神さま、完治する。
「なーに言ってんだ? お前ぇ?」
片眉を上げながら男性が口にした言葉は、間違いなく日本語だった。
口こそ悪いが意味もわかる。
俺の常用語だ。
当然である。
これで格好がTシャツにGパンだったり、詰襟みたいな制服の類だったのならば長い悪い夢でも見ていたのだと思えたかもしれない。
しかし声の主は大量生産されたありふれた衣服ではなく、手織りだとひと目でわかる自然物で染め上げたであろう布を身にまとっている。
その上、マント。
屈んだ状態だと地面に付いてしまっていて正確な長さは分からないが、長い長い布地を羽織って胸元で留めている。
家の中なのに。
寒いと言って毛布を肩からかけてセルフこたつをしていたヤツはいたが、コレは防寒具の意味で羽織っているのではないだろう。
だって俺、薄着だけど寒くないし。
そのマントを留めているのは見たこともない大きな宝石だ。
拳大とは言わないが、直径何センチあるのだろう?
宝石の類は非常に貴重で、傷や濁りのないものは1カラットの大きさですらバカみたいな値段がついていたと思うのだけど。
なのに、眼前にあるのはインクルージョンの見られない鮮やかなエメラルドグリーン。
陽の光を浴びて目を奪う煌めきは、ココが俺の日常とは違う場所なのだと訴えてきているようにも見える。
何よりこの座り込んでいる床が、足を滑らせた階段が。
全て日常には無かったものだ。
俺が生まれ過ごした施設は、外部環境から身を守るため金属のみで構成されていた。
木材のような有機物質は汚染されている可能性が非常に高く外から持ち込むことが出来ない。
持ち込めたとしても徐々に外気で汚染されていってしまうから人体に毒になると。
一応施設内に除染済みの植樹されたものが栽培されてはいたが、さすがにこんな部屋が作れるような立派な大きさはなかったように思う。
……知識にはあるが、まさか、本当に起こり得る事柄だったのか?
てっきりフィクションだと思っていたのだけれど。
それを言うなら「スキル」だって大概か。
一昔前までは想像の中でしか使えないものだったのが俺たちの世代では当たり前に使える人の方が大多数だったのだ。
トラックが走る道がないからきっと別の方法でしてしまったのだろう。
異世界転移というやつが!
ただ、この際俺が転移をしたのは「スキル」発動後なのか、前なのか。
前なら最悪なんですけど。
俺、単なる大量殺人犯じゃん。
「あ〜、大丈夫、か?」
差し出された手も取らずに打ちひしがられているのを体調が悪いと判断したのか、訝しげな顔から一転。
心配そうな顔をしてのぞき込まれた。
その顔が、ふと、友人の顔と重なる。
俺の感覚ではついさっきまで対峙していた相手なのだ。
泣いて縋って懺悔したくなる。
そんなことは思ってはいけない。
赤の他人に友人の代わりを押し付けてしまってはいけない。
「重ね重ね申し訳ありません。
私の手当をしてくれたのは貴方でしょうか?」
一瞬、驚いたように目が開かれたが、瞬時に元のタレ目に戻る。
手を借りて立ち上がると、意外とデカい。
俺が170センチないくらい。
そこから軽く見上げるくらいだから180センチはありそうだ。
……それこそ、あの友人は俺よりも1センチ小さかった。
その1センチが悔しいとよく地団駄を踏んでいた。
こんな落ち着いた雰囲気もない。
全くの別人だ。
頭を切り替えなければ。
「あぁ。 あ〜……体調の方は?」
なんか肯定の言葉の後、色々逡巡したようだけど最終的に口にしたのは気遣いの言葉だった。
コイツ、いいやつだな。
聞かれてアチコチ、それこそ階段から落ちた傷も含めて確認するが、意外と痛くない。
と言うか、階段を降りている途中までは痛みがあった包帯の下も、血こそ滲んではいるが何故か痛みがない。
「大丈夫です」
「それじゃあ、まずは飯を食え。
食わなきゃ薬も飲ませられん」
「適当に座っていろ」と椅子を指さし、とば口の向こうへ消えて行った。
怪しさ満載な俺を放置していいんか? アンタ?
どういう状況下で保護してくれたのかは分からないが、セオリーで考えるなら俺は突然現れたであろう見たことの無い衣服を身につけた瀕死、血まみれの身元不明者だ。
それを介抱し食事まで提供してくれるなんて。
余程のお人好しか。
もしくは何かしらの言い伝えでもあるとか?
それはそれでお約束だもんな。
薬という言葉が出たが、奥にある作業机の上を見る限りでは漢方のようなものだろう。
化学的に合成、生成される類のものじゃない。
天井から吊り下げられて乾燥している草花。
薬研やすりこぎのような調薬する時に使うであろう道具。
そのどれをとっても図鑑の類でしか見たことのない知識でしかなかったが、実際目の前にすると、なるほど。
よく出来ている。
見ただけでは理解できない構造も1部あるが、知識にあるものとだいたい一致している。
世界こそ違うだろうに、生活に使う道具の最適化はどこも同じ道を辿るのか。
面白い。
異世界転移でよく目にするのは「中世ヨーロッパ風」という言葉だが、この世界はどれ程のものなのだろう。
エネルギー革命は起きているのだろうか。
原始的な生活になると少々この先が不安になる。
「座っていろと言わなかったか?」
あれこれウロウロと見ていたら声をかけられた。
振り返ると、その手の上には器が2つ。
まさか、もう食事を作り終えたのか!?
コンロのツマミを捻る音も、かまどに火をつける煙の臭いも一切しなかったのだけど。
え? まさかの全く未知の力で世界が成り立っているパターン?
どうしよう。
膨大な知識量で異世界無双するぜ!
ひゃっはー!
って思っていたのに全く通用しなかったら。
「丸1日寝てたからな。
消化にいいものの方がいいだろ」
言って机の上に置いたのは、甘い香りのする……のり?
失礼だけど食生活のレベル、低いのかな。
病人食だから得体の知れない非固形物を出したのだと思いたい。
席につき木製のスプーンを受け取るのを確認すると男も着席し「いただきます」と手を合わせ、俺の目の前の器に盛られたものと同じものを口にした。
「貴方も、病人食を召し上がるのですか?」
「わざわざ別のものを作るのは手間だしな」
ドロドロな物体をたいして咀嚼もせず飲み下していく様を見るに、食事に対して頓着がないのかもしれない。
限られた食材しか使えなくても、育ち盛りに必要な栄養素はしっかり、かつ美味しくとらないと肉にならない。
そう言ってメシ番をしてくれた先輩を、つい思い出してしまう。
.........強い「地のスキル」をもつ、良い先輩だった。
合掌し「いただきます」と小さく口の中で言った後、おそるおそるスプーンを運ぶ。
あぁ、なんてことはない。
コレ、パン粥か。
のりじゃなかった。
パンを1口大に千切るなり切るなりして作られたものは食べたことがあるが、コレはみじん切りにでもしたのか?
原型がないのだけれど。
甘い香りはミルクと蜂蜜か。
あと、ドライフルーツも少しだけど入っている。
温かい干しぶどうとか、ちょっとアレなんだけど。
酸味と甘みのバランスが良く見た目に反して食べやすい。
穀類は大量に育てられるだけの敷地面積も水の確保も難しいから大量生産が出来ないと言って、小麦も米もなかなかに貴重で口にする機会の少ない贅沢なエネルギー源だった。
だが米よりも小麦の方が耕地面積が少なくても安定した量がとれるからと、パンやパスタなら食べる機会があった。
酪農なんて以ての外。
飼料を育てる余地なんてないから基本的に乳は豆の青臭いやつしか飲んだことがない。
小麦の香ばしさが堪能出来ないのは少々残念だが、少量の蜂蜜が初めて味わうミルクの濃厚さと甘さを引き立ててて大変美味である。
美味しさを比べるなら、一長一短ある訳だからどちらも美味しい、という感想になるな。
食生活の水準が低いかもとか邪推して申し訳ない。
そもそも作ってくれるだけでありがたいのだ。
それを言い出したら、「丸1日寝てた」とこの人は言った。
しかし巻かれていた包帯にはほとんど血が付いていなかった。
褥瘡の跡もなさそうだし、丸1日見ず知らずの俺を介抱してくれたのだろう。
ありがたい所ではない。
頭が下がる。
1口30回は噛みましょうと言うけれど、さすがに流動食に近い状態のものではそんな回数噛むことは出来ない。
自然と早く食事が終わる。
「いただきます」をしたのだから「ごちそうさま」もするのだろうと手を合わせる。
「お粗末さまでした」と返ってくる言葉に、なんとも不思議な気持ちになった。
どうやら日本語が常用語のようだし、食生活に関してはまだなんとも言えないが、作法や習慣も日本に準じている。
異世界だろうに。
「少し、待っていろ」
そう言い空になった食器をとば口の向こうへ持っていく。
早々に戻ってきたと思ったら片手に茶褐色の瓶を持ち、ビーカーやフラスコのような容器が並ぶ戸棚へ向かう。
そこからいくつか手に取ると草やら調合器具が並ぶ作業机の上に並べた。
何が始まるのだろう?
食後に薬を飲ませるみたいなことを言っていたし、薬研も薬草のようなものもあるし、やはりここは調剤をするのだろうか。
乳鉢でガリガリしたり?
薬研でゴリゴリしたり?
なんて原始的な!
でも実際に使っている所は見てみたい!
俺の何世代も前に使われなくなった器具が目の前で使われる。
なんだかとても不思議な気持ちになるが知識でしかなかったものの実地を見ることができるなんて、心が踊るな。
ただ、あの手の草やら実やらを混ぜたものって、果たして飲んで本当に大丈夫な代物なのだろうか。
失礼な言い方になるが、医学がどれだけ発展しているのか、衛生管理がどれだけ認知されているのか。
そこを判断できない現状で差し出されたものをホイホイ口にするのは少々気が引ける。
さっきのパン粥はのぞく。
だってお腹すいてたし。
美味しかったし。
なんの問題も起きないなら良いのだよ。
まぁ、俺の肉体が前のままなら万が一身体に悪影響のあるものでも勝手に毒素は分解される。
問題ない。
だけど、漢方って臭くて苦いイメージしかないんだよね。
不味いのは嫌だなぁ。
なんともワガママなことを考えている間にも、作り慣れているのだろう。
テキパキと手際よく次から次へと、俺の目からは同じものにしか見えない葉っぱの重さを天秤に乗せて計っては砕いたりすり潰したりして小皿に各種類別に取り分けていく。
「俺は治癒術は不得意なんだが……」
なんの前置きもなく、おもむろに口を開く男の伸びた指先が淡く光る。
「回復薬の調合に関しては右に出る者はいないと自負している」
そう言い口の中で文句を唱える。
言葉を紡ぐと同時に指先の光は煌めきを増してシアンの色に染まる。
水色に輝く指の動きに合わせてどこからともなく水が湧き出てすり潰された薬草と宙で、文字通り踊った。
手のひらサイズの妖精のような人の形をしたなにかと共に。
最初魂魄のように朧気な存在だったのに、輝きを増すごとにその形がハッキリと見えるようになった。
妖精から放たれる光は、燦然とした星のまたたきのようにパチパチと弾け、水を生み薬草を溶かす行為を目の前で繰り返す。
すごく、きれいだ……
思わすため息がこぼれる。
きつねにつままれたような、タネの分からないマジックを見たような。
夢見心地の良い現実感が伴わない現象は、フラスコに薬液が充たされると同時に終わった。
なにいまの!?
何、今の!!?
え、と言うか。
呪文のように思えたが『Please lend me』ホニャララと聞こえたのは空耳だろうか。
英語、さっき通じなかったのに喋れるの?
いったい、なんなの??
興奮と混乱のせいで思考が上手く回らないが、そんな俺を気にも止めず男は手際よくフラスコの中の液体をビーカーに移し撹拌したり覗き込んで色味をみたり、1滴手の甲にとって味をみたりひとつ頷き試験管に移してみたり。
その移した試験管のような長細い容器が1人前なのだろう。
「飲め」と手渡された。
作る時は綺麗に思ったが、草が溶けているのだから変な緑色をしていて不透明。
先程のキラキラの片鱗すら残していない。
おどろおどろしいとまでは言わないが。
何よりも臭いがやはり独特だ。
1滴、手の甲に取り舐めてみる。
舌に少しピリピリとした刺激こそあるが毒物の類はなさそう。
えいや、と一気にあおる。
こういうものは一気飲みが1番ダメージが少なくて済むのだ。
……足りないビタミン補給用、と定期的に支給された青汁に似てる。
あと微妙にうがい薬の風味。
なので、まぁ、飲めなくはない。
進んで飲みたいとも思わないお味であるが。
飲んだ先から身体がポカポカする気がするのは、なんだろう?
生姜でも入ってるのか?
それともさっきの異世界マジックの効果なのだろうか。
「普通の回復薬よりは効果があると思うが、どうだ?」
「どうだ、と聞かれましても……初めて飲んだので比較の仕様がありません」
「あ”ぁ?
あ”〜……じゃあ、傷はどうだ? ある程度塞がったか?」
瞬間凄まれたが、すぐに別の質問に変えてくれた。
傷。
傷ねぇ。
階段から落ちてからコッチ、特に痛まないけど。
手の包帯を外すと、かさぶたを剥がした跡みたいな、薄皮1枚を貼ったように赤くなっている。
手の甲も、平も同様に。
握ったり開いたりしても、痛みはやはりない。
首の包帯も外してみるが触った感じ、手と同様傷は塞がっていそうだ。
胸の傷はさすがに服を脱がないと包帯を解くことが出来ない。
確認は後ででも良いだろう。
感覚からして、首と手の傷よりもしっかり治っているような気がするし。
皮膚が突っ張っている感じが全然しない。
手当をしてくれた時に元々の傷を見ているからか、目を白黒させながら、もげそうな勢いで左手を取りブンブン振り回して裏表をそれぞれ確認してはブツブツと呟くタレ目男。
思考が口から漏れ出ちゃうタイプの人か〜
研究者に多いと思うけど、この部屋見ると薬学に精通している人みたいだし。
当然と言えば当然の行動か?
たぶん「スキル:絶対再生」のせいでこうなっているんだと思うのだけど、それ話したら面倒臭そうだし。
かと言って「凄い回復薬を作り出したぞ!」 って思っていたのにいざと言う時使おうとしたら全然効果がありませんでした、なんて言ったら命に関わってくるだろうし。
どうしたものかな。
俺も現状の把握が正確にできているわけではないので説明のしょうがない。
「絶対再生」の力だけでこうなった訳ではないのは分かるのだけど。
なにせ俺は自分の全てを使って地球の創り直しをしたはずだから。
文字通り、命も「スキル」も一切合切。
自分の手持ちだけではエネルギーも能力も足りないことが分かっていたから外部から調達する必要があると言われて仲間達から必要な「スキル」を奪ったんだし。
「完全破壊」を奪えるタイミングがなかなか掴めなくて、俺が胸を刺されたその一瞬に全てをかけた。
地球を破壊した際に生じるエネルギーを丸々使って再生と創造をしたはずなんだけどなぁ。
俺が今際の際に『まだ生きていたかった』なんて愚かしいことを考えてしまったせいで「絶対再生」が発動したから俺の身体は無事だった、なんてことだったらどうしよう。
もしそうなら地球再生のために全振りされるべき「スキル」の発動が不完全に終わっていることになる。
下手すれば、不完全故に地球ぶっ壊しただけの状態で守りたかったもの全て喪われただけ、なんて結果に終わっていることも考えられるのか。
確認のしようがないことではあるが、想像してしまって血の気が引いた。
詫びることも償うことも出来ない代わりに平穏な生活を皆に贈ろうと思っていたのに。
成功確率99.9%なんて言葉に乗っかった俺の見通しが甘すぎたのだろうか。
0.1%が起こった時のリスクから目を逸らしてしまった。
ことがことだ。
時間がなかったなんて言い訳にすらならない。
「回復薬だろうが治癒術だろうが、失われた血はどうにもならないんだ。
座ってくれ」
立ちくらみを起こしかけた俺の顔色を見て、握っていた手を離して慌てて椅子を引いてくれる。
貧血みたいな症状が出たのは別に血が足りないからではな.........くもないか。
嫌な想像によるものが理由の大半を占めるが、実際血も足りていないだろう。
手のひらの傷は貫通して床をエラい汚していた。
首の傷は血が噴き出しこそしなかったがそこそこ深い傷だったから制服を真っ赤に染めていた。
アドレナリン出まくっていたとは言え、よくもまぁあれだけ動けたものだと、我ながら感心する。
「スキル」発動前に死ななくて良かった。
.........良かった、と手放しで言えない状態だと気付いたので一気に鬱々しい気持ちになっているが。
「触れてもいいか?」と今更なことを言われたが、特にツッコミ入れず頷くと脈を測ったり額に手を置いて熱を計る素振りをしたり、たぶん、健康診断的なものをしてくれているのだろう。
下まぶた下げたり口開けて舌の状態確認したりもしているし。
首を時々傾げながらも「まぁ、いいか」と言ってしまうあたりがなんとも頼りないが。
「色々と尋ねたいことがあるのだが.........とりあえず、その髪をどうにかしながらでもいいか?」
「揃えられるのですか?」
「親が死んでからは妹のやつ切ってやってたからな。
.........気にするな。
随分昔の話だ」
八の字眉になってしまっていたらしい。
フォローを入れられた上苦笑された。