31転目 忘却
気付けば世界は姿を変えていた。
破滅を迎え、再び見慣れた河川敷へと帰って来たのだ。
「あれ、俺...確か......」
意識を戻した偽気は、自身の記憶を辿っていた。
朱莉たちへ向け、確かに誰かの名前を口にしたのだ。
「そん...な。」
偽気が幾ら記憶を辿ろうとも、その人物を思い出すことは無いようだ。
ただ少し前、「自身と同じ力を持つ誰かと戦い、仲良くなった」その確かな事実のみが頭を交錯する。
あれほどの時間を共に過ごしていたはずなのに、顔すら思い出すことができない。そんな夢現に、胸の鼓動は徐々に加速していく。
「これって...」
「経験した事や共に居たという記憶だけは残り続けるんだ。だから写真からその人だけを切り取るみたいに記憶にはぽっかりと穴が空く……。まるで今の偽気くんみたいにね」
病院で良太が発したセリフが、偽気の頭を強く締め付ける。
「そっか...これが......。」
初めて経験する死の理解。
偽気の頬に一滴の雫が流れ落ちた。
31転目 忘却
――――――――――――――――――――
偽気は、朱莉宅へやってきた。
実家のように通い詰めていた為、迎えなどなくとも自らの足で向かう事が出来る。
こうして転生の度にここへ集まるのも、今では恒例だ。
インターホンを鳴らせば、いつものヤクザ顔が出迎えてくれる。
だが彼もまた誰かの死を察していたようで一段と優しい面持ちであったことに、偽気は気付くだろう。
「おはようあかりん……」
「おう。まあ入れ」
リビングでは一足先に家に上がっていた愛女が机に顔を伏せている。
「おはよう偽気君」
「おはよう愛女さん」
軽く挨拶をすれば、偽気は愛女の正面の椅子に腰を掛ける。
皆思うところがあるのだろう。
この部屋に漂う重い空気は、朱莉が皆の朝食を作り終えるまで続いた。
「飯、出来たぜ」
朱莉はうなだれる彼らの前に、優しく皿を置いた。
極上の香りに釣られ、二人は顔を上げる。
そこに置かれていたものは、朱莉の得意料理「ラザニア」である。
黄金色に輝く焦げ目からはふつふつと音が鳴る。
そこから微かに漂う芳醇な香りは赤ワインやトマトによるものだろうか。
一見家庭的だが、高級レストランで提供されているような手の込み様。
19歳の作った朝食とは思えぬほど豪華な一品である。
「相変わらずすごいね……」
愛女は思わず言葉を零した。
朱莉の料理の腕はもちろん知っていたが、これほどまでに手の込んだ朝ごはんは初めての事である。
恐らくは朱莉なりの激励であろう。
途端に偽気の腹が鳴る。
やはり人間は本能には抗えないのだろう。
赤面する偽気を見た二人はたまらず笑みを零した。
「んまぁ、とりあえず食え! 悩みなんざ飯食った後で好きなだけ悩め!」
「それもそうよね! 偽気君もおなか空かせてるみたいだし!」
「みんな...ありがとう」
三人は手を合わせ、食に感謝を告げる。
そして目の前のご馳走に食らいついた。
――――――――――――――――――――
ラザニアを食べ終えると、朱莉は一人洗い物のためにキッチンへと向かう。
普段であれば愛女も手伝うところだが、今日に限っては朱莉が許してくれないようだ。
愛女は朱莉の計らいに素直な感謝を告げ、抱えていた胸の内を偽気に打ち明けた。
「私、こういうの初めてじゃないんだよね」
これは自身の知る意石持ちが命を失った経験の話だろう。
偽気もそれを理解し、小さく頷いた。
「まあそりゃあ殺し屋やってたし、経験自体は当たり前なのかもしれないけど……。私は、偽気君の時みたいに取り入った相手をこれまで犠牲にして生き延びてきたの。中には優しい人たちもいたんだけどね」
自分は最低だと言いたいのだろうか。
決してそれを口にはしなかったが、その乾いた表情を見れば嫌でも伝わるだろう。
「ごめんね。ちゃんと話さないとって思ってたんだけど、嫌われたくなくて言えなかった……。」
「そんなことで嫌いになったりしないよ」
「......どうしてそう言い切れるの?」
予想だにしなかった返答に、愛女は目を丸くする。
「俺、知っての通り結構記憶がなくてさ......。 だからその間に何やってたかもわかんないし、何も言えないんだよね。それに俺が見てるのは今の愛女さんだから、過去に何があろうと嫌う理由にはならないさ」
偽気は愛女に精一杯の笑顔を見せる。
愛女も彼の意図を察し、笑みを浮かべ、それ以上は話そうとしなかった。
「俺さ、死が怖かったんだ。 もちろん俺が死ぬこともそうだけど、周りの人が死んでしまうこととか、俺が死んだ時のみんなの表情とか考えちゃってさ...。」
偽気がそれを自覚したのは二度目の狂死郎戦である。
あれから、目の前で友達が次々に倒れて行く姿が、頭の中から離れなかったのだろう。
「だけどさ、愛女さんのおかげで、恐れたり悲しむばかりじゃなくその人の事を忘れないことが大事なんじゃないかって今ようやく思えた。 名前や容姿が思い出せなくても、その人の残した奇跡を慈しんで忘れないでいればきっと少しだけ前を向ける気がするんだ。 だから俺はこれからも戦い続けるよ。 例え裏切られようと、自分が死のうと、誰かの中で自分の軌跡が残り続けるようにね」
いつしか偽気の頭にかかっていた霧は消えていた。
悲しみや苦痛が消えたわけではないのだろう。
ただ偽気は、前の向き方を知ったのだ。
死と向き合い他者を思うからこそ、自身が挫ける訳にはいかない。
それを今、理解し歩みだした。
「偽気君はやっぱり優しいね」
「そんなことないよ。 ただ、怯えるくらいなら虚勢張ってた方がましだなって思っただけだよ」
「ふふ」
「わ、笑うことはないだろ!」
「ごめんごめん! ただ、あなたに出会えて本当によかったなって思っただけ!」
「そ、そっか……」
偽気はみるみる顔を紅潮させる。
洗い物をしていた朱莉も、そんな二人を眺め微笑んでいた。
「さぁて、一先ず気持ちの整理がついたみてぇだなてめぇら! こっからどうすっか考えるぞ!」
布巾で手を拭いながらリビングへとやってきた朱莉がいつもの調子で話しかける。
結局のところ、今後の方針を決めない限りは動くことすらままならない。
それを理解していた二人も再び頭を悩ませ始めた。
「そういえば、一個思ったんだけど……私の月詠と意石持ちの記憶の消え方ってちょっと似てるんだよね」
「あぁ? そりゃあどっちも記憶消えるんだから似てるも何もねぇだろ」
「まあそうなんだけど、私のもなんていうか…記憶の抜け殻が頭の片隅にいるというか……局所的に抜け落ちる感じ?」
「なるほど…確かにそうなのかもしれないけど……。意石と月詠になんか関係があるってこと?」
「それはわかんない。でも、ただ似てる気がしただけ――」
その時、朱莉卓のインターホンが鳴った。
「あぁ? 来客だぁ? 転生初日にこんなことなかったよなぁ」
「うん...意石持ちかな?」
「だとしたら危険かもね……私が偵察しようか?」
「いやぁ、こんな初日から危険を冒すバカはまあいねぇだろうし俺が出るわ」
そうして朱莉は玄関へ向かう。
二人は悠然と進む朱莉の背中を追うだろう。
緊張が走る中、扉の先にいた男は――。
「ようこそお越しくださいました。この滅期に。」
来客であるにもかかわらず、開口一番に歓迎をする紳士であった。
「「は?」」
愛女と偽気は腑抜けた声を漏らす。
「申し遅れました。わたくし、鳥飼 聡一と申します。」
鳥飼聡一と名乗る男は、黒いタキシードにシルクハットを被った紳士的な様相をした男である。
(あれ? この人どこかで見たような……)
偽気の感は正しい。
朱莉と共に行った高級レストランで、狂死郎の襲撃の最中も優雅に食事を続けていた男である。
「あぁはいはいなるほどね、俺は興味ねぇからさっさと帰った帰った」
朱莉は聡一を一瞥し、押し売り業者をあしらうように払い除ける。
「おやおや、やはり朱莉様は興味がないご様子ですね。 ですが今日御用があるのはそちらのおふたりですよ。 篠尾愛女様、そして萩原偽気様」
聡一は当然その反応を知っていたと言わんばかりに二人へ視線を移す。
もちろん当人はその意味を理解していない。
初対面の胡散臭い紳士が自身らに用があるというのだからそれも当然であろう。
「えっと......ひとまずどちら様?」
愛女の問いに聡一はハッとする。
そして彼はシルクハットを取り、大きくお辞儀をする。
「大変失礼いたしました。 私は合名組織『幽鳥』の人事担当、鳥飼聡一。 あなた達を正式にこの世界の住人として迎え入れ、名を授ける為に参りました。 生憎名刺は持ち合わせておりませんが、以後お見知りおきを」
彼の説明を聞いたところで、二人は互いに見やり首を傾げた。
そして続けざまに偽気が疑問を投げかける。
「え、ええと……まず幽鳥って何ですか?」
「あぁ、簡単に言うと繰り返すこの世界を裏でまとめてる組織だ。 どうやらお前らに異名を授けたいらしいぞ」
問いに答えたのは朱莉だった。
恐らくは以前自身も似た経験をしていたのだろう。
「なるほど? つまり俺たちはその組織に認められたってことか」
「いやはや、話が早くて助かります。さすがは朱莉様とそのご友人だ。」
聡一は相も変らぬ薄ら笑いを浮かべている。
あまりの胡散臭さに身をたじろぐ愛女を他所に、偽気は朱莉へ質問する。
「なんであかりんそんなに詳しいの?」
「あぁ、知人がその組織の人間だからな」
「才善様ですね。 彼は非常に優秀。その能力と持ち前の頭脳で私共も非常に助けられております」
「なるほど……あの人それで色々詳しかったのか」
話に合点がいった偽気は手を叩く。
続けて愛女も疑問を問う。
「それで、あかりんはなんでその人突っぱねたの? 異名って聞いた話だと特に悪い印象ないけど……」
「そりゃあこいつが単純に胡散臭ぇからだ。 良太から話も聞いてるからまぁ嘘はついてねぇと思うがぁ……それにしても胡散臭すぎる」
「「確かに」」
二人は頷いた。
「まあまあ、私が胡散臭いのは生まれつきですので。 それよりいかがですか?」
「んー、私はどっちでもいいけど……」
「俺は欲しい! かっこいいし! なああかりんもつけてもらおうぜ、異名!」
当然予測していた反応ではあったが、興奮する偽気を見て朱莉はため息をついた。
「あのなぁ偽気ぃ……浮かれてるとこ悪ぃけど、異名が付くってことは名を馳せるってことだ。 これからいろんな奴から狙われるってことだぞ?」
「わかってるって! 早くつけてもらおうぜ、異名!」
本当に理解しているのか怪しいところではあるが、思春期の中二心を抑えることなど何人たりともできないものである。
根負けした朱莉は、彼の要望を飲むだろう。
「わぁかったよ。 お前らだけ狙われても敵わんし、俺もその提案乗ってやる」
「左様でございますか。 朱莉様もお気持ちを改めていただけたようで光栄です」
「んで、どうやって異名ってのはつけるんだ?」
「正確にはもう決まっております。 我々幽鳥が勝手に呼んでいるものではありますが、それをご本人様に認めていただき、世に広めるため、我々はこうして出向くわけです」
「なるほど、んじゃあちゃっちゃと教えてくれ」
ワクワクを抑えきれない偽気、あまり興味がなさそうな愛女、そして乗り気ではない朱莉を前に、聡一は咳ばらいをする。
そして異名の発表が行われた。
「まずは偽気様。あなたはとても稀有なケースとなりますのであくまで仮ではありますが、良太様のお話の通り『終の使徒』とさせていただきます」
「終の使徒……よくよく考えるとめちゃくちゃかっこいいな!」
偽気は自身の異名に満足が行ったようだ。
「そして愛女様、あなたは『血染めの天使』となっております」
「んー、なんかあんまいい気分じゃないわね」
「えー! かっこいいじゃん! 俺はめっちゃ好きだよ!」
「そ、そう? ならまあ…いっか」
満足のいかない愛女だったが、興奮冷め止まぬ偽気の様子を見て考えを改めたようだ。
「さて、最後にはなりますが朱莉様は......」
ついに朱莉の名が発表しようと持参した資料を確認したその時、聡一は思わず吹き出した。
「ば、『バブリングアイドル』でございます……」
「おい!!!!」
聡一は笑いを抑えきれず、腹を抱えていた。
そしてそれを聞いていた約二名も、その場で笑い転げるだろう。
「……てめえの仕業か良太ァ!!」
笑い転げる三人は、そのまましばらく動くことができなかった。
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とある病院の一室にて悪寒を感じた医師が一人……。
「あ、あれぇ……なんか、嫌な予感がする」
彼の安息がいつまで続くかは、又別のお話である。
今回の小話は、現時点で出てきているキャラクターの異名まとめです。
・『終の使徒』萩原 偽気
・『バブリングアイドル』勝浦 朱莉
・『血染めの天使』篠尾 愛女
・『黄泉比良坂』才善 良太
・『狂乱の道化師』狂死郎
・『人形屋』坂崎 達也
・『眉唾物』鳥飼 聡一