神さま、我を通す。
暗いお話になります。
苦手な方はご注意ください。
日が昇るより随分早い時間。
まだ薄暗くもやで白んだ空気が景色をボヤけさせている中、アクビを殺しながら歩く。
相変わらず、目に映る景色は美しい。
太陽が登るにつれて彩りの変わっていく芝も、その光を水中で受けて乱反射し煌めく魚たちも。
ただ、この世界に生きる人たちは、手放しで美しいとは言えないのだと身に染みた。
カノンが侵入者感知のために張っていた風の結界は、家の周りと村の周り。
そのふたつだったそうだ。
俺の近くに魔物が寄らないのが、もしかしたら単なる奇跡的な偶然が何度も重なったから、という可能性がゼロではない。
そう考えてのことだったそうだが、慎重にも程がないだろうか。
イヤ、今回はその思慮深さのおかげでこうして逃げ果せたのだから、もしかしたらこの世界では、危険に対しては考えすぎくらいでいなければ生き残れないのかもしれない。
それに、水晶球の白滝周辺に生息しているような雑魚以上の魔物には通じないことは確定しているしね。
念の為多重結界を張っていたら、見事に村の外で草木も眠る丑三つ時になるまで待機していた人たちが引っかかった。
物見櫓にいた見張り番が交代のために村に来たのなら、カノンも気にはしなかっただろう。
だが、複数人。
しかもそのうちの何人かは、多分精霊術師である。
人間の気配察知をするにあたって、精霊術師と非精霊術師の違いを見ておいて良かったね。
さっそく役に立った。
何かしら悪い入れ知恵をされたのだろうと溜息をつき、俺を叩き起した。
説明する暇はないしどうするかと考えたそうだが、そう言う空気を察する能力くらい、俺にだってある。
即荷物を持って裏口から出て、村の入口とは逆方向から精霊術を使って柵を飛び越え脱出したのだ。
目的は何か知らないが、少なくとも俺が交流した人たちは敵意を持っているようには見えなかったのに残念である。
洗い物を朝しようと後回しにしなくて良かった。
家庭内不和の原因を作るのはいささか忍びないし。
多分、珍しい小竜を追ってきた冒険者が、獲物を横取りされた腹いせにちょっかいを出してきたのだろう。
村からだいぶ離れ、腰を落着けても大丈夫だと判断した所で早い朝食の準備をしながらカノンが予想を口にした。
竜は珍しい。
小竜はもっと珍しい。
だが生物の法則に則るのならば、成竜よりは弱いはず。
そう思い目印をつけ追跡をしていたのに、人がいるはずのないド田舎で突然探知から消滅した。
他の魔物に殺られたのかと思えば、寒村に素材から肉から見事に剥がされた残骸だけが残っている。
当然、狩りは早い者勝ちだ。
運もスピードも実力のうち。
その冒険者はその両方がなく、俺たちに横からかすめ取られてしまった。
だが、何もないこんなド田舎くんだりまで来たのに何も収穫が無くては旅賃が丸々損になる。
その腹いせに、もしくは素材の横取りを目論み村人たちの一部か全部か――恐らく、一部――を懐柔して協力をあおぎ俺たちを強襲しようとした。
そういう顛末だろう。
失敗に終わったが。
村人全員に協力を取り付けていたのなら、食事に毒が混ぜられていただろうから違う。
見張りだけを巻き込んだのなら、村の周辺を取り囲んでいた人数が合わない。
精霊術を使える人間は複数いた。
冒険者も手懐けられた村人も複数だが決して多くはない人数――十人いないくらいだったとカノンは予想している。
同時に複数人に協力を取り付け、断りづらい状況を作り出し、失敗後口封じに始末するのも楽な、冒険者と同数程度の人間が巻き込まれたと。
「俺が、あの竜を殺したせいですか?」
「違う。
そもそも論を講じるなら、あの小竜がまともに育ってないのに巣から出てきたせいだし、目を付けた時点ですぐに狩れなかった冒険者の責任だ。
お前のせいではない」
キッパリと、目を見て否定をしてくれた。
確かにカノンの言葉には一理ある。
だが、何とも言葉にしがたい感覚が、胸をザワつかせる。
「戻って……何も知らない人たちを助けた方がいいのでは?」
「冒険者に見つかった時点で、武力を持たない集落には全滅か奴隷化する未来しかない。
仮に戻ったとしてもだ。
冒険者を始末すれば、現時点ではその難から逃れられる。
だが、冒険者と言うのは厄介で、横の繋がりが広い。
義理人情の話ではなく、獲物を横からかすめ取ろうと、情報が行き交っているからだ。
行方不明になった奴等の足取りを追う輩が居ないとは限らない。
その時俺たちの訪問のタイミングが合わなければ結局、村は全滅するぞ」
「今はとりあえず助けて、留まるリスクを伝えてさ、選択する猶予位はあった方がいいんじゃないのかな」
カノンは、深い、深いため息をついて首を横に振った。
「そう言うリスクも説明した上で、あの村の人達は代々、あそこに留まり続けている。
それがたまたま、俺たちが関わった今日だったと言うだけだ。
割り切ろ」
ダダをこねる子供を諭すように、困り顔で言うカノンも、そういう割には辛そうな顔をしていた。
なのに、なぜ非情な判断を下せるのだろう。
慣れなのだろうか。
イヤ、そういうものだと思わなければ自分の心を守れないからだろう。
俺が、そうだったから。
不条理な、納得のいかないことでも、立場的に受け入れなければならないことはある。
腑に落ちなくても、仕方ないと諦めなければならないことはごまんとあった。
そういう時は自分に立たされた状況を、客観的に、第三者の目で俯瞰して見て、他人事のようにしていないと、自分の心が折れそうになる。
だがそれは、世の中とはこういうものなのだと大人のフリをして、受け入れたつもりになっているだけだ。
心が乖離し続ければ、誰よりも辛いのは自分自身なのに。
俺の場合は、命令されたからと誰かのせいにして逃げていたから、尚タチが悪い。
選んだんじゃない。
選ばされただけなのだと、思考を止めた。
責任から逃げたくて。
現実から目を背けたくて。
異世界に来ても、また逃げるのか。
フッと、つい漏らしてしまった笑みにカノンは眉をひそめる。
世界のために何かした方が良いのか。
誰かのために何かをしたら良いのか。
結局俺は、理由の所在を自分では無い、世界や誰かに置いて、自分の行動の責任をその他者に押し付ける思考から抜け出せていない。
違うだろ。
自分のために生きろと言われたのに、結局、俺は何も分かっちゃいなかった。
俺が俺のために何をしたいのか。
皆が言ってくれたのは、もっとワガママになっていいって、もっと自分勝手に生きていいって言う意味だったのに。
前世でそれをさせてあげられなかったから、今世では思いっきり甘えて良いよと、そう言ってくれていたのに。
あ〜あ。
俺ってば、超愛されてるね。
俺の行動の責任をとるよと精霊になった皆はそう言ってくれていたというのに。
なんでブレーキ掛けちゃったんだろ。
俺にはその権利がないとでも思っていたのかな。
被害者だった皆が許してくれた時点で、そんな権利の所在の行方なんてどうでも良いものになっていたのに。
自ら苦しい縛りを化していたなんて。
俺ってば実はMだったのかな。
常識だとか、普通だとか。
俺の中の固定概念はこの世界では全くの無意味なのに。
「五分、ください。
それで溜飲を下げます。
必ず」
「…………分かっ「行ってきます」
最後まで人の話を聞け、と震えながら独りごちたカノンの声は、俺の耳には届かなかった。
瞬間移動って、やろうと思えば結構簡単に出来るもんなんだな。
ホント、無意識に自制してただけなんだな。
皆言っていたのにね。
想像力さえあれば、何でもできるって。
俺ってばこんなに人の話しを聞かない子だったのか。
聞き分けが良いと言われて育ってきたのにな。
大人の期待に応えなければと肩肘張っていただけで、根は違ったようだ。
なんでもって、本当に言葉通り何でもだったんだな。
物性物理学も量子力学も何も関係ない。
地球の常識に囚われる必要なんてない。
だってココは異世界なのだから。
イメージし、結果を求めれば、数km離れた場所でも今みたいに一瞬で移動することも可能だ。
なんとも自由が効きすぎる世界である。
そりゃあ、神様も欲を少なくしないといけないと考えるよな。
何でも願うだけで叶えられてしまう世界なんだもの。
精霊は、タブー視されている事柄を願われた時のストッパー役。
例えば、大量殺戮を願われた場合にその事象が起きないためのセーフティ装置。
またそのようなことを願う絶対悪に裁きを与える神の代行人だ。
その精霊の長全員に「何をしても良い」と言われている俺、控えめに言って最強なんじゃね?
あぁ、そう言えば俺、自覚がなくても元神様だったわ。
代行人よりも偉くて強いのは当たり前か。
倒れた篝火から炎が燃え打った家屋。
悲鳴と怒号が響く村は、昨日の色めいた喧騒とは違い、悲しみと怒りに充ちていた。
煙が立ち込めていて、何も見えないな。
タイムリミットは五分だ。
さっさと片付けよう。
火を消すだけではダメだな。
相手が精霊術師なら、燃えるものがあれば混乱させるためにも消えた先から火力を増やして燃やすだろう。
暗雲を呼び、局所的な雨を振らせ地面も瓦礫も全て瞬時に濡らした。
発生した蒸気と留まっている煙を晴らすために風を呼ぶ。
一気に邪魔な空気を吹き飛ばし晴れた視界の向こう、血を流し倒れている人に――イヤ、それでは手間だ。
気配察知をして今朝の様子と違う人達に治癒術を遠隔でかける。
……残念ながら、間に合わなかった人がいた。
だが、一人だけだ。
他の人たちは、間一髪の所だが助けられた。
失われた血だけはどうにも出来ないが、大丈夫。
助けられる。
つか、そのためにカノンに無理言って戻って来たのだ。
必ず助ける!
そして次は、今朝いなかった連中をここに集める。
カウボーイがロープで対象物を捕らえる縄掛け術。
あんなイメージで拘束した上で一気に引き寄せる。
途中、崩れ掛けた家屋にぶつかったり折れた木材に引っかかったりして負傷をしたようだが、別に良いだろう。
侵略者に対して、そこまで丁寧に扱ってやる義理はない。
突然現れた俺に、前触れもなく降った雨と吹いた強い風。
死にかけていた人々は、負った傷は癒え火傷の痕すら残らない。
そして先程まで蹂躙する側だった余所者が、目を回して拘束されている。
ほんの数秒前まで現実だった絶望から、一転した光景を理解できないのか、誰もがポカンと口を開けていた。
イヤ、俺もこんな早く制圧出来るとは思っていなかったよ。
強襲は最初の二十秒が勝負とか言うけど、マジでそうだな。
一気にカタがついて良かった。
ようやく動き出した時間の中で一番最初に聞こえたのは、慟哭だった。
振り返った先に見えたのは、助けるのが間に合わなかった小さな命と、血みどろの切れ端をかろうじて身体に引っ掛けている女性だ。
母親だろうか。
自分の命は助かったのに我が子が助からなかった、その理不尽に喘ぎ、言葉にならない声を上げていた。
その不条理に対する怒りの矛先は、気を失っている侵略者にではなく、なぜか俺に向けられた。
どうしてと絶叫し、なんであの子がと金切り声を上げた女性は、瞳孔が開き切ったゾッとするような目を向けて、涙を流しながら俺を叩いた。
自分が助かったのなら、良いじゃないか。
誰一人助からない状況だったのに、たった一人の犠牲で済んだのなら、良かったじゃないか。
なぜその犠牲を出した者ではなく、俺を責めるのだろう。
間に合わなかったことが、一番の咎なのか。
村に災厄をもたらした者ではなく。
それを招き入れた者でもなく。
それを振り払った俺を、何故責める。
俺を非難する声は次第に重なり大きくなっていく。
死にかけていた、俺が傷を治した人でさえ。
身体を火に巻かれながら、いっそ殺してと叫んでいた人でさえ。
助からなかったはずなのに、助けて貰った恩人である俺に牙を剥く。
耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言は、投げらつけられる石よりも痛い。
うるさいと言って耳を塞ぎたいのに、身体が上手く動かない。
胸ぐらを捕まれても、反応が出来ないでいる。
……――あ、なぐられる。
無防備な状態でいたから、下手したら歯が折れるなとか、口の中を切って血の味がしたらヤダなとか。
そんなことをぼんやり思っていたのだけれど、いつまで経っても衝撃は襲ってこなかったし、ついでに言うなら胸元に手はあるままなのに、前のめりになっていた身体は直立に戻っていた。
「五分経ったから、迎えに来た」
あの場所からどうやって来たんだか。
今までになく冷たい目をしたカノンが、目の前に立っていた。




