね」
「あ、したした! ロアが〝文化史〟持ってきて、民族の祭りを説明してたやつ」
「あれは! そのとき読んだ本の中で一番面白かったから……!」
必死に弁解するロアを、シェルとルイスが笑った。
ロアとルイスが足を止める。
シェルは二人の隣を通り過ぎると、村から一歩外に出て振り返った。
その後ろに続いたオズワルドと従者たちも、シェルの後ろで振り返る。
シェルが顔を上げると、ロアとルイス。それからトアルの村の村人が立っていた。
「本当にお世話になりました」
シェルがそう言って頭を下げると、彼の従者たちも深く頭を下げた。
その様子を見たエマが少し寂しそうに言った。
「シェル、帰っちゃうのー?」
「うん。帰っちゃう」
「えー寂しい」
「うん。俺も寂しいよ、本当に」
シェルは少し寂しそうに、エマに笑いかけた。それを見たエマの目に少し涙がたまる。
シェルはなにかを言いかけたが、口を閉ざした。
シェルのすぐ後ろでは、オズワルドがぐすんぐすんと鼻を啜り、袖でごしごしと目元を拭っている。
「……オズ」
「はい。なんでしょう」
シェルの言葉にオズワルドはそう言って、深呼吸をした。
シェルは吹っ切れたようにふっと笑うと、少し呆れた様子で言った。
「感情豊かなところ、オズのいいところだと思う」
「……恐れ入ります」
オズはそう言うと、ぐっとこらえて、俯き、また袖で目元を拭った。
シェルはロアを見る。
彼は、言葉を探しているようだった。
「泣いてもいいけど?」
「泣きません~。オズ見てたら、涙引っ込んじゃったよ」
オズワルドはシェルの後ろで涙を拭いながら、悔しそうに「申し訳ありません」と言った。
二度目の人生は、悲しくてたまらなかった。
シェルとの別れに、どうすることもできなかったから。
「私、シェルが見せてくれた魔法、忘れてないよ」
ロアは、あの夜に見た五色の魔法と、綺麗な星空と、広い世界を自分の目で見た高揚を思い出していた。
息を呑んだシェルも、きっと同じ気持ちだろう。
シェルは今日、王都・マーテルに帰る。
二度目の人生と、状況はなにも変わらない。
それなのにロアの胸の内は、希望で満ちていた。
変わったのは、シェルを見送る、自分自身。
永遠の別れは、もう来ない。
この人生では、次の一手を自分で選ぶことができるから。
「〝トアルの村〟での私たちがもう終わるだけ。次は、二年後に〝王都・マーテル〟で会おう」
この別れが、未来への祝福のようにさえ思う。
シェルはロアの言葉に笑顔を返した。
そしてルイスを見た。ルイスは、大きく一度頷いた。
「騎士は心臓の上に手を当てて誓うんだ」
シェルはそう言うと、自分の心臓の上に手を当てた。
ロアとルイスも、シェルと同じように胸に手を当てる。
「こう?」
「ロアちゃん。手をもう少し上に」
執事服の男の一人がそう言うと、慣れた様子で心臓の上に手を当てた。
「指先じゃないんだ。手のひらで、自分の心臓の音を確かめるんだよ」
三人の執事が揃って、同じ動きをする。
その横で、一人の執事だけが音もなく半歩下がり、背筋を伸ばして立っていた。
六年も一緒にいて、気づかなかった。
本物の執事はひとり。
残りの三人はきっと、護衛騎士だ。
〝お坊ちゃん〟というシェルのイメージに合わせるために、執事の服を着せられているだけ。
右手のひらに、鼓動が伝わってくる。
「三人で誓おう」
シェルがそう言うと、ロアとルイスは笑った。
「俺は、立派な……。立派になります!」
「僕は、自分の限界を試します」
「私は……」
ロアは言葉に詰まって、それから口を開いた。
「大切な人を助けられる人になります」
三人で照れて笑い合う。
ロアは心臓から手を離すと、シェルにその手を差し出した。
シェルはロアの手を握った。
「誓ったからね」
ロアはシェルの手を左手で包むように持ち、強く強く、握り返した。
「……やばい。俺今、ちょっと泣きそう」
「よしよし。また〝冬ポタ〟しようね」
「……冬ポタ?」
「〝冬のコーンポタージュ〟に決まってるんじゃん」
「〝冬ポタ〟……。うん、楽しみにしてる。絶対しよう」
シェルはロアの手を離すと、少し間を開けて、ロアを強く抱きしめた。
ロアは少し驚いて、それからシェルの背中に腕を回すと、気合を入れる様に強く二回背中をたたいた。
「気を付けて帰ってね。それだけ」
「うん。ありがと」
シェルはロアから離れると、ルイスを見た。
「ルイスー」
シェルはぐっと何かを堪えたあとそう言うと、ルイスを強く抱きしめた。
ルイスは少し戸惑って、それから困った顔で笑ってシェルの背中に片手を回した。
「ありがとう。僕まで抱きしめてくれて」
「寂しいー。俺、ずっとルイスを抱きしめたいって思って、」
「天然メンヘラ製造機。言い方」
最後の最後にとんでもない爆弾を投下しようとするシェルを、ロアが冷静に制止する。
シェルの後ろにいる書記が、ペンをさらさらと速く動かした。
シェルはすぐにルイスから離れて振り返ると、書記を見た。
「……今の、書いた?」
書記は無表情で頷かない。頷かないのに、ペンだけは動いている。
「変更する! 言い方変更! 本当にありがとうって思ってる!」
書記はピタリと動きを止めると、横に二本線を引いて、さらに細かくペンを走らせた。
「うん。それなら受け取ろうかな」
ルイスはそう言うと、シェルに右手を差し出した。
「体調に気を付けてね、シェル」
「うん。ルイスもね」
シェルはルイスの手を握る。
二人は強く握手を交わし、手を離した。
シェルはロアとルイスの顔を見ると、ふっと短く息を吐いた。
「またね。二人とも」
そして笑顔を作ると、振り返った。
「行こう。みんな王都までよろしく」
そう言ってシェルは、踵を返して歩く。
二度目の人生では、シェルは何度も振り返っていた。
しかし、三度目の人生でシェルは、真っ直ぐに前を向いていた。
シェルたちの姿が、だんだんと遠くなっていく。
大丈夫。
未来はきっと、いい風に変わるはずだ。
シェルは木の陰に消える前、たった一度だけ振り向いた。
そして大きく手を振る。
ロアとルイスが手を振り返すと、シェルはすぐに見えなくなった。
「展望台に行こう」
ロアはルイスにそう言うと、展望台まで走った。
展望台に上ると、シェルたちが見えた。
人影だったものが点になっていき、川の橋を越えて、見えなくなった。
「王都で会おうって、シェルにそう言ったけどさ」
ロアは暗い声でそう呟いて、それから俯いた。
「……騎士試験落ちたら、めっちゃ恥ずかしいよね」
ロアが言うと、ルイスが笑った。
「それはそうかもね」
「どうしようどうしよう。ちょっとやっぱり言い過ぎたかな……?」
「もう出ちゃったものは戻せないから、それを〝正解〟にするしかない。あと二年あるよ」
「……ルイスはもしも。もしも騎士試験に落ちたらとか考えてる?」
「ううん。僕は一回で受かるから」
ルイスははっきりと、そして穏やかに言い切る。
「……ルイスって、時々信じられないくらい自信家だよね」
「そうだね」
今なら、ルイスの気持ちがわかる気がした。
「自分が自分を一番に信じてあげられるって、すごいことだよ」
ロアはそう言って、トアルの村を見下ろした。
トアルの村はきっと、シェルのことが好きだったのだろう。
トアルの村は静かで、少し落ち込んでいるように見えた。
だからロアは、胸の上にもう一度だけ手を当てる。
目を閉じると、鼓動が答えた。




