婚約破棄されたお嬢様が大変そうなので助けに入りました【コミカライズ】
「シェルフィー、貴様との婚約を破棄させてもらう!!」
統一国家アルカディアが国王主催の夜会でのことだった。有力貴族が当主や騎士団長、果ては国王や王妃まで出席している場で第一王子・ジーク=アルカディアは高らかにそう叫んだ。
胸を張り、びしっと突きつけた指の先に立つは第一王子の婚約者であるシェルフィー=パープルアイス公爵令嬢。大陸中の令嬢の中から選出された、誰もが認める未来の王妃たる令嬢である。
薄い紫色のシンプルだが美しきドレス姿のシェルフィー=パープルアイスは微かに眉をひそめる。
内心の困惑を見せることなく、未来の王妃となるべく半ば監禁まがいの『教育』を受けてきた彼女は内心を表情に出さない能力を会得させられた。そんな彼女が僅かとはいえ眉をひそめるという動きを見せたほどには唐突にして衝撃的な出来事だったのだ。
「ジーク様、いきなり何をおっしゃって──」
「何を? ハッ、厚顔無恥とはこのことかっ。貴様の悪逆、統一国家アルカディアが第一王子たる俺様が知らないとでも思ったか!?」
「悪逆?」
「そうだ! 貴様がレイファ=レッドパフェ男爵令嬢に対して嫌がらせを行ってきたことはとっくの昔に判明しているのだ!!」
言って、近くに立っていた小柄な、素朴ながら目立たない容姿の少女──レイファ=レッドパフェ男爵令嬢を抱き寄せる第一王子。
腕の中の男爵令嬢はうるうると庇護欲を誘う涙目で王子を見上げて、蕩けるような声音で、
「そうなんですぅ。わたしぃ、ひっぐ、シェルフィー様に……う、ううっ、うううっ」
「ああ、かわいそうなレイファっ。無理することはない。あの悪女には俺様が鉄槌を叩き込むからな」
「いえ、あの、ジーク様。話が見えてこないのですが……」
「まだとぼけるか! 貴様がレイファに嫌がらせを行ってきたことはとっくの昔に判明しているというのに!!」
「いえ、そんなことは……」
「見苦しいぞ、悪女っ。この国の、大陸を統一せし頂点たる王の伴侶となる者には相応の振る舞いというものが必要なのだ。守るべき民を虐げる女に務まるほど王妃の座は安くないと知れ!!」
「違、違います……わたくしは……!」
「何度言えばわかる!? 見苦しい真似はやめて、さっさと罪を認めよ!!」
びくりっ、と。
叱声に全身を振るわせるシェルフィー。
第一王子は屈強な男であった。王子の身でありながら騎士とやり合えるほどには強き者なのだ。
そんな男が、怒りに顔を赤くして叫んだ勢いのまま手を伸ばす。シェルフィー=パープルアイス公爵令嬢の胸ぐらを掴む。
それだけで、公爵令嬢は恐怖に固まってしまった。半ば監禁まがいの中受けてきた『教育』が形成した殻が砕けて、年相応の女の子の地が顔を出す。
じわり、と。
目の端に涙が浮かぶ。
違うと、なんでわかってくれないのだと、言いたくても言えなかった。屈強な腕を、暴力を前に身がすくんでしまった。
──ふと、視界の端にうつった。
それは全くの偶然であった。距離が縮まったがために見えたのだろう。あるいは、見せつけるように、であったのだろう。
にたり、と。
第一王子の腕の中で男爵令嬢が笑みを浮かべていた。庇護欲を誘うそれではない、ドロリとした悪意に満ちた笑みを。
「聞こえなかったか? 早く罪を認めよ!!」
「う、あ……」
気づいてしまった。
理屈ではなく、本能で。
だけど、だ。
公爵令嬢は意味ある言葉を発することもできなかった。恐怖が、暴力が年相応の女の子から反撃の気力を奪う。
そして。
そして。
そして。
「ふざっけんじゃないわよ、クソ王子が!!」
バヂンッ!! と。
公爵令嬢の胸ぐらを掴む手が真上に払われた。
「え……?」
そこにはメイド服姿の見知った少女が立っていた。
物心つく頃から、いいやシェルフィーが生まれた頃からそばにいてくれた三歳年上のメイド。
長くパープルアイス公爵家に仕えているメイドの家系としてそれなりの格式ある血筋とはいえ、所詮は公爵家に仕えるレベル。決して、王族と対等にやり合えるような血筋ではないというのに──第一王子の腕を払い、真っ向から睨みつけていた。
不敬にもほどがある。
それこそ投獄されかねないほどに。
そのことに気づいたシェルフィー=パープルアイス公爵令嬢の顔がサァッと青くなる。口が、動く。
恐怖を跳ね除ける想いのままに。
「何を、やっているんですか!? そんなことして貴女がどうなるか……ッ!!」
「この身、この命捨てる覚悟ならあるわよ。ええ、それくらい安いものよ!! シェルフィー様がいわれなき罪で糾弾されているばかりか、汚らわしい手で傷つけられそうになっているんだもの!!」
「……っ!!」
そして。
そして、だ。
それを見ていた第一王子の表情が怒りに歪む。忌々しいと言いたげに、
「はっ、ははっ!! 悪女を庇い立てする奴がいようとはな。だが、罪は罪。いかに庇い立てしようとも、罪業は必ずや悪意ある者を撃ち抜くと知れ!!」
「さっきから罪だなんだほざいているけど、それって何よ?」
「メイド風情が偉そうに。まあ、良い。わかりきっていることとはいえ、ここらでシェルフィー=パープルアイス公爵令嬢の罪をつまびらかにするのも一興か!!」
それはもう高らかに愛らしい男爵令嬢をその腕に抱いた第一王子が叫ぶ。
「三ヶ月前の夏の長期休暇前日のことだ。放課後、レイファはシェルフィー=パープルアイス公爵令嬢に階段から突き落とされて怪我をしたのだ!!」
「……、は? ナメくさってるわけ???」
思わずといった風であった。
メイドはそれはもう呆れたようにそう吐き捨てたのだ。
「きっ貴様っ! なんだその口の聞き方はっ!!」
「ほざくならちっとばかり工夫するべきね。そんなことは、あり得ないわよ」
「あり得ない、だと? 主人を庇いたいのだろうが、そんな戯言が通用するほど世界は甘くな──」
「地下」
一言だった。
その一言を聞いた周囲の何人かが呆れたように息を吐いていたが……第一王子は気づいてすらいなかった。
「地下? 何をわけのわからないことを言っている!!」
「シェルフィー様は未来の王妃となるべく『教育』を受けているのは知っている? 知るわけないわよね。知っていたら、あんなナメ腐ったセリフ吐けるわけないもの」
「だから、何を……っ!!」
「学園の地下には王族専用の『部屋』があるのよ。そこでシェルフィー様は日夜『教育』を受けてきた。夜会だなんだ顔を売るような用事がない時は即座に地下に引きずり込まれて『教育』を受けてきたのよ!! わかる? シェルフィー様に自由なんてなかった。夏の長期休暇の前日? 授業終わりすぐにやってきたクソ野郎に地下まで連れて行かれたわよ!! 男爵令嬢を突き落とす暇なんてあるわけないじゃない!!」
「な、ん……そんなの知らないぞ。俺様が、第一王子たる俺様が知らないわけが……っ!!」
「それだけ! アンタがシェルフィー様に興味がなかったからよ!! 監禁まがいの『教育』でろくに眠れていないのに、婚約者として仲良くしないとってことでシェルフィー様がアンタを食事に誘った時だって気が向かないとか何とか抜かして断るくらいだものねっ。それだけ興味なければ、知らないのも無理ないわよっ!!」
「い、いいや、そんなわけない。そんな作り話に騙されるとでも思ったか!?」
「作り話なわけないだろうが」
その声に。
第一王子の肩が跳ね上がる。
いつの間にそこにいたのか。初老を過ぎながらも鍛え上げられた肉体が衰えるどころか強靭になっていっているのではないかと思うほどである大男が第一王子の隣に立っていたのだ。
統一国家アルカディアが国王。
彼は第一王子へと視線を送る。どこまでも侮蔑に満ちた、呆れきった目で。
「学園での縁づくりも大事だが、未来の王妃としての教育も大事だからな。歴代の婚約者は全て、学園地下にて教育を受けてもらっている。先の嫌がらせとやらが起きた日時がどうだったか確認すれば、事の真偽は判明するだろうよ。まあ私の記憶ではその日は授業終わりすぐに担当の者が迎えにいったと報告を受けたはずだから、嫌がらせしようとすれば担当の者の目に留まるはずだろうがな」
「ぐ、ぐぐっ。いや、まだだ! その日がどうであれ、他にも嫌がらせはあったんだっ」
「ほう。それは?」
「レイファの筆記用具が隠されたんだ!! シェルフィー=パープルアイス公爵令嬢が犯人に決まっている!!」
「そのくらい買い直せ。で、他には?」
「買い直、へ? いやいや、父上っ。レイファが嫌がらせを受けたのは明白で──」
「私が聞きたいのは私が決めた婚約を破棄するほどの何かがあるのかどうか、だ。仮に筆記用具がパープルアイス公爵令嬢の手で隠されていたとして、小娘同士のくだらんじゃれ合いが国家のその後を決する婚約を左右するわけなかろう」
「しかし! やはり未来の王妃となるべき者には相応の──」
「それを決めるのは、私であり全ての民である。お前一人が全てを決することができるわけないだろうが」
「な……っ!?」
「ではここで判断材料を追加するとしよう。なあジーク。嫌がらせとやらの証拠はどこにある? もしや男爵令嬢の証言のみ、なんて言わぬよな???」
「そ、それの何がいけないんだ!! 俺様はレイファを信じている!!」
「論外だ。ちなみに私はレイファとやらが反パープルアイス公爵家派閥に担ぎ上げられた刺客である人的及び物的証拠を揃えておる」
「な、なんでバレているのよぉ……っ!! って、ああっ」
ハッとした男爵令嬢が両手で口を押さえるが、もう遅い。その反応が、全てであった。
「……、その程度のハニートラップに引っかかるとはな。能力は申し分ないが、精神は未熟極まっていたようだな、ジーク」
「待……ッ!!」
「待つわけなかろう。ジーク、それに男爵令嬢。お前らの処分に関しては追って伝える。分かったな?」
「待っ待ってくれ、父上っ!! 俺様は、俺様はあ!!」
問答無用であった。それ以上は視線さえ向けず、国王は立ち去っていった。
ーーー☆ーーー
「ふ、ふへえ……」
「わっ、大丈夫ですか!?」
ずるり、と。
崩れ落ちるように倒れかけたメイドを公爵令嬢が支える。周りでは『俺様は第一王子にして未来の国王だぞ!!』とか何とか騒いでいる王子や『わたしは悪くないっ。全部指示されただけでっ』とか何とか言い出した男爵令嬢が騎士たちに拘束されていたが、メイドたちは見てすらいなかった。
「こ、腰が抜けちゃった……」
「ばかっ! 下手すれば投獄されていたかもしれなかったのに!!」
「まあ、そうかもだけどさ。シェルフィー様のためなら王族だろうが敵に回すぜベイベー的な?」
「ふざけないで! 本当、本当に心配したんだから……」
「あ、あはは。まあ、あれだよ。公爵家としてもこれ以上第一王子との婚約を維持するメリットないだろうし、辛い辛い愚痴ってばっかだった王妃としての『教育』なくなること確定っ。公爵家としては置いておいて、シェルフィー様自身にとってはラッキーって感じなんだし、結果良ければ全て良しってね!」
「相変わらず前向き、ですね」
「後ろ向きよりもマシだって。で、これからどうする? もう監禁まがいの『教育』はないし、未来の王妃としてふさわしい立ち振る舞いとやらに縛られることもないし、なんだってできるんだよ!! 今まで我慢してきたことパーッとやっちゃおう!!」
「そう、ですね。でしたら……」
ぎゅう、と。
生まれた頃からずっと一緒だったメイドを抱きしめて、公爵令嬢は心からの望みを口にする。
「貴女と一緒に色んなことをしたいですね」
その後、監禁まがいの過酷な王妃『教育』内容を見直すべきだと主張する第一王女と国王が激突したり、国王を打ち負かした第一王女がシェルフィー=パープルアイス公爵令嬢に一目惚れしたり、第一王女とメイドとのシェルフィー争奪戦が勃発したり、そこに騎士団長の娘や宰相の娘やシェルフィーの妹や専属女家庭教師やライバル公爵家の令嬢などが参加したりと色々あるのだが、それはまた別のお話。
後日談である『婚約破棄されたお嬢様が大変そうなので助けに入りました、その後のお話』掲載しましたので、よろしければ下のリンクから読んでもらえればと思います。