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3:Id certum est quod certum reddi potest.

  「なんで、こんなの……見せるんだよ」

 

 見せられた記憶に、涙が止まらない。

 暗闇の中俺は唯泣いていた。何もない暗闇。その彼方から響く低い声。それは問いには答えず、声は何度も繰り返す。お前の願いは何だと。

 

「そんなの決まってる!俺はギメルとイグニスを取り戻す!困ってるなら力になる!辛いところにいるなら救い出す!」

 

 そう告げると、暗闇から声が返ってきた。さっきまでの声じゃない。谺のように返ってくるそれは俺と同じ声。

 

『それは生きていたらの話だろ。俺だって気付いている。時間が足りない。もう遅いんだって……もう間に合わない。きっともう駄目だ。取り返しなんか付かない。奴隷の扱われ方、平均寿命……俺は知っているだろう?』

 

 二人が消えてから、俺は混血について調べた。だからわかる。あの女が言った言葉。それはまだマシな方なのだ。

 愛玩動物のように着せ替え人形として可愛がられる、これが一番マシ。

 

 次が性欲処理の道具としての奴隷。既に最低なこれが二番目。

 

 人体収集家にとって、混血は魅惑の物件だ。目玉をくりぬき、髪を抜かれ……殺される。

 生きたまま剥製をつくりインテリアにするド変態も数多くいる。コレが最低最悪のケース。

 最悪の場合、二人はもう……生きていないかも知れない。

 

 目頭が熱くなる。もう、姉さんのことなんか忘れていた。どうでもいい。二人に比べればもの凄く小さなことだ。

 世界のすべてと二人のどちらかを選べと言われたら……もう俺は迷わない。本当に大事なのはふたりだけ。だから後はどうでもいい。死のうが生きようが勝手にしろ。

 でも別だ。もし二人が既に死んでいるとしたら…………

 

「………………その時は、ぶっ壊してやる。二人を不幸にしたものすべて、同じ目に遭わせてやる!」

 

 まずあの女から血祭りに上げてやる。そう叫ぼうとした俺の脳裏に浮かんだのは、ギメルの最後の言葉と笑顔。

 

「いや……駄目だ。悪い言葉は誰も救わない」

 

 彼女はいつも教えてくれた。人間の人間としてのあり方。 

 

「ギメルが言ったんだ。だから俺は信じる」

「二人は生きてる。きっとまた会える!だから俺は二人を見つける!それだけだ!」 

 

 声はまた、俺のものから元の低い声に戻っていた。

 

 《全てを捧げる覚悟を持つ者。汝願いを現に欲するか?》

 

 全てを捨ててでも叶えたい願いがあるかとそれは問いかける。

 

「……ああ、欲しい」

 

 《ならば光に手を伸ばせ。さすれば我が力を授けよう》 

 

 その声の直後……暗闇を割り、上から落ちてくる光。それは暗闇に浮かんだまま俺を待っていた。

 紙切れ?何かのカードのようだ。光はそのカードから発せられている。

 手を伸ばすと、声が聞こえた。先ほどの低い声とは打って変わった高い声。

 その声は謳うようにその詩を紡いだ。

 

 《開かずの箱が開かれし時、天地は逆さとなり、世界は束の間の夢をみせる》

 《幸福なる者、僅かな数字を。不運なる者、王の座を》

 《されど己が生まれ持つ、赤き血までは騙せない》

 《女王を処刑台へと送るのは、全てを統べる王だけ》

 《騎士を解雇出来るのは、KとQの二人だけ》

 《騎士は数兵達を虐殺し、数兵は小さい数値を刈り尽くす》

 《最も小さきAの兵士、己が周りは敵だらけ》

 《逃れることだけ許された、Aが向ける矛先は…世界を操る愚者へと向かう》

 

 《王を殺めた道化師に、不可能事は…何もなし》

 《見誤りし愚か者共、己が数に身を滅ぼされん》

 《四の紋章、五十四枚の紙切れ。同じ血同士、殺し合え》

 《塔へと至る四枚に、双子模様は残されぬ》

 《三屠り…最後の一枚、望む世界に君臨す》


 詩が終わると、カードは輝きを増し暗闇を押しのける。世界は一面真っ白だ。その中で一番明るいその光。それを手のひらに包むと、炎に包まれたような熱さを感じた。

 手のひらと手の甲に燃えたぎる焼き印を押しつけられたような痛み。あまりに苦痛に俺は目を瞑る……そしてもう一度目を開けると………

 

「……あ、れ」

 

 目に入ってきたのは見慣れた白い天井。他にも何かある。俺を心配そうに覗き込んでいる……ルクリース。それから離れたところに無表情のまま座っているフローリプ。

 

「ぼ、坊ちゃまああああああああああああああああああああああああ!良かったです!よくぞご無事でっ!」

 

 大げさに泣きながら抱きついてくるルクリース。ぼんやりとしたままだった俺は避けられなかった。狙ったかのように豊かな胸の方へ俺の頭を抱き寄せる彼女。弱ってるところで既成事実を作る気だろうか。止めてくれ、俺にはギメルが。そう叫びそうになったところで彼女を引き離す腕があった。

 

「止めろルクリース。アルドールが今度は窒息死で黄泉送りになるぞ」 

「あれ、お前その手どうしたんだ?」

 

 フローリプの左手には包帯が巻かれていた。彼女の利き手だ、怪我でもしたのだろうか。

 

「私のことより自分のことを案じろ。姉上と共に道ばたで倒れていたそうだぞ」

「…………ってことは、ああ……くそっ」 

 

 俺の脱走計画は失敗し、俺は屋敷に戻された。そう言うことだろう。

 

「もう、バレてるよな……」 

 

 おそるおそる問いかける俺に、こくんとフローリプが頷いてしまう。

 

「母上は朝一番で地下室の道具の手入れを始めたぞ」

「もう嫌だこんな家っ……」

「お労しやお坊ちゃま……でもルクリースは気にいたしません!傷の一つや二つや……二、三十個男の勲章ですわ!例えそれが背中であろうとも!」

 

 ルクリースのその慰めになっていない慰めに俺は嘆息を吐く。

 あの女の拷問は……痕が残る。見えない辺りを狙ってやってくるのがまた彼女の性格の悪さを表している。だから姉さんみたいな真面目な人間は気付かない。もっともこの屋敷であれを知らないのは日中仕事へ出かけている父さんと姉さんくらいのものだろう。 

 カーネフェルの民族衣装は腹部の露出がある。貴族の正装でもその伝統が残っているため腹は絶対にやらない。夏場半袖になった時困るので腕もやらない。だから足とか肩とか背中とか……あの辺りは人目に見せられない。タロック人じゃなくて良かった。タロックの服は肩の露出があるから、致命的だ。

 

「ん?」

 

 俺は布団から出した右手の違和感に気がついた。手袋が焦げ臭い。何かしただろうか。外側は何ともないが……この匂いは何処から来るのだろう。外して覗き込み、手袋の内側が焦げていることを知る。俺の手が、焦がした?そんな馬鹿な。そう思いながら視線を右手に向けると……

 

「何だ、これ?」

 

 手の甲には何かの紋章らしき物が刻まれている。痣だろうか?それにしては濃すぎる。まるで入れ墨を彫られたかのような深い黒。何処かで見たことがあるような……ああ、思い出した。これは……トランプのマークでこんなのがあったと思う。

 

「……クラブ?何でこんな物が?」

 

 ひっくり返して見ると手のひらには……Aの文字。寝ている間に落書きでもされたんだろうか。

 

「わけわかんねぇ……」

 

 ぱたぱたと右手を何度もひっくり返している俺は、部屋の空気が変わったことにようやく気付く。静かすぎる。ルクリース辺りが何か言いそうな物だが。

 それを見た瞬間、フローリプとルクリースの表情が変わった。ルクリースの笑顔は凍り付き、フローリプは無表情ながら戸惑いを含んだ瞳で俺を凝視していた。

 

「ん、俺……なんかした?」 

「なるほど…………厄災の相、そういうことか」

 

 フローリプがか細い声でそう言った。そのまま彼女は扉へ向かい、見舞いを終えようとする。

 

「無事で良かった……そう言おうと思ったが、やはり止めることにする」

 

 俺は音を聞いた。その凶器が鞘から解き放たれる音を。

 

 

 

「だってそうだろう?これからその無事を脅かすのは……どうやらこの私なのだから」 

「何、言ってるんだフローリプ?」

 

 扉に近づいたのは、部屋を出るためじゃなかった。彼女は、壁に立てかけられた……俺の剣をその手に取るためにそうしたのだ。 

 

「お前は言っていたな。私はお前を憎んでいないかと」

 

 昨日の話を彼女は口にする。

 

「私は憎んでいなかった。そう思っていた。思おうとしていた。だが、今私はお前を憎んでいる」

 

 その過去形の残酷さが胸に染みた。彼女を、何が変えた?それに彼女が答えをくれた。それは、……だと。 

 

「私の復讐は立った今、肯定されたのだ。他ならぬ神に!」

 

 彼女がこの手を見てから。これは、ただの痣ではないのか?

 焼けこげた手袋。焼かれるような熱さ。あの光を掴んだ時……あの声はなんと言った?力を与える……そう言った?

 

「願いのために戦うことを受け入れた!私もお前も!それはつまり、殺し殺される覚悟を決めること!」

 

 犠牲を受け入れろ。そうだ、あの声はそう言った。願いのために全てを捧げられるかと。俺の願いはそんなにいけないことだったのか?全てを諦めていたあの妹を豹変させてしまうほど…… 

 

「けれど、お前じゃ私を殺せない!」

 

 手から包帯を外すフローリプ。その手の甲には俺と同じクラブの刻印。

 

「ど、どうしてお前にそれがっ…!?」 

「私も願った。叶えたい願いがあった!そのために……犠牲を肯定した。まさか……お前まで選ばれていたとは思わなかったが」

 

 叶えたい願い。それは……

 

「……そんなに、この家が継ぎたかったのか?」

「お前にはわからない。存在理由もなく、存在証明も出来ず、ただ存在し続ける者の気持ちなんか!」

 

 誰にも望まれず生まれ失望されたまま生きている。彼女の宿す絶望に……不意にギメル達が重なった。

 

「……俺は、駄目な兄貴だな」 

 

 イグニスはあんなにギメルを大切にしていた。俺はどうだ?一度としてフローリプを顧みたことがあったか?慈しんでいたか?優先出来ていた?……否。

 いつも俺は、失った二人の影ばかり追っていて……何も見てはいなかった。捨てるだけの家に愛着なんか持たないように。いつもへらへらと笑い、嘘ばかり紡ぎ、心を閉ざし続けた。

 だからわからない。わかろうともしなかった、俺の罰だ。

 でも俺はそれを受け入れた。それを肯定してでも、ふたりが大切だった。今の状況はそれを限りなく極限にし、突きつけられているだけ。

 願いのために、彼女を見捨てることが出来るか?それが出来ないならこのまま殺されてしまえ。それも出来ないなら……殺し合え。そういうことだ。 

 

「神様なんて立派なもんじゃないだろ……絶対」

 

 神様なんか認めない。こんな風に人の心を弄ぶような奴らは悪魔で十分だ。

 

「でも、殺すも殺さないも……俺はお前を殺す気なんかない」

 

 あの女ならともかく、俺はフローリプに殺意など抱いていない。多少不愉快なこともあるが、それでも彼女が悪い奴ではないことを俺は知っているから。現に今だって俺の目覚めを待っていてくれたじゃないか。嫌われてると思ってた分、ちょっと……嬉しかったのに。 

 俺の言葉にフローリプはなおも無表情。

 

「私はシンク……お前はエース。意味がわかるか?」

 

 彼女の手のひらには5という数字。だからそれがどうしたのだろう。

 

「お前は最弱の四枚の一人!逃げるか無抵抗で殺されるか!それがお前の未来!」

 

 流れるようなあの詩。もっとも弱きAの兵士……周りは敵だらけ、だったか?ちょっと待て、なんだあの詩。不平等すぎる。俺は……誰も殺さず命を狙われ続ける、そういうことなのか?

 途惑う俺に、フローリプが謳うように言葉を紡ぐ。

 

「殺めることで叶う願い。それならどうして殺めずにいられよう……」

 

 言葉とは裏腹に、緑の瞳はまだ戸惑いを宿したまま俺を見ている。

 

「あれは……夢じゃなかったって、ことか」

「そういうことだ。私も、お前も願った。求めた。だから戦う他にない」

 

 兄妹同士を殺し合わせることを望む神様なんて最悪だ。そんな神様が作った世界だからか?だからこの世界は最悪なのか。

 

「俺は……死ねない。ギメルとイグニスを見つけるまで……まだ、死ねない!」

 

 俺は彼女の戸惑いに問い掛けるように、真っ直ぐ彼女を見つめて思いを告げた。これが俺の心からの本心だ。けれどそれは火に油。彼女は暗い光を宿した瞳で微笑んだ。

 

「そうか。それでもお前はエース。私には勝てない!それが神の定めた運命だっ!」 

 

 突き出される白刃。シーツに足を取られ、俺は床に転げ落ちる。脇腹を抉る痛み。

 彼女は、本気だ。傷口がそれを語る。俺は殺される?フローリプに?

 

「それでも!だからって……それがお前を殺して良い理由にはならないだろ!?」

 

 願いのために他人の願いを蹴落として。人を殺して……血まみれの両手で願いを叶えても……ギメルはきっと喜ばない。悲しむ顔が目に浮かぶ。

 

「なんの犠牲もなしに願いが叶うとでも!運命を、世界さえ変えられる力が手に入る!そのためなら……安い犠牲だ!」

 

 安い犠牲。

 俺はこんなに憎まれていたのか。ぼんやりとそんなことを考えた。そうだな……フローリプ。お前にだったら殺されるのも、悪くない。だって、嫌いだったわけじゃないんだ。選べなかったけれど……どうでもよかったんじゃない。どうでもいいと思いたかっただけ……それなりに大事だった、たぶん……好きだったのかもしれない。

 不甲斐ない兄だった。それなら、仕方ない。そう思いそっと目を閉じる。 

 けれどいつまで待っても痛みは訪れない。代わりにやってきたのは高い女の声。

 

「止めてくださいお嬢様!」

 

 俺とフローリプの間に立ちはだかっているのは、ルクリース。どうして彼女が?助けて貰っておいて真っ先に思い浮かんだ言葉はなんとも失礼なものだった。

 

「どけ!」 

「いいえ、見過ごせません。どうしても坊ちゃまを殺めるというのなら……私を殺してからそうしてください」

 

 お金は大事、でも我が身が一番大事。そんな彼女が俺を庇う理由なんか無い。真っ先に逃げた者だと思っていたのに。

 

「は、メイド風情が私に逆らうか!?」 

「逆らいます。それが私には許可されたのですから」

 

 彼女はするりと右手のシルクの手袋を外す。その下から現れたのは…… 

 

「……ルクリース?」

「私はクラブのクィーン。お嬢様、私なら貴方を殺せます。いとも簡単に。赤子の首を捻るようにあっさりと」

 

 クラブの紋章。そして手のひらには……Qの文字。

 

「だからここはお下がりください……私とてお嬢様を殺したいわけではありませんから…………」

 

「貴方は坊ちゃまが幸福だとおっしゃりました。本当にそう思うのですか?肩書き?ええそうでしょう、幸せなご子息様。そう見えますね。でも……何年も傍にいた貴女が、それを見間違えたまま。ここに来て一年足らずの私でもわかるのに、それがわからないんですか!?」

 

 ルクリースの言葉には力があった。普段の彼女とは違う……強く、それでいて悲しさを感じさせる叫び。

 

「坊ちゃまはお可哀想です!妹君に命を狙われる!これほど悲しいことがありますか!?血の繋がりなどなくとも、多少ぎこちなくはあっても……お二人は確かに兄妹だったと私の目には見えました!それは偽りだったのですかお嬢様?!」

 

「フローリプ……」

「アルドール…………本当に……そう思うか?お前は私を、妹だったと……認めていたのか?」

「お前が嫌じゃなければ……俺はそう在りたいよ」

 

 カランという乾いた音、それは彼女の手から剣が落ちた音。

 

「…………っ、うぅっ……」

 

 何年も胸の内にため込んできた涙。それを隠すことなく彼女は泣いていた。

 痛む腹の傷を堪えながら、俺は彼女の元へ近寄り……震える小さな身体を抱きしめる。

 

「いつも、ありがとな……」

 

 彼女の占い、あの忠告は今回がはじめてだったんじゃない。これまで何度も彼女は俺を占ってくれていた。それは……俺を心配してくれていたということ。そんな彼女の優しささえ気付かぬふりで、彼女ごとこの家を捨てるつもりだった俺は……最低の兄だ。

 彼女が欲しかったのは、存在理由と意味とその証明。簡単なことだったのだ。俺が彼女をもっと大切にしてあげられていれば、彼女は感情を枯らさずにいられたのに。

 

「フローリプ、お前は俺の……大事な妹だ。俺は家を捨てない。あいつらを見つけたら絶対戻ってくる」 

 

 彼女は家を継ぎたかったんじゃない。必要とされたかったのだ。

 俺が家を捨てること、それは彼女とその願いを断ち切ること。やっと気付いた俺は馬鹿だ。

 

「お前を人形なんかにさせないから。お前は人間だ。今に見てろ、俺が家継いで……母さんなんかぎゃふんと言わせてやるから。政略婚なんかさせないから安心しろ、お前は恋愛結婚して幸せになってくれないと兄ちゃん落ち込むぞ?」

 

 そういって頭を撫でてやればぎゅっと背中に腕を回された。傷口に腕が当たってることに彼女は気付いていないみたいで、非常に痛いが言い出せない。

 我慢を決め込もうとした俺の耳に見知らぬ誰かの声が届いた。

 

「残念ながら、それは叶いませんよアルドール様」

「兄妹水入らずの仲直りを邪魔するんですか!」 

 

 両手をあげて扉に立ちふさがるルクリース。

 その向こう……扉の前には三人の訪問者。

 先頭にいるひとりは俺より僅かに背が低い。目と髪をすっかり覆う布を被ったその人は聖職者だろうか。

 後ろの二人は聖十字の兵士。服の配色が一般兵と真逆。全体的に白い軍服。背負ってるのは赤い十字。見るのは初めてだが、かなり高位の兵士の服はそうだと聞いたことがある。

 

「私は聖教会が神子。今日は貴方に大切な話があって参りました」

「おいおい布教活動なら余所でやってくれ。お布施なら母さんの所に……」

 

 質の悪い冗談だと思った。神子といえば聖教会の最高権力者。国王と同等以上の力を持つその人が俺なんかを訪ねてくるわけがない。その考えを打ち破ったのは自称神子のこの言葉。

 

「貴方はエースなのでしょう?」

「どうして、それをっ……!?」

「私は神子ですから。昨夜から捜索と続け、漸く貴方に辿り着いたのです」 

 

 信じてもらえましたか?そう神子は言った。教会の神子は強力な数術使い。世界を構成する全ての数値をその目に映すことが出来る神子は、過去と未来を知る力を持っているという。

 それなら……いや、でもそんな力どう信じろとというのだろう。 

 

「このゲームのことは神のお告げで聞きました」

「ゲーム、だって?」

 

 人の命を賭けたこれが、ゲーム?その言葉選びが気に入らない。この国が崇め奉ってきた神は、そんな言葉を吐いたのか?

 

「ええ。ゲーム……これは世界の存亡を零の神と壱の神が競われているゲームなのです。結果によっては……この世界は滅びます。それを食い止めるためにも、我々には貴方が必要」

「なんで俺なんだ?俺一番弱いのに」

「貴方はもっとも弱く、もっとも強いカード。貴方は国にとって大きな切り札。ですから、貴方を保護させていただきたい。貴方が簡単に命を落とせば、ゲームが終わってしまいかねません。現に貴方は妹君に殺されかけた。事実ですね?」

「そんなこと……誰だって、願いを叶えてもらえるなんて言われたら混乱するだろ?」 

「相変わらず、……お人好し。君のそういうところ、大嫌いだよ」

 

 俺を知っているようなその口ぶり。でも俺は教会の最高権力者と会ったことなんてない。首を傾げる俺に笑いながら頭の布を取り去る神子。

 

「久しぶり、随分無理やったんでしょ?風の噂で聞いたよ」

 

 日だまり色の金髪。琥珀色のその瞳……そしてその人を馬鹿にした態度。それを俺は知っている。何より求めていた。

 

「い、イグニスっ!?」

「だったら悪い?」

「悪いわけないだろ!良かった……無事だったんだな」

 

 フローリプから手を放し、俺は彼の方へ駆け寄り抱きついた。障っても消えない……凄い、夢じゃない。

 

「ちょっとこれけっこう高価な服なんだけど。血で汚さないでよ神聖な服が穢れたらどうするんだよ」

 

 相変わらずの小言。それもなんだか懐かしくて、俺の涙腺を緩ませる。

 

「どうして神子なんかなってるんだよお前!でも良かった!ギメルも無事か!?」

「ああ、彼女なら教会の方にいるよ。彼女はシスターやってるから」 

「よかった、本当に……よかったぁ……」

 

 へたりと床に倒れ込む俺。安心したせいで心身共に気が抜けた。そんな感じだ。

 

「フローリプ、もう俺思い残すこと無い。殺してもいいぞ」

 

 そう口にするとイグニスもフローリプも顔を青ざめる。

 

「それじゃあ困るから迎えに来たんだ!」

「馬鹿……お…………アルドールが死んだら、私が幸せになれないのに」

 

 フローリプのそこ言葉に、それまで笑顔を湛えていたルクリースの顔が青ざめる。

 

「………あら、お嬢様?今の発言ちょっと何かしら?私の間違った解釈だととんでもないこと言いましたよね?私の勘違いだとよろしいのですが……屋敷裏まで来ていただけます?今なら私嫉妬で殺せてしまいそうです」

「ふ、よかろう。私も常日頃からお前は気に入らないと思っていたのだ。解雇させてやろうか?」

「そんな権限ないじゃないですか」

「アルドールに迫っていた所を実は激写したアルバムがあるのだが。これを母上に見せたらどうなることやら」

「わー止めてくださいお嬢様っ!カード以外に殺されるとかそういうオチですか!?」

 

 そのまま女二人がなにやら険悪な雰囲気で部屋から出て行った。

 

「……なんだ、あれ?」

「君相変わらず鈍いね、まぁ僕には関係ないけど」

 

 そんなことより。そう言って彼は切り出した。

 

「Aはそれぞれ各国に一人ずつ現れる……はずだった。でも君は純カーネフェル人だからそれも無い話ではないのかも」

「どういうことだ?」

「このゲームは、客観的な幸福値……第三者から見て幸福に見えるほど高位。不幸な者ほど下位。殺戮と下克上が許された不平等な、でもある意味公平なゲームなんだ」

 

 疑問符を浮かべる俺に、分かり易く君の現状を言うなら、とイグニスが説明してくれる。

 

「君は全てのカードから命を狙われる。でも君は下位のカードを殺せない。そういう前提の上にあるんだよ」

 

 どう見ても不公平すぎるだろうそれは。要は神様は俺に死ねと言いたいわけだな。よぉくわかった。今までやった賽銭とお布施を返せ、今すぐ返せ。

 

「でも、君には役目がある。君の他に同じことが出来るのは三人だけ」

「役目って何だよ?」

「道化師……ジョーカーだ」

「え?」

「カードの中にはジョーカーに選ばれる人間もいる。ジョーカーは、エースからキングまでの13枚すべてを殺すことが許されている最強カード」

「はぁあああああ!?何だそれ!狡いだろそいつだけ!!」

「そう。ジョーカーにはキングでも勝てない。だけど、このゲームが普通のゲームと違うのが……エースの立ち位置」

 

 道化師のカードと言えばどんなトランプゲームでもチートカードの立ち位置。本当はエースだってゲームによっては強かったりするのに、最弱ってどういうこと?そう思ったが、イグニスが言うにはエースにはエースの役割があるらしい。

 

「エースは最弱。全てのカードに殺される。けれど……エースだけが最強のジョーカーを殺すことが出来るカードなんだ」

 

 エースに与えられた唯一の殺し。それが道化師殺しなのだという。

 

「エース四枚を失えば、このゲームの勝者は道化師以外に道はない。けれどエースが残ればまだわからない。つまりみんな君を殺せるけれど、時期が来るまで君を殺したくはないわけだ。逆を言えば、そこをうまく立ち回れば、他のカードが相打ちし合い数を減らしていく。最後の最後に君がジョーカーを倒せば、君も生き残り願いを叶えることが出来なくもない」

 

「だから君がこのゲームの命運を握っていると言っても良い。だから僕は君を保護したい。こんな所にいたらすぐに道化師に殺される。そしたら……世界は、とんでもないことになりかねない。君はその時が来るまでただ、生き抜くだけで良い。それ以外のカードは僕が全力で排除する」

 

 いきなりの話に頭が付いていかない。今の今まで殺しあいという非日常に浸っていたけれど、カードだジョーカーだのエースだなんだの言われても、どうも実感が湧かない。

 これは、そんなに大変なことなのか?

 

「なぁ、イグニス。そのジョーカーが願いを叶えたとして、それは何かいけないことなのか?」

「ああ。いけないことだ」

 

「アルドール。これは神の審判なんだ。勝者の願いを神は叶える。けれどその内容によっては世界を終わらせると決めてしまう。利己的な願いでは駄目なんだ。だから僕はそれを絶対に阻止しなければならない。わかるんだ。どんな人間だって、願いを一つだけと言われれば……私欲に走る生き物だ」

「それじゃあ……俺だって」

「僕は君を信じたんだ。君ならきっと世界の望む願いに辿り着ける。君以外にあり得ない。だから君がエースになったんだ」

「イグニス……」

 イグニスは、君しかいない。みたいに言うが、トランプにおけるエースってそんなに貴重なものだったか?少なくとも……あと三枚。あと三人は俺と同じ役目を遂行することができるのではないだろうか?

 

「Aってトランプみたいに……スペード、ハート、ダイヤもいるのか?」

 

 俺の疑問にイグニスはあっけらかんと答える。

 

「ああ、いるよ。みんな王族、国の頭みたいな者達がエースに多く選ばれてる。その他は生まれ故郷とか血によるな。スペードは王族……多くはタロック人、ハートは聖職者……つまりこのシャトランジア人、ダイヤは商人……セネトレア人。君たちのクラブが意味するのは農民の国……カーネフェルに由縁する。言いたいこと、大体わかった?」

「どうして、カーネフェルの王族にこれが出なかったんだ?幸せだっていうんなら、王様達の方が幸せだろう?」

「そうだね。それは正論だ……彼らが生きていたのならそうなっただろう」

 

 生きていたら?何とも物騒な言い方だ。

 

「カーネフェル王族は全て、一月前の戦で死に絶えた。まだ公には出していない極秘情報だ。このままではカーネフェルは終わってしまう。東の大地はタロック人に蹂躙されてしまうだろう。そうなったらシャトランジアも危ない……だからカーネフェルは新たな王を必要としている」

「おい、イグニス……まさか」

 

 嫌な予感がする。結構俺の予感は当たるから、さらに嫌な予感しかしなくなる。

 

「ああ、そのまさかさ。僕は聖教会の後ろ盾を持ってして、君をカーネフェル王に就かせる」

「はぁ!?」

「だから君はこの家を継げない。そういうこと。良かったね、本当は継ぎたくなかったんでしょ?」

「あ、あのなイグニス……それ冗談だよな、なんで俺なんだよ」

「わからないふりは止めて。そういうところ嫌いだよ」

 

 また嫌いといわれた。ちょっと傷つく。

 そんな俺を放置し彼は説明を続ける。

 

「Aは大抵権力者、幸せな者に現れる。それはつまり、君はカードに選ばれた……王になることを」 

 

 お前は王→一般論的に幸せ。→だからA。

 A→ということは幸せ。→それなら王になれ。

 

「なんだよその無理矢理理論!」

「でも僕はその無理を道理にするだけの力がある」

 

「力を貸して欲しいんだ。……悔しいけど、君にしか頼めない」

「……イグニス」

 

 追いつめられたような彼の声。

 あのイグニスが俺に物を頼むなんて。それだけこの話は重大なことなのだろう。 

 

「この二年間……いろいろ嫌な物を見てきたよ。世界の醜さ、汚さ……それを生み出しているのは戦争だ。戦争が続けば奴隷が生まれる。君や僕たちみたいな子供が生まれるんだ……僕はこんな世界は嫌だ!誰もが平和に暮らせる……そんな世界に変えたいんだ」

 

 思い出す。昨日見たあの混血の子供のこと。

 戦争さえなければ。きっと……あんな風にならなかったはず。俺は願ったはずだ。力が欲しいと。

 守れる力が欲しい。そう願った。

 王という権力の椅子。力があるのなら、手に入ったなら。

 俺は変えられるだろうか。戦争のない、奴隷の居ない、平和な世界に。

 

「馬鹿……困ったときは力になってこその友達だろ?」

 

 俺が笑いながら片手を差し出すと、イグニス僅かに驚いた風に……それでも嬉しそうに微笑んだ。

 

「なってやろうじゃんか、王様!それで世界が変えられるなら……なんだってやってやるよ!」

 

 その言葉に安堵の息を漏らすイグニス。

 彼は俺に断るという選択肢が存在していたとでも思っているのだろうか。そうだとしたら随分甘く見られたものだ。……まぁ、二年間助けられなかった俺が不甲斐ないのは事実だが。

 イグニスに手を振り払われなかったのは、もしかしなくても始めてのこと。その手のひらの温もりにあの日の彼女の面影を重ねながら、俺は静かに目を閉じる。

 その温かさに、彼が生きてるんだということを実感して不意に泣きそうになる。どうしようもないほど、自分の中では二人の存在が占めていることを実感して……情けないような誇らしいような恥ずかしいような嬉しいような複雑な思いに駆られる。

 それでも俺は思うんだ。

 この手のひらの温度がいつまでも続いていくことを、願わずにはいられない。

 口には出さない。残酷な神様はきっと、俺の言葉を歪めてしまうから。だから心の中で小さく呟いた。 

 

 

 *

 

 

 父も母も神子からの話に、二つ返事で飛びついた。身内から王族が出るなんて素晴らしいことだと手を取り合って喜んでいる。渋い顔をしているのは先ほど目覚めたばかりの姉さんだ。 

 

「しかし神子様。それではこの家は……」

「アージンさん、神子の名を以て貴女か妹君かを推薦させていただきます。そのくらい僕には簡単にできますから。貴女のような優秀な方が軍を抜けるのは忍びないですが、……その時はその時です」

 

「もったいないお言葉ですが私は…………フローリプ、お前が継げ」

「姉上、私は……もういい。今の私は当主の器に無い。夢を抱きながらそれに見合う努力をしてこなかった私には……そんな権利はない。それがわかったから良いんだ。剣も勉強も姉上には敵わない、そんな私ではこの家を支えられないだろう」

 

 積年の夢が目の前に置かれていても彼女はそれを選ばず、代わりに違う言葉を言ってのけた。

 

「その代わり、私は王宮で働かせてもらってもいいだろうか?」

「な、何言ってるんだよフローリプ」 

「私の夢が変わったのだ。そして願いも……だからお前について行きたい。母上、私がいなくとも構わないだろう?」

 

 俺のことで上機嫌の彼女は笑顔でそれを認めた。

 

「どうでもいいわ、好きにしなさい」 

 

 フローリプへの無関心が込められたその言葉に、フローリプが傷ついたのがわかる。だから強く咎めることが出来ない。

 

「アルドール……お前はこれから命を狙われるんだ。私がいれば……少なくとも2から4のカードは排除できる。剣も覚える、強くなる!だから守らせてくれ!」

 

 そんな危険なことをフローリプにはさせたくなかった。けれど彼女は引き下がらない。

 

「傍にいたい。お前がいない家じゃ私はまた人形になってしまう…………駄目か?」

 

 そう言われては、断れるわけがない。

 

「……仕方ねぇな、いいよなイグニス?」

「ええ、守りは多ければ多いほど助かります。出来ればルクリースさん、貴女も来ていただけませんか?」

「え、いいんですか!?」 

 

 広間の向こう。扉の影に隠れていたらしい彼女がひょこっと顔を出す。気配なんか全然無かったから気付かなかった。流石はイグニス。

 どうやら、どうやってついて行くかと盗み聞きをしていたらしく、彼の提案には驚きを隠せないようだった。

 

「王宮は高給ですよ?」

「行きます!行かせてください!」

 

 がっしりイグニスの両手を掴むのは、いつも通りのルクリースだ。 

 

(まぁ、ルクリースがいるならフローリプもここより安全かも知れないな)

 

 Q……それは下から二番目。最強に限りなく近いコートカードの一枚。

 彼女はそれだけ不幸だったということだ。何か過去にあったのだろうか。彼女が唯の守銭奴ではないことはわかった。あの時、本気で俺を守ってくれたと言うことも。

 とにかく、ルクリースが居れば守りはほぼ鉄壁だ。彼女に勝てるのはKの四人だけ。非常に心強い……味方ならば。

 

(いや、疑う必要なんか無いか。彼女は俺を守ってくれたんだから)

 

 自分の願いがあっただろうに。彼女は俺ともどもフローリプを殺めるという選択肢を選ばなかった。

 あの後顔を合わせると、いつもの軽い調子の彼女に戻っていたが、あの時の彼女は何だったのだろう。少し、気になった。彼女は何を願ったのだろう。 

 俺が彼女のことを考えている内にイグニスの会話相手は変わっていた。相手は気付いていないようだが、イグニスが彼女を忘れるはずがないだろうに、実に不用意な言葉を彼女は紡ぐ。

 

「神子様は混血なのですね。惚れ惚れしてしまうような美しさですわ、その琥珀石の様な澄んだ瞳など宝石よりもお綺麗で……」

「そうですか。僕は二年前に貴女にお会いしたことがあるのですが……現金な物ですね。混血が敷居をまたいでも今度は何もおっしゃらないんですかトリオンフィ夫人?僕は相変わらず口は塞がっていませんよ?」

 

 イグニスの言葉に、彼女はさっと顔を青ざめる。今の今まで忘れていたのだろう。急に線で結ばれた二つの点、その答えに彼女は言葉を濁す。

 

「お……おほほ、神子様は何をおっしゃっていますのです?浅学の私には真意を量りかねますわ」

「そうですか。そう、貴女のことは時を見て査問会にかけますよ。僕は忘れていませんから、貴女が僕らにしたことを」

 

 追い打ちをかけるようににっこり微笑むイグニスの目は笑ってなどいなかった。死刑宣告を受けた囚人のような顔の母を見ても俺は同情などしなかった。イグニスの言葉には、長年胸にかかっていた黒い霧が晴れるようで実に爽快だった。

 

「この国では、僕が法です。それをお忘れ無く……せいぜい良い余生をお楽しみください」

 

 

 * 

 

 

 荷物をまとめる必要のあるフローリプとルクリースを屋敷に残し、俺はイグニスに連れられ教会への長い坂を歩いていた。

 

「そう言えば君、昨日混血保護に協力してくれたんだって?教会と聖十字を代表して礼を言っておくよ」

 

 敷石を歩きながら、イグニスが突然そんなことを言い出した。しばらく考え、昨日のことだと思い出す。

 

「元気か、あいつら?」

「どうだろう。心の傷は時間が必要だと思うけれど……身体的には問題ないと思う。僕の権限使って移民居住区の改善も行ったし予算も大幅に増やしたし、たぶん快適に暮らせると思うよ?」

 

 彼は改革で教会施設を開放したり、移民や混血に協会内の仕事を任せるようにしたようだ。

 

「いや…、俺も助かったよ。もし何かが違ってたら俺は今頃セネトレアに居たところだった」

「入れ違いにならなくて良かったね。僕らがこっちに来たのは……一年前くらいかな。前の神子が自分の死期と後継者の存在を知ったんだ、それが僕だったらしくてこんなことになっちゃったよ」

「本当はもっと早く無事を伝えに行こうと思ったんだけど毎日毎日神子の勉強修行?外出も許されなくて駄目だったよ」

 

 勉強と仕事……主に教会改革で忙しかったらしいが、突然ゲームのことを知り、それからはそのことで大慌てだったらしい。しかしそれより俺の興味を引いたのは……

 

「死期って……代替わりしたってニュースも知らないぞ?」

「すべて表に発信なんかしないよ。言ったところで限られた人間しか信じられないようなことだから。僕は混血だし前例がないから予言で選ばれたとはいえ協会内でもここまで認めさせるのも大変だったよ。僕が表だって就任するのは君の即位式の一月後。その頃今の神子は死ぬからね」

 

 即位式の一月後。それは明らかに未来の話。それはつまり……俺が引き受けるより先に、彼は俺の即位式の日程、そしてその先の出来事まで知っていたと言うこと?

 

「おまえも……見えるのか?」 

「昨日まではね。これから先の未来は殆ど空白だよ。神様が決めることを放棄した未来だから、何も教えてくれない。でも、どんな未来に転んでも起こってしまうことは見える。君がどうやってもカーネフェル王になることは決められていたようだから」

 

 俺が王になるのが、絶対起こり得ることだった?それはどうだろう。イグニスが現れなければそんなことは、絶対にあり得ないことだったはず。

 

「信じられない?仕方ないよ、君は混血じゃないから殆ど見えていないんだろうね。自分が誰なのかも君は気付いていないんだ」

「イグニス?」

「それならそれが運命だってことなのかもね……僕には関係ないけどさ」 

 

「そんなことより力のことだったね。神子の力は……混血の方が強く表れやすいらしいんだ。知らない?どうして僕らが迫害されたのか」

 

 これまで調べた知識の根本を覆す、本の行間を埋める隠された真実を彼は俺へと語ってくれる。

 

「外見の違いが大きな要因なのは確かだけど……それで不思議な力を持っていた。それなら余計それは化け物に見えるだろう?混血はみんな何かしら力を持っているよ、それに目覚めやすい体質なんだろうね。残念ながら目覚める前に殺されてしまう子が多いけど」

 

「君だって怖いと思わない?自分と違う目や髪をした異様な子供が、この人はいつ死ぬ。そんなことを話して、それが現実となったら……悪魔の子供と思われても仕方がない。確かめようにも自分たちには見えない物を見て、語り……それを現実にする子供たち。不気味でしょう?」

「みんながみんな、そんな力を持ってるわけじゃないだろ?」

 

 どちらにしても迫害が魔女狩りだったことは否めない。そう言うとイグニスは小さく笑った。

 

「そうだね、誰もが不気味な力を持っていた訳じゃない。数術使いは死と虚無を司る零の神か、生と無限を司る壱の神……そのどちらかの力を持っている。前神子は零の神の加護があったんだろう……零の神の力は未来へ向けられたものだから先読みも零の力だ」

「壱の神は過去……前世とか、そういうこと?そういう遡る力。史実から消えた真実の歴史なんか見ちゃう人もいて、いろいろ辛いみたいだよ?信憑性がなさ過ぎて誰にも信じてもらえないしね。まぁ……未来の力もそれはそれでグロイけど」

 

 付け加えた一文。それがやけに感情が籠もっていたと感じたのは誤りではなかったようだ。

 

「神子は未来の予言を行うから、僕の力も零の神の力。ギメルは……どうなんだろうな。よくわからない。たぶん壱の神の力なんだろうけど……」

「たぶん?」

 

 イグニスのの言葉は歯切れが悪い。

 

「僕の力が強すぎるせいで、あの子は力が弱いんだ。でも、その方が暮らしやすいと思うから良いんだけど」

 

 それじゃあイグニスは暮らしにくいのだろうか。

 たぶんそうなんだろう。

 僕で良かった……顔にそう書いてある。 

 

「あの子、言霊が好きだろう?壱の神の力は生み出す力……あの子にとってはあながち間違ってはいないんだ。微弱な力だから運命とか世界とかまで変えられない。過去を支配する壱の神の力が未来を変えられないように」

「それでも過去にその魂がどこかで感動した言葉?そんな言葉を見つけて教えてあげたら……覚えて無くても嬉しいだろう?あの子は無意識でそれを見つけられる。そういう優しい力なんだ。それをどう間違えたのか、良い言葉を言えば幸せになれるなんてとんでも解釈に落ち着いてしまったわけなのだけれど」

「ははっ……ギメルらしい」

 

 イグニスの言葉に俺は笑みを零した。そんな俺を見つめてイグニスが静かに空を指さしてみせる。

 

「君にはこの空がどう見える?」

「そうだな……綺麗な青だと思う。俺もこの位澄んだ色の目が欲しかったって心が惹かれる程度には」

「僕にはそう見えないよ」

 

 青色が嫌いなのだろうか。遠回しに俺が嫌いだと言っているのだろうか。どきりとしたが彼の言葉は俺の予想を遙かに超えた物だった。

 

「話したことなかったよね……僕はそう見えないんだ。すべてが0から9までの数字に見える。並んで居るんだ、それがずっと敷き詰めてある。その数値から僕は情報を得る。けれど……君と同じ景色は僕には見えない」

「それって……」

 

 彼が俺の名前を知ったのも、見透かすようなことを言ったのも、その力のせいだったのか?

 

「そうだよ」

「何も言ってないのに、心が読めるのか?凄いな!」

 

 驚きながらも内心焦る。変なこと考えられないな、とか。

 

「君、馬鹿?そんなんじゃないよ。君の表情……声のトーン動悸の速度……そう言ったものから総合して大体何考えてるかわかるだけ。感情がわかる程度だよ……昔の君は苦戦したけどね」

「ああ……何にも考えてなかったからな」

「何にも思ってなかったの間違いでしょ?生きてるなら何かしら考えてるよ人間は」 

「それもそうか」

 

 そこで二人で笑い合うが、お供の聖十字兵には笑いのツボが理解できなかったようで二人とも不思議な顔をしてこちらを見ていた。ああ、そうだよな……今のは俺が馬鹿にされただけだから、笑う方がおかしいのか。まぁ、愉快だったんだから仕方ないよな。

 

「話を戻すけど極端な話、僕は君の顔も知らない。数値が並んでいるようにしか見えない。それでもそれが君なのだとわかる。そういう味も素っ気もないつまらない世界。でも音は聞こえるよ。君の声だってわかる」

 

「空の色とか、海の色とか……そう言った世界の美しさを理解できない。それなのに世界の汚さはわかるんだ。情報として認識できるから」 

「僕は綺麗だと君が言う、この空が嫌いだ。この空が僕に教えるんだ。何処で誰がどう死んだ。何月何日、誰が何処で死にますよ。そんなことばかり……」 

「ギメルは弱くて良かった。あの子はちゃんと見えている。美しい景色の中に、ちょっと数字が浮いている程度にしか見えていないらしいから……僕で、本当に良かった」  

「どうしてだろうね、この世界の中でギメルだけが見えるんだ。人の顔、人の形として認識できるんだ。自分の顔も知らない僕を見て、コレがお兄ちゃんの顔だって教えてくれた」

「だから僕はギメルが大好きなんだ」

 

「そっか……」

 

 

 イグニスが自身のことを打ち明けてくれたのが、俺は嬉しかった。あんな風に別れた彼と

 、こんな風に穏やかに話せる日が来るなんて、信じられなくて。それでも胸に温かいものが満ちていくのを感じていた。

 

 ふと目に入ったのは壁に描かれた落書き。

 

「なぁイグニス、あれはどう見える?」

「……変な落書き。色は見えないけど赤色ってかいてあるよ」

 

 イグニスが見えないと言ったのは、空と人。

 俺は出会った時のことを思い出したのだ。

 イグニスは屋敷が見えていた。それはつまり…

 

「人工物はちゃんと見えるんだな?」

 

 だからそれが何とでも言いたげなイグニスに俺は詰め寄る。

 

「見えるっていうか自然物より構成している情報数値が複雑じゃないから数値の隙間が多いんだ。神が作ったモノに人間が作ったモノは敵わないってことなんだろうね、作りが単純って言うか」 

「それじゃあ俺が王様になったらどこかの有名な画家呼んでやるよ!絵に描いて貰えば見えるんだろ?イグニスの顔描いてもらおう!毎年さ!」 

「毎年って君……世界は来年まで存続してるかもわからない不安定な場所なんだよ?」 

「いいんだよ。今あるのに、どうして明日無いって言えるんだ?不安定すぎて証明できないだろ、明日滅ぶなんて。それなら心配するだけ無駄。今は今のことだけ楽しく考えればいいって!」

「…………脳天気」

 

 嘆息してこっちを見る彼に、俺は笑って答える。

 

「昔はそっくりだったかもしれないけど、今は違うかもしれないだろ?今は同じでも何年後までずっと同じなわけない。お前だって背、伸びたじゃないか」

「やめてよそれ。等身大の絵でも描かせる気?それも毎年?君正気?それじゃあ僕が唯の変態ナルシストみたいじゃないか。大体……それなら写真取った方が早いよ」 

「……あ、映るの?」 

「だってあれも人工物だろ?」

 

 言葉を無くした俺に容赦ないイグニスの言葉が降り注ぐ。  

 

「やっぱり君って………ギメルとは違うベクトルに馬鹿だね」

 

 否定できないのが無性に恥かしかった。

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