迷宮に咲く花のように
酒場の質は匂いで分かる。
低級の探索者ばかりが集まる酒場は、喧騒、熱気、アルコール、吐瀉物の匂いがする。
少し稼げるようになった中級の酒場では、蜂蜜、女、汗の匂い。
そして、迷宮に身も心も捧げた凶人ばかりの酒場では、葡萄、火酒、そしていつも血の香りがした。
「見ろよ、あの女」
「随分と上玉だが、ここらじゃ見ねえな。探索者じゃないだろ、誰の客だ」
女が1人。腰には直剣。長さはバスタード。皮のグローブは柄の形に跡が付いている。軽装戦士の出で立ちだが、少し歩き方に違和感がある。
普段はおそらく中装だろうか。軽装にしては剣が長くて足が遅そうだ。女であれば尚のこと。おそらく剣だけは普段から使い慣れている武具なのだろう。歪な武装はおそらく騎馬兵のもの。騎馬上でも相手に届く武器が必要だったのだ。それは司令官だから。よほど特殊な事情か、良い血か。
花の香りのする、どこか色気のある女だった。
右利き。右の手のみにガントレットをつけている辺り、普段は左にバックラー辺りを身につけているのだろう。騎馬上では片手で振り回し、地上では盾を投げ捨てて両手で操る。
貧相な装備だが、戦士としての経験はなかなか。訓練は積んでいそうだけれど。
けれど、それはこの町の外ではだ。
コイツはダメだな。役に立たない。戦士の目にある狂気がない。コイツは貴族であって探索者じゃない。ゴブリンにも簡単に殺されてしまうだろう。
「酒をかけられていて、隅で1人で飲んでいる。ローブを羽織り、鈍器のような杖を持った魔術師。探索者の中でも異端で嫌われ者」
初対面とは思えないような言われようだ。まあ事実だが。
「あなたが噂のはぐれ魔術師かな」
「噂の魔術師ね。まあ良い。それはおそらく俺のことだ。それで、遠路はるばる何の用だ。お嬢さん」
あまりに弱々しい、魔力、気力、膂力。どれを取っても人並み。実戦経験もありそうだが、後方指揮官だろう。それなりに整った顔、戦士らしからぬ長い髪。
十中八九貴族の娘だろうな。
忌々しい。
追い返してしまいたいところだけれど。
「仕事だよ。魔術師殿」
そうもいかないらしい。仕事か、そうか。酒なり夜の誘いであれば少しは楽しめそうだが。全く旨みのない。陰鬱にもなる。
噂のはぐれ魔術師とは、俺も有名になったものだ。どんな噂だろうか。女好き、パーティーメンバーのいないはぐれ者。上級魔術師。あるいは仲間殺しか。碌な噂でないのだろうし、そんな男を頼ってくる女に碌な人間はいない。
それは女に限らずだが。
まあ、仕事というなら話だけは聞いてやるとしよう。
しかし、良き商談相手たり得るかは、別の事だ。そして上品な貴族相手の時はいつも無駄な争いが生まれてしまうのだから。
「ローグのヤツにお客さんだってよ」
「まじかよ。娼婦には見えねえがな」
「似たようなものだろう。ガハハ」
例えば、あの馬鹿共だって、生き残った探索者だ。等級で言えば2つ星か1つ星。何か偉業をなした英雄だ。身なりも血統も知恵も貴族より劣るだろう。だが力だけは本物なのだ。そりは合わなくても力とやり方は信頼できる。
その意味では、たかがボロ酒場では有るけれど、英雄ではない有象無象、ただの戦士にここは分不相応だった。つまり今俺と対面している女のことである。
ただの農民ならまだ良い。
いつだって貴族というヤツは傲慢で、短気で、上品かつ下品なのだ。いつも紛争は貴族が持ち込んでくる。全く以て気に入らない。
今に身分か金をちらつかせてくる。
その金も大金があるなら良い客なんだが、支払いを渋ることすらある。俺を頼りに来た時点で追い詰められているから、支払うことが出来ないのかもしれないが。何にせよ貴族という存在そのものが、やはり気に入らないと思ってしまうのだった。
「そんな気だるげな目をされても困ってしまうんだが」
「ふん、まあ良い。どこだ」
俺に頼むということは、よほどの難題か。それともどこかで救ってくれると嘘でも教えられたか。何にせよ切羽詰まっているのは間違いないのだろう。
「第7。アムステラ、13層」
「迷宮でも未開領域だな。危険だ。頭数は俺を含めて18人は欲しい。1人はあんたを含めるとしても、それなりに金がかかる。そうだな、最低でも位階6以上は必要だ。主戦力は位階10以上それ以下では道中すら持たんだろう。俺のほかに上位探索者が居ればなお良し。今から頭数を集めるのなら、おそらく2月から半年がかりの仕事になるだろう。報酬は1人金貨100枚は欲しい。その他出費を含め金貨5000枚もあれば……」
「あなたと私の2人だけ。期限は1月。なんとかできないかな」
随分と無茶な要求だ。よほどの世間知らずか。この街に来て日が浅いのだろうが。
「話にならんな。帰ると良い。出口はあっちだ」
こういう輩はどうせ諦めやしない。大方、詐欺師辺りに騙されて数日後には通路の隅に転がっていることだろう。
何より。
「今は、金に困っていない。だろう、魔術師殿」
「よく分かっているじゃないか。正確には危険な仕事を請け負う必要がないぐらいには。――どこで調べた」
「丘の上の教会で。秘密だったの、随分あっさり教えてくれたけど」
おそらく、銭ゲバシスターの事だろう。いつもながら口が軽い。いくらで話したのだか。
今度合有ったら文句の1つでも言わねばなるまい。二度と会いたかないが。
「だから仕事は受けない。期間も条件も最悪だ。一度頭を冷やして出直してくるんだな。あんたに相応の報酬が払えるとは思わないが。言いたかないが、あんた探索者を舐めてるだろう」
「頼む。私は諦めるわけにはいかない。金ならあるだけ出すから」
「ならば金貨で7000枚。それだけ出せるのなら、協力してやる」
それにしたってほとんどは、無理な期間で目標に到達する為に消える。俺の手元に残るのは500枚程度だろう。それだけ、この女の要求は難題にすぎる。
「それは。それだけの金は私には」
「帰れ。それとも他に差し出せるものがあるとでも」
「そうそう、嬢ちゃん。おとなしく帰りな」
「この魔術師様は女癖が悪いことで有名なんだぜ、食われちまう前に逃げ出した方が賢明だ」
いい酒場も所詮は酒場。品性に差は存在しない。まあチンピラに絡まれて少しは反省すれば良い。チンピラはチンピラでもまごうことなき英雄級の戦士だが。
「何でもやる。金も出せるだけ出す。何なら奴らが言うように私の身も差し出そう。見ろ、男の喜ばし方は分からないけれど、これでも顔は良いと言われるんだ。だから頼む。もう私の主には後がないんだ」
貴族の娘の価値か。いかほどか分からないが、それには俺が納得できるだけの価値があるのか。ないな。いい女では有るが、それだけじゃ到底足りない。
けれど、貴族らしからぬ判断だ。口調からして他人のために命も、プライドも賭けられるとは。貴族であれば、プライドは命よりも重いものだろうに、探索者という身分弱者にそこまで曝けるか。
貴族よりも貴く、それは人として何より価値がある。優しき心。素晴らしい覚悟だ。だが、俺が命を賭けるだけの価値があるか。
無い。
覚悟だけじゃまだ足りない。
「頼む」
歪む表情。頭をテーブルにこすりつけ。額が赤く染まっている。瞳には涙が溜まり、それは純朴な少女のようだった。
哀れだとは思う。出来たら手助けをしてやりたいとも。けれど、気の迷いで向かうには、深層は危険だった。
「おいおい、無視かよ。そいつがなぜ悪党と呼ばれているか分かってんのか。そんな事なら俺たちと」
「触るな」
チンピラが女の肩に触れようとした瞬間。銀の光が煌めいた。チンピラの首を両断する直剣は、無造作に引き抜かれた短剣に阻まれている。英雄とはそういうことだ。
不意打ち?警戒。リーチ。そんなものは関係無い。竜すらも屠れる上級探索者に、ただの生娘があらがえるとでも。馬鹿馬鹿しい。
だが良い殺意だ。
短剣は刃先から根元へと遡り、女の首元に吸い込まれる。そして命のやり取りに関しては、探索者とはとてもシビアだ。脅しじゃない。
「レポルシオ」
呪文によって指先から生み出される力の奔流。それはチンピラと女をまとめて吹き飛ばし、背後のテーブル諸共、壁に縫い付けた。
力にあらがうには力を。それが迷宮の鉄則であり、初めに学ぶこととなる、たった1つの信じるべきやり方である。
「女。話だけなら聞いてやるよ」
この町には3種類の人間が存在する。
1つは探索者。ダンジョンに潜る穴蔵屋。化物殺しの化物ども。俺たち正気を失った人でなし。コレに関しては詳しく説明するまでもあるまいて。この世界で最も凶暴な戦争屋もこれには敵わないという事らしい。
1つは探索者相手の商売人。金で命を遊ぶ外道共。薬草1つで探索者を絞り尽くす愚か者。探索者を金で操っているように見せて、何というか探索者に相手にされてない馬鹿共でもある。賢いヤツは凶人と関わろうとしない。低層で手に入る品を捌く行商を主としているらしい。間違っても新米探索者は宿や武器屋を使うべきじゃないのだけは確かだ。
最後の1つ、そしてこの町を本当に支配しているのが、聖職者だ。
「神父、奥の部屋、開いてるかな」
「おやおや、ディバル様。シスターアマリリスは不在ですが」
「構わない。もしシスターが帰ってきたら、彼女に奥にいることを知らせて欲しい」
銀貨を1つ握らせれば奥の小部屋へ案内してくれる。教会のほぼ中央に存在するこの部屋は言わば安全地帯。商談中に襲撃されることもいかなる暗殺者からも話を聞かれない。教会の抱え暗殺者を除けばだが。
同業者と争いにならないと言うだけでありがたがられるというものだった。
教会は、暗殺者を初めとした独自戦力を抱えた第三勢力。総戦力でなら、少数先鋭の探索者も凌駕する、銭ゲバ共だ。
教会は迷宮に潜らない。いや、修行僧が1人や身分を偽って己を鍛えるとは聞いたことがあるけれど、教会連中の最大の役割は違う。
それは第10級相当呪文の行使。即ち奇跡の行使である。
その度に多額のお布施を要求されたりもするが、この町とは切っても切り離せない重要な存在だった。
「なぜ金を払ってわざわざこんな所へ、私の宿でも良いと思うけど」
「あんたの財布から出たわけじゃあるまい。気にするなよ」
「安全なんだろうね」
「あんたの部屋よりはよほどな。ここなら行為の最中だって安全だとも」
実のところ、俺の部屋ならある程度安全だっただろう。そのために高い金を払っている。けれど明らかに外の人間を警戒しすぎても致し方ないけれど、気にしなさすぎるのも失礼だろう。
なに、銀貨一枚ぐらい、この女への投資としては安くつくだろう。そんな打算もありつつ、話ぐらいは聞いてやってもいい。そう思ったのだ。
「意外と下品なヤツだな」
「おや、お嬢様には刺激が強かったか。気にするな。しかし覚えておけ。この町では仲間も信頼はしても信用するな。裏切られたときに賭けるのは自分の命だ」
金すらも信用ならないこの町では、信頼できる力を持つ仲間すらも常に味方とは限らない。全てを疑えばままならないけれど、このような手順を間違えないことが裏切られないことに繋がるのである。
「しかし元気だね。さきほど首を飛ばされ賭けた娘にしてはなんとも。脳天気というか」
「ついでに失礼だな。一応私は依頼主だぞ。こちらも覚悟を決めてやってきているのでね。娘だとしても遊びじゃないのさ。それに私だって」
「そうかい。それ以上は結構だ依頼主の心情は気にしないことにしている」
覚悟ね。何の覚悟だ。命を賭ける。死ぬ。それとも使命を全うする。ただのお手つきで死にかけた女が。笑わせる。
ジョークにしては上出来だ。覚悟じゃ相手は殺せやしねえよ。
「確かアムステラだったな。最近発見された第7の迷宮」
「ああ、現状13層までしか探索されていない。未知そのものだ。私にとっては迷宮なんてどれも同じようなものだけれど」
「何が目的だ」
迷宮は様々なものを生み出す。歩く屍、空飛ぶ獣、醜悪な小人。そして財宝、武具、最後にアーティファクトだ。どれもが地上では再現できない希少な品々。この町の外では大層重宝されるらしい。
この町じゃ大抵、二束三文で買いたたかれるのがオチだが。
今回のように行き先が決まっていて、それも深層となれば、それは何かしら特定のアーティファクトが必要とされていることに違いなかった。
「アムステラは繁茂する洞窟のような様相のダンジョンさ。私は入ったことがないんだけどね。他の迷宮と違う怪物、異なる構造、なかなか過酷な迷宮だと聞いているけど、その13層の昇降リフト近くに花の楽園という場所があるらしい。そこに咲く花が必要なんだ」
「花か。随分とメルヘンな要求じゃないか。そこらの平原で摘んできたらどうなんだ」
武具でも秘薬でもなく、花とは。箱や、宝石よりは容易そうではあるが、命を賭ける価値があるのやら。
「ただの花じゃない。そこを発見した探索者は怪物と戦闘になり負傷したそうだ。倒しても倒しても、次々現れる敵。まるで水場に迷い込んだかのような有様だったそうな。追い詰められた所、ある場所にだけは、敵がやってこないことに気がついた。そこは花園。迷宮にあるまじき花の楽園だったそうな。しかし長居することは出来ない。辟易とした探索者は逃げ出す最中、そこにあった最も美しい花を呪いも籠めて、摘んだらしい。果たして恩恵があったのか。そうして彼らは死者を出さず、無事に地上に帰る事が出来たんだそうな」
よく聞くような話だ。その場所は酒場だが。
「おい、話が長いぞ。俺は吟遊詩人のバラードを聴きに来た訳じゃない」
「あと少しだ、聞いてくれ。その花は無事地上に持ち帰られ、ある人物の手に渡ることになる。私の主人だ」
「はあ、それで」
「私の主人は病に伏していてね。万病に効く薬、呪い、様々と試したが効果がない。いよいよダメかと思ったそのとき、藁にも縋る想い、遙か遠くから手に入れた霊験あらたか花を煎じて飲んだところ、少しだけ病がよくなったんだよ。奇跡かと思った、奇跡だったんだ。体調は数日、歩くことが出来るほどに回復して、そして急速に悪化し始めた。花には一時的な効果しかなかったんだ。薬草医が言うには、根本的な治療にはこの花の種を手に入れるか、大量の花が必要らしい」
「それの出所が第七迷宮か」
「そう、迷宮に咲く一輪の花。それが私のターゲットだ」
この女は簡単そうに言うが、幾つも問題がある。決して実現出来やしない、バラードのような夢物語と変わらない。しかしながら、この女からは冒険と金の匂いがするのも確かだった。
「話は分かった。それじゃあ商談といこうか。その依頼、条件によっては受けてやるよ」
「本当か」
「早まるなよ。まだ決まったわけじゃない」
いかなる迷宮も下層に向かうにつれて難易度は上がる。凶悪な罠、強靱な怪物、長い道のり。長い歴史でノウハウが築かれている探索も、どんな猛者だって安心安全とはならないものだ。
本来13層など、熟練が半年近く時間をかけて探索するところ。
3パーティーでの合同探索、18人で迷宮を同時にマッピングすれば、二ヶ月でたどり着くことは出来るかもしれない。
それを1月で探索するというのは、あまりに期間が短すぎる。その上2人でなど絶対にあり得ない。
「色々と言いたいことはあるが、まずは人だな。どんな理由があって2人でなどと言っているのか知らんがそれはあり得ん。最低でも回復役、斥候、前衛、残りに魔術師かヒーラーか。識別を使えるヤツなら尚のこと良い。ともかく4名、味方が必要だ」
前衛3名、後衛3名。それが今の迷宮探索の基本だ。それ以下の数で潜ることも出来なくはないが、おすすめできない。それ以上の人数で潜るのもっとダメだ。
「そういえば、ここのシスターも言っていたね。まずは仲間を集めろと。なぜ6名なんだい。私が言うのも何だが、極端な話、騎士を100人でも投入すればすぐさま制圧出来そうなものじゃないか」
「いくつか理由はある。通路の広さが3名が立ち回るので精々みたいな現実的な理由から、6名以上で潜ると呪い殺されるなんて与太話までな。ただ、一度どこかの王族が、迷宮に大勢軍隊を送り込んだことがあった。どうなったと思う」
「そんな言い方をするからには、身動きでも取れなくなったとか。それは指揮官が無能だったんだったんじゃないかな。数も使いよう。戦場では、とくに籠城戦なら10倍の戦力でもはね除ける事もある」
自分ならもっと上手くやるとでも言いたげだな。自信があるのは良いことだ。見当外れだが。
「全員食われちまったのさ。通常、迷宮から外にはアリ一匹出てこないが、あのときは天も揺らすような咆哮が轟いていたさ。おかげであの時は俺も昼寝から目が覚めちまった」
軍隊以上の数の探索者が迷宮に潜っている事なんていくらでもある。何が条件なのかも分からない。だが、数をかければなんとかなるなんて考えは愚か者の考えだ。
迷宮にもぐっている奴らは皆知ってる、力それを凌駕する力によって砕かれるのだと。
「まずはその辺りのズレを修正しなければ始まらないな。この町は見て回ったか」
「いや見ていない。私にはあまり時間がないから。速さが戦を決定することもある」
「なら、失敗だったな。同じ戦力がぶつかれば大抵、勝つのはより多くの知見を得ている方だ、故に探索者は怪物から生き延びることが出来る」
自信があるのは良いことだ、将としての素質はある。なら、見込みはある。折れても前に進む気力があれば、使えるかもしれない。
「俺のやり方に従うなら、依頼を受けてやる。ただし期限は保証しない。金もそっち持ち、道中の宝も俺が管理する。その代わりあんたを花園まで送り届けよう」
「本当か。恩に着る」
「後は報酬の話だ」
この条件なら俺に損はない。
思惑はあるがそれはそれ、毟れるだけ毟る。命を天秤に掛けるだけの価値を示せないのなら、俺は依頼を受けることは出来ない。
「その話、私も噛ませて貰いますよ」
部屋の扉を開け放たれる。金の髪を下げた修道女。どうやら待ち人が来たらしい。
「出たな銭ゲバシスター。俺の情報をコイツに売ったそうじゃないか、なあ。感心しないぜ。いつから教会はよそ者の味方になったんだ」
「私の名前はアマリリスです。探索者のくせに、よそ者の依頼を受けるあなたに言われたくないですよ。ローグは十分金に汚いですので」
「いつ聞いてもアマリリスって感じじゃないぜ、シスター。それでいくら積まれたんだ」
「余計なお世話です。それと大したお金は貰っていません。私はあなたに関して嫌がらせ出来る事ならいくらでもやると決めているだけです」
「そうかい。そりゃご丁寧にどうも。なら俺がシスターをこき使っても問題無いな」
修道女らしからぬ、言動と容姿。それでいて、教会の女らしく、細い体に秘められた高い戦闘力。金の髪をたなびかせた小さな女。シスターアマリリス。
位階にして15。教会の上級探索者。黄金のアマリリス。腐れ縁だ。
「ふふふ」
「何がおかしい」
「気にしないで。随分と仲が良さそうだったから、少し気が緩んでしまってね」
仲が良い?どこが。
アマリリスはやって来て早々、話も聞かずに乗り気なようだった。
この女、もしや盗み聞きでもしていたのじゃないだろうな。それならそれで話が早いけれど。この部屋で何が聞こえても聞かなかったことにしろと教わらなかったのだろうか。そもそも聞き耳を立てなければ、中の音など聞こえないだろうに。誰に教わったんだか、このエセ聖職者は。
「無視したようで申し訳ありません。改めて、私はこの教会の修道女をやっています、アマリリスです。無事にローグと会えたようで何より」
「その節はどうも。出来ればあなたも協力していただければありがたいみたい」
「良いのですか。以前はなるべく少数でとの事でしたが」
「ああ、自分の力不足は思い知ったよ。あまり大っぴらにされては困るけれど、6人が必要だというなら異存はないさ」
そういえば彼女は酒場で2度死にかけていた。首が飛ぶか、魔術に焼かれるか。片方はおれがやったことだが。
個人的には好ましいが、浅はかとも言える。もしかして探索者に自分の力が勝っているとでも思っていたのだろうか。
何にせよ、揉めなくて済むのなら何よりだ。
「それで、使える金はいくらだ。俺も探索者5名を雇えるとは思っていないが、何事にも対価は必要だぞ」
「すまない。今あるのは金貨で200枚。それ以上は出せる金貨がない」
金貨200枚。大金だ。だがあまりに足りない。
この町のぼったくり宿でも、贅沢をしなければしばらく暮らせる。それだけの金が有れば、商いを始めることも出来るだろう。国によっては奴隷も買える。農夫の命には足りるだろう。それだけの大金だ。やはり主ととやらも相当身分が高いのだろう。
だが足りない。命の対価には足りても、探索者の命の対価にはまるで足りない。
「こう見えて、この女は高位のヒーラーだ。アマリリスを使えるのなら、道のりをかなり短縮出来る。さてどうする。このシスターも俺も高いぞ、お前は何を差し出す」
彼女は剣の柄を撫でる。差し出せるものを探しているのか、条件の相違を気にしているのか。天秤にかけているのか。何かを想っているのか。
答えはすぐに出た。
「私の持ち得る全てを差し出そう」
「良し。契約成立だ」
「あーあ。金銭とかにしとけば良いのに。そんな事をこの色ボケに言ったら食べられてしまいますよ」
そうか、それは考えてもいなかった。すっかり迷宮に思い馳せてしまっていた。そうかそう言う受け取り方も出来るか。それなら。
「ああ。そんな話もあったな。採算が取れるかばかりを考えていたが、それも悪くないかもな」
軽蔑と恥じらい、怒りとそれともう一つ。なんとも言えない表情の女が2人。そこにはいた。
苦笑いになりつつ、聞き忘れていた事を尋ねた。
「それであんたの名前は」
「マリー。ローズマリー」
「それで、なんであの女を俺の所によこした」
「あなた好みでしょう。だって私に似ているもの」
「アマリリスと……どこが」
「似ていますよ。美人で素質が有って、何も知らない女の子」
「結局お前は俺の手元からはなれていったじゃないか、傑作だったと言うのに」
「なにメランコリーになってるんですか、気持ち悪い。いい年をして」
修道女らしからぬ、言動と容姿。それでいて、教会の女らしく、細い体に秘められた高い戦闘力。金の髪をたなびかせた小さな女。シスターアマリリス。
位階にして15。教会の上級探索者。黄金のアマリリス。
ローズマリーに教えた情報に嘘はない。けれど全てを語ったわけでもない。
彼女が神官としての身分を隠し探索者をしていた頃、俺は彼女とパーティーを組んでいた。仲間と言うよりも、弟子に近い。あらゆる知識、経験、愛を持って育てた。
良い弟子だった。良い探索者。良い右腕だった。良い道具だった。
オモチャを奪われたなんて小さな話じゃない。
「どうにも俺は人を育てる事に向いていないらしい。この間もそうだった。その点アマリリスはマシな方だった。この間の騎士なんて、勝手にくたばってしまったからな」
「ああ、迷宮封鎖事件の。それじゃあ、なんでマリーさんの依頼を受けたんですか。てっきり、あれも駒にしようとしているのかと思いましたが」
「駒とは失礼だな。迷宮で役に立つ道具であるのなら、どんな思惑や意思でも構わないとも……そういう思惑がもあったが、半分は好奇心さ。依頼内容は陳腐だが、あの娘はどこかおかしい。探索者のように何かに狂っている訳でもなし、ただ息をするように命を奪おうとした。かと思えば自分の命以上のものを俺に寄越すと言う。あまりに歪で気持ちが悪い」
「私には普通の女の子に見えましたけど」
「何にせよ息抜きだよ」
あれの物語の結末を少し見てみたくなった。
俺にとって、あの女は嫌いなタイプの人間だ。にも拘わらず、物語をのぞき見たくなった。ロジックじゃなく、ただあり方に心を引かれたのだ。
あれのような生き物を、英雄の卵と言うのかもしれないと。
「素直に、美人だから助けてあげたくなったでも良いじゃないですか」
「なんだ、妬いてるのか」
「いえ、違います。断じて違います。私はもうあなたなんかに興味はありません」
「ああ、そう」
「そうです」
そこまで拒絶しなくても良いじゃないか。
それでも協力してくれるというのだから、ありがたいが。
「取り分は探索で得た、財宝からで構わないな。どうせ金以外は信頼ならんとか言うのだろうが。ローズマリーにそれほどの財力はないらしい。ましてや花など興味ないだろう」
正直、上位探索者に足る報酬を渡すことは出来ないと思うが、そこは俺の取り分から見繕うしかないだろう。アマリリスも財宝が山ほど手に入るとは想っていまい。あわよくば花が高額で捌ければ良い。という所だろう。
「それなんですが。貰える分にはありがたいですが、そこにはこだわりません。ただ次回の探索でローグさんの手を貸して欲しいのです」
俺の手を借りる。それはアマリリスのプライドが許すのだろうか。俺は構わないが。
それほどの事態だが、急ぎではないということか。
「分かった。可能な限りの協力を約束しよう」
それなら少し余裕が出来るな。
金の心配が減れば最悪、シーカー無しでの探索も視野に入る。人がそろうに越したことはないが、この条件では難しいだろうしな。
「準備ができ次第、後日連絡する。それまでに感でも取り戻しておいてくれ」
「誰にものを言っているんですか。私はあなたの右腕だった女ですよ」
「そうか。頼んだアマリリス」
「――はい。所で、時間がないのなら今日から迷宮に向かった方が良かったのでは」
「バカ言え。仕事が決まったとなれば行き先は決まっているだろう、娼館だよ」
大きなため息を背中に受けつつ、楽しくなりそうだと、独りごちるのだった。
やかましい酒場になったものだ。葡萄酒でも飲んでいれば良いものを、火酒を片手に肉だけでは肴が足りないらしい。
「ローグが来たぞ。あれだけ暴れておいてよく顔を出せたものだぜ。成り立てのガキじゃ有るまいし」
「だが1人だな。また女を殺しちまったんじゃないか」
「ヒュー。さすが仲間殺しの大悪党。抱いた女すらも殺しちまうとは。おっかねえ」
「おいおい待てよ。って事はあの上玉もあいつに抱かれちまったのか。釈然としねえ。根暗な魔術師なんかのどこが良いんだか」
酒場には探索者が集まる。命を賭けて戦い、浴びるように酒を飲み、女を抱く。そうして成り上がった探索者が、酒のある所に集まるのは当然のことだった。安酒を扱うボロ宿に子供が集まり、良い酒場には生き残った探索者のみが残る。つまりこの酒場に居るのは、世の流れなど気にする必要のない、古強者のみ。
そもそも依頼で動くような奴らじゃない。
ましてや嫌われ者である俺が呼びかけて、手を上げるものは居なかった。
やはりここから残りのメンバーを探すのは不可能だ。マリーを育てる手間を考えれば、ある程度の実力者出なければ困るが、ここが当てにならないとなると要求を下げるしかない。中級探索者が使っている酒場から見繕うか。しかし、位階4程度の初心者では話にならないし。どうしたものか。
馬鹿なチンピラでもこいつらは優秀な探索者なのだが。こうも嫌われてはな。何よりこいつらは俗な依頼なんて受けないだろう。
「来たなローグ。また、ろくでもない企みを始めたんだってな」
「何の用だブルベガー。お前のような深層に魂を取り残された人間に用はない」
「なら単刀直入に聞こう。また迷宮に混乱を持ち込むんじゃないだろうな。迷宮の化物を目覚めさせるんじゃないのかと聞いているんだよ、悪党が」
「見当違いも甚だしい。気持ちが悪いほどの愚か者だよ」
「殺されてぇのか」
何でもかんでも俺が悪者か。全くこいつらは、普段何もやらない癖に。そんなに大切なら自分で管理でもしたらどうなんだ。なあ。
まあ良い。
「あれはどこかの騎士団が馬鹿をやっただけだろう俺は関係無いね」
「だが、あれの頭に迷宮を教えたのはお前だろう」
「それがなにか関係あるか。俺の手足になれなかったヤツが何をやったって関係無いさ。お前は自分が掘り出したアーティファクトの行き先全てに責任を持つのか。違うだろう。お前らが穴の中に何かを見ているように、俺は俺のやり方で底を目指す」
俺はお前達とは違う。お前達には止められないさ。
「何にせよだ、お前はこの酒場から除名処分だそうだ。つまり今後お前のこの酒場での勧誘行為は禁止される」
「なに」
「当たり前だ。お前が何度ここでトラブルを起こしたと思っている。立ち入りこそ禁止しないそうだが、事実上の追放だ。コレに懲りたら当面はおとなしくしているんだな」
ブルベガーはそれだけ言って離れていった。酒場が個人に干渉することはない。一部依頼を仲介することはあるが、人は自然に集まるだけだ。現に特別な資格が必要な訳ではない。
つまり、この措置は他の探索者共が酒場に掛け合って、俺を追い出そうとしていることに違いなかった。
元より俺に同じパーティーを続ける仲間はいない。だが、深層には1人では潜れない。こちらの首を死なないように絞める。そういうつもりなのだろう。
「実際効いたぞ。少し堪えた」
気に食わない。気に食わないが、俺にとってタイミングは悪くない。丁度仕事が入ったうえ。元からこの酒場の人間が使えるとは思っていなかったから計画に変更はない。ここに来たのは一応声をかける為だったが、このような態度を取られるほどだ。どうあってもわかり合えやしなかっただろう。
俺の名前を知らないような弱い探索者か、訳ありのはぐれものから使えそうな探索者を探すほかない事は、初めから分かっていた。
「ここは1つ、女の顔を使うとしようか」
「ここが迷宮か。案外、普通だね。いつか見た鉱山みたいだ」
「鉱山にしては広くうえに危険だがね。幸い崩落はあまり気にしなくて良い。俺たちが気にするべきなのは、いつ敵が出てくるかだ」
第2迷宮、ゴブリンホール。出現する敵の多くが小鬼妖精の迷宮だ。ゴブリンといえど下層にいけば当然危険だが、1層は初心者に向いている事で有名だ。良くこの迷宮に意気揚々と出かけて、二度と帰らない。
最も容易く、最も血を吸った迷宮。それがゴブリンホールの特徴だった。
「先に言っておくが、俺は手を出さない。たとえローズマリーが首をもがれ犯されたとしても、俺はそれを淡々と見ているだろう」
「ひどいな。けれどそんな事にはならないさ」
「だといいがな」
間違いなく。ローズマリーは、迷宮では通用しない。
「見ているのは構わないけれど、それなら一体何のために来たのさ。私の戦っている所を見てくれるというのなら嬉しいけれど」
「暢気だな。もう少し気を引き締めた方が良い。あまりにも簡単に死なれては困る」
まさか戦場にこの気楽さで行くわけでもあるまいに。まるで、上位探索者かのようだ。
「だってそうだろう、酒場では容易くやられてしまったらね。私の良いところも見て貰わなければ」
そういう所を暢気だと言っているのだが。陰気臭く体を引きずったり、ビクビクと足を震わせるたりするよりはマシか。
迷宮に入って数分。説明し終わったのを見計らったかのように正面に扉が現れた。
扉の中の様子は聞き耳を立てたぐらいでは分からない。確かめるためにはおそらく本職のシーカーか呪文を使わなければならないだろう。
迷宮では怪物との戦闘は避けて通ることは出来ない事柄だ。怪物は通路を動き回り、遭遇すれば戦闘は避けられない。逃げ出すとしても、多少の手傷は覚悟しなければならないだろう。逃げに徹すれば、少ない損耗で奥に進むことも出来る。怪物を殺した経験も宝も手に入らないが、御しやすい相手と言える。
深層に潜るとき、とくに目的地が明白なときに障害となるのは部屋のほうだ。
迷宮には扉がいくつも存在していて、その多くは小部屋のようになっている。小部屋は休憩に適しているが安全とは限らない。
他の探索者と鉢合わせ殺し合いが起こりやすい。すると過去探索者が残した宝、死体が残される事となる。死体が動き出して人を襲う事もしばしば。死体が目当てか、狭い場所が落ち着くのか、人以外の魔が巣くう事も多い。
迷宮において扉を開けるときは尤も警戒していなければならいタイミングの1つだ。
ローズマリーは散歩でもするように扉を開け放ち中に入る。部屋の真ん中までたどり着いたとき、暗闇の中からうごめく影が飛び出す。そして6体のゴブリンと相見えた。
ゴブリン。小さな異形の体を持つ人型の怪物。個体差はあるが、経験の浅い魔術師でも呪文を1つ2つ使えば殲滅することが出来るだろう。尤も並の魔術師1人では呪文を1つ唱え終わる前にバラバラにされてしまう。
前衛たる戦士の役割は、そうならないように。ゴブリンと打ち合い押しとどめることが仕事になる。
尤もローズマリーは松明の少ない明かりで、影の正体すら掴めていないだろう。
つまり、いくら訓練を積んでいるとしても、暗闇の中に無警戒。ましてや位階も上がっていない娘が、打ち勝てる相手ではなかった。
「30秒か。呪文2つ分と考えればよく持った方だが」
背後に控えた魔術師が呪文2つも使えれば、ゴブリン程度殲滅できる。なりたての魔術師だと、直接攻撃の呪文では威力が足りないだろう。けれど睡眠か混乱の呪文を使えば、多くを行動不能に陥らせることが出来る。
その味方は今居ない。
赤錆びたナイフを踊るように躱す姿は、さすが戦争なれしている。1対1だったなら勝つ可能性もあっただろう。だが迷宮を舐めすぎだ。
ゴブリンのような体の小さな怪物は、人にとっては3人が横に並んでギリギリの空間に、5体も6体もひしめく事がある。前衛は2対1を余儀なくされるし。前衛をすり抜け後衛に向かえば、瞬く間に敵の中衛が前に出て、より多くの敵に囲まれてしまうだろう。パーティーなら呪文やシーカーの補助もあるだろうが今はない。俺は手を出さない。
自分よりも力や体格で勝る化物と戦う事もある。人は真似することの出来ない技を使ってくる事だってある。それでも決して倒れてはならない。
前衛。戦士職とはそういうものなのだ。
出会い頭に頭に貰わなかったのは評価に値する。もし直撃していれば、それで終わっていただろう。
ローズマリーの死角。ゴブリンのシーカーだろうか。脇腹を刺された。死にはしないだろうが動きが鈍る。
探索者は狂っている。戦士も魔術師も死ぬ寸前まで戦闘を続け、傷を塞がれたそばから傷を負う。死してなお生き返った瞬間から敵に襲いかかる。
そうでなければ生き残れない。
「ローグ。助けて」
確かに仲間に知らせるのは重要だ。それで生き延びることだってある。けれど仲間が自分を助けられる状況なのかぐらいは把握しておかなければ。自分が仲間の状態が分からないというのに、自分だけ見てくれとは図々しい。まあ、それは良い。
けれど戦闘が終わったのでなければ、仲間の集中を乱すなんてもってのほか。なるべく生き残り、最後は静かに死ぬ。そしてあわよくば蘇生されるのを待つ。それが探索者と言うものだ。
まあ、今日に限っては俺は仲間ではないが。
そうして最後は訪れた。
骨から削り出したのだろう。無骨な白い棍棒がローズマリーの脳天を捕らえた。2度3度。なんども何度も叩き付けられ。綺麗な顔がぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。それが誰かも分からぬほどに潰れた所で、ようやく追撃の手はやんだのだった。
「1度目で死んだか。少数の群れとぶつかれば一度ぐらい勝つかと思ったが、運が悪かった。どうした笑えよ。勝ったのはお前らだ、おめでとう。そして死ね」
無造作に、確かな殺意を持って部屋の中央に躍り出る。死体を灰にしてしまっては不味い。教会に文句を言われてしまう。
ゴブリンの後衛が、地を這うように逃げ出す。
「イグニス・マグナス」
呪文は俺の中の何かを消費して、力となって発現する。部屋の半分を埋め尽くす程の炎が吹き荒れる。ゴブリンの体に巻き付くように炎が動き、瞬く間に焼き尽くした。
中級呪文イグニス・マグナス。
ゴブリンに使うにはもったいないけれど、幾つも呪文を重ねるのは面倒だ。それにここまで焼けば動き出すこともないだろう。
中級探索者では日に2、3度しか使えない必殺の呪文。
いとも容易く放たれた、致死の炎はいくつかの硬貨と短剣を残して、怪物は崩れ落ちた。
「少しは足しになるか」
袋の中にローズマリーだったものと硬貨を拾い集め、ローズマリー初めてのダイブはずた袋の中で終えたのだった。
「思っていたよりずっと重いな。魔術師にはきつい仕事だぞ。アマリリスも連れてくるんだった」
袋に溜まる血液に顔をしかめながらも、素直に運ぶしかない。ローブから血を落とすのは大変そうだと、暗い気分になっていた。
「おお神よ。今再びこの世界に命を取り戻し、その魂を呼び戻したまえ。パーフェクトリザレクション」
怒り、後悔、悲鳴、痛み。最後に残ったのは何だっただろうか。死線など幾つもくぐり抜けた。幾つも殺した。幾つも死なせた。女だからと私を侮る兵もいる。そのような民を黙らせるにはたたきのめすのが一番早い。
普段農具を持っているような一兵卒が、一日も休むことなく鍛え上げた剣に敵うものか。そう思っていた。
「ローズマリー。おい、いつまで寝ている。もう一度殺してやろうか」
「グフ。ゲホ、ゲホ」
「ローグさん。それはあんまりですよ。彼女はより良き生を送ることを神に許されたばかりなのです。それを送り返そうなどと」
「お前。しばらく見ない間に聖職者らしい事を言うようになったな」
「当たり前ですよ。私はシスターなんですよ」
どこまでも落ち、どこまでも沈むような不快感の中。浮かび上がると、底には魔術師とシスターの姿があった。
ローグと、アマリリス。知り合いと言うには、妙に距離の近い2人。それはまるで恋人のようで、怨敵のようでもあった。愉快だから深くは聞かないでおこうと思う。
ローグに聞くと、昔弟子に取っていたとだけ。私の見立てだともっと湿っぽく、具体的には2人は寝たことがあると思うのだけれどどうだろうか。
「何をぼけっとしている。灰にならず1度目で成功だ。喜んでおけ。探索者死ぬときは死ぬものだ」
どうやら私は死んでしまったらしい。死んでしまったと言うには、見捨てられたというか、悪意を感じる所だった。私もまさか後れを取るとは思っていなかったものだから、底に文句を言うのはやぶ蛇というものだろうけれど、文句を言わないというのは違う気がした。
「ローグが6人仲間が居るといっていた意味は分かったとも。けれど何も見殺しにすることはないじゃない。生き返れると知らなかったら、というか信じていなかったから、ここで終わるのかと思ったじゃないか」
「今のうちに慣れておけ。このあといくらでも死ぬ。コレに懲りたら、迷宮を舐めないことだ。特に迷宮に軍を連れてくるだなんて短絡的な行動は控えておくと良い」
「気にしないで良いですよ。ローグの戯言ですから」
プライドも体も何もかも。ズタズタに引き裂かれたこのような気分だったが、この2人を見ていると少し気が楽になった。また1つ目的が遠のいたように見えたのは間違いないのだけれど、それは目標との正確な距離が測れるようになったとも言える。正直、本家から多くの協力が望めたのならとそう思ってしまう。
初めは力を見込んで私に任せていただけたと自惚れていたけれど、迷宮について私なんかよりもよほど詳しかったはず。難題を押しつけられた、いや初めから主を病から救うつもりなどなかったのだ。
事態を公に出来ないのは致し方ないとしても、おそらく既に屋敷に味方は居なかったのだ。それこそ古くからの使用人ぐらいしか。だからこその少ない金貨と、私という戦力。
最後の最後で後継者に見捨てられるとは、主らしくも儚い終わりだった。
「何を呆けている。まさか、たった一度死んだぐらいで折れたなどと抜かすんじゃないぞ。ローズマリー、お前は既に全てを差し出した。正直、金銭に関しては想像以上にしけていたったがそれはそれ。戦え。前に進め。死しても這って従え。それが俺と組んだ人間の義務だ。対価としてお前の望むものを与えよう」
それは随分と無茶で残酷な要求で。温かく、希望があった。
「折れたところで働いて貰うが、目下やって貰わなくてはならないこともある」
「ひどいじゃないか。こっちは生き返ったばかりだよ。正直、死んだ人間をこんな簡単に生き返らせるとは信じられない。蘇生の呪文なんて、国に数人居るかという大司教でも扱えるかどうか」
それにしたって、生き返った後は老いたり体が衰えると聞く。強靱な肉体を持つ戦士でなければ灰になって消えてしまうとも。
まだ夢か幻だったのではないかと、現実を信じたくない。そう思ってしまうのだった。
「探索者の中でも完璧に扱えるのは稀だがな。ここのように幾つも迷宮を抱えるおかしな町でも、滞在しているのは両手の指で足りるぐらいだ。大抵それほどまで鍛えると、生きているのか死んでいるのか迷宮に消えていく。それに、生命力を失わないのは、この教会でだけだ。どんなインチキを使っているのか分からないが、ここを使った儀式での蘇生は未熟な術士でも完璧以上の蘇生が出来る。大金をお布施が必要ながらも、探索者が教会に逆らえない理由の1つだよ。使えるものは使わなくては、失礼というものだ」
「神への祈りがこの地へ帰ってきた証明です。教会がなければ、探索者は安心して迷宮に挑むことが出来ない。迷宮に潜む巨悪を討ち取る為に神のご加護が与えられているのです。そのためにもよく生き、よく殺し、よく祈り、そして良き死が与えられんことを」
「だそうだ」
なるほど、教皇さまのいらっしゃる王都よりも、迷宮都市の教会の力が大きいというのは、さながら嘘でもないらしい。
そしてやはり、明確には分からなくとも、2人ともどこかおかしいのだと実感した。
「少しずつこの町のやり方に慣れるよう頑張るよ。けどやっぱり、目標の遠さに目眩がしてしまいそうだ。もちろん諦めるつもりなんてないけれど。じゃないと体すらも売り渡した意味がないからね」
「そのことなんだが、早速その体を有効活用させて貰うよ」
まさかあの時の話を本気で。正直、そちらは覚悟が出来ていないぞ。いや、ローグは顔は嫌いじゃないけれど、あれはその場の勢いだったというか。それにしたってアマリリスさんがローグの事を好きなんじゃ。
「ローグ、破廉恥ですよ。彼女のような乙女に」
「スカウトだ。その良い面で男でも女でも引っかけてやれ。なるべく使えそうな探索者をな。何、顔を赤らめている。まさか本当に生娘なんじゃあるまいな。おい、二人して殴るな。蹴りはないだろうが。魔術師は打たれ弱いんだぞ」
色々最低だよ。ローグ。
プロローグのみ。
気が向くか、リクエストがあれば続きを書きます。
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