ep:Tu fui, ego eris.
扉の前。彼に会うのは何日ぶりだろう。
王都にある第二聖教会での根回しもあったから、彼らとは王都に来てから殆ど別行動。
あんな状態の後の彼を放っておくのは心配だったけれど、道化師はまだ彼を襲わない。来るとしたら、僕の方だ。奴は絶対僕から消しに来る。逆を言えば、僕が死ななければアルドールは殺されない。だから僕は彼の心配ではなく自分の命を継続させることを危惧していれば良かった。
そうはわかっていても、心までは割り切れない。
問題は山積みだ。まず、僕自身のこと。あの後は騎士には適当に釘を刺しておいたし、アルドール達はそれどころじゃなかった。そう、あちらに気を取られている内に記憶操っても良かったんだけど、アルドールはすでに弄られた脳だ。記憶関連に手を出すのは危険な橋だ。
第一彼らにバレる事より、問題は道化師自体に気付かれてしまうこと。もうバレたからそれは無意味。
あれはアクシデントみたいなものだから、制約には触れていないだろう。僕から言い出せない、っていうのは本当に厄介だ。
だが、道化師にバレたのは痛い。
僕としてのゲームはあの時点でチェック。覚悟は決めていた。
しかしあいつは何を考えているのか。チェックメイトを放り出し、人形の糸を切った。
あいつの盤面に、まだ僕は必要と考えて居るんだろうか。あいつがどの程度情報を得ているのか。それが問題だ。おそらく最大の。
あの様子だと、前ゲームの情報をいくらか与えられている。泳がせる気か?やってくれたな。僕の時と前提条件がまるで違う。
ああそうか。何度も同じゲームなんかやらないか。それを変えなければ結果もまた同じになってしまうから。
「イグニス様?」
「ああ、大丈夫だよ」
扉の前で固まっていた自分。部下に心配そうに此方を見られていた。
静かに微笑んだ後、片手を上げ……躊躇われる。
あの日、彼の部屋の扉を開けたときは……こんな気持ちにはならなかった。
あの日はもっと、嬉しかったな。まさかもう一度、彼に会えるとは思わなかった。それだけでも僕は幸せだ?そう言いたいのかい?そんなわけないじゃないか。
このまま僕が何をしてもしなくても、数字が彼を運んでいくんだ。僕が頑張れば頑張るほど、盤面はおかしな事になっていく。傍観しろって?そんなわけにはいかないよ。みすみす彼を殺させるわけにはいかない。
しかし不気味だ。嵐の前の何とかとしか思えないよ。そろそろ、仕掛けて来るはずだ。僕ならどうするだろう?わからないな。僕は道化師ではないんだ。
この即位式が終わったら、道化師の動向を探るためにも、あまり僕は表舞台には立てない。
この即位式が、最後だろう。つまり表立って彼に会えるのは……
盤面が狂いすぎだ。不安で仕方がない。
彼に話せればどんなに良いだろう。わかってる。言いやしない。制約だろ?
本当にあなた方はそういうのが好きだな。
勝手にあれは駄目これは駄目と決めるだけ決めて。本当に何様なんだろうね。
ああ、解ってるよ。はいはい、神様、ね。
ほんとにあんたらは何を考えているんだろうね。こんな信仰心の欠片もないガキを神子なんかに選んでさ。
僕も人間だから、あんたらの考えるような高尚なことはわからないよ。解って堪るか。
ああ、もう時間だ。これ以上時間の消費は出来ないな。
僕にも、もうそんなに時間はないんだから。
解ってる、解ってるから。時間は大事だよね。そんなこと、痛いほど解ってるよ。
「アルドール……準備できてる?」
「ああ、遅かったなイグニス!」
出迎えてくれたのは、正装の彼。
着せられてる感はあるが、似合っている。彼自身は知らないけれど、カーネフェリアの血を引いているんだ。似合って当然だろう。
「あんまりこういう格好嫌いなんだけどな……仕方ないか」
元気そうで安心した。そう思ったのは、最初だけ。
いつも通りの明るい笑顔。それが帰って不気味だ。彼のこれは、空元気。小さな棘。針。そんなもので容易く破裂してしまう、爆弾だ。
「演説の暗記するのに一晩もかかったよ。まさかあんなに長いとは思わなかった。それを言ったらメイドの奴らが化粧道具持ってきて困ったよ。目の下のクマを隠しませんと!とかすげー迫力で……」
「アルドール……」
「引き籠もってたからかな。あんまり日焼けしてないせいで目立つのなんの」
からからと笑う彼が酷く痛々しい。
こんな顔を見ているのは心苦しい。身代わりの檻。あれを破るだけの力が残っていれば、こんなことにはならなかった。
やっぱり時期尚早だったのか?いや、土壇場でJに裏切られるよりはいい。Qを失ったのは痛手だが、Jには孵化の可能性がある。セレスタイン卿。気に入らないけれど、彼が鍵なんだ。
そうだ。悲しいことだけど、死ぬカードはいずれ死ぬ。盤面がどう変わろうと、残るのは一枚と決まっているんだ。早いか遅いかの違い。
そう、割り切った考えをするけれど……彼の気持ちはよく分かる。大切な人を失うことは、とても辛いことだ。今彼が考えていることは、誰しも一度は思ったことがあることだ。喪失への条件反射と言っても良い。
だけど君は間違わない。それだけを僕は確信している。
*
即位式。見てくれだけは立派なもんだ。神子もアルドールも。
確かに目の色は立派なカーネフェリアだ。肝心の器がどうだか、不安はあるが。
しかしあの神子もやり手だ。混血の神子だなんてそれだけで暴動起きそうなもんなのに、静かなもんだ。どんな情報操作したんだか。末恐ろしいガキだ。
気味が悪いと言えば貴族共。辿り着いた俺たちを歓待ムードで迎えやがった。
いい駒が来たとしか思っていないんだろう。そうだよな。こんなガキ、いい人形になると思ってるんだ。
こんなガキに剣持たせて戦場行かせて、先陣でも切らせるつもりか?そりゃあ士気も上がるだろうよ。本当は未来があるはずのこんなガキが国なんてクソ重いもの背負わされて、命捨てに行こうってんだ。人間らしい心と愛国心が欠片でもあれば火が付くさ。
貴族共にはそういうのがないんだろうな。自分は行く気がないのが見え見えだ。
式が終わる頃、俺の中に堪ったのは不満と不安だ。
火は付いた。導火線の。
何時爆発するのか。椅子へと腰を下ろし、これが最後のになるかもしれない茶を啜る。
久々の城の部屋だというのに、気の休まる暇もない。それは昨日も今日も変わらなかったが度合いが違う。震度3と震度5位の差がある。精神的な意味で。
ランスの野郎も多少の不安は感じているのだろう。いつもみたいな余裕があまり感じられない。タロックに落とさせたカルディアのことも気になっているのだろうなとは思う。
「しかし……あんなのが王で、大丈夫なのかこの国。貴族の連中、絶対舐めてかかってくるぜ?」
「そこをなんとかするために俺やお前がいるんだろう?」
「んな義理ねーよ。俺は別にあいつの騎士ってわけじゃねぇし」
「お前、まだそんなことを言っているのか?」
「俺は、……ここの給料良いからいるだけだ。金の切れ目が縁の切れ目だってあの馬鹿に言っておいてくれ」
たかだか即位。それだけでも、空位と在位を主張し合っていたタロックとカーネフェル。
今回のこれでタロック軍への威嚇にはなった。
(荒れるな……)
どうせまたすぐに仕掛けてくる。背水の陣からどうひっくり返すのか。数術使いの王とはいえ、それだけでどうにかなるとは思えないが。
喧嘩と戦争は違う。あの道化師だかなんだかとやりあったのとは勝手が違う。あんなガキ共にどうにか出来るものだとも思えない。
「ま……しばらくは面倒みてやるけどよ。借りがあるしな」
「借り?」
「あの女に一発蹴られた。身内責任でアルドール一発蹴り返すまでここにいてやる」
「素直じゃないな相変わらず」
「俺が何時素直な時期があったって?」
「……これは一本取られたな、確かにそうだ。…………ん、今何か聞こえなかったか?なんか外れる音」
「またお前はそうやって……俺をからかうのもいい加減に……って何か聞こえるな。上の階か?おい!何騒いでん……」
*
「フローリプ」
あの日妹は、ルクリースの死を認知した後……糸が切れたように気を失った。時間数術もその際解けて、ユーカー共々元の姿を取り戻した。
それから都へと馬車を走らせた。
脳への負担が大きく、あれから一週間、ずっと寝たきりだった。
即位式の後、彼女へと宛がわれた部屋へと向かうと……彼女が窓辺に立っていた。
起き上がれるようになったのだ。
「よかった……もう大丈夫なのか?」
そう尋ねれば彼女は頷く。
「アルドール……ひとつ、いいか?」
「え?なんだ?」
「アルドールは……ルクリースを、生き返らせたいか?」
「何……言ってるんだ?」
「いいから、正直に答えて」
フローリプが開けた窓に腰を下ろした。近づこうとしていた俺の足を、意図的に止める行為だ。
「……生き返らせたくないといえば、嘘になるかもしれない」
それは本当だ。俺が肯定しきれば、彼女はおそらく……
「だけど、そのために誰かを……フローリプを殺したいとは思わない」
一歩、踏み出す。大丈夫だ。
「俺は普通に、フローリプが好きだよ。家族としても、仲間としても、友達としても大切だ。お前の望む気持ちではないんだと思う。だけど……それは今の話だ」
もう一歩……
「だけど明日、明後日……俺はどうなるかわからない。イグニスにだって見えない未来がやって来ている。それなら明日の俺はそういう好きになれるかもしれない。明日が駄目でも……また明日。そんな日が来るまで、お前は死んじゃいけない」
あと、もう少し……
「俺と一緒に生きてくれ!」
差し出した手。それにフローリプが微笑んだ。届く。彼女が手を返してくれるなら。
「ありがとう、アルドール……」
手は差し出されないまま。彼女が涙ながらに微笑んだ。
「私は、幸せだ。幸せ……だった」
過去形の言葉。
最後の崖。
俺の言葉が彼女を突き落とした。
最後の幸福。
それが、俺の言葉なら……
気付いたとき、彼女の姿は消えていた。
開けた窓。さっきより大きく見える、その穴。
手摺りがない。あれがあったから、あれを飛び越えなければそんなことになはらないだろう。
それならどうして手摺りがないんだ?
ガシャン。
響く、金属音。
続いて聞こえるそれは……あまりに、大したことがない音だった。
軽い彼女の身体。
それでも城という物は……無駄に高い建物だ。ここは、何階だっただろう?
俺は知っている。
屋敷から逃げ出すときに調べた。計算もした。
確実に助かる高さ、階数。
絶対に助からない高さ、階数。
人間悲しいときも、悔しいときも、不甲斐ないときも、呪いたいときも。
それがどうしようもないことを知ると、後は勝手に口から嗤いが零れる。
目から勝手にボロボロ零れてくる物があっても、口は勝手に嗤い始める。
他に何が出来るだろう?
言わなければ、落ちた。
言ったから、落ちた。
他に、何が出来ただろう?
「アルドール……」
俺の笑い声を聞き、現れたイグニス。数術使いの彼は、たった今引かれた幸福値、命の引き算を空気中から感じ取るのだろう。
俺にも見える。式の後、無情に告げる0という数字。
「アルドール……」
「わかってる。大丈夫だ。俺は……」
俺は王だから。命が数字に見えない愚か者でも、割り切らなければならない。
たかだか1のためにこんなに悲しんだら馬鹿みたいだろう?99に何かあったとき、俺はどうなるっていうんだ。
よくあることだ。事故なんて。
そうだ。生きている以上、誰だって、いつかは死ぬんだ。当たり前のこと。呼吸をするように、死は訪れる。
尚も泣き笑いを続ける俺を見ていられなくなったんだろう友人が、ぎゅっと俺の肩を抱く。
「無理して笑わなくて、いいんだ。君は人間だろ?笑いたくないときは、笑うな」
赤子をあやすよう、優しい声だ。
笑うなだって?今笑わないでどうるすんだ?笑わなければ、こんなものじゃない。もっと泣いてしまう。情けない王だ。
「ずっと傍にはいられない。僕も必ず0になる」
彼もそれが当然のことだと、そう語る。どんな数術使いでも、その0を1へと戻すことは出来ないのだ。0は全ての数を飲み込み、無へと帰す。
「だけどそれまで……ううん、今僕はここにいる」
「僕は……君に出会えたことを幸福だと思う。それは彼女たちも同じだよ」
かつてそれを不幸だと語ったその口が、逆さの答えを吐き出した。
かつて彼女が紡いだその言葉。更なる涙が滲むのは……不意に感じた、懐かしさ。
「だから、思うんだ。“君が幸せでありますように”」
逆位置は全章バッドエンド。
公約通り、後味の悪い終わりになれていれば幸いです。
次は6章恋人【逆】に続きます。
タロックVSカーネフェルの戦争と、カードバトルと。
それからもう一人の本編ヒロインの登場です。
ここまでおつきあい下さった方、ありがとうございました。
またお会いできるのを心よりお待ち申し上げます。