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15:Fortuna caeca est.

「イグニスって……策士だな」

「策士というより、腹ぐ……いえ、強かですねイグニス様は」

 

 ホールに集められた兵士達の前で演説をするイグニス。それを部台袖から見ている俺とルクリース。

 イグニスの傍にはランスの姿もあった。先にランスはイグニスが神子だと言うことを兵士達に教え、イグニスは次々に未来を彼らに語った。

 タロックとの戦争が避けられないこと。

 ある条件を満たせばカーネフェルはこの戦況を脱し、タロックを追い詰める事が出来る。それは勝利と呼べるものだと彼は言う。

 勿論嘘だ。けれど勝利を宣言された兵士達からは歓声が上がる。

 

 それでも信じられない。同時にそう言う声も上がった。

 こんな子供が。それも混血が、聖教会の神子?南の砦の兵士達は極度の混血不振に陥っていた。南を落としたのはエルス=ザイン。混血の子供だ。背丈も年もイグニスに近い。

 タロック側の刺客ではないか。そんな酷い言葉さえ投げられた。それに対し、イグニスは未知で答えた。

 

 舞台を降り、そっとその者の傍に寄り……気味悪がり震えるその手を祈るよう、両手で包み込む。

 辛いことがあったんですねと、彼女を慈悲深い声で優しく慰める。知るはずのない他人の苦しみを、イグニスは見てきたように語る。

 それを人々は奇跡と呼ぶだろう。イグニスの優しげな声と穏やかな微笑、混血の奇跡の色の瞳。慈しみ深い彼は容姿と相まって天使のようだ。そうだ、普通の人間じゃない。神の使徒、彼は神子だ。

 彼の完璧な計算により場に飲まれた人々は、彼が神子であることをもう疑わない。

 

 本当なら感動する場面なんだろうが、蚊帳の外で見ていた俺たちには違う意味で酷く滑稽な……三流喜劇にしか見えない。

 自然な動作だったから、兵士達は気付いていない。それでも俺は気付いた。

 イグニスは神子だし数術使いだが、人間だ。天使なんてものじゃない。幾らだって不可能はある。彼は未来のように無条件で過去を知ることは出来ない。そこには一応、ルールという条件がある。

 イグニスが過去を知るには対象物に触れ、接触することでその対象の過去の情報を数値として読み取れる。

 その数値は記憶。その人の心を占める大きな割合。それ以外の小さな割合を読み取るには時間が掛かるらしいが、それなら一にも満たない時間で知ることが出来る。そう言う力もあるのだと今知った。

 思い当たる節はある。昨日イグニスがユーカーの過去を暴いたのは、砦に来るまでの間彼に触れていたから。それはおそらく……宮廷騎士の証である三葉薔薇のブローチ、あれを外し……彼へ返した時だろう。

 

 神子としての力を信じさせるため、イグニスはいくつかの過去を暴いた。たった今手に入れた情報で知るはずのない過去をさも知っていたかのように語る。

 もし人々がイグニスを天使と呼ばなくとも、彼は悪魔として彼らの前に君臨しただろう。その未知への恐れで彼らを支配し統べるのだ。どちらでも構わない。心酔しても恐怖しても、それはイグニスの力を信じること。

 知るはずのない過去を知っている。それなら見えないはずの未来だって彼には見える。そう思わせることに成功。

 そこでイグニスは絶対の確信を持って王の死を兵士に告げる。

 上がる疑念の声。それを抑えるランスがそれを肯定。もたらされた絶望に、戦う意味すら無くす兵士達。そんな風に絶望を叩き込んだ後、希望を見せる。イグニスの話術は実に巧妙。

 カーネフェルに残された、神から与えられた希望。新たな王。それを玉座に据えることでカーネフェルは滅亡を免れる。全知の神子として、彼は不確かな未来に絶対の宣言を送る。

 そこで彼は俺たちの方へやって来る。

 

 俺にその力を知られることになったイグニスは、気まずそうな表情。俺がそれにも気付かないとは思わなかったのか。もし彼がそう思っていたのなら気付かないふりをしようと思ったけれど、この分なら無駄だ。彼は俺の嘘なんか、すぐに見抜いてしまう。それなら俺は俺のしたいようにしよう。

 

「お帰り、イグニス」

 

 彼に手を差し出すと、彼は大きな琥珀色の瞳を更に大きく見開いた。

 その力は恐ろしい、不気味。その力の正体を知り……冷静になれば、きっと誰もがそう思う。知られたくないことを暴かれる。

 でも、それで……イグニスを怖がるのはおかしい。彼だって知りたくて知ってるわけではないはずだ。意志とは関係なく力がある。知りたくなくても知ってしまう。目に映るモノのほどんどが数値……それと同じ押しつけられた便利な理不尽なんじゃないか。

 第一、別に知られて困るようなことは俺にはない。話しにくいことや教えたくないことは勿論あるけれど、それを知られたからってイグニスを責めようとは思わない。

 そんなことされなくても聞かれれば俺話すし、何を知られても俺は彼に幻滅しない。彼は俺の何を知っても彼は変わらずにいてくれる。それが信じられる。だから暴かれても平気だ。

 イグニスに触れたことも触れられたことも俺はある。再会したときも……空間移動の時も、昨日俺が泣いてた時だって。

 全部、今更だ。今更怖がることなんか、何もない。

 

「君じゃ頼りないけど選手交代。張りぼてでもいいから無様な真似だけはしないでよね」

 

 憎まれ口と共に彼が俺の手に応えてくれる。一瞬、それが震えていたのはどっちの手だったのかわからない。離れた時、俺の手はもう震えていなかったから。

 

「コケんなよ。一気にあいつらやる気無くすから」

「アルドールなら大丈夫です。ガツンと気合い入れて来てやりなさい。似合ってますよ流石私のアルドール」

 

 ユーカーの(一応の)励ましとルクリースからの(妙な褒め言葉付きの)応援を受け、俺はランスの居る方へと向かう。

 窮屈な正装。きちっとした慣れない髪型。ランスがどこからか調達してきた服に身を包み、彼の要望通りの髪型にルクリースがセット。歩く度に揺れる髪に感じる違和感が拭えない。

 長い距離でもないのにその一歩一歩がとても長く感じられた。走り出したい気持ちはある。けれどそんな無様なことは許されない。フローリプは俺に誇りを持てと言った。彼女が誇れる俺になれるよう、俺はその一歩一歩に魂を賭け、神経を研ぎ澄ます。

 これまでトリオンフィの家で叩き込まれた礼儀作法。それは無意味だったんじゃない。この時のためだったのだと言うために、俺は彼らの希望、王を演じる。

 それは自分を捨てることかもしれない。それでも俺は人形じゃない。口がある。俺は夢を語れる。

 王は物言う道具。民の奴隷。俺は夢を語ろう。彼らの夢を叶えるために。自由に夢を口にすることが出来るような場所を作るために。

 

「おお……あれはまるで」

「儂が若い頃のあの方の生き写しではないか!」

「え!?王って昔はあんなにイケてたの!?」

「不謹慎でしょ、馬鹿!」

 

 耳から聞こえるノイズのような歓声。その一つ一つは取るに足らない言葉だが、それが一気に押し寄せてくるのでついつい圧倒されそうになる。

 女性兵士達にはやはり若い男は珍しい生き物のようで、上がる歓声はなぜだか黄色い悲鳴だ。嬉しいような、悲しいような。俺が昨日からここにいたことに気付いている人はいなそう。

 いや……一人いた。門兵のサラさんが俺を見てにやついている。「俺は知ってたぞ、何年門番やってると思ってるんだ。小僧程度の女装くらい簡単に見破ってやったわ」……そんなしてやったりという表情に、俺はつい笑ってしまう。それに再び歓声が。

 

「ちょ、ちょっと待って待つのよ私!私にはランス様という方が……ああ、でも」

「と、年下ってのも悪くないかも…むしろ、いい!かなり、いいわ!カーネフェル王万歳っ!」

「何か一気にやる気出てきた。保護欲そそられるっていうか守り甲斐あるわ」

「だから不謹慎だって言ってるでしょ!先王様に謝りなさい!」

「そう言いつつ目、釘付けじゃないあんたも。え、嫌だぁあんた年下趣味だったの!?」

 

 困った。話を始めようにも騒がしくてどうも出来ない。

 

「アルドール様、遊んでいらっしゃらないでお話の方もお願いします」

 

 ランスに怒られた。いや、遊んでたわけじゃないんだけど。彼が兵士達を一喝すると、数秒おいて辺りは静けさを取り戻す。

 すぅと吸い込んだ息が自分の耳に、思いの外大きく聞こえる。

 

「……皆さんは王はどのようなものだと考えますか?」

 

 俺は考えた末、そう切り出した。言葉は不思議なもので、一言吐き出せば後は勝手に想いを綴る。最初の一言さえ言ってしまえば後は勝手に流れ出す。

 回りくどく考える必要もない。思ったままでいい。繕う必要もない。聞いて欲しい。解って欲しい。それなら裸の言葉で構わない。

 イグニスに手を差し伸べるのと同じだ。恐れは必要ない。信じてる。信じたい。分かり合いたい。それなら素直になればいい。

 

「私は……とても弱い人間です。ここに至るまで多くの人の手を借り、助けられ命を繋ぎました。そんな私が守られるのは、私にしか出来ない役目があるからだと思います。守られる私は、守るものがある。その人達が私を守ってくれたから、私はカーネフェルの土地とそこに住まう全ての人を、命を守りたいと思うことが出来ました」

 

「王は……自分のためではなく、誰かだけのためでもなく………全てのために在るものではないでしょうか」

 

 昨日、俺は考えた。イグニスとの会話が終わった後も……

 俺はずっと考えていた、"彼女"のことを。

 

(……ギメル)

 

 俺は彼女を殺せなかった。それはつまり……そういうことなんだ。彼女は"道化師"じゃない。"彼女"は、俺の好きだった……"ギメル"なんだ。

 認めざるを得ない。それは証明された。俺が殺せない彼女は道化師ではない。際弱のAじゃ太刀打ちできないコートカード……ハートの女王。

 

 俺は初めて彼女をギメルと肯定し、それを前提に考えることをした。

 彼女の望みは何なんだろう。俺はいつも彼女のことを考えるとき、自分が彼女の加害者として考えていた。彼女の仕打ちは全て俺への復讐だと考えていた。だから加害者としての俺は、彼女のことを理解できなかった。

 俺は昨日、ユーカーに被害者としての自分を少しだけ語った。トリオンフィの家のこと、両親のこと。その時俺は被害者としての立場になって言葉を発していた。その時見えてきた物があった。

 俺が彼らに抱く感情を突き詰めた先に彼女がいるのかも知れない。そんな気がした。

 

 復讐のことを考えることを俺はなるべく止めてきた。それは二度と果たされないことだから。

 そして俺は果たす勇気もなかった。アージン姉さんとフローリプ。二人にとっての幸せに彼らは必要だった。

 だから俺はあの家から逃げ出すこと選んだのかも知れない。俺はあの家の中で部外者で本来いるはずではない人間。俺が存在したから姉さんもフローリプも幸せを掴めなかった。両親の愛を部外者の俺に奪われた。

 あの頃の俺はそんなモノは要らなかった。俺にとってはイグニスとギメルが全てだった。

 俺が復讐をすることは二人の生存の否定。姉さん達のこともあった。だから俺は復讐を選ばなかった。

 二人は生きていた。殺せなかった理由がそれなら、二人の生存を確認した時点で俺の復讐は無効になるはず。事実、二人に再会したときの嬉しさは暗い復讐心を凌駕した。そして俺は安堵した。もし俺が両親を殺めていたのなら、唯悪戯に姉さん達を傷付けるだけだった。もしかしたら俺が姉さんやフローリプに復讐され命を落としていたかもしれない。復讐は復讐しか生まない。誰かがどこかで踏みとどまって、それを飼い慣らさなきゃ終わらない。俺はそれになろうとその時思った。

 けれどギメルが俺に向ける憎しみの深さを知る程に、俺は母さん達への復讐を思い出す。あの人が二人をセネトレアに送らなければ、ギメルは変わらなかった。俺がここまで恨まれ憎まれ、苦しみもがくこともなかった。けれど俺が復讐を求めても、死人は誰にも殺せない絶対不可侵領域。俺は内から外からの苦痛に耐えるしかない。それは想像以上の苦痛。

 それを耐えられるのは傍にいてくれる人のお陰。だから俺は大丈夫。

 

 でも……彼女にはそれがいなかったのか。イグニスは俺にセネトレアでの事を語らない。俺も聞けない。それは彼を傷付ける。

 それでも推測は出来る。ギメルが壊れたのは、一人だったから。二人は引き離された。イグニスが神子として自由と権力を手に入れるまで、遠い場所で離れ離れだったんだ。

 イグニスはその力でギメルを探し出した……その時もう彼女は眠り病にかかっていた。そうじゃなきゃ、耐えられなかった。一人きりで耐える内、彼女は歪み、壊れていった。

 眠りが彼女の安らぎなら、目覚めは彼女の憂鬱。現実世界を厭う彼女の精神状態は不安定。俺に会わせられるような状況じゃないとイグニスが零していた。でも……彼の言う通り。俺という存在は彼女のトラウマそのもの。俺と生身の彼女が再会し、彼女が正常でいられることはあり得ない。

 ギメルが今、眠っているのか目覚めているかはわからない。そのどちらにしても、彼女は俺を憎み、殺したがっているが……殺すだけじゃ満足できない。

 死ですら購えない。それだけじゃ許せない。もっともっと苦しめたい、俺を。殺すのは簡単。それでも心は満たされない。刹那の一瞬は満たされても、記憶がそれを許さない。トラウマの解放は己の死だけ。

 苦痛を与えた方が早々に死ぬことで許されて解放される。苦痛を受けた者の方が生き続ける限り痛みに苛まれていく。死の償いは理不尽だ。

 

(……だからだ)

 

 償いとは被害者の幸福であり、加害者の不幸であるべき。

 人を傷付けた者が生きて幸せになることを、被害者は許さない。それは被害者の不幸なのだ。

 被害者の幸せは、加害者がなるべく長い間惨めに生き続け…この世の不幸を一身に背負い続け、非業の最期を遂げること。加害者が不幸であればあるほど被害者は幸福になることが出来る。

 俺は"彼女"を傷付けた。俺の不幸は"彼女"の幸せ。

 その復讐に周りを巻き込むほどに、俺は傷つき苦しむ。だから"彼女"は周りを巻き込む。その方が"彼女"が幸せになれるから。

 俺が何も大切な者を作らず、誰にも心を開かず、孤独にうちひしがれ彼女への償いだけを考え絶望の中を生きていく。それが彼女の望み。彼女の人形となって彼女の掌で踊らされ、壊れて壊され捨てられるまで。

 俺がカードじゃなかったら、それでも良かった。俺はそれを受け入れただろう。

 でも俺はカードだから。彼女のためには生きられない。俺のAという弱さ。それを守ってくれる人がいるのは、俺がカーネフェル王として、カーネフェルを守るため。俺はカーネフェルのためにしか生きる。それがAの俺の背負うべきもの。王は人形でも人間でもなく、王だから。自分のためにも誰かだけのためにも在ってはならない。それが俺の望む王の形だ。

 

「王は……タロックの狂王のように理不尽に民を殺めてもいけない。セネトレアの奴隷王のように人に値段を付けてもいけない。シャトランジアの王のように権力争いに没頭し、本当の正義と平和を見誤ってもいけない。王は愛も金も権力も、自分のために望んではいけない。王は民の願いを叶える存在であり、民に自身の望みを押しつけ、それを叶えるための道具にしてはならない」

 

「神が居るのか居ないのか……それは私の与り知らぬ事。否定も肯定も致しません。けれど私は知っています。神は私達人間を愛していない」

 

 居ないから愛せないのか。居ても愛してくれないのか。

 どちらでもいい。愛されていないのは本当なのだから。

 

「神が私達人間をを顧みず愛さないというのなら、王は誰より人をを慈しむべき。王の幸福が民の幸福ではなく、民の幸福が王の幸福。この式の右左は絶対に入れ替わってはならないことだと私は思います。人は死ぬために生まれてくるのではない。不幸になるためでもない。貴方方は幸福になるために生まれて来た。それを脅かすタロックのやり方を私は肯定できません」

 

「貴方方が明日という未来のために戦ってださるのなら、私はその明日を守ります。命に、代えても」

 

 *

 

「ううう……立派でしたよアルドールぅぅうう……」

「大げさだなルクリースは」

「いえ、想像以上でしたよアルドール様。まさか……あれ程とは」

 

 演説を終えた俺が戻るは、舞台袖の小さな部屋。かれこれ五分くらいはずっとこうだ。

 俺の手を取り感涙するルクリースに、しきりに頷くランス。イグニスは何かを考え込むように沈黙を守り、ユーカーはそっぽ向いて頬杖を突いている。

 

「その髪、似合わねぇからさっさと解けよ。庶民のてめーにはあっちの貧乏くさい三つ編みのがお似合いだ」

「な!うちのアルドールを馬鹿にしますか!?」

「貴族とはいえ養子は養子。元はどっかの農民のガキだろ?こんなの担ぎ上げて何が楽しいだか」

 

 ルクリースとユーカーの小競り合いに耳を傾けていたランスが不意に俺を見る。じっと俺の目の方を。

 いきなりなんだろう。俺何かした?何か言ってくれ、お願いだから。焦りか緊張かよくわからない感情を持て余す。考え込む物憂げな美形って格好いいなぁとか俺何考えてるんだ。何この吊り橋効果。

 無言の圧力に俺が屈した僅か後、待ち望んだ言葉が俺に。

 

「アルドール様。トリオンフィの家に入られる以前はどちらに?カーネフェルに暮らしておいでだったのですよね?」

「え、……ああ。それは間違いないと思う……んだけど」

 

 よく覚えていないが、俺が養子に入ったのは確か八歳か九歳かその辺り。三歳違いのフローリプが一丁前に俺に悪態付ける位だから多分その頃。

 

「普通、そのくらいの頃の事って忘れるはず無いよな。物心なんてとっくに付いてるはずだし」

 

「何となく……はわかるんだよ。船から下りたところとか、何も見えないけど馬車に揺られたこととか。シャトランジアに着いてからのことはよくわかるんだけど、それより前って言われると……よくわからないんだよな」

 

 それにそこからギメルに出会うまではぼーっと人形のように暮らしていたから時間軸が狂っている。アルドールという人間は彼女に出会うことで作られた人格なのだ。それ以前の俺はやっぱり生きていたとは思えない。屋敷に来る前のことは微睡みの夢。悪夢じゃない、優しい夢だったと思う。父さんと母さんと、姉さんがいる……有り触れた日常。どこにでもあるようなそれは、俺が顧みない程肌に馴染み、思い出すことさえ叶わない。彼らの名前も顔も、自分がなんて呼ばれていたかも。

 

「アルドール……」

 

 俺の告白に何故かルクリースが一番苦しそう。そんなに俺を気遣わなくても良いのに……嬉しいけど。

 彼女を安心させるため、どうってことないよと俺は微笑むが、彼女の顔は晴れない。今の空模様に、よく似ている。午後には雨が降るらしく、風が出てきた。そろそろ出かけないと都に着く前に一雨来そうだ。

 

「アルドール様。私は貴方の青は、何処にでも現れる青ではないと思います。貴方がAというカードに選ばれたのは、唯の偶然ではないはず」

 

 ランスが俺の目を見たままそう言った。確か以前にもこんな事を言われたような。そうだ……船を動かしていた数術使いが言っていた。俺の青が羨ましいと……それから、それから。

 俺はルクリースを見る。あの時と同じように。

 あの時の彼女は見つめ返してこなかったが、今回は違う。彼女は俺を見ていた。とても、悲しそうに。

 まるで、鏡だ。彼女の青はそれくらいピタリと俺に重なった。

 

「ちょっと、いい?」

 

 俺が何かを言う前に、首ごとぐいと自分の方を向かせるイグニス。今ゴキッて、首がゴキッってすごい音が。

 俺の頭を両手で鷲づかみにしたイグニスは、その手から俺の意識を探る。探られていると思うと何だか緊張するが、意識する必要もないか。今の俺の心の大半は「首がゴキッって」の一言で占められているだろうし。いや、何かそれ……違う意味で恥ずかしくないか?情けない。

 

「駄目だ……鍵が掛かってる」

 

 俺が下らない思考に時間を費やしている内、イグニスは俺から離れていた。いつ離されたのか解らない。

 顔を上げればイグニスにも曇り空が広がっていた。今にも彼の両目から大粒の雨が流れ出しそうな、彼の顔。

 

「アルドール……君のそれは、誰かの呪いだ。君は数術使いに記憶操作をされている」

「ど、どういうことですかイグニス様っ!?」

「奴隷商達に君は……」

「……え?俺、何かされたのか?」

 

 俺の間の抜けた声にイグニスが睨み付ける。ルクリースも不安そうに、俺を見る。

 

「高い金で買った商品なんだ。それは顧客の望み通りの人形であるべき。トリオンフィ婦人は一体幾ら上乗せしたんだろう。過去の記憶の抹消、主の植え付け……リセットボタン。脳を弄られている。教会の数術使いまで奴隷商に荷担するなんてっ……そんなに金が欲しいのかっ!?下らないっ…ああ下らないっ……こんな世界っ!」

 

 とうとうイグニスの琥珀から透明な雨が降る。昨日、彼がそうしてくれたようにそれを受け止めたいと思うのに、身体が酷く怠い。手足が自分の支配下から離れ、俺は首の上に置かれた頭だけ。そんな感覚がする。その頼みの綱の頭さえ、ぼんやりしていて……俺にはイグニスの言うことが解らない。彼が誰を語っているのかわからないまま、他人事のようにそれを聞く俺。

 袖で涙を拭いながら、彼は平静を繕い声を出す。イグニスの動揺に、全員が全員驚きを隠せない。あのユーカーでさえも沈黙。

 

「…………僕の妹は、出会ったあの日、君を祝福したね。彼女は壱の数術使い。無から有を生み出せる。彼女の言葉は君に君という概念を与えた。文字通り、君への幸せの第一歩。幸せを知るためには自身が無ければ意味がない。ギメルの微弱な数術は、君の呪いを少しだけ解いたんだ。データ、バグ。彼女はウイルス。養子奴隷である君にとっての」

 

 そこまで言われて、これが他人事ではなく……俺のことなんだと気付くが実感はない。俺は夢見心地のまま。

 考察を始めた頭はまだ誰かのこととしてそれを捉えていた。

 

「アルドール、君はトリオンフィ婦人を憎んでいただろう。でも、殺せなかった。違う?」

 

 ああと短い答えが口から漏れる。その声に俺は考える。

 俺はあの人を憎んでいた。そうだ。

 殺したいと思った。ああ、そうだ。

 でも、俺は殺さなかった。それは間違いない。殺さなかった?殺せなかった?

 俺はそれにさまざまな理由を付けて考えていた。それで答えを出したつもりだった。けれどもそれは間違いなのだとイグニスが言う。


挿絵(By みてみん)

 

「彼女は商品の君に主として登録されていた。脳に書き込まれていた。主殺しも自殺も、君は出来ない。それが人形の宿命だ。だから君は逃げようとした。それ以外に君に出来る抵抗手段はなかった。君は人間だったのに、人形にされた。自我を得たけど、鎖は抜けない。君はまだ囚われたまま」

 

 母さんは、もういない。それなのに俺がまだ苦しんでいるのは呪いが解けていないから。

 

「データ、バグって言ったよね。その時君の呪いは上書きされた。君はギメルを主だと認識している、脳の何処か一部分で。君はカードとして殺せなかったのか、それともその呪いとして殺せなかったのか、僕には解らない。それを見ては居ないから」

 

 主であるギメルを傷付けた母さんを殺そうとする脳。母さんという主を殺すことは禁止されていると拒否する脳。母さんという主を殺したギメルを殺そうとする脳。主であるギメルを殺すことは禁止されていると拒絶する脳。

 それじゃあ何か。俺は自分の意志で思ったはずのことさえ、仕組まれていたというのか?

 滑稽な真実。それに気付いた刹那、糸が切れた人形のよう力が抜けて、膝を着く。

 

「君が殺そうと思っても、脳の一部がそれを否定する。それは数術計算にミステイクを引き起こす。当然だよ。脳が別々のことをしているんだから。……有効な手だ。君はギメルの姿形をした存在を、主として認識してしまう。だから、絶対に殺せない」

 

 あれがギメル本人でも、それを騙る道化師でも。

 

「多分、君が僕を盲目に信じてくれるのも、同じなんだろうね」

「イグニス……?」

「君の言葉は嬉しい。何時だって僕はそれに支えられている。でもねアルドール!それは君の本心じゃない!君は君の脳は……僕をギメルだと誤認してるんだ」

 

「僕が君の主なんじゃない!君が僕の主なんだよアルドール!?君はそんなことも、解らないの!?」

「イグニス……?」

「君は人形じゃない!人間なんだ!早くそれを解ってよ!君は……あれだけ立派に喋れる!自分の意志を言葉に出来る!それなのにっ……君はまだ人形のつもりなの!?」

 

 イグニスは突然怒り、俺を責め立てる。俺はその理不尽を黙って受け取るしか出来ない。俺が何をしてもそれはイグニスを傷付ける。動けない。何も、言えない。

 だってそれは……イグニスの嫌う、人形としての俺の行動。俺がそのつもりじゃなくても、彼にはそう見える。

 再び溢れるイグニスの涙、ルクリースもユーカーも気まずそう。二度目には余裕を取り戻したらしいランスが、小綺麗な手布を取り出し彼に差し出した。

 ランスという第三者の介入で落ち着きをいくらか取り戻したイグニスは、俺への詫びを口にする。

 

「ごめん……君は悪くないんだ。わかってる……わかってるよ、そんなの。でも……僕は、……………僕は……自分が不甲斐ない。神子だなんて、最高の数術使いだなんて言われても……こんな三下の数術一つ、破れないなんて」

 

 彼は自分の無力を悔いている。嘆いている。奇跡の神子の絶望。それは、全ての人に対する絶望だ。その絶望を知ったルクリースの顔が青ざめる。

 

「神子様でも……、直せないんですか?」

「元々その数術は……禁術です。それは本来、刑死者に刻まれる呪われた、完成された数式です」

 

 正義のための、平和のために作られた術。それは殺人犯に刻まれる刑罰だと教えられた。

 面白い話だ。幼い俺は何もやっていなかったのに、殺人犯と同じ事をされているんだ。

 涙と共に咽からくくくと漏れる笑い声。笑いで肩が震える。そんなイカレた俺を抱きしめてくれたのはルクリース。彼女も泣いている。それを俺に見せたくなくて彼女は俺にそうしているようにも見えた。

 

「聖教会は、シャトランジアは死刑が禁止でしたね……」

 

 ランスの言葉にイグニスが説明を続ける。彼はもう泣いていない。立ち直っている。

 でもそれは、自分の仕事に専念することでそれを忘れようとしているみたいだ。

 

「はい、だから作られた術です。脳に制約を刻み、殺しを繰り返させない」

 

 被害者の共通点、犯人のコンプレックスから攻撃対象を探し当て、それを主条件として植え付ける。

 解く方法なんか作られていない。そんな式、必要ないから。だってそれを解いたらせっかく作った平和がまた乱される。

 

「…………人を狂気に誘うのが育てられた環境なら、更生出来ない人間はそれをリセットし、違う人間として生まれ変わらせる。良い環境に置けば同じように悪の道には走らない。そんな理想とエゴの数式。そこまで時を遡れるのなら殺してやりたい、それを採用した神子も、数式を編み出した人間も」

 

 俺の記憶喪失は、そのリセット。文字通り、生まれ変わった。俺は一度、リセットされている。シャトランジアに来る前の俺という人格は……一度殺されている。

 

「人はそんなに綺麗なモノじゃないのに……人を善だと信じるあまり、悪の存在を認めない教会は愚者の巣窟だ。善も悪も突き詰めれば同じモノ。行きすぎた善は究極の悪だって自覚もない、馬鹿な奴ら……表を殺せば裏も死ぬ。そんな単純なことがわからないなんて」

 

 善のために悪魔の計算式を生み出した教会も、金のために数式を外へ漏らした存在も、教会が生み出した悪。神子自ら嘆く罪悪。

 イグニス嘆きを糾弾するユーカーは、教会の偽善に憎しみを宿した冷たい炎の目。

 

「馬鹿みてぇ。そんなお人好しの偽善者ぶるからこうやって新しい悪が生まれる!犠牲者が増える!悪人は死ぬまで悪人だ。殺すしか救いはねぇ。本人にも、周りにも」

 

 彼の言葉は俺に別の誰かを重ねて過去へと投げかけられる。彼はその届かない過去に誓うよう、悪を滅すための殺しという善を説く。立場変われば彼も悪。その片面を見ないよう、必死に善を説く。

 

「悪ってのは悪い病気だ。幾らでも蔓延る。感染するんだよ空気で。だからセネトレアは、タロックはあんなのなんだろ。狂王っていう腫瘍を取り除かなきゃ、カーネフェルまで毒される」

「それは違うわ。貴方はあの国を見たことがないのにどうして全てを解ったように言うの?私はセネトレアを知っている。イグニス様も」

 

 千聞は一見にしかず。ユーカーの決めつけにルクリースが噛み付いた。何も知らないガキが。そう吐き捨てるよう、いつもの敬語も影を潜める。 

 

「空気感染って言うのは認める。でもね、セレスタイン卿ユーカー!貴方の言うことは間違っている。世界には悪人と善人が居るとでも貴方は思ってる?それで自分は善の方なんだって思ってる?それは勘違い。人はどっちも持っているの」

「セネトレアという国の空気は開放的。倫理も法も縛れない。誰もそれを罰さない。力と金が全てを解決する、だから人は黒に悪になる。だって誰も罰さない。悪いことをしても誰もそれを裁かない。罪を犯しても罰がないと知れば、誰だって罪に手を出す。だって、その方が儲かるから!儲ければ、金が増えれば何でも買えるから!幸せになれるから!そういう勘違い野郎で溢れてる!それを間違ってるって言う人間も居ない!」

 

 そこまで一息で言い切った後、ルクリースは俺を見る。

 

「アルドール。貴方は大丈夫。貴方は強いわ。だって貴方はそれを間違っていると今さっき、あんなに多くの人に言えた。伝えたじゃない。貴方は良い王になれる。過去なんか関係ない。貴方は明日を作っていく人。後ろを見る必要はないわ」 

 

 彼女の言葉は俺を叱咤激励する声。けれど俺を見つめる彼女の目尻に浮かぶのは涙。 

 

「ルクリース……俺、おかしいのか?」

 

 彼女は悲しんでいる。俺の失った過去に、傷ついている。けれど俺には何の心当たりもない。

 彼女の涙の意味がわからないのだ。それが唯の哀れみでないことは、もうそろそろ理解しているけれど。 

 

「昔のこととか、過去って……そんなの無くても俺、全然苦しくないし。こうやってイグニスとかルクリースが泣いてる方が苦しい。それって間違ってるのか?昔のことなんかよくわからないけど、今と明日がいい日なら……俺は幸せだと思う」

 

 俺のためにこんな風に泣いたり傷ついたり叱ってくれる人がいる今は、きっと俺にとって幸せなことなんだろう。過去なんか無くても、俺はこうして幸せを感じられる心がある。それは紛れもなく、俺の幸福。

 

「俺はイグニスにもルクリースにも笑ってて欲しいよ。それは同じ気持ちだと思う。操られてるとかわからないけど、イグニスはそれじゃあ駄目なのか?操られててもいなくても、俺はそのことを不幸だとは感じない。二人とも、俺の大事な友達だ」

 

 操られながら出会ったイグニスを無意識に主と尊重する盲目。

 どうでもいい人間として出会ったルクリースを大事だと思う思い。

 その二つが同じくらい大事なら、それは等式で結ばれる。俺は操られていなくとも、同じくらいイグニスを大事だと思ったはず。きっとそうだ。

 

「アルドール……貴方が幸せなら、“ルクリース”は幸せですよ」

 

 俺の言葉に微笑むルクリース。まだ少し苦しげだが、彼女は綺麗に笑って見せた。

 

「イグニス様、貴方の嘆きは解ります。けれど……この私と同じくらい大事に思われてて、まだ不満なんですか?操られていても、仕組まれていても……感情に起因する切っ掛けがそうであっても。アルドールは貴方が大切です。それは真実で、事実です。彼がそう思っていることは嘘じゃない。嘘じゃないんです」

 

「君のこと……何でも、一番知ってるつもりだった……過去も未来も」

 

「でも僕は君を知らなかった。いつも自分ばかり傷ついていたと思ってた。哀れまれているのは自分なんだと思ってた」

 

「だから僕は哀れみが酷いことなんだって知っている。だから僕は僕が許せない……今の僕は、君を哀れんでいるから」

 

 

「イグニスは、変なこと言うんだな」

 

 哀れみが酷いって事は俺も知っている。かつてフローリプに哀れまれた時、俺は安らかとは言えない気持ちになった。

 でも今の俺は落ち着いている。それどころか嬉しくさえある。どんな感情でもイグニスから向けられるモノが嫌なはずがない。

 でもこの言葉を伝えれば、彼は苦悩する。それがわかるから俺はそれ以上何も言わない。

 それきり黙り込む俺に向けられる視線。酷く歪なモノを見るように、俺を見るユーカーの氷の瞳がそこにはあった。

 

 

 *

 

 

 着替えに戻るアルドールを見送った後、アロンダイト卿が私に頭を下げに来た。 

 

「軽率でした……すみません」

 

 彼は自分が切り出した言葉に罪悪を感じているようだった。

 アロンダイト卿。彼をなじる気持ちは私にはない。言いようのない切なさはあるけれど、私も真実を知れたことは満足しているのだ。

 

「いいえ。気にしないで下さいランス様。純血を見慣れている貴方なら気付きますよね。唯の鈍感かと思ってたら、まさかあんな風にされていたなんて」

「おかしいと思いました。貴女方の目はよく似ているのに、他人のように接するお二人が」

 

 彼は私と彼の関係に気付いていた。そしてアルドールがセレスタイン卿の言うよう庶民などではないことも。

 カードが彼をAに選んだ理由。それが血ではないか。彼はそう考えたのだ。そしてそれが間違いではないことを、私は知っている。

 

「ルクリース様、貴女はあの方とはどういうご関係なのか、お尋ねしてもよろしいですか?」

 

 あの方がどちらのカーネフェル王を指すのか解らなかった私はどちらも答えることにした。別にいい、同じ事だ。

 

「アルドールは私の弟です。先代様は私達の、遠い親戚です。アルドールはカーネフェルを継ぐことが許される、本当に最後のカーネフェリアの人間。女の私じゃカーネフェルは継げませんから」

 

 私は嬉しかった。二度と会えないと諦めていた、アルドールのあんな姿が見られたこと。

 アロンダイト卿も驚いていた。彼と王との重なる面影に。

 

「ランス様。貴方も知らないでしょうが、こういう時のために初代カーネフェル王の子供の一人……彼はその子を家系図からも切り離し、片田舎で生活を送らせられた。私たちはその末裔」

 

 血は薄まったはず。それでも王の血はなおも色濃く私たちの瞳に現れる。王家の誇りを忘れるなと私たちに呼びかける。

 

「何処で商人に見つかったのか。アルドールの青は彼らの目を引いた。田舎で暮らす身とはいえ、いくら金を積まれても大事なあの子を手放すはずもありません」

 

 アルドールは勘違いをしていた。実の親に捨てられた、金のために売り渡された。そう、都合の良いよう刷り込まれたのだろう空っぽの頭の中に。

 そんなの違う。私は叫びたかった。

 でも、私は彼にとっては彼を捨てた姉。その金で豪遊し幸せになっているはずの姉。憎しみの対象。言えるはずがない。軽蔑されるのが怖くなる。

 出会ってすぐに言えればよかった。あの頃なら言えた。

 でも今は言えない。彼に大事だと言ってもらえるようになった。だから、怖い。

 底辺から底辺なら怖いものなんて無い。それ以下はないから。

 でも、今の私は高い場所にいる。突き落とされたら、失望されたら私の心は壊れてしまう。その衝撃に、耐えられない。

 

(言えるはず、無いのよ)

 

 息を吸い心を落ち着かせ、私は続きを彼らに話した。

 

「家は燃やされ両親は死にました。あの子はセネトレアに送られて……」

 

 アルドールは私と引き離された後に、数術をかけられたのだろう。だって本当はカーネフェルからそのままシャトランジアに行ったのではない。セネトレアで競売に賭けられて、そこであの子は落札された。

 そこから馬車に乗り港まで行き、船に乗ってシャトランジアに送られ、トリオンフィの家に。


 私は最初、遺体の上がらなかった弟は焼け死んだのだと思った。両親の仇。復讐相手の情報を求めるため渡ったセネトレア。そこで家を襲った相手が奴隷商であり弟がまだ生きていることを知った。その情報を得るまでには並大抵ならぬ苦労があった。いろいろやった。頭も身体も使えるものは何でも使った。王家の誇りのすぐ捨てた。生きるために、何でもやった。何人殺したかなんて覚えていない。両手の指じゃ、全然足りない。そこまで捨て身になっても、手に入らないものがあった。

 情報請負組織でさえ、奴隷商達の繋がりには入れない。私の欲しい情報は金をかき集めても手に入らない。だから私は力に溺れた。強くなる。人の命を脅かすくらい強くなる。じゃないと誰も私を恐れない。

 私は競売の経営者を締め上げその情報を手に入れるまで、五年かかった。二年前私が屋敷にメイドとして潜り込んだ時、アルドールはイグニス様達を失っていた。その二年の辛さは今でも覚えている。セネトレアでの五年より、心はずっと痛かった。

 これまで何度伝えようと思ったか知れない。でもそれは軽率で、私の躊躇いは賢明だった。

 

「ルクリースさん、貴女は……賢明でした」

 

 私に近寄るイグニス様。彼の言葉は私の心を見透かすもの。労るようなその声には悲しみが感じられる。きっと私にしかわからない。

 

「解除キーは、彼の本当の名前。彼がそれを自分の名だと教えられた時封印が解けます。けれどそれは二重の罠」

 

 イグニス様がアルドールには教えなかった真実。それは、私が何よりあの子に伝えたい言葉。

 

「鍵を開けた先に真実は無い。彼は決して昔を思い出せないどころか……扉を開けばリセットされ、再最適化」

「その……リセットというものは?」

 

 アロンダイト卿が再最適化という耳慣れない言葉に口を挟む。私もそれは聞きたかった。

 元通り。それは元のあの子に戻るということではないのか。そうすれば、記憶が甦る。もしそうならそれは一縷の希望。

 けれどイグニス様の表情は沈痛。ああ、希望。お前は泡沫。

 

「それを行えば、今の主条件は消えます。でも……それは彼という人格そのものを消す行為。アルドールは……」

 

 イグニス様は教えてくれた。その真実は私と彼の、絶望だった。

 アルドールは過去を絶対に思い出さない。そしてその真実はアルドールの今を完全に葬り去る。

 あの子は養子用奴隷に特化、最適化されている。教え込んだ知識、教養はデータとして残されるけれど、記憶……思い出。そう言った感情の宿る情報のリセット。教育失敗で反感を持たれたときに作り直すスイッチ。主の認識を変えるためにも使える式。

 

 私はイグニス様より報われている。私はアルドールの主ではない。彼が本当に私を友と思ってくれている。

 嬉しい。純粋な好意が嬉しい。でも、辛い。

 私は彼の友でしか無く、“姉”にはなれない。

 別の女を姉と呼び、彼女から託された剣を手にあの子は戦う。“姉さん”とあの子がそれに語る度、私がどんな気持ちになったことか。

 そんな幸せで惨めな私も、まだ彼より報われている。

 

「今の彼が好きな僕は、今の彼をリセット出来ない。また同じになれるか解らない。馬鹿ですよね、怖いんです」

 

 もう一度今のアルドールと同じ人格が形成されるか、その保証も……もう一度イグニス様を親友と、彼が呼ぶという約束もない。

 あれだけ彼に盲目なアルドール。それが主条件によるものだとしたらやりきれない。

 あんなに彼を慕っているアルドール。忘れて条件から外れたら、手のひらを返したようにどうでもいい、無関心。私のあの二年間と同じ苦しみ。

 カードという繋がりは、アルドールを変えた。周りに対する認識を。だから私は報われた。

 けれどそれは、アルドールがアルドールだったから。彼という人格無ければ成り立たない話。

 次、報われる保証はない。

 イグニス様は今のままでも、やり直しても……報われない。

 

「彼の言葉、そのすべてが嘘だなんて僕だって思わない。でも、僕を忘れた彼が……同じ言葉を紡いでくれる保証がない。僕は彼の式を忌まわしいと思いながら、今の彼との関係が苦しいのに、心地良い。それを手放し同じになれる保証も、自信も、時間もない」

 

 苦しげに吐き出される息。その最後の意図はなんだろう。

 彼はまだ若い。カードとして危機が迫っている?暗い表情の彼は、自分の近い将来の死を予言しているようだ。

 

「神子様……時間とは?」

「イグニス様……?」

 

 不穏な空気を感じたのは私だけではなかったらしい。アロンダイト卿にイグニス様は重く、息を吐く。その悟った様な表情は子供が浮かべる類のモノではない。死期を悟った、老人のようだ。

 

「……数術代償。数術使いのアロンダイト卿はご存じですね?」

 

 私の隣でアロンダイト卿が静かに頷く。数術使いでない私には無縁の話でも、彼には他人事では無かったようだ。

 

「混血もカードも触媒は要らない。カード一枚一枚、代償に個人差はあります。命に別状がない代償だってあるには、ある。けれど多くの場合、数術は命か幸福値を削ります」

 

 

「僕の場合は……時間。僕の奇跡は僕の寿命を刻む。小さいモノならほんの数秒。大きなモノなら……何日、何年」

 

 

「触ってみますか?心臓の早さ、十四の子供にはあり得ない……嫌な、奇跡です」

 

 質の悪い冗談。その線は無くなった。触れなければよかった。そう思う位、彼の鼓動は早過ぎる。

 

「アルドールには、言わないでください。僕は彼を死なせたくない」

 

「アルドールは数術使いとしては例外。けれどカードとしては最弱」

 

 アルドールの数術代償は、感情と体温。

 喜怒哀楽。その感情が燃えれば炎も激しさを増し、多くの奇跡も起こせる。

 昨日私たち全員を移動させた空間移動。あれは哀しみ。イグニス様が同じ事をしていたら、どのくらい寿命を削ったかわからない。

 そんなことも知らなかった私はかつて彼を責めた。私たちを助けただけでも、十分彼は死へと踏み出していたのに。

 

 アルドールは彼とは違う、恵まれた数術使い。けれどそれは体温を消費する。戦い方を間違えれば命が危ないのは確か。

 今はイグニス様が剣に刻んだ数式でその補正がなされ、死なない程度のコントロール計算が行われている。

 

「カードとしては、ですか?」

 

 同じカード。お世辞にも強いとは言えないアロンダイト卿も、イグニス様の言葉は気になるのだろう。私が聞くより先に口を開いた。

 

「アロンダイト卿、貴方は神を信じますか?それなら神子として命令します。貴方は絶対に神を信じないでください。奴らは悪魔です」

 

 神子らしい問答。それの続きはらしくない暴言。天に唾吐く行為。

 目を丸くする私とアロンダイト卿に、愛らしい天使の微笑みでイグニス様は微笑んだ。

 

「貴方もアルドールもカードとしては弱い部類。振り分けられた幸福値は限りいなく低い」

 

 語る事実にアロンダイト卿は黙しながらも頷く。

 そんな彼に下されるは死刑宣告。

 

「普通の人なら問題なくとも……カードが神に願うことは、幸福値を消費する行為。そして幸福値がつきた時、カードは死にます。カードは神に選ばれた人間。手のひらの紋章と数字は彼らとリンクしている証。だから願いが届きやすい。どんなに辛いときでも神に祈ってはいけない。運命を変えられるのは、自分の意志と力だけ。それに頼れば、早々に命を失う」

 

 彼が上げる事例。アルドールが姉と呼んだ少女の話。

 

「アージン=トリオンフィさんは、聖十字兵。祈ってしまったんでしょう……だから尽きた」

「祈った……?」

「遠く離れるアルドールの安全をです。彼女の願いは叶えられ……代わりに彼女が破られた」

 

 私にとって今の今まで嫉妬の対象だった彼女。私は今、その認識を塗り替える。

 アージン=トリオンフィ。貴女はアルドールの姉だった。命を賭けてあの子を守ってくれた。それを家族と呼ばすになんと呼ぼう。

 彼女は立派な姉。私にはまだ出来ていないことを、やり遂げたのだ。

 彼女の想いに胸が震える。

 フローリプ様にアージン様。あの子はいい、姉妹を持った。あの子の今の名前を私は誇りを持って愛せる。

 

「ルクリースさん、貴女は僕らの中でもっとも幸福値が大きい。貴女がいるだけで戦況は大きく変わる。だから貴女はそこにいてくれるだけで、アルドールを守れます。神なんかに祈る必要もない」

「アロンダイト卿、貴方も強い。大抵のことなら貴方の頭脳と剣術でどうにでもなります。だからどうか神に仇をなしてください。あんな奴ら糞食らえと常に心で念じてください」

 

 私とアロンダイト卿に、それぞれ贈られた言葉。

 私たちはエルス=ザインと、“彼女”。アロンダイト卿はタロック軍と双陸。目の前の戦いを終え、また再び生きて会うためにと。

 そんなありがたい言葉にアロンダイト卿はおどおどしている。並の男ならうざったいと足の小指でも踏んでやりたいくらいだが、顔の良い男がやると……可愛い感じがする。ギャップというモノだろうか。足の小指踏むところか頭を撫でてやりたくなる衝動が芽生えるが、今はそんな状況じゃない。私、自重しろ。鼻血も自重しろ。出るな、出るなよ。

 

「しかし神子様……私はアルドール様よりもっと願うよう言われました。心のままに明日を願えと」

「それならアルドールを信じてください。アルドールは神じゃない、人間です。だから彼への祈りは問題有りません。辛かったらそうですね……彼なら何とかしてくれると、そう信じてあげてください」

 

 私が鼻血と格闘している間、耳から聞こえるのは何とも美しい美談。くそっ……臭い台詞なのにこいつら二人とも美形で美声だからむしろ感動する。感動のあまり鼻血が……

 

「彼が最後の一枚なら、きっと奇跡は起こせるはず。僕はそう信じています」

 

 イグニス様の照れたような微笑み。それでいて確信を告げるような力強い言葉。私の最終防波堤は破られた……鼻の。

 

 *

 

「てめーが頼りないからほっとけないだけだ。俺はお前に仕える気はねぇから勘違いすんじゃねぇぞ」

 

 荷物をまとめた俺たちの前に現れたユーカー。ランスと共に砦にに残ると言い出すと思っていただけに、ユーカーの言葉には驚かされた。

 

「嫌な天気だな……痛っ」

「生意気に無視るな年下」

 

 突然髪を引っ張られたのも驚かされた。 

 

 窓の外は灰色の曇り空。何時雨が降ってもおかしくはない。イグニスの計算だと降るのは昼過ぎ。今から出発すれば都にはその前には着くだろう。

 ランスは砦の守りがあるから置いていくことにした。彼に俺たちについて行くよう言われたのかと思ったが、どうもそれだけではないらしい。彼もエルス=ザインとは浅からぬ仲。あの風使いはカーネフェル王の死にも関わっているように見受けられた。ユーカーが王の死を乗り越えるためにも、彼との決着は必要なことなのだろう。

 ランスには砦の説得と双陸との交渉という仕事が残っている。説得の方は「神子が予言した戦術的撤退」とか何とか言って言いくるめてくれそうだし、双陸との交渉も彼なら上手くやってくれるはず。その点は何の心配もない。彼を都に連れて行って、代わりにユーカーに同じ仕事を任せるよりは何万倍も心強い。

 それに……都には得体の知れない"彼女"が居る。剣と数術は使えてもランスは上位ナンバー。彼には極力カードとは戦わせたくない。

 勿論"彼女"が姉さんの時のよう、手薄になったこちらを攻めないとも限らない。だが、それは無いんじゃないかと思う。

 "彼女"が復讐したいのはカーネフェルという国ではなく、俺自身。

 "彼女"はカード。"彼女"にも叶えたい願いがあると見てまず間違いない。けれど"彼女"はタロック陣営のカードでもない。どこにも属さないカードなら、まだカーネフェルに滅んで欲しくはないはず。

 せめてカーネフェルとタロック……俺と狂王がその部下達が互いに刺し違える位は望んでいる。それならまだ……こっちは襲わない。ランスはタロックとの戦争でも必要な将だ。今降板は早すぎる。

 

「そうだね。雨雲は水と風の元素を増す。ハートの僕は調子が良いけど」

 

 俺の独り言にも丁寧に答えてくれるイグニス。横目で見ればいつも通りの彼に見える。あんな風に動揺したイグニスははじめて見たから、どう接するモノかよくわからない。見たいとか頼って欲しいとか思ってた癖に、何も出来なかった自分が今度は不甲斐なく感じた。

 俺もルクリースもランスも多分ユーカーも、火属性のクラブ。心許ないが、行くしかない。フローリプのためにも。

 

 都までは歩いてでも行ける距離だが、半日かかる。俺たちはランスが手配してくれた馬車をありがたく使わせて貰うことにした。

 馬車に乗り込む俺たちを迎える男の声。

 

「よぉ坊主」

「サラさん!」

「げ、バロン!お前門番の仕事はどうした!」

 

 ユーカーに言われて気付いたが門を開けるためではなく、門兵のサラさん……彼は御者として馬車に乗っていた。

 

「がはははは!演技には向かんとランス様に左遷されたわ」

「ランス、話したのか?」

「まだ数人だけです。他はこれからですよ」

 

 見送りに来てくれたランスに尋ねれば、彼は優しく微笑んだ。後のことは任せてくださいと頼りがいのある言葉。

 カードとしては一番心配だったが、彼のその微笑みの最後の迷いは吹っ切れた。彼は昨日のように笑わない。今の彼は何があったか知らないが、彼も吹っ切れている。何かを……明日を信じる優しい目だった。

 笑み返した俺の頭をばしばし撫でるのはサラさん。

 

「安心しろ。カーネフェルの女は強い。そこのねーちゃんみたいな強さはなくとも強かだ。演技には女の方が向いてる。きっと良い仕事してくれるだろうって」

 

 その言葉に代理門兵の女性兵士も笑う。彼女にも、教えてあるようだ。

 彼女が門を開ける。別れが惜しくて、俺はもう一度ランスに声をかけた。

 

「ランス、今度は俺の妹にも料理作ってくれよ。きっとフローリプも喜ぶ」

 

 語るすぐ先の未来。そこに彼女がいることを前提に。それは彼女を取り戻す。またみんなと一緒にあんな風に騒いで夕飯でも食べたい。ささやかな夢だ。

 やっぱり、盲目なのか。彼女がかつて言った言葉をまだ信じてる。言葉には魔法が宿る。声に出せば絶対叶うって。

 

「いいですね!フローリプは船での一件で魚嫌いがありますから、ランス様の料理でしたらトラウマ克服も可能ですわ」

「そうですね、僕も昨日のあれがもう一度食べられるのなら……絶対に生きて帰ってこないとって思いましたよ」

「それではその際は僭越ながら頑張らせていただきます」

「いや、お前は頑張るな。お前頑張ると変な方向に頑張るだろ。逆にトラウマ増える。子供には目の毒だぜお前の本気フルスロットった料理は。まだ忘れてねぇんだからなあの発禁モノのキワグロさは!あとどうせならエログロで頼む。ああ、ついでに肉!今度はちゃんと用意しとけよ」

「エログロい魚料理……網タイツで包んだまま活け作り?いやお前は腹を壊すから焼くか」

「それは唯の焼き豚魚版じゃねぇか!」

 

 そうだ、こんな下らない会話が最後であって堪るか。また帰ってくる。みんなで。

 そしてこんな下らないことをまた言い合おう。それもきっと、俺の夢。

 

 


演説終えてさぁ出発!ってはずが主人公の過去に触れる話に。

普通の男の子ってコンセプトだった主人公がもはや欠片もない。

主人公たるモノみんな不幸人間ってコンセプトになりつつある。

人物の書き分け以前に不幸の書き分けって感じですね……でもこんなことするつもりじゃなかったのに。自分で彼の疑問に行き当たり、それを突き詰めたらこうなった。物語を書いているはずが、キャラが自分の中で掘り下げていく内に話が生まれるようになって……最近キャラの気持ち今の言葉、トラウマ過去、絶望未来に書きながら涙腺が緩みます。誰かが泣いてるところは、大抵作者も泣いてるとか……涙腺もろすぎるだろう自分。

一人一人の気持ちや考え、それを上手く伝えられるか解りませんが、彼らの一生懸命の生を伝えられるよう頑張ります。長ったらしい話、読んでくださる皆様に感謝、です。

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