追憶の果てにある物
棚の影から顔を出した君が、爽やかな朝の訪れと共に笑い、そして充実した一日を俺にくれた。
君の煎れてくれたコーヒーは、毎日飲んでも飽き足らず、君の作ってくれた食事は、変哲の無い退屈な業務の唯一の褒美だった。
「アサヒーナ」
「はい。旦那さま」
始めこそはぎこちなかった『旦那様』も、次第に打ち解け今度は恥ずかしさからか『旦那さま』へと砕け、敬意と言うよりは愛称のような感じになっていった。
デスクに座り、置かれたコーヒーを手に取る。
その香りと色と光りが、確実に生きている事の喜びを──
(……やけにコーヒーが濁っているような…………?)
コーヒーカップの液面に小さな波紋が現れ始め、次第にそれは大きくなっていった。
(……俺のデスク、こんなに広かったか…………?)
普段は書類が山積みになっているデスクなのに、今日は紙切れ一枚すら見当たらない。そしてデスクはカタカタと小刻みに揺れている。
(……外がやけに暗いのは…………?)
窓の外は夜のように暗く、空には茶色の太陽が、剥がれたシールの様に捲れていた。部屋が揺れ始め、俺は立っていられなくなり、慌てて机の下に隠れた。それでも体の揺れは治まらない──
「……さま!!」
「旦那さま!!」
「旦那さまぁぁ!!!!」
──目が開いた俺に、焼けた臭いと広い空、そして目の前で泣く女性の情報が与えられた。
「スマン……アサヒーナ…………」
「旦那さまぁ…………!」
ぐちゃぐちゃの泣き顔が、俺の頬に手を当て、そして容赦無くつねり上げた。
「イデデ……ギブギブ……本当に死ぬ…………!」
アサヒーナの肩を借り、ゆっくりと腰を起こすと、そこにはあるはずの屋敷が廃虚と化していた……。
「……な、何だコレは……!?」
屋敷は焼け落ち、周囲に瓦礫が散乱していた。
「それについては私からお詫び致します」
「──!」
後ろから見覚えのある顔が現れた。ガブリエルだ。
しかし、ガブリエルの翼は根元からもぎ取られ、身体中からは信仰エネルギーが漏れ、立っているのがやっとのようだった。
「その怪我は何だ!? 何があったんだ!? 屋敷は何故壊れている──!!」
「旦那さま……!」
アサヒーナが俺の手を握り、何とか落ち着きを取り戻す。
「私は……兄上──ミカエル様に背き、彼女を殺めようとするミカエル様の前に立ち阻みました。しかし私では彼を止めることは出来ませんでした…………主が人を殺める事を教える筈がありません…………彼は道を誤ったのです…………!」
「ふん、この期に及んで仲間割れか……」
「翼を失い、力を失った私は、もう天界へは帰れませぬ。しかし悔いてはおりません。主の教えは私の中で今でも生きておりますから……」
「……そうかい。そいつは幸せな事で」
「では、私はこれで…………」
ガブリエルが弱い歩みで立ち去ろうとする。
「旦那さま……あの方は私を助けて下さいました。何卒寛大なご処置を…………」
「しかし奴等はアサヒーナを──」
「お願いします……」
潤んだ瞳で優しく俺の手を握るアサヒーナ。そこまでされたら俺も何も言えなくなってしまうではないか…………
「……おい」
「…………え?」
「……行く当てが無いなら、ウチで働かないか? 幸い仕事なら山積みだ」
「良いのですか?」
「……アサヒーナに免じて、な」
「おーっと、ハッピーエンドはまだ早い。もう暫くのたうち回ってもらいますよぉ?」
木の陰から不意に現れた装束姿の女は、ガブリエルを突き飛ばし、片手に持っていた何かを此方に向かって投げた。
──ドサッ
それは、ひめたんだった…………
「──!!」
ひめたんは血に塗れ、息も絶え絶えで今にも力尽きそうな程に痛め付けられていた。
「困るんですよねぇ。神器を勝手に持ち去られちゃあ……しかも八咫鏡は壊れたときたもんですら…………その大小は高く着きますよぉ?」
「な、何だと……!? お前は誰だ!!」
「おっとぉ、この姿でお目に掛かるのは初めてですねぇ? 天照大神ですよ。ア マ テ ラ ス !」
アサヒーナが倒れるひめたんを抱え声を掛けるも反応は無い。
「何故ひめたんを──!?」
「このガキャァは人が岩戸で飯食ってる間に盗っ人猛々しくもコソコソと……あの神器は又と無い無双の長物! ほれ、さっさと天叢雲剣を返してもらいましょうか!!」
天照大神が手を此方へと向けた。此方は既に戦える状態ではない。選択肢は一つ。
「……ほらよ」
天叢雲剣を天照大神に向かって投げた。放物線を描いた天叢雲剣は、そのまま導かれるように奴の手の中へと納まった。
「それでは……♪」
天照大神は木の陰に姿を消し、俺達はそのまま呆然とするしかなかった…………
次でラストじゃい!
(・ω・っ)З




