神さま、心を揺らす。
う〇こ話続いて申し訳ないです。
自画像が牛の漫画家さんも仰ってましたが、農業とう〇こは切っても切り離せないものなのです。
嫌気性分解されしっかりと発酵した下肥は、顔をしかめるような臭気を感じさせることはない。
浄化槽の内部に区切りを付けたし、形が残っている状態で下肥になった槽にモノが入ってくることもない。
街の皆が起きてきたようで次から次へと浄化槽に流れ込んで来ても、モノが混ざることは無い。
槽の中に住まわせた微生物も、モノに含まれてる腸内細菌も、キチンと仕事をしてゆっくりと時間をかけてではあるが分解をしてくれる。
装置により送り込んまれている空気や、霊力によってそれが促進される。
なんの問題もない。
頭で理解は出来る。
発酵しているのだから、コレはもう排泄物ではないのだと。
肥料がタップリと含まれた土を味見と称して口に入れる人がいることも知っている。
牛や鶏の糞土が含まれていようが、それこそ下肥が使われていようが、だ。
下肥なんてほんのり甘くて美味しいんだよ。
……そんな情報要らんし!
誰だよ、そんな文献残して「知識」に登録しやがったのは。
施設でも排泄物を使おうって計画でもあったのか!?
「え〜、ホントに美味しいの〜??」とか言って食うわけないだろ!!
誰も元排泄物の味なんて気にならんわ!!!
俺だって土と混ぜてしまえばそういうもんだと諦めがつく。
撒いた直後でなければ気にすることすらない。
フカフカで栄養満点な土の上で寝転んだらさぞかし気持ちが良いだろうなとすら思う。
昔は何万円分ものお金を出してわざわざソレを買う人がいたとか、汚穢屋と呼ばれる職業があって下肥化した糞尿を船で運んでまで売りに歩いていた人がいたとか。
知ってはいるのだ。
欧米では倦厭されるようなソレらを有効利用して地域で循環し生活を成り立たせていた日本の文化は素晴らしいものだと理解はしている。
だが、しかし。
気持ち的に嫌なものは嫌だ!
「その茶色くまみれた身体をせめて洗え!」
散々浄化槽のプールで遊び倒し満足したであろう樹の妖精が、やはりあのハイテンションで全身汚泥まみれにしながら走ってきたので思わず水の精霊術をぶっ放してしまった。
駆逐するためではなく全身を洗い流すためなので、ダメージはないだろうが水圧が酷かったのもあり、コロコロと転がって行った。
いじめっ子認定、されてないと良いな。
そう思いながらも水を出し続けていたために掛かった虹を見て「あ、おそらきれい」なんて、つい、現実逃避をしてしまった。
結論から言えば、特に気にされることはなかった。
楽しかったようでモットとせがまれた位だ。
さすがにこれ以上、畑側に水を撒きすぎると水没させてしまいかねないので、下水に通じる側溝がある場所でシャワーを出してやった。
頭の実を特に入念に洗わなければ、とてもじゃないが口に運びたいとは思えないからね。
シャワー状態で降り注ぐ水の粒が太陽光を受けてキラキラと反射する様はとても綺麗だ。
自然物ってなんでこんなに美しく見えるのだろうか。
ふと、今でもあの鈍色に囲まれた生活とのギャップを感じ、遠く想いを馳せてしまう。
人工物だって、緻密に計算し尽くされ左右対称に整然とした佇まいの建造物や、手作りだからこそ感じるフォルムが醸し出す温かみを持つ小物。
どれも皆、魅力的だ。
この街の景観だって、外から見れば均整のとれたシンメトリーにより見るものを圧倒する存在感を意識した。
中に入れば、防災・防犯を意識しながらも、見る者を満足させる装飾が施された建築物に、細やかな気遣いを感じる案内板や小休止スペースを配置し、住む者にも観光に訪れる者にも満足して貰えるような造りにしてある。
だが、水の塊から分裂し一粒の雫となったその一欠片にさえ、ソレらが敵わないなと思ってしまう。
重力により形を変え、空気抵抗により絶え間なくその姿を歪ませる、滴り落ちていく水の一粒。
本来ならイビツなその姿を美しいと思うことはないのだろう。
しかしそこに陽光が差込むことで虹色に反射した輝きが辺りを照らし、脳裏にその眩さを焼き付け地へと落ち、滲み、染みとなる。
その何となしに流れていく憧憬。
直視できないくらいの眩さに、面映ゆさを伴った感情が心に渦巻く。
除染や一日の終わりに浴びる、狭い空間で浴びるシャワーに対して抱くことはなかったのだが。
不思議なものだ。
自然光ひとつだけでここまで印象が変わるとは。
ただのルーティンではなく、楽しそうにはしゃぐ姿が伴われているからなのかもしれない。
そりゃあもう、コッチに水が跳ね返るのもお構いなしだもんね。
これだけ天気が良ければすぐ乾くし良いけどさ。
満足したのか水が降ってくるスペースから出た樹の妖精は、水に濡れた犬のように全身をブルブルと震わせて、濡れた身体を乾かそうとした。
イヤ、動物みたいに一緒に毛が飛んできて顔にへばりつくとかないからいいけどさ。
もうちょっとどうにか出来なかったのか。
文句の一つくらい言いたくなるが、考えてみればまだ、たったの生後三日だ。
目くじらを立ててはいけない。
平常心、平常心。
怒らせたら何が起こるか分からないのだ。
大人にならねば。
実をつけた後でも充分な霊力がその肉体を満たしているが、収穫した後はどうしても眠くなると言って、自ら頭の実をもぎ取った後、土を掘って再び畝に自分で埋まりにいった。
栄螺が落武者になった感がある。
顔面に浮かぶのは悲壮感や苦悶の表情ではない。
ひと仕事終えたぜ! みたいな満足感が漂う寝顔である。
俺は振り回されただけで疲れ果ててしまった。
あのマヌケな喋り方さえなければまだマシだったのだが。
アスレチックで遊び倒し、その後は樹の妖精の相手をしながら広い土地を見て周り、目まぐるしく過ごした町長さんたちも、やはりグッタリしている。
お疲れ様でした、と声を掛けたら「疲れるよりも刺激的で楽しい方が勝ちます」と笑顔で答えられた。
瞬間的な体力はないが、動き続けるのは苦にならないらしい。
護衛の人たちも同様である。
タフだな、オイ。
俺も持久力を付けなきゃだな。
カノンに付いて走り続けることは出来るが、それは彼が走りやすい道を選んでくれて、その上走りやすいよう邪魔な木の枝のような障害物を先行して取り除いてくれているからだ。
頭を屈めたり、岩をジャンプして避けたりしないで良いのは、正直、かなり助かる。
そうじゃなければ、時折設けられる休憩地点まで体力がもたなかったかもそれない。
見た目細くていかにもインドアな見た目をしてるのに、よくあんな体力も筋力もあるなと感心する。
そんな彼らに樹の妖精の実を分けようとしたら頑なに固辞された。
魔物の方の樹の妖精は、知っていただけありここら辺では目撃例も被害例もあるくらいに有名な魔物だそうだ。
近くの森に一人では行かないように、決して声を掛けられても振り返らないようにと小さい子に言い聞かせて育てるくらいには。
だが、こんな馴れ馴れし――フレンドリーで基本無害な樹の妖精も居るのだと知れたことはとても光栄なことだと言う。
しかも本来の樹の妖精はコチラの友好的な性格だ。
それが狩った魔物の放置や、人の妬み嫉みのような好くない感情が生み出すとされている瘴気が原因で、恐ろしい魔物に変貌する。
全てヒトが原因によるものだ。
その事実は確かにショックだが、原因が自分たちにあるのなら、それを改善していけばあのように愛らしい友人になれるのだ。
そう周知徹底し、一人一人が気を付けて生活をすれば良き隣人が増えてくれるだろう。
そう思うし、願いたい。
その学びが得られただけで充分過ぎるほどだ。
微笑みそう語る町長さんは、為政者には向いていなさそうだが、とても善い人なのだということは分かった。
なにせあの樹の妖精を見て愛らしいと言う表現が出るんだもの。
懐が深い。
まぁ、要らんと言うのならカノンに全部渡して薬に加工したものを渡せば良いだろう。
食べた実は甘くて美味しかった。
エグくて青臭い回復薬の味改善に繋がるかもしれない。
霊力も滅茶苦茶早く回復するしね。
旅を中断して回復薬作りに没頭しないようにだけ気を付けて貰わねば。
浄化槽の様子から人が起き始めたのは把握していた。
起きて太陽の位置を見て慌ててすぐにコチラに顔を出すのか。
普段通りに朝食を摂ってから来るのか。
夢と思い込んで二度寝をかますのか。
そんなことを考えながら、道中歩きながら食べられる軽食しかまだ食べていないと言う町長さんたちのため、また真面目に即行コチラに赴いてくる人のため。
少し遅いが朝食を作ることにした。
俺もまだ食べてないしね。
軽い運動なら朝飯前と言うが、アスレチックでさんざん運動した上、畑の世話やら何やら色々したからさすがに腹が鳴る。
何も食べ続けないなら我慢のしようもあるのだが、途中で樹の妖精の実を食べたのがいけなかった。
アレのせいで肉体が飢餓を自覚してしまい、あの後からず〜っとお腹が減ったのを我慢していたんだよね。
せっかくだから採れたて野菜を使った料理を振舞おうと思う。
彩りも良いマセドアンサラダもどきと、ナスとベーコンのチーズ焼き、あと豆乳スープでいいかな。
チーズ焼きとスープでベーコン被るけど。
しょっぱい系と甘い系で味付けの差を付ければ問題ないだろう。
必要な野菜を収穫し、さっそく台車を使って学校建設予定地の隣に建ててある給食センターに運び込む。
センターって言ってもそんな立派なものではない。
家庭科室と共用するために多少広く調理台や道具も数だけは揃っているような設備しかなく、何一〇〇人分も用意出来るような規模のものではない。
学校建設が不信任案とされてしまった時でも、料理を作る施設ならばいくらでも代用が出来ると思ってあらかじめ作って置いたのだ。
売れないような色・形のB級品野菜を使った食事を用意して格安で振舞ったり、炊き出しをしたりしてもいい。
奥様方がお料理教室を催しても良いし。
アスレチック広場が近いから子供たち向けの料理教室を開いても良い。
まぁ、どういう用途で使うにしても無駄にはならないだろ。
町長さんたちは村の人と同様、男は台所には立たないものだと思っている人種のようだ。
それは文化の違いによるものだし仕方ないが、誘ったら「嫌」ではなく「出来ない」と断られたので「誰でも初めては出来ないもんだ」と言って包丁を持たせたら、意外とすんなり調理場に立った。
料理は女がするもの、という思い込みがあるだけで、別に男がしてはいけないという考えではないようだ。
男子厨房に入らずなんて言葉が派生語であるが、この世界はあくまで仕事としての分担として台所仕事は女性が担っているだけなのだろう。
ちなみに元の言葉は「君子は庖厨を遠ざく」と言う。
聖人は厨房で獲物を絞める時の姿を見たり声を聞いたりしたら憐れみの心が勝ってしまい食事が食べられなくなってしまうから近づかない方が良い。
そんな意味を持つ。
孟子だし、中国の言葉だね。
男性の方が確かに血を見なれていないから苦手な人が多いと言う。
だが俺から言わせてみれば、他の生命を頂いて自分の命を繋ぐ行為を、憐れみなんて甘っちょろい考えで拒否するのは愚かにも程がある。
蔑ろにするくらいなら最初から食うなと言いたい。
それに確かに絞める時に悲鳴を上げるのも血を流すのも動物だけだが、野菜だって乳液やヤラッパ樹脂やら、道管・師管を傷付ければその野菜ごとに色んな水分が出て来る。
直前まで生きていたのだから当然だ。
菜食主義を否定するわけではないが、全て自分が生きるために犠牲になってくれた生物には変わりない。
差別・区別をするのは失礼だと思ってしまう。
この世界に来てから、食材と自分が近くなったからか、一層そう思わずにいられない。
まぁ、最初から血や内臓を見てしまったら、確かにこの人たちも料理が苦手になっていたかもしれないとは思う。
そんなおっかなびっくり包丁握ってたら指切るぞ。
苦笑しながら、包丁の握り方や野菜の切り方を教えた。




