こんな夢を観た・番外編「初フライト」
夕闇迫るクルマの中、ハンドルを握る井上祐子がたずねる。
「忘れ物はないよね?」
「だいじょうぶ。家を出るとき、ちゃんと確認した」ともこは自信たっぷりに答えた。
「まあ、いま言ってもしかたないんだけどね。引き返すっていったって、往復で2時間はかかるしさ」裕子はカラカラと笑う。
2人は札幌に住んでいる親友同士。裕子は生まれも育ちも札幌という、まさにドサンコ。ともこは大学に通うため、東京から2年前にやってきた。
「東京に行ってみたい」という裕子を同伴に、春休みを利用して、東京へ戻る途中だ。
裕子の運転で、札幌から新千歳空港へと着いたところだった。
空港に入るなり、ともこは声をあげる。
「うわあ、めちゃくちゃ混んでる! 飛行機、座れるといいけど」
「座れなかったら困るじゃないの」裕子はあきれた。「あ、そういえばあんた、フライトは初めてだったっけ。来るときはフェリーだって、まえに言ってたもんね」
「うん、兄貴がさ、大の飛行機嫌いなんだ。鉄の塊が空を飛ぶなんて論理的じゃないって。そんで、わたしもなんだか不安になっちゃって。飛行機のことはともかく、それ以外のことじゃ、兄貴はいつも間違いないからさあ」
「あー、いるいる、そういう人。いまどき、飛行機が怖いってどうよ。だって、クルマの交通事故なんかよりも、ずっと墜落の確率は低いんだから。それこそ、宝クジに当たるようなもんなのよ」
「へー、そうなんだ。わたし、クジ運悪いからだいじょうぶかな」ともこはそっと胸をなでおろした。
「それよか、内地に行ったら案内お願いね。わたし、生まれてこの方、道内から出たことがないのよ」裕子は心細そうに頼む。
「ませてといて。うちの地元に『すずらん』っていう、いい感じの喫茶店があるの。そこのスペシャル・イチゴ・パフェがさいっこうなの。案内するわね」
「うんうん、ぜひお願い!」甘いものに目がない裕子は目を輝かせた。
面倒な搭乗手続きを済ませ、ようやく機内に入る。ともこは窓側の席だった。すっかり夜になっており、空港からもれる明かりが顔を照らす。
「なんだかドキドキする」ともこは両手をもみし抱きながら言った。
「わたしも。岩手に親戚が住んでるんだけど、そのときに何度か飛行機を利用したことがある。でも、離陸するまではやっぱり緊張するなー」
「こっち側ってちょうど東を向くのよね。太平洋のほう。だったら、日付変更線、見えるかな?」ともこが言い出す。
「えっ」裕子は耳を疑った。その様子から察したらしく、ともこはあわてて言葉を換えた。
「あ、見えるわけないよね。さすがに遠すぎるか」
「そうじゃなくて――」
「それに、夜だもんね。ごめん、変なこと言っちゃって」
なんてはんかくさい子だろうと思ったものの、口に出しては、
「札幌に戻る昼の便では見えたらいいね」
およそ1時間半のフライトの後、ともこと裕子は羽田空港に到着した。
「あー、よく寝た」ともこは大きく伸びをしながら言う。
「わたしも。初めのうちはワクワクしたけど、慣れてきたら退屈になったね」
「外は真っ暗だから何も見えないし、そのうち本当に空を飛んでるのかも怪しく思えてきちゃった」
「それはないって。だって、離陸するところ、ちゃんと見たし」裕子は大笑いした。
「飛んでからっていうもの、あんた、ずっとスマホ見てたよね」と、ともこ。
「だから、退屈だったんだって。あんまり大きな声でおしゃべりもできないし、トランプでも持ってくればよかった。いまは便利よね。昔は、飛行機の中じゃ、スマホをちょすのはダメだったらしいよ」
「そうなんだ。その頃の人って、どうやって暇を潰してたんだろう」ともこは気の毒そうに言葉を継ぐ。
ゲートを出たところで、数人がこちらに気づき手を振った。
「あ、兄貴達が迎えに来てるっ」ともこはキャリーケースを引っ張りながら駆け寄る。
「待ってったら、ともこ」急いでその後を追いかける祐子。
「おおっ、よく無事に鉄の塊で帰ってこられましたね」志茂田ともるが安堵の声を漏らした。
「何いってやがる。飛行機ほど安全な乗り物はないんだぞ」桑田孝夫がばかにしたように横で笑う。
「そうよ、あんたって知識は豊富なクセに、どこか考えが古くさいとこあるのよね」中谷美枝子もあきれていた。
借りてきた猫のような裕子に、ともこが紹介する。
「こちら、わたしの兄貴のともる。その隣が桑田さんと中谷さん。兄貴の幼なじみで、わたしのお兄ちゃんとお姉ちゃんみたいな人」
「あ、初めまして。井上祐子と申します。ともこには、いつもお世話になってます」ぺこりと頭を下げた。
「いやいや、お世話になっているのは間違いなく、ともこのほうでしょう」志茂田は、そうに違いないとばかりに断言する。
口を尖らせるともこだったが、じっさい反論はできなかった。
代わりにこう言ってやる。
「兄貴って飛行機もそうだけど、もっと怖いものがあるんだよ」
その場に居合わせた者、全員が興味深そうに耳を立てた。志茂田本人をのぞいて。
「その怖いものって?」裕子は好奇心をおさえきれず聞いた。
「お化け。幽霊なんかいないっていつも言ってるクセに、いまだに暗がりが大っ嫌いなんだから。夜、寝るときもタッチ・ライトの1段目をつけたままなのよ」
今度は志茂田が黙り込む番だった。