転生しようとしたら断られたんですけど…。
「ダメです」
無感情に、だけど辛辣に伝えられた返事に、僕は言葉を失った。
ーーーーーーー◆ー◆ー◆ーーーーーーー
日本。
人口およそ1億2650万人が住む島国。
日本は四季があり、豊かな自然があり、都市部はしっかりと開発され未だに成長を続けている。まぁ、政治とか経済とかそういった面ではあまり良くないが、安全に過ごすにはもってこいの国だ。
そして加えて言うならば。
この国は、世界を魅了するサブカルチャーを生み出すジパングなのだ。
一度、漫画や小説がアニメやゲームにメディアミックスされれば、世界は黙っちゃいない。多くのファンを作り、反響を呼び、挙げ句の果てにハリウッドが実写を作り出すまである。
そんな、漫画や小説、アニメ、ゲームにその他フィギュアなどのグッズ…etc、オタクのためにあると言っても過言ではない、ザ・聖地ニッポン。
そこで僕は高校生をやっていた。
勉学も人付き合いもそこそこにオタ活に勤しむ毎日を送っていた僕に、ある日転機が訪れた。
それは。
ーーーーー”転生ものブーム到来”、である。
転生もの。
事故や病気、死因は様々だが、意図せず・予期せずで死んでしまった主人公が、別の世界に転生し元の世界の知識を糧に異世界を逞しく生きていくジャンル。ざっくり言うとこんな感じだ。
そうは一言に言ってもパターンは様々。
例えば、現代を舞台とした主人公が携帯電話の乗り換え特典よろしく、記憶やらスキルやら体力やらのパラメータ特典を得てから転生していくものがある。そういった場合は大抵、主人公は異世界で物事を有利に事を運ばせていくことが出来るものが多い。その話を見ている者からすれば内容も共感しやすく、それを想像するのは清々しいものだ。
一方、はたまた特典なんぞ無しに転生先の異世界が元いた世界よりも難易度が低くて、何もしなくてもうまくいってしまうなんてものまである。生まれ変わった瞬間から逸脱した能力を持って生まれてくる転生ものは主人公の殆どが有利かつ最強だ。
たとえ恵まれなくとも主人公たちは持てる力・知恵・幸運・人徳やらをうまく活用し、或いは身に付けながら異世界を生きていくのである。そう。最悪の場合、転生先で思い通りに行かず四苦八苦するようなことがあっても結局は何とかなっていくのだ。絶望の淵から立ち上がり世界を救っていく、そんな始まりなんてものもある!
転生もののジャンル、パターンはまさに無限!
同じようなもので、転移なんてものがある。
が。
どっちにしたって、なんて素晴らしいんだ!
賛美しかない。主人公最強、有利、逆境乗り越えて英雄になるとか、やばい!強力な魔法もバンバカ使えて、美少女と恋なんかしちゃったりして!いやいやまだまだッ!異種族で言えば獣人に人魚に天使に、そしてエルフ!出会いは無限。可能性は無限。超最高じゃないかっ!!
そうして僕の生活はさらにオタ活に埋没していく。登校中、学校の休み時間、下校中、家に帰ってからでも。暇があれば転生ものジャンルをあらゆるメディアで貪っていった。
ネット小説に、オリジナルノベル、アニメ、さらにそれにまつわるグッズまで。あらゆる物を手の届く限り堪能していく毎日が続く。
そんなある日。
僕はとある気の迷いを起こしてしまう。
……そう起こしてしまった。
今振り返ると、本当に馬鹿なことをしたと思う。
ーーーーーーー◆ー◆ー◆ーーーーーーー
その日。
太陽がようやく顔を出し始めた平日の早朝。
冬の澄み渡った青空を見上げながら僕はスキップしていた。息も白くなる気温の中、通学通勤に使う駅までの道には人の往来はない。見つけても遠くの方に一人二人見える程度で、横断歩道や踏み切りなどの立ち止まる場所でさえ、他に待つ者はいない。
警告音が鳴り響く踏切前。
その前に立って。
僕は待った。
……。
待っ…た?なにを、……何を待って?
ん?おっと?何してたんだっけ、僕?
「……なさい。……減に、起き……い」
「…んん……?」
「早く!いい加減に!起きなさい!」
なんだ、ろ?もう、うるさいな、だれだ?
耳朶を震わす声に合わせるように、ゆっくりと頭が覚醒していく。次第に鮮明に聞こえてくる声はまだ鳴り止まない。眉間に皺を寄せながらも、時間をかけて瞼を開ける。部屋の光が目に差し込み、ちょっと顔をしかめてしまう。
「まぶ……しくはない…か」
「これだけ呼びかけて、ようやくその反応ですか……」
「ん、はい?……だれ?…て、あれ、ここは……?どこですか、ここ?」
視界に入る人影が何やら嘆息しているが、それよりも見慣れないこの場所が一番に気になってしまう。
知らない場所に僕はいた。
壁には装幀の整った本がびっしりと棚を埋め尽くし、赤いカーテンで所々覆われている。一目見渡す限り、窓は見当たらない。次に目を奪われたのは下だった。白を基調とした床のタイルはまるで鏡のように光沢を放ち、薄っすらとあたりの景色を取り込んでいた。天井を彩る淡い光がタイル越しに見ることができた。そして、そのタイルに写り込むものを目で追っていくと……。
(……黒。いや、紫のレースか)
僕に呼びかけていたらしい女性の足下へ視線が辿り着き、……女性のスカートの中がベストポジションで見えた。僕の視力はそこだけを鮮明に画像解析して、心のアルバムにひっそりとしまい込んだ。
しかしそれは一瞬のことで、その女性は僕へ歩み寄ってきた。
(見てない見てない!見てませんとも!)
と、心で嘘偽りを申し立てながら僕の男の本能は実に忠実だった。
僕はそのまま、すらっと伸びた脚から引き締まった腰、大きく実った双丘へ視線を通過させ、やっとの思いで、小さな口元に桜色の唇と薄っすらとピンクに頰を染め、少しつり目の赤い瞳を持つ女性の顔を見た。
はっきり言って美人だった。
初対面の女性に対して舐め回すように観察した結果、それ一言とはなんとも自身の貧弱ボキャブラリーに辟易してしまうが、本当なのだから仕方がない。
これはミニスカドレスというものだろうか。赤、いや紅蓮を前面に押し出した艶やかな作りの衣装だ。袖口や胸元、スカートの裾の細部に至るまで細かな意匠が凝らされていた。
「応接間です。私たちが仕事をする場であり、あなたたちの処遇を決める場です」
女性の声が苛立ちを孕んで放たれる。普段の僕であれば不貞腐れながら舌打ちの一つでもしているところだ。しかし、僕はそれどころではなく、その妖精のような美女の接近に挙動不審になってしまっていた。
「へ?あ、応接間!応接間ですかそうですか!なにそれ?というか、僕…今寝てましたよね。なんかすいません…、仕事の邪魔しちゃったみた……い、で。え?あなたたちって?」
それでもなんとか口を動かし、いつの間にか座っていた椅子から慌てて立ち上がろうとする。
「覚醒したばかりのくせによく喋りますね。あなたが起きないせいで仕事がだいぶ遅れてしまっているんです。口を開くのは私の質問に答える時だけで結構です」
しかし、立ちはだかるように近寄ってきた女性は僕の額に人差し指を押し当てると、そのまま僕は椅子から立ち上がれなくなってしまう。
(なんだっけか、これ。力と重心の関係で立てなくなる力学だったはずだけど…。というか、ほんとに綺麗な人だな)
ちがう、そうじゃなくて。
オタクライフを過ごすうちに異性への免疫が退化していた僕は、額に触れられた指の感触だけで思考が役に立たなくなってしまった。
「まず、この書類にサインしなさい。読んでいる時間はないわ。私がサラッと言うからフルネームを書きなさい」
そう言って徐に用紙を差し出してきた女性は早口に告げる。読まなくていいと言われたが、渡された手前そう言われると文面に目がいってしまい、……全く読めなかった。
いや知らないよこんな字。何語?無理だろ常考!
「読まなくていいって言ってるの聞いてた?ったく。一度しか言わないからしっかり聞いてるのよ。分かったら下にサインしなさい」
「あの、ペンは?」
「誰が質問していいと言った?黙りなさい。そこにはあなたが来た理由と行くべき場所が書いてあります。もっぱらあなたはここへ来た理由を既に知っているから割愛。行くべき場所もあなたには拒否権が無いから割愛するわ」
「え、なに?いや全然わかんないしっ!」
「さあ!そこにサインをしなさい!」
「ちょちょちょっ!聞けって、えと、あっ?ええ?僕の手をなに?え?」
99%割愛の説明に、いったい何を理解して同意のサインしなきゃいけないんだと抗議しようとした。のだが、僕の声に耳を貸そうとしない赤毛のこの女は不意に僕の手を奪い、その柔らかそうな桜色の唇へと運んで行き、人差し指に暖かい濡れた感触が、
「ええーーー?!」
『ゴチュッ』
瞬間、咥えられた指から鈍い音と感触が伝ってきた。次いで光の速さで僕の痛覚が悲鳴をあげた。
「あいったあああああああああああああ!!!!」
「ぺっ。これで書けるでしょ」
彼女は僕の人差し指を噛み切ると然も当然とばかりに言ってきた。痛みに耐え切れず、僕は奪い取られた腕を引き剥がし涙目になりながら指を観る。あるべきはずの人差し指は根元から失われ、その先端はどくどくと痙攣を起こしながら大量の赤い血を流していた。
(血で書けってことかよ、畜生ッ!)
「あぐっうううう、くそっ、いった、マジでか、いったい。はぁ、はあ、マジで、ほんっとなにこれ、痛いんですけどっ」
「喚くな、うるさい。早くしてよね。まだまだ仕事があるんだから。あなたみたいなのに構ってる時間ないんだから」
腰に手を当て仁王立ちする女性は辛辣に告げてきた。
こいつ、くっそなんなんだよ!
言い返したいし仕返してやりたいと頭に過るが、そんなこと出来なかった。未だ、指を失った傷口から絶え間無く血が流れ、経験したことのない痛みが僕を襲っていた。
「ちょっと、いつまで痛がっている振りしているのよ。立ちなさい。紙を拾ってサインしなさい。何度も言わせるんじゃないわよ」
「くっ、そ。なにが、…くそお……。痛えっ、ての!何なんだ、おまえ」
「あなた私にクソって言った?いい度胸ね。次あなたがここへ来たらノンタイムで送り返してやるから覚悟しなさい!」
「はっ?おまえ本当に何言ってんだ?意味わんねぇって。いい加減分かるように説明しやがれっ!」
「ほら、振りじゃない。嘘つき」
言われ、僕は言い返そうとして気がついた。
痛みがなくなっていた。違和感に噛みちぎられた人差し指を確認する。
「え……?血が、止まって…。指がある?なんだ、これ」
「せっかくやってあげたのに。手、貸しなさい。どうせ自分じゃ出来ないでしょ」
元どおりになっていた指に驚いていると、女性が再び僕の手を奪おうと伸ばしてくる。
それを今度は躱すことができた。
「ちょ、ちょっとタンマ!待ってよ!説明、説明しろよ!暴力反対、痛いのやだし、全っ然意味わかんない。だれあんた。チュートリアルって知ってる?」
なんでか知らないけど戻った指をそう何度も噛みちぎられてたまるか。
僕はのたうち回っていた床からようやく立ち上がり、抵抗の意を込めて後ずさった。
「ああ、もう本当に最悪だわ。こんな奴、何で私が担当にならなきゃいけないのよ。アルバートめ、今度会ったらぶっ飛ばす」
「担当?アルバート?」
「勝手に私の独り言聞いてんじゃないわよ。現代の地球は盗聴趣味でも流行ってるわけ?」
「ぁ、あ、いえ」
睨まれてつい萎縮してしまう自分の性格を呪いたい気持ちになりながら、それでも愛想笑いを浮かべてしまった。
くそ、己のヘタレに反吐がでる!
「あーもー。分かったわよ、説明すればいいんでしょ。ったく。んじゃ話すからそんなとこにいないで、その椅子直して座りなさい」
「わ、わかり」
「早くしなさい」
「はいっ!」
そう言って女性がスカートの中を床に反射させながら大きな机のある場所まで歩いていき、僕は僕で蹴倒してしまった椅子を元に戻し腰を据えた。
「あんたは20XX年1月20日に死んだ。そして、ここへ来た。この『転生者面談応接の間』へと。この応接室では私たちが死んだ人間を相手に面談し、次の転生先に割り振る作業をしているの」
「死ん、だ……」
一瞬、何を言っているのか理解出来なかった。
(死んだ?俺が?……死、……)
彼女は机に備え付けられている椅子に座ることなく、机に寄りかかるように腰を下ろすと淡々と説明し始めた。僕は死という単語に頭の中で引っかかりを覚え、考えを巡らそうとする。
しかし、彼女の冷たい眼差しがそれを許さなかった。僕は目が合い、同時に肩が跳ね上がってしまった。
その目には蔑みがあり、冷たく、僕を引いた目で見ていた。本当に面倒くさそうで、僕は本当に気分が悪くなる。
こんな目を僕は知っている。
そう、それは。
パリピでウェーイなリア充気取った非オタ共だ。オタクをゴミのように見る一般人は理解無く、偏見のみをソースにしてディスってくる。
(でもこういう人ってマジにいるんだよな。はぁ、生きづらい世の中ってのはどんな時代にもあるもんだ)
だから、僕は目の前の女性もその種の生き物だと判断した。
こういった輩にはオタク的キモい挙動は見せたらいけない。ハキハキと言葉をはっきり言って会話するのがベストなのだ。
「で、あんた死因は思い出せる?」
「…は?!あ、えーと、死因ですか?すいません。今思い出します。ううんと、ちょっとまっ」
「あー、いい。もう喋んなおまえ」
っ!!!くっそこいつ、人が下手に出てやってるのに!こいつ絶対ロクな死に方しねぇぞ。
苦笑いを浮かべて対面していた僕は、下に俯いて思いっきり表情を険しくさせる。
「なにキモい顔してんの?便秘か、それとも男なのに生理か?男の子の日か?」
どうやらタイルの反射で見えてしまったらしく、僕に対する彼女の好感度は更に急降下していった。いや、それは僕も同様ですけどね!
しかし、僕がドキッとしたのもつかの間、その一瞬のうちに顔を上げ、爽やかな笑顔を作って見せた。
「な、何ですかそれは。そんな顔してました?はは、すいません。どうやら記憶に障害が出てるみたいですはは」
秘技ーーーオタクスキル【擬態スマイル】を発動させる。
擬態スマイルとは、オタクがオタク以外の種族と接する際に使用するハイパーコミュニケーションスキルである。それはまるで未知の技術である光学迷彩の如し効果を持ち、一般ピーポー特有の一定のテンションを纏う。笑顔を持って周囲に溶け込み、オタクと言う本当の自分を潜める事ができるのだ。
これぞ、オタクにしか使えない究極のスキルである。でも、趣味とかの話になるとなぜか擬態の効果なくなるんだよなぁ。どうして?
「うぅっわ、キモ」
バキャっと僕の何かが折れる音がした。
だが、彼女はそれを気にも止めず話し続ける。
「あっそ、思い出せないのね。死因は事故による脳の損傷。その事故ってのは電車が原因だけど、それは語弊があるわね」
「電車が。…てことは轢かれたのか?」
「原因はあんたね。あんたが事故に遭ったんじゃなくて。電車の方が事故に遭ったと言った方がいいわ。ほんと、あんた相当の屑よ」
「あの、言っている意味が…よく分からないんですが………」
腕を組んで蔑むような視線を向けてくる女性に、僕はどんどん声が尻すぼみになってしまう。
「記憶喪失おめでとう。あなたは自殺したのよ。屑野郎」
「な!?じさ、つ…。うっ」
自殺。
その言葉を聞いた瞬間、頭に電流を流し込まれたような感覚を覚え、僕は両手で頭を抱えた。
「…なにか、あの時」
「ふーん、思い出すんだ?死ぬ直前を?じゃあ、手伝ってあげるわよ」
「ちょっと、黙って…、く、あたま、が」
「あんたは、あの日、まだ日が顔を出したばかりの時間、わざわざ通学路途中にある踏切まで歩いてきた」
「うる、さい…、黙って、くれっ…」
彼女の言葉に頭痛は激しさを増し、脳裏には言われた通りの情景が浮かんだ。
「荷物を持たず、しかし制服を着て。跳ねる軽い足取りのまま、踏切の遮断機まで来ると」
「あぐっ、踏み、切りで、僕は…、電車が」
「そう。電車が来るまでわざわざ待っていた。そして」
僕は彼女の言葉の続きを徐に口にした。
「そして、遮断機が降りた。電車が近づいて来る音がして、前を通り過ぎる瞬間を見計らって……!」
「命を潰した。自らの意思でな!愚か者にも程がある。何不自由なく。悩みすら抱えず。ただ己が欲望の為にその燃ゆる命の聖火を消したのだ!」
先を口に出来なかった僕に、彼女がそれを引き継いで僕へと罵倒を浴びせる。
僕はあの時、右側から断続的なガタガタという音が近づいてくる電車の音に気付いた。
その音を聞いて僕は、「さて」と踏み切りの遮断機をくぐり、そして、線路の真ん中に立った瞬間、意識がぷっつりと途絶えた。
そう、僕は消したのだ。自らの命を。欲望、のために。
欲望?
ああ、そうだ。思い出した。
全部、思い出した。
「ここは。ここが、死後の世界か」
「そう。おまえは命を失って、ここへ来た。はっきり言って私はな、お前みたいな奴が一番嫌いだ」
「くふっ」
「何を笑っている」
突然漏れ出た僕の笑い声に、女性は怪訝な眼差しを向けて来る。
しかし、僕はもう怖くなかった。
なぜなら。
「くくっ、ははは、あははははははははっ!ここから転生出来るのか!!本当にあるのか!すげえ!やっべええ!これ夢じゃないよな、ホントだよな!!」
「この、屑が」
「なあ、あんたが転生させてくれるのか?!だったらパラメーター最強に設定して転生してくれよ!いやほら、最初から苦労なくスパッと進められるようにさ。こういうのはセオリーで決まってるんだよ。圧倒的な力を見せつけて有力な仲間や政治関係者、商人とか異種族とか色々と仲間に付けてさ。もう世界が味方するような感じっていうのかな。ちょっとやそっとの困難なんてパッと解決出来ちゃうわけ。そんで強い敵とか現れて、互角に戦いつつも退け、和解し、仲間にして、おまけに美人な女の子たちともいい関係なったりしたりで。いやぁ、本当にこれから転生出来るとか夢みたいだわぁ。くそぉ、スマフォねえわ。動画アップ出来たら超自慢出来たのに。タグは実際に転生してみた、とかだよな。ねえねえ、どうすか、出来そうです?最強設定!」
僕が熱にさらに火をくべて思いの丈を興奮しながら語ると、彼女に子細を尋ねた。だが、そこでようやく異変に気付き、僕は息を飲んだ。
いつしか彼女の周囲はヒートアイランド現象を起こしたような景色の揺れが発生していた。
大気の温度差、というか僕と彼女の感情の温度差だろうか?
空気の屈折率が変動するほどの歪みが、僕の口を閉じさせた。
そして次は彼女が口を開く番だった。
「話は終わりか?なら、もういっぺん死ね」
僕はその時、果たして息をしていただろうか。
短いスカートが特徴の紅蓮のドレスを着こなす彼女。その周りを覆うような歪みが刹那、僕を飲み込んだ。
そして、得体の知れない歪みが僕の中へと全て入り込むとそれが始まった。
「ああああああああがががかあああああああっ、ぐがじっあああああああああぐぅううああがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっあああああぐ、かっ、ゔゔゔゔゔゔうあああああああああああああああ!!!」
「その痛みがなんだか解るか」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
「お前の身体が轢かれた痛み、そのものだ」
な、なに?
なんの痛みだって?
全身を殴打し引き裂く痛み。身体をミキサーで粉々にされていくような。内臓からも響く。ありとあらゆる痛覚からの激痛が僕を襲っていた。
もはや、僕は呼吸が出来ているのか、身体から中身が出ていないか、何も判断がつかなかった。
ろくにのたうち回る事も出来ず、痛みが僕を蹂躙する。
「おまえ、なぜ自らの命を潰してここへ来た。それを解いてやる。だから、答えろ」
絶え間無く続いていた痛みがピタリと止む。しかし、既に全身の感覚が麻痺していて視覚も聴覚もほとんど働いていなかった。
なぜ、ここへ?
まるで水中で音を拾っているような感覚で辛うじてそれを聞き取る。
時間が幾分か経ち、ようやく思考が回り出し、遠のいていた音が戻ってくる。ほんの僅かだけ聞こえた声に、僕は答えようとひどく掠れた虫の息で言葉を紡いだ。
「………、ぼく、は、……、異世…界……で……」
そう。僕は転生を望んだ。
なんのために?
「さい、…きょ、う……に、なっ、…て」
異世界で最強になって転生し。
「……自、由、…に生き……る、ため、…に」
自由に生きたい。
自身の力だけで、世界に認められ、栄誉も栄光も金も力も仲間も美人な嫁も手に入れて、楽しく生きたいのだ。
そのために僕は日本、いや地球からここへ来た。
異世界転生するために。
絞り出した声に、それでも必死に力を入れて僕は願望を訴えた。
「なんて、愚かな」
しかし、その願いに似合わず帰ってきたのは冷めきった罵声だった。
ここは死後の世界だからだろうか、体の治りが早い。徐々に回復していき、僕の瞳に彼女の姿が映り込む。
怒りの感情を隠さず顔を歪ませる彼女は、僕の方へ再び歩み寄ってくると乱暴に頭を掴み上げ、綺麗な目鼻立ちを持つ顔を近づけてきた。
「何が最強だっ!何が自由だっ!!いっぱしに人生を生きてないおまえが人生の理想を語るな!」
「……っ」
「生きることに対して必死になったことがない奴がどうして転生できようか!!命尽きるまで、その炎を気高く燃やし続け、その魂にまで輝きを焼きつかせるのが、お前たち命を持つものの務めではないのかっ!たわけたことをそれ以上口走ってみろ、その魂ごと消滅させるぞ」
まるで僕以外の誰かにも命の尊さを教えるように怒りを露わにする彼女は、頰に雫を滴らせていた。
僕は、何も言い返せなかった。
とっくに体の痛みが無くなり、焼かれるような痛みに苛まれていた喉は既に治っていた。
でも。
彼女の言葉を受け、喉の奥がひりついて、おまけに胸の奥が酷く痛んだ。
「分かったら、そこにサインしろ。ペンを貸してやる。そして書いたらさっさと私の前から消えろ」
何も言い返してこない僕を捨てるように解放すると、彼女は机に戻り一本の筆を放り投げてきた。
僕は酷くゆっくりした動作で身体を起こすと、床に落ちた用紙に向かい合った。
床に転がる筆を力無く握り、そこに名を記そうとし。
最後に、愚かにも聞きたいことが一つ。
彼女に問いかけた。
「あの、……僕は。次は何になるのでしょうか?」
か細く喉を震わせて出た声は、しかし怯えはなかった。命というものを知り、知った上で次は過ちを犯さないよう覚悟を決めた、静かな決意を滲ませたものだった。
それを受け、対面するように椅子に腰掛けた女性は冷淡に答えた。
「ミドリムシ」
「…………」
時は人に平等に流れているとある人が言っていたが、それは嘘だと思った。
現に僕の時は止まった。
ミド、なんて?
彼女が放った言葉が僕の頭を通過していってしまったのを必死に呼び戻す。
ミドリムシがなんだったかを、身体にある糖分を全て脳に投入する勢いで思い出す。
ミドリムシとは、学術名『ユーグレナ』と呼ばれる0.1㎜以下の極小の単細胞生物。緑色な体が特徴の彼らは水の中に生き、酸素を生み出す生物である。理科の実験で子供達が顕微鏡を覗き込むたびに、ミジンコってどこにいるの〜?とか言われ見向きもされない存在である。
簡単に言うと微生物だ。
「ばっきゃろーおおおおおおおおおおおおお!!!」
検索結果がヒットするや否や僕は咆哮とともに用紙を引き裂いたのだった。
「おいいい!!何がミドリムシだ馬鹿野郎!それ命云々に数えていいのか?」
「馬鹿野郎だと?屑が言うじゃないか、え?」
「いや、そこはせめて人だろ!?ビックリしたよ、17年間で一番の驚きだったわ!オタクの心臓舐めんな、心臓麻痺するとこだったわ」
「この場ではもう命などないのだから死ぬわけないだろ。屑が命あるミドリムシになれるだけマシじゃないか。無機物の砂でもいいんだぞ?」
鼻で笑いながらさらに恐ろしいことを口走る女は、新しく紙を用意しようとする。
僕はそれを止めるべく全力で駆け寄った。
「ストオォォオオップ!!タンマ、ちょい待ち、ちょまっ!!砂は流石にやばいでしょ、何、魂のコンバートは質量とか容量とか関係ないわけ?そゆことなのそれ?」
そもそも、この身体の大きさで、顕微鏡で視認できる単位の極小の存在になるって、どうにも納得がいかない。
「不満ばかり言うな。時間がないと言っているだろう。おまえばかり相手しているわけにいかないのだ!こらっ、気安く触るな、返せ!」
「へへ、これで何もできまいて!」
「おまえ、またあの痛みを味わいたいらしいな」
「ひっ!?」
女性が手をかざす様に僕へ伸ばし、周囲の光がまた歪んで見えてくる。
僕は短く声を漏らし、即座にお返しした。
「じゃ、ここに」
「じゃ、じゃねえよ!しないからサイン!例えミドリムシになったとして、あいつらバイオガス作るかジュースになるくらいしか運命ないから幸せのカケラもないから!!」
「おまえにはこれくらいしかない。諦めろ」
……諦めろって。
それこそ諦められない!何のために死んだと思ってんだ。命の火を消した意味がないじゃないか。
僕の手は自然と拳を作り、強張っていった。
「諦められるわけ、ないじゃないか。僕は、命をかけるほどにこの異世界転生に賭けていたんだ!自分の欲望に命を賭して何が悪いってんだ!」
「ふっ」
「ちょっと、あなたの仕事でしょ!真剣に考えろよ!異世界転生させろよ畜生ッ!!」
まるで取り合おうとしない女性に僕は机に向かって拳を叩きつけた。
ここで諦めてたまるか。異世界への憧れを、その先の未来を絶対に諦めちゃダメだ。
どうにかして活路を見出そうと策を考え始める僕に、彼女の鋭い眼差しが突き刺さる。その目に、一瞬息が詰まってしまう。
そのまま彼女は冷たく言葉を放つ。
「異世界転生とか何知った様に語ってんだ、おまえ。異世界に行けるものは皆、生前で生きるということの意味を、少しでも理解した者たちだ。命の使い道を悟った者達。それらの魂がその使命を全う出来ずに死んでしまった場合、チャンスを与えている。同じ世界でもいい。別の世界でもいい。誰かの為にもう一度命を使う覚悟を問い、それに決意した者が記憶も能力も持ち特別な転生をするのだ。おまえにはそれが無かった。お前はお前自身の生きる意味を見出せずに死んだ。他世界への理想の為に死ぬなど、愚の骨頂」
生きる、意味。
理想を追って死ぬだけじゃ、ダメなのか?命、命って、その使い道はそれを持つ者の自由だろ。だから、異世界転生を望んで死んだのに、なぜこの女は分かってくれないのだ!
「だから、お前には知性体として宿る魂の器は用意できん。残念だったな、坊や」
淡々と告げられる彼女の言葉は最早感情などなかった。
僕に対して、その価値がないと判断しているのだろう。
詰んだ。
僕はもう吐く言葉が無かった。
このまま微生物になるか、無機物になるかの運命。それなら、ミドリムシでもいいか。まだ生き物だし。砂なんかになったらそれこそ魂すらないだろう。消滅したも同然。
僕の理想はここで潰えるのか。
俯き、用紙が視界に映る。ぽた、ぽたと雫が落ちてた。
どうやら、僕は泣いていたらしい。
異世界転生に憧れ、その先の未来に夢を膨らませ、あの世界に別れを告げた結果がこれだ。
視界が涙で揺れ、うまくペンが掴めない。腕で何度も顔を拭ったが、それは止まらなかった。
「滑稽ですね。そんな濡れた紙では申請に不備が出る可能性があるので、これに代えて下さい」
先程までの乱暴な言葉使いはなく、完全な事務的対応の言葉。
音もなくすり替えられる、運命の契約書。
ああ、こんな最期、最悪だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
「こんなのって、あんまりだ」
「この結末を選んだのはあなたです。こちらに非はありません」
「お願いです。お願い致します!どうか、…どうか僕にチャンスを、…下さい!」
ぼろぼろと泣き崩れるように僕は彼女に頭を下げた。
「命を、粗末にした僕が悪かったです。どうかチャンスを!」
言い切ると耳に痛いほどの静けさが部屋を支配する。
バクバクバクと脈が、心臓が、煩い。
逃げ出したい。こんな事せずに、もう逃げ出してしまいたい。歯がガタガタとなり始める。呼吸がどんどん荒くなる。
それでも。
僕は頭を下げたままじっと言葉を待った。
「顔をお上げなさい。わかりましたーーー」
その言葉に僕ははっとして、震えながらゆっくりと顔を上げていく。
「ーーーあなたが嘘付きの屑であると」
「へ!?」
僕は顔を上げかけてそのまま表情を引きつらせた。
その視線の先に輝く床のタイル。
いつの間にか机は消えていて、映る先には彼女が立っていた。しかも、バッチリと目が合う。
「そこまでしてあなたは転生したいのですか。真の屑ですね、下衆を極めればこうもなるのですか。魂の変異ですかこれは?」
「くぅううっそおおおおおおお!!!この床か!!この床のせいかー!後一歩だと思ったに!!」
そうだよ、嘘だよ。たりめぇだ馬鹿野郎畜生てやんでい!
誰が諦めるか!誰が好きで人前でビービー泣くかよ!オタクだってな、涙を見せる場所くらい選ぶんだぞこのやろう!
あとちょっとのところで説得できた筈だったのに、タイルから反射した僕の伏せた表情をこの女に見られてしまったらしく、嘘がバレてしまった。ほんの少しだけほくそ笑んだだけなのに、看破されるとは!!
「嘘泣きで私が騙せると思うなんて浅はかです。はやり消去しますか」
彼女はそう言って右手を突き出すとその先が光りだす。多重の魔方陣らしきものが一瞬のうちに展開され、禍々しい輝きが僕を脅かしてきた。
心の片隅で魔法かこれすげえな、などと感想が出てくるが、それも束の間。床に飛散していた僕の血が魔方陣の引力に当てられ、消滅したのだった。その光景を目の当たりして、これで触れられればひとたまりもないことを咄嗟に理解する。
(もうこうなったら本気の本気で泣き寝入りを、え、近い!!?)
恥も外聞も捨てる覚悟で、本気でみっともなく泣きついてやろうかと思考を巡らせていた矢先、気が付くとすぐ目の前に悪魔の手が迫っていた。
「ぎゃああああ、やめてやめてっ!待って落ち着け留まって、ってうわああああ近い近い近い!ほんっとうに申し訳ございませんでした!もう嘘などつきません!ですから、…ちょっと人の話聞いて、ねえ!だから怖ぇよそれ、ぎゃぁああああーーーーー!」
「はぁ、喧しいわね」
ブンッ、と音が鳴らして彼女の手から禍々しい光を放つ魔方陣が消える。
あー、あーーー、ほんっと、電車に轢かれるより怖ぇえ!
ゼェゼェ息を上げて僕は床に手をついて項垂れる。
「悪魔か、あんた」
「言っとくが神でもないからな」
悪魔なんですね、そうなんですねご苦労様ですクソったれ!
腕を組み見下す女性は黒革の椅子をどこからともなく出して座ると、僕の目の前に足を突き出してきた。
「なにこれ」
「私の足だ」
「いや、そうでなくてですね。何事かと聞いているんです」
何なのこれ、どこの何プレイが始まるの?未成年なんですけど、僕。
「特に意味はないわ。ただ、おまえが二度と顔を上げられないようにしようかと」
「それってまさか!」
言われて体を引き、頭を移動させようとした。だが、僕よりも速く振り下ろされた足は後頭部を直撃し、床に埋もれるようにして頭を打った。
「そこまで言うのだ。少しだけ話を聞きいてやろう。それによってはおまえの処遇が変わるかもしれない」
「ぐっ、ぐるじい゛!」
足でぐいぐい押し付けられる頭が変な音を立て始める。痛いし、苦しいし、とてもじゃないがまともに口を効ける状態ではない。
潰されていく頭を彼女の足の拘束から抜け出すことに思考が偏っていく。しかし、そこで「そうじゃない」と心のどこかで声がした。
さっきから話は進まず、僕の願いは平行線のまま。この機を逃せば二度と話を聞いてもらえない、そんな気がしたのだ。
このチャンスを逃したら、ダメだ。
押さえつけられる頭に力を入れる。抜け出すためじゃなく、何とか口が動かせるように余裕を作ろうと試みる。そのまま、力の限り声を絞り出した。
「…転生ものに…憧れて、僕はここに、来たんだ。誰に……誰にも負けない、くらい…強く憧れてる!…くっ、…あるかも分からない…本当に、空想上の…ものかもしれないっ……」
憧れだ。
地球以外に世界は存在している。そんな非科学的なお伽話を本気で憧れていた。ここでないどこか。この地球に存在しない者たちとの交流。モンスターがいて、魔法が使えて、未知がそこにはあって。
そんな、地球に住む誰もが知る事のできないものたちに触れたかった。行きたかったのだ。
「そんな不確定要素に、僕は、……、本気で憧れて。……異世界に転生するために…、地球で生きる…ことを……、辞めたんだ!一度しかない、人生を空想の世界に賭けたんだ!」
僕は声は語るに連れてどんどん熱を帯びていった。
何しに来た?どうしてきた?
そんなことを聞かれたら答えずにはいられない。いや、聞かれずとも言ってやるさ。
地球で多くの人が空想する世界を、僕は実際に確かめたかったのだと。
本当にあるのなら、そこでこそ命を燃やし、生に執着し、悔いのない盛大な生き様を魅せやると。
「命を粗末にしたっていう、その一点はたしかに僕が悪い。気分を害したのなら謝罪する。だけど、僕の生きる世界は、あの星じゃない。日本じゃない!生きることに必死になるには、あの世界じゃダメだったんだ!」
自らが望まずに世界に生まれ出てきて。家があり、食事を与えられ。教育を受け。社会に出ることを強要され。変わらない不変の安定を目指して生きなければならない。親の期待に応えるとか、老いる親に世話をし、看取り、次は自分の番を待つ。
地球には70億を優に超える人間が生きてるんだ。どれだけの人間が同じような末路を辿るんだ?それは自分のしなければならないことか?
その生は何のためにある。
人類に生きている意味を問うたら、一体何人が生の意味を理解しているだろうか。その本質を誰が掴めているというのだろうか。偽りの生きた心地に虚無感を覚え、1日の終わりに床に埋もれ、次の日に虚勢と妥協で眼を覚ます。そして、惰性を持ってまた1日を終える。
それが、人口の膨れ上がった人間の生き方の末路だ、と思えてならなかった。
あの世界は、漫画やラノベのような命を賭けるに値するような世界じゃない。
全てを二次元から学んだ僕から言えば。
そんなの僕が求める世界じゃない。
「もう高望みなんてしない。地球でない世界があるならそこに行かせてくれればいい。命の使い方はそこで決める。それが僕の本心だ!そのためにここに来たんだ!」
望むものを手に入れるために行動したまでだ。
僕は言い切り、力を入れて起こしていた頭を再び床に落とした。
「それがあなたの答えですか」
また事務的な言葉使い。
彼女の表情が見えず、それが分からないのと同じように、その声からも感情を読み取ることはできなかった。
果たして僕の言葉は、届いたのだろうか。それとも我欲に満ちた身勝手な発言はやはり。
すると後頭部に押し当てられていた足が退かされ、頭が軽くなる感覚を覚える。
反射的に彼女を仰ぎ見た。
「……。覚悟は認めましょう」
「それなら」
「ですが、規定を犯したことには変わりません。あなたは、自らの意思で命を絶った。そうした者たちへの対処はいつも決まっているのです。覆ることはありません」
「そ、んな……。どうしても…異世界転生できない、のか…。定められた結果を変えられないのか!」
「ダメです」
無感情に、だけど辛辣に伝えられた返事に、僕は言葉を失った。側から見れば僕の顔は文字通り顔面蒼白になっていることだろう。
脳内では思考がバッファを処理しきれず、感情も理性も一般論も正論も客観視もセオリーも、いくつもの取り留めのない言葉が浮かんでは霧散していった。
しかし、働かない頭の代わりに胸中では文句の嵐が発生していた。
(なにこれ、なんなのこれ。思ったのと違う!どゆことこれ?今の流れならオッケー出るところでしょ。ゴーサインだろ普通?感情を訴えるシリアス展開からの和解、からのハッピーエンドでしょ!セオリーって知ってる?文脈って知ってる?そもそも空気読めてますか?……マジかよ、おいおい。おっかしいな脳内オタクライブラリーに無いよ、この流れ。思いの丈をぶつけたらそこは折れるとこでしょ普通。そりゃ、万が一拒否られるかもとかも考えはしたよ?覚悟もしてたよ?でもさ。たった一言て。一言て、ないわー。ほんっとないわー。希望ちらつかせておきながら覆らないとか、ここは僕の黒歴史を作る部屋なの?こんなの、僕の知ってる異世界転生じゃない!!!)
歳を10と半分ほどまでしか取ってない僕には、腹をくくっていたとは言え、やはりかなりのショックだった。胃が引き絞られる感覚が強くなっていき、同時に思考もどんどん暗闇へと落ちていった。
(ここに来れただけでも奇跡的だと思ったのに、まさかその先が知性を持たないものへの転生だなんて)
それなら死んで無になった方がよっぽど気が楽だった、と胸中で吐き捨ててしまう。
呆然と項垂れる僕に、女性は足を組み替えて溜息を吐いた。
「ですが、猶予を与えることは可能です」
彼女は僕の反応を待たずに言葉を続ける。
「あなた、私の補佐をしなさい。魂魄の保管をし、この『応接の間』に留まることを許可します。そして、知りなさい。あなたがいかに愚かで屑な存在で、軽率な選択をしたのかを。私がいいという期間までに、あなたがその本質を理解することが出来なかった時、あなたを消去します。反対に理解できたのなら」
そこで彼女は一拍置くと、微かに口元に笑みを作り、
「一緒にあなたの異世界を探しましょう」
その瞬間、僕の頰に熱いものがすっと流れていった。
胸の奥が先程とは違う意味で引き締められていく。そこには暖かい熱が生まれていた。
耐えきれず、僕は咄嗟に後ろを向き、天井を仰ぎ見た。
「ゆ、床の…、埃が目に。ああ、ダメだ…な、これ、全然取れや、しない」
泣いてない。泣くわけないだろ。
こんな悪魔のような女に泣かされるなんて二次元じゃあるまいし、ありえない。
制服の裾を目に押し付け拭っていると、不意に後ろの襟首を掴まれ後ろへ引っ張られた。
「がはっ!え、ちょお!!」
「おまえにばかり構っている時間はないと言っただろ。要するにおまえは保留!後がつかえているんだ。さっさと立ってこっちへ来い。次を処理する」
無理矢理立たされると、はたまたいつの間に出現したのかという机の方へ追いやられてしまう。
彼女も机に向かってくると備え付けの立派な椅子へ腰を下ろした。
「そういえば、おまえの名は何だ?」
「え、名前?えと、たか、高橋真守です」
不意に尋ねられ、気持ちの整理が追いつかない僕はあたふたしながら応えてしまう。
案の定、彼女はは?と顔をしかめ、
「たかあしまおる?誰だそれ」
「た・か・は・し・ま・も・る、です」
「たかーしまもる?…あんたの名前言いにくいな。もういい、タカシと呼ぶ事にする。いいわね」
「ええ〜……」
どうやら連続したアの母音につられて『たかーし』とリエゾンするように言ってしまうみたいだ。『は』の発音が苦手なんですかね?あれだけめちゃくちゃ喋っておきながら、ね。
「ん〜、分かりました。じゃあしばらくタカシと名乗りますよ。それで僕もあなたの名前を聞いていいですか」
と彼女に質問した僕の声はガコッと鳴り響いた音にかき消されてしまう。
音の方向を伺うと部屋の扉が開かれており、男の人が扉越しに声をかけてきた。
「フレデリカ、入るぞ!至急、マージファクトの応援に向かってくれ!」
フレデリカ、と恐らく僕が聞こうとしていた彼女の名を呼ぶ男は何やら息を荒げ、早口に言ってきた。
するとフレデリカと呼ばれた当の本人は、僕の前からばっと立ち上がると焦った様子で答えた。
「アルバートっ!あなた、よくも私にこんな役目押し付けたわねっ!もう二度とあなたの頼みなんて聞かないんだから」
おまえがアルバートか!よくもこんな女を担当にしやがったな、心底恨むぞ!というか、目の前に僕がいるのにクレームとかやめて死んじゃう…!
「すまない、クレームは後で聞くよ。とにかく急いでくれ。マージファクトが滅んだ!今、全部署が総動員で対応に当たっている。君も早くこっちに来てくれ。このままじゃ処理落ちどころじゃすまなくなる!」
「滅んだって、なんでよ。あそこは超が付くほどの平和な世界でしょ?!神はなんて言っているのよ!」
驚愕を隠せない様子のフレデリカにアルバートは首を横に振る。
「俺は先に向かってるから、君は着いたらボックス3の資料を使って対処してくれ。頼んだぞ!」
「へ、へぇ、世界が滅ぶこともあるんですね」
アルバートは矢継ぎ早にフレデリカに伝えると、返事を待たずに走り去っていった。
置いてきぼりの僕は、単純な感想を漏らすにとどめた。
「ああもう、次から次へと今日は厄日だわ。崩界なんて予兆も何もなかったじゃない。今すぐって、もう!とりあえず行くしかないか」
立ち上がったまま、頭を抱えたり、机を指でたんたん叩いたりと落ち着きのないフレデリカは言いながら僕に振り向いてきた。
「タカシ、ここの部屋から絶対に出ないこと。何もしないこと。書物に触れることも許さないわ。いいわね」
「は、はい、わかりました」
フレデリカは僕の顔の前に指まで差してきて厳しく注意すると踵を返して部屋を出ていってしまう。
扉がガタリと閉まると微かな施錠の音が聞こえた。
「はぁあああぁぁぁ」
そして同時に僕は、今度こそ床にへたり込んだのだった。
やっと休める。
正直、疲労が半端ではない。身体全身が悲鳴を上げ、脳に危険信号を送ってきていた。
きっとこのまま目を閉じれば爆睡できる自信がある。
あの女ーーーフレデリカにコテンパにやられ、口論した結果、泣かされた。
くそう、男として一生の恥だ。やっぱ無理だ、こんなので眠れるか!
僕はそんな屈辱と羞恥心に苛まれながら、しばらく床に寝そべっていた。
長いこと口論して興奮状態に陥っていた気持ちは、この静けさでようやく落ち着きを取り戻す。自分の今いるこの空間を、肌で感じるほどの心の余裕が少しずつ出来ていく。
「本当に、死んだのか、僕は……」
今になって信じられないと独りごちる。それと同時に安堵した。僕にとってこの空間に来れたことが、まず何よりの救いだった。無の空間に自我だけが存在するとか、単に自殺して終わりとか、そういった類のものでなくて良かった。
生前の記憶も身体も服も知識も、死ぬ前と何一つ変わらない姿で僕は存在している。
「異世界とか、本当にあるって事だよな。これ」
フレデリカはここを応接間だと言っていた。面談をし、然るべき対処を行う場だと。要は転生する世界の振り分けを行うのだ。
つまりここは数多の世界と繋がっている中継地点。
そこに来れた。
「実感というか、何だろうなこの感覚。何ともいえないけど、多分、感動してるんだよなぁ〜」
一人、天井を見上げながらブツブツと独り言を漏らす。
空想かと思ってた場所が実際にあるのだから、それは反応に困るというもの。しかし今、僕の感情には地球に住まう人達に言いふらしたいという疼きで、少々心が踊っていた。
「これをネットにアップして拡散してやりたい。Wi-Fiないのかここ。ないですよね。はぁ。これからの僕の処遇はどうなっていくんだか。簡単に異世界転生できると思ってたのに、現実は厳しいな。ほんと、まさか異世界転生を断られるとは思わなかった」
何度目ともつかない溜息を吐きながら、独り言が勝手に口から出ていた。
心が落ち着くまでこうしていよう。どうせこの部屋で何かを勝手にするわけにいかないしな。
床に座っていた僕は、お尻が痛くなってきたため椅子に座りなおした。しかしそれは、始め僕が座っていた椅子では無く、フレデリカが使っていた立派な椅子を尻に敷いた。
「おお、かなりいいクッションだな。何時間でも座れるいい作りをしている。ゲームチェアに適しているな」
背もたれに体重をかけると、まるで身体を包み込むような感触を感じさせる。フレデリカの椅子に僕はとても気に入ってしまった。
くるくると回ったり、サスペンションをいじってリクライニングしてみたり、ちょっと匂いを嗅いでみたりと、色々と遊び始めたころ。
ーーーバシュウウウウウウゥゥゥ!
と、突然部屋の中心から突風が噴き出し始めた。
「うわっ!!な、なんだなになになに!」
大きな音に僕は悲鳴とともに身体を跳ね上げ、反射的にその中心地へと振り向く。怖がりのくせにこういうのはしっかり振り向いて見てしまうタチである。
(誰かいる?)
天井から白い光が降り注ぎ、突風を撒き散らすその中。光が強すぎて明確に見えないが、しかし、人型の影の揺らぎがあった。
光は徐々に弱まっていき突風も収まっていく。
「い、いい言っとくけど、僕は何もしてないから!ただ座ってただけだから!」
誰に言うでもなく喚くように言い訳し、そのまま椅子の背もたれを壁にして隠れた。
何の用かは知らないが、これがフレデリカであった場合、消されること間違い無しだと僕の本能が言っている。
「ここが天国、か?それとも地獄か?なんか思っていた雰囲気とは違うな」
ガクガクに震えながら隠れている僕の耳に男性の声が聞こえてくる。フレデリカじゃないとすれば。
(とすれば、……いや誰だよ)
別人であれば出ていってもいい気がする。消滅させられる可能性は格段に低いだろうし。しかし、フレデリカには出るな・触れるな・何もするなと言われている。
されとて、これ見よがしに僕が勝手に出しゃばっていいのだろうか、などとまごついていると部屋の中心からこちらに足音が近づいてきた。
「あの誰かいませんか?すいませーん」
「!」
まっすぐ。的確にこちらへ来ている。
ゆっくりと近づいて来る足音に焦りを覚えた僕は、全く考えがまとまらないでいた。
簡単に一言言えばいいだけだ。そう、何かテレビでやっていたような事務的対応だ。と、急いでイメージを固めようとするが、後一歩のところで結びつかない。
足音は遂に椅子の前に止まった。
(嗚呼、ままよ!!)
「すいません、どなたかいらっしゃいーーー」
「フハハハハ、私が魔王だ!ひれ伏すがいい雑種が!」
「………」
(あ、空気が死んだ)
男性が椅子に手を掛け、くるりと回した反動を受けて正面へと引きずり出された僕は、足を組み肘を立て頬杖をつき、不敵に笑って見せた。
正対した僕の前にいたのは、どっからどう見ても日本人の若い男性だった。おそらく20代前半だろうか?確実に僕よりかは年上だ。
そして、僕の言葉を受けた男性はと言えば、反応に困って難しい顔をした後、ゆっくりと微笑んでくれた。
(優しさが、優しさがぁああああ!!)
内心で大絶叫を上げながら転がりのたまう僕に、若い男性は爽やかな微笑みをそのままに話しかけてきた。
「俺は足立優斗って言います。あなたは……失礼ですが、本当に魔王、なのでしょうか?」
「あ、え、ええと…」
(いや゛ぁぁぁあ!死にたい!消えて無くなりたい!)
男性は自己紹介しつつ、僕の厨二病発言を拾ってくれた。僕はと言えば、大人の対応に身体全身が熱くなり、口元をもごつかせながら変な汗をかいていた。
オタクは一般ピーポーにオタクテンションが通じなかった時、死に匹敵する精神ダメージを負う。そして僕は今、瀕死に陥ろうとしていた。
何とかして本名を名乗り返さないと、
「あの、大丈夫ですか?変なこと聞いたのなら謝ります。ごめんなさい。……ここはあの世なんだよな。こっちが俺たちの想像と食い違ったって何の不思議もないですよね。失礼しました、魔王様」
「ぁ、ああ!よく理解したな。ただの人間にしてはいい洞察力だ。褒めてやろう!」
「はい、ありがとうございます」
気遣われるがままに男性は勝手に納得してしまい、僕の口はこれまた勝手に厨二言語を吐き散らかしてしまう。
(どうしよう、後に戻れそうにない!)
ここで、ーーー「てのは、冗談でして。先程僕もここに来たばかりなんすわあ〜。お兄さんもご入用ですか、うっわ奇遇ですね!なんですかねここ?受付の人すら来ないとかチョー塩対応。ちょっとすいませーん店員さん、四番テーブルオーダー待ちなんすけど〜。そう言えば、お兄さんはどうしてここへ?」ーーーとかナイスなジョークを交えつつ誤解を解き、スパッと話をすり替えていければ最適なのだが、僕にはその理想は高すぎた。想像は所詮、手の届かない空想に過ぎない。
断然、僕の方が背が小さく、加えて椅子に座っているせいで更に小さく見えているだろうに、足立はぺこりと頭を下げて来る。
「んん゛っ!で、足立さ…んじゃなくて、足立よ。どうしてここへ来たか、理由はわかるか?」
「ええ、理解してます。死んだから、ですよね」
「そうだ。その様子なら記憶はあるな。では聞こう。生前、何をしてきたのか。どうして死んだのか。そして、何を望むのかを。時間はたっぷりある」
とにかく沈黙は居心地が悪い。適当に、それっぽく、オタ知識を全開にして魔王を装って会話を続けることにする。とりあえずはなるべく足立に喋らせ、フレデリカが帰ってくるまで乗り切ろう。
そんな僕の適当な言葉に、足立は少し困った顔をして、
「……やっぱり、話さないといけないですよね」
微笑を浮かべると寂しげな表情に変わっていった。
なんだか罪悪感を感じてしまうその様子に僕は、考えを改め止めようとした。しかし、足立はそのままゆっくりと、ぽつりぽつりと語り始めた。
「俺は大学院生でした。院生の2年目。専攻は少し特殊でサウンドテクノロジーって分野で、音が人に与える影響や効果を研究したり、もっと単純に音響機器の技術研究などをしていました。博士号を取得するために毎日、大学に詰めて忙しくしてました」
「学業に専念し、専門を極めるとは。足立は立派だな」
勉強が特に好きではなかった僕は、進んで勉学を極める人を前にしてそんな感想が口を突いて出てしまった。それを足立は首を横に振って応えた。
「ありがとうございます。ですが、こんなこと立派の内には入りません。やろうと思えば誰でも出来ます。立派な人は他にもっといますよ。……それにあの子の方がよっぽど」
謙遜して言う足立の言葉は最後に独り言のように呟かれ、僕にまで声が届く事はなかった。
続けますね、と一言挟み、足立は再び語り始める。
「僕が死んだのはそんな院生生活を送っていた夏の事です。トラックに轢かれてしまいました。事故ですね。……そう、事故でした。その日はすごく暑くて最高気温も記録されるくらいの猛暑でした。いつものように仕度をして家を出て。大量の汗をかきながら大学の最寄り駅の交差点まで来て。そこで轢かれました」
「あの、今夏って言いました?」
「え、…はい、そうですけど」
悲しげに話す足立の言葉を静かに聞いていたが、しかし僕は『夏』という単語に引っかかり、つい素で聞いてしまった。
そんな間抜けな僕に足立は戸惑いつつも首を縦に振って応えた。
「おっほんっ!!ああ、すまない。話の腰を折るつもりはなかったんだが。一つ確認させてくれ、今日本は冬じゃなかったか?それも1月。違うか?」
仕切り直すように大きく咳こみ、取り乱さないようにゆっくりと質問した。
言いながら自分とは違う世界の人間だという可能性も浮かんできたが、目の前にいる日本人であろう名を持つ男性には聞かずにいられなかった。
「さすが魔王様ですね。その通りです。僕は死んでしばらくあっちに留まっていました」
「留まっていた?死んですぐにこちらに来ず、成仏しなかった。そういうことか」
「……はい」
足立は質問に短く答えていく。僕とこの人は同じ地球から来たのだと確信を持つ。しかし、不思議に思ってしまう。てっきり命を落とした瞬間、すぐにこの『応接の間』に召喚されるものだと思っていた。
「てことは、世間的に言う、幽霊という奴になっていたのか?」
「はい。自分が幽霊なんて存在になるなんて思いもしませんでした。死んだ後、目が覚めたのは自宅でした」
自分の意思ではない、と足立はそう語った。
死んで幽霊になり、その世界に居続ける。そんな話は漫画やラノベでは王道中の王道だ。急にすっごく目の前の男が羨ましく思えてきたが、その表情を見ると僕の興奮はあっという間に収まってしまう。
私的な質問の代わりに僕は、単純に尋ねた。
「今ここに居るということは、成仏出来なかった原因が分かったのだろう?何が足立の妨げになっていたんだ?」
そう聞いて、自分が嫌になってしまう。
苦しそうな、抱えきれない感情を抑える表情がそこにあった。
人との距離の取り方が下手くそなのだ、オタクって奴は。日々、自身を客観的に見ようとするくせに、いくら日を重ねてもこういったことは全く成長しない。
俯いてしまった足立から僕は失敗したと額に手を当て、目を逸らした。黒歴史は死んでなおも更新中ときた。
そこへ深呼吸するように長く息を吐く音が流れる。
足立は何か思い出していたのか眼を赤くしながら顔を上げた。
「失礼しました。ええ、あの時は解りませんでしたが、今なら判ります。ですが、これには彼女のことも話さなければならなくなります。話が長くなりますが、まだ時間は大丈夫ですか?」
「ああ、構わない」
おそらくフレデリカは当分帰ってこない。
意を決して話そうとする足立に、僕は出来る限り優しく応えた。
ーーーーーーー◆ー◆ー◆ーーーーーーー
「あの、フレデリカさん。勝手な事してすいませんでした!」
「いいわよ、別に」
食器の当たる音が響く空間に、僕の声が大きく反響するとフレデリカは素っ気なく答えた。
本が壁を埋め尽くす部屋にフレデリカと僕はテーブルを挟んで食事を取っていた。
この世界では死にはしないが、自我や実体を保つ為に食事を摂らなければならないらしく、僕は向かい合うフレデリカにガタガタと震えながら箸を進めていた。
僕はこの沈黙が怖くてたまらなかった。
怒ってる。激おこってらっしゃる!
無言無言無言無言無表情無表情無表情無表情無言からの蔑んだ視線!
視線に射抜かれ、僕は不意に箸を床に落としてしまう。
カシャタンと軽快に床を転げた箸を拾おうと、慌てて床に屈み込む。すると、上から声が静かに振ってきた。
「二度と私の見てないところで転生を許可しない事。それを絶対に守りなさい」
「は、はいっ!!」
言われ、ばっと立ち上がると僕は敬礼して返事をした。
「座りなさい。新しい食器を出します」
またぞろ虚空から箸を取り出したフレデリカは僕に渡すと食事の続きを始めた。僕もそれに習い、静かに食べ始める。
しかし、様子が気になってフレデリカの方を見てしまう。
「さっきから何ですか。舐め回すように見るなど、やはりあなたは屑ですね。変態」
「あっ、いや、違くてですね、そのおこっ」
「怒ってません。怒ることなどあの方の件に関しては何もありません」
僕の声を遮って答える彼女の声に、つい言葉を失ってしまう。
「私があの場にいたら、タカシと同じ判断を下しました。ですから怒っていません」
そう語るフレデリカの声は静かに部屋に響いた。
ーーーーーーー◆ー◆ー◆ーーーーーーー
足立優斗さんが全てを話した後、僕の座っていた目の前に机が現れた。そこには一枚の用紙と羽根ペンが置かれていた。
訝しげにその用紙を手に取ると、しっかりと日本語で転生手続申請書と書かれていた。不思議に思いながらも目を通していくと、そこには転生先と書かれた項目があった。
「足立よ。もし次に生まれ変わるとしたら何になりたいか。そして、どんな世界を望むか」
「俺は、許されるなら」
また地球で、人間として産まれたい。彼は笑顔でそう語った。
僕は羽根ペンに赤のインクを染み込ませて、彼の願いを書き記すと、そのまま足立に席を譲り、書類にサインをさせた。
やがて、書類は光を帯びて虚空へ消えると、それまであった机も椅子も全てが消え失せた。
そして、部屋の中心に天井から光の柱が差し込み、足立はそこに向かって歩んでいった。
まるで何かに導かれるように。
ーーー何かを決意するように。
ーーー誰かに会いにいくように。
そうして足立はその光の中へと姿を消したのだった。
フレデリカが来たのはそんな間際だった。
何やら転生の申請が自分の部屋から出たことを知り、慌てて戻ってきたのだとか。
部屋に飛び込んできたフレデリカはそれはそれは怒り狂っておりまして。語るに余るとはまさにこの事。実際に見ないとあの恐怖は伝わらないものでして。
足立を導く光は既に消えており、僕はそこに自分も飛び込めばよかったと後悔しながら、本日数時間ぶりにコテンパにやられたのだった。
ーーーーーーー◆ー◆ー◆ーーーーーーー
「あの魂の話を聞いてどう思った?」
フレデリカは唐突に僕へ問い掛けてきた。
足立さんからの話を思い出し、僕は少し胸を痛めた。
偶然が引き起こしてしまった事故。それから始まってしまった一つの大きな不幸。
「すいません、上手く言葉に出来ないです。ですが、そういう事もあるんだなと。単純に思ってしまう自分がいるのも事実です」
足立が成仏出来なかったのは一重に足立自身の所為だけではなかったのだと、彼は語っていた。
自分を思う者がいて、その気持ちが魂を引き止めた。そして、彼自身も彼女の事を想い自身をあの世界に縛り付けた。
互いに干渉することさえ出来ない存在になろうとも、あの世界に居続け彼女を救った足立には、正直言葉も出ないほど感動を覚えた。
「自分が死んだ後、生きている人たちの気持ちによって、この『応接の間』に来れない事なんてあるんですね」
上手く言葉に出来ない考えを保留にし、僕は気になっていた事をフレデリカに聞くことにした。それを聞いて彼女は食事の手を休めて向き直った。
「そうね。身体と魂が離別してしまうとある一定の時間で自動的にこちらへ召喚されるのが普通です。ですが、その時間までに魂自身の変質や、外部のものからの祈りや感情が作用する事でその世界に留まってしまうことがあります」
「じゃあ、足立さんの場合はその彼女がやはり原因だったってことですか」
彼女。
足立の語ったその人は、一般に言う恋人に向けられたそれとは異なる。その人は、足立の死因を作ってしまった女性だと語っていた。
彼女はその日の猛暑で熱中症に侵され、横断歩道で信号待ちをしていたところ倒れてしまったそうだ。そしてその時、彼女は足立を巻き添いに倒れ、彼女は歩道に、足立は車道に身を横たえた。
たった少しの位置関係が文字通り生死を分けたのだ。
フレデリカはこくっと首を縦に振った。
「恐らくそれだけではなかったと思いますが、一番の原因は彼女の持つ罪悪感。それが作用してしまったのでしょう」
彼女は足立の通う大学の後輩に当たる生徒だったそうだ。
大学の最寄り駅前の交差点。そこには同じく大学へ向かう多くの生徒がいたのだろう。
その誰かが、いやもしかしたらその全員が広めたのかも知れない。
彼女が人殺し、だと。
「人殺し。僕は周りからそんなこと言われたら、もう生きていけなくなると思います。それなのに、罪悪感を抱くなんて。その女の人、なんて言うか、本当に優しいですよね」
「優しいかどうかは知りません。しかし、立派だと思います」
フレデリカの言葉に僕ははっとしてしまう。足立はもっと他にも立派な人はいると、確かそんなことを言っていた気がする。
「罪悪感に苛まれながらも、周りから差別され軽蔑されても、彼女は生きる事を諦めなかったのでしょう?例え、あの方の魂が助力をしていたとしても。それは単に優しいだけでは無いはずです」
そう。
彼女は生きる事を諦めず、僕がこうしている今もあの世界で生きているんだ。
立派、そんな言葉で片付けていいのかと思ってしまうほど、僕はあった事もない女性に眩しさを感じてしまう。
「たった一つの偶然が自らの周囲を、そして他人の人生を狂わせてしまうことなんてよくある事です。それに負けず、諦めず、生きる事に目を背けず、燃やし続けることが命持つ者の使命です」
フレデリカの言葉がとても痛く胸に刺さってくる。
私欲で軽率に死を選択しここへ来た僕は、足立の話を聞いている間も居心地が悪くて逃げ出したい衝動に何度も駆られた。
死してなお、誰かの為に存在を賭けていた彼は、彼女を導き、それこそ生きる意味を与えて、こちらに来た。
恐らく彼らは、既に両想いだったのかもしれない。そんな雰囲気が彼の話から読み取れるほどに、強い結びを感じた。
普通に出会っていれば、きっと。
「フレデリカさんが僕を怒っていた理由、何となくわかってきました。客観的に見れば、僕は命を捨てただけの人間ですもんね」
食事は進まず、箸はずっと虚空を掴んでは離してを繰り返す。
今になってようやく後悔の念が僕の胸に生まれ始めていた。
フレデリカは、自虐を含んだ僕の言葉に一瞥を返すと残りの料理を食べ始める。
「何言ってるんですか。あなたはまだ何一つ分かってはいません。第一にあなたは人間ではありません。屑です」
「ガフッ!」
「これからミドリムシになる存在が知ったような口をきかないで下さい」
「なっ!!」
「これから幾人もの話を聞いていくのです。たった一人の話だけで悟ったような事を口走るとは、やはり見込み無しという事で消去しますか」
「ヒャァアーー!!」
フレデリカの言葉責めに胸を抱えて身悶えする。この、クソ女、僕を手を使わずに殺す気か!
そして、デリートという言葉に危機を感じ、ばっと席を離れると、しかしフレデリカはこちらを見ずに食事を続けて、
「しかし、今回は良い裁量でした」
その声は優しく僕の耳をくすぐった。
惚ける僕を置き去りに、再び部屋には食器の触れる音だけが響くのだった。
ーーーーーーー◆ー◆ー◆ーーーーーーー
こうして転生を保留にされた僕ーーー高橋真守はフレデリカの補佐になった。
この日から、多くの世界の様々な人種と面談し言葉を交わしていく日々が始まった。
フレデリカの隣にいることに違和感を感じなくなった僕は、これもある意味で異世界転生なのかもしれない、とたまに思うのだが、彼女には決して言わなかった。言ったらどうなるか想像するまでもない。
この先、僕は転生することが出来るのか?
それはまた、別の機会に語るとしよう。
読んで頂きありがとうございます。
拙い文書に付き合って頂き感謝の言葉しかありません。
足立優斗について少し、紹介させて頂きます。
書けていませんが、流れはこんな感じです。
足立は、自身の死の原因となった女の子を見つけ、彼女に取り憑く事を決意します。
家族との関係、大学でのいじめ、そして足立家との関係。様々な人間関係に悩まされながら、足立の力を借りて苦難を乗り越え、そしてやがて彼女一人で生きていけるようになる。そんなお話です。
彼女を見守っていた足立はようやく成仏してやってきたわけです。
エルトナでした。