11転目 忍者
まだ活気に満ち溢れている東京の一角。
ビル群を淡く照らした月明かりの街を、今にも倒れそうな鉄塔の頂上にて虚ろな目をした少女が1人見下ろしていた。
次の日――。
「なああかりん、なんで愛女さんは俺らのこと殺そうとしてんだ?」
「ん? まぁ、意石持ちを減らしたいんじゃないのかぁ? 皆やってる事だし」
(あ、もうあかりん呼びは否定しないんだ)
真っ当な質問の中、ごく自然に織り込まれた煽りは響くことなく空を切る。
ヤクザのような強面男朱莉にも、ついにあかりんの名が定着してしまったようだ。
「でもさ...本当にそれだけなのかな?」
「と言うとぉ?」
「それにしてはなんかさ...不自然、なんだよな」
偽気が疑問に思うのも無理はない。
伝説と呼ばれるほどの暗殺者がわざわざ相手に姿名前を晒す。
こんなリスクのある事をする必要はあるのだろうか。
偽名でもなんら問題は無いはずだ。
もちろん偽気の疑問には当然朱莉も気づいている。
だが朱莉は相手が此方を警戒、そして牽制している事、またその理由を知っていた。
最も、それを偽気に言うことはなかったのだが。
「波...か......」
「なんか言った?」
「いや、なぁんも?」
話に吹ける2人へ、噂の暗殺者が再び音も無く背後へと忍び寄ってきた。
(...!)
朱莉がいち早くその気配に気づき後ろへと手刀を振り下ろすと、そこには頭を下げる愛女の姿があった。
「遅くなってごめんなさい!」
「いつの間に!?」
「お前ぇ、その音を消す癖何とかなんねぇのかぁ?」
驚きのあまり、1m以上後ずさる偽気とは対照的に、朱莉は自らの警戒を解き構えた腕を静かに下ろした。
「うーん、それは難しいかも...私にとって普通に歩くのは多分音を消して歩くよりずっと大変だから」
「まじか...」
「ごめんなさい! 何分殺し屋なもので...」
一体普通に歩くより簡単な無音の歩行術とはなんなのだろうか。
そんなことを朱莉が頭を悩ませている横で、後ろの相棒は「ペコペコする殺し屋ってなんか可愛いな」などとふざけたことを考え自分の世界に入っていた。
もちろんこの単純な思考が朱莉に気付かれないはずもなく、偽気は脇腹に強力な肘打ちを貰った。
「ごふうっ!!」
「とりあえず本題に入るが、護衛って結局ん所何すりゃあいいんだい? 家の前でも張っとくかぁ?」
「実は襲撃の日時は分かってるの。 今日から丁度一週間後の夜、奴らは音もなく私を殺しに来る。 おふたりにはその夜の襲撃を凌いでもらいたいんです!」
襲撃の日時を告げられ驚く偽気。
分かるはずのない自分の死期を告げる少女に、流石の呑気物も悪寒を露わにする。
「...なんで襲撃の日時なんて知ってるの?」
「それは...」
何かを伝えようと、そう込めて投げかけた言葉は届くことなく辺りに消えていった。
「ごめん、言えないならいいんだ」
何かを後悔するような、怒りを抑えるような表情で俯く愛女に、偽気もまた後悔で顔を濁した。
(じれってぇなぁ...)
いつまでたっても話が進まず1人イライラする朱莉がついに口を開く。
「月詠だろぉ? 隠さねぇでもいいぜ。 悪いが俺ぁ大抵の事を知ってる」
「え......? なんでそれを......!?」
「つく...よみ......?」
「あぁ、お前は知らなくて当然だぁ! 月詠、月満ちる時英智を持たらし、光尽きる時凡智忘るる...忍の極意だよなぁ?」
〈月詠〉
それは、忍改め篠尾家に伝わる特異体質である。
月詠を持つ人間は、満月の夜に自分の利益となる予知を詠み、新月の夜に自分の枷となる記憶が消える。
朱莉が、偽気にその詳細を話すが、やはり偽気は驚きを隠せない。
「意石とかじゃなく!?」
「ああ、ありえねぇようだがぁ、正真正銘人間様本人の力だ」
偽気も意石という超越的存在を知っているだけあって、意外にもその存在をあっさりと認めることが出来たが、それでもやはり驚きを隠せないようだ。
意石に頼らずとも、非日常的な能力が存在しているというのだから当然であろう。
「そんなもんがあったのか...なんか、かっこいいな! すげーよ愛女さん!」
子供のように偽気ははしゃぐが、愛女はより顔を歪ませた。
「...」
「愛女さん...?」
確かに他者から見ればそれは素晴らしい能力だろう。
しかし彼女は俯きながら語り始めた。
「その通り、襲撃の日時も月詠で知ったの。 偽気くんの言う通りとても便利な力よね。 でもその月詠って言うのはね、厄介なことに新月の時に消える記憶、選べないの...。 そして戦いに必要が無い記憶から優先的に消されていく...。 言ってること、わかるかな?」
殺し屋の戦いに置いて必要の無いもの、それはつまり死を拒みたくなるような生への執着、逃げの娯楽、そして――。
「親の愛情...」
「そう。 愛を知っていれば、必ず殺す相手の親や家族の事を考えてしまう。 そこに躊躇が産まれる。 忍に必要なものは憎悪と殺意だけよ...」
「そんなのって...」
愛なら偽気も殆どを知らなかった。
だがそれは初めから持ち得ない物。
そして今は、愛とは違うが確かな情を手に入れた。
しかし彼女は無かった物を得た自分とは違い、持っていたものを失い続けなくてはならないというのだ。
もしも彼女に今愛を与えてくれる人が居ないのならば......。
優しかった母 愉快だった父 そんな人達との記憶が少しずつ消えていくのだとしたら......。
きっと彼女は残っていく僅かな愛に縋り続けるのだろう。
しかしその愛もいつかは消えていく。
確かにそこにあったものがいつしか本当に消えてしまうのだ。
縋る事しか出来なかったものが縋るものを失えば、恐らく次に失うのは感情であろう。
それは救済のようで残酷な、人間としての死と同義の何かである。
「ね?特異体質っていってもあんまりいい物じゃないでしょ?」
「...」
郷愁漂う彼女の表情は、冷たい風が頬をなぞるように偽気の空虚を揺さぶった。
「とにかくね、あなた達にはその晩に襲ってくる人間を倒して欲しいの! 報酬だっていくらでも払うわ! 私はまだどうしても死ぬ訳には行かない! だからお願い。力を貸して...!」
心做しか愛女の目頭に涙が浮かんで見える。
その美しい水滴は、偽気の心を強く響かせた。
「...わかった! その話、絶対俺が何とかしてみせるよ! 朱莉も大丈夫だよな!」
「あぁ、もちろんだぁ! ぜってー生かしてやるから任せなぁ?」
否定する理由などひとつもないと言わんばかりに2人は腕を十字に当て誓を立てた。
「...てぇかなんでてめぇが仕切ってんだよ!」
「いやぁ、つい......」
「......あっはは! 二人とも本当にありがとう!」
こうして暗かった空気も流れ、三人の間にはようやく笑顔が戻ったのだった。
今回の小話は、登場人物の年齢確認と意石の色です。
萩原 偽気 14歳
〈波〉水色
勝浦 朱莉 19歳
〈張力〉薄い黄色
勝浦 剛(朱莉の父) 43歳
勝浦 光莉(朱莉の弟)12歳
狂死郎(小野寺 京四郎) 18歳
〈磁力〉深緑
篠尾 愛女 16歳
〈翼〉青緑
いやぁ...あかりんは意外と若いんですねぇ!!