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悪役令嬢の友達


「リリス!貴様との婚約を破棄する!!」


「ウィリアム様……なぜでしょうか!? 私はこれまで、あなたに精一杯尽くしてきたはずですのに!」


「白々しいぞ! 貴様がアリスにしてきた悪辣な行いの数々——私はすべて知っている!!」


 王国第一王子ウィリアムと、その婚約者リリスの激しいやり取りに、夜会の場は一瞬にして静まり返った。

 そこに居合わせた誰もが固唾を飲み、彼らの言葉を見守っている。


 そして僕も、その場に居合わせたうちの一人だ。


 この夜会は王立学園の文化祭の締めくくりとして開催されたもので、主な目的は生徒同士の交流。穏やかで、楽しい時間になるはず……だった。


 入学直後に一年間の海外留学に出ていた僕は、学園に知り合いもおらず、もちろん友達と呼べる人間など一人もいない。

 帰国後の数日間、すでに完成された人間関係の輪に入る事ができず、僕は自然とぼっちになっていた。


 そんなときに目にしたのが、この夜会の告知だった。


「友達つくるぞ!」そう意気込んで夜会に参加した僕の目の前で、ウィリアム王子が、その婚約者リリスを糾弾していた。


「アリス、もう一度君がリリスにされたこと説明してくれるか?」


 アリスと呼ばれた少女が、ウィリアム王子の後ろから、おずおずと出てきた。その肩は僅かに震えていた。


「わ、私……リリス様に……」


 アリスは躊躇いながら、ドレスの裾を握り膝まで捲り上げる。瞬間、周囲の人々がぐっと息を飲む音が聞こえた。


 露わになった彼女の太ももには、火傷の様な痛々しい傷が刻まれていた。


「そ、そんな事をしていませんわ!!」


「しらばっくれるな!!」


 ウィリアム王子とリリスが言い争う中で、アリスが顔を覆い泣き始めた。


「アリス、大丈夫か」


 ウィリアム王子がアリスにそっと寄り添う。アリスもそれに応える形で胸に顔をうずめる。

 

 「可哀想に」「大丈夫かしら」

 そんなアリスを気遣うような声が夜会のあちこちから聞こえてくる。


「ご、誤解ですわ……」


 消える様な弱々しい言葉だ。リリスの顔は気の毒なほど真っ青だった。


 ———妙だ。

 

 本当にリリスのあの態度は演技なのか。そう思ったとき、ウィリアム王子の声が会場を再び震わせた。


 「貴様のこれまでのアリスに対する悪行を鑑みて、婚約破棄……並びに国外追放を言い渡す!!」


 リリスの真っ青だった顔は、更にこの世の終わりのように歪んでいく。


 ウィリアム王子のリリスの弁解を一切聞き入れるつもりがないことを窺わせる強い語気を放っていた。


 あまりにも一方的すぎる。これでは、まるで吊し上げだ。


 見渡した限り、リリスも含めてこの夜会の参加者には伯爵家や子爵家の子女しかいない。

 ……僕を除いて。


 王国内で最大規模の領地を持つ侯爵家の嫡男———というのが僕の肩書きだ。


 つまり、この場でリリスに手を差し伸べることができる人間は僕しかいない。


 決意を込めて一歩を踏み出す。

 僕はウィリアム王子とリリスのもとへと、静かに歩き始めた。


 人垣をかき分けながら、僕はまっすぐに二人のもとへと向かった。

 リリスは顔を伏せたまま微動だにせず、ウィリアム王子はアリスを庇うように立っている。


「……少々、よろしいでしょうか」


 僕の声が、会場の空気をさらに張り詰めさせた。

 王子の隣に立つ誰かが、僕の顔を見て小さく息を呑んだのが分かった。


 ウィリアム王子も僕を認識したようで、わずかに表情を引き締めた。


「君は……確か、侯爵家の……?」


「はい、ルークと申します。失礼ながらお話を聞かせていただきました……今日の出来事には、違和感を覚えます」


 僕はリリスを見た。彼女の肩は細かく震えているが、その表情は取り繕うような嘘臭さとは違っていた。

 悲しみと、恐れと、深い戸惑い。それが確かにあった。


「ウィリアム王子。恐縮ながら、一つだけお聞かせ願えますか」


「……なんだ」


「アリス嬢が怪我をしたという、その証拠は、誰が確認したのです?」


「……証拠? それは……彼女自身がこの場で傷を見せたではないか」


「では、その傷が“リリス嬢によるもの”であるという確証は?」


 ウィリアム王子の顔が僅かに揺らいだ。

 アリスは不安げに王子の袖を掴んだまま、目を伏せている。


「そ、それは……彼女が直接そう証言している。リリスが熱湯を——」


「では、その現場を見た者は?」


 沈黙が訪れる。

 そして、僕は一歩前に出る。


「暴力行為を働くなど、貴族の子女としてあるまじき行為です。当然、罰が必要です。……しかし、証拠もなく罰することはあってはなりません」


 リリスが、ゆっくりと顔を上げた。

 その瞳に、わずかだが光が戻っているのが分かった。


 会場の空気が、少しずつ変わっていくのを感じた。

 誰かが囁く。「たしかに」「証拠がないなら……」


「……君は、リリスを擁護するというのか?」


 ウィリアム王子が怒気を孕んだ声で問う。


「擁護するとは言っていません。ただ、真実を明らかにしただけです。……リリス嬢。何か、言いたいことは?」


 僕の問いに、リリスは目を閉じ、長く息を吐いた。


「……ございます」


 彼女の声は震えていたが、どこか決意に満ちていた。


「私を陥れたのは……アリスです。

その傷は……彼女がご自分でつけたものですわ」


 ざわり、と空気が揺れた。


 周囲のざわめきの中で、アリスの顔が引きつるのを、僕は見逃さなかった。


「嘘よ!!私はそんな事をしていない!!」


 アリスが突然、甲高い声をあげた。先ほどまで怯えていたはずのその顔に、怒りと動揺が入り混じったような表情が浮かんでいる。


「この傷は、リリス様に熱湯をかけられて負ったもの……!」


「では、その経緯を教えてください」


 僕の問いに、アリスの視線が泳ぐ。


 ウィリアム王子は、困惑の色を深めていた。完全に確信していたはずのリリスの罪状が、ぐらつき始めている。


「アリス嬢、あなたが怪我をしているのは事実でしょう。ですが、その詳細を誰も知らないまま、リリス嬢に罪を押し付けようとするのですか?」


「だ、だって……私は……!」


 アリスが何かを言おうとするが、その言葉は喉の奥で詰まり、声にならない。


 沈黙の中、リリスが再び口を開いた。


「アリスは、ウィリアム様に……恋をしていたのですわ」


 会場が再びざわめいた。リリスは淡々と続ける。


「彼女は……ウィリアム様に気に入られたくて、私を“悪役”に仕立て上げたのです」


「嘘よ!! 私はそんなっ……!」


 だが、もはやアリスの声には力がない。誰もが、心のどこかで“その可能性”を意識し始めているのだ。


「一つ、……よろしいでしょうか」


 その声に皆が一斉に振り返る。人垣の奥から、一人の少年が歩み出てきた。


「実は……僕、見てしまったんです。アリスさんが、自分の脚に熱湯をかけていたところを……!」


 会場が凍りついた。


 アリスの顔が、真っ青になる。彼女の唇が震え、やがて、その場に崩れ落ちた。


「う……うそ……うそよ……!」


 ウィリアム王子は、唇を噛みしめるようにして、沈黙していた。


 ……どこかで、この展開を認めたくないのだろう。しかし、真実は明らかになってしまった。


「ウィリアム様……」


 リリスが、ウィリアム王子を見上げる。


 王子は目を伏せ、ゆっくりと、リリスに向かって頭を下げた。


「……申し訳ない。私の判断は、軽率だった」


 このウィリアム王子の言葉の後、この夜会において、リリスが追及される事はなかった。

 ただ夜会は苦々しい後味だけを残し、お開きとなった。


 そして、その日を境にアリスが学園に姿を見せなくなった。

 風の噂で彼女が学園を退学したという話を聞いたが、僕にとってはどうでもいい些事に過ぎない。


 夜会から数日経った、ある晴れた日の午後。僕は学園の近くにある小洒落た喫茶店に居た。


「ルーク様、先日は本当にありがとうございました」


 僕の目の前に座るリリスが軽く頭を下げる。僕は紅茶を啜りながら答える。


「礼を言われる程のことはしていない。僕は君に言われた通りに動いただけだ」


 リリスは口元を微かに歪める。


「そう…ですわね」


 そう僕は彼女に言われた通りに動いただけ。


 夜会でリリスが糾弾されること。

 存在するはずのないアリスの自傷の目撃者がいること。

 僕が夜会でどう動くべきか。


 ———最初から僕は全て知っていた。


「これからも末永くお願いしますね。貴方は、私の唯一の“友達”ですもの」


 僕はリリスの差し出してきた手を握る。

 もちろんだ。僕は悪役令嬢リリスの“友達”だから。



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