魔の朝 地の昼
ベッドで寝たはずの俺は闇の中で目を覚ました。
「……ここは何処だ」
「貴方様の精神を魔界へと降臨させて頂きました」
闇の水の中から浮かび上がるかのように、闇をはじきへカーテが現れた。
「……何か用か?」
「真相をお伝えに参りました。貴方様の大事な人に関わる事で御座います」
「何故先日お前の屋敷に行ったときに言わなかった?」
「色々とあるのです。申し訳ありませぬ」
へカーテが上を指差し頭を下げた。どうやら上の階級に位置する悪魔が一枚噛んでいるようだ。実に苛立たしい。
「…………手短に話せ」
「……承知致しました」
「その女──アサヒーナとやらはただの女ではありませぬ。いえ、元は至って普通の人間なのですが、魔界にてとある魔術を加えてありまして」
「!?」
思わずへカーテに踏み込もうとしたが、足下に力を込めるとズブズブと闇の水の泥濘の中へと足がのめり込まれ姿勢を保つのがやっと……どうやら、話を聞かせるだけのつもりらしい。
「おっと、事の発端は我々ではありません…………天界ですよ」
「なんだと!?」
「簡潔に話しましょう。私も忙しいのでね……。人間界に生まれた少女が一人、ある日のこと聖域に迷い込んだんです。人の身で在りながら聖域に辿り着けるのはごく僅か。以前辿り着いたのはジャンヌ・ダルクが最後。この少女に目を付けた天界は少女に福音──いやいや、奴等が勝手にそう言っているだけで実際は洗脳と変わりませんね、失礼失礼。とにかく少女を天界の都合の良いように操ろうとしたのです」
「…………」
ペラペラと軽快な語り口で話し続けるへカーテ。以前とは違う口調な辺り、どうやら俺は本当に奴等に取って都合の良い存在として扱われていたと考えて間違いなさそうだ…………。
一呼吸置いて、へカーテの話はまだ続いた。
「しかし我々と天界の目的が合致している辺りが実に面白い。そこで魔界もその計画に便乗しようとした訳ですな」
「何処が簡潔なんだ? 何が言いたいのかさっぱりだ」
へカーテの顔の周りの闇が濃くなり、左半分が闇の雫を垂らしたかのようにぼやけ波打つ。そして口角を上げ諂った。
「あいすみませぬ。これは大事な事で御座いますので…………」
一瞬だけへカーテの顔が全て闇に覆われた。
そしてゆっくりとまた、その全てが闇から現れた。
「奴等は我々より狡猾で残忍だ。そしてその為なら福音を受けた少女すらも平気で殺すだろう」
「!!」
「何を驚いているのです? 貴方ならそれ位は想像がつくと思っていましたけれど?」
「待て、理解が追い付かない──」
「鏡の力を貴方に戻すこと無く、貴方がもう一度世界の英雄として降臨するには、鏡に頼ること無く貴方の力を更に引き出す必要があります」
「ふざけるな──」
「欠片は言わば起爆剤。姑息な男が鏡の欠片を手渡したことも、全て奴等には筒抜けでしょう」
「それ以上──」
「奴等は三日後、貴方の目の前で彼女を殺すことでしょう」
「止めろ──!!」
「怒りを抑えきれず頂点を振り切り、淀みない力が貴方を包み込み、貴方はその奥底に眠る更なる躍動に目覚め、力を余すこと無く発揮する事でしょう──それが天界の企みです」
勢い良く一歩踏み出そうとして泥濘に足を取られ、俺は大きくバランスを崩してしまい、へカーテが視界からフェードアウトした。手を着き妙な生暖かい感覚に包まれるが直ぐさまに抜き、膝に手を当て立ち上がると、既にへカーテの姿は消えていた。
視界に灰色の澱みが現れ、視界一面が黒と灰色の斑模様に変わりゆく。そして全てが灰色に染まった時、遠くから聞こえてくるような小さい声が聞こえてきた。
「天照大御神、そう呼ばれて久しくなります。古き古の時代に高天原を治めておりましたが、力及ばず天界の一部として吸収され、それ以降我等は『地の神』としてこの大地に根付いたのです……」
「今度はなんだ……! 一体ココは何なんだ!?」
「天界と魔界の争いで傷付くのは彼等だけではありません。我等地の神はどちらにも属せぬ者達。戦争で生命エネルギーが失われ、やがては存在することが難しくなりますでしょう……神阿多都比売も遥か昔は大人の姿だったのですが……」
「……言いたいことはそれだけか?」
あまりにも一方的な語り草に、苛立ちが収まらずにいるが、足下の泥濘は既にもう無くなっていた。が、掴み掛かる相手の姿は何処にも見えない。
「私も、もう形として存在することが出来なくなりました。故に声だけで貴方とお話ししております。率直に申し上げますが、天は彼女を生かしておくつもりはありません。魔は貴方を生かしておくつもりがありません。そしてそのどちらも選択出来ぬ貴方にお願いが御座います。魔と天の二方を懲らしめて頂きたいのです」
「…………つまり俺にお前たちの復活を手伝えと?」
利己的で自己都合な戒律を推し進める天界、そして暴虐と私欲が支配する魔界。力の崇拝と言う意味ではどちらも似た者同士なのだが、犬猫戦争の様な傍から見たら大した事の無い問題で争う世界。そこに巻き込まれた俺達は実に滑稽で情けなくてやるせない……少なくてもアサヒーナに関しては可哀相で申し訳がない。
「どう取るかは貴方にお任せ致します……しかし、どちらかに加担することは、どちらかの死を意味します。ゆめゆめお忘れの無いように…………」
そう言い残すと、視界がいつもの部屋へと戻り、自分の足がしっかりと地面の上に立ち、壁や本棚、デスクが本物である事の手触りを得ることが出来た。
「…………チッ!」
行き場を失った無気力が、部屋へと渦巻いて沈殿した。




