遣らずの雨
「巽!!」
「………」
「無視しないでよ!」
「だって耀…」
「今日もかっこいいね、好きだよ巽」
「………」
「ああ! 置いてかないで!!」
相変わらずつれないんだから。
大好きな巽はかっこよくて背が高くてスタイルもよくて頭もよくて…いいとこばっかり。
俺にはないとこばっかりだから眩しくて眩しくて憧れて憧れて、高三にして初めて同じクラスになれて嬉しくて仕方ないんだからちょっとくらい浮かれたっていいじゃん。
入学式で見つけてからずっと好きだった。
だから周りが引くくらい好き好きって言い続けた。
巽も最初は引いてたけど、それでも言い続けたら、
『しょうがねえな』
って。
優しい!
そういうとこも好き。
もっと近付きたい。
もっとそばにいたい。
「巽、昨日告白されたでしょ? どうだった?」
「…なんで知ってんの」
「だって相手の子が俺に『私、新井くんに告白するから!』って宣言してたから」
「……」
可愛い子だったから、巽がもし付き合う気になっちゃったらどうしようって嫌などきどきが収まらなかった。
「…耀って俺のなに?」
「え?」
「恋人だっけ」
「……違う」
そうなれたら嬉しいけど。
「男が好きなら、ちゃんと耀を好きになってくれる人を好きになったほうがいいって何度も言ってるよな」
「……うん」
それで、その度に『そうじゃない』って思ってる。
男が好きなんじゃなくて、巽が好きなんだ。
巽が俺を選ばないのはわかってるけど、でも好きなものは好きで、気持ちが抑えられない。
それをわかってくれって言うのは俺の我儘だから口を噤む。
「悪い。意地悪な事言った」
「…ううん」
「遅刻する。行こ」
巽は本当に優しい。
その優しさが時に苦しくて、だけど好きだからやっぱり嬉しくて。
前を歩く巽の背中を見つめながらあとをついて行く。
本当は隣を歩きたいけど、それは俺じゃない。
万にひとつの可能性があって俺がそうなれるならどんなに幸せだろう。
巽が選んで、隣に立つ人はどんな人かな。
その時がきたら祝福できるように、笑っておめでとうを言えるように、今は巽のそばにいさせて。
「耀、急ごう」
ぽつぽつと雨が降り出し、とぼとぼうしろを歩く俺の腕を巽が掴むので心臓が高鳴って、顔が熱くなってくる。
「いつまでも落ち込んだ顔すんな」
「うん…。ごめん」
巽の優しさに触れる度に無性に泣きたくなってしまうのは、それだけ巽が好きだから。
いつか巽は巽だけの人を見つけるのをわかっている。
雨がひどい。
天気予報では晴れだと言っていたので傘は持ってきていない。
帰りまでに止むといいけど、どうだろう。
授業に集中できない。
朝のようなやり取りは初めてじゃないけど、やっぱり辛くなる。
お腹の中に重りがあるような感じでずしんと息苦しい。
同時に心に広がる巽の優しさの名残。
巽に会えるだけで泣きたくなるほど幸せだ。
でも切ない。
いつか巽が誰かを見つけるように、俺も巽以外を好きになる日がくるんだろうか。
その時、今心にある大好きはどこに行ってしまうんだろう。
他の人への好きに姿を変えるんだろうか。
それとも、一旦消えてしまって、新しい好きが生まれるんだろうか。
巽への好きが消えてしまうなら、俺は他の誰かなんて一生好きになりたくない。
たとえ巽に彼女ができても巽だけ好きでいたい。
巽への好きでいっぱいのまま一生を終えたい。
でもこんな気持ち、誰にも言えない。
巽にだって言えない。
あまりに重くてあまりに自分勝手だから。
きっと巽は俺が諦めるのを願っているけど、優しいから口に出さない。
それを利用して俺は毎日好きと言う。
言える時に言っておかないと後悔しそうだから。
これも巽には迷惑なんだろうけど。
プリントが前から回されてくる。
出席番号順の並びで、廊下側一番前が新井巽の席。
俺は木戸田でその列の一番後ろだから、巽の姿は間の生徒に重なって見えない。
逆もまた同じで、振り返った巽から俺の姿は見えない。
でも巽から回ってきたプリントは確実に俺のもとまで届く。
先生が枚数を確認しているんだから当然なんだけど、ほっとする。
雨は少し弱まったようだ。
◇◆◇
「巽、お昼一緒に食べていい?」
「まだ落ち込んでんの?」
「……」
いつも通りにしたつもりなんだけどな。
言葉を詰まらせる俺を見て巽が溜め息を吐くので慌てて口を開く。
「違うから! 落ち込んでるんじゃなくて反省だから!」
「ふーん」
「ほんとに、もう全然平気」
俺をじっと見る巽の目には、嘘が透けて見えているのかもしれない。
「俺が言った事だけど、あんまり深刻な受け止め方すんなよ」
「うん。わかってる」
「耀は思い詰めるから」
「そうだね」
そうやって俺をわかってくれている巽の優しさは、辛い。
ただ心が弾むだけじゃ済まないのは俺がひねくれているからかもしれない。
「巽、好き」
「……」
「すごく好き。ほんとに好き」
「わかったから、さっさと昼食べよう」
近くの椅子を引いてきて巽の向かいに座る。
ふたりでパンを食べながら、窓のほうを見る。
「雨、止んできたな」
巽が小さく言うので頷く。
「午前中はひどかったね。傘持ってないから帰りどうしようかなって思ってたから止んでよかった」
でも、帰りにひどい雨が降っていたら巽は足を止めて、雨が弱くなるまでって時間潰しでも俺と一緒にいてくれたりしたんじゃないかな、なんて少し考えてしまった。
ちょっと残念。
「…友達じゃ、だめだって前に言ってたよな」
「え?」
「耀は俺になにを求めてる?」
なにをって…。
「……“特別”」
「それも変わらないんだ…」
「うん」
俺がずっと巽に求めているのは“特別”。
他の誰かじゃ絶対代われない存在。
「友達だって特別じゃないの?」
「そうだけど…でも違うんだ」
一番は、俺が巽に対して持っている感情がどうやっても友情の域を超えているという事。
たとえ友達になれても、俺はこの感情を持て余して“友達”という枠の中で藻掻くのがわかる。
だから友達じゃだめなんだ。
「黙り込むなよ」
「うん…」
「俺、耀の恋人にはなれないから」
「…うん」
「わかってるならいい」
こうやってはっきり言ってくれるのも優しさ。
パンを一口食べて巽を見るけど、巽は窓の外を見ている。
雨が気になるのかな。
少し明るくなってきたからもう降らなそうな感じ。
どんなに願ったって叶わない事がある。
でも願いたいと思えるものがあるだけでも幸せだと思う…なんて思ってるって知ったら巽はほっとするかも。
叶わないと俺自身が気付いているという事に、きっと安心する。
「巽、好き」
「ん」
「大好き!」
「黙って食べろ」
「さっきは黙り込むなって言ったじゃん」
「今は黙れ」
大好き、巽。
友達でも恋人でもなくても、それでもいい。
ただ好きでいさせて。
せっかく同じクラスになったのに、授業中にこっそり姿を盗み見る事ができないのは残念だ。
席替えに期待しよう。
できたら巽のすぐ後ろの席がいい。
巽は嫌がるだろうけど。
嫌がる顔もかっこいいんだよな。
でもやっぱり笑顔が一番好き。
「巽」
「……耀って俺以外に興味ないの?」
「ない」
通学バッグを持って『さあ帰ろう』と巽のところに行くと、巽は溜め息を吐いた。
「いいじゃん。巽だって部活も委員会もやってないんだから一緒に帰ろうよ」
「まあ、いいけど…」
帰るって言っても駅まで。
家の方向が逆だから乗る電車が違う。
ふたりで教室を出る。
「巽、進路どうするか決めてる?」
「決めても耀には教えない」
「教えてよ! 頑張って同じ大学行くから!」
「だから教えないんだよ」
そりゃそうだろうな。
巽のそばにいられるのは、どうやってもあと一年弱か。
じゃあめいっぱい好きを伝えておかないと。
「巽、」
「『好き』以外なら聞く」
「え。それ以外になに言えって?」
「……」
階段を下りながらそんな会話をする。
こういうのも幸せなんだ。
巽とならなんでもいい。
切ないのも苦しいのも、大切にしたい。
「うわ…」
下駄箱の辺りで生徒達が溜まっているから外を見ると雨が降っている。
さっきまで晴れてたのに。
「結構ひどいな」
「どうする? 巽、傘持ってる?」
「持ってない。ちょっと待つか」
「…うん」
雨万歳。
ふたりで壁に寄りかかって外を眺めながらぽつぽつ話をする。
どう聞いても巽は進路を教えてくれない。
でも進路の話題になると視線をすっと逸らすあたり、悩んでるっぽい。
巽ならやりたい事見つけたらまっすぐ進めると思うんだけどな。
「巽なら大丈夫だよ」
「は?」
「巽は大丈夫」
「……」
「俺が大好きな巽だから」
「…なんだよ、それ」
おかしそうに笑う巽の表情が優しくて心臓がぎゅうっとなる。
俺が言えるのはこんな事くらいだけど、でも俺には自信がある。
だってずっとずっと巽を見てきた。
しっかりしていて間違えない。
頼りになってかっこよくて、俺はそんな巽に心の底から憧れてる。
「ありがと」
そうやって嬉しい言葉をくれるから、俺は舞い上がってしまう。
友達なんかじゃ収まるわけない。
大好き、大好き、巽が大好き。
翌日もすごくよく晴れてるのに帰ろうとすると雨が降り出した。
巽は足を留めて俺と時間を過ごしてくれた。
「“遣らずの雨”」
「?」
「意味わかる?」
「わかんない」
やらず…?
なにそれ。
「帰ったら調べてみろ」
「うん…」
スマホを出そうとしたら。
「帰ったらって言っただろ」
「今はだめなの?」
「だめ」
なんだかわからないけど、巽がだめって言うなら帰ってからにする。
昨日のようにふたりで外を見ながら壁に寄りかかる。
でも今日は会話がない。
無言で雨の降る様子を眺めていると、巽の手の甲と俺の手の甲がぶつかった。
このまま手を繋げたら最高なんだけどな、と思いながら手が当たらないように離そうとしたら、手をきゅっと握られた。
心臓が止まるかと思った…いや、一瞬くらい止まったかも。
「巽…?」
「黙ってろ」
指を絡められて、巽の顔を見たいけど見られない。
身体全体が心臓になったみたいに全身脈打ってる。
熱い…熱い。
くらくらして倒れそう。
たぶん俺、手汗すごい。
「あ、あの…巽…」
「黙ってろって」
夢?
夢としか思えない。
絶対これ夢。
うん、確実にそう。
一体どこからが…?
「……“遣らずの雨”は、帰ろうとする人を引き留めるように降り出す雨の事だ」
「え? あ…」
さっきの…?
帰ってから調べろって言ってたのに、どうしたんだろう。
でも。
「まるで俺の願いみたい…」
帰ろうとする巽を引き留めたい。
はっとして慌てて空いたほうの手で口を押さえる。
怒られるかな。
呆れられるかな。
ちら、と巽を見ると、ちょっと口角が上がってるから怒っても呆れられてもいないみたい。
「残念だったな」
「…だよね」
そんな都合のいいようにはいかない。
「耀じゃなくて俺の願いだ」
え?
雨はまだ止まない。
END