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5:Serva me, servabo te.

 美しい柱の立ち並ぶ白い廊下。飾られた絵画のように見えるのは窓枠。四角に切り取られた窓硝子の中の星空。

 高台にある教会から見上げる星空は、あの檻の中で見たモノとは比べものにならない。同じ島。小さなその枠の中でも、こんなに世界は違う。

 この海の先に広がる大陸、カーネフェル。そこはどんな所なのだろう。故郷とは言っても、俺が覚えていることなど皆無に等しい。

 俺はその未知の領域へ、羨望と共に恐れにも似た感情を抱いていた。

 そして俺は、安堵もしていた。

 明日になればシャトランジアから離れられる。家からも……ギメルからも。

 

 「夜は冷えますよ、お坊ちゃま」

 

 背中にかかる上着と優しげな声。

 振り向いた先で微笑むのは、ルクリース。それに気付くまで僅かの時を要したのは、彼女が何時もと違う恰好だったからだ。

 白いブラウスと黒のケープとロングスカート。シンプルながら優雅さを感じさせるその装いが、とてもよく似合っている。

 大人っぽい服装に不釣り合いな胸元に留められた大きなリボン。それが彼女の愛らしい笑顔と合わさり妙な調和を生み出している。

 どこかの名家の令嬢がお忍びで礼拝に来たような……そんな風にさえ思った。

 

 彼女は支度を終えてやって来たところなのだろう。後ろに小さな旅行鞄を一つ、従えていた。

 それだけで足りるのだろうか。そう感じることが貴族として育てられてきた傲りなのだと気付き、静かに我が身を呪う。

 

 「星の海に何か無くしてしまわれましたか?」

 

 ぼんやり星空を見上げている俺は彼女の目には、何かを探しているように見えたようだ。

 

 「流れ星でもお探しですか?」

 「いや、流れ星は当分いいよ」

 

 俺が笑うと彼女は静かに同意する。

 赤と黒の流星群。あれはたった一つの願いのために、多くの命を狩り取ることを約束する凶星。俺の手にも、彼女の手にも……その証は刻まれている。

 古代から流星群は凶事の前触れとされてきた。星が降る。この美しい星空をかつての人は、世界の終わりを予言しているかのような……恐ろしい光景に見えたのだろうか。

 そんな星々へのマイナスイメージを払拭させるように、ルクリースは俺に微笑んだ。

 今までの彼女は金への猛襲に取り憑かれたような邪悪な笑み、計算し尽くされて逆に疑わしい笑顔で俺を見ていた。そんな彼女がこんな穏やかで優しい笑みをする人だとは思わなかった。

 このカードに選ばれてから、いろいろあったけれど……フローリプとも少しはうち解けられたし、ルクリースの別の側面も見えてきた。二人にだって再会できた。何も、悪いことばかりじゃない。

 

 「星の光は数術値。私のような才のない者にも時折未来を教えてくれるありがたいものです」

 「未来……?」

 「ええ。進むべき道。星を知っていれば少なくとも、道には迷いませんよ。季節ごとに空の模様は変わってしまいますけれど」

 「随分詳しいんだな」

 「お屋敷に拾っていただくまで、そりゃあいろいろ旅をしていましたから。タロック以外の土地なら大抵踏み入れたことがありますわ」

 「……どんなところだった?」

 

 俺の抜かした主語を彼女は瞬時に読み取ったらしく、曖昧に微笑んだ。

 

 「何年も前になりますから……そうですね。戦争が始まる前でしたから、まるきり同じとは言えませんけれど……」

 「綺麗なところでした。水も緑も空気も、すべて。心洗われるような美しい土地。私が荒んでしまったのもあの土地から離れたからだと思いますわ」

 「……自覚、あるんだ」

 

 僅かな驚きを彼女へ向けると、心外ですとふて腐れた顔をした後……「そりゃあ、ありますよ」と彼女が笑う。

 

 「食べ物も新鮮で美味しいし、しっかり整備をすればセネトレアなんかより余程栄えると思います……でも、そうですね。あの自然を壊したくない気持ちがカーネフェル人にはあるのかもしれません」

 

 発展を望まず、自然との共存を選んだカーネフェル。国民が生きて行くにはそれで十分だったのだろう。

 けれど、それがタロックに侵略の隙を与えた。

 平和な土地からは、戦うという概念が失われていた。武器なんて農具と狩り道具があればまだ良い方。剣なんて貴族や騎士達しか持っていなかったし、その殆どは飾りであって切れ味なんて無いに等しく……

 

 「本で読んだ話だと、タロックは雪のせいで食料が育たない。それで侵略戦争を始めたっていうけど……それならセネトレアだって似たようなものじゃないのか?」

 

 環境が同じなのに、結果が違うのは何故?

 どうしてセネトレアは侵略戦争をしないのか。タロックはどうして貿易で富を得ようとは思わないのか。

 そうは思ってみたものの……そのどちらでも困る。奴隷貿易を認める国が増えることも、侵略戦争を肯定する国が増えることも……必ず誰かが傷付き泣くのだ。

 

 ルクリースの遠くを見るようなその瞳。海の向こう、セネトレアを見ていのだろうか。波のように感情の引いたその深い青色の瞳からは彼女の心が読み取れない。深い深い……静かな瞳。やがてそのまま静寂を語るような穏やかな声で、彼女が答えた。

 

 「坊ちゃまがセネトレアへ行かずに済んだこと、私はとても幸運なことだと思っております」

 「そんなに、酷いところなのか?」

 「タロックは狂王といえども唯1人。セネトレアはこの星より多くの悪人がいますから」

 

 セネトレア。世界でもっとも栄えた国。

 タロックの地を知らない彼女がそれでも断言する。セネトレアこそこの世の地獄であると。

 

 「ルクリース、正直に話してくれ。もし俺がセネトレアに行ったなら、どうなっていたと思う?」

 「坊ちゃまは、貴重なカーネフェルの殿方。奴隷商がこぞって手に入れたがる、商品です。お屋敷が変わるだけのご養子生活。これが一番マシ……」

 

 それ以下のことは、彼女は俺に伝えなかった。彼女は俺に気を使ってくれているのだろう。

 もっとも、大体の予想は付く。場所がどこであれ、何も変わらない。

 俺は純血のために搾取され続ける道具に身を落とすということは事実なのだ。

 

 「それでも……どんなに最低でも、俺は殺されることはないんだな」

 「ええ、純血の貴方なら」

 

 その言葉が含むもの。聞く前から答えはわかっていた。

 それでも聞かずにはいられなかった。ギメルを変えてしまったその国は、どんな地獄だったのか。

 

 「……混血は、どうなんだ?」

 「イグニス様とギメル様は、幸運でいらっしゃいます。どんな辱めを受けたにせよ……今日まで生きてこられたのですから」

 

 生きていることが幸運。そうは見えなかった。

 彼女は憎んでいた。俺を、生を……生き延びたことでその身が背負うことになったものを。

 

 「混血を嫌う者も、混血を好む者も……皆行きすぎれば彼等を殺めます」

 「ルクリースは、生きることが幸せだと思うのか?」

 「ええ。坊ちゃま……アルドール様は違うんですか?」

 「俺は……わからない。大切な人が幸せそうに笑ってくれることが、俺の幸せだと思ってた……でも、今はどうすれば笑ってくれるのかわからない」

 

 彼女の喜びは、俺の苦痛だ。

 彼女は俺の不幸以外に、幸せを感じることはないだろう。彼女の幸せが俺の幸せ。その当たり前の式が歪んで成り立たなくなってしまった。

 それでも俺は彼女がそれを望むなら、そうするべきなのだろう。

 簡単なことだ。俺は人形なんだから。人にもなりきれず、完全に心を殺すことも出来ない人形ならば、中途半端。誰からも必要とされない。要らない。捨てられる。

 俺は人形に戻るべきだ。イグニスとギメル以外に心を開いてはいけない。

 そうだ。それなら俺は、フローリプを殺すべきだったのだ。だって、彼女はイグニスでもギメルでもないんだから。

 それでも、俺はそれが出来なかった。余計なものばかり抱え込んで、身動きが取れなくなって、ギメルを沢山傷つけた。もっと早く助け出せれば、彼女は彼女のままでいてくれたかもしれないのに。

 

 人形に戻りたい。それでも戻れない。

 人形に涙なんか要らない。心なんか要らない。

 要らないもの全て、この目から流れて消えてしまえばいいのに。

 

 俺の手に触れる、彼女の優しい手。

 彼女は俺の涙を拭うこともなく、それを見守り続ける。

 それは要らないものなどではない。大切な、人としての貴方の一部。

 そう、微笑んでくれていた。

 

 「アルドール様。私が生きて来られたから、貴方が生きていらしたから。私は貴方に出会えました。私は幸せです。貴方に出会えて、こうしてお仕えできることが、とても幸せなんです」

 

 彼女の言葉がわからない。

 俺なんか。空っぽの俺なんかに出会えたことが、どうして彼女の幸せなのか。

 それでも彼女の言葉は俺の空っぽの心に染み通っていく。

 

 「アルドール様。生きてください。生きて生きて生き続けてください。何があっても。今日が駄目でも、明日が駄目でも、生き続ける限り、未来と希望は貴方の手から消えません」

 

 いつか、彼女と俺の幸せが重なるときが来る。それが許されるまで、血反吐を啜ってでも生き続けろと彼女は言った。

 

 「それまで私が貴方を守ります」

 

 その言葉には、いつもの彼女らしさが無かった。まっすぐに俺を見て語られる言葉に俺が感じる疑問。

 

 「……どうして、そこまでしてくれるんだ?」

 「アルドール様。セネトレアでも買えない物があることを、ご存知ですか?」

 

 俺の答えも待たずに、彼女は正解を教えてくれる。

 

 「つまりはそういう事なんです。私は貴方が大好きですから」

 

 いつもの「お慕いしています」じゃない、その言葉。それがとても真摯なものに聞こえたのは、他ならぬ彼女が無償を説いたから。だからだろう。俺はそれを否定することなくそのままの意味で受け取ることが出来たのだ。

 俺が人間でも人形でも。彼女は俺を大切なのだと言ってくれた。そんな彼女を、どうして世界の外側だと数えられる?

 イグニスとギメルだけを思えばいい世界は単純だった。不幸も幸福も、簡単に理解できた。俺の世界が広がっていく。わからないことばかり。不安も、恐れもある。それでも。彼女が背中を押してくれるなら……俺は真っ直ぐ歩いていけるかもしれない。

 

 「ありがとう、ルクリース」

 

 初めてだ。俺は彼女に心からのお礼と笑みを送れた気がする。せめてもの感謝の気持ちを伝えたくて、俺は彼女に言葉を贈る。

 

 「その、様付け止めてくれ。ルクリースは、ルクリースなんだから」

 

 回りくどい言い方になってしまったが、頭の良い彼女は気付いてくれたようだった。

 俺も彼女は大切に想っている。少なくとも、唯の使用人とは思っていない。気軽に名前で呼び合える……そんな友達になりたかったのだ。それが彼女が俺にくれた多くの言葉へのお礼になるのだと信じた。

 

 「……はいっ、アルドール!」

 

 満面の笑み。嘘も偽りもない。彼女は今、本当に笑っている。それが伝わる、信じられる素敵な笑顔だ。

 そうやって微笑む彼女は普通の女の子に見えた。本当は、こんな命がけのゲームなんかに参加する必要もない、普通の女の子なんだ。

 彼女は幸せだと言ってくれたけれど……彼女を不幸へ誘ったのは俺なのかも知れない。彼女の幸せそうなその笑顔は、俺にそんな気持ちを芽生えさせるのだった。

  

 *

 

 出発の時間は知らされていなかった。

 日が昇るより早く、叩き起こされた俺たちは港へ向かう。

 波止場には誰もいないはず。

 けれど、そこには一人だけ……俺たちを待っていてくれた人がいた。

 

 「姉さん……」

 

 もしかして、ずっと待っていてくれたのだろうか。

 

 「アルドール…」

 

 アージン姉さんの手に握られているのは、養父さんが腰に下げていた剣。そして昨日、姉さんが譲り受けたモノ。これは、トリオンフィ家の当主の証だ。勝利の凱旋の名を関する、宝剣トリオンフィ。

 

 「私は、フローリプ達のようについてはいけない。傍にいられない。不甲斐ない姉だ。お前を守ってやることも出来ない」

 

 姉さんには仕事がある、そして家がある。イグニスの言葉が本当なら、これからトリオンフィ家は傾くだろう。それだけのことをしたのだ。それでも……姉さんは、養父さんやあの人を見捨てられない。優しい人だから。そして家を捨てることもしない。誇り高い人だから。

 トリオンフィの名を捨てる俺と違って、死ぬまでそれを背負う覚悟を彼女は持っている。そして家を立て直すことを望むのだろう。

 

 「この名をお前が呪っていることはわかっている。それでも、私はこれをお前に持っていて欲しい。お前に、勝利を……」

 

 俺はこれからカーネフェルの王位を継ぐ。それは、タロックとの戦争に駆り出されるのと同意。そしてそれは、限りなく、死に近い言葉を意味する。だから彼女は、俺に勝利をと……それを手渡すのだろう。手に押しつけられたその剣は、ずしりと重くのし掛かる。その重さにこれはこれまで俺を縛っていたものなのだと感じてしまう。

 それでも、姉さんの赤い目に気付いたから俺はそれを静かに受け取る。彼女の誇りの証であるはずのその剣。俺にとっては忌むべき名。

 それでも、姉さんとフローリプと出会えたこと、過ごした時間。それは忌むべきものではない。心の中で、慈しむべきもの。

 彼女が俺との別離を悲しんでくれるのなら、俺はこの名を愛そう。俺は姉さんとフローリプと出会えて、兄弟になれて幸せだったと認めよう。今、この瞬間から。

 

 「姉さん、ちょっとじっとしてて……うん、目、閉じてくれるともっといいな」

 「……アルドール?」

 

 瞳を何度か瞬いた後、姉さんは素直に目を閉じる。微かに頬に朱が差す理由が、俺の勘違いなら良いのに。

 気付かないふりを続ける俺は、胸の中で彼女に詫びる。そんな幸福なことは、今の俺には許されないことだから。俺が手を放すと、姉さんは目を開ける。そんな姉さんにかかる声。


挿絵(By みてみん) 


 「お似合いですよ、アージン様」

 「馬子にもなんとやら。姉上は勿体ない」

 

 ルクリースとフローリプの言葉に目をぱちぱちさせている姉さん。

 剣を僅かに抜いて、刀身に映った姿を見せてやると姉さんは今度は口をぱくぱくさせてそれを外そうとし……それを堪える。真っ赤になって俯きながら、横目で俺を睨んでいる彼女に俺はそれを教える。

 

 「おまじない。毎朝願いを込めて編んで同じリボンで縛ると願いが叶うんだってさ」

 

 渡せるものが何もなかった俺は、自分の髪を縛っていたリボンを解き、姉さんの短い髪をそれで結んだ。

 耳の横揺れる三つ編みとリボン。俺なんかよりよく似合う。

 肩につくかつかないかの短い髪だったから、三つ編みの長さもそんなにない。それでも思いは込めたから、きっと願いは叶うだろう。

 

 「……そ、そういうことなら、し、仕方ないな」

 

 姉さんは女の子らしい恰好が嫌いだと言っていた。リボンなんて以ての外。

 受け取ってもらえたことに俺は安堵する。

 

 姉さんの数を知らない。それでも、姉さんもカードに選ばれたことを俺は知っている。

 いつ誰が敵になるか判らない。だからそれが誰かにバレないよう、その話題をしてこなかった。幸い、まだ俺以外気付いている者はいない。

 ルクリースのようなコートカードも傍にはいない。危険なのは俺じゃない、姉さんの方だ。

 願掛けでも何でもいい。信じない神様だって今だけは信じてやってもいい。だからこの人をどうか守ってあげてくれ。

 一人しか生き残れない。生き残れないゲーム。俺はもう、死なせたくない人が、一人じゃ済まない。だから願うしかない。死なないで、死なないで。お願いだから。

 

 俺の微笑みに揺らいで覗いた感情に、姉さんが何かを言いかけ……それを取りやめた。それを見届けてから、イグニスが姉さんに言葉をかける。

 その頃には、姉さんも仕事モードに切り替えていた。

 

 「即位式には貴女も、是非………留守の間、シャトランジアをよろしく頼みます」

 「は、承りました神子様」

 

 イグニスはカーネフェル側との仲介役として旅に同行することになった。彼には大勢の部下が居るから数週間ほど国を開けても問題ないらしい。表向きはまだ先代神子の統治下。彼が死ぬまでまだ僅かの時間があるとの話だから。

 

 「それじゃあ、出発しましょう。海の天気は変わりやすい」

 

 イグニスのその言葉が、出航の合図となり俺たちは船へと乗り込む。

 甲板から見下ろす姉さんの姿が、何だかとても心細くてちっぽけなものに見えて。俺は声を張り上げた。

 

 「姉さん!俺……勝ったら帰ってくる!これ、絶対に返しに来るよ!それまで……姉さんも頑張って!」

 「…………っ、任せろ!行って来いアルドール!」

 

 姉さんが笑う。無理して笑うそのせいで、瞳から涙が零れてしまっている。ここからじゃ手は届かない。拭うことが出来ない涙は彼女の頬をぬらして輝き続ける。それでも彼女の声は震えない。だから、きっと……大丈夫。

 背を向け歩き出す彼女を見送り、俺も甲板を後にした。

 それが多分、信じるって事なんだと思ったから。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 イグニスが用意した船は教会の所有するモノらしい。よく港に来る貿易船よりは遙かに小さいけれど、この人数が乗るには問題ない。

 俺と俺の連れであるフローリプとルクリース、イグニス。それに船員が僅か5名。船内はいくつかの部屋があり、一人一部屋振り分けても何室かあまりが出そうだ。

 

 「イグニス、船ってこんなに少しで動かせるモノなのか?」

 

 帆を張るにも力がいる。俺たちみたいな女子供ばかりでは手伝うどころか足を引っ張ることだって目に見えている。

 けれどそんな俺の心配をイグニスは一言で吹き消した。

 

 「アルドール、コレは教会の船なんだ。船員達を見てご覧、鍛えてるように見える?見えないだろ、当然だよ。これは数術で動かすものなんだ。彼等は船乗りじゃなくて、数術使いなんだ。優秀な……ね」

 

 「普通の船ならメルクリウルス港からカーネフェルまで早くでも一週間はかかる。でも、これなら三日もあれば十分」

 「でも、そんなスピードで飛ばしたら……怪しまれないか?」

 「言っただろ、僕らは数術使い。外からは何も見えやしないよ」

 「な、なんか凄いな数術って……何でも、あり?」

 「万物が数値で構成されている以上、数術に作用できないモノはない。理論上はね」

 

 目的地を設定。後はそれ相応の数術値を与えれば勝手に進むんだとか。

 海賊に襲われることもない。

 

 その昔、タロックを叩きのめしたというシャトランジアの兵器。その一端を垣間見たような気分だ。

 いきなり現れる援軍。計算の合わないその進軍速度。現代でだって既に、異常だ。それが何世紀も昔……それは確かに恐ろしい話。当時は数術なんて世界に広く知られていなかったのだから。初代狂王なんて言っても、所詮は毒殺魔。レベルというか既に次元が違いすぎる。

 その次元について理解できない俺はさっぱりだが、そうでもない奴が一人。

 

 「フローリプさんは、すっかりお気に召したみたいだね」

 「ああ、あいつも数術は囓ってるみたいだからな。興味深いんだろう」

 

 俺はその理論がさっぱり見えなくて、魔法でも見ているような夢見心地。

 そんなに揺れないとはいえ引き籠もり同然の生活をしていた俺は、慣れない船旅にすっかり参り、結局船室から上がり甲板で風に吹かれていた。

 フローリプの話では、ルクリースは快適な船旅に喜び、今の内に体力温存しますと昼寝を始めたそうだ。

 そうだ、その方が良い。カードとの戦闘では彼女に頼り切りになるだろう。少しでもゆっくりしていて欲しい。

 

 「まぁ、でも……あんなに嬉しそうなあいつ、初めて見たよ」

 

 外は広いなとつくづく思う。

 シャトランジアはもう見えない。広がるのは一面の青。何もない。遠くに微かに見えるのがカーネフェル。その蜃気楼だと教えられた。今までシャトランジアから見えたつもりでいたのもそうなのだと。

 

 「そう言えば、お前は護衛も居なくて大丈夫なのか?」

 「向こうに着いたら向こうの教会から手配された護衛兼案内人が来る。あんまり大勢で出かけるわけにも行かないし、留守がバレないように、僕の重臣は向こうへ置いてきたんだ。まぁ、船員達はああ見えても修行を積んだ数術使い。腕の方は立つから安心して。カード以外なら何人束になってかかってきてもどうにでもなるよ」

 

 その言葉に俺はある引っかかりを覚える。

 

 「カードは、カードにしか殺せないのか?」

 

 そんなに強い人たちならカードだって倒せるのでは?そう思ったのだ。

 

 「殺す理由がないよ。そして、幸運値がまず違う。カードに選ばれなかった人々は、カードを殺す事なんて絶対に出来ない。どんなに弱い君だって、カード以外には殺せないんだ。数値がソレを許さないから」

 「理由……?幸福値……?」

 「いいかいアルドール?カードは願いを叶える力の可能性を持つ。そのカードを手にすることが出来なかったモノは何を考える?そう、簡単な話だよ。カードを手駒にすれば良いんだ。最悪、洗脳でも脅迫でもして従わせる。それだけで、自分の命は脅かされず願いが叶う。わかるかい?そしてカードが選ぶその殆どは……20までの年の者。多少の例外はある。討つべき王はみんなそれなりの年齢だからね」

 

 二十。それはかつてそれが成人年齢とされていた年だ。少子化の今は、それがどの国でも引き下げられたけれど、それは今も人々の中に残された一つの境界線。

 

 「本来コレは神の審判と呼ばれるべきモノ。君だって聞いたことくらいあるだろう?それでも敢えて悪魔のゲームと僕が呼ぶか判る?これは、子供を犠牲にすることを前提にしたゲームだからだ」

 

 今年は審判時代99年。来年から時代は世界時代に変わるはず。

 世界とは完成、完全。イグニスのいう神とやらは、俺たちがその完全に相応しいかどうかを選別しているとでも言うのだろうか。

 

 「何様だよっ……神って奴らは!フローリプなんか、まだ十二才なんだぞ!?そんな子供に殺し合いを強要させて、何が楽しいんだ!」

 

 まだ未来が、可能性が沢山残っている……貴重な子供。そんなモノの未来を潰して、何が神だ!

 イグニスの言うとおりじゃないか。コレは、悪魔のゲーム!お前達なんか、悪魔で十分だ!どうせ俺たちの命なんか数値の一つ程度にしか思っていないんだろう?

 

 「アルドール。君は幸福とは何のことだと考える?」

 

 唇を噛み締める俺の背に、投げかけられる言葉。

 

 「ある神は生こそが幸福。ある神は死こそが幸福と答えた……」

 

 ある神。教会の教えで出てくる創世の二神のことだろう。

 死と虚無を司る零の神。生と無限を司る壱の神。

 

 「最初の方はわかるけど、後のは……俺には理解できないよ」

 

 イグニスの言葉は、昨日のルクリースのそれと重なった。だから壱の神の言い分は、まだわかる。未来とは可能性。すなわち希望。

 でも、死は違う。それを刈り取る行為。すなわち絶望。そんなモノのどこが幸せだというのだろう。

 俺の答えにイグニスは、少しだけ悲しそうに笑った。昨日と同じ。同じモノを見ても、同じように感じられないことに彼は失望しているのだろうか。

 

 「なるほどね、それなら君は……やっぱりとても幸せなんだと僕は思うよ」

 

 その声は、悲しみの他に……少しだけ羨望めいたものを宿していた。

 すぅと息を吸い、彼は意志ある言葉を俺に伝える。そこにはもう、悲しみも羨望も存在していない。

 

 「君にいずれ……見せてあげるよ。世界の真実、幸福を。君は王になるのだから、目を背けてはいけない。世界の在るべき姿を見つめるべきなんだ。押しつけた僕が聞くのも酷いとは思う。それでも僕は君に聞きたい。君に、それが出来る?」

 

 イグニスが俺に望むモノ。

 それは世界の真実を受け入れること。

 それは誰かを理解すると言うことだ。

 俺は理解したい人がいる。そのためにも世界を知らなくてはいけない。そしてその世界に眠る可能性を、俺は否定したくない。

 王とは力持つモノの証。変革の力。この世界が間違っているのなら、それを正せる……可能性。

 可能性を広げるために、必要なのは知ること。知らないモノを変える事なんて、きっと誰にも出来ない。

 

 「世界は、可能性なんだと思う。何も知らなきゃ、何時までも知らないまま。それは停滞だ。それ以上好きになることも嫌いになることも出来ない。可能性を奪われることは自由を失うこと。それを失ったら、人は人である証も失う。俺は、そんな世界は嫌だ」

 

 「俺は自分が嫌いだよ。それでも、そんな俺を好きだって言ってくれる人がいるから。俺は自分を嫌いなままでいたくない。そう言ってくれた人たちに向かい合えるような自分に、俺は……なりたい」

 

 俺を見定めるように無言のまま観察していたイグニス。その琥珀色の瞳が伏せられ、彼の口元が軽くつり上がる。

 目を開けて真っ直ぐ俺を認識したまま、イグニスが微笑む。

 

 「少しは……立派になったね君も。昔より、いい目をしてるよ」

 

 今日が駄目でも、また明日。

 少なくとも俺は、イグニスには許してもらえたのだろうか。少しは認めてもらえたのだろうか。

 わからないけれど……俺は今日を生きていることを、神以外の何かに感謝した。

挿絵(By みてみん)

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