神さま、裁縫をする。
遠くで低く響く音が聞こえる。
不規則に辺りに広がるその腹まで響くドンと言う音が近くなるにつれて、先程まで明るかった外はどんより暗くなっていった。
日中だと言うのに、ここまで暗いとライトを点けなければならないのではなかろうか。
次第にバツバツと屋根に何かが当たる音が混ざるようになった。
窓を開けたままなら閉めてくるように促され2階へ上がり、それらの音の正体に気付く。
レースのカーテンに阻まれてはいるが、窓辺は水に濡れ雫が部屋の中に吹き込んでいた。
木製の窓枠もレースの布地も腐食されていないけど、コレは、雨か。
窓の向こうでは濃灰の空に光が走ってはドンと音が鳴り、時折海へと落ちてはそのたゆたう水上を走っていた。
幻想的な景色である。
同時に恐怖も覚えるが。
雷による真夏の停電ほど恐ろしいものはなかった。
非常用電源は施設の心臓部や上層部の連中の快適な生活を守ることに使われる。
窓を開ければ汚染された空気と濃い酸性の雨が吹き込んでくるので窓を開けて涼を取ることは許されず、ただ氷を口に含みうちわを扇ぎ耐え忍ぶのみだった。
それを考えると、この家にある紋様が刻まれた道具は滅茶苦茶便利だよな。
霊力という謎エネルギーが必要だとは言え、独立して動いている訳だから天候に使用条件を左右されない。
カンテラやランプのように燃料も酸素も必要ないからエコだし中毒の危険性もない。
こういう物が地球にあったならエネルギー問題や汚染物質問題も解決……まではいかなくても、緩和くらいはしただろうし急ぎ足で不確かな解決策を実行しなくても良かっただろうに。
すぐに腐食はしなくても、濡れた木製品を放置していればカビが発生していずれ腐ること位は知識を流用せずともわかる。
なのでカノンに言って濡れた窓辺を拭くための布を貰った。
ついでに床掃除もしたいと申し出たら必要ないと返されてしまった。
お布団が洗濯必須って書かれてたから、部屋の掃除も必要かと思ったんだけど、雨の日って掃除に適さないの?
首を傾げたら、俺が使わせて貰っている部屋は使う前に精霊術で丸洗いしたから汚した訳じゃないなら必要ないということらしい。
なにそれ。
精霊術とやらは単なる家事手伝いのお助け機能みたいな役割も果たしてくれるってこと!?
よほどの綺麗好きということなら雑巾もホウキも出すがと言われたが、自慢じゃないけど俺は部屋の掃除全部Ro〇mba的ロボット掃除機に任せてたからね!
綺麗なのが当たり前の生活だったが自分でするのは面倒臭い。
なのでせっかく精霊術が使える素質があるということなら精霊術で部屋の掃除をする方法を教えて貰うよ。
だが、部屋の丸洗い及び水をぶちまける方法しか知らないということなので、濡れたら困るものは全部部屋から運び出さないと使えないそうだ。
それなら、お布団干す時になるから晴れた日じゃないと出来ないね。
思っていたより早く雨が降り出してしまったそうで、昨日干した薬草類の乾燥具合が想定より進んでいなかった。
なのでこのままここに放置しても邪魔なだけだし、雨による湿気でカビてしまったらいけないし、地下に運んで風を発生させる紋様具を使ってさらに乾燥させるそうだ。
ハシゴで物を抱えて降りるのは遠慮させて頂きたい、と申し出たらカゴを重ねて固定し紐を括り付けて下に降ろす方法を取ろうと言われた。
中途半端に乾燥した葉っぱは重ねると1部欠けたり割れたりするから本当はしたくないと文句を言われたが、なれない作業をしてひっくり返して全部使えなくなるよりいいと思う。
そう考えたのも事実あるが、足場が不安定な場所に両手が塞がる無防備な状態で居ることが落ち着かないだけなので、カゴを下ろし終わった後、カノンにはハシゴを外してもらった。
2階ほどの高さしかないのでカノンには危ないと注意されたが構わず飛び降りる。
その後「完全再生」を加減して使い、欠けてしまった薬草はバレない程度に責任もって修復させて貰った。
それこそ「スキル」を使ったら早く簡単に乾くんじゃなかろうか。
それとも腐敗するのか? どうなんだ??
単なる早送りだと空気中の微生物の影響を受けるから腐る可能性の方が高いか。
さすがに薬草の周囲に無菌空間を創り出して水分を抜く工程と空間内を早送りするのは骨が折れる。
水分を抜くだけなら「水」を使えば良いのか。
そう考えたのだが、よくよく聞くとただ乾燥させる訳ではなく発酵をさせてより栄養価を高めているということだったので余計なことはせず、空調室にカゴを並べる手伝いだけをした。
作りのしっかりした戸棚に、密閉、とまではいかないが隙間が殆どない扉。
重機もないのによくこれだけの空間を整えられたものだ。
これも不思議パワーを使ったのだろうか。
「スキル」とは別物だけど、有用性は同じか、場合によっては精霊術の方が高いように思える。
「スキル」も精霊術同様、使用範囲に個人差があった。
しかし自分の中のエネルギーを直接変換して力を使う「スキル」と違い、精霊術は自分の中の霊力と言うエネルギーを精霊に譲渡して力を奮ってもらう。
精霊術を使う側のリスクは低いように思える。
だからこの世界は理化学よりも精霊術が発達しているんだろう。
……と考えていたのだが、分不相応な精霊術を使おうとすれば精霊の怒りを買ってしっぺ返しを喰らうそうなので、何事にもリスクというのは付きまとうものなのだと学んだ。
じゃあ、なんで化学が発展していないのだろうね。
薬草を発酵させたり畑に肥料まいたりもするのに。
なにより、火を使うと言うのに。
精霊術の勉強も大事だが、日常生活を送る上で大切なことは他にもある。
衣食住のうち、食事も住居も提供して貰えている。
おんぶに抱っこ状態だがこの2つは問題ない。
だが、衣服は俺のサイズに合うものがないので調達しないとどうにもならない。
今俺が着ているのは、カノンの妹が大きすぎるからと家に置いていった寝間着でポケットもなければ防御力もないに等しい。
だから、自分の着るものは自分で作れと言われた。
防御力ってなんぞ?
日常生活送るための必須項目にそんなものがあるのか?
と思ったら、寝間着は当然寝るためだけにしつらえたものだから通気性が良く洗濯も気軽に出来る素材で作られているので、シュケイ小屋に卵を取りに行けば蹴られて怪我をするし、魔物と遭遇すれば確実に一撃でお陀仏になる。
下着は今着ている寝間着と同じ素材で作れば良いけど、外に行く時着るものは別に用意しろ、と。
そう言えば、上は着替えさせられていたけど、パンツはそのままだったな。
替えの下着なんぞ持ち歩いている訳がないので自分で作らなきゃいけないのか。
……「万物創造」で作っちゃダメ?
え〜、だって。
下着用って用意された布製品、ことごとく綿や麻で出来たものだよ?
絶対フィット感なくて擦れて痛いよ。
シルクっぽい手触りのものも用意されたけど、コレはセリスパイダーって魔物が作り出す糸で作られているから防刃、耐火に優れていて保温性も高く強度も優れていて長旅の時に着る服にオススメなんだって。
ヤママイとボンバイ種を交雑させて家畜化されたサーゴの繭から作られたサッシュも肌触りが良く防御力にも優れているからオススメだと言われた。
なるほど、わからん。
もはや聞きなれない言葉は呪文にしかならない。
いずれにせよ、この肌触りならまぁ良いかと思ったものは防御力高めで下着には向かない素材だった。
「元々着ていた服はどうする?
一応、取っておいてはあるが」
血まみれでズタボロだったろうに、捨ててなかったのか。
着慣れているものだし修復して着るという選択肢もあるが、防御力は無いに等しいだろうしこの世界では目立つ服装だろう。
それにまだ、別れ際のアイツらの顔も死の瞬間もハッキリ思い出すものを見るのは辛い。
ジョージアの伝統衣装であるチョハのように身体にピッタリと沿うように作られたデザインも収納の多さも好きなんだけどね。
見た目が好きだからと言って自分で作るとなると難易度が余りにも高すぎる。
裁縫なんてしたことないし、ここにはミシンもない。
ムリムリ。
昨日言っていたジムヌラ種の体毛を加工した針とセリスパイダーの糸を使うのだが、細い針に開いた穴に更に細い蜘蛛の糸を通すのはかなりの至難の業だ。
糸通し寄越せ!
奮闘してたらカノンは呆れられながらも代わりに糸を通してくれた。
今回は糸の種類がないから蜘蛛の糸を使ったが、下着のように強度がさほど要らないものなら綿糸の1本糸で充分だし、逆に強度の必要な装備品になると2本糸にするか、更に縒り糸の多い太さのある蜘蛛の糸を使うそうだ。
ちなみに、入手困難なせいもあり本来は高級品だから無駄にしないように注意をされた。
紡績で有名な街はここから何ヶ月もかかる場所にあるから糸車を買ってあるし、セリスパイダーは自分で狩って浄化もしたからかかった値段はゼロだそうだが。
アナタ、何でもできるのね。
帯状ふんどしと袴状のとどちらの方を作るかと聞かれれば、作るのが楽なのは帯状だけれど着慣れているのは袴状だろうと言うことで猿股のようなものを作ることに。
道具も材料もある分生成楽だから「スキル」使わせてくれ……
と途中で投げ出したくなるレベルで面倒臭い。
はんだ付けしたりガス溶接したりの実習はしたけど、あれは短期で完成するし分かりやすく施設の動力になるから達成感も得られるしやり甲斐があったけど、自分の身に付けるものに時間も手間もかけるのが苦行に思える。
寸法間違えれば生地が無駄になるし、糸が絡まればやり直しだし。
前身頃と後身頃の差はつけたけどこんなもんでいいの?
疑問に思えど、黙々と同じように縫い物をしているカノンにいちいち聞くのも申し訳ないし持ち上げて全体像を確認しては「まぁ、問題はあっても履けるだろう」と自分に言い聞かせながら針を進めた。
伸縮性はあれどもゴムのようには伸び縮みはしないから、結局ウエストの位置に幅広の紐を付けてずり落ちないような形にさせて貰った。
裁断間違えて廃棄になる予定だった布を使ったのだ。
問題あるまい。
看病する時、さすがにパンツを下ろすのは躊躇われたのか下着はずっと履いたままだったのでいい加減替えたい。
履き替えてくることを申し出たら「少し待っていろ」と言われ、文字通りしばし待ったらカノンが縫っていたものをずずいと差し出してきた。
「外出着仮縫いしたから、ついでに合わせて来い」
「すげぇ……」
この短時間に、俺がパンツ1枚縫ってる間に仮とはいえ服1着縫っちゃったの!?
凄くない!!?
俺がへっポコなだけ!!!??
……という気持ちが先行して被っていた猫が逃げた。
「そっちが素の喋り方か?」
「えぇ……と、まぁ、ハイ……」
「いつまでになるのかは分からんが、一応お前が居続けたいと思う限りここはレイム、お前の家だ。
肩肘張らずに楽に過ごせ」
ガシガシ頭をかいてため息を吐きながら、どんなお小言を言われるのかと思ったら気遣いの言葉が出てきた。
優しすぎるんだよな。
裏がないのか考えてしまう程に。
何せ俺の周りに居た大人の大半は俺を利用し使おうとしてくるような利己的な奴ばかりだったし。
その上品行方正で完璧なお人形さんのような仕上がりを求めてきた。
ソレと比べてしまうのは失礼かもしれないが、大人が俺に嫌味を言わないのに拍子抜けしてしまった。
この重度のお人好しに俺が出来ることはなんだろうね。
階級章を付けたり弾薬を持ち運ぶことがないこの世界では単なる飾りにしか見えない部分だったのだろう。
襟や胸ポケット、その他装飾の類は全て取り外されてはいたが俺が元々着ていた制服に近い形の服を拵えてくれていた。
袖が手甲のような形で作られ胴部分や急所になり得る箇所は頑丈な素材を使っているのか生地が切り換えられていてデザイン性が高くなっている。
コレはなかなかに格好良いのでは無いだろうか。
ちなみに、パンツはトランクスと言うよりはステテコみたいにだいぶブカブカで丈が長くなってしまったので、あとで「スキル」を使って修正しようと思う。
自分のなにも出来なさ加減に少々、物悲しさを感じると共に新鮮さを覚えた。
布を切ることも針で指を刺す経験も、初めてだった。
自分で何かを作ることも初めてだし、誰かが自分のために作ってくれた服を着るのも初めて。
何もかもが初めて尽くしの経験ばかりで、なんかこぅ、心が弾むというか、ムズムズするというか。
はたと気づく。
そうか、コレが、嬉しいと言う気持ちか。






