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【旧稿】シリーズ 第4部 台所と世界はかわる (知覧編)  作者: 朧月


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中東のかつおぶし

日本から来た、背が高くがっしりした男性は、怖そうに見えた。

けれど、どこか父に似た目をしていて、少女は親近感を覚えた。


「何歳? 名前は? ……そうだね、日本語じゃわからないか。

How old are you now?」


男性は、つたない英語を使ったが、少女も困った顔をした。

そこへ、黒いビジャブをまとった母が戻ってきた。


「いつも待たせてばかりですいません。」


「Today is this child's birthday. Would you care to join us for a bite?」

(「今日はこの子の誕生日なの。一緒に召し上がりませんか?」)


男性は、少し苦笑いしてこう言った。


「I can wait here. But I cannot wait Japan.」


少女は、そのとき「CAN」という言葉を覚えた。

男性は日本語でも言った。


「いいですよ。日本じゃ待てないのに、ここでは待てる。不思議ですね。……、なんだか、いごごちのいい香りがする。すごいごちそうだ。この釜はなんですか」

指をさして、

「What?」

母は、すこし考えて

「secret CAKE」(シークレット ケーキ)

「this is secret cake」といった。


母さんの料理は、

「マグルーバ」という恒例の料理だった。最初に鶏肉やラム肉、ナスやカリフラワーを炒めて、その後、ライスを乗せてスパイスやスープを加えて、オーブンで1時間ほど焼いた。それを最後にひっくり返してお皿に盛りつける。


母は、私とその日本人を 外のできたばかりの手洗場で手を洗うことをうながした。


ふたりは、外にある、蛇口をひねって手を洗った。。

このできたばかりの蛇口からの水からは、かならずしも水がまだ出る状態ではなかったが、その日はちゃんとでた。

少女はその嬉しさを言葉にしていたが、この日本人には言葉の意味はわからなかった。

だけれども、ちゃんと、蛇口に案内できた少女の目は、砂漠のオアシスに導いたように、きらきらしていた。

「ちゃんと、みず、でるね。」

「WATER」

 少女のこのまばゆいばかりの目の輝きは、はじめて、知覧の町に、なんとか水道管がとおった15の夏をおもいださせた。。


そして、同時に自分が10のころ、陸軍の特攻基地とともに暮らし、

たくさんの兵士たちや関係者が一時的に集まったため、

水の需要は非常に高かったにもかかわらず、

水源は限られ、かなり厳しい状況だったあの頃もおもいだした。。


言葉のないやり取りで、あたたかい気持ちで席に戻ると、「シナモン、、、、、、、、、」いくつも聞いたことのないスパイスの単語を少女はおしえた。



香りがすごくて、スパイシーで、たちこめた湯気は、鼻をくすぐるようだった。

ひっくりかえしてあった釜をもちあげると、なんとも食欲のでる炊き込みご飯があった。


男性は用意していた、スプーンをつかわず、ぎこちなく同じように右手をつかってたべようとした。

「あつい。」

少女は、パンをつかって、うまくたべるのをみて、それをまねた。

「こんな味、初めてだ……!」「さんきゅう。でりーしゃす。ぐっど。パーフェクト シークレットケーキ」

男性は目を丸くして、感嘆の単語をならべた。

 少女も母も、顔を見合わせて、こらえきれずに笑った。

笑い声は、湯気といっしょに部屋に広がった。


食べ終わると、少しまた沈黙がながれた。

勇気を出して、少女は「えいとー」と言った。


「そうか、うちの子と同じだね。8歳か。」

「誕生日だったね。みんな用事ができて、残念だったね。お土産、、、」

「プレゼント」といって、用意していた日本からのお土産を渡した。


男性はにっこり笑って、小さなプレゼントを取り出した。

日本製のボールペンだった。


「これ、よく書けるんだよ。あと、これも。」


新聞紙に包まれた、もうひとつの贈り物を手渡す。

開くと、そこには茶色く固い木のかたまりがはいっていた。

少女が、首をかしげると、

「これは“鰹節かつおぶし”っていうんだ。

太平洋をぐるっと回ってきたカツオを、漁師さんが獲って、長い時間かけて燻して、そして削る。鉛筆削りみたいにね。」


少女は、男性は優しく注意した。


「でも、気をつけるんだよ。手を切るから。うちの娘も、今日、手を切ったばかりなんだ。」


少女は日本語があまりわからなかったけれど、母が持ってきたレシピの紙を、男性に渡した。


「Thank you.」


男性はレシピを受け取ると、ボールペンで横に「㊙(ひみつ)」と書いた。


「このボールペン、すごいだろ。」


「ジャパニーズ、プリーズ?」


少女が頼むと、男性は嬉しそうに新聞紙を広げ、


「これが“き”、これが“よ”だよ。」


と、ひらがなを教えてくれた。

レシピの空いたところに、少女にも書くように促した。


「きょうか(響香)は、僕の娘の名前なんだ。アルファベットだとKだよ。」


そんなやりとりをしているうちに、少女の父親が戻り、商談が始まった。

だがすぐにトラブルが起き、男性はまた別室で待たされることになった。


その時――少女は、こっそり見てしまった。

生涯忘れられない光景だった。


母が、ビジャブの端をそっとつまみ、普段は決して見せない素顔を少しだけのぞかせ、

日本の男性に、見たことのない緑色の飲み物を差し出していた。


男性の顔は見えなかった。

母がなぜそんなことをしたのか、少女にはわからなかった。


少女の胸はギュッと締めつけられた。

――神様が見ている。悪魔に引き寄せられるのではないか。


少女はそっと部屋に戻った。

やがて、母はふたたびビジャブをきちんとかぶり直し、男性と距離をとっていた。


けれど、まだ湯気の立つカップが、ほんの少しだけ、ふたりの近さを語っていた。


男性は帰り際、さっき使った新聞のしわをのばし、ざっくりとたたんで、

そしてレシピの横に、こう書き込んだ。


「1972年11月7日」


「この新聞は大事にとっておくといいよ。

でも、次はもう来られないかもしれない。

世の中は変わる。この日付、覚えておくといいよ。」


彼は、ペルシャ湾に沈む夕陽のほうへ帰っていった。

オレンジ色の砂漠と海の間に、男性の影が長く伸びていった。


少女には、世の中が変わっていくなんて、まだ実感できなかった。

けれどそれから、しばらくして――。


「ドラえもん」という日本の漫画が、中東のこの国でも流行した。

少女は「のび太のお母さん」というキャラクターを見て、

よその国には、こんなにも自由な女性たちがいるのだと知った。


そして、あのとき母を「悪魔に引き寄せられた」と思った自分を、

恥ずかしく感じるようになった。


少女は、あの新聞を大切に引き出しにしまった。

大人になっても、時々取り出しては眺めた。


母の本棚から日本語の辞書を取り出し、ドラえもんの漫画で日本語の勉強もした。


新聞の日付は、1972年11月7日――。

それは、アメリカ大統領選挙でニクソンが再選された日だった。


「中東の未来」と題した日本語の特集記事が紙面を埋めていた。


彼女はまた、かつおぶしを削り、母と一緒に料理も作った。

そしていつしか、

あの「CAN」という言葉と、ひらがなを教えてくれた日本の男性に、自分のラーメンを食べてもらいたいと願うようになった。


その願いはかなったかはわからないが、


彼女が生み出した一杯のラーメンは、遥か遠い中東で日本の味を伝える伝説の味となり、今もなお、世界中の美食家たちを魅了し続けている。




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