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1:Non omnia possumus omne.

この話はタロットカード(大アルカナ)とトランプ(小アルカナ)を題材とした殺戮ファンタジーです。あらすじを読んだ上で、無理だと判断なさった方の閲覧はおすすめ致しません。予定では零章から二十一章(逆位置と正位置の合計四十二章……)までありますので長編&連載嫌いの方にもおすすめできません。大変登場人物の不幸率と死亡率が高い小説です。世界観的にもグッチャグチャのドロドロです。それでもよろしい方、どうぞお読み下さい。

この話は本編(カーネフェル編)第一話です。時間軸はゲーム開始から…

挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)

神は問う、幸福しあわせとは何か。

  それは与えるもの、奪うもの?

それは見いだすもの、失われるもの?

  それは己に向けるもの、それとも他に向けるもの?

  壱が与えた幸福は、存在する《生まれる》こと。

  零が与える幸福は、消えていく《死んでいく》こと。

  それは、人に似て人にあらざる神の考え。

  ならば、人が望む幸福は?

  ある者は答えた。それはかねだと。

  ある者は答えた。それは権力ちからであると。

  ある者は答えた。それは美貌うつくしさであると。 

  そしてある者は答えた。それは大切な存在ひと幸福しあわせだと。

 

* 

  挿絵(By みてみん)

  僕は窓が好きだ。気がつけばいつも、僕はその枠を見つめている。

  僕は待っている。待ち続けている。待ちこがれているのだ。

  その四角い枠の映し出す風景は切り取られた一枚の絵画のようだが、そこには永遠は宿れない。

  昔見た絵を、この窓はもう映してくれない。

  花壇と木の根本ばかり見えていた窓。それが今は海と空……そして木の天辺。あの頃より高い景色。俺の背が伸びた?それだけじゃない。

  あの頃は一階だったがここは三階。飛び降りたとしても失敗すれば動けない。足でも捻ったらその時点でアウト。屋敷の警備を撒くのは難しい。母さんは何が何でも俺を閉じこめたいらしい。


(息苦しいな……ここは)


  息が詰まりそうだ。もう半年。こんな籠の中に囚われている。自分の部屋でさえ、自分のものだとは思えない。この屋敷のどこにいても、ここにはいてはいけない。ここは自分の居場所じゃない。そう思う。それなのにどうして俺はここにいるんだ。存在してはいけないのに、いたくないのに、ここにいる。その矛盾が気持ち悪い。目眩と吐き気を催しそうになるくらい。

 俺は時計の針も気にせずに窓を開け放つ。


(……いい風だ)


  外の空気を吸うと、少しだけ心が晴れる。そんな俺の気分を下げるのは、一人の少女の声。


「坊ちゃま、夜風はお身体によろしくありません」


  彼女はルクリース。この屋敷で働いている女中の一人。ありふれた金髪と青い瞳。その色は俺のそれと大差ない。たかが性別の違いで俺らの身分はこんなに違う。

  生まれは同じカーネフェルの地。元の身分も同じ平民。それなのに俺はトリオンフィ家の跡継ぎ。彼女はメイド。だから彼女は“俺”を気にかける。


「何かあってからでは遅いのです。坊ちゃまはこの家の大事な跡継ぎ様なのですから!」

「これくらい許してくれよルクリース。寝る前には閉めるからさ……それにわかるだろ?ずっと屋敷の空気ばかり吸っていたらおかしくなりそうだ。母様なんて一人で散歩も行かせてくれない。何処へ行くにも護衛と監視付き。いい加減俺も子供じゃないんだ、過保護ったらありゃしない」


  そう言えば、羨ましいことですと彼女は微笑む。ルクリースは知らないんだ。彼女の望むこの地位が、どんなに息苦しいか。そこから俺がどんなに逃げ出したいか。


「それは、奥様に坊ちゃまが愛されている証拠ですわ。いいえ奥様だけではございません。もし坊ちゃまに万が一のことでもございましたら……私はどうすればいいのですか?」


  うっすらと涙を浮かべながら俺の身を案じるルクリース。その健気な様子に俺は思う、ここがシャトランジア王国でなければ俺も騙されていたかも知れないなんて。でもそれと同時に、これで何人の男を騙してきたんだろうななんて頭の片隅でぼんやりと考える。

  だってここはシャトランジア。カーネフェル人の女の子が下心なしで愛を語ることはまずあり得ない。天と地が逆さになったとしてもあり得ない。断言しておく、あり得ない。

 半ば自分の世界にトリップし、いかに自分が俺を慕っているか、心配しているかを語り続ける彼女を放置し、俺はそのまま窓枠を乗り越える。


「って……坊ちゃま!?」


  俺が窓の向こうの細い木の枝に掴まりぶら下がっている姿に漸く気付いたルクリース。あたふたと手を伸ばす彼女だが、道連れを恐れるその逃げ腰で届くはずもない。


「坊ちゃま!早まらないでください!このルクリースがお側におります!」

「ありがとうルクリース。でも……俺、もう疲れたんだ」


  力なく微笑みかけ、俺はその手を枝から離し落下する。ルクリースは大きく目を見開いて……


「嘘……どうしよ、坊ちゃまが!!やばいわこれ。監視役の私がついていながら坊ちゃまを死なせたなんて奥様にばれたら解雇どころか違う意味で首が飛ぶわ」

「いや、ちょっと待てよ。これはもしかしてチャンス?まだ……即死って決まった訳じゃないし。これで上手く介抱して吊り橋効果で坊ちゃまを陥落すればこの屋敷の未来の主人は私よね。もし死んでたとしても……まだ搾ればでてくるわよね。逆にラッキーだわ、相手は抵抗力ゼロなんだもの。うん、いけるわ。跡継ぎの跡継ぎさえ持ってればこっちのものよ」


  ぼっちゃま今ルクリースが助けにまいりまーす。小声で彼女はそういうと、ばたばたと駆けていく。


「……よし、第一段階突破。流石は金の亡者、すんなり騙されてくれたな」


  あの様子なら誰にも告げずにここへ来るだろう。義母がそれを知るまでは追っ手は来ない。逃げるが勝ち。


「ん、動くな」


  俺は下の植え込みがクッション代わりになってくれることを見越して落ちた。ついでに言えば、三階程度で死ぬ人間は余程打ち所が悪いか運が悪いかでもしないかぎりそうそういないというのに。白目をむいた死んだふりをして、微動だにしなかっただけでルクリースはあの様だ。所詮彼女は俺なんか見ていない。俺の顔が金か何かだと思っているのだ。だから目先の欲に負けて真実を見る目が曇る。


「まぁ、こっちはそれで助かったけどな」

「諦めろアルドール。お前は厄災の相が出ている」

「なっ……ふ、フローリプ!?どうしてお前がここに!」


  木陰から姿を現したのは俺より頭二つ分は小さな少女。彼女はフローリプ=トリオンフィ。俺の妹にしてこの家の次女、言うなれば名家のお嬢様だ。

 俺より深い色の金髪は、高貴な血の濃さの現れ。俺とは違う緑色の瞳からわかるように、俺たちは本当の兄妹ではない。


「だが読みは悪くない。半年の間従順な飼い犬のふりを続け母上を欺いた。今日は姉上も不在。あの守銭奴の女中の手を読み、逃走を試みる……実に悪くない」 

「それなのにどうしてお前にバレてんだろうな」

「無論、占いだ」 

「ああ……そっか、そうだったなお前」


  フローリプは聖教会の熱心な信者だ。もともとシャトランジアという国自体が宗教国であるにしても、彼女のそれは異常。それにはおそらく彼女の力が関係している。

  自分を占うとさっぱり当たらないくせに、他人に関するフローリプの占いは百発百中。俺にはよくわからないが、彼女には神子の力の片鱗が宿っているようだ。何でも教会の神子は数値が見えるのだという。それは人にも物のにも……世界の万物は数値で構成されているだとか。

  フローリプの占いはカードを媒体としてそれを他人に分かり易く見せる力。普通の人間である俺にはさっぱり見えないが、フローリプには世界の数値が僅かに見えているらしい。その信仰心の高さを神が認めて力を授けた?それともその力で神を確信しているからこその信仰心なのか。ニワトリと卵の原理でどっちが先だったなんてわからないが、彼女の浮世離れした印象はその力のせいなのだろう。

  フローリプはまだ12歳だというのに、子供らしさをまったく感じさせない威風堂々とした態度に、諦観を宿した冷めた目をしている。

  始めて会った頃の彼女はもっと、子供らしかったと思う。だから、彼女を変えてしまったのは……おそらく俺なのだろう。俺がこの屋敷に貰われてこなければ、彼女はもっと……子供らしく生きられたはず。こんな冷たい目をしないでいられたはずなのだ。 


(いや、今はそんなことを考えている場合じゃ……ない)


  少々風変わりというだけのフローリプ。彼女自身がが俺を引き留められる力を持っているわけではない。そう思い直し、先を急ごうとした俺の背中に投げられる彼女の声。


「……そんなにこの家を継ぐのが嫌か?籠の鳥は嫌か?人形は嫌か?」


  その言葉はナイフのように俺の古傷を抉る。

  養子に来た俺を迎えた彼女の言葉。それは俺を拒絶する言葉だった。彼女は恐れたのだろう。俺の存在のせいで唯でさえ少ない両親の愛や関心が完全に自分から奪われること。残酷なことに……それは現実となった。義父と義母は、彼女に無関心。家を継げない女など不要。いずれどこぞの貴族と政略婚の駒として使うか程度に考えているだけ。それ以外は放置。何をしても良いし、何もしなくても良い。それは……俺が羨む自由そのもの。

  でも彼女は自由を望まなかった。彼女が求めたのは……この家。両親の愛が手に入らないのなら、その代替品の家名。それを手にしたかった。けれどそれすら、女の身では許されない。

 そのどちらも手にしていながら、それを煩わしく思い、逃げだそうとしている俺。そんな俺の背中を彼女はどんな思いで見つめているのだろう。

  憎い?許せない?それとも、このまま帰ってくるなと、そう思っているのだろうか。


「俺はこの家が嫌いだ。憎んでいる……」


  俺は絶対にこの家を許さない。両親を許さない。それでも……姉と妹のことは、憎んではいない。それでも、彼女たちもそうだとは思えない。だから、去る前に聞いておきたかったのかもしれない。そうだと言ってもらえれば、それでもいい。やはり俺はここにはいてはいけなかったのだと、そう思える。


「でもフローリプ。お前はそれ以上に俺を憎んでいるんじゃないのか?」 

「愚か者め。仮にお前が消えたとしても、それは振り出しに戻るだけ。私にはまだ姉上が居る。私に姉上を殺せと言うのか?」

「よかろう。仮にそうしたとして……罪を金で隠蔽するか?しかし聖十字は有能だ。罪人は裁かれこそして、家督を継がせてくれるはずもない」

「どちらにせよ、答えは変わらない。私の願いは叶わない。それは占えずともわかりきっているのだ」


  罪の先に叶う願いなどないのだと彼女が言う。それでも、罰を受けない罪人が……この家には存在している。それなら俺が罰になろう。俺が消えることで、彼女の前に罪の文字が現れる。それこそ罰にして復讐だ。


「私は手に入らない物を失っただけ。でもお前は……手の中の物を失った。だから私とお前は違う」 


  彼女は静かにそう言った。その言葉は俺を憐れみ、けれど見下し、拒絶する。

  自分の不幸はお前よりはまだマシだ。そう思うことで彼女は俺への憎しみと折り合いをつけている。


「案ずるな。世界に人形でないものなどひとりもいない」


  憐れみは俺を救わない。傷口を抉るだけ。それを知りながらも、彼女は俺を哀れむ。それが彼女の俺に対するささやかな復讐なのだろう。


「だから私は祈る。次はもっと幸せな人形に。望んだ立場の人形に生まれることを」

「俺は、嫌だ」


  俺は彼女の言葉を否定する。そんな理由で諦められるほど、あいつらは安くない。


「輪廻?転生?そんなもの俺は信じない。あるかもわからない次に願いを託す前に、今、出来ることをしないでどうして諦められるんだ?」


  俺の目に映らないモノ。そんなモノを信じる暇があったら、俺は彼奴らを探す。見つける。この手で助ける。この目に見えない数値を使って神様が世界を動かす?嗤わせるな。


「俺は諦められない。諦めない、絶対に。死ぬまで諦めない……死んだって諦められるはずがないんだ」


  手足をもがれたような感覚を、俺は2年前からずっと……呼吸をする度に思い出していたんだ。あの屋敷の空気に紛れる罪と罰。それが肺の中に入り込み、ずっと俺を責め立てている。


(イグニス、ギメル……)


  もう一度、俺を人間にしてくれ。お前達が居なきゃ、俺はダメだ。また……人形に戻ってしまう。はじめて人の心を……その温かさを教えてくれた他人。彼らを取り戻すためなら俺は何だってする。


「じゃあな、フローリプ……子供は早く寝ろよ」


  別れの挨拶としては我ながら酷いと思う。それでも、酷いのはお互い様だった。

  可哀想、可哀想。諦められない貴方は可哀想。感情の感じられない冷たい瞳で彼女は俺を憐れみ続ける。


「神を信じない愚か者……その愚かさが、可哀想」

挿絵(By みてみん)


「馬鹿な……お兄ちゃん」


 * 

 

  宗教国シャトランジア。平和を掲げるこの国は、世界にあって特殊な場所だ。国には国王達王族も存在するが、国は軍隊を持たない。代わりに存在しているのが聖教会率いる聖十字軍。この軍はシャトランジアの常備軍的存在だが、侵略戦争は行わないという絶対原則の上に存在している。

  聖十字は世界平和を実現させるための組織。戦場への人道支援や住民への救援活動が主な仕事だ。教会の支部はカーネフェル、セネトレア…つまりタロック以外の国にあり、そこで人々のために尽くし治安維持に貢献する。

 シャトランジアは常に中立。教会が聖十字を戦争に参加させたのは過去に一度だけ。

  数百年前に西の大国タロックに毒の虐殺王と呼ばれる狂王が大陸すべてを支配しようと覇権を広げていった時代。西の大陸も東の大陸も、多くの民が犠牲となった。彼の非道を見過ごすわけにも行かず、シャトランジアは進軍。恐るべき兵器の力を持ってして大陸を平和へと導いた。その兵器がどういったモノかは国家秘密らしいため、誰も知らないし、国民も気にしない。唯、この国は世界の何処よりも安全なのだと保証されている。それがわかっているから誰も気にしないのだ。その一度の参戦により力を見せつけたシャトランジアは、それ以降一度の侵略もされていない。

  確かにここは平和な国だ。それでもここは幸せな国ではない。いくら法が定められても人の心が変わらなければ世界は何も変わらない。長く続いた平和が人々の心をねじ曲げてしまった残酷な国。それがここ、シャトランジアだ。

  皮肉なことにこの平和がシャトランジアに騒動を度々起こす。シャトランジアは国王派と教会派の二つの勢力によって支配されている国だが、最近ではその足並みが揃わなくなってきている。


「まぁ、……俺には関係のないことだよな」


  跡継ぎとしてありとあらゆる教養をたたき込まれた俺は、世界情勢やら国の歴史やらまで教え込まれたせいで、一個人の人間には関係のない……どうすることも出来ないことに思いをはせてしまうことがある。名家なんていっても所詮は名前だけ。国や世界を動かせるほど大きな力がある訳じゃない。金と土地とプライドが人よりちょっと多いってくらいだろう。

  ぼーっと海を眺めていたはずなのに、どうしてそんなことを考え出してしまうのか、自分でも謎だ。ここから出て行く俺が国を憂いても仕方のないこと。そういうことは国のお偉いさん方に任せて俺はこれからの算段を練るべき。

  向かう先は決めてある。ここから船で西に渡りセネトレアに入る。問題はレフトバウアー港までどう向かうか。一応金と金になりそうなモノは持ってきた、これで船を捕まえて……ダメなら密航するしかない。

  時間がない。今夜中に船を見つけなければ。フローリプは……両親と殆どしゃべらない。俺のことを告げることもしないと確信を持って俺は言える。彼女は受動的……なるようにしかならないと考え、自分の力で何かをしようとはしない人間だ。ルクリース……彼女は非常に積極的だが、それは自分に利があることに関してのみ。自分に火の粉がかかりそうなことにはまず関わらない……俺の姿が見つからなかった以上、見なかったふりをするだろう。自分の仕事が終わった後に俺が行動を起こしたことにでもなるはずだ。

  しかし、明日になれば確実に義母の耳に入る。朝俺を起こしに来るのもルクリース。その時に俺がいなかったと報告せざるを得ない。そうなったら……金の力で人海戦術。まず捕まる。最悪、港を封鎖されかねない。だからなんとしても今日中に船をみつけなくてはいけない。 


「……ってのに、何なんだよ……コレ!」


  屋敷の裏山を越えてやって来た港は誰もいない。

  本で読んだ情報だと、夜間は漁に出かける漁船があったはず。昼間ほど多くないとはいえ貨物船だって来るはずだ。それなのに……こうして港に来てから二、三時間は経った。もう日付が変わっていてもおかしくはない。


「……そういえばフローリプがなんか言ってたな」


  厄災の相がなんとか。要するに運が悪いってことだろう。なるほど、確かに運が悪い。

  このままじっとしていても現状は打開できそうにないと判断した俺は、波止場を離れ港を散策することにする。屋敷から離れられない俺は住んでいるこの街もよく知らない。唯一行くことが許されているのが教会。シャトランジア人の風習で休日は必ず教会に行く。確か一年くらい前の俺は確かフローリプを見習い熱心な信者になったふりをして、毎日教会へ行く習慣(護衛見張り付き)を何ヶ月か続けた後、ふらりと脱走したが……家から教会までの地理しかわからなかったため、あっさりと捕まった。今じゃ教会すら自由に行かせてもらえない。

  あれから一年……歴史やら風土やらを学ぶふりをして街の地形を脳内に刻み込んだ。そのため迷わずここまで来られたのだが、港に来るのはこの名前になってから初めてだ。カーネフェルから連れてこられたときに一度ここに来たのをぼんやりと思い出すがもう十年も昔の話。

 それでも……この数時間かけて思い出したのは、あの時降りたのは……違う場所だったということ。もしかしたら波止場は他にもあるのではないか。あり得ない話じゃない。俺と同じ境遇の誰かが降ろされる場所……それは違法だ。表から来るはずがない。

  朧気な記憶。手探りでそれをたどりながら、俺はその場所に辿り着く。港の裏手。倉庫が建ち並んでいるそこ。そこにはちょうど、船が来ていた。船と言っても小さなボート一艘。帆もないこれで海を渡ってきたとは思えない。おそらく近くの岩場の影にでも、親玉を泊めてあるのだろう。

 この小舟は、積み荷を降ろすためのモノ。目立たぬようにこっそりとそれをシャトランジアに持ち込むための。

  船にいるのは黒みがかった髪色の男が二人。彼らが降ろした積み荷も二つ。その大きな袋は時折中身が動いているよう。間違いない、中身は……人間だ。

 人は皆平等の権利を有しているとし、奴隷制も養子制度も認めないシャトランジアでは、金品で人間の売り買いをすることを禁止されている。もっとも俺がここに存在するように、それを貴族達は犯している。戦争孤児を拾ったとか、貧乏人が養えない子供を哀れんで……そんな理由をこじつけて。もちろん教会派はそれに抗議をしたが、国王派がそれを認め……結局今では要するに、金銭のやりとりさえなければ養子は許可される。


(……でも、これは)


 こんな夜更けに。それも袋詰め。……この男達は十中八九奴隷商。奴隷貿易に関わっている国と言えば一つしかない。俺の目指す場所、セネトレア。つまりこの男達は積荷を引き渡せば……セネトレアへと向かうはず。


「だ、誰だっ!」

「僕、船探してるんです。良かったら乗せてくれません?」


箱入りらしく、世間知らずで丁寧な物言い。要するに俺は全力で馬鹿を演じる。ポイントはあれだな……目の合わせ方だ。そこに疑いを出したら向こうは騙されてくれない。かといって目ばっかり見ていたらそれはそれでわざとらしい。ほどよく人見知りに見えるよう、恐る恐る……目を合わせて、でも逸らして……それが失礼なんじゃないかとまた視線を上げて。逆らう意思が見えないように、極力内気に見えるよう、挙動不審に情けない表情をするのもいいかもしれない。それでもこっちの目の色が相手に解るよう……近づくことも忘れるな。


「なんだ、まだガキじゃ……ん?こ、こいつはっ……」

「男のカーネフェリー?珍しいな」


 (よし、かかった!)


 二人の反応に俺は心の内でほくそ笑む。ここまでくればこっちのものだ。

 そうだ。どうだ。珍しいだろう?俺が養子にされたのも、ルクリースが金目当ての好意を寄せてくるのも、俺がカーネフェル人の男だからだ。

 数十年前からカーネフェル人は男、タロック人は女の出生率がじりじりと減っていった。どういう現象なのかわからないが、今ではそれぞれ出生率は1:9の割合。

 タロック人とカーネフェル人は長年戦争を続けてきた宿敵。いくら男がいないからといって、敵の血を家に入れるわけにはいかない。数少ない男はカーネフェルの血を重んじる者、貴族からしてみればどうしても欲しいものだった。それでも生まれるのは女ばかり。それで作られたのがカーネフェルの養子制度。それにつけ込んだセネトレアの奴隷貿易。希少価値のある子供は高く売れる。俺はいい値がつく。だから連れて行け。 


「セネトレアに行きたいんです。船賃なら持ってきました。これじゃ足りませんか?」


 俺が家からくすねてきた宝石を見せれば二人は目を見開き、ひそひそと話し合い始めた。言葉を切り替えたな。あれはタロック語。髪や目もカーネフェル人のそれとは違う……彼らはやはりタロック人。 


「おい、見たかこの宝石!」

「ああ、こんなでかい紅玉……嗜好品通りでしか見たことがない」

「世間知らずのお坊ちゃまってところか。いいんじゃねーか?送り届けてやるつもりで、向こうに着いたら売り飛ばせばいい。鴨が葱を背負って来やがったぜ」


 半ば当たっているのが悔しいが、生憎俺はそこまで世間知らずではない。少なくとも、二人の会話が理解できる程度には。


(わざとだってのに)


 相場もわからないふりをしていれば、世間知らずの金持ちだって思ってくれるだろう?そうすれば少なくとも袋詰めよりはいい方法で丁重に拉致してもらえるだろう。だから俺は馬鹿で世間知らずで人を疑うことも知らないようなお坊ちゃまのふりを続ける。


(いざ逃げるって時縛られてたら叶わないしな)


 縛る必要もないような、逃げるはずもない馬鹿を演じ続ければ、俺は楽に目的地にたどり着けるはずだ。


「ああ、いいぜ。その代わりちょっとここで待っててもらえるか?ちょっと俺は用があるんでな。おい、おまえついててやれ」


 そう言って男は一人を見張りに残そうとした。が、その大きな袋を一人で運ぶのは無理があった。それならばと男は袋を開け、中身自身に歩かせることにした。

 袋から出てきたのは予想通りにモノ。中身は人間だった。それは目隠しに猿轡、さらには手足を縛られていた子供。歩かせるために男は足の縄と目の布を外した。

 そこから現れたのは……さながら宝石のような美しさ、人に在らざるモノの瞳。なるほど、暗くてわからなかったが……よく見ればその髪も、俺の金髪やタロックの黒髪でもない。


「……っ、参ったな」


 見捨てるつもりだったのに。ああフローリプ……お前の言うとおりだよ。


「本当、運が悪い」


 俺はそのまま背後の男に肘打ちを喰らわせる。中身を見た俺を普通に運んでくれるわけがない、今度は俺が荷物になるところだったのだろう。もっとも馬鹿な子供がそんなことに気付いているとは思わなかった見張りの男は俺の反撃すら予想できなかった。故にまともに食らう。振り向く要領ですかさず男の足を狙って蹴りを入れ、バランスを崩させる。呆気なく海へと落ちる見張り。その悲鳴が、もう一人の男を正気に返させる。


「おい何やって…!船、乗りたいんだろ!?」


 人を袋詰めにしようとした奴らが何を言っているんだと思ったが、別にそれはどうでもいい。


「別に商品扱いでもよかったんだけど……こればかりは見過ごせない」

「な、タロック語!?」


 俺の言葉に再び男は取り乱す。馬鹿だと思っていた俺に、さっきの会話が筒抜けだったと彼は知る。そして彼は考えるだろう。それなら、どうして俺はあんなことを言い出したのか。その答えを誘導するために、俺はその背中を押してやる。


「あんた馬鹿か?こんな夜中に俺みたいな商品がふらふら出歩けるわけないだろ?」


 大嘘も良いところだ。ふらふら歩いてたんだよ実際。けれど男はあっさり騙される。


「まさか……聖十字か!?」

「そーいうこと。俺は囮ってことだ。すぐに仲間がやってくる。さ、どうする?1、俺と戦っている内に駆けつけた仲間に捕まるために俺と戦う。2,うっかり手が滑った俺に殺されるために俺と戦う。まぁ、俺の仕事は移民保護であってあんたを捕まえることじゃない。もっともこれから来る仲間は違うけど」


 奴隷を置いていけば、見逃してやる。そういって微笑むが、男は眉を釣り上げ激高する。


「馬鹿か!どっちもお断りだっ!だいたい高価な商品手放しておめおめ船に帰れるか!そんなことしてみろ、お頭に殺されるっ!増援が来る前にお前を捕まえればいい話だっ!」


 そう叫びながら男は腰から剣を抜く。


「……やっぱりそう来るか」


 参ったな。さっきのは奇襲だったから上手くいっただけで、屋敷に軟禁生活だった俺は……頭でっかち

の本の虫だ。剣や格闘技の知識はあるが、実戦経験などまずない。一度もない。

 護身用に持ってきた剣はあるにはあるが、何処までやり合えるか。こういっては何だが腕力には自信がない。何しろこの数年ずっと引き籠もりだったんだ。このままやって……負ける自信ならある。これが賭だったら俺は全財産相手の勝利に賭けるだろう。


「……ところで気付いたか?」

「あぁ!?」

「あんたはさっき袋の中身を出した」

「だったらなんだってんだっ!」

「あの子達の足の縄を解いた。目隠しを取った」


 気付いたのだろう男の目が見開かれる。


「普通、そこまでされて逃げない奴が居ないと思うか?」


 左右を見回す男。もちろんもうそこには商品の姿はない。


「あ、あ……あのガキャアアアアア!!!」


 悔しそうに地団駄を踏む男。男はその怒りの矛先を俺へと向けようとした……が、それはいささか遅すぎた。


「それから敵の前で余所見ってのも、命取り」


 男の視界に俺が映ったときには、もう俺は彼を間合いに入れていた。振り下ろした白刃に男が咄嗟に目を瞑る。そんなことで助かるわけもないだろうに。

 迷いなく本で読んだとおりの急所をなぞろうとした俺だったが、キィインという金属のぶつかり合う音がそれを阻んだ。男の手にあるそれではない。その剣は誰の手にも触れずそこにあった。俺の剣を弾くと同時にそれも遠くへ飛ばされる。


「貴様っ、我が国内ではいかなる理由があろうとも殺生は禁止だ!本気で斬るつもりだっただろう!?」


 何をやっている、そう叫ぶ声。その声の主が投げたのだと、漸く理解した。

 男と見まごうような短い金色の髪に緑の瞳。それでも声でそれが女性だとわかる。叫んだ女はカーネフェル人……その装いは赤い軍服。彼女は数人の赤服を率い、俺たちを取り囲む。白い十字を背負ったその服には、見覚えがある。教会や街の警備をしている者達……聖十字軍が着ているものだ。いや、それだけじゃない。俺は毎日見ている。なぜなら屋敷には……それに属する人がいるから。もう認めるしかない。ああ、やっぱりついてない。最悪だ。もうどうしようもない。どうして当たるんだ、占いなんか大嫌いだ。俺は知っている。先ほどの声。それは知らないふりをすることも出来ないくらい、あまりに聞き慣れた音だった。


「警備お疲れ様……姉さん」


 諦めた俺が苦笑しながら彼女に声をかけると、彼女は軽く首を捻る。彼女は薄暗い視界のせいで今ここにいるのが俺だとまだ認識できていないよう。


「姉さん?………………アルドール、何故お前がここに」


 漸く俺を認めた彼女は途端に声を荒げ、こちらを睨む。屋敷で缶詰生活をさせられているはずの義弟が夜中にふらふら船着き場を彷徨いているのだ。不思議に思って当然だ。


「さ……散歩?」


 在らぬ方向を見ながらそそくさと立ち去ろうとした俺の背中に姉さんの大声がぶつけられる。


「捕らえろ!こいつも賊と一緒に捕らえてしまえ!」

「げ、それはないだろアージン姉さんっ!」


 *

 

 姉さんはそのまま俺と賊を捕らえると部下を二手に分け、これから取引にやってくるだろう客と、本船で待機しているであろう商人の仲間の捜索を始めさせた。

 その部下全員が金髪のカーネフェル女性だったのは例の出生率が原因している。聖十字は人種も性別も年齢も問わず、職に溢れた者達を受け入れる。警備や奉仕活動、人道支援で国外に配属されることもあるが、争いのための組織ではないから女性だって兵士になれる。もっとも、一通り兵士としての訓練を終えている彼女達は俺なんかより全然強い。故にこの有様だ。 


「……なんで姉さんがこんなところに」


 縄でぐるぐる巻きにされた俺がぶつぶつと文句を言ったのが彼女の耳に入ったのだろう。コレで何度目になるかもわからない家出と脱走に姉さんの説教が続いていたが、律儀な彼女は俺の質問に答えてくれた。


「街の見回りの帰りだったのだが、この子供に捕まってな」


 そう言って彼女が示す先には兵士に保護されたふたりの子供がいた。荷物にされていたあの子達だ。


「……よかった、無事だったんだ」


 ほっと安堵の息をつく自分がいかに現金かよくわかる。俺は彼らが純血だったら、見捨てるつもりだったのだ。シャトランジアに送り込まれる純血は、自分と同じ境遇……つまりどこかの立派な屋敷で何不自由なく生きていける。

 かつて俺の友人が俺に言った言葉を思い出す。彼は俺に敵意をぶつけこう言った。


 “君は、幸せな人だね”


 食べるモノに困らず、綺麗な寝床もある。立派な家具、広い屋敷。何不自由なく暮らしているくせに、それに不満を抱える俺を彼は非難した。それは傲慢なのだと教えられた。だからきっと、誰もが俺のように逃げ出したい訳じゃない。奴隷の今より幸せになれるのなら、助ける必要なんかない。


(でも……混血だけはダメだ)


 本当の意味で混血を養子にする純血なんか世界の何処にも居ない。彼らに人権を認めているのは聖教会だけ。このシャトランジアにあっても国王派は彼らを人間と認めていないのだ。人間じゃないモノをどう扱おうとそれは飼い主の自由……そんな不条理が罷り通ってしまうのが、この世界。


「密入国の奴隷商が居ると聞きやってきたわけだが……まさかお前がいるとは」


 姉さんは呆れたように重い溜息。半年も大人しくしていたんだ、改心したモノだと思っていたのだろう。期待していただけその失望は大きかったようだ。そんな反応にすこしだけ申し訳ないような気分になるが、俺はそれを言葉にはしなかった。代わりに俺の口から出てきたのは全く別のこと。


「そっか、あの子達カーネフェル人だったんだ」

「ああ、出身は……な」


 出身は、そう姉さんが言うのは……彼らのその容姿のせいだ。

 彼らはタロックとカーネフェルの血が合わさった混血。もっとも正確な純血なんか王族か貴族くらいにしか残っていないから、どちらの国民もどこかで異国の血が混ざっている者がほとんど。しかし彼らのようにそれが外見に現れたのは二十年ほど前から。それ以来この突然変異の子供達を混血、それ以外を純血と区別するようになった。いや……差別といった方が正しい。

 正義と平等を説くを聖十字の一員である姉さんでも、彼らを見るその瞳には奇異の色が宿っている。瞳や髪の色が違うだけで、純血は彼らを人とは見られない。それは俺だって同じだ……だからって、それは彼らを人間以下の存在と貶めたいからじゃない。むしろ逆だ。こんなに綺麗なのが、俺と同じ人間だなんて信じられない。はじめて混血に出会ったとき、俺はそう思った。


「呼んできてくれたんだ、ありがとう」


 カーネフェル人なら納得がいく。カーネフェルにも聖教会はあるし、聖十字の兵士も配属されている。だから彼女はアージン姉さんを見て彼女が俺の言う増援だと思い、ここまで連れてきてくれたのだ。


「ううん、お兄さんこそ助けてくれてありがとう。でも……純血の人が、助けてくれるなんて……私思わなかった」


 そう言って駆け寄ってくる混血の少女。その琥珀色の瞳を見たとき、俺の中から見捨てるという選択肢が消えた。彼女の目の色は……あまりにも似ていたから。でも彼女の髪は金あの子とは違う。そのことに僅かに失望する自分に失望しながら、それでも彼女を助けられて良かった、そう思ったのは本当だ。


「君、俺の友達に似てたからさ、放っておけなくて」

「友達?純血なのに混血の友達が居るの?」


 少女が大きな瞳を見開き俺を見る。


「ああ、そうだよ。ここはシャトランジアだから。君だって誰と友達になってもいいんだよ。みんな同じ人間なんだから」

「人間……?私が?」

「ああそうだよ」


 突然与えられた言葉をどう処理して良いかわからないようで、彼女はおろおろとしている。


「奴隷商達は我々が捕まえたから安心しろ。長旅で疲れてるだろう?教会に行けば飯もベッドもあるからな、今迎えの者が来る」

「え、……わたし、奴隷なのに?」


 ぎこちないながら姉さんも彼女に優しく微笑みかける。姉さんは姉さんなりに頑張っているようだが、頭と心は違う生き物だ。脳で納得していても、心はそう簡単にはいかない。

 純血の貴族としてのプライドがそこには存在している。いくら取り払おうとしても、それはすぐに出来ることではない。長年彼女は、そう育てられてきたのだから。仕事とはいえ奴隷……それも人かどうかも怪しい混血なんかに接さなければならないなんて。姉さんの意志とは関係なく、心がそう感じてしまうことはどうしようもない。


「奴隷制はここでは禁止されている。法律上お前は……人間だ」


 にこりと微笑む姉さんだが、目が笑ってない。そんな姉さんと同じ屋敷の空気を吸っている俺だがあえて言わせてもらおう。怖い。無意識の葛藤が姉さんの顔を強ばらせているようだ。


(あれは逆効果だな……)


 唯でさえ怖そうに見える姉さんだ。あれじゃあ子供には辛い。ほら見ろ、少女が今にも泣き出しそうだ。

 フローリプとは違うが、姉さんも表情の変化に乏しい。もっともそれは彼女が何も思っていないからではない。それを上手く外へ出す方法を見失っているだけなのだから、うち解けてみればそうではないこともわかる。しかし初対面のこの少女がそんなことを知るはずもなく、姉さんに対して冷たいとか怖いとかいう印象を持ってしまうのは仕方ない。 


「もう、そうじゃない。ここはシャトランジア。混血も純血も、誰も奴隷じゃない国だ。君は人間だよ」


 脅えている優しく彼女の明るい蜜柑色の髪を撫でると、これまで堪えてきた感情すべてがあふれ出したのだろう。

 そんな彼女と俺を映す、二つの瞳。もう一人の子供……彼は虚ろな目をしていた。夜空の下にあるのがもったいないほど綺麗な水色……空色の髪と、空に浮かぶ雲のような白味がかった透明な瞳の少年。


「…………この子、ずっとこうなの。時々思い出したみたいに……お父さんとか、お母さんとかずっとっ言ってて……」


涙を拭いながら、彼女は小さくつぶやく。

 俺が聞き返すと、少女はそっと教えてくれた。


「……この子、ニルマーナから連れて来たって聞いた」


 おそらく彼女は商人達が話していたのを耳にしたのだろう。


 (ニルマーナ?聞いたことがある。それも最近……)


 少女の言葉に姉さんが始めて彼らを哀れむ視線を送った。


「戦災孤児か……」


 そうだ、思い出した。確か一月前に再開したタロックとカーネフェルの戦争。その発端の地がカーネフェルのニルマーナという街だったと聞いた。

 その開戦は凄惨たるモノだったという。休戦協定を破ったタロックの奇襲を受けた港町。この子はその生き残り?タロックの王は混血嫌いで有名だ。彼が率いる軍なら彼も殺されていたはず。それなら……奇襲を行ったのは彼ではない?


(それなら王は……どこにいる?)


 戦場は部下任せにして自分は城で命令を下すだけ?それなら納得がいく。この子が奴隷にされたということは……タロック軍とセネトレア商のつながりがあるということ。それも王が把握していない水面下のモノか。

 そもそも独立したとはいえ、セネトレアの商人達もタロック人。閉鎖的なタロックも、セネトレアに関しては他国に比べて交流も厚い。船や武器を製造するのも彼らの仕事。彼らはタロックとカーネフェルをけしかけ戦争を引き起こすことで、大量の武器と船を売却出来、数多くの奴隷を得ることが出来る。戦争が終わらない限り……戦争を起こそうとするモノ達が居る限り、この子のような人間はいつまでも生まれ続ける。そしてそれは……たぶん、この先永遠に続くんだ。人が生きている以上。


「お父…さん……」


 それまで無言だった少年が、ふらふらとした足取りでこちらへ向かってくる。ここにいる男は俺だけ……おそらく彼は、俺を誰かと見間違えているのだろう。間近で見て、彼の瞳の空虚さを知る。深淵を覗き込んでるような、それがこちらを覗き見ているような……そんな感覚。戦慄すら感じさせる瞳の少年は、泣くことも笑うこともせずに、じっと俺を見つめている。

 そうだよと言ってあげたかった。もう大丈夫だよと。それで彼が救われるなら、彼に見えている姿の通り、彼のお父さんを演じても良かった。でも俺には出来なかった。そうしたところで彼が救われないと、わかっていたから。だから、そう言うしかなかった。 


「…………ごめん」


 ぎゅっとその小さな身体を抱きしめる。異常なほど冷え切ったその身体が、まるで彼の瞳のようだと思った。


「……お父さん、お母…さん」


 身体を離した後も彼は何も言わず、虚ろにどこかを見続けていた。その目が俺にはまるで……鏡のよう感じられた。この子は、俺だ。追い続けている。追い求めている。失ったモノを認められず、藻掻いて、苦しんで……


(ごめん……)


 もう一度、胸の中で同じ言葉を繰り替えす。この子を救えるのは、俺じゃない。俺が俺を救えないように、きっと。


「お疲れ様です、トリオンフィさん」

「ああ、教会の方で保護してやってくれ。頼む」


 修道士に連れられ小さくなってく二つの背中。それを見送る俺の胸に己の無力さが押し寄せる。


「…………力が、欲しいな」

「力?ならば稽古をつけてやろうか?母様はお前を過保護にし過ぎているしな、お前はフォークとナイフより重いモノを持ったこともないだろう?」


 まったくどこの箱入り娘だと姉さんは鼻で笑った。それについては同感だ。あの人は俺に傷一つ付こうモノなら……その相手に何をするかわかったものじゃない。自分は平気で傷つけるくせに。あの所有者面が本当……憎らしい。


「そういう力も確かに必要だけど……そういうのじゃないんだ」

「時々お前はよくわからない。理解されたいのならもっと端的に言え!」


 別に理解して欲しい訳じゃない俺はその言葉を聞き流す。


 (俺が欲しいのは……)


 見捨てること、割り切ることが出来ないなら………そういうのを引っくるめて全部守れるような力。それが出来ないなら……完全に切り捨てられる心の強さ。

 人形だった頃は簡単だった。誰も大切じゃなかったから、割り切れた。でも、今はダメだ。人間を教えられた俺は、彼らは割り切れない。純血は割り切れても、混血だけは……どうしても上手くいかない。重ねてしまう。あれは彼じゃない、彼女じゃない……何度そう言い聞かせても。


「……ダメなんだ」


 彼でも彼女でもない誰かにかまけている間に取り返しの付かない所まで時計の針が進んだら、俺は絶対後悔する。あの子供達を哀れんでおきながら、この一秒、一秒……俺はずっと後悔している。ああ、見捨てれば良かった。今頃海を渡れていれば。助けられていたかもしれない。もう助けられないかもしれない。俺の選択は間違っていたかもしれない。

 誰よりも、何よりも。家族よりも、世界よりも大切なのはふたりだけなのに。俺は目先の彼らを割り切るべきだったのに。


「なんだ、お前らしくもない。いつものお前なら……」


 溜息を吐く俺を、気遣うような姉さんの顔。そうだな、俺らしくない。彼女の言葉に俺は、いつも通りの俺を演じる。


「なんちゃって。あーあ真面目に考えるなんて俺らしくもない。あー家帰りたくないー、絶対母さんキレてるよ。いや、まだばれてないかも?だよな、いけるいける!」


 馬鹿みたいに明るくけらけらと笑って見せると、心配は杞憂だったかと嘆息する姉さんの横顔が見えた。そして彼女は恐ろしいことを口にする。


「……時間の問題だな。帰宅の折は私がすべて報告するから」

「姉さん帰ってこないで!俺が虐待受けてるの知ってるでしょ!?それでいいの聖十字!!」

「子供の躾は飴と鞭だと聞いた。放蕩息子には多少の体罰なくして教育は成り立たんとも。母さんだってお前を思ってのことだ。大体お前はいつもいつもこの家の跡取りという自覚が足りないんだ。一発か二発か叩かれた程度で弱音を吐くな、全く情けない。私も聖十字に入った頃は教官の厳しさを怨んだこともあるが、今ではそれに感謝している。お前もその内母さんの気持ちがわかるだろう……大体お前は」

「あのー……姉さんー……」

「それだからお前は根性が足りないというか情けないというか、しかしだな私が思うにお前のそれをたたき直すにはそれなりの厳しさというものが必要なのではないかと常々思ってはいる。大体お前は遅くまで書庫で本ばかり読み夜更かしばかりしているだろう?そういう日々の生活のたるみが精神状態に響き、それでお前はそんな風になってしまうのだ。反省の心があるならお前もたまには日の出と友に早起きをし走り込みでも始めるがいい!ああ、それがいいな私から母さんにも言っておこう」

「あ、あのー……ねぇさーん?聞いてるー?聞こえてるー?聞いてないよねー?逃げていい?」


 真面目な姉さんは理解していない。あの人は、本当に本当の意味で鞭をふるうんだ。真面目な良い子で育った姉さんは地下室のことも知らないんだろうな、あの人は俺のために作ったとか言ってたから。俺の服の下でも見せてやりたい、あの夥しい数の傷跡を見ても同じことを言えるんだろうか。

 いや、止めよう。それじゃあ姉さんがあんまりに可哀想だ。知らない方が良いことだってある。こう見えて傷つきやすい姉さんに、実の母親を捕らえさせるのも忍びない。そもそも金の力であの人はなんとかしてしまうだろうから、捕らえられるはずもなく、姉さんとあの人の繋がりを引き裂くだけになってしまう。別に姉さんを悲しませたいわけじゃない。あの人だったら悲しませてやりたいけれど。


「仕事の引き継ぎは終わったから、今から帰宅する。お前が逃げないように監視する役目もあるしな」


 腕の関節をがっちり掴まれてその腕を振り払えない。流石腐っても兵士。腕力ですでに負けている。たぶん腕相撲も勝てない。根拠のない自身がある。情けないなぁ俺。

 半ば引き摺られるように歩道を歩く姉さんと俺。仮病を使ったり照れて見せたり、あの手この手で脱走を試みるが、姉さんの法が足が速い。化け物のように早い。真面目な姉さんは俺の作戦に三度ほど引っかかったが四度目はなかった。腕が痛い。かなり痛い。本気で関節技決めてきている。一ミリたりとも自分の意志で動かせそうにない。 


「ねーアージン姉さーん……いい加減放してよ。もう逃げないって。お願いだよ。いくら姉弟とはいえいい年した姉弟が……ってそもそも俺等血繋がってないし、こんな綺麗な星空の腕組んで歩くなんて下でこんなどうかと思うよ?変な噂でも立ったら姉さんが困るって、って痛ててててて、骨折れるっ!折れるっ!」

「いっそ足の骨でも折ればお前の家出癖は直るのか?」

「止めて!そんなことしたら…………這ってでも逃げてやる」

「では両腕も折っておこうか」

「な……聖十字の人が何恐ろしいことを!法は守って!俺にも一応人権ってあるんだよ!?」


 いっそのこと首の骨でも折ってくれと叫びたくなる程の痛みが腕に走る。悲鳴を上げながら俺は顔を上げ…


「……って、あれ?」


 俺は気付く。


「ね、姉さん」


 もうお前の戯れ言には騙されんといった硬い表情で、姉さんは俺を見る。


「さっきまで、星出てたっけ?」


 俺が調べた天気だと、曇りではなかった。海が荒れたら困るから、晴れの日を選んだから。確か船を待ちながら見上げた夜空は、こんなに星が見えていなかった。それは月が出ていたから。その光に彼らは霞んでしまっていたから。


(月が沈んだ?むしろ日が昇った?そのくらい明るいような気がする)


 だっておかしい。姉さんの瞳の色まではっきりわかる。

 さっきまではこうじゃなかった。よくよく見ないとわからない程度だったのに。これはおかしい。

 見上げる。月はある。まだ……それならどうしてこんなに空が明るい? 


「星、じゃない……とか?」


 俺の言葉に姉さんは空を見上げ……


「流星だ!」


 そして耳元でそう叫ぶ。


「流星?うわっ……」


 もう一度見上げた空は、さきほどとは比べようがないくらい明るい。空が燃えている。そう思ったくらいだ。それが白い光だったなら、たぶん見事としか言えない光景だったろう。でもそれは異常な流星群。悪魔の星のような赤い流星……見ているだけでなんだか不吉だ。なんだかとても嫌なモノのような気がする。それも凄い数だ、二十は越えている?それだけじゃない。


(黒い星って……なんだ、あれ)


 夜空より深く暗い光?それを光と呼んで良いのだろうか。違う、あれは闇だ。暗い、暗い黒い闇を纏った穴。それが夜空にやはり二十以上。

 二色の流星はそのまま西へ東へ流れ、落ちていく。この世の終わりってこういう風に訪れるんだろうか。赤と黒の星が降り注ぎ、すべてを破壊して……

 この世のモノとは思えないその流星群を、俺は放心したように見つめていた。その内の一つが間近に迫っていることすら、どうでもいい。ただ、魅入られて。その深淵の闇に。見つめる。見つめることしかできない。息をすることも忘れて、ただ、それを見ていた。


「アルドールっ!」


 ドン、という音。遅れて走る痛み。突き飛ばされた。


「姉さ……」


 振り向いた先。姉さんは空より舞い降りた漆黒の闇へ飲み込まれていた。後は何も見えない。視界にぽっかり開いた穴。


「姉さんっ」


 駆け寄ると、そこには姉さんが居た。黒い闇は徐々に引いていき、そこには気を失っている姉さんだけが残される。普通流れ星にまともに当たって気絶で済むだろうか。いくら兵士だってあり得ない。


(何なんだ、一体……)


 僅かの疑問が浮かんだが、今はそれどころではない。姉さんは俺を庇ってくれたのだ。幸い命に別状はなさそうだが、これからどうなるかわからない。早く屋敷に運ばなければ。

 そう思い、姉さんを負ぶった俺の耳に声が聞こえた。低く、暗い……闇の中から生じるような暗黒を纏ったその音。


 《それでいいのか?》


 それは問う。俺に。でも、何を?


 《この女がいなければ、お前はお前の望みを叶えられる。逃げられる》


 それは、俺が心のどこかで考えたこと。そう、これがチャンス。それが最後かも知れない。


「だからって、目の前の人を見捨てられるか!姉さんは、俺を助けてくれたのにっ!」


 《この女を連れて行けば、騒ぎになる。バレるだろうな……母親にも》


 それはわかっている。確実に、あの人の耳に入るだろう。本能的な恐怖が身体を襲う。今まで刻み込まれたトラウマはかなり大きかったようだ。そうなれば……監視はもっと増える。自由はさらに減る。脱走は……ますます絶望的になるだろう。今回は半年かかった。また油断してもらえるのはいつだ?半年じゃ次は足りない。一年?二年?そんな時間、俺にはないのに。 


「でも……俺は」


 それでも俺を引き留めるのは人間としての理性。俺はもう人形じゃないから。だから姉さんを割り切れない。


《そうなればどうなる?わかっているんだろう?お前はまた籠の鳥だ》 


 そうなったら、外に出られない。ふたりを探しに行けない。ああ、時間がない。次のチャンスはいつ?何ヶ月?何年後?保証がない。今だって、ないのに……明日は、明後日は……もっともっとそれが薄れていくのに。俺は何をしようとしているんだ?この女は……あの女の娘なのに。あの女がふたりにしたことを……俺は忘れていない。許していない。一生許さない。許せるはずがないんだ。それなのに俺は、何をしようとしている?


《選択せよ。お前が真に求めるモノは何か?望むモノは何か?》

「俺は…」


 息が出来ない。視界が黒く染められていく。俺にも闇が落ちてきたのだ。

 その空圧に地面に押しつけられる。必死に立ち上がろうとするが、それも叶わない。ビリビリと伝わる衝撃に、気が遠のいていく。 


 《“嘘つき”》


 脳天から浴びせされる暗闇。霞んでいく意識の中、その言葉が俺の胸に突き刺さった。

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