神さま、祈る。
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キリスト教では浸礼・灌水礼・滴礼のような洗礼を行う者を祭司と呼ぶ。
この世界では救い主の伝承があるわけでも、福音書の類がもたらされているわけでもない。
なので、神々に入信を誓う際の、サクラメントのような儀式は必要ない。
精霊信仰の教会の教えとしては、神から発出した神格者たる“聖霊“と、その陪神である“精霊“を崇め奉り、その信仰を目に見える形で祈りを捧げる者が祭司とされる。
その際、祈りとともに霊力を奉納することで、様々な恩寵を“聖霊“から授かることができる。
だが教会が執り行っている儀式は、肝心の霊力の奉納がないために“聖霊“へと祈りが非常に届きにくくなっている。
ってか、ほとんど届いていない。
三英雄が世界を浄化し平和に導いた際の武勇と言葉を何百年と後世に伝え、広め、守ってきた功績は素晴らしい。
だが、その根底が間違っているのは、いささかマヌケと言うか。
勿体ない気はするね。
せっかく祈りが通じる世界だと言うのに。
それが届いていないんだもの。
地球でも、伝授される途中で喪われた正しい祈り方があったりするのだろうか。
それを遂行出来ていたら、あんな結末を迎えずに済んだのだのかな。
今更、言っても詮無いことだが。
神像は置かなくても問題はない。
信仰心とは目を閉じ神仏に手を合わせる動作ではない。
自身の中にある敬愛や感謝、それを込めた祈りが手を合わせる行動として現れるだけだ。
その祈りを捧げる対象を目に見えるものにすることで、自分の内にある感情をより明瞭にすることができる。
内なる感情の輪郭をハッキリ認識することで、自身がこの先どうしたいか、どうありたいかが、自ずと見えてくる。
祈りは、自分自身と向き合う時間でもあるのだ。
瞑想に通じる部分があるように思えるな。
アレももともとは宗教から発生しているのだから、当たり前か。
その上でこの世界では、霊力を伴った想像が形作られ現実のものとなる。
俺の「万物創造」と似ているね。
精霊術を使用する際詠唱をするのは、口に出すことにより欲しい結果を想像しやすくなるからだろう。
集中力も増すし。
霊力を込めれば祈りが精霊に届き、欲しい事象が得られる。
逆に言えば、霊力が伴わない祈りは精霊に届くことがなく、事象が得られるわけがない。
コンセントが刺さっていない、電池が入っていない家電のスイッチを入れても動かないのは当然だものね。
教会では調教と洗脳が可能な年頃の、霊力を持っている孤児が多数保護されていると言う話なのに、この世の中の状況が一向に改善しないのは何故なのだろう。
祈る時に霊力を込めることを知らなくても、制御の仕方が分からなければ勝手に霊力は祈りと共に精霊に奉納される。
なのに、どうしてなのか。
もしや、世界平和以外のことを願っているのか……?
……まさか、ねぇ??
なんだか生臭そうな雰囲気漂う名前のウルメ村は、名前こそイワシを彷彿とさせるが、出土する精霊石は地属性に偏っている。
水は深井戸のおかげで確保出来る。
ただ、痩せた土地はどうにもならない。
地属性の精霊石が出土するのは調度良いと言えるだろう。
祈りを届きやすくする方法に、神像に精霊石を使う方法があるそうだ。
不純物を削ぎ落とし研磨されていない状態だと、霊力を奉納するには少々扱いにくいとされる。
まぁ、下手に精霊に祈りが届きすぎてウルメ村周辺が奇跡級の変貌を遂げてもいけない。
出土するカーネリアンを思わせるオレンジや茶色の混ざった石は、パッと見では宝石には見えない。
扱いにくい程度の方がこの際は都合がいい良いのだし、地属性の効力を持つまだら模様が入った石をそれっぽい見た目に整えた。
精霊石を神像に使うと、祈り願うその心の内に抱えるものが不相応な場合は、像がぶっ壊れる仕様になるため複数人が祈る場合オススメは出来ない。
自分の相応、分不相応をしっかり理解している人が祈る分にはプラスしかない。
劇的ビフォーアフターを憂慮してしまうくらいには効果が得られる。
形を整える際、テルモの外見に近くしすぎないように気をつけた。
なにせ“母なる大地“という言葉がこの世界にもあるのだ。
男神の姿を象っては、祈りを捧げる時に要らん疑念が混ざってしまう。
それは良くない。
雑念が混ざっては純粋な祈りとは言えないだろう。
せっかく作ったのにそのせいで像が壊れたら悲しいし。
俺が神像を彫ってる間に村長たちが居住区と畑の間に設置してくれた、小さな祭壇。
花を添える必要は正直ないのだが、殺風景だったので神像をおさめるついでに供えてみた。
……見ようによっては、お地蔵さんみたいである。
「精霊石か霊玉を握りこんで、この地の精霊像に一日最低一回、祈りを捧げてください。
世界平和でも、お野菜沢山とれたらいいな〜でも、健康長寿でも。
人を害するような願いでなければ、なんでも構いません」
霊力を祈りと共に奉納する感覚だけは身体で覚えてもらう必要がある。
体内を巡る血液を知感することは難しい。
霊力もそれと同じだ。
その上霊力が身体の中に浸透し祈りという形で放出されるあの独特な脱力感は、慣れるまでなかなか身体に負担がかかる。
霊力を使う時の疲労感は「スキル」に近い。
俺は「スキル」で慣れていたし、自分が持っている霊力を使っているのだから、大した負荷はかからない。
だが霊力を持たない人が外部出力に頼って霊力を扱う時、どれ位の体力と気力を削るのかが分からない。
安全に恐怖心なく遂行してもらうには、初めが肝心だ。
しっかりサポートせねば。
雨が降らないと言う畑に、精霊術により雨を降らせる。
こういう奇跡とも言える恵みが欲しいのなら、祭司となり、自分のため、この村のために、精霊に祈りを捧げて欲しいとお願いすると、村長の娘さんは是非にと返事をしてくれた。
下心がある祈りだとしても、心には変わりない。
真摯かつ誠実な祈りは、世界をより良いものにすることが使命の精霊たちの共感を生む。
力を貸してくれる精霊はいるだろう。
その祈りを届かせるための精霊石がついた指輪を、石が手の内側に来るように嵌めさせる。
祈りの言葉は定型にした方が良いかな。
ルーティンにしやすくなるし。
――天にまします我等が主よ
御名を崇めさせたまえ
苦難と危機を乗り越える勇気を与えたまえ
御力により我等を護り導きたまえ
この信仰をあなたへの愛とし
ここに祈りを捧げます
嘘偽りなくここに誓います
……アーメンまで言ったら、まんますぎるし、誓いますよって宣誓の言葉で締めれば良いかな。
願いごとをしながら、精霊に語りかけ、信仰していることを伝える。
辛く苦しい困難でも、自分で乗り越える努力はするけど、その手助けを出来るなら欲しいとお願いをする。
再び信仰とそれに嘘がないことを誓う。
こんな雰囲気で良いかな。
作物が元気に育つようにと思いながら祈ると言っていたので、俺の方でも少し手助けをする。
結果は目に見えた方が良い。
今後のやる気に繋がるからね。
栄養不足で固く薄茶けた色だった大地は、黒く柔らかな土へと変わる。
萎びかけ元気のなかった葉はピンと空を向き艶を増す。
雑草まで生えてしまったが。
それはまぁ、今までがぺんぺん草すら生えないような不毛な土地だったと考えれば、祈りの効果がテキメンだと視認しやすい結果が得られたと思える。
俺がこれ以上霊力を注げば、季節外れに作物が結実し、地精霊の眷属まで出現してしまいそうだ。
祈りの言葉は最後まで口にするが、霊力の供給はストップしよう。
言葉をつむぎ終えても、村長の娘さんは祈りの姿勢を崩さない。
そんな一度にアレもコレもとお願いされたら、それを聞き届ける精霊も困ると思うのだけど。
それも祈りを捧げる時の注意点として伝えておくべきだろうか。
イヤ、今日はコレ、明日はソレ、と器用に願いごとの順番を付けられるなら最初からそうしているか。
心からの願いなら優劣や順位をつけるのは難しいだろう。
好きにさせれば良い。
あくまで、力を貸してくれるか否かは精霊の御心しだいなのだから。
長い祈りを終えた司祭が目を開けた瞬間腰を抜かして、締まらない終わり方をしたのには笑ってしまった。
霊力が身体の中を駆け巡っていく経験をしたのだから、疲労も原因のひとつだろう。
だが、あの驚いた顔はなかなか観られるものじゃない。
祈りは神に届くのだと、足腰がおぼつかない状態なのに両手をあげて喜ぶ姿は、逞しいとさえ思える。
俺が霊力を注ぐのを辞めたあとも、キチンと草木は青々と成長を続けた。
この人が今の心と変わらずこの先も祈り霊力を捧げ続ければ、村はきっと救われるね。
霊力が満ちた土地が得られる恩恵と効果は沢山ある。
村長の家に場所を移し、そのリスクも含め、キチンと説明をする。
基本的には良いことばかりだ。
精霊は善なる存在だし、根本が世界をより良いものにするために導くことを至上としている。
そのトップが精霊の皆なのが少々問題なような気もするが。
なにせ時と場合によっては、他の何よりも俺を優先してしまうような人達だし。
流石にこの世界を天秤にかけた時にはそちらに傾いて欲しいとは思うが。
そうなると断言できないのが困ったもんだ。
リスクは、二つ。
霊力に富んだ土地で祈りを忘れてしまえば、途端に結界が消失する。
神像は祈りを形に変えやすくはしてくれるが、祈らなければ単なる大きな石だ。
研磨もなんもしてないから、霊力の通りがイマイチ良くないし。
単に心の中でなんとなしに思うだけでは、その祈りは届かない。
他の町村長にも渡したのでウルメ村長にも結界を張る指輪は渡したが、その効力がどれだけ続くかは俺にも未知数だ。
鑑定眼で見てみたが、外部からの霊力の供給があるか、どれだけ消耗するか。
様々な要因によって持続時間はだいぶ異なるとされていた。
なので、本当に判断画つかない。
宿っている力が無くなる前に代わりの精霊石を確保出来るかどうか、運による部分もある。
エルモ町みたいに、純度の高い宝石のような見た目の精霊石が沢山転がっているような場所があれば良いのだけど。
少なくともウルメ村にはそんな場所はなかった。
新たな霊力石が得られなかった場合、祈りが要になる。
祈ることによって精霊が契約を持ち掛けてくる可能性もゼロではない。
純粋な気持ち祈りによって消費される霊力が少なく、得られる効果が大きくなる場合もあるだろう。
指輪の精霊石を通して霊力の扱いに長けた時、自然界に存在する霊力を使って祈りを捧げられるようになることもあるかもしれない。
街の街灯は霊玉を通して霊力に変換、精霊術を行使する回路を組んでいた。
人間でも同じことを出来るかは分からない。
この村は定期的に顔を出して様子を見た方が良いかもしれないな。
なにせ未知のエネルギーだし、実験を始めたばかりなのだ。
データが足りなさ過ぎて判断つかないことが多すぎる。
少なくとも、今よりはマシな生活が一時期だけでも得られるのだから、良しとして欲しい。
もうひとつのリスクは、人間同士の諍いになる可能性だ。
富んだ土地は強者に狙われるのが世の常だ。
この世界の住民は大丈夫なのか心配になるほどに欲が少ないとされている。
だがそれでも戦争の可能性が示唆される程度には侵略が起こる危険性が懸念されている。
他者の土地や財産を私利私欲のために武力を用いてでも奪い取る考えがあるのだ。
他の町村からしてみれば、今まで自分たちの土地よりも貧弱で取るに足らないと思っていた村の収穫量が増えれば面白くない。
その考えから暴力に訴え出てこないとは限らない。
平和的に話し合いの場が設けられ、手法を尋ねてくれれば良いのだが。
秘匿するようなものではないし、精霊への信仰が増えればみんなの力が増して、世の中の平和作りに貢献出来る。
そして精霊の力が増せば更に人はより良い暮らしが出来るようになる。
良いことばかりなので、むしろ教わる姿勢を見せてくれるなら手とり足とり教えてあげて欲しい。
どうせ周辺の町村には祈りの装飾具を配って歩くのだ。
幾らでも、やろうと思えば自分たちの住む土地でも同じことができる。
教会の関係者も、正しい祈り方をしてくれれば良いのにね。
神託を過不足なく受け取れるヤツがいないのがいけない。
教会の教えがどんなもんかは知らないが、良い循環がされていないからこその、今なのだと思う。
不作が続き魔物が跋扈し、人間が不遇に追いやられている。
精霊の皆はそれを良しとしていないのだ。
ならば教会の教えは、少なくとも祈りの捧げ方は正しい方法ではない。
近隣の住民に土地を奪われる程度なら良い。
だが、宗教戦争は何よりも怖い。
神の名のもとに殺しを正当化するような狂信者がいないことを願うばかりだ。
教会に目を付けられる可能性があること。
その場合には教会には逆らわないことを言っておいた。
異教徒には断罪を、なんて叫ばれたら恐ろしいからね。
同じ対象を崇めているのに争っていたら、その信仰の対象が嘆き悲しむとは、考えないのかな……




