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11: 気になる、という才能

 ロアは居間のロッキングチェアに腰かけて一人考えていた。


 王都に行くと決めたはいいものの、現実的な方法が思い浮かばない。


 王都・マーテルを中心に商売をするとなれば、城下町で生活することになるだろう。

 リディアの薬をマーテル城に売るとすれば、月に一回くらいは王都の中に入れるかもしれない。


 でも月に一回城の中に入れて、シェルを救うことができるだろうか。


 そもそも、どうしてシェルは殺されなければいけなかったのだろう。

 政治的な問題か。個人的な感情か。


 アメリアもオズワルドも、シェルが殺されることを知った上で、覚悟している様子だった。


 どんな状況だったのだろう。

 なにもわからず、ロアはもやもやした気持ちを押し出すように、ため息をついた。

 どうしてもっと、王都のことに興味を持っておかなかったんだろう。


「ロアー」

「……なにー?」


 玄関から聞こえたシェルの声に返事をすると、足音が聞こえてきた。


「あーそーぼっ」


 居間を覗くシェルは、笑顔を浮かべている。

 今日はそんな気になれない。考え事をしたい。

 そう思っていることを見透かしたのか、シェルはロッキングチェアに座るロアに駆け寄った。


「ねー俺、ロアと遊びたいー」


 シェルはロアの後ろから背もたれを掴んで、ロッキングチェアを大きく揺らす。

 無邪気に言われると断れない。

 メンヘラ製造機に、メンヘラを製造されかけて、ロアは小さく息をつく。それから、後ろにいるシェルを見た。


「いいよ。なにして遊ぶ?」

「やったー」


 シェルが嬉しそうに笑うから、なんだかいいことをした気持ちになる。

 まごうこと無きメンヘラ製造機が、闇落ちせずに大人になった将来が恐ろしい。


「じゃあ、かくれんぼ鬼ごっこね」

「かくれんぼ鬼ごっこ?」

「どこかに隠れて、見つかったら逃げる。タッチされたら負け。建物の中以外なら、どこでもいい。最初ロアが隠れていいよ」

「おっけー」

 

 ロアが立ち上がると、シェルはロアが座っていたロッキングチェアに座った。


「じゃあ俺はこの家の中で三分待つね」


 ロッキングチェアを大きく揺らすシェルをよそに、ロアは居間を抜けて玄関を出た。


 考えごとは後にしよう。そう思ったロアは、屋敷を背に小走りで村の中心へ向かった。


 井戸の側には、マルタという婦人が一人で立っていた。


「かくれんぼ?」

「そう」


 ロアは井戸の陰にしゃがみこむ。

 恰幅のいいマルタは、魔法石の指輪を井戸にかざした。

 柔らかい共鳴音を立てた後、ロープが滑車を回す。


「シェルとかくれんぼ鬼ごっこしてるの」

「そうかい。今日、ルイスくんは?」

「おばあちゃんと一緒じゃない? シェルが私のところに来たってことは」


 シェルはルイスと遊ぶのが大好きだ。

 しかし、ルイスが物置小屋の奥の研究室に籠っていたり、リディアの話を聞いているときには無理に誘ったりしない。


「男の友情は、黙って見守ってやるもんさ」

「でもそれって私、都合のいい女みたい、」

「ロア、みっけ!」


 ロアはしゃがんだままマルタと井戸の隙間を通り、立ち上がりながら走った。

 シェルは井戸を手のひらで押し付けて、空ぶった勢いを殺すと、すぐに顔を上げた。


「あークソ。あとちょっとだったのに……!」

「なんでわかったの!?」

「だってマルタおばさん、一人でずっと喋ってるんだもん」


 ロアは畑の脇を抜けて走った。そのすぐ後ろを、シェルが追いかけている。


「野菜は踏むなよー」


 農夫のおじさんは、慣れた様子でシェルとロアにそう言った。


「はーい!」


 ロアは走りながら返事をして、小川の上にかかった橋を渡った。

 すぐ後ろから、石橋を踏みつけるシェルの足音が聞こえた。


 真っ直ぐ走っていたら捕まる。

 そう思ったロアは、展望台の階段を上がった。


 この先は行き止まりとわかっていても、ロアは走り続けた。

 風が、背中を強く押している。


 展望台についたロアが速度をゆるめてすぐ、シェルの手が両方の肩に乗った。


「つかまえた!」

「あー、つかまった。……疲れたあ」


 ロアはその場にしゃがみこむ。

 シェルはロアの肩から手を離すと、膝に両手をついて息を整えた。


 ロアは深く呼吸をした後、その場に寝転んだ。

 心臓が打ち付けるように鳴って、体の中から鼓膜を揺らしていた。


「あー楽しかった」


 シェルはそう言うと、ロアと同じように草の上に寝転んだ。


 心地いい風に、流される雲。

 くらむほどの太陽の眩しさに、空の青さ。

 滲む汗。弾む心臓。


 私、なにに悩んでたんだっけ。そう思うくらい、気分がよかった。

 まだかすかに上がっている息を整えながら、ロアは目を閉じる。


 内側から灯る温かさが、汗となって流れていく。

 土と青い草の匂い。脅かされることのない、絶対的な村の平和。


 ずっとこの日常が、続けばいいのに。

 二度目の人生で同じように思ったことを、今でもよく覚えている。


 ロアは目を開けると、首を傾けた。


 シェルは目を閉じて、風に身を任せている。


 ねえ、シェル。私、この人生でなにをしたら、シェルが幸せに暮らせるようになる?


 大人になった、二度目の人生のシェルに聞いてみたくなる。

 今のシェルはあと何年で、二度目の人生のシェルに追いつくだろう。


 ずっと子どものままでいられたらいいのに。だけど、一人だけ大人でいるのは、寂しい。

 だからやっぱり早く大人になってほしい。だけど、大人になってアメリアと結婚する必然がシェルには待っているなら、やっぱり大人になってほしくない。


 どんな未来でも、シェルが幸せならいいと誓ったのに、つい欲張ってしまう。


「ねえ、シェル」


 思ったよりも優しい口調で、名前を呼んでしまった。


「んー?」


 しかしシェルは、全く気付かずにいつも通りの返事をした。


「嫌だったらいいんだけど」

「うん」

「ちょっと手、握ってもいい?」

「手? 別にいいけど。はい」


 シェルはあっさりそう言って、ロアに手を差し出す。


 頭の中には、二度目の人生のルイスが浮かんだ。

 一体この関係は、どこからが罪なんだろう。


 だけど今、ルイスに対する胸の痛みを感じてでも、それを越えて思い出したいことがある。


 ロアは腕を伸ばして、シェルの手を握った。


 月明かりだけに依存した、音も、匂いもない部屋の中。

 今思えばその部屋は、見たこともないくらい豪華で、寂しかった。


 あとどれくらい、どこへ向かって走れば、あの頃のシェルの隣に並べるだろう。


 走って、息を切らして、胸が苦しくなるくらい心臓が鳴って。

 二度目の人生のルイスを思って、二度目の人生のシェルのことを考えた。


 身体も感情も忙しく動き回ったはずなのに、さっきまでの重たい気持ちはどこかへ消えている。


 家で一人で考えていたときは、どうすればシェルを救えるか、どうして彼は死ななければならないのか。そればかり考えて、なにも進まなかったのに。


 今は全て、自分の思い通りになる気がする。


 どうしてこの短時間で気分が切り替わったのか。

 心が勝手に軽くなったんじゃない。

 動いたから、気分が切り替わった?


 〝気になる〟に対する答えがどこにあるのか。ロアはもう知っていた。


 この平穏の中にいたい。

 その思いに一度身を任せたあと、ロアはシェルから手を離した。


「ありがとシェル。もう大丈夫。気になること見つけたから、先に行くね」


 起き上がったロアは、服についた土を払った。


「ええー。せっかくいい気分だったのにー」


 シェルは横になったまま目を開けて、ロアを睨んだ。


「天然メンヘラ製造機」


 ロアはそう言って笑うと、階段を一段降りた。


「どうしても今じゃないとダメなの?」

「どうしても今じゃないとダメ。図書館にいるね」


 ロアはそう言うと振り返らずに階段を降りた。

 小走りで図書館に入ると、本の海から情報を探した。


 〝運動〟〝人間の身体〟〝感情の変化〟について。


 ロアは何冊か本を選んで、いつものソファに腰を下ろした。


 一冊目の本を開いた。

 タイトルは、〝生きている体の記録〟。


 人は、心が曇るとき、体を忘れている。

 体を使えば、思考は沈み、感情は浮かび上がる。

 剣でも、畑仕事でも、歩くことでもよい。

 心を整えたい者は、まず足を動かせ。


 人の体には〝巡り〟がある。

 巡りが滞ると、心は沈み、言葉は重くなる。

 走ること、汗を流すことは、巡りを呼び戻す祈りである。


 ――抽象的すぎてわからない。次の本。


 二冊目の本は〝名もなき回復について〟。


 あまり長いこと机に向き合っていると、気分も思考もよどむものだ。

 私はそんなとき、走ることにしている。

 走ると心臓の音が大きく鳴る。すなわち、血流が促進されるのである。


 東国の地では、呼吸と心の動きは一致していると言われている。

 呼吸が深くなるということは、心の動きが落ち着くというわけである。


 また、きついという適度な刺激やストレスがいいという論もある。

 体は均等を保とうとするものであるから、刺激やストレスに対応するように、不安や緊張を和らげ、気分に影響を及ぼしている可能性がある。


 すなわち、体が先なのだ。

 体の状態が良ければ、気分は後からついてくる。

 体の状態が、感情を決めているのである。


「……体の状態が感情を決めてる」


 それなら確かに、シェルと動いた後に気分がいい理由になる。


 答えを見つけた。


 そう思って満足したあと、ロアは深いため息をついた。


 こんな小さな気になることを、一生懸命調べている場合じゃないのに。


「なに調べてたの? ロア」


 ロアが顔を上げると、ルイスが入口のドアを閉めたところだった。


「体を動かすと、どうして気分がいいのかなーって」

「なるほど。理由は分かった?」

「うん。納得した。納得はしたんだけど……。いや、ごめん。なんでもない」


 こんなことしている場合じゃないんだよね。そんなことを言って深く突っ込まれても答えられる自信がないロアは、口ごもったまま、無理矢理会話を終わらせた。


 そんなロアを見たルイスは、優しく笑った。


「ロアって、気になったことをすぐ調べるよね」

「本当、そうなんだよね。考えないといけないことがあるのに、つい……。でも、今気になるって感情が、エネルギーだったりするの」

「ロアの性格はかなり、学者に向いてるね」


 息が詰まるような、思考が止まるような感覚だった。


「気になることを気になるまま放っておかない。これはロアの才能だよ」


 ――学者。

 頭をかすめたこともなかった。

 しかしルイスは、まるでずっと前から知っていたみたいにそう言う。


 ただ気になったことを調べて、考えて、確かめる。

 それだけのことが道になるかもしれないなんて、考えたこともなかった。

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