3話 はじめての吸血編(一)
「吸血か……」
吸血鬼として生きていくためには――まずは吸血の仕方を学ばないといけない。父は吸血鬼ではないし……学ぶと言っても、誰かに教わることができない現状、自分なりに手探りで血を吸うしかないのだが。
問題は、誰の血を吸うかだ。
真っ当な人間を襲うのはのは気が引ける。もし殺さない程度にセーブできるなら、誰彼構わず吸血してもいいだろうが、その程度が分からないから、最悪殺してしまうことも考慮しておかねばならない。
けれど。
「この身体だからな……まともに立つことすら、ままならない」
独り言のたびに、電撃のように全身を駆け巡る激痛に、顔を顰める。人間だった頃なら、地面を転げ回って泣き叫んだろう。
今は吸血鬼だから、耐えようとして、耐えられないことはない。
それでも、外を出歩くのは厳しそうだ。
肉が裂けるような痛みを一歩ごとに味わうなんて、想像するだけで足がすくんだ。
「どうしたもんか」
うーん……。
「あ」そういえばと、空中に浮上したままのステータス・ウィンドウに目を向ける。「スキルに霧化なんてのがあったよな」
ゲームやアニメに登場する吸血鬼。前世で得たありったけの知識を総動員して、このスキルの使い道を考える。
「多分、読んで字の如くなんだろうけど……」
目の前の空間に、片手を突き出す。
『霧化』胸中で念ずると、指先から変色がはじまった。
病的に白かった肌がみるみる内に黒くなる。それはまるで、闇に浸食されていくようだ。
視線の先で、手の輪郭が崩れた。
黒くなった手は霧となって、空気中に広がっていく。水面に墨汁が広がっていくように。
今ここに風が吹けば、僕の手は漂って、窓の外に出ていってしまうのではないか。
そんなことを思う。
だが、どうやらその心配は杞憂のようだ。
どういうわけか、霧になっても手の感覚があるのだ。
試しに握り拳を作ろうと意識してみると、宙に拡散していた霧が一箇所に集まった。
霧化していても身体の操作は可能らしい。
戻れ、と念ずると、一瞬のうちに霧が凝縮して、元通りの手が目の前に現れた。
「……なんじゃこりゃ」
なんでもありかよ、吸血鬼。
ともかく人間よりも便利な身体であるのは確実だが、しかしこの分だと、扱い慣れるには時間がかかりそうだ。
スマートフォンの多機能さに翻弄される老人の気持ちが、少し分かった気がする。
「さて、これで外には出られそうだけど」
問題は陽の具合だな。
目が覚めた時よりも、室内に差し込む光は幾分か弱くなっていたが、身体は外に出るのを拒んでいる。おそらく吸血鬼としての本能的な拒絶だろう――まだ、外出するには明るすぎるようだ。
「……そういえば」
父は――陽の下に出られなくなった息子を、どう思っているのだろう。
気味が悪くはないのか。
ベッドの上で生活するようになってから伸ばしっぱなしの髪を、指に巻き付ける。白かった。皮膚と同じように、毛髪までもが透き通るような白だった。
生まれつきこの髪色だったわけではない。
吸血鬼になって、肌も髪も色変わりした。
あまりにも異常な息子の変貌を、もっとも近くで見守り続けた父の心情――前世でも親になった経験はないので、その胸中は計りかねる。
だが。
きっと、並々ならぬ思いがあることだろう。
ほどよく焼けた褐色の肌と、少しくすんだブロンドの髪を持つ父の姿を、思い浮かべる。
「……」
なんの気もなしに――前世の父の姿を、今世の父に重ねてみた。
特に意図はない。
ただ、なんとなくだ。
「僕は……死んだんだよな」
この際、死因はどうだっていい。
僕は死んで、生まれ変わった。
あっちの世界に両親を残して――先立ってしまった。
とんだ親不孝だと思う。
胸のあたりがチクリと痛んだ。
吸血不足のせいだろう。
そう、強く思い込んで、シーツを頭から被る――二度と帰ることはできないだろう、もう一つの我が家を、脳裏に浮かべながら。
複数人の怒鳴り声で目が覚めた。
何事かと耳を澄ませる。
「――いい加減、払うモン払ったらどうだ? なぁ、フォルスの旦那さんよぉ!」
「払う! 払うからちょっと待ってくれ! ええと、ほらここに……こ、今月分の利子だ、これで文句はないだろう?」
「利子ぃ? 馬鹿言っちゃいけねぇ、こんなもん、半分にも届かねぇぞ! ふざけてんのかテメェ!」
「一発喰らってみるか? あぁ?」
「ひぃっ」
なんだなんだ……借金取り?
僕が寝ている間に何があったんだ?
「――まぁ待てよダイコ、オーデン」
先の二人とは違う、落ち着いた声。
声質から推測して、おそらく男だろう。
薄く笑っているようだ。
口角の上がった調子で言う。
「こいつを殴ったら、殴った分だけ金が湧き出るか? そんなことは有り得ない……お前らはどうにも短気で仕方がねぇな。よく考えてもみろ、スキルもない一般人が、五体満足じゃなくなって稼げるか?」
「そりゃあ……稼げねぇです、兄貴」
「流石は兄貴、俺達とは見えてるモンが違ぇ」
兄貴。
三種類の声が聞こえるが、どうもその中で一番位が高いのは《兄貴》と呼ばれている男らしい。話の内容を聞く限り、我が家には借金取りが来訪しているようだ。
それも、荒々しい連中が来ている。
一体、どんなところに借金作ったんだよ、父さん……とは、おおもとの原因である僕が言えたことではないが。
少なくとも、真っ当な奴らではなさそうだ。
「当然だろうが。俺ぁ、お前等みたいな下っ端とは格が違う。なんといってもスキル持ちだからな!」
ハハハッ!
なんとも耳障りな笑い声だ。
「へへ、兄貴のスキルの前にゃ、俺達なんて足元にも及びませんよ……」
「無能の俺らがこうやって幅利かせてられんのも、兄貴のお陰っす」
――どうにも違和感がある。
その、父さんも言っていたが……スキルとは、そんなに希少なのだろうか?
僕、四つあるけど……。
吸血鬼補正ということだろうか。
「おうおう、分かってるじゃないか無能共!」
ひとしきり愉快そうに笑ってから、《兄貴》は「さて、フォルス」と父の名を呼んだ。
「は、はい」
「お前、金にアテはあるのか?」
「それは、まあ……」
「ならいつまでに返せる? 有耶無耶にするなよ、具体的に言え。……俺等だって、子供思いの親父さんから金回収すんのはつれぇよ。だがな、こちとら仕事でやってんだ」
ドン、と机かなにかを殴る音。
「返せねぇなら――働いてもらわねぇとな」
「そんな……」
「なぁに、心配すんなよ。幸い斡旋は俺等の本分だ。そうだなぁ……オススメは炭鉱で死ぬまで地面堀ったあと、臓物引き摺り出されて黒魔術の素材になるコースだ」
「私には病の息子が!」
「そっちはそっちで有効活用してやるから安心しな。病気が完治したガキに再会できるかもしれねぇぜ――あの世でなぁ!」
連れて行け、と男が命令する。
「やめろ、やめてくれ! 逃げろエルッ! 逃げてくれ! お願いだ、逃げて――」
「うるせぇよ」
ゴンと鈍い音がして静まり返った。
それから、ギシギシと床の軋む音が、段々とこの部屋に向かって近づいてきているのが聞こえてきた。「ったく、しょうもねぇおっさんだな……あれのガキか。果たしてどんなもんかね」
……さて、どうしたものか。
ここまで会話を盗み聞いていた僕だが、どうやらベッドの上で悠長に考え事をする暇はなさそうだ。我が家の部屋数はそこまで多くはないので、しらみつぶしに僕の居場所を探るつもりなのだとしても、あと一分もせずに、《兄貴》はこの部屋に到達するだろう。
早急に取るべき行動を考えなければ。
選択肢は二つ。
逃げるか、戦うかだ。
できることなら後者を選びたい。
僕は網谷健人であると同時に――フォルス・ハルターの息子、エル・ハルターでもある。
エルとしての僕は、すぐに父親を助けに行くべきだと叫んでいた。
しかしそれは、得策ではない。
まず勝率が低い。
相手の能力も分からず、自分の能力の使い方も分からず……おまけに瀕死の状態だ。
父親を助けたいのはやまやまだけど。
だが、それは今やることではない。
「……逃げる、か」
唇を噛み締めながら呟く。
父さんには――感謝している。
こんなになった僕を。
こんなに成り果てた僕を、それでも息子として扱い、借金を抱えてまで救おうと、躍起になってくれた人だ。
本当は今すぐにでも奴ら三人組に襲い掛かりたい。吸血衝動とは別に、殺意のみで、まだ見ぬ悪党どもの首筋に、深々と牙を立ててやりたかった。
けれど、僕にはまだ力が足りない。
圧倒的に経験が足りない。
「……」
『霧化』——煮えたぎる激情を抑え、念じる。
全身をどす黒い霧にして、ベッド上の小窓から家の外に逃げ出す。
眠っている間に、外はすっかり夜になっていた。
暗闇に紛れて、僕は地上を見下ろす。
三つの影を睨みつける。両足を地面に引きずり、二人の巨漢に肩を担がれ運ばれていく父を認識すると、全身が怒りに震えた。
「待っててよ、父さん。必ず、助けに行くから」
前世は親不孝。
ならば今世は、少しでも親孝行に努めようじゃないか。
念願のスローライフはそれからだ。
まずは、目の前の危機を片付けよう。
固く決心して——僕は夜の町に忍び込んだ。
今のところは2日に1話投稿ペースを保てている……!
来週も頑張ろう……!