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ときは、めくり、そして、また、知覧

ときは、めくり、そして、また、知覧


羽田から北へ。千歳を過ぎ、さらに北へ向かい、私たちは岩見沢の自宅へ戻る。

娘にとって、この町は「ふるさと」と呼べるのだろうか──ふと、そんなことを思った。



哲郎と私は、ここに住んでもう30年が経つ。


けれど「ふるさとの景色」と聞いて思い浮かぶのは、ずっと南、南の果てにある町──知覧。


幼い日の記憶。三歳の私と、赤ん坊の弟を見守る祖父の姿。

庭で無邪気に遊ぶ私たちを、黙って見つめていたあの穏やかなまなざしが、今も心に残っている。


祖父が写真の中の人になったのは、小学校に上がる頃だった。

お盆の帰省で「おじいちゃんはトンボになったんだよ」と聞かされた年、

畳の部屋に大きなオニヤンマが飛び込んできたのを、今も覚えている。

夏の空気が、そこには確かに満ちていた。


知覧の四季は、それぞれに鮮やかだった。


冬、寒さの中で一面に咲く菜の花。

春、数えきれないほどの緑に囲まれ、木々の種類の多さに驚く季節。

夏は、セミの大合唱と、台風の気配。嵐の翌日、虫籠を手に庭に出た。

秋、裏道の奥にある小さな水田が稲穂に染まる。

そしてまた、冬──

冷たい空気のなか、火鉢で餅を焼いた記憶。

あの小さな火鉢を、横浜に持ち帰ったこともあった。

今はもう、部屋の隅で静かに佇んでいる。



小学生の頃は、まだ薪で風呂を焚いていた。

冬の庭に裸足で出て、星を見上げた夜もあった。

仏間に飾られた祖父の写真。その部屋で眠るのが怖くて、おばあちゃんと洋子おばちゃんと同じ部屋にしてもらったことも。


結婚前、哲郎と一緒に知覧を訪ねた。仏間で手を合わせながら、哲郎は「おじいちゃんは軍服を着ていた」と言った。

けれど私の中での祖父は、あの庭で、子供たちを見守っていたままの姿だった。

──もう、確かめるすべはない。


最近、鹿児島に住む中学時代の友人から、年賀状代わりにレモンの庭の写真が届いた。

その一枚の写メが、知覧の風景をありありと蘇らせた。


最後に知覧を訪れたのは、父と一緒に、祖母の住んでいた家を見に行ったとき。

住む人のいなくなったその家のまわりには、冬だというのに一面の菜の花が咲いていた。

黄色い花が風に揺れるその光景は、初めて目にしたはずなのに、なぜか懐かしく、心を和ませてくれた。


そのときも、父とは特攻隊記念館には行かなかった。理由は聞かなかったけれど、

父が知覧で静かに過ごすことを好んでいることは、自然と伝わってきた。

代わりに、茶畑のそばに車を停めて、父とふたりで空を見上げた。


「原風景は、知覧の茶畑の空かもしれない」

そう語ったのは、幼いころ、祖母と洋子おばちゃんと三人でその空を見たときのこと。


実家の本棚から、父の同窓会誌を持ち帰った。

若き日の父は、中東の空の下で、目の前の風景に知覧を重ねていた──そう記されていた。



その朝、北海道のリビングでそのページをめくっていると、テレビの音がそっと重なった。

心の風景をたどる手紙、自転車のタイヤが刻む音。

その音は、なだこおばちゃんが、知覧のまちをこいでいた日の音に似ていた。

小さな旅の光景が、やわらかな風となって部屋を通りすぎていった。



スマホで検索すると、直前なのに飛行機のチケットが取れた。

まるで知覧が、私を呼んでいるかのようだった。


愛犬コユキに夫、哲郎との留守番を頼み、私はひとり、知覧へ向かった。


そして、再び立つ。茶畑の前に。


父と一緒に訪れたのは、戦後50年の節目の年だった。

特攻隊の飛行機が空を駆け抜けたその地で、私は今、一人で空を見上げている。

目の前に広がるのは、あのときと変わらぬ茶畑の風景。


──父の目に映っていたであろう、あの飛行機が、今は私にも見えた気がした。











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