①-6 羨望と欺瞞
「いや〜、ホントに泊めてもらっちゃてすみません、天月先輩。私、誰からも無視されるから、野宿するしかなかったんですよ〜。それに、話し相手がいないから退屈で死にそうだったんです。あっ、この漫画気になってたんですよね〜読んでもいいですか?」
そう言って十色ヒトミは、僕の部屋で漫画を読み始めた。
彼女はベットの上で、寝っ転がりながらゴロゴロとくつろいでいる。
少しは遠慮というものを知って欲しい。
「十色くん、流石にくつろぎすぎじゃない?もう少し慎ましくしようとか思わないの?」
「すみません、先輩。でも、フカフカのベット久しぶりなんです。安らぐんですよ。だったら、もう寝っ転がるしかないじゃないですか。しょうがないんです、これは」
「よくわからない理論を、振りかざすんじゃありません。家から追い出すよ」
はぁい、と彼女は残念そうに言い、寝っ転がるのをやめて、ベットに座りながら漫画を読み始めた。
十色ヒトミは円眼鏡を頭にかけ、漫画を読むことに集中している。
よく知らない男の家で、夢中になって漫画を読むなんて、どんな神経をしているのだろう。
その太々しい態度に、僕は呆れを通り越して感心してしまった。
「そういえば、十色くん。食事はどうしてたの?神隠しに遭ってから、一週間経つけど何も食べてない訳じゃないよね」
「何も食べてないですよ。神隠しに遭ってから不思議とお腹が空かないんですよね。だから、晩御飯はいらないです」
「……それは大丈夫なの?」
大丈夫ですよ~、と彼女は軽い感じで言う。
存在が認識されないような異常事態だからなのか、彼女はあまり気にしていないみたいである。
「先輩は、ご飯食べなくていいんですか?」
「妹が買い物から帰ってきたら、一緒に食べるよ」
食事はいつもコトネが作る。
僕にはもったいない、できた妹である。他の家事なら手伝うことができるけど、家計と栄養バランスを考えた美味しい料理を作るとなると、僕には難しい。
「へぇ〜妹さんがいるんですね。他のご家族はお仕事ですか?」
「両親はいない。妹と二人暮らし」
「そうですか。それは、気楽でいいですね」
十色ヒトミは変わらない調子で、そう言った。
僕が両親の話を人にすると、いつも気まずそうな反応になるので、この反応は意外に感じる。
そのことに気がついたのか、彼女は眼鏡をかけ直し僕の方を見て、
「あっ、これって、デリケートな問題ですよね。無神経なことを言ってしまいました……」
と申し訳なさそうに言う。
「いや、僕は気にならないからいいよ。でも、妹は気にしてるかもしれないから、話すことがあったら気をつけてあげてね」
「はい……すみません」
彼女は落ち込んでしまった。
うーん、こうなるから面倒くさいんだよな。
僕は気まずい雰囲気を誤魔化すため、何か話題を探す。
僕は最近の悩みを話すことにした。
「僕の妹はコトネって言うんだけど、今年から同じ高校に通うことになったんだ。つまり、十色くんとは同級生になるね。その妹なんだけど……なんか最近、色気付き始めたんだ……」
今まで化粧に興味がなかったコトネが、クリームだのパウダーだのを買い込んで、鏡に向かって黙々と顔面改造を行うようになった。オシャレに気を使うようになり、流行りのワンピースを着こなして、日曜日には友達とショッピングなんてしちゃったりする。
そんなコトネを見て、僕は寂しい気持ちになった。
子どもから大人になる過程を見る親の気持ちは、こんな感じなのだろうか。
「僕はコトネに男ができたと思うんだけど、どうかな?妹が化粧に興味を持つなんて、これは事件の匂いがするよ」
「先輩は偏見が凄いですね。女の子が化粧をする理由に男が関係してるなんて、見当違いもいいとこです。女の子はいつだって可愛くなりたいとか、ちょっと背伸びをしたいって思うもの。自分のためにしていることなんです。だから、そんなこと先輩は、心配しなくていいんですよ」
と彼女は断言していった。
だけどそれを聞いても、僕は釈然としない。
「そうは言うけど、十色くんは化粧をしていないじゃないか。髪の毛もボサボサで、身だしなみが悪い。そんな君に言われても説得力がないよ」
うっ、と痛いところを突かれたみたいな顔して、十色ヒトミは動揺する。
「わ、わたしのことはいいんです。わたしは一般的じゃないので。一般的な女の子はそう考えているんですぅ」
十色ヒトミは、そっぽを向いてしまった。
何か悪いことをいってしまっただろうか。
彼女も十分に、一般的な女の子だと思うけど……
「……僕はどうすればいいだろう。あんまり、妹に干渉してはいけないって分かってはいるんだ。でも、心配で……」
親代わりに面倒を見てきた妹が、変わってしまう様子を見て、僕は不安で仕方ない。
シスコン捻らせている自覚はある。
ただ、コトネの成長を喜べばいいと、分かってはいる。
それでも、割り切れない思いが僕にはあった。
「……」
彼女は言うべきことを探すように、僕のことを黙って見ている。僕の部屋は静寂に包まれ、この世界には僕と彼女の二人だけしかいないかの様に錯覚する。
何を考えているのだろう。
僕は彼女が口を開くのを待った。
ガチャッ、バンッ!!
その時、唐突にドアが開け放たれ、静寂が破られた。
部屋の外から、買い物帰りの妹がゴキブリ用の殺虫スプレーを手に持って乗り込んでくる。
妹は殺虫スプレーをプシューっと、ベットに座っている十色ヒトミの方に向かって吹きつけた。
「い、いきなり何するんだ、コトネ!」
コトネはベットに殺虫スプレーを一通り吹きつけてから、納得いかない顔して周囲を見回している。
《あれ、おかしい。ゴキブリがいる気配がしたんだけど》
コトネは愛用のクマがプリントされたメモ帳にそう書いて、僕に見せた。
恐らく、コトネは第六感で彼女の気配を感じ取っているのだろう。流石に姿までは見えていないみたいだけど、我が妹ながら恐ろしい嗅覚だ。
「ご、ゴキブリなんている訳ないだろう。それより晩ごはん!今日の晩ごはんが、僕は知りたいなぁ〜」
《今日の晩ごはんは、肉じゃが。ちょっと時間かかるから待っててね》
「……う、うん、楽しみにしてる」
とりあえず満足したのか、夕飯を作るためにコトネは台所に向かった。たまにコトネはこういうドキドキするような行動を起こすので、そんなスリルな所も魅力的だと、僕は思っている。
「うへぇ〜、ベトベトぉ〜」
と呻きながら十色ヒトミは、額を拭ってる。
彼女は殺虫スプレーをモロにくらったため、全身が殺虫剤塗れになっているようだ。僕は、彼女にタオルを渡す。
「ありがとうございます。いやー今の子が先輩の妹さんですか。先輩の妹さんは……何というかその、凄く個性的ですね」
ちょっと、驚いてしまいましたと、十色ヒトミはタオルで顔を拭いながら言った。
「その……妹が迷惑かけてごめんね。悪気はない、というかそもそも、妹は気づいてすらいないと思うんだ。だから、僕から謝らせてもらうよ」
「いえ、わかってます。だから、先輩が謝らないでください」
顔を拭き終わったタオルを、彼女は僕に渡す。
タオルは几帳面に折りたたまれていた。
「さっきの話なんですけど……先輩は今まで通り妹さんを見守るだけでいいんじゃないでしょうか……妹さんは、きっと今楽しいんでしょうね。新しい生活が始まって、大人への第一歩を踏み出したんですから……そんな立派な人に出来ることなんてないですよ」
すごいなぁ、と彼女は小さく呟いて、コトネが出ていった僕の部屋の出口を見ている。彼女は小さく笑みを浮かべていた。その微笑みは、少し儚さを含んでいる印象を与える。何故だろう、僕はその様子を見て、彼女が今にも消えてしまいそうだと感じてしまった。
「そうだね」
僕は彼女の呟きに同意した。
妹は凄い、とりあえず今はそれで納得することにしよう。
その誤魔化しが、いつまでも続けば幸せなのかも知れないと、僕は思った。




