9.別れの後には出会いがある。
目の前で誰かが死んだ事も無いのに、ティウルが「もうダメだ」なんて分かってしまうのは何故だろう。
明らかに太刀が心臓を貫いているからだろうか。
ティウルの顔が、覚悟を決めたような表情を浮かべるからだろうか。
答えなんて出ない。けど、決まりきった現実だけがそこに残る。
───死。生きとし生けるものに普遍的に付与された絶対法則。
ティウルはもう、抗えない。
だが、俺はまだ───
(俺はまだ······死んでない)
抗え───!
······でもどうやって?
付与魔法はほぼ効かない。何か、何か無いか。
状況を打破出来る何か───
(······そうだ、付与魔法の重ね掛け。あれなら!)
いっぺんに三つの魔法陣を展開する、そのイメージを心に浮かべて。
「───三重継続回復付与!」
イメージ通り、三枚の魔法陣が俺を中心に展開され、そして傷の方も目に見える速度で回復してゆく。
折れて骨が突き出た足は、逆再生でもする様にもとある場所に収まる様だった。
(ぐっ······マジかよ)
だがひとつ、予想外な事があった。
頭が割れるように痛い、魔力の過剰消費した時の症状だ。
(普通の《継続回復付与》三回分の消費と比べ物にならないくらい多い!?)
なにかルールがあるのかもしれないが、そんな事は今は考える余裕が無い。
(例え魔力が尽きても構わない。なんとしてでも、こいつを倒す!)
「······《四重筋力強化付与》!」
······視界が霞む。まるでモヤでもかかったように、目の前の景色が白っぽく見えてきた。
意識はあるのだろうか······もはやそれも分からない。
それでも、目の前の虎だけはハッキリと見えている気がした。
虎が腕を振るう。これまでよりも速度が僅かに早い気がした。
俺はそれを反射的に避ける。
そして避ければ、次は太刀がくる。それは読んでいた。
空中で身をひねり、刃を躱す。正直無茶ではあったとは思うが、それでも避けた。そして生きている。
お得意の二連撃の後、隙をさらした虎に向けて拳を握りしめる。
「あぁあぁぁぁあ!!」
もはや何も考えられない。故に魂そのものを慟哭に乗せて拳を振るう。
その拳は確かに手応えを感じた······気がする。
何か声にならない奇妙な鳴き声を聞いた気がする。
拳を振り抜いた直後、俺はそのまま気絶してしまった。
***
「······ん、うぅ」
そして、目が覚めた。
頭を締め付けるような痛みに眉を顰めながら、俺は辺りを見回す。
まず視界に入ったのは、首が有り得ない方向を向いた虎の姿だった。
俺のパンチが首をへし折ったのだろう。横たわるその姿は生気を感じないし、何よりずっとハエが舞っている。死んでいるだろう。
そして、そこから少し離れた場所に転がる相棒の亡骸。
「······本当に、ごめんな」
相手の居ない謝罪を、ポツリと零す。
すると、ガサガサと近くの茂みから新たな動物が顔を覗かせる。
その姿を見て、俺は目を見開いた。
「お前······ティウルの」
ティウルが惚れた雌狼だった。
彼女はじっと俺を見つめるが、俺は咄嗟に目を逸らす。
(こんな事になって、どんな顔しろってんだよ)
不甲斐ない自分を叱責するが、過去は永遠に変わらない。
そのまま目を合わせないでいると、雌狼はのそのそとティウルの方に歩いてゆく。
顔を近づて何かをしているかと思えば、バキッという音がして、直後俺の目の前に何かが飛んでくる。
俺の前腕の程の長さがある大きな······牙。初めて会った時から印象的だったティウルの牙だった。
案外長く気を失っていたのだろう、その牙はもう既に冷たかった。
「これを······俺に?」
「グルル······」
雌狼がこちらを見つめながら唸る。俺に持っていけと言っているのだろう。
これを俺が持つ資格があるのだろうか。
······そう考えても答えが出るはず無かった。
そんなくだらない自問自答を繰り返している間に、雌狼はティウルの亡骸を咥えて森の中に消えていった。
1人取り残された俺は呆然と、ティウルの牙を握りしめる。
やがて───。
「······行こう、ティウル」
俺は重かった腰を持ち上げる。
そして、虎の死体に近づいた。
「······弱肉強食がこの世界のルールだ。お前がティウルを殺した事は別に恨んじゃいない。だから俺もルールに乗っ取って、お前の死は無駄にしない」
そう呟いて、虎を解体し始めた。そして解体が終わると、それを魔法の鞄に詰め込む。
そして傍らに落ちていた、虎がずっと咥えていた太刀を手に取る。
「これも使わせてもらうぞ」
そう言って歩き出した。あてはない、ただ進むだけだ。
───そして時間とはあっという間で、もう3日が経った。
ティウルの事はもう切り替えた······とは言えないが、多少気は楽になった。
確かに俺の為に死んでしまったが、アイツの分も俺は生きると決めた。生きて、ティウルと一緒に色んな所を旅しよう、と。
アイツの形見を、色んなところに連れて行ってやるんだ。
そして虎の太刀も、しばしば使うようになった。
お陰で剣術スキルは現在成長中で24レベルだ。
ちなみに鞘などはなく、かと言って刀身を包む布もない。歩行時は太刀は魔法の鞄に入れてある。
抜き身で太刀を持ったまま歩くのは体力の消費が激しすぎるからな。
······相変わらず迷子で森をさまよってるが、多少前向きになれるようになった。
そしてこの後だった。俺がアイツに出会ったのは。
***
「······もう強すぎません?」
ギリギリの攻防ではあったものの、虎に打ち勝った傑に対してハートゥラは唖然としていた。
下界の原生生物に関して、ハートゥラはそこまで詳しくはないが、それでも多少の知識はある。
その上で、あの虎は決して弱くない。否、相当に強い存在であったと考えていた。
「確かに強いわね」
ハートゥラに重ねて、レリェナも呟く。
「もしかして、私とんでもない人を異世界に送りましたか?」
焦った様子のハートゥラだが、レリェナは至極冷静だ。
「大丈夫よ。確かに彼は転移者として、破格の強さだと思うわ。けど、この世界には彼とは比較にならない程強い人間が何人もいるわ。まだあの程度なら、秩序は変わらないわよ」
「······そう、ですか。それなら良かったです」
「ねぇ······話変わるんだけど」
「なんですか、先輩?」
レリェナは今度こそ神妙な顔をしてポツリと。
「この男、どんどん森の中心部に向かってない?」
「······!!」
女神たちは気づいてしまった。だがだからといって、傑は気づかない。
「······という事は、彼に興味を持ったアイツって、まさか?」
レリェナは、アルファスの残した言葉をふと思い出すのだった。
***
「歩けども、歩けども、森は続く······。この世界全域が森ってこと無いよな」
もう長い事歩き続けている俺は、そんな愚痴をこぼす。
もう半月近く歩いているのに、森を抜ける様子が無いのだ、さすがに不安になるというものだ。
「さすがにここまで森が続くと、しんどいとかじゃなくめんど───うわっ!」
突然、ガクンと体が落下する。考え事をしながらの歩行は危険であった。
足を踏み外したらしく、重力に引っ張られていく。
(やば······何の穴だろ───って深すぎないか!?)
数秒の浮遊感の末、尻から地面に激突する。しかしその着地点はどうやら坂道だったらしく、二回ほどバウンドを繰り返し、激しく転がった末にやっと止まった。
「〜〜!痛ってぇ······」
尻を擦りながら立ち上がるが、そこは真っ暗で何も見えない。
「光が届いてないのか。とりあえず······《光源付与》」
指先に魔力を集中させると、見事に光らせることができた。空間を照らす事は出来ないが、薄ぼんやりと周囲は見える。
付与魔法も大分慣れてきたものだろう。アドリブで、結構色々な事ができるようになってきた。
(不人気職と聞いていたが、これ結構万能だと思うけどな。)
周囲を見渡すと、洞窟のような空間で奥へと続いているらしかった。
落ちた穴を登ることも考えたが、出来るかどうか分からないと思い止めた。
付与魔法の使い方次第では飛んで上がることも可能だろうが、途中で魔力が切れたりしてしまうと受け身が取れないまま地面にぶつかる可能性がある。
ともかく、慎重に行くべきだろう。
周囲の気配を警戒しながら、ゆっくりと歩を進める。
暗闇から巨大な魔物が襲いかかってくる可能性も十分にあるのだ。どんな状況でも対応出来る様にしておかなければ。
そろりそろりと進むうち、広い空間に出た。
そして思った。
───何かがいる、と。
こう長い事サバイバルをしていると、どうも気配とかそういうものに敏感になる。それらが察知できないと、直接死に繋がるからだ。
そしてこの空間······空気の流れがおかしい。まるで息遣いのようだ。いや、本当に何かが息をしているのだ。
などと警戒していると、声が聞こえた。
『よく来たな、人間』
その声には、聞き覚えがあった。
転生初日、逃げ惑う俺の頭に響いたあのドスの効いた高慢な声。それと同じだった。
「······よく来たなって、歓迎してくれるんなら、明かりの1つでもつけてくれないか?真っ暗で何も見えないんだわ」
得体の知れない何かが居る。それは些か恐ろしいが、ここで下手にビビっては逆に良くないだろう。ここは気丈に振る舞うが吉と判断した。
『ふむ、それもそうか。わかった、明るくすればいいのだな?』
すると何も無い暗闇から突如、一筋の炎が伸びる。その炎は壁に触れたかと思うと、そのまま壁を伝い、天井まで伸び、空間を照らす照明になった。
「······!」
明るくなれば当然、声の主も分かるというものだ。その姿を見て、俺は言葉を失った。
あまりに巨大で、気品に満ちていた。深紅の鱗に包まれた全身と、鋭い目がこちらを見下ろしている。
この姿で人語を話せば、あれ程の重低音になるのも納得が行く。
『······どうした、人間?ドラゴンを見るのは初めてか?』
ずっと俺に話しかけていたのは、燃えるような赤い鱗をしたドラゴンだった。