01 訳の分からないまま
よく晴れた空には、雲一つ浮かんでいない。ここはとにかく広い公園。見渡す限りぐるりと青い芝生が広がっていて、バイクに乗っても端から端まで十分はかかりそうだ。滑り台やロープなどの遊具も充実しており、ここにいる人は小さな子供とその親たちが多い。無論ジョギング中の若い男も、談笑しながら散歩する老人もいる。
彼らはみんながみんな金髪、白髪などで、黒髪はいない。それだけならまだいいが、赤や緑などの髪の人も大勢いる。まず日本ではない。
その隅っこにある気のベンチに、呆然とした様子の少年と少女が座っていた。
「……おいおい、これって夢だよな? 解」
黒髪黒目の典型的な日本人高校生――六文字ロアが、隣に座る青髪の少女へ話しかけた。
解と呼ばれたその少女はぽかーんと口を開けていたが、ロアに頬を叩かれて意識を取り戻す。
解は日本にいた時から青髪青目だ。長い青髪は今は束ねておらず、ベンチに届いている。ずっと浴衣を着て、肩には薄茶色のかわいいブランドバッグを下げている。そして頭の上には一対の猫耳があった。曰く解はばけねこという種族だそうで、コスプレではないらしい。
「あはは……不思議だね、ふたりで同じ夢を見るなんて……」
苦笑気味に呟く解はかばんからスマートフォンを取り出し、マップのアプリを起動した。ロアがその画面を横からのぞき込む。
「……電波が届かない?」
「んなわけねーだろ、こんな賑やかな場所なのによ」
しかし何度目をこすっても、何度まばたきしても電波のアンテナは一本も立っていない。画面には、既に端末に保存されていた新宿のシンプルな地図が表示されるだけでどこにも現在地を示すピンは立っていなかった。
「ねえロアくん」かばんに手を突っ込み、何かを取り出す解。「こんなのはどうかな」
解が取り出したのは日本の小説で、典型的な異世界転移ものだった。
「……ちくしょう、明日正式リリースだったのに……!」
公園から出て大通りを歩けば、ますますこの世界が異世界に思えてきた。
道はきれいに石のパネルが敷き詰められていて、その両隣に地味でも華美でもない、趣味のいい建物が並んでいる。青果店や肉屋などをはじめ、魔道具屋やら冒険者ギルドやらもある。異世界確実案件にロアは頭を抱えた。いっぽうの解は結構けろっとしている。
ベータテストの時からやっていたゲームのリリースを目前に控えた時に異世界転移。ロアは自分の不運を嘆いているが、くよくよするのも気分ではないのですぐにしゃきっとなった。切り替えが速いと解は感心する。
「そうだ!」小説を歩き読みしていた解が、ふとかばんから何かをロアに手渡す。「剣持ってる人もちらほらいるし……護身用に。あげるよ!」
手渡されたのは白く輝くライフルだった。
「ロアくんならVRゲームで百発百中だったし。私みたいなか弱い女の子をしっかり守ってね?」
ああ、まあ、と曖昧に頷く。
ロアは日本にいた頃、VRゲームではスコープも覗かずに眉間を正確に撃ち抜ける技術を持っていた。本人は自覚していないが、たぶん敵う人は日本にはいない。
「ただな。ゲームと現実は違うんだぞ」
「まあまあ。リアルでへたっぴだったら私が何とかしてあげるよ」
「何かできるんだったらか弱くねーだろ……」
歩きながら解に銃の説明を受ける。引き金の下にあるレバーをいじれば、実弾・ゴム弾・麻酔弾を切り替えられるらしい。そんなとっさの判断はできないと思う。
「いやー、それにしてもこの小説面白いね! ロアくんにもあとで貸してあげる」
「俺は活字恐怖症だからいらん――お?」
前の方で女の悲鳴が響いた。
突き飛ばされた女が地面に倒れ、黒い服の人――たぶん体格からして男だろう――が鞄を持って走り去る。
ロアの背筋に寒気が走った。おそるおそる横を見ると、案の定、解が悪い顔をしている。
解は男が走り去った道を指さし、
「それいけロアくん! ひったくり犯退治に出動だあ!」
ロアは大きくため息をついてから、全力で駆けだした。
誤って大変なことにならないよう、あらかじめ銃をゴム弾モードにしておく。ゴムならあんまり痛くなさそうにも思えるが、意識を刈り取ることくらい難なくできる。
ひったくり犯が角を曲がった。ロアは空気を限界まで吸い込み、息を止めて走り出す。こうした方が力が出る。
ロアも角を曲がると、男はちょうど細い路地裏へ入るところだった。もう少し遅れていれば見失っていたところだ。
路地裏を覗くと、男は先ほどのかばんを開けて中身を物色していた。帽子を目深にかぶり、顔が見えない。少しだけ見えた口のあたりにはまともに剃られず伸びた濃い髭がある。
ロアは路地の前で立ち止まり、銃を向ける。
「おい、両手上げろ!」
突然の大声にひったくり犯だけでなく周囲の人間も少しロアへ注目する。ロアはひったくり犯が鞄を捨てるかと思ったが――
「何だそのおもちゃは? そんなもんで人殺せるわけねえだろバーカ!」白昼堂々悪びれもせず、男はかばんを地面に雑に置くと、懐から短剣を取り出す。「正義の真似事なんかするからだ! おこちゃまは引っ込んでろォ!」
そう。この世界にライフルは存在しないのである。威嚇にならないのが、ロアの見落としていた銃の欠点だった。
ナイフを持ってつっこんでくる男。周囲の人々から悲鳴が上がる。
ただロアは、慣れた手つきで引き金を引く。
「ッ――!?」
「あいにく、これおもちゃじゃねーんだよな。短剣より強いぜ」
三発のゴム弾がみぞおちに直撃し、痛みで武器を取り落とす男。現実で凶器を向けられたという、ゲームでは味わうことのない恐怖心を押さえて銃を構え、男の眉間も撃つ。
どっ、と音がして男が地面に倒れこんだ。意識はないが息はあるので、たぶん周りの人が警察に突き出してくれるだろう。
ロアは少し震える手でかばんを拾い、今度はゆっくり歩いて解たちの場所へ戻った。
「戻って来たぜ」
「おお! まさかほんとに戻ってくるとは思わなかったよ!」
ひったくりにあった人が誰か忘れたので、解に鞄を手渡すと解から返してくれた。
「えっ……えっと……」
未だ状況に気持ちが追い付かない様子の女性。解が何やら説明してくれている。
「敵は放置してきた」
「だって、警察さん」
解がくるっと後ろを向くと、槍のようなものを持った男たちが三人走ってきている。ようやく来たことに呆れにも似た感情がロアの中で生まれるが、車もバイクもない異世界では仕方のないことなのかもしれない。
ささっと解がまた事情を説明すると、一人がここに残ってあとの二人は路地裏の方へ走っていった。ひったくり犯を確保するのだろう。
「あ……ありがとう、ございました!」
ぺこりとお辞儀する被害者の女性。警察の人も「協力、感謝する」と言って一礼した。ロアは「人として当然」と格好をつけようとしたが、ちょっと疲れたのでもう離れたいらしい解に襟を引っ張られて首が締まり、蛙のような声を出してしまった。
おはようございます。館翔輝です。
ついに連載小説に手を出してしまいました。申し訳ない。
この物語は六文字ロアくんと解さんが頑張って日本に帰ろうとするお話です。ちょくちょく変なトラブルに巻き込まれると思いますが、応援してあげてください。
なお、この小説は不定期投稿です。作者の身に異常事態が起きなければ三日に一回を目安に投稿しようとは思いますが、なかなか気分が乗らない日もあると思いますので大目に見てください。
ついでにあとひとつ。これは『レッドゲーム・エンデヴァー』という、僕の短編小説の続きとなっています。これを読むとロアくんと解さんの関係性がなんとなくわかると思いますので、ぜひ読んでみてください。
ありがとうございました。次回もぜひよろしくお願いします。