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大丈夫ですかその家

作者: 杉下栄吉

1,マイホームの構想

 塩田雄一(34)は福井市内のマンションで妻の塩田智子(32)と長男雄大(3)と3人で暮らしている。銀行勤めの雄一と看護師の智子は共働きで2人の合計年収は1100万円ほどになる。結婚して両親との同居を避け、市内のマンションに入ったが家賃は毎月12万円近く払っている。雄大が生まれ智子が育休を取っていたが、昨年から保育園に通わせてきた。しかし共働きで子供を保育園に送り迎えするのは大変である。雄大が熱を出したりするとどっちが迎えに行くのか、どっちが仕事を休むのか、毎回夫婦で言い争いになってしまう。どこの夫婦でも同じである。昨晩から雄大が39度台の熱を出した。

「わたし、今日は休めないの。同じチームの増田さんが旅行で有休をとっていて、私が行かないと穴が開いてしまうの。」苦しそうな表情で病院勤務の智子は夫に現状を話した。

雄一は「僕だって、今日は融資の会議が本店であるんだよ。融資担当の僕が休むわけにはいかないじゃないか。」2人は黙り込んでしまった。朝、6時ごろの会話であった。2人とも昨晩から交代で看病してきた。疲れ切って感情のコントロールが難しくなって、沈黙が続く中、イライラしながら智子が口を開いた。

「わかったわよ、休めるかどうか、師長に電話で話してみるわ。」と言って病棟の看護師長に電話をかけて、息子が高熱である事を伝えた。交代要員の手配を頼んで智子が休むことで決着はついた。師長は「気兼ねしないで休みなさい。子供を育てながら働くというのは大変なのよ。でも、みんなで支えていかないと安心して子育てできる職場にならないでしょ。」と言ってくれた。師長の言葉で少し気持ちが楽になった智子だった。

「2人が共働きで雄大を育てることは実家と離れていては難しいんじゃないかな。」少し落ち着いて考えた智子が雄大に話すと

「結婚するときは親との同居は拒否したけど、子供ができると祖父母の力を借りないと難しいかもね。いっそ、うちの実家の近くで家を考えてみようか。」雄大の提案に

「同居することは難しいけど、少し離れた所ならいいかもしれないわね。」智子も前向きに考えてみようと思った。

 次の土曜日、2人は休みが重なり、雄大を抱いて宅地分譲しているニュータウンをさがしてモデルルーム見学会に出かけた。いつもと違う洋服、お気に入りの靴、両親揃っていることに安心感を抱いたのだろう。車にお出かけセットを積み込み、雄大はチャイルドシートに固定されたが、隣には母親である智子が乗り、前の座席では父親である雄一がハンドルを握っている。ケラケラ笑いながらお出かけを喜ぶ雄大をあやしながら車は福井市郊外の九頭竜川沿いのニュータウン九頭竜に到着した。かつては田んぼが広がっていた九頭竜川沿岸の地域で、大きなショッピングセンターの建設と共に、急速に開発が進んだ地域である。ここならば雄一の両親が住む福井市山鹿やまが町とも車で10分くらいの場所である。

 ニュータウンに入るとモデルルームと書かれた看板があり、のぼり旗が何本もあったのですぐわかった。駐車場と書かれた場所に車を止めると、係員とみられる男性が近寄ってきた。車から降りるか否や、「ご予約いただいた塩田様ですか。わたくし、平和不動産の森本と申します。よろしくお願いします。」と挨拶して名刺を渡してきた。「どうぞ、中の方へ」と案内してくれたので、言われるままに3人で玄関に向かった。玄関に向かうポーチは一段高く、3mほどの奥行きがあった。左右にはわずかながら芝生の庭が広がり、奥の玄関は重厚な外開きの扉が設置されていた。

 中に入ると玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて応接間でお話を聞くことになった。改めて平和不動産の営業マンは「営業の森本拓と言います。よろしくお願いします。」と自己紹介した。営業マンの森本君は営業スマイルで3人を迎えてくれて、アシスタントの女性はお茶とジュースまで入れてくれた。さっそく森本君は

「わざわざご来店いただきまして有難うございます。ここニュータウン九頭竜は当社が自信をもって開発いたしました物件です。何といってもショッピングセンターエルポがすぐ近くです。これからの開発次第では資産価値も上がるものと考えております。また、小中学校も近く、教育環境としても素晴らしくなっています。公共交通機関はやや遠くなっていますが、お車での生活を考えますと国道もすぐ近くを走っていて、抜群の環境です。また、建売住宅の方はこのモデル住宅のように最新型の洋風の作りで、若いご夫婦をターゲットに住みやすさを重点に設計させていただいております。どうぞ、ごゆっくりとご覧ください。」流ちょうなセールストークで、私たちをびっくりさせた。妻の智子は「保育園は近くにありますか。」と質問した。すると森本君は「保育園と幼稚園を併設した私立の施設が徒歩で10分くらいのところにあります。このあたりは現在高級住宅化してきましたので、裕福な家庭のお子さんたちが多いと聞いております。そういう面からも安心安全な街と言えるのではないかと思います。」と答えてきた。

 モデルハウスは2階建てで5LDK、1階は20畳ほどのLDKと洋室が2部屋と和室が1部屋、2階は将来的には子供部屋が2部屋。キッチンはアイランド型で対面キッチン。3口のIH、床はこげ茶色の板張りで天井と壁は白で統一感がある。「お風呂はどんな感じですか。」と智子が聞くと「どうぞこちらです。」と言って案内してくれたのが少し大きめのユニットバスで白を基調とした作りになっていた。隣がトイレで便器は前に立つだけで蓋が自動的に上がってきた。1階の洋室2部屋は片方が夫婦の寝室、もう一つがゲスト用の寝室と言った感じで和室は両親がやってきたときに使えそうである。一通り見てきた後、LDKの机で「このあたりは宅地に開発される前はどんな様子だったんですか。」と聞いてみた。すると森本君は「ここは広々とした田んぼでした。九頭竜川の堤防まで50mほどで大きな堤防ですから川は見えませんが、8号線にかかる橋の袂へ行くと良くわかります。巨大な堤防が20年ほど前に作られ、開発が進んできたんです。」ということだった。

 「もう一箇所行ってみたいところがあるのでこれで失礼します。また連絡しますね。」と言ってニュータウン九頭竜をあとにして、今度は柳谷ハイツへ向かった。柳谷ハイツは大手の三友不動産が手掛けた住宅地で福井市東部の永平寺町との境界の山を切り開いて傾斜地を住宅地にしたところだ。ここも住宅地に入ると駐車場で営業マンがすぐに近づいてきて挨拶してきた。ここは傾斜地を開発したため、坂が多いがその分眺めは最高である。営業マンが言うには夜景が最高らしい。福井市内の明かりが高台から一望できる。ここも福井市内まで車で10分以内で公共交通機関はバスしかないが、車を使う事を前提に考えると大変便利な場所である。建売の住宅は先ほど見てきたニュータウン九頭竜の物件とあまり変わり映えはしなかった。どちらの住宅地も最近までは家がなかったところを開発して宅地開発したものだし、30台の若い夫婦をターゲットにした住宅の作りだった。

 帰りに3人で晩御飯を食べて帰ることにした。3歳の雄大がいたのでファミレスにした。国道沿いの郊外型ファミリーレストランは全国チェーンの店で、大きな駐車場で私たちを迎えてくれた。車を止めると雄大の手を引いて店の玄関へ入ると元気な声で

「いらっちゃいいませ。何人様でちゅか。」と少したどたどしい日本語で聞かれたので

「3人です。」と言うと

「ではご案内ちます。」と言って奥のテーブル席へ案内された。テーブルに座るとメニューを渡され、「ご注文が決まりまちたら、そのボタンを押してお知らせくだちゃい。」と言って奥へ行ってしまった。日本語が母国語ではなさそうだ。東南アジアか中国の留学生がアルバイトしているのか、技能実習生として働きに来ているのかだろう。外国人には間違いなさそうだが、明るく元気で気持ちのいい女の子だった。

「中国の子かな。明るい子だけどマニュアル通りなんでしょうね。」智子が言うと

「研修でみっちりと仕込まれているんだね。大したもんだ。」と答えた。

「それより何にする?」と聞くと智子は

「私はハンバーグとエビフライのセットにするわ。雄大はお子様セットでいいかな。あなたは何にするの」と聞かれ

「僕はチキンソテーと単品でペペロンチーノにするよ。」と言ってボタンを押した。すぐにさっきの女の子が現れて「ご注文はお決まりでちゅか。」と聞いてくれた。3人分の注文を済ませると今日見てきた住宅の話になった。

「場所的にはショッピングセンターに近いニュータウン九頭竜の方が良かった気がするんだけど。でも、モデルハウスは大手の三友不動産の建物はあか抜けてる感じがしたわ。」と智子が感想を述べた。どちらも甲乙つけがたいと言ったところだ。

「そうだね。町までの距離で行ったらそう変わらないし、ニュータウン九頭竜はショッピングセンターまで近いからいいようにも思うけど、人が多すぎて車は混みそうだし、夜中も若者が騒ぎそうな感じはするね。柳谷ハイツは静かな郊外の住宅って感じかな。値段的には九頭竜は土地は高いけど住宅は少し安かったよ。柳谷は土地は安いけど建物はやや高めで、合計するとどっちも同じくらいだったよ。」2人の意見はどっちつかずで決めかねていた。

 そんな話をしているうちに食事が運ばれてきた。「お待たせちました。」と言ってさっきの彼女がワゴンを押してきた。鉄板プレートに乗ったグリル料理はジュージュー音がしている。雄大のお子様セットは小さなハンバーグにプリンとパスタ、ポテトとエビフライ。子供の好きそうなものばかりだったが、智子の注文したものもお子様セットを少し大きくしたようなものだったので笑ってしまった。雄大の世話をしながら食事を楽しんだ。

 しばらくして接客の彼女が来て、「済んだお皿からおさげします。」と言って雄一のパスタの皿と智子のプレートを下げていった。すると智子が「いまふっと思ったんだけど、あの女の子の話す言葉は何種類かの決まりきった言葉しか話さないよ。それはそれでいいんだけど、今日行った新興住宅地も数十軒のよく似た家が同じような敷地に同じような間隔で並ぶんでしょうね。」とさっきの女の子と家を重ねてきた。

「そうかもしれないね。完全マニュアル化。日本中が、いや、世界中がそうなってきてるんだろうね。」と答えたが、家を買おうという希望に満ち溢れていた雰囲気が少ししぼんできたような気がしてきた。

「大きな買い物だから、よーく考えて結論出そうね。」と言ってその日は帰った。

2,両親との相談

 翌週の土曜日、2人は雄大を連れて雄一の実家へマイホームのことを相談に行った。事前に行くことを連絡していたので、車が駐車場に入るや否や、母の邦子が家から出てきた。孫の雄大を早く抱っこしたくてしょうがない様子だ。邦子は後部座席のドアを開けると雄大のチャイルドシートのロックを慣れた手つきで外して、抱きかかえた。慌てて抱き上げたので車の天井の端に雄大の頭を軽くぶつけ、雄大が泣き出したものだから大変な騒ぎになったが大事には至らなかった。雄大を奪われてしまった智子と雄一は邦子の後に続いて家に入っていった。中に入ると食堂に父の茂雄が座って新聞を読んでいた。智子は「お父さん、ご無沙汰しております。」と挨拶すると茂雄は「智子さん、よく来たね。雄大も元気かい。」と目を細めながら言った。茂雄も雄大の訪問を心待ちにしていたようだ。

 しばらく雄大をあやしながら子供の話で盛り上がっていたが、頃合いを見て雄一が訪問の目的を話し始めた。

「実は今日来たのは少し相談したくてね。僕たちも結婚5年目で雄大も3歳になり、保育園に行き始めたんだけど、共働きで保育園の送迎や熱を出した時の看護が大変で、この家にもう少し近いところに家を建てて、お父さんやお母さんのお力をお借りできるようにしたいなと思うんだけどどうかな。」と家を近くに建てる計画を説明した。父の茂雄は

「それは良いことだね。家を建てるという事はそれだけ責任を背負うという事だしね。しっかり働いて家族を養い、そのお手伝いを私たちがすることは、出来る限りやってあげるよ。お母さんだってそうだろ。」母の邦子も頷きながら

「保育園の迎えぐらいするし熱を出してお休みの時なんかはうちで預かってあげるよ。遠慮しなくていいんだよ。」と言ってくれた。雄一はさらに

「実は候補地をいくつか絞っているんだ。福井の平和不動産が開発しているニュータウン九頭竜と大手の三友不動産が開発している柳谷ハイツの2つなんだけど知ってる?」と2つのパンフレットを開きながら聞いた。父の茂雄はパンフレットを広げて写真と地図を眺めて「どっちもここからだと車で10分以内くらいかな。近くていいね。新しい町が作られるわけだね。土地と建物でいくらくらいになるんだい。」とお金の話を出してきた。

「土地と建物で3500万円くらいかな。頭金が1000万、2500万円を分割で25年ローンを組んで毎月10万円くらいの返済を考えているんだ。2人で貯めた貯金もあるから何とかなると思うよ。」と自信ありげに雄一が答えた。しかし、若い2人には月10万円はかなり重くのしかかってくる。茂雄は結婚前から考えていたことを提案することにした。

「2人が良ければだけど、この家の敷地に建てたらどうかな。土地代はかからないよ。道をはさんだ向こう側の畑をつぶして建てたっていいんだよ。山鹿町は田舎だけど福井市だし、自然も豊かで教育環境も良いと思うよ。どうだい。」と近くに住むことを勧めてきた。茂雄も邦子も還暦を過ぎ、老後が心配になってきたのだろう。息子夫婦が結婚した時には、まだ50代だったので同居の話は全く出さなかった。むしろ若い人たちと同居するのは難しいと敬遠していたのだ。退職の時期を迎えるというのはこういう事なのだろう。

「お父さんたちの気持ちはわかるけど、その案は第3の案として考えさせてもらうけど、今日はニュータウン九頭竜と柳谷ハイツ、どっちがいいと思いますか。」雄一が話を元に戻して質問しなおした。茂雄も邦子も少しがっかりしたが、気を取り直して考え直した。

「生活しやすいのはニュータウン九頭竜だろうね。ショッピングセンターが立地してから開発がすさまじいからね。外食のお店も多いし、住民の数も多くなるから小学校を立て直したじゃないか。これからは福井市の中心的な場所になるんじゃないか。」と茂雄は考えを述べた。邦子は「でもね、買い物に行くには良いところだけど、住むとなるとどうかな。夜中まで騒ぐような人がたくさん来るんじゃない。家じゃなくてマンションならあそこでもいいかもしれないけど。私は柳谷ハイツの方が静かで住宅としては良いような気がするけど。」と両親の考え方は分かれてしまった。

「大きな買い物だから慎重に考えようと思っているんだ。最終的には自分たちで結論は出すけど、お父さんたちも考えておいてください。」とお願いして話は終わって昼ご飯を食べようという事になった。お昼は外でBBQの準備をしてあった。田舎の山鹿町ならではである。隣の家までは20m以上離れているし家の前には大きな庭と畑が広がっているので気兼ねする必要がない。目の前の田んぼは家の敷地とは2mほど低いところにあり、このあたりの家は周りよりもやや高い敷地になっている。

 庭で椅子を並べBBQコンロを中央に置いて大きな鉄板の下には時間がかからないガスの火がつけられた。炭に火をつけるのも良いが、ガスを利用するとあっという間にスタートできる利点があった。邦子が智子に「材料を運ぶから手伝ってね。」と言うと智子は「はい、お手伝いします。」と言って台所から肉と野菜を運んだ。3歳の雄大も缶ビールを2本、両手に持って運んで、お手伝いに加わった。

 鉄板に肉や野菜を並べて焼けるのを待つ間に、ビールとウーロン茶で乾杯だ。肉は牛肉のロースからスタートした。若夫婦が来たという事でいつもより肉の質も上等だ。後半には鶏肉やホルモン系の肉も登場してきた。3歳の雄大は何でも食べる。外で食べるのが大好きである。「こんなBBQができるのは郊外の家の良いとこですね。子供のころから何回もやってきましたね。」雄一が昔を懐かしんだ。邦子は「キャンプも何回も行ったわね。雄一はテントで寝るのが好きだったの。だからこの庭にテントを張ったこともあったわね。」と雄一の子供のころを思い出して感慨深げだった。

 智子も自分の子供のころを思い出して「私の子供のころもよくBBQしたんです。うちは兄弟が女3人だったからそんなにたくさん食べるわけではなかったけど、お父さんがアウトドア大好きだったからよくBBQしたんです。でも母が虫嫌いだったのでキャンプはいかなかったです。BBQは家の庭でやりましたね。準備するのも肉を焼くのもお父さん一人で張り切ってやってました。」

「そうなの、栄吉さんはアウトドア派だったんだ。知らなかったな。」茂雄が驚いて声を上げてビールを一口飲んだ。

「話は変わるんだけど、さっきからこのあたり、静かだね。車もあんまり通らないし、人の声もほとんどしないね。昔はもっと騒がしかったと思うんだけど。」と雄一が言うと

「このあたりも随分変わったよ。若い人がみんな出て行ってしまったから。子供たちがほとんどいなくなったんだ。小学校の集団登校は3人しかいないし、老人家庭がほとんどで空き家になってしまった家が何軒もあるんだ。高齢化の波は田舎ほど影響が大きいね。」茂雄が地域の実情を話すと邦子も「この近所でもお隣はお子さんが跡を継いでいるけど、それ以外はみんな老人家庭だよ。あと20年で全部空き家かも知れないね。」深刻な問題だ。

「お父さんがこの敷地に家を建てたらと言うのもわかる気がするね。でもそうすると雄大の同級生もほとんどいないってことだよね。」

「まあ、そういう事だね。難しいね。」茂雄はそう言って肩を落とした。

 おひるのBBQはお腹いっぱいになってお開きとなった。

3,異常気象

 7月は梅雨前線の働きで災害が多い月だ。梅雨の雨の降り方がここ数年異常なほど激しい。ニュースでは50年に1度の雨と言う言葉が使われるが、毎年のように50年に一度の雨が降っている。今日も梅雨前線の活動が活発で九州から四国にかけて大雨による災害が迫っているとして、NHKのニュースで早めの非難を呼び掛けている。

 智子は車で仕事帰りに雄大を保育園へ迎えに行き、帰りがけに雨に降られフロントガラスのワイパーを高速で動かして前を確認しながらゆっくり帰ってきた。家について速足で玄関に入り、雄大の頭をタオルで拭った。夕食の支度をしながらニュースを聞いていると大雨の注意報が警報になったらしい。雄一の帰りを心配しながら夕食の準備を終えると、雄一が濡れながら帰ってきた。

「すごい雨になったな。車を降りてから玄関に入るまでにびしょ濡れだ。」と言っている。

「はいはい、タオルで頭を拭いて。背広もすぐ脱いで、型崩れしないように早めに干さないと。」と言って着替えをさせている。雄大はその様子を微笑ましく見ていた。

 着替え終わった雄一は食卓に座り、ビールをコップに注いでテレビのニュースを見た。7時のNHKニュースはトップニュースで九州の大雨を伝えている。熊本県の人吉市で例年の7月一か月分の雨が昨日から今日にかけて降っている。そのため球磨川の水位が異常に上昇しているらしい。現地からの映像は夜なので暗くなっていて、はっきりとはわからないが緊迫している様子が伝わってくる。気象予報士の解説では「通常では考えられなかったような雨の降り方で、50年に1度の降り方です。災害が迫っている、または既に起こっているレベルです。」ということだ。中継を見ている見る見るうちに川の水位が上がり、坂道は川のように水が流れていて、車が立ち往生している。カメラがあるところはこんな感じだが、カメラがないところではどんなことが起きているんだろう。そんな思いが頭をよぎり、現地の人たちの苦労に思いを寄せるとともに、福井でなくてよかったなと安堵した。塩田家はいつもと変わらない幸せそうな夕飯の風景だったが、熊本県ではさらに激しい雨が降り、恐ろしい災害が迫っていた。

 翌朝、塩田家では智子が朝食の準備のため食堂のテレビをつけて、トーストを焼き目玉焼きとベーコンを準備し、コーンスープを作っていた。ふとテレビに目をやると、一夜明けた熊本県の様子が映し出されていた。急いでボリュームを上げると現地の悲惨な様子がわかってきた。川沿いに建てられていた病院が完全に水没していた。その周りの人吉の町はほとんどが水につかっていて、どこが道路でどこが田んぼなのか、家なのか、まったく見分けがつかなくなっていた。水没した病院では多くの患者たちが不安な夜を過ごしたらしい。いそいで寝室に行き、雄一を起こしてテレビを見るように促した。

「雄一さん、熊本の雨、すごいことになってるわよ。」昨晩見ていたニュース映像から大きく変化した様子に驚いた智子はその驚きを雄一と共有したかったのだ。眠い目をこすりながらパジャマ姿の雄一は「わー、すごいな。やっぱり異常気象かな。地球温暖化で雨の降り方が異常なんだよ。温帯のはずの日本が熱帯のような気候に近づいているのかもしれない。」そう言うとテレビの画面に近づいて興味深そうに眺めた。そして「川の近くってやっぱり危ないのかな。大きな堤防はあるけど、それを乗り越えてるんだ。」と呟いた。2人の頭の中に平和不動産が開発したニュータウン九頭竜のことが浮かんでいた。しばらく無言で熊本県人吉市からのニュースに集中していたが、沈黙を破ったのは智子だった。

「球磨川の堤防も50年に1回の規模の水害には耐えられるように設計されていたんでしょうね。」智子が疑問に思ったことを雄一に聞いた。

「全国の一級河川はほとんどが同じような基準で災害対策がなされているはずだよ。球磨川も九頭竜川も同様の雨の量に耐えられるようになっていると思うんだけどな。」

「でも、しっかりと作られていた堤防を乗り越えちゃったわけだから、九頭竜川の堤防だって過信はできないという事かな。」智子の言葉に

「そう言う事だろうね。人間が作ったものと言うのは自然の前では無力なのかもしれないね。」雄一の言葉でニュータウン九頭竜への評価が低下したことは間違いなかった。

 この年の7月は毎週のように災害が起きた。熊本の水害から2週間後、全国からのボランティアたちが熊本の後始末に一生懸命になっているさなか、今度は広島県や岡山県が大雨に襲われた。智子が夕方のニュースで中国地方の大雨についてみていた。気象予報士は「梅雨前線に向かって湿った空気が南から入り込み、今夜から明日の朝にかけて中国地方では災害級の大雨が降ります。早めの非難をお願いします。」と何度も呼び掛けていた。熊本の記憶がまだ鮮明に残っているので、恐怖心は大きく膨れ上がっていた。しばらくすると雄一が会社から帰ってきた。

「雄一さん、今度は広島や岡山辺りが大雨だって。無事に終わってくれたらいいんだけど。」と言うと「最近の天気予報は精度が高いから。民主党の政権の時に『2位ではだめなんですか。』って言われて仕分けされたスーパーコンピュータが活躍して予報の精度が上がったんだよ。広島辺りって普段あまり雨が降らないから、雨に対する備えも弱いんじゃないかな。」智子も雄一の意見に頷いていた。食事をしていると福井でも雨の勢いが強くなってきた。2人が住むマンションは川からは離れたところにあったので水害の心配はなかったが、窓に吹き込む雨は激しさを増してきた。

雄一はお風呂上りにテレビのナイトニュースをつけた。テレビニュースはオープニングで広島の雨の様子を映し出していた。猛烈な雨で市内の道路は川のように水が流れていた。雨雲の動きを動画で映し出し、西から東へ雨雲が流れている様子が示されていたが、時間の経過とともに同じような地域に次から次へと雨雲が通り過ぎていく様子がよくわかった。解説者は『線状降水帯』と表現していた。雲は移動するが、同じ方向に次から次へと湧いてくるように雨雲が連なるので、同一箇所で長時間激しい雨が降り続けるという事だ。この線状降水帯が広島市の上空で起きているらしい。最大限の警戒を呼び掛けていた。

「恐ろしい自然現象だね。昔もこんなこと起きていたのかな。」智子がお風呂に入る準備をしながら雄一に話しかけた。

「こんな言葉きいたことがないよな。やっぱり異常気象だよ。地球温暖化によるものだと思うけどな。とりあえず先に寝てるよ。」と言って寝室へ入っていった。

 翌日は朝からニュースは騒がしかった。朝になり広島の被害の様子が明らかになってきた。広島市内は床下浸水や床上浸水などで街が水に浸かってしまったようだったが、平野と山間部の境界のあたりで大きな被害が出ていた。平野部の端の方でいかにも開発された住宅地が小さな川の氾濫なのか山肌のがけ崩れなのか、土石流と共に家が何軒も流されてしまっていた。流された家は平野部から山肌にかけて、傾斜地に階段状に宅地開発されたように見えた。映像を見た雄一は

「なんでこんな傾斜地に家を建てたんだろう。広島は大都会だから家を建てる土地が市内にはもうなくて、あんな山肌に建てるしかなかったのかな。」そう言いながら、頭の中には自分たちの家を建てる計画もよぎった。すると智子が

「あの感じ、この間、見に行った柳谷ハイツと似てない? 傾斜地を登るように住宅地が開発されていったんだね。」広島や岡山の被害にあった方々には申し訳ないが、2人はマイホーム建設計画を根本から考え直すことにした。

「雄一のお父さんたちのも相談したけど、今度は私のお父さんやお母さんにも相談してみない。」智子は実家の父親が社会科の教師をやっていたので、地理的なそして歴史的な見地からいい考えがあるのではないかと考えていた。雄一も頷いて、翌日智子の実家の杉下家を訪ねることにした。

4,杉下栄吉

 智子の実家の杉下家は坂井市の三国町の三国神社近くにあった。三国は昔から港町として栄え、古くは継体天皇の母、振姫の生まれ故郷として、中世の時代には北回り航路の船の寄港地として、近世以降は越前カニの港として栄えた町で、大漁を祈願した三国まつりは北陸最大規模として有名である。

 智子と雄一は日曜日の朝、福井市内のマンションから車を三国に向けて出発した。雄大は朝起こすのに少し苦労したが、朝食に彼の大好きなイチゴを食べさせたらテンションを上げて機嫌よく車に乗りこんだ。チャイルドシートに乗せると少しぐずったが、10分も走ると寝てしまった。車の揺れは子供にとって揺りかごのようだ。

 芦原街道を直進して途中、三国に向けて信号を曲がるとしばらくして三国の町に入った。智子の実家は三国神社近くなので、町に入ってすぐである。大きなショッピングセンターの信号を左折して、しばらく行くと三国神社があった。この参道脇に杉下家はあった。駐車場に車を止めて、寝ている雄大を雄一が抱きかかえて杉下家のドアを開けた。

「こんにちは」智子がただいまと言うかこんにちはと言うか迷ったが出てきた言葉だった。

「よく来たわね。雄大君のお顔を見せてちょうだい。」母の杉下やまねが真っ先に出てきた。やまねは寝ている雄大を智子から預かると

「寝ているからかしら、ずいぶん重くなったわね。」と第1印象を口にした。後ろから父の栄吉が顔を出して「雄一君、よく来てくれました。さあ、上がって。」と言って奥へ手招きした。大きな家ではないが、古くからの家でしっかりした造りの家だ。客間が今とは別に作ってあり、応接セットも立派なものが昔からおいてあった。雄大が目を覚ましたので

「雄大君はオレンジジュースが好きなのかな。それとも牛乳がいいのかな。」やまねが飲み物のリクエストを聞くと、智子が「雄大君はオレンジジュースが好きだよ。」と答えた。

「大人はみんなアイスコーヒーでいいかな。」やまねが雄一君を気にして聞くと、

「アイスコーヒー、いいですね。暑いからありがたいです。」と雄一が嬉しそうに答えた。

智子とやまねが台所へ行って飲み物を準備に行くと、栄吉は久しぶりに雄大を抱っこして

「雄大君は大きくなったね。元気で何よりだ。それで、今日は家についての話なんだろ。昨日の電話で智子から聞いたけど、いよいよマイホームか。さすが銀行員だね。人生設計がしっかりしている。」と雄一のことを持ち上げ、「おとうさん、すごいね。」と雄大に向かって言って、大きく抱き上げた。

「そのことなんですが、建てることは決めたんですがどこに建てるかで悩んでまして、お父さんにもご相談したいと思いまして、今日来たわけです。」雄一は頭を搔きながら悩んでいる表情をしてさらに続けた。

「実は、福井市内北部の九頭竜川近くのニュータウン九頭竜か福井市東部の永平寺町近くの山の傾斜地の柳谷ハイツのどちらかに土地を買って家を建てようと思っています。ただ、うちの父は、実家の近くの畑か今の家の敷地の中に建ててもいいよと言ってくれているんです。そんなことで悩んでいるときにニュースで熊本と広島の水害を見て、気持ちが揺らいでしまったんです。お父さんは社会科の先生だったので、専門的な観点からご意見をお聞かせいただければと思って、今日来たわけです。」真剣な表情で話し終えると、智子とやまねが飲み物をもって部屋に入ってきた。栄吉が抱っこしていた雄大は智子に返して、栄吉は出されたコーヒーを一口飲んだ。しばらくコーヒーの香りを楽しんだように表情を緩め口を開いた。

「雄一君、僕は中学校の授業でもよくこのことは生徒に話してきたんだけど、開発された宅地分譲地はあまりお勧めしません。まずはニュータウン九頭竜から考えましょうか。ニュータウン九頭竜はどんな危険があると思いますか。」栄吉の問いに雄一はしばらく考えて

「大きな川が近いので川の氾濫が起きると浸水してしまう危険性を秘めていると思います。」雄一の答えに栄吉は

「あんな巨大な堤防が建設されて、上流には流量を調節するダムもあるのに危険だと思いますか。」雄一を試すように栄吉は聞き直した。横で聞いていた智子は

「お父さん、意地悪な言い方しないで、結論から話してよ。」と雄一を生徒扱いする栄吉に不満を漏らした。

「ごめん、ごめん。子ども扱いしたわけではないんだ。結論から言うと人間の力は自然の猛威の前では無力だという事なんだ。堤防が作られた時には50年に一度の災害に耐えられる設計という触れ込みだったと思います。堤防ができた時にはその強度は十分にあるんですが、実は河川と言うのは堤防が高くなればなるほど堆積作用が強くなり、大雨が降るたびに川底を上げていってしまうんです。堤防が完成してから30年もすると川底自体が上がっているので50年に一度の大雨には耐えられなくなってしまうんです。江戸時代にもたくさんの堤防が作られ、作った当時はこれで安心と思ったんです。でも、何回も何回も同じような場所で堤防は決壊してきたんです。ニュータウン九頭竜の近くの堤防は、上流の鳴鹿堰堤が作られた時の工事で災害対策として作られた堤防で、当時は最新鋭で強度も十分だと思われていたんです。そこで、堤防に守られた形でそれまで氾濫原や後背湿地だったところに住宅地を作ってきたわけです。でも、どんなに強大な堤防でも、絶対安全という事はないことはさっき説明しましたね。でも、それだけではないんです。」

「まだ、何か、安全を脅かすものがあるんですか。」

「それは地球温暖化に伴う異常気象です。このことは十年前くらいまで国土交通省の建設計画にも盛り込まれていなかったと思います。明らかに最近の雨の降り方は異常だと思いませんか。」

「そうですね。50年に一度の雨が毎年のように降っている感じがします。先日もニュースで平年の1か月分の雨が1日で降った地域があったと言ってました。」

「地球温暖化の原因はいろいろあると思いますが、明らかに温暖化は進んでいます。数年前よく言われていたのは東京湾に熱帯の魚が現れたとか、日本の太平洋沿岸にサンゴ礁が生息し始めたとかいうニュースがありました。海水温が上昇して日本の海は亜熱帯のような状態になっているわけです。海水温の上昇で気候が亜熱帯、つまり台湾やフィリピンのようになっているというとわかりやすいかな。寒流に住むサンマが獲れなくなったこともそう考えるとわかりやすいよね。亜熱帯地方の雨季には川は氾濫するのが当たり前で、堤防をどんなに高くしても防ぎようがないからしばらくは我慢するわけですが、日本ではそれを何とか防ごうとしているわけです。地球温暖化による異常気象と考えるから誰かを犯人にしようと考えたくなるけど、気候帯が北に移動したと考えると、仕方がないことかもしれないんです。」栄吉の話は雄一や智子を少し失望させたかもしれなかった。自分たちではどうしようもない地球規模の話になってしまった。要点はどこに家を建てようかと言う話だったはずだった。

5,地名に残る先人たちの知恵

 「日本だって昔から水害が起こるような所には人は家を作らなかったんだ。永平寺町の上志比地区に島と言う文字が付く集落が川に沿って東西にきれいに並んでいるところがあるんだけど、上流から中島、大野島、牧福島、市右エ門島、北島、飯島と並んでいるんだけど、この村は九頭竜川が氾濫した時に水没せずに残る自然堤防上の集落なんです。大昔から氾濫の度に苦労した村人たちは家が流されないように島になって残った自然堤防の上に家を建てて災害に備えていたという事が、地名に中に残されている例です。昔からの集落が立地している地区と言うのは安全安心な場所という事でしょうか。柳谷ハイツも決して安心できる場所ではないと思います。山の傾斜地は木が生えて森になっていることで保水力を保ち、自然のダムになっているわけですが、人工的に伐採して住宅地にしてしまうという事は当然がけ崩れや土石流の危険性は大きいでしょうね。神戸や尾道、長崎、熱海など傾斜地に町が形成されたところは全国にいくつもありますが、初めは平地に町ができただけだったけど、町の産業が盛んになり、人口の増加と共に宅地の供給不足から自然と傾斜地を開発して不自然なところに家を建てていったんです。だから、先日の熱海の土石流も長崎の大雨によるがけ崩れも、自然災害と言われますがある意味人災かも知れません。」栄吉の長い話に少し根負けしてきた雄一だったが、少し話題を変えようと「でも、住宅業者もどうして危険だとわかっているようなところに住宅分譲地を作るんですか。」と話した。

「それは業者が悪徳なのではなくて、必要に迫られたからだろうね。住宅を建てたいという願いも持った人たちがたくさんいるけど、住宅を建てる場所が足りない。需要が供給を上回ってしまったという事だろうね。需要にこたえるために業者は空いていた場所を見つけて宅地開発した結果が今の状態なんだよ。」言っている意味がよくわからない智子は

「どういうこと。高齢化と共に少子化が進み、人口だって減少しているから住宅事情はよくなるはずだと思うんだけど、そうなってないわけ?」もっともな意見である。人口が減れば住宅用地も余ると考えるのが当然だろう。

「でもね、家と言うのは世帯数で決まるんだよ。人口は減っているけど世帯数は増えているという事を知っているかな。」智子はびっくりした。

「え、どういう事?そんなはずないじゃない。」

「これは僕が授業でもよく利用した資料なんだけど日本の平均世帯人数と世帯数のグラフです。少子化や人口減少が進行しているはずなのに世帯数は増えているだろ。この原因は平均世帯人数、つまり世帯を構成する人数が今や平均で2.39人まで減ってきていることにあるんです。1980年ごろには核家族の増加、つまり結婚すると親と同居せずに独立する若い夫婦の増加が世帯数を増加させていたけれど、現在では核家族に加えて結婚しない独身世帯がその原因になっているんです。独身世帯でも家は必要ですから、マンションであったり一戸建てであったり形態はいろいろですが、家は必要なわけです。だから、必要に迫られて住宅用地を造成して宅地分譲することで要望に応えているんでしょうね。」雄一は見せられた表を眺めながら、途方に暮れていたが、

「ということはみんなが両親と同居するようになれば、あるいは独身世帯でなく結婚して夫婦になって住めば住宅事情も変わるという事ですね。」両親と同居すれば世帯数は理論上は半減するし、みんなが結婚すれば独身世帯はなくなって、理論上は半分の数の夫婦世帯になるわけだ。

「でもそれって社会がそんな風に変わってきたからそうなったわけで、価値観の違う世代が同居していた時代はお嫁さんがつらい思いをしてもじっと耐えてきたんだけど、今の時代、無理だよね。個人の権利を優先する時代に特定の人に無理を押し付けることは男女平等の精神に反します。また、みんなが結婚すればって言われても、女性の社会進出を後押ししてきて今の形になったわけで、結婚よりも仕事を選ぶ女性は多いし、就職氷河期を経て非正規で働いている世代の男性たちは収入が少ないからとても妻や子供を養えないから結婚しないわけです。」栄吉は問題を大きくしすぎたかもしれないと思って少し反省した。出口が見えない議論になってしまったことを悔やんだが、これが今の社会だとも感じていた。

「それで、私たちはどうしたらいいのかな。話を自分たちの足元に戻しましょう。」智子の提案にようやく話が戻ってきた。

「お父さんは、塩田のお父さんたちが近くの敷地に建てたらという話をしてくれているんだからそのほうがいいと思うよ。」と長い話のわりに、当たり前な結論に至った。

「住んでる場所が近いってことは嫁が我慢しなくてはいけなくなることが多くなって、私が離婚して戻ってくる可能性も増えるってことよ。」と智子が少し怒っている。

「一つの物を手に入れるには何かを我慢しなくてはいけない。昔から言われていることわざだよ。二人が共働きで仕事を続けながら子育てをしていくためには、塩田のお父さんやお母さんの協力が必要だから家を建てようと思ったんだろ。」もっともなことを言われて初めの家を建てようということに至った要因を思い出した智子だった。

6,簡単ではない旧集落内での土地購入

 「ところで、三国ではみんなどうしてるの。」智子が自分の出身地の現状を聞いてみた。

「この町でも高齢化は進んでいるよ。両親との同居を避けて、離れた住宅造成地に家を構える人も多いし、福井市内に出てしまった人も多いよ。この近所でも息子たちが結婚して家を出てしまったので、高齢者世帯、つまり数年後には独居老人になってしまう予備軍が多いね。うちもそうだけど。ただ、高齢化が進んでいて、みんな90歳や100歳近くまで死なないし、80歳なんてまだぴんぴんしていて、元気そのものだから限界は感じてないね。でもいずれは一人暮らしになる日がやってくるんだ。最後には空き家になるんだね。近所でも最近は何軒か空き家が出てきているよ。どうなるんだろうね。」

 空き家問題は日本中で都会も田舎も関係なしに起きている問題である。普通に考えれば空き家になった場所を更地にして、住宅を建てようと考えている人に売れば問題は解決するように思えるが、実際の現場ではそう簡単には進まなかった。

「空き家になった家は朽ち果てて倒壊しそうになると危ないので取り壊しを進めなくてはいけないけど、所有権の問題でそう簡単にはいかないのが現状なんだよ。」栄吉が説明すると雄一が「最後の一人になった独居老人が生きている間に取り壊して更地にすればいいけど、死ぬまで住んでいなくちゃいけないわけだから、そんなことするわけないし、相続した息子や娘たちはお金になるならば相続するが、家を壊す費用だけがかかるから手を出さないんでしょうね。」と考えを述べた。

「まさにそうですね。日本経済が全盛だった時はほとんどの人が中流意識を持てていたけど、今は格差の拡大で貧困層が増えて、一部の富裕層だけが裕福に暮らしているんです。ほとんどの人が親の古い家を200万円で解体してくださいと言われても、手を出せないのが実情なんです。」と栄吉が説明した。

「でも、相続した田んぼや畑は売ろうと思ったら売れるわけでしょ。なんで売らないのかな。売らないから危険な傾斜地や後背湿地だったところに家を建てなくちゃいけないんでしょ。」智子がもっともな意見を出した。

「そうなんだけどね、昔から農村では先祖代々から受け継いだ土地は大切に守らなければいけないという思いが強いんだよ。集落内にニュータウンを作ろうという計画が持ち上がっても土地を売る人が少ないから計画が頓挫してしまうことは多かったんだ。ただ、あと20年くらいしてほとんどの家が高齢者の独居老人になって空き家が多くなると、田んぼをまとめて住宅開発業者に売ったり、現在の宅地を平地にして売ったりする動きは加速するかもしれないね。現在はまだ、都会からの移住者に無償で空き家を貸与するような事業は行われているけど、これからはこういう動きも加速するだろうね。そうすると住宅地の開発も方向性が変わるだろうね。」

「本当にそうなりますかね。売る方の人たちの立場に変化があっても、買う方の人たちが農村の田舎の隣近所とのしがらみに強い地域の土地を買いますかね。」雄一は若い購買者の立場から考えた。

「でも、これだけの自然災害が多発している異常気象の世の中で、自然災害が比較的少ない昔から住民が住んでいる安全な場所以外に家を建てるのは危険と言うものだよ。」

2人の議論はかみ合わないまま、結論は先延ばしになった。大きな買い物だけに慎重にならざるをえないが、何を大切に考えるかと言う指標をはっきりと決めて、優先順位をつけるしか方法はなさそうだった。

7,新築物件・中古物件

 塩田雄一と智子の夫婦は三国の智子の実家で家をどこに建てるかの相談を終えて、市内のマンションに戻った。雄大を抱いたまま、部屋に入るなり智子が台所の椅子に座り

「優先順位をしっかりと考えましょう。」と雄一に提案した。雄一は頷き、対面して椅子に座って「これだけ自然災害が多いから、安全第1で考えるのが優先順位1番だと思うよ。」智子は「私もそのことには賛成。でも、嫁姑の煩わしさを避けることは優先順位2番で譲れないと思うの。」

「そうかな、教育環境とか実家に近いとかの方が優先順位が上じゃないか。」雄一が言うと

「女はそうはいかないのよ。どんなに仲良く見せても所詮は他人だから。嫁姑の争いは大昔から変わらないのよ。」ということで優先順位は1番 自然災害に強い事 2番 塩田の実家からある程度距離がある事 3番 教育環境 4番 老人世帯ばかりでなく雄大の同級生もいる事 というふうに決まった。1番からニュータウン九頭竜や柳谷ハイツなどの新興開発の分譲住宅地は排除された。2番の条件から塩田家の実家がある福井市山鹿町も排除された。あとは昔から人が住んでいるような比較的安全な場所で、教育環境が優れていて、若者も住み着いているような場所という事であった。

 翌週からどのあたりがいいか夫婦で見て回ることにした。まずは不動産屋に行ってみることにした。福井市中心部フェニックス通りに店を構える安井不動産に行ってみることにした。この不動産会社は福井市ではかなり手広く不動産を扱っており、住宅地、建売住宅、中古物件、賃貸マンション、分譲マンション、中古マンション、何でも手掛ける福井の大手不動産グループだった。通りに面して大きな看板があったのですぐに店はわかった。店の前の駐車場に車を止めて、店の中に入るとすぐに営業の女性がかわいい笑顔で声をかけてくれた。カウンターにすわって挨拶を交わすと、すぐに用件をかかった。

「家を建てる宅地を探しています。」と雄一が言うと店員の女性は

「条件はございますか。」と言うので智子が

「水害やがけ崩れがあるような開発した分譲住宅ではなくて昔から住民が住んでいたような所で、落ち着いた教育環境がいいところを探しています。何処かありませんか。」と滅多に聞かないような条件を聞いて店員はびっくりして目を丸くした。そして

「とりあえずコンピュータで検索しますね。宅地ですよね。市町村別ではどちらがご希望ですか。」カウンターに設置されたコンピュータのソフトを立ち上げた。

「福井市、吉田郡、坂井市で福井市山鹿町から車で10分以内くらいの範囲でお願いします。」と具体的な条件を言うとコンピュータに入力して出てきた候補を店員と一緒に画面で眺めていくことにした。候補は30か所以上出てきたがよく見ると河川の近くの後背湿地を開発したと思われるニュータウンばかりだった。店員の女性は

「お客様の条件では宅地開発業者の分譲宅地しかありませんね。農村集落のはずれの元々田んぼだったところか、農村集落の山際の田んぼを造成した宅地です。ご希望のような集落内の元々家が建っていたような所はなかなか売りに出てこないんです。昔から集落内の宅地は急に売らなくてはいけなくなっても、親戚か隣の家の人に買ってもらってきたわけです。うちのような業者に売りに出ることはまずなかったんです。」話を聞いて望みが薄そうな感じはしたが、店員の女性は違った角度から販売戦略を行使してきた。

「宅地としての販売用地はご準備できませんが、中古住宅ならあるかもしれません。少しお待ちください。」と言って条件を変更して検索し、中古物件の検索結果をモニターに示してくれた。モニターを見てみると福井市と吉田郡、坂井市という条件で中古物件が100件ほどリストアップされていた。どれもリノベーションされていて、写真を見る限りは新しそうだった。

「これどうかな。値段も手ごろだし、きれいそうな感じだよ。」と智子が声をかけた。

「福井市上野本町か。地図を見せてもらえますか。」と店員に雄一がお願いした。店員が周辺の地図を示すボタンを押すと周辺地図が現れた。

「だめだよ、ここは森田地区と坂井市磯部地区の間の田んぼだったところで、九頭竜川の堤防のすぐ近くだよ。堤防が近いから対象外だ。昔からの集落だったところで探してもらえますか。」と店員にお願いすると

「なかなか難しい注文ですね。市内中心部がいいですか、それとも農村部がいいですか。」と聞いてくれた。

「中古住宅で売りに出ている物件は何らかの理由があって売りに出されているもので、農村部ではあまり出てきません。やっぱり、新興住宅地に新築のお宅を建てられたご夫婦が離婚されたとか、お両親と同居しなくてはいけなくなってご実家に帰られるのでマイホームを売却されるとか言ったご事情の方が多いようです。だから、新興住宅地以外のところと言うと極端に減ってきます。たとえば、これなどはどうでしょうか。」と言って示してくれたのは、福井市内中心部の物件だった。狭い敷地にこじんまりと立てられた2階建て。築30年、敷地67㎡、建物112㎡、980万円だが横長な敷地にいっぱい建てられた感じがした。「街中なので生活はしやすそうですね。場所的にも福井のお城があった場所からも近いので、自然災害にも縁がなさそうな感じです。でも、敷地67㎡というのは余りにも狭いですね。」と言うと智子は「確かにね。たて6m横10mということでしょ。車を止める場所もないわね。」と残念そうに言った。それからも何件か見てみたが、街中でお店をしていた物件とか、山に近い傾斜地の物件が多く、希望にぴったりの物は見当たらなかった。

「なかなか、ピッタリの家ってないね。」智子の言葉にあきらめのような感情がこもっていた。街中でも田舎でも老人家庭が増え、独居老人の家や空き家も目立つようになったと言うのに、売りに出された家と言うのはなかなか出てこないのだろうか。

 とりあえず、コンピュータでの検索の仕方は見ながらマスターできたので、帰ってからしばらく見て、研究することにしてその日は帰った。

8,手取川の氾濫

 不動産屋から帰ってきてからはネットを利用して売りに出されている宅地と中古物件の検索をして、適切な物件がどんなところにあるかを調べていた。仕事から帰って夕飯を食べ、片づけをしたあと、雄大を寝かせてからなのでいつも9時過ぎになってしまう。

 その日は宅地を検索していた。よく調べてみると意外と更地に整地された宅地がいろいろなところにあることがわかった。ついでに雄一が子供の頃を過ごした福井市山鹿町も調べてみると、何か所かが更地になって売りに出されていることがわかった。

「あれ、この場所、近所の渡辺さんが住んでた場所だ。地図で見ると間違いない。なんで売りに出てるのかな。」雄一が近所の知り合いの家が取り壊され、更地になって売りに出されていることに衝撃を受けていた。

「その渡辺さんっていくつくらいの人なの?」智子が聞くと

「息子さんたちが僕の15歳くらい上だから、50歳位くらい。そのお父さんお母さんだから70歳から80歳くらいかな。ずーと会ってないけど、ご主人は亡くなったんだ。親父から聞いたよ。でも奥さんはまだ生きていると思うけど。ただ、2人の息子さんたちは東京で日本航空に勤めている人と名古屋でトヨタ自動車に勤めている人だよ。2人とも優秀だったから村では有名だったんだ。」と雄一は昔を思い出しながら感慨に慕っていた。

「お母さんが一人になってしまって、家をたたんで財産を処分して、お母さんをどちらかの息子さんが引き取ったんじゃない。山鹿町の家はいらなくなってしまったから解体して更地にして、売りに出したのよ。最近よく聞く話じゃないかな。」智子の想像力は素晴らしい。。核家族化が進んだのが1965年ごろの高度経済成長期、それから女性の社会進出が進み、2000年ころには平均寿命が延び、高齢化が進んでいった。ふるさとには高齢化した両親が残り、高齢者だけの集落が何とか存在してきたが、限界に達してきているようだ。

「高齢者が夫婦で生き残っている間は何とか生活を継続できるらしいけど、どちらかが死ぬと一人で生きていくことは不安が大きいらしいね。ケガして立ち上がれない状態でも助けも呼べないのが心配なんだよね。」

社会福祉の世界では独居老人は福祉対象者として保護対象に考えている。だから独居老人予備軍として老人世帯は把握されている。

「更地にして売りに出すという事はその村からその家の形跡がなくなるという事だね。」

やりきれない気持ちもするが、社会の変化から必然の時代だとも考えられた。

 太平洋戦争終結後、日本の家族形態は大きく変わってきた。家庭用電気製品の大衆化で女性は会社に勤めて共働きできるようになってきた。収入は大幅に増え、裕福になった。それを支えたのが大手家電メーカーの更なる開発競争。家事労働時間を大幅に少なくした。それに伴い、子育てにあてる時間も減り、極端な少子化が進み、夫婦で子供2人が一般的になってしまった。キャリアウーマンが増えると結婚しない女性も増え、ますます子供の数は減っていった。数少ない子供は成人すると都会の会社勤めするものが増え、田舎に残された両親は平均寿命の延びと共に100歳近くまで老人だけで生活するようになっていった。古い家を解体して土地を更地にして、都会の長男の家に引き取られていく高齢者は幸せな部類になる。多くは死ぬまで高齢者だけの世帯で生活をしていかなければいけない。

 そんなことを考えていると、窓の外で大きな雷が鳴った。雨も激しくなり風も吹いてきた。「なんか、外の様子がおかしいわね。テレビつけようか。」と言ってテレビをつけ、天気予報を見た。ニュースでは石川県地方に集中豪雨がありそうだと言っている。石川県野々市市には智子の妹が住んでいる。金沢のベットタウンとして開発の波が激しい新興住宅地が広がる若い町である。

「礼子ちゃんたちの家、大丈夫かな。新興住宅地だから心配だな。」智子は妹の新築の家を心配した。妹の礼子は開発が目覚ましい金沢市郊外の野々市市に土地を購入して、家を新築したばかりである。かつては近くを流れていた手取川は流路を変えてまっすぐに日本海に流れるようにしてあったが、巨大な堤防を過信することは危険であることは杉下の父から教えてもらっていた。礼子が住んでいる新興住宅地はかつては低湿地で、手取川を大きな堤防で囲い込んで出来た住宅地だ。

 テレビのニュースは石川県地方の大雨について連続して伝え続けている。夜中の12時を過ぎたころ、恐ろしいニュースを聞いた。鶴来市付近で手取川の堤防が決壊したというのである。「速報です。大雨が続いていました石川県の鶴来市付近の手取川で水位の上昇が危険水位を超え、一部で堤防を乗り越え周辺地域で床上浸水した住宅が出ているという事です。石川県は市町村を通じて周辺の住宅に避難勧告を出しました。」という内容だった。

「礼子の家も避難勧告出ているのかな。電話してみるね。」と言って智子は夜中だが携帯電話で電話することにした。震える指でスマホを操作して礼子の名前を検索して発信ボタンを押した。話し中のような音が鳴った。雄一も話したいかと思いスピーカー機能をオンにしハンズフリーにしてスマホをテーブルに置いてもう一度かけなおした。大きな音はしたが呼び出し音はせず、ツーツーと話し中のような音が部屋に響いた。

「どうしたのかな、電話かからないよ。」と不安をぬぐい切れない声で言うと雄一が

「災害のあった地域はみんなが一斉に電話するからかかりにくくなるよ。」と慰めるように言ってくれた。

「メールだけ出しておこうかな。」と言ってLINEを立ち上げ、グループラインに

『野々市の雨どうですか。手取川氾濫というニュース見ました。安否をご連絡ください。』と打ち込んだ。居ても立っても居られない気持ちになり、母親にも連絡してみた。

 母も心配で寝られなかったらしく、電話を掛けるとすぐに応答した。

「おかあさん、礼子から連絡あった? すごい雨みたいでしょ。テレビのニュースで映像が出たけど川が氾濫しているよ。礼子のところ新しい住宅地だからやばいかもね。」とまくし立てるように話すと

「こっちからも何回か電話かけるんだけど、かからないんだよ。心配だけどどうしようもないよ。まずは朝にならないと対応が取れないね。」と心配そうに話していた。お互いに連絡がついたら知らせることを約束して電話は切った。

 それにしても激しい雨である。記録的短時間大雨情報が石川県加賀地方に発令されたらしい。1時間に100mm程度の雨が降ったが、線状降水帯が発生し激しい雨が数時間降り続いた。福井でも降る雨の勢いが強まり、バケツをひっくり返したくらいの雨と言う言い方があるが、まさしく屋根や道路を叩く雨音が激しすぎて、隣の雄一との会話が聞き取れないくらいに感じた。

 夜中の2時過ぎになってスマホがピロリンと音をさせた。「LINEの返信かも知れない。」そう思った智子は咄嗟にスマホを手にとった。画面のデスクトップに礼子からの返信があったことを知らせている。

『ご心配をおかけしております。現在、近くの小学校の体育館に避難しています。2人とも無事です。近くの川が増水して家は現在床下浸水中。明日の朝、家に行って様子を見てからまた連絡します。』と入っていた。とりあえず妹たちの無事を確認してほっとした智子は母にも連絡して、明日の朝再び連絡することにして、寝ることにした。

 翌朝、被害の状況が徐々に明らかになってきた。早朝6時過ぎにテレビの電源を入れてニュースをチェックした智子は手取川の激しい氾濫の様子に息をのんだ。夜のニュース映像では暗くてわからなかったが、堤防を乗り越えて水があふれてきたと思っていたが、あふれ始めてからやはり堤防が切れていたようだ。手取川の右岸の切れた堤防の口から大量の水が低地に流れ、田んぼや畑は湖と化していた。流れ出している水は現在も激しく流れ続け、手取川の右岸を災害現場へと変えていた。ニュース映像の現場が次々と代わり、堤防が切れた鶴来市から白山市、金沢市、そしてついに礼子が住む野々市市の映像が出た。国道付近は少し高くなっているので浸水は免れているようだったが、住宅地の中には家の周りが水に覆われているところも映し出された。礼子のことが心配で朝食の準備も手につかない智子は実家の母のところへ電話した。「お母さん、ニュース見た?礼子のところ大変なことになってるみたいだね。」思わず早口で、まくし立ててしまった。「朝ニュース見てびっくりしてるんだよ。家が水に浸かってなければいいんだけど。礼子とは連絡ついたのかい?」

「まだだよ、これから電話してみる。あとでまた連絡するね。」と言って電話を切った。年寄りは心配しすぎてしまうから冷静に話さなくてはいけないなと反省した。電話の話声を聞いて起きてきた雄一は礼子の夫、佐藤三郎に電話してみることにした。佐藤三郎は金沢市で警察官をしている。自分の家のことも心配だが、おそらく治安維持のために仕事に出ているだろうと思い、災害の様子を聞けると思い電話することにした。昨夜とは違い最初から発信音がした。すぐに佐藤が出た。

「もしもし、佐藤さんですか。塩田です。いまどこですか。」

「今、金沢市内でパトロール中です。昨夜から厳戒態勢で警備にあたっています。金沢市内は高台が多いのでたいしたことはありませんが、周辺部の低地はかなり水がついているところがあります。特に手取川周辺部はすごいです。」と仕事をしながら電話に出てくれた。

「ところで、野々市の家はどうなの?」と聞くと落ち着いた声で

「今朝、パトロールのついでに家の近くに行ってみましたが、玄関近くまで水が来ていましたが、玄関が少し高くなっているので家の中には浸水しなかったみたいです。でも周りの家は床下に水が入った家が多いみたいです。礼子は昨晩から避難していますが、今日は家に行っていると思います。あとで連絡してみるつもりです。」と比較的落ち着いた様子だった。

「福井から応援に行ってあげたいけど、車は家の前まで行けそうですか?」と聞くと

「もうしばらく待ってください。道路が寸断されていますから、復旧してからのほうがいいと思います。まだ手取川からの水が止まっていませんから、手の付けようがないんです。お手伝いお願いできるようになったら連絡します。」と言って電話は切られた。

9,復旧への道のり

 礼子の家のことを案じて毎日テレビのニュースを見ていたが、石川県の雨は次の日には収まり、水も引いて行った。しかし、大量の土砂が取り残され復旧へのめどは立っていないとアナウンサーはコメントしていた。2日目の朝、ようやく礼子から電話があり、道路がようやく通れるようになったらしいので、手伝いに来て欲しいという連絡が入った。智子と雄一は会社に休暇を申請して石川県野々市市の礼子の家に向かった。

 午前8時に家を車で出発して、福井北インターから高速道路に乗った。気持ちは焦ったが高速道路は混んでいた。同じように金沢市周辺に救援活動に行く車が多かったのだろう。金津インターを越して県境に入ると山道のため、高速道路とは言い難いカーブの連続になる。混雑しているうえ小さなカーブの連続でスピードは落とさざるをえなかった。尼御前サービスエリアを過ぎると日本海に面してまっすぐな道になり、スピード制限が80kmから100kmになり一気にすべての車がスピードを上げた。助けを待つ肉親のもとへすべての車が急いでいるように思えた。

 白山インターを降りて金沢市内へ向かう道沿いに進むと野々市市に入った。道中、洪水の痛々しい爪痕が残っていた。道路わきの空き地は流れてきたであろうゴミと土砂で埋まっている。昨晩まではこの道路もおそらく同じように土砂で埋まっていたが突貫工事で道路だけは重機で土砂を取り除き通行できるようにしたのだろう。国道8号線からわき道に入り、新興の住宅地に進むと礼子の家が近づいた。住宅地の中は様相が一変した。まだ手付かずの復旧作業が現在進行形で進んでいて、家やマンションの壁には最高に達した水位がくっきりとわかる茶色い水平のラインが見えた。道路から1m近い高さに達している。床上浸水したと思われる家からは家人が濡れてしまった家具や畳などをごみとして外に搬出している。人々の額には汗が流れているが、表情に笑顔はない。失望と疲労感が表れていた。

 礼子の家の前に着くと車を止めて玄関に入った。幸いなことに佐藤家は家を建てる前に盛土をして80cm程度上げてあったらしく、水はついたが床下で済んだようだ。家の壁にはほとんど水がついた跡は残っていなかった。

 玄関の呼び鈴を押すと礼子がマスクと帽子をかぶりホコリ対策をして出てきた。

「大丈夫だった? 心配したよ。家の中はどうなったの?」と矢継ぎ早に質問すると

「おねーちゃん、それにお義兄さん、来てくれてありがとう。心細かったの。旦那は警察官だから休日返上で出動だし、家は床下浸水してるし、昨日から一人で死にそうだったの。」礼子は智子が来てくれたことで、安どの表情を浮かべたが、その目にはうっすらと涙がにじみ、一昨日の夜からの苦労がしのばれた。

「何から始めればいいかな。」と雄一が軍手をはめながら言うと

「お義兄さん、マスクをしてください。それに頭にはタオルでも撒いてください。すごいホコリですから。」雨がやんで水が引いたのはよかったが、天気が快晴になり暑さとホコリとの戦いになっていたのだ。身支度をした雄一と智子は礼子の指示に従い玄関周辺から家の周りにかけて堆積した土砂を砂袋に入れて通りに出す作業を始めた。スコップで泥をすくって砂袋に入れ、重くなった砂袋を道路に出した。一輪車があれば乗せて運べるがその用意はなかった。道路に出て周りの家の様子を見ると、床上浸水の家は悲惨な状況だった。畳は泥に汚れ使える目途はなく、家具類も水がついたところは木材の板が乾いて曲がり粗大ごみとして道路に山積みされていた。いずれ町が運び出してくれるのだろうか、各家から出されたゴミと土砂の山は見る見る高くなっていった。

 家の周りの土砂をすくい取るのに半日かかった。次に水道水を使って玄関や家の周りの犬走りなどを洗ってきれいにする作業に入った。水道水はほとんどの家で出しっぱなしなので勢いが弱い。ちょろちょろとしか出ない水で根気強く少しずつ洗っていった。

 床下浸水で終わったので被害は最小限にすんだ。不幸中の幸いである。近所の床上浸水のお宅は悲惨極まりない状況で、かける言葉もなかった。仕事を休んで救援作業に来た智子と雄一は大方の作業を終え、夕方帰ることにした。もう1日泊まって作業してあげると良いのだが、泊まって体を休めることも難しい状況だし、ご飯はどうすると言ったこともあり、帰った方が礼子の負担が少ないと考えた。礼子は避難所に戻って炊き出しされた食事を配給してもらうことにした。食材を購入しようにもスーパーが休業中なのである。

 「今日はありがとうね。おかげで心強かったわ。また連絡するね。」礼子は置いて行かれることに少なからず寂しさと心細い感じを受けていたが、何のもてなしもできないので帰ってもらうことにしたのだ。

智子は車に乗って助手席の窓を開けて礼子に

「体に気を付けてね。2日後の土曜日にまた来るからね。」と言って出発した。

高速道路を走りながら2人は家を建てる場所について再確認した。

「やっぱり自然災害を受けないような場所を選ぶことは重要ね。」智子は見てきた状況を踏まえて感慨深く話した。雄一もその意見に同意し

「建てる場所はじっくり選ぼうね。高い買い物だからね。」と慎重な判断を再確認した。

10,住宅建設地決定

 野々市から帰ってきて1ヶ月、マイホーム建設の場所をいよいよ決めようという気持ちが高まってきた。野々市の災害を目の前で見てから、雄一の実家である山鹿町の実家の近くに建てるのが一番安全だという事は感じていた。しかし、智子はどうしても雄一の実家の近くで義父と義母の顔を毎日見て生活することは、難しいのではないかと思い、ふんぎりがつかなかった。何処かほかに適切な場所があるのではないか。昔から住民が住み続けている旧来の集落で売りに出されている宅地。そんな場所を探せるのではないかと期待せざるをえなかった。

 新たな宅地候補が上がってきたのは久しぶりにネット上で不動産取引のサイトを閲覧した時だった。スーモというそのサイトはリクルート社が運営する業界再王手のサイトで、物件数も最大である。そのサイトの中で、いつものように検索条件を入力した。

 宅地のページで北陸、福井県と入力してから福井市、吉田郡、坂井市にチェックを入れて検索を始めた。すると200件近くの宅地が上がってきたが、中身を一つ一つ見ていくと分譲住宅地がほとんどで、田んぼだったところを埋め立てて分筆して切り売りしているところがほとんどだった。しかし、注意深く見ていったら中に少し様子が違ったものがあった。

 吉田郡永平寺町神明 70坪 998万円の価格だったが、新興住宅地ではなさそうだった。智子は明日が遅番で午後から出勤だったので一度現地を見てみようという事で、雄一に話してみた。すると雄一は松岡は福井市内と比べて田舎だけど教育環境もよく、もともと松岡藩があった城下町だったこともあり、田舎過ぎないところがいいかもということで、賛成してくれた。

 翌日、朝から智子は車で松岡の販売されている宅地の住所を探して出かけた。今の時代、場所を見つけることはさほど難しくなかった。車に搭載されているカーナビに住所を入力するだけで場所はわかった。ナビの誘導でゆっくりと車を進めていくと、松岡の中心地に近づき、大きな交差点の信号を左折して住宅地に入っていくと、カーナビが「目的地に到着しました。案内を終了します。」と抑揚のない無感情な声で教えてくれた。近くの道路わきに車を止めるとすぐに「売物件 安井不動産」と書かれた看板が目に入った。歩きながら更地の売地を見て回り、近くの状況も隈なく見て回った。古い街道筋の歴史ある街並みで、近くの家は歴史ある風景を残す半うだつの民家がある。おそらく江戸時代には勝山街道はこの道だったのだろう。松岡藩の館はすぐ近くの葵地区にあったらしいことは昨晩ネットで調べてわかっていた。

 通りを歩いていたら玄関先で掃除をしているおばあさんがいた。この近くのことをよく知っているのではないかと思い、声をかけてみた。

「こんにちは。あそこに売物件がありますが、あの場所はもともと何があった場所なんですか。」と聞くと、そのおばあさんは

「ここはね、30年ほど前までは林さんという機屋さんだったんだよ。このあたりは大きな機屋さんが連なっていて、にぎやかだったのよ。でも、不景気が続いてみんな廃業していったの。この通りも通りに面したところは古めかしい家が並んでいるけど、裏にまわると昔、工場だったところが空き地になって空いていますよ。廃業してから30年ほどは無人の工場が並んでいたけど、林さんも社長が死んで代が変わると工場を取り壊して、分譲して売ったり、新たな別の仕事を始める人もいたわ。あの売物件も大きな工場を取り壊して更地にして分譲して売り出したのよ。」と教えてくれた。

「奥さんのお家も機屋さんだったんですか。」と聞くと

「そうだったのよ。このあたりは大きな家が多いのはみんな機屋だったからよ。福井県は繊維産業が盛んだったけど、その中でも松岡は機屋の集まった地域だったわ。昔が懐かしいわ。」と話は止まらなかった。そのまま話が続きそうだったので一番聞きたかったことに話題を移した。

「このあたりは水害が起きたようなことはなかったんですか。」と直接的に聞いてみると

「このあたりは大丈夫よ。ここは九頭竜川の河岸段丘の上なの。松岡藩のお館が建てられたのもこの河岸段丘の地形を利用して建てられたくらいだから、水は安心よ。この河岸段丘の崖の下は新しい住宅地が開発されているけど、あまりお勧めはできないわね。ところで、あなた、住宅地を探しているのね。この物件は良いかもよ。」もしかしたらご近所づきあいすることになるかもしれない智子に親しげに勧めてくれた。

 10分ほど話して挨拶を交わして別れたが、車で候補地の周りをしばらく回って、雰囲気を感じて帰った。

 その日の夜、仕事から帰ってきた雄一に松岡の売物件の様子について話した。

「松岡行ってきたけど、もともと機屋さんの工場だった場所だったのよ。しかも城下町の街道に面していて、歴史ある街並みが残っているの。機屋というのは織物製造業の工場という事なんだけど、30年ほど前に廃業して最近工場を取り壊して分譲して売りに出しているらしいの。近所のおばあさんが教えてくれたわ。」雄一は自分も見に行ってみたいと思ったが、また見に行く機会はあると感じて、もう少し話を聞くことにした。

「あとね、売物件を見に行ったあと、小学校と中学校も見に行ってきたの。小学校は松岡小学校、歩いて10分くらい、中学校は松岡中学校、歩いて15分と言うところかな。どちらも歴史のある学校みたいね。部活動は強いのかな。」と智子が言うと雄一が

「僕は進明中学校で野球部だったけど、松岡中学校は強かったよ。地区大会決勝は松岡と当たって負けたんだ。バスケットボール部も強かったよ。」

「私は大東中学校のソフトボール部だったけど、松岡中には勝てなかったわ。」

学力はどうなのかという事はわからなかったので、今度知り合いに聞いてみようという事になった。2人の感触は悪くなかった。

 翌土曜日、2人は行きつけの安井不動産に足を運んだ。営業の若い女性は紺のミニスカートの制服を着て、今日も営業スマイルで2人を招き入れてくれた。 店に入るとカウンターに座り、奥から持ってきた冷たいお茶を頂いた。宅地を探していることは以前にも伝えてあった。単刀直入に

「松岡の神明の物件、先日見てきたんですけど、なかなかいいなと思って具体的なお話を聞きたいんですけど。」と智子が話した。するとカウンターに対面した営業の女性は

「少しお待ちください。今出しますね。」と言ってコンピュータで住所を入力して物件を検索した。モニターには見覚えのある写真が映し出された。売物件と書かれた看板が建てられた更地の写真だった。家で見つけた時にも見たし、直接現地に行った時も見てきた。

「この町の様子や売り主の方の様子などわかる範囲で教えてもらえませんか。」と雄一が尋ねると、その営業の女性は物件の内容を確認するようによく見て

「この物件は社長が詳しいので、社長と代わりましょうか。」と言って奥に入って社長を呼びに行った。しばらくすると社長と思われる人物が出てきた。社長は大柄で恰幅が良く、紺の高級そうなスーツに赤いネクタイをした50代と思われる男性だった。

「社長の安井大輔と申します。松岡の物件にご興味をお持ちだそうですね。私は松岡の住民なんです。この物件は私の知り合いの物件なんです。詳しいお話ができるお思います。何からお話ししましょうか。」と言って身を乗り出してきた。

「この分譲住宅は元々は大きな工場だった場所なんです。松岡は繊維産業が盛んな街で、戦前の昭和の初めから大きな繊維工場が立ち並んでいた場所なんです。工場の跡地と言うと宅地に向かない低湿地だったり山を削って作ったところに建てられたようなものがありますが、ここの場合は江戸時代以来の住宅地に作られた工場の跡地なので、自然災害の面では安全安心な物件と言えると思います。その工場を経営していたのが私の同級生のお父さんだったんです。」と言って物件の安全性を力説してくれた。雄一はさらに質問を続けた。

「松岡と言う町はどんなところなんですか。全く知らないところなので不安があります。煩わしい近所付き合いが残る古い体質の町なのかどうかですけど」と聞きにくいことを聞いた。

「それはどうでしょうね。私は神明の隣の薬師1丁目の住民ですが、自分で言うのもなんですが、この町は古い体質を残していると言えば残しています。今回の物件のある神明は江戸時代の城下町の時代からの町ですから、お寺も多いし神社のお祭りも古くからの物が残っています。御像祭りなんて松岡藩の初代松平昌勝の100回忌から続くお祭りです。松尾芭蕉が奥の細道で俳句を詠んだ天龍寺と言うお寺もあります。でも、この町は新しい住民も多いです。特に九頭竜川に近い新興の住宅地である清流地区は数百軒の家が建てられ、いまだに開発が進んでいます。気にしていらっしゃる災害のリスクと言う面では危険な地域ですが、住民の層と言う面では新しい住民が増え、古い風習を続けていきたくても新しい住民たちになじまないという事で、なくなっていくものも多いと思います。松岡小学校や松岡中学校はこの新しい住民たちがいなかったら生徒数が激減していると思いますが、この少子化の中、生徒数を減らさずに部活動も頑張っています。うちの子もこの学校に通わせていただきましたが、学力と言う面でも適度な生徒数を保ちながら昔からの落ち着いた雰囲気は残しているので、学力は県内でも高いほうだと伺っています。これは他の知り合いの方に確かめていただいても結構です。あと、高速道路の福井北インターがすぐ近くだというのも魅力ですよ。北陸自動車道と中部縦貫道のジャンクションがある福井北インターは福井市と松岡の境界線に作られています。いかがでしょうか。」社長の安井大輔は松岡の良さを力を込めて説明してくれた。『吉田郡永平寺町神明 70坪 998万円』安くないので簡単に決めることはできないが、売れてしまったら買うことはできない。モニターを見ながら価格のことが気になっていた。

「坪単価が14万2500円は福井市内でも高いほうじゃないですか。もう少し安くなりませんかね。」と値切り交渉もはじめてみた。社長は

「松岡は最近、人気の町でして、福井市内まで近いことと、町が落ち着いていて、教育環境にも最適と言う評判で、値が崩れないんです。九頭竜川近くの新興住宅地でも強気の相場だけに、今回のような災害の恐れのない古い町なみの中の住宅地となると、値段は下がらないと思いますよ。こういう物件は滅多に出ませんから。」社長はなかなかの営業マンだと思った。雄一は仕事柄、多くの営業マンとも仕事をするが、すすめ方がうまい。

「とりあえず、交渉中という事にしておいてもらって、しばらく考えさせてもらえませんか。」と提案してみた。すると安井社長は快く承諾してくれて、1ケ月の期限つきで、ほかの客との交渉はしないことを約束してくれた。

 家に戻り、さっそく松岡について調べてみた。ネットで調べてみると安井社長の言っていたように江戸時代、松岡藩があり、福井藩の分藩として松平昌勝が赴任している。しかし、福井藩が藩主の跡取りが途絶え、松岡の殿様が福井藩に入り、松岡藩は消滅している。古代の時代には越の国の中心地として栄え、その名残は松岡古墳群が残っているらしい。

 だれか、ほかに知り合いで松岡のことを知っている人はいないかと考えて、銀行の同僚に聞いてみることにした。同期のなかに松岡支店にいたことのある田中を思い出し、連絡してみることにした。仕事がひと段落着いた夕方6時ごろ、田中の携帯に電話した。田中は2年前まで3年間、松岡支店に勤務していた。昨年、同期で集まったときに田中がそう言っていたことを覚えていた。

「田中くん、久しぶりだね、塩田だよ。元気?」と聞くと

「元気じゃないよ。支店長からややっこしい仕事押し付けられて、頭抱えていたとこだよ。」と夕方6時だというのに帰れそうな感じではなかった。

「忙しいところ悪いんだけど、ちょっと相談したいことがあってね。実は家を建てようと思っているんだけど、松岡の神明地区、林という機屋さんの工場の跡地を買おうかと思ってんだけど、松岡と言う地区についてはどう思う。」

銀行員はありとあらゆる情報が誰よりも早く入ってくる業種である。経営が傾きつつある会社の事とか、資金繰りに苦しんでいる会社が土地を売ろうとしていることとか、地域の中で噂になる前に銀行に相談に来るからだ。同期の田中は

「林さんの工場ね。知ってるよ。林さんの息子さんが跡地を利用して何かできないか相談に来たけど、いいアイデアがなかったので土地を分譲しましょうかって話したのは、当時の吉岡支店長だよ。土地を遊ばせておいても固定資産税が払えないからね。農地ではないから年間20万円以上払ってたんじゃないかな。早く売りたかったと思うよ。出来るだけ高く売るために更地にして4つに分けて売り出すって言ってたから、そうなったんじゃないかな。でも、林さんは良い人だよ。息子さんは公務員だったと思う。しっかりしてたから、問題ないと思うよ。」と土地の所有者の情報を教えてくれてた。

「所有者は問題なしという事だね。値段的には70坪 998万円というのはあのあたりでは相場的にはそんなもんなの?」と聞くと

「おれも今、松本支店で土地の売買について調べさせられているんだけど、福井市中心部の松本地区で70坪だったら1400万円くらいだし、松岡だったらそれくらいだと思うよ。」とかなり詳しい情報を持っていそうだった。

「ところで、松岡と言う地区そのものは移り住むに値すると思うかい?」核心に迫る質問をした。

「それは難しい質問だな。人によって感じ方は違うからね。マンションに住むなら福井市中心部に近いほうが便利だよね。一軒家にすむなら郊外のほうがいいかな。郊外の中で松岡はどうかって言われると、僕は個人的にはいいとこだと思うよ。松岡の清流地区のことは知ってるかい。新しい住宅地だけど福井市内の人とか勝山、大野の人とかで特に公務員の人なんかが家を建てるのにたくさん入ってきているよ。松岡支店にいるとき、警察官の人とか、学校の先生とか、福井市役所の人とかが入ってきたと言う情報をよく聞いたよ。イメージとしていいじゃないか。近くに福井大学医学部があって大学病院があって、福井県立大学もあるんだよ。アカデミックな街って感じが受けるんだと思うよ。あまり産業があるところではないけど、福井市のベッドタウンとして優良物件だと思うよ。」と話してくれた。ちなみに田中も家を建てたが、松岡ではなく福井市森田町に建てたらしい。森田も新興住宅地が広がる九頭竜川沿いの町である。自然災害は心配だが本人には内緒にしておこう。

11,宅地の購入

 縁もゆかりもないところに移り住むというのは、かなりの思い切りが必要だ。簡単に決められるものではない。しかも宅地が998万円。上物の家が1500万円かけると約2500万円の買い物である。人生最大の買い物なので悩むのも当然である。雄一の両親とも相談したし、智子の両親とも相談した。銀行の同期の意見も参考にした。安井不動産に交渉中としてもらったのは1カ月である。期限はあと2週間に迫っている。

 雄一と智子は田中から話を聞いた翌日、夕食の後でこの話題になった。

「考えれば考えるだけ、どうして良いかわからなくなるわ。」智子は息子の雄大に食べ残しの野菜をスプーンで口に持って行って食べさせながら気持ちが確定しない状況を吐露した。

「どうすることがベストなのか、考えてもわからなくなるね。やっぱり不動産屋にもう一度相談に行こうか。」と雄一が食後のコーヒーのカップを右手で持ちながら提案した。息子の雄大は嫌いなブロッコリーを口に含みながら左右の両親の顔を交互に眺めている。

「そうよね。悩んでいるんだってことを素直に話せばいいよね。」と智子が悩み顔からやや明るい笑顔に変えながら答えた。雄大も智子の顔が明るくなったことで安心したのか、ケタケタ笑い出した。「それじゃ、明日、仕事が終わったら安井不動産の前で6時ごろに待ち合わせしよう。」ということで話はまとまった。

 翌日、雄一は銀行の仕事が5時半には出られそうになった。智子にメールすると智子も5時半には病院を出られそうだという返事が返ってきた。銀行から安井不動産までは歩いても10分ほどだ。智子の病院からは最寄りの駅から電車で乗り換えがあるが10分程度である。雄一は銀行を出ていつもとは逆方向に大通りを大股で歩いた。この大通りはフェニックス通りとなずけられている。戦災と震災から不死鳥のように立ち直ったシンボルとなった通りである。道の中央に福井鉄道の電車が走っている。雄一も電車でもよかったが歩いてもたかが10分なので、歩くことにした。

 6時10分前に安井不動産店舗に到着した。中に入ってカウンターに通され、座っていると智子も近くの田原町駅から歩いて店舗に入ってきた。

「待った?」

「いや、僕も今着いたとこだよ。」と言うと社長の安井大輔が出てきた。今日はグレーの高そうなスーツにセンスのいい青いネクタイで決めている。店舗は全面ガラス張りで表の通りから丸見えだが、その分、透明性が保たれている感じがする。白い椅子と白いカウンターテーブルは清潔感が漂ってくる。昔の不動産屋のイメージは通りに面したガラスには内側から物件情報の写真付きの短冊が所狭しと前面に張り出してあり、中の様子はうかがい知ることが出来ない小さな店舗という印象の店が多かったが、最近はこのような明るいオープンな店が多いようだ。

 安井社長は約束していた6時ちょうどに来てくれたことにお礼を言ってくれた。雄一は

「さっそくなんですが、私たち、先日の松岡の物件、とても気に入っています。しかし、見ず知らずの町に越していくことが、今一つ二の足を踏んでいて、思い切れないでいるんです。人生の最大の買い物だし、どうするべきか迷っていて結論が出ない状況です。もう少しご相談させていただきたいと思いまして、来させていただきました。」と悩んでいる状況を素直に話した。

「奥様はどうお考えですか。」物腰柔らかに社長は智子にも意見を聞いてくれた。

「私も松岡のことは気に入っています。郊外で静かそうだし、自然災害も少なそうな旧来の町だし、いいとこだと思うんですけど、やっぱり見ず知らずの土地に飛び込んでいく勇気と言うか、思い切りと言うか、言うなればギャンブルだと思うんですよね。人生最大の買い物でギャンブルしなくても、はずれのない確実なところの方がいいのかなとも思うわけです。」と煮え切らない考え述べた。

安井社長は「お二人のお考えはよくわかります。一生に一度の大きな買い物ですし、失敗はしたくないですよね。もし新興の住宅地だったら同じような年代の若いご夫婦が多いので、隣近所の付き合いも比較的安心です。でも今回ご紹介している宅地は旧来の宅地なので、ほかの住民の皆さんは昔から住んでいる人たちなので、お年寄りもいれば若い人もいます。どっちかって言うとお年寄りが多いでしょうね。近所付き合いは面倒くさいかも知れません。私も松岡の住民ですが、絶対大丈夫ですと断言はできません。」と言って私たちの悩みをわかってくれた。

 そして新たな話を出してきた。「ところで、ご主人の実家には土地はないんですか?」

そのことについてはさんざん議論してきたことだったが、雄一が

「うちの実家の両親は僕たちの家を建てるために土地を用意してくれて入るんですが、親子関係の付き合いがめんどくさいという事で、避けてきたんです。嫁姑問題なんて起きたらそれこそ面倒くさいですから。」と答えた。しかし、智子は眉間にしわを寄せて

「それじゃ、わたしが悪者みたいじゃない。そこまで言ってないわよ。」と雄一に不平を言い始めた。新たな場所をいざ買おうとなると、ふんぎりがつかなくて最初の議論に戻ってしまった。

「ようするに、どちらも自然災害は少ない旧来の住宅地である。松岡は縁もゆかりもないので近所付き合いが心配。ご主人の実家の山鹿町は親子の関係が心配。どっちも難しいですね。ただ、教育環境などはどちらも同じくらいだと思います。ただ、決定的に違うのはお子さんを育てるときに共働きだったら、ご両親の家の近くは決定的に便利です。私もこういう仕事柄、多くのご夫婦の家の新築を手掛けてきましたが、みなさんご苦労されています。特にお子さんが熱を出したとか、病気になったとか、学校がインフルエンザで学級閉鎖になって自宅に待機するなんてなったときに仕事に行けなくなってしまうわけです。」

「そうなんですよ。子供が保育園に行くようになって、うちでも大変なことに気が付いたんです。それに男の子って熱ばっかり出すんです。そのたびにどっちが休むかって喧嘩になったりして。」と我が家の事情を話した。

「どこの家でもそんなもんですよ。でも両親の家に近いところに住んでいらっしゃる方は、実家に預けて安心して仕事に行けるみたいです。私は松岡の住民ですから本当は松岡の分譲地を買っていただいたほうが、松岡のためになるし僕としてもうれしいんですけど、仕事柄、アドバイスさせていただけるのならご実家で用意してもらえる土地に新築なさった方が将来的に安心ではないかと思います。幸い我社では新築の家の建築も関連業者と共に行っていますので、ご相談いただけると思います。どうでしょうか。」

不動産屋さんは土地を売った方が儲かると思うけど、その経験をもとに実家の土地に家を建てることを勧めてきたので、説得力は大きかった。即断はできなかったが後日夫婦で実家の家の道路を挟んだ前の畑に家を新築してもらう契約に訪れることになった。

12,家の完成

 実家の前の畑は土木業者によって埋め立てられ、宅地として半年ほど放置して地盤が固まるのを待った。その間に市役所に行って農地だった場所を宅地に地目変更をした。翌年、6月に家の地鎮祭が行われ棟上げ式へと進んでいった。建築設計は安井不動産の建築部門が行い、建築そのものは関連業者である松友ホームが請け負った。設計の段階で夫婦は安井不動産に何回も足を運び、相談を重ねた。実家に帰って相談すると、昔の家はそんなんではなかったといろいろ言われ、宅地の場所選び以上にいろいろもめたが、なんとか問題をクリアしながら完成の運びとなった。

 一番喜んでくれたのは塩田家の父と母だった。雄一は長男で妹たちは結婚してよそへ嫁いでしまっていた。塩田家の土地や田んぼや畑、墓などを相続して守ってくれる人は誰もいなくなるところだった。それよりも父と母にとって体が動かなくなったり病気になったときに、家族が近くにいるというのは心強いと手放しに喜んで、親戚筋のみんなに話していた。

 新居が完成して4歳になった雄大が近くの市立保育園に入園した。入園して1週間目に早速発熱があった。夕食を食べてお風呂に入った後、少しづつ顔が赤くなってきて、体温計をあててみると39度。智子と雄一は「またか」と思い顔を見合わせたが、今までとは違い2人とも仕事を休まなくても良さそうなので喧嘩にはならなかった。夜のうちに本家の両親に電話をかけて、「雄大が熱が出たから、明日保育園を休ませる。1日、見てやって欲しい。」と連絡した。すると夜9時だというのにおじいちゃんとおばあちゃんが2人そろって雄大の顔を見にやってきた。

「ゆうちゃん、だいじょうぶかい。明日は母屋で寝ていようね。」と猫なで声であやして帰っていった。いよいよ出番だという意気込みが感じられた。

 その夜、熱のある雄大を寝かしつけて智子と雄一が実家の近くに家を建てたことを実感していた。

「お父さんやお母さんの家から離れていたらこんなに落ち着いてはいられなかったね。」

智子は熱のひかない雄大の額にぬれタオルをあてながらしみじみと語ると雄一も

「そうだね。松岡も良いところだと思ったけど両親の力を借りるには実家の近くが良かったね。智子が決断してくれたからだよ。ありがとう。」

と智子の背中に寄りかかって肩越しに雄大の顔を覗き込んでいた。2人とも幸せを感じる時間だった。


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