①-7 夜、眠る前に……
パリン
ガラスが破れる音は、いつも非日常を感じさせる。
夕餉の時、それは前触れも無く起こった。
食事中に、麦茶の入ったガラスのコップを僕が軽く触ったら、突然寿命がきたかのように、コップが破れてしまったのだ。
僕はガラスの破片を触ってしまったため、指先を少し切ってしまう。傷口を抑えても、ダラダラと血が流れて止まらない。全然痛くないけれど、血で周囲を汚してしまわないように、気をつけるのが面倒だ。
コトネはその様子を見て、絆創膏を渡してくれた。
妹の優しさに感謝しつつ、僕は指先の痛みを感じて憂鬱な気分になる。
ついに僕の呪いの代償が発動したのだろう。
十色ヒトミを認識するために、僕が自分にかけた『コトノハ』の代償として、不幸が訪れたのだ。
これから、この『コトノハ』を解呪するまで、僕はちょっとした不幸に見舞われるのであろう。
早く神隠し事件を解決しないと、切り傷が一つや二つでは済まなくなりそうだ。
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「先輩ぃ〜、このゲームって面白いですか?面白いならやってみたいです〜」
晩ごはんを食べて、風呂から上がると、十色ヒトミが僕の部屋から発掘した携帯ゲーム機を片手に、呑気な声でそんな事を言ってきた。
よほど暇なのだろう。
彼女の太々しい態度に、僕はもう慣れてしまったので、勝手に部屋を漁られても気にならなくなってしまっていた。これは、ちょっとまずい傾向かもしれない。
「面白いけど、結構長いよ?大長編RPGだから百時間はかかる。別のにしたら?」
「長くてもいいですよ、気にしないですから」
そう言って、ゲーム機を彼女は起動させた。
バラエティ豊かなゲーム機の電子音が、僕の部屋に響き渡る。
「いやぁ〜、こういうゲームって初めてやります。家がこういう娯楽に厳しくて、できなかったんですよ」
「そう、それはよかった。新鮮な体験を提供できて何よりだ。それにしても、ゲームができないなんて、今時珍しいね。それじゃあ、十色くんは普段何をしているんだい?」
「勉強か習い事ですね。習い事なんか、両手の指が収まらないくらいやってましたよ。お母さんが教育熱心なんです」
十色ヒトミはゲームをしながら、そんなことを言う。
「相当勉強したんだね。新入生代表に選ばれたってことは、入試成績一位とかだったんじゃない?」
「まあ……そうですかね……」
彼女の反応は素っ気なかった。
新入生代表になったことを、あまり特別なことだと感じていない様子。むしろ、忌々しく思ってるようなそんな態度だった。
「正直、新入生代表は嫌でしたね。あんなの目立つだけです。そのせいで、騒ぎになってしまいました」
「そう?騒ぎになってよかったんじゃないかな。ひっそりと神隠しで消えたりなんかしたら、僕が探す事なんて無かったと思うよ」
「前も言ったかもしれないんですけど、申し訳ないんですよ。私のことで世間を騒がせてしまったことに、罪悪感を感じてしまいます」
「罪悪感ね」
そういうものだろうか。
この場合、神隠しを行った狐が悪いのであって、彼女が罪の意識を感じる必要はない気がする。
むしろ、この理不尽に対して怒っても不思議じゃない。
「まあ、世間の騒ぎも落ち着いてきたんだから、十色くんが気にしてもしょうがないよ。入学式の日程を間違える、みたいな恥と同様に、いつか自然とみんな忘れるさ」
「いや!なんで今それを掘り起こすんですか!」
せっかく忘れかけてたのに!と彼女は、プリプリと怒っている。
「ほんとーに!先輩はデリカシーが無いですね!こういう事は、覚えていても忘れたふりをするものじゃないんですかぁ!」
「悪いけど、僕にそんなものを期待するな。僕は君の気持ちなんて分からないから、思ったことを言うだけさ」
「思ったことを飲み込んでくださいよ」
呆れながら彼女は、ため息をついた。
そんなことを言われても、余計な一言を言ってしまう性分なのだ。
「私の見る目は、間違っていたのでしょうか。もう少しまともな人だと思っていたのに……」
「どうしてそう思ったのかな。君と僕ってほとんど初対面だったと思うけど」
十色ヒトミの僕に対する評価が高いことに、ちょっと前から僕は疑問に思っていた。普通、よく知りもしない異性の先輩の家に泊めて欲しいだなんて、思わないはずだ。何も理由がないのであれば、彼女は危機意識がなさすぎると思う。
「……私が神隠しに遭ってから、先輩の近くにいたって話をちょっとしたと思うんですけど。その時、私は先輩のことを見ていたんです」
「……」
何を見られていたのだろう。
やましいことはしていないはずだが、ちょっと怖い。
「先輩はずっと私のことを、探してくれていましたよね。よく知りもしない私のことを。多分、私の親しい友人や家族よりも、熱心に探してくれました。だから、この人は信頼できるって思ったんですけど……」
彼女はチラッと僕の方を見て、
「思い違いだったかもと、思い始めています」
とガッカリしたように言った。
勝手に幻想を抱いて、勝手に幻滅される。理不尽ではあるけれど、そんなことは、僕の人生に珍しくはない。
ふと、僕はカワイイ女の子を振って泣かれてしまった放課後、あの日の夕焼けを思い出す。
……少しセンチな気分になった。
「早く気づいてよかったね。僕は一見、良い人に見られがちだから、そう思ってくれてホッとするよ」
「残念です……友達になれるかなって思ったのに。先輩とは、ゲーム機を借りるだけの間柄になりそうです」
「……いや、貸さないよ」
ちゃっかり何言ってんだ、このヤロウ。
厚かましいな、まったく。
「やれやれ、先輩はケチんぼですね。そのくらい、いいじゃないですか。友達はムリでも、そーいうビジネス的な関係だったら、なれると思います」
「その関係って、僕にどんなメリットがあるの。一方的に搾取されるだけじゃない」
「先輩のお手伝いをしますよ。あるんですよね、何か目的が」
彼女は、僕の目を見て提案する。
僕を見る眼鏡越しの瞳は、全てを見透すかのように、透明に澄み切っていた。
「なんで」
十色ヒトミからの提案に、僕は少し動揺していた。
何故、彼女は僕に目的があると、気が付いたのか。
その疑問が頭に引っかかり、何を言おうか言葉に詰まってしまう。
「そんなの見ていれば分かります。先輩は私の事を熱心に探してくれました。最初は私のことが好きなのかな、なーんて考えたりもしましたが、どうにも違う様子。だったら、他に目的があると考えるのが自然です」
彼女は僕に対して、ロジカルに推理を述べる。
それを聞いて、大した洞察力だと思った。
まあ……僕が分かりやすいだけかもしれないけど。
「十色くんは鋭いね。そう、僕には目的がある。だけど……遠慮しておくよ。僕の目的なんて、たいしたことじゃないし……もう終わったことだから」
僕がこの仕事をしている理由の一つとして、母の死の真相を知るため、という目的がある。
だけど、死の真相を突き止めたところで、母が生き返るわけでもない。これは意味のない自傷行為でしかないわけで、そんなことに他人を巻き込む訳にはいかないだろう。
「……そうですか、分かりました。という事は、ゲーム機を借りることはできないという事ですね。今のうちに、クリアしないと」
彼女はゲーム画面に集中することにしたようだ。もうだいぶ夜更けである。いつまでゲームをするつもりなんだ、コイツは。
「先輩眠いですか?いいですよ寝ても。ベットは先輩に譲りましょう。今夜は一晩中、ゲームをすることに決めました」
十色ヒトミはベットから立ち上がり、勉強机の椅子に腰掛ける。ゲーム音を消し、机の上にゲーム機を置いて、ポチポチとボタンを押し始めた。
流石に彼女を床にそのまま眠らせる訳にはいかないので、余っていた布団を床に敷く。
……正直、気が散って仕方ないが、僕は傍らでゲームをする彼女を気にするよりも、眠ることにした。
「それじゃ、僕は寝るから」
深夜にゲームをする彼女に気を使うのもアホらしいので、部屋の中央にある蛍光灯の紐を引き、電気を消す。
視界の隅でゲーム機の画面がチカチカと光って、鬱陶しい。掛け布団を頭に被って、僕は光を遮断した。
ベットに横になり、薄れゆく意識の中で「おやすみなさい」という彼女の声が聞こえた気がしたが、それは僕の気のせいかもしれない。




