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08:同じ明日を選ぶために

 王都の人間が村に様子を見に来たことなんて、二度目の人生では一度もなかった。


 シェルになにかあれば、国の重要な人間が動く。

 シェルは本当に、責任のある立場になるんだ。


 今日、今この瞬間。

 ロアはそれを、本当の意味で理解した。


「シェルに会わせてください」

「残念だけど僕は、君を殿下に合わせる権限を持ってないよ。付き添いできているだけだから」

「……じゃあどうすればシェルは、王都に帰らなくて済むの?」

「さあ。政治的なことは興味ないし」


 バージンロードの先で、優しく微笑んで花嫁を待っているのが似合いそうな男だ。

 そんな穏やかさを保ったままこの男は、まるで天気の話でもするみたいに軽い口調で、他人の運命を断定しようとする。


「今日中には決まるよ」


 男はそう言うと、ロアの隣を歩いた。


 なにか言わないと。

 そう思ったのに、言葉は出てこなかった。


 肩書きも、力も、資格もない。

 ただこの村で生きてきただけの、ただの女の子には。


 ――悔しい。


 ロアの前で、屋敷の玄関は閉まった。


 この場に、一人ぼっちで立ち尽くした。

 ロアは強く拳を握りしめ、それから後ろにある薬草畑を見回した。


 リディアは見当たらない。

 辺りを見回しながら歩くと、小さな家の窓から、リディアがいつものロッキングチェアに座って読書をしているのが見えた。


「おばあちゃん! 王都の人たちが来たの!」


 玄関からそう叫びながらロアが居間に入った。


「そりゃ、来るだろうよ。魔法を使ったんだから」

「男の人が、おばあちゃんの責任問題になるかもしれないって」

「知らん。私はシェルの見張り役じゃない」

「そんなのんきに……」


 ロアはそう言って、から回った頭を冷静に戻そうとゆっくり息を吸って吐いた。

 昨日、シェルを止められなかったことがそもそもの間違いだったのだろうか。


「後悔しているのか?」


 リディアにそう問いかけられて、ロアは考えをまとようと努めた。


「……わからない」

「まあ、後悔していようがしていまいが、過ぎた時間は取り返せないが」


 リディアはそう言うと、本からロアへと視線を移した。


「でもな、ロア。シェルは昨日、自分で選んで、お前に魔法を見せたんだ。昨日のシェルが、今日を選んだ。今日のお前は、どんな明日を選びたい?」


 どんな明日。


 どんな明日でもいい。

 シェルが幸せになれるなら、どんな明日でも。


 もし今、変に動いてしまえば、シェルに迷惑をかけるかもしれない。


 もしシェルが今、王都に帰ったら。

 まだ一緒にいられた時間を王都で過ごしたら、なにかいい風に変わる可能性もある。


 例えば、アメリアと出会って、彼女がもっと早い時期から心の支えになるとか。

 そこまで考えて、胸の奥が疼いた。


 ロアは邪魔な思考を呼吸と一緒に吐き出し、〝落ち着け〟と心の中で呟いて目を閉じた。


 それから、胸の奥に絡みついた感情を、一つずつほどいていく。


 シェルの幸せ。

 自分の気持ち。

 それから、シェルの気持ち。


 シェルは今、どう思っているだろう。


 二度目の人生の最後。

 シェルはトアルの村で過ごした時間を、〝俺が一番好きだった時代〟だと言った。


 ――私は、二度目の人生のシェルを信じたい。


 ロアはすべて考えた上で、家から飛び出た。

 薬草畑を通り過ぎ、屋敷の玄関を横切って、裏手に回った。


 裏口のドアを通り過ぎてすぐ、ドアが開いた。

 ロアは間一髪で、開いた扉のすぐ後ろに身を隠した。


 心臓が打ち付けるように鳴っていた。


 メイドは扉を開けっぱなしにしたまま木箱を外に運ぶと、振り返って扉の前で立ち止まった。


 扉一枚向こうにいるメイドがいる。

 ロアは息を潜めていた。


 メイドはぐっと大きな伸びをひとつすると、後ろ手でドアノブを握って扉を締め切った。


 ロアはゆっくりと息を吐き切ると、メイドが屋敷から出した木箱を抱え、屋敷の裏側に回った。

 屋敷と剥き出しの岩壁の間に、太い一本の木。


 その枝の先には、シェルの部屋がある。


 ロアは岩壁と木の間に置いた木箱の上に登った。

 片手を木の幹につき背伸びをして、最初の枝に手を伸ばす。


 しかし、あともう少し、足りない。


「ロア」


 ロアはびくりと肩を浮かせて、声のする方を見た。

 そこには少し厳しい顔をしたルイスがいた。

 ルイスは木箱と木と、それからシェルの部屋を視線でなぞった。


「王都の人が来たの?」

「そうなの……! 屋敷の中に、入って行って……」

「名前、なんて言ってたかわかる?」

「ベルトラード……だったと思う」

「ベルトラード公爵。ずっとマーテルを支えている、古くからの家柄だよ」


 ルイスは厳しい表情のまま一度視線を落とし、すぐに顔を上げてロアを見た。


「ここで目を付けられるのはまずい。王都の貴族は、君が思ってるほど優しくないよ。このままにしておこう」


 真剣なルイスのまなざしに、ロアは思った。


 確かにそうかもしれない。

 ルイスはいつも、正しい。


「今ここで目立つようなことをしたら、ロアの未来ごと壊れるかもしれない」

「……私の未来が壊れる」


 確かに、そうかもしれない。


 シェルを助けるには、王都に行くしかない。

 だけど、今目を付けられると、王都に行くことも叶わなくなるかもしれない。


 ――じゃあ、あきらめる?


 そこまで考えて頭に浮かんだのは、二度目の人生で見た、未来が壊れたシェルの姿。


 ロアはしっかりと、ルイスの目を見た。


「じゃあ、シェルの〝今〟は、どうなるの?」


 ロアの言葉に、見開いたルイスの目が揺れた。


「私は、私が間違っているとは思わない。シェルは、こうなることがわかっていて、私に魔法を見せてくれた。だから私は、未来が壊れるかもしれなくても、シェルを助けたい」


 今なら、昨日魔法を見せてくれたシェルの気持ちがわかる気がした。


 ただ、見送るだけで終わりたくない。

 後悔したくないから。

 ほんの少し、自分がなにかを与えられたら。すごくうれしい。


 そんな、自己満足だ。


 二度目の人生では、ただ見送った。

 後悔した。

 もう二度と、こんな思いはしたくないと、強く思った。


「……わかった。でも、一人では行かせない。僕も協力する。この後のことは全部、僕に任せて。それが条件。いい?」

「うん。わかった」


 ロアが返事をすると、ルイスは大きく頷いて笑った。


「で。どっちがシェルのところに行く?」


 わかり切った様子で、ルイスはロアに問いかける。


「私が行く!」

「じゃあ、木箱の上に乗って。持ち上げるから」


 木箱の上に乗って手を伸ばす。

 やっぱりあと少し、届かない。


 ルイスに抱えられて、やっと最初の木の枝に手が届いた。


「気を付けて」


 木の枝を握りしめて、背中を押されてやっと木の枝に上る。

 ロアは一息ついた後、木の枝の上からルイスを見下ろした。


「ありがとう、ルイス」

「うん。ちゃんと前見てね」


 ロアは木の枝を伝い、シェルの部屋まで急いだ。

 ルイスは木箱から降りると、ロアの動きに合わせて地面を移動する。


 ロアは窓からシェルの部屋を見た。

 ベルトラードもあの男も、部屋にはいない。


 シェルだけが一人、ぽつんと椅子に座っていた。

 ぼんやりした様子で、本を眺めている。


 ロアが控えめに窓を叩くと、シェルはすぐに気づき、部屋の窓を開けた。


「ロア、なにしてるの?」

「シェルに会いに来たの」


 ロアの言葉を聞いても、シェルはいつも通り、何事もないような顔をしていた。


「今日は部屋から出られないんだ。また今度ね」

「今日だけじゃなくて、ずっと出られないかもしれないんでしょ」


 押し黙るシェルに、ロアはまた口を開いた。


「さっき、王都の人に会ったの。シェル、この部屋にいたいの? 王都に帰りたいって思ってる?」


 シェルはうつむいたまま、言葉を探している。


「私は、シェルにこの部屋の中にいてほしくない。王都に帰ってほしくない。ルイスも同じだと思う。……シェルは違う?」

「……俺もそうだよ」


 はっきりとそう言い切ったあと、シェルは顔を上げた。


「俺だってルイスとロアと、もっと一緒にいたいよ」


 いつも飄々としているシェルが、嘘みたいだ。

 苦しそうで、悲しそうで。シェルがこんな表情をするなんて、知らなかった。


「行こう。一緒に」


 ロアはそう言ってシェルに手を差し出した。


 シェルはロアの手を握ると、窓に足をかけた。

 二人はロアが来た時と同じ枝を通って、地面に足をつける。


 三人で顔を見合わせて、笑った。

 それは、気を抜きたくなるような安心感だった。


「……ルイス、ありがとう」


 シェルの言葉にルイスは首をふると、ロアを見た。


「お礼ならロアに言って。シェルを助けるって聞かなかったから」

「……ありがとう、ロア」


 めずらしく大人しいシェルに、ロアはわざとらしく、大きく胸を張った。


「どーいたしまして!」

「うわ、可愛くなっ」


 そう言って、シェルが笑う。

 いつも通りの三人だった。


「行くよ。二人とも、こっち」


 ルイスがそう言って、二人をせかした。


 三人は屋敷の表に出て、薬草畑の隣を通り、小さな家を通り過ぎる。

 図書館を抜け、いくつかの家を通り過ぎて、井戸と小川を横切り、村の入り口に向かう。


 それから三人は、太陽の恵みのない、迷いの森へ足を踏み入れた。

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