14:Otium sine litteris mors est et hominis vivi sepultura.
「セレスタイン卿…?」
ランスに教えてもらった彼の部屋。ノックしても返事はない。ドアノブが回る。鍵をかけ忘れたのだろうか。在室不在のどちらにしても、このままというわけにはいかない。意を決した俺は、扉を開ける。
そこにあるのは広くも狭くもない微妙な間取り。壁紙などなく剥き出しの石壁は心休まるとは言い難い。家具と呼べる物は寝台一つに机と椅子、それから戸棚と衣装箱。それだけだ。彼の物静かとは言えない性格からは想像できないような、殺風景な部屋。ここからは生活感が感じられない。何と言えば良いんだろう……この部屋は、生きていない。死んでいるのだ。この空間が全てを拒絶し、時を刻むことを止めてしまったような……そんな感覚に陥る。だってきっとこの部屋は……彼の帰らない昨日も、彼がいるはずの今日も何も変わらず……このままなのだろう。
(俺は……この部屋を、知ってる)
トリオンフィの屋敷の俺の部屋。あそこもそうだった。あそこは両親から押しつけられた物で溢れかえっていたけれど、そのどれにも俺は感情を与えることなく、唯そこに置いてあっただけ。思い出も思い入れもない、唯のがらくた。メイドが埃を払わなければそのまま存在することも出来なくなってしまうような物。
あの部屋は一年も一日も同じだった。窓の外の季節は確かに移ろうのに、その部屋と俺は何も変わらずそこに在る。死んでいたのだ。俺もあの部屋も。気の滅入るような空気。それを吸い込む度、俺はその空気に心を殺される。時の止められた部屋、そこの空気は生きている者には有害なもの。傷ついた彼がここに戻ってくるとは思えない。ここは、空気が悪すぎる。
宮廷騎士と呼ばれるロードナイトだが、実際宮廷に住まうことが出来たのは昔の話。セレスタイン卿を探す傍ら遭遇した兵士達からそう教えられた。
城に泊まることもあるにはあるが、それは借りるだけ。自分の部屋は持てない。特別な任を与えられた時以外は配属された砦で過ごすのが専ら。つまりここが彼にとっての家であり、彼の自室である。そう捉えて構わないはず。それがこんなに息苦しいだなんて……
「おう、また会ったな!……お前の連れのねーちゃん強いのなんの」
退室した俺に声をかけてくるのは鎧と甲に身を包んだ門兵。ルクリースに吹っ飛ばされた中年兵士だ。セレスタイン卿を探している時に手当てされている彼に出くわしたが、ルクリースも加減したようで大した怪我ではなさそうだった。しかし……手当てされたことで白い湿布が際立ち痛々しく見え、なんだか気まずい。
「す、すみません」
「いやいや、あんないい女がいるんならカーネフェルもまだまだ捨てたもんじゃねぇってな。この戦、まだまだこれからだ。ああ、そうだそうだ!セレスタイン卿は見つかったか?」
「あ…いえ、まだです」
「んだ、部屋にもいねぇのか。騎士様は俺ら兵士と違って気位が高いからねぇ……へそ曲げるにも一苦労ってか」
肩をすくめる兵士。それでもそこに彼への嫌悪はない。その仕草は呆れと彼への哀れみだ。
「彼のこと、よく知ってらっしゃるんですか?」
「まぁ、一応職場の同僚みたいなもんだしよ。それに俺もこの砦に来てそれなりだからなぁ。……同僚って言うよりあれは近所の洟垂れ小僧ってのが近いかもしれないがな」
「は、洟垂れ小僧……ですか?」
「今じゃ生意気そうにでけー面してるがな、昔ゃぴーぴー泣いてばっかで頼りなかったってそりゃあ」
ガハハと上品とは言えない声で兵士が笑う。その朗らかな笑みに俺も釣られて口元が綻んだ。兵士の笑いはしばらく続き……次第に声が小さくなり、やがて止まった。
ため息を吐きながら兵士は今の彼を語る。
「今のあいつは強い。だが、それだけだ」
昔のように人前で泣く事も無くなった。柄は悪くなったが貴族らしいプライドと横柄さは身につけた。以前のように身分の低い兵士達とうち解け、馬鹿騒ぎをすることもなくなった。ふらりと居なくなっては何かに取り憑かれたよう強さを追い求め、剣ばかり振り回していた。それが今のユーカー=セレスタインという人だと彼は言う。
「何にもねぇ、空っぽなんだ。守るモノも見いだせないガキにまで剣を持たせにゃならんとは……酷なことだ。血か才能か知らんが何十年も長く生きて戦って来た俺たちをあっさり追い越すんだから始末に負えねぇ。奴に頼らねぇといけねぇのは事実だからな、生きて帰ってきたのは正直ありがたい。あいつがいれば南の奴らを追い払うことだって夢じゃねぇ」
持って生まれた才能に振り回された生。その才能が彼に殺しを強いる。俺が剣を初めて握ったのはついこの間……十五の時だ。彼が剣を握ったのは何時だろう。騎士の家に生まれた彼……両親から贈られた最初の玩具はきっと剣。人を斬る恐怖、殺される恐怖。そのどちらも子供には過ぎた玩具。戦うことが仕事の兵士さえ、彼を哀れむ。
「この国じゃ、あいつの守るモノにはなれないんだかな。若い奴にゃこの価値がわからんのか……悲しいねぇこの国はこんなに美しいのに」
「貴方は、この国が好きなんですか?」
兵士の呟きは、俺を驚かせる。しかし彼には俺の問いかけの方がおかしなものだったよう。彼は何度か目をぱちぱちと瞬かせ、ガハハと豪快に笑い飛ばした。
「そりゃあそうだ。じゃなきゃ兵士なんてならねぇでシャトランジアででも暮らしてたさ」
「確かに都は腐っちゃいるが、ここは俺の生まれた土地だ。空の蒼も海の青も森の緑も、二本の足で踏んでる土も吸ってる空気も俺たちのモノだろ。それがタロックの奴らに奪われて堪るかってんだ。なぁ、そうだろ?都の屑貴族は守る価値もないが、この土地のためなら命を賭けるに値する。俺はそう思う」
「……ありがとう、ございます」
「ん?変な嬢ちゃんだな、よーわからんがどういたしまして」
兵士はべしべしと力強く俺の頭を撫でた後、笑いながら去っていった。顔は怖いが随分気さくな人だった。
カーネフェルという場所を価値があると言い、守ってくれる人がいるのなら……カーネフェルという国も民も守る価値がきっとある。彼の言うようまだまだ捨てたモノじゃない。
すれ違う砦の人々。彼らも彼と同じように思いここに集っていてくれる。この国自体を俺はまだよく知らない。好きだとか嫌いだとかそんな言葉じゃ言い表せない。
彼の言うよう、この国の自然は心地よい。息苦しさから俺を解き放ってくれる、妙な懐かしさ。そこに住む人はいろんな人がいて……俺は失望したり、今みたいに感動したり。彼らに共通してるのは、生への執着。必死に生きようとしている。それはわかる。俺は彼らのように必死に生きようとして来なかった。だから彼らの必死さが俺は羨ましいし、とても眩しく見える。
狂王は、そんな風に必死に生きている人達を虫螻のように殺す。
(それは絶対に許されない)
死の風から俺は、この国を守りたい。あんなに必死に生きたいと願う人を、生を肯定し愛することが出来る人を理不尽に殺めてはいけない。
誰かの願いは誰かが聞き届け、叶えなければならない。そうしなければ、誰も願うことを止めてしまう。願いの消えた世界なんて……何の希望もない。必死に生きる人もいなくなる。それは生ではない。生きながら死んでいるのだ。意味がない。無価値な存在に成り下がる。
誰かの願い。それが聞こえるなら、聞こえたなら……聞こえない振りは出来ない。
(しちゃ……いけないんだ)
時間は何時までもそこには無い。急がなければ。そう急いて走って見たが彼はなかなか見つからない。
仕方がない、ゆっくり急げと俺は思いめぐらせる。こういう時……俺だったらどうしたいか考え、俺は人気のない方へと歩いていく。
多分彼は一人になりたいはずだ。彼の割り当てられた部屋にいなかった。それなら外にいると考えるのが妥当。しかし街の外まで行ったとも考えいにくい。何時南の砦と戦いが始まるか解らないのだし、第一あの年の男は目立つ。プライドの高い彼が女装するとは思えない……俺だって抵抗があったくらいなのだから。
ため息ながら、目を向けた窓の外……その中庭に彼はいた。中庭なら何度も見たが、木の上までは見ていなかった。彼が居たのはそこだ。
木の幹に頭を預け、太い枝に足を伸ばして昼寝かふて寝か瞑想か。高さは砦の二階から三階の間辺り。結構ある。それを確認した俺は階段を下り、中庭へ出、木の上の彼の名を呼んだ。
「セレスタイン卿!」
「うぉっ!」
そんなに大きな声を出したつもりはなかったが、彼は驚きバランスを崩す。落ちる!そう思ったが、器用に両足で枝を掴み逆さまのまま俺を見る彼。
「脅かすな!落ちて首の骨折って死んだらどうしてくれるんだ!慰謝料とか損害賠償って話じゃねぇぞ!跡継ぎ俺しかいねぇのに!」
「そ、それはないんじゃ……セレスタイン卿、運動神経良さそうじゃないですか」
大声で文句言えるくらいにばっちり元気の癖に、この人は。俺が内心呆れていると、目の前を何かが通過した。
「セレスタイン卿!?」
視界に映っていたはずの彼は居ない。足下に目を向けると着地に失敗し尻餅をついたセレスタイン卿。見たところ無事のようだが彼は苦痛に眉をひそめる。
「痛っ……なんだ、一体……」
「そ、その怪我!?どうしたんですか!?」
よくよく見れば彼の手足には小さな切り傷と血。落下で負った傷?木の葉で切れたのか……いや、彼のいた場所から落ちての接触はあり得ない。
混乱している俺に、珍しく落ち着いた声色のセレスタイン卿。
「……お前、零か」
(零……?)
俺は確かに零の数術使いだとイグニスが言っていた。どうして数術使いでもない彼がそれを?
ますます頭を悩ませる俺に、彼は小さく息を吐く。
「礼言おうと思ったが、止めとくぜ」
礼を言うのは此方の方だ。ここまで運んでくれたこと、一緒に戦ってくれ事。(止めたとはいえ)彼が俺にお礼を?俺は彼に何かしたか?
「壱の数術使いなら怪我を治せる。あいつは壱だ」
あいつ……彼の言う数術使いとはおそらくランスのこと。幼い頃から共に育ってきたのだ。彼の事なら誰より詳しいはず。怪我が治せる……ということはこれまで何度も彼の世話になってきたのだろう。
「零のお前じゃ治せねぇ。一時的に、お前は俺の傷を無効化しただけだ」
言われてみれば、彼の怪我の箇所には見覚えがある。それはエルス=ザインとの戦闘で負ったもの。俺が数術で治したはずの……
「痛みを感じないなら戦える。血が出ないんなら戦える。その場しのぎだって事だ。術が切れたら血も出る、痛い。最悪、死ぬ。致命傷を負ってたらな」
「そ、それじゃあ……俺は」
「腹立たしいくらい王向きの力だ、お前のは」
軽蔑するようなセレスタイン卿の声。お前には誰も癒せないと彼の冷えた瞳が語っていた。
最後の最後まで兵を自分のために搾取するための傲慢な支配者の力。それが俺という数術使い。
イグニスと同じだなんて喜んでた俺は馬鹿だ。俺も壱だったら良かったと今更思うのは無い物ねだりか。
「アロンダイト卿の所に帰りましょう、彼なら治せるんですよね?」
「嫌だ」
彼を連れ帰る良い口実だと俺が彼に手を伸ばせば、べしと勢いよく振り払われる。自力で立ち上がった彼は重々しいため息を吐きながら俺を睨む。
「どうしてですか?」
「お前さぁ……数術って何かわかってんの?人間があんなわけのわかんねー力使うんだぞ?何のリスクもねーわけねぇだろ」
「リスク……」
船を動かしていた数術使い達は宝石という媒体を消費していた。それ以外にも純血が数術を行う脳内計算にかかる負担は大きい。
もっとも、ランスはカードに選ばれている。彼のリスクが常人のそれと重なるかはわからない。それでも……何の負担もないわけがないとセレスタイン卿は言っている。
フローリプは船で一度オーバーヒートで倒れた。俺は寒気でよく気絶。イグニスも大きな数術を使った後は具合が悪そう。……言われてみれば何もないはずがない。彼の不安はそのまま俺に感染し、俺の不安に変わる。
「怪我なんかほっときゃすぐ治る。こんなかすり傷であいつ頼って堪るか」
尚更会えないと彼はそっぽ向く。ランスの性格ならこのままの彼は放って置けない。きっと治してしまう。
どう説得したものだろうか。首を傾げる俺の額を小突く指。
「大体お前みたいなガキがカーネフェル王だって?俺よりガキが?おっさんの後を継ぐって?無理無理無理無理できっこねぇ!ガキはさっさと家に帰れ。俺の前から消え失せろ」
「………家、無いんです」
「は?」
「俺、純血にだから……養子に売られた。だから本当の家なんか何処にあるのかもう解らない。新しい父さんも母さんも嫌いだったし最初は姉さんも妹も嫌いだった。でも……この審判が始まって、俺は自分の気持ちを変えることが出来た。父さんも母さんも嫌いは嫌いだけど……死んでも良いとか殺してやりたいとか、そこまでだったんじゃない」
二人がいなくなってから、それに気付いた。俺は二人に死んで欲しいと願っていたわけではないのだと。
死は償いだって言うけれど、それで本当に償えるのか。多分違う。本当の償いは、生きることだ。だから俺は今生かされている。
死で贖えるのは、一時的な復讐心だけ。本当の意味で償うことなんか出来ない。時間を巻き戻し失ったモノを取り戻すことが出来ない以上、等号で結ばれる償いとは一つだけ。自分が受けたものと同等以上の苦しみを相手に与えること。“彼女”が俺にそれを教えてくれた。
なら父さんと母さんを苦しめたいかと聞かれたら……それはわからない。苦しめたいと言うよりは……解って欲しかった。そんな気持ちの方が大きいように思う。
こんなに辛かった。苦しかった。悲しかった。理解はそれの共有。それを知ってもらいたかった。一から百まで俺の悲しみを理解して欲しかった。でも、人間なんて別の生き物だからそんな事は不可能。だから俺は行き場のない怒りと悲しみを未だ持て余している。
けれど俺はそれに代わるモノを見つけた。ずっとずっと会いたかった人、俺の欲しかったものを与えてくれる人、俺の望む言葉をくれる人。
イグニスは俺を許し、何度も手を差し伸べてくれる。フローリプは俺に、本当の家族の温もりをくれた。ルクリースは俺なんかを好きだって言って守ってくれる。
その喜びと嬉しさは、俺の怒りと悲しみの鞘となり……俺に平穏と幸せを感じさせてくれる。
全てを理解し合うことが出来なくても、どんな俺でも彼らは俺だと受け入れてくれる。そんな彼らが俺は好きだ。彼らがどんな人間でも、俺はずっと彼らが好きだ。いつか変わってしまっても、俺の気持ちは変わらない。その変化ごと彼らが好きだと言い切れる。
「この審判があったから…………姉さんも妹も前よりずっと好きになる事が出来た。かけがえのない、大切な俺の家族だって今なら言える」
「そ、そんなら尚のこと帰れよ」
「もう、いない」
俺の言葉に彼の瞳が見開かれる。
「俺はエースっていうカードで、一番弱い」
俺が語るは事実のみ。
「そんな俺が殺せるのが道化師、ジョーカーのカード。でもこの道化師ってのが化け物みたいで……反則みたいに強いんです。道化師はエース以外に殺せないのに、道化師は全部のカードを殺せる。姉さんも妹もカードに選ばれた。道化師に狙われて姉さんは両親ごと殺された……妹は今、攫われてローザクアにいる。何時殺されるか解りません」
セレスタイン卿は身動きを忘れたようじっと……俺の言葉を聞いていた。
「家族を、大切な人を死なせたくないっていう貴方の気持ちは俺も解ります。貴方のことはわからないけれど、その気持ちなら共感できる」
「アロンダイト卿はカードです。何時彼に危険が迫るかもわかりません。一分だって一秒だって取り返しの付く時間はないんです。その大切な時間をこんな風に仲違いをしたままでいいんですか?俺は嫌です。俺なら嫌です。俺はもっと、言いたいことがありました。何も言えないままです。失ってしまった俺は、ずっと……言えないままなんです」
姉さんには、もっと言いたいことがあった。照れとか復讐が邪魔して普段言葉に出来なかったちょっとしたこととか。そういう些細なことの大事さを、俺は悔いている。
いつも彼女は俺を心配していてくれた。弟として、以上に。俺は彼女の好意に気付きながらそれを見て見ぬふりをし、のらりくらりとかわしていた。それはきっと姉さんを傷付けていたはずだ。
ギメルが忘れられないと一言伝えるなり……彼女の好意をちゃんと受け止めた上でどうするか考えていれば、もっと違う未来があったのかもしれない。
もしそうなっていれば……俺はトリオンフィの家を、本当の家族を考えることが出来たのかも。そうなれば父さんと母さんとの関係も変わってきたのかも知れない。全ては唯の絵空事に過ぎないけれど。
失ったら帰らない。昨日までの当たり前なんか、欠片も戻らない。それも事実だ。
「セレスタイン卿、貴方は彼の傍にいてあげるべきです。貴方は彼の家族なんでしょう?」
俺は一歩彼へと踏み出す。
失いたくないのならその両手で守ればいい。彼にはその強さと手段があるはずなのだ。
「俺は最弱カードのせいで、彼を守ることが出来ません。王になってしまえば彼に死ねと命じることがあるかもしれない。それでも貴方は彼を守れるはず。その時貴方には俺を殺す権利がある。セレスタイン卿……貴方も、カードなんですよね」
「……何の話だ?」
俺の言葉に彼は心当たりもないと言った様子。それでも俺には確信があった。
「カードに選ばれた者は、普通の人間より多くの幸福値が割り当てられる。下位ナンバー程多くの数が。上位ナンバーは幸福値の低さの代わり四大元素の加護を得ます。貴方は北部の戦から生還した。普通なら、あり得ない幸福です」
旅の途中イグニスから見せられた地図。王が討ち死にした場所からこのカルディアまでどれだけかかるか。橋を落とす前か後かは知らないが、彼がザビル河を越え南部まで辿り着けたのは奇跡であり幸運。
第一カードでもない人間を、得体の知れないカードであるエルス=ザインとの戦いに、イグニスが巻き込むはずもない。カードはカードにしか殺せない。イグニスは、彼がカードだと言うことをどういう方法かは知らないがそれを見抜いていたのだろう。彼は俺をエースだと見出した。中途半端なのは見えないけれど、上の方と下の方なら察しが付いているとも言っていた。
そして彼には数術の才がない。数術使いのランスの傍で育ったせいで、常人より数術を関知しやすい身体機能を持つが、彼自身は数術使いではない。つまり四大元素を操ることが出来る1から10までの数兵ではないということ。……相性以外の元素の加護が皆無なのは、元々多くの幸福値と強さに守られたコートカードだけ。
「アロンダイト卿がカードだと解った時、貴方は怒った。普通ならあそこまで怒りません。怒ったとしてもわけのわからないことを言い出した俺やイグニスに怒るはず。だけど貴方はアロンダイト卿を怒鳴った。どうしてお前がカードなのだと」
平静を装っていた彼の動揺は、ランスの紋章を見たときに表へ転がり出た。
「どうしてお前が」…その言葉は俺たちの世迷い事を信じ、受け入れた言葉。口では何と言っていても、心はそれを受け入れた。それをあっさり信じてしまうことは常人には難しい。同じものが見えないものに同じ色を語ることが不可能なのと同じ事。彼はそれを信じた。それを信じることが出来る立場にあった……ランスのように。そう言うことではないのだろうか。
「俺にはあれが……彼の死を嘆いてのことには見えなかった。貴方は彼と殺し合うことを悔やんでいるように見えました。違いますかセレスタイン卿?」
彼は自分も死にたくない。けれど従兄も殺したくない。だから怒った。カードなんてものになった従兄を、自分を……そんな世界を。
「俺は死にたくねぇ…生きて、生きて……生き延びなきゃいけねぇんだよ!」
でも、従兄を殺す勇気はまだ無い。彼が何を願いカードを手にしたかは解らないが、神は酷なことをする。自分と他人に優先順位を付けろと言う。その他人は見ず知らずの他人だけではなく、守りたい大切な人をそこにカウントさせるのだから。
やはり俺は……セレスタイン卿を見ていると、彼を羨む気持ちが大きくなる。俺は彼ほど自分が大事ではない。イグニスとの約束や自分の使命がなければ投げ出してしまうような命だ。
それに彼は執着する。何より自分が大切だと言い、死にたくないと口にする。彼は俺の知らない何かを与えられ、生きてきて……俺に欠けているそれを持っているのかもしれない。自分自身への愛着はその何かが生じさせる付加価値。それがあるから彼は自分が好きだと言えるのだろうか。
羨む気持ちは俺がそれを理解できないから。けれど解りたいと思うから俺は彼を羨むのだろう。
「俺も死なせたくない人がいます。一人じゃ足りません」
イグニスもフローリプもルクリースも。ランスとセレスタイン卿だって死なせたくない。砦の人々も……これから出会う誰かも。俺の守りたいモノは増えていく。でもそれでいい。
「だから俺は生きます。その人を守り、殺させません。少なくとも今日は。明日になればこの審判の抜け道が見つかるかも知れない。それまで生き延びる。みんなと一緒に」
生き続けよう。それが希望に続く。全てを抱えて明日へ逃げ切ってやる。
「今日が駄目ならまた明日。明日が駄目ならまた明後日……一ヶ月後とか一年後のことなんてわからない。神子のイグニスにだって見えない未来なんだ。だから俺は今見える一日を全力で守りたい。今日一日だけなら……そう思えばまだ、何とか乗り切れそうに思いませんか?」
俺の言葉に彼が返したのは言葉ではなく、無機質な輝き。
(早いっ……)
触れるは彼の左目と同じ氷の温度。
俺の首筋へと当てられた鋭い刃。それが突きつけられるまで俺に出来たことと言えば、一度の瞬き。
俺がいつか彼の従兄に死を下すなら、その前に俺を殺す。それは彼の大切な家族を守るために必要なこと。彼が本気なら、俺はトリオンフィを抜く。俺だってまだ死ねない。俺がここで死んだら誰が俺の家族を助けるんだ。
彼は俺を。俺は彼を。互いに見定めるよう視線を交わす。時間にして十秒以下。それでももっと長かったように感じた。
彼は軽い舌打ちの後すっと剣を鞘に戻し、背中を向ける。
「……運が良かったな。俺が曲がりなりにも騎士で。偽物でも、女は殺せねぇんだよ……ついでにガキもな。だが俺は気分屋だ。明日があるとか甘いこと考えてんならその首、長くは保たねぇぜ」」
いまいち本気か計りかねる彼の言葉。もし本気だったら、やってて良かった女装ありがとう女装。その一言に尽きる。
「お前を殺すのは……お前が道化師ってのを殺した後のが俺にとって都合が良い。俺じゃ道化師っての殺せねぇんだろ?だから生かしておいてやるだけだ、勘違いするなよ。ランスみてーにてめーに仕える気はねぇ。ガキに跪くなんざ虫ずが走る」
そう言い残し彼が三歩くらい歩いた頃だろうか。
ぐぎゅるるるるるるるる。間の抜けた音が辺りに響いた。
「………聞いたか?」
彼が振り返る。
何と答えるべきか。俺が思い出すのはルクリースとランスの会話。
「……そ、そう言えばアロンダイト卿が料理を作るとか言ってたような」
「聞いたのか!?」
セレスタイン卿は肩を振るわせながら顔は真っ赤。恥ずかしいよな、あれって結構。本人的に格好良く決めたつもりで退場しようと思ったその矢先にあれだ。
勿論ばっちり聞きました。なんて流石に言えない。それはあんまりだ。可哀想すぎる。
「せ、セレスタイン卿のお腹の音なんて聞いてないけどアロンダイト卿が料理を…」
「ぜってー聞いてただろお前っ!死ね!やっぱ死ね!殺す!今殺す!!……って、あいつに料理任せただと!?」
俺の首絞めにかかっていたセレスタイン卿が、俺の残した言葉に遅れて反応。我に返ってくれたようで、俺は危機から脱した。流石にこんな理由で殺されたくはない。
咳き込みながら俺は、頭を抱えるセレスタイン卿に彼の顔の蒼白理由を尋ねる。
「……え、何か……問題が?」
「あいつはなぁ!何でもそつなくこなすが料理はまずい!いや……味自体は不味くないが料理は鬼門だ!トラウマ植え付けられてぇのかてめぇ!」
*
「お帰りユーカー。お前の分もあるぞ」
賑やかな食堂。
俺たちがそこで見た物は、美形騎士が制服の上にエプロン姿に三角巾で皿にご飯をよそっているという何ともシュールな図。いや、似合ってるから余計に違和感。つか誰かツッコミ入れよう。今までみんな何やってたんだよ。辺りを見回すと食事を頂いている者の中にイグニスとルクリース。無言になりながらもりもりと食していらっしゃる。駄目だ、完全に俺のこと見えてないよあの二人。そんなに美味いのか。確かに旅の途中は乾物とか多かったけど。ツッコミ放棄は如何なものか。お前ら二人ともボケとツッコミどっちも出来る癖にやらないって言うのはどうかと思う。職務怠慢じゃないかそれ。
視線をあっちこっちに向けて挙動不審に陥った俺に「アルドール様はどのくらいよそいましょうか」とか微笑まないでくれランス。お前どこのおかんだ。本で読んだ庶民の家に生息するって言う生き物にそっくりじゃないか。な、何コレ。何か胸に込み上げてくるコレは何だ。何か、懐かしいようなそうでもないような……何コレ。
しかしそんなものは見慣れているらしいセレスタイン卿は、俺の動揺など気にも留めない。流石、家族兼従兄弟。
「くっそ………また、やりやがったな!俺は魚介類駄目って言ってるだろ!俺は肉派だ!異議ありだ!至急フライは鶏の唐揚げ、焼き魚はステーキに変えることを希望する!」
鬼門とは唯単にセレスタイン卿の好き嫌いの問題だったらしい。俺より年上が何を言っているんだろう。見た目も香りも悪くない。普通に美味しそうじゃないか。
地団駄を踏む従弟にランスは嘆息しながら尚もご飯を更によそる係。って俺そんなに食べられません。
「仕方ないだろう。遠征帰りにって湖の精が贈ってくれたんだ。鮮度の良い内に消費しないと味が落ちる」
「湖の、精?」
「……あいつ懐かれてんだよ変なのに。俺ら親元から離されて育ったし、あいつの母親代わりみたいな……俺にはあの女容赦ねぇけど」
目が点になった俺の疑問に、セレスタイン卿が答えてくれた。
「変なのとは何だ。彼女にはお前も世話になっているだろう?俺の治癒術だって彼女から教わった……ん?」
「げ…」
セレスタイン卿の切り傷に気付いたランス。彼はご飯をよそうのを止めこちらに近づく。あの、いい加減三角巾何とかしてください。
「それはどうしたんだ?」
「こ、転んだんだ!」
「転んだって言うより、木から落ちてました」
「バラすなガキぃ!!」
誤魔化すことが無理な場合は、下手に嘘を吐くより正直に話した方が良い。一部の話だけ。
セレスタイン卿的には因縁のありそうなエルス=ザインとの事を話される方が嫌だろうと気遣ったつもりだったが……どちらも駄目だとは彼もなかなか心が狭い。
従弟の無礼を早速咎めるランス。ヘラを持ったままだった彼は従弟の頭へ肘打ち。
「アルドール様だ、馬鹿」
「殴んな馬鹿!怪我心配する奴が怪我増やさすな!」
「安心しろユーカー。お前はそれ以上馬鹿にはならん。今が底辺だ。後は賢くなるだけだ」
「褒めてんだかけなしてんだかよくわかんねぇ言い方で誤魔化されねぇからな俺は!お前が俺を叩いたって事実はそんなんで消えねぇんだからな!」
この従弟はなんだかんだで仲が悪いわけでもなさそうだ。後はなるようになれと放置。これだけの料理を目の前にしては、俺の腹も空腹を訴え始める。だってみんな美味そうに食ってるしこっちも腹が減ってくる。
「くぅ~これよこれぇ!何ヶ月ぶりかのアロンダイト卿のメシは美味いなぁ!!」
「ランス様お手製ですって!?うわー良い匂い!」
食堂にかなりの人数で溢れかえっている。五,六十人は下らない。大丈夫かこの砦。食事時攻められたら終わらないかこの砦。
冷や汗をかく俺の肩を叩く手。
「大丈夫だよアルドール。ここにいるのは四分の一程度だし問題ないんじゃない?」
「ここ、そんなに人いたのか」
「元々南の砦にいた連中もこっちに来てるからね。これでも少ないモノだよ……あいつらと正面切って戦うには全然足りない」
振り向けばイグニス。シリアスな台詞を言ってはいるが、どうやらおかわりの料理を取りに来たらしい。バイキング形式の晩ご飯って……ここどこのホテル?唯の砦じゃなかったここ。
立ち寄ったあの村でも思ったが、カーネフェルは自然豊かな食の宝庫であるだけに食事はやたら豪華。豪華でなくとも素材が良いからなんでも美味い。それって最高の贅沢じゃないか。
シャトランジアまで輸出されてくるものはここまで新鮮じゃない。
目で味わえる料理という意味なら屋敷の料理も同じだけど、これはあれとは違う。あれは高級素材と職人技で見栄えと味を良くしているだけだけど、これは素材の持って生まれた輝きを殺さずに調理している。……というか素材そのものがもう美味しそう。やばい、涎出てきそう……はしたない。
でもこれだけ人の本能に訴えかけて来る料理なんてなかなか無い。人目がなければこのまま手掴みで食べてしまいたいくらい……いや、しっかりしろ俺!そんなんじゃフローリプが泣くぞ!誇りを忘れるなと彼女が言っていたじゃないか。
「何してるの君。邪魔。その料理取りたいから退いて」
「あ、わ……悪い」
イグニスはやせている割によく食べる。数術計算でカロリーを消費しているんだろうか。数術代償が家庭のお金みたいな……?
ひょいひょいと皿に盛りつけていく彼を見ながら何となく思った……その内俺より背高くなったりして。そこまで考えて負けてられないなと思い、俺も皿を手に取った。
背後ではまだ騎士従兄弟の騒ぎが聞こえていたが、食事より優先すべき事とは思えなかったので放置。
「だからってこれはねぇだろ!何だこの魚まみれの食卓は!俺に対する嫌がらせにしか思えねぇ!焼き魚に生魚サラダに炊き込みご飯(魚入り)に良い感じに魚で出しの取れた生臭いカレーにフライに」
「我が儘を言うな。お前が食べやすいよう骨は取り除いてやったというのに何が気にくわないと言うんだ」
「……そんなことまでさせてるんですかこの貴族様は」
同じくおかわりに来たらしいルクリース。ようやくツッコミという仕事を思い出してくれたよう。彼女も痩せているが結構食べる。彼女は戦ったり暴れたり重労働だし解らないでもないが。
「いえ、私が好きでやってるんですよルクリース様。以前こいつが咽に骨を詰まらせて死にかけたことがありまして……あれ以来責任を感じまして」
ランスが気にしないでくださいと笑うが、そんなことで死にかけたのかセレスタイン卿。従兄が俺たちにトラウマを暴露したことで怒りと羞恥に駆られて鯛以上金魚未満の顔色になっている。
「それによぉ!俺は生魚駄目だって言っただろ!前食あたり起こして死にかけたの忘れたのか!?」
そんなことでも死にかけてたのかセレスタイン卿。運が悪いというか……今まで何度下らないことで死にかけたんだろう。もしかしたらそのトラウマ全てが従兄の魚料理だったりして。それなら嫌いになっても仕方ないかも知れない、魚。
「俺はまだ覚えてるんだからな!昔俺が飼ってた金魚が死んだ日の夕飯に!!お前スープにあいつ入れただろ!!」
「地中に埋め分解されるよりは、あれも愛するお前のために散った方が喜ぶだろうと思ったんだ。死は別れではない、お前の血と肉となり生き続ける。子供のお前には死に脅えていたからな……そういう含みを持たせようとしたのだが……」
「子供にんなもん食わせんな!何晩俺が魘されたかわかってんのか!?何日食事出来なかったと思ってんだ!その後初陣とか本当辛かったんだぞ!夢にまで白目のあいつがぷかぷか浮いててすげーグロかったんだからな!違う意味で泣いたわボケぇ!」
「……ランスって、天然?」
「淡水育ちの天然だろうねあれは」
良く泣く子だったと門兵は言っていたが、確実にランスのせいだろうと確信した俺が居た。
「このあら汁結構悪くないよ?」
「い、いや…遠慮しとく」
セレスタイン卿のトラウマ暴露により、俺は手を伸ばしていたスープから手を引っ込めた。良い匂いがするが、ちょっと無理だ。あれを聞きながら普通にお椀に盛ってるイグニスが何だかとても凄い奴に見える。
「しかもランス!寿司に天ぷらだと!?何でタロック料理まで混ざってんだてめぇ!今俺らが誰と戦ってるかわかってんのか!?あぁ!?」
「タロック軍だろう」
「わかっててやんなボケ!」
「敵の料理を食すことで敵を喰らう……打ち勝つ的な願掛けだ。それに料理に罪はない。美味い物は美味い。それでいいと思わないか?料理方法で文句を言うとは食材に失礼だと思わないのかお前は」
「従弟に死んだペット食わせようとしたお前のが失礼だろ明らかに」
「ルクリース様のおかげでレパートリーが増えました。感謝します」
「い、いえ……」
「む、無視すんな!そーやってお前はすぐ女に色目使って!だからエレインがなぁ!っくそ!勝手にしろ!」
ランスに微笑まれたルクリースは視線を合わさないようにしながら赤面している。あのルクリースが。
「何あれ……まだ具合わるいのか?」
「彼女、美形に免疫無いみたいだね。直視すると鼻血が酷いみたい」
「ああ……さっきのは、そのせいだったのか」
「僕が数術で心拍数通常機動に戻して事なきを得たけど。まぁ、……彼だけのせいじゃないんだけどね」
「え?」
「別に、君は知らなくて良いことだよ。君も可哀想に」
「え?」
「やっぱりセネトレアは一回滅ぼした方が良いのかなぁ。いろいろ悪影響だ」
イグニスが何やら小声で呟いているがよくわからない。どうしてそこでセネトレア?
「なるほど……良いこと聞いたぜ。あの化け物女にも弱点があるとは……一応人間だったか」
「セレスタイン卿!」
「向こうの話に入れないからこっちにいらしたんですか?」
「クソ神子……俺に喧嘩売って楽しいか?」
「はい、とても胸がすく思いがしますよ」
「い、イグニス!言い過ぎだ!彼は別に何もしてないだろ?セレスタイン卿も大人げないです。イグニスはまだ十四なんです、そうムキにならないで下さい」
「へぇ、アルドール。君は親友の僕じゃなくてそっちの隻眼野郎の肩持つの?」
「い、イグニス…怖い。め、目が…凄い瞳孔開いてる」
「そう脅えないでよ?僕は唯質問してるだけだよねぇ?」
「い、イグニス?」
なんなんだ一体。早く席に戻って夕飯食べたいのに。何この生殺し。Aの呪い?最低幸福値だからって……
話ややこしくしたセレスタイン卿本人はと言えば、俺たちなんかもうお構いなし。ルクリースからかいに、ついでにランスへ仕返しに行っている。庇わなきゃ良かった。
「気をつけろよ化け物女ーランスと目合わせると孕むぜー」
「馬鹿なことを言うなユーカー…………な、何か?」
ユーカーの一言のせいで女兵士達からガン見されてるランス。
「ランス様、私孕んだかもしれません……責任とって下さいます?」
「嘘付くんじゃないわよ!わ、私のが先に孕みました!」
「ユーカーぁああ!お前っ…」
「許嫁顧みない馬鹿野郎は女に刺されて死んじまえ」
「皆様も冗談が過ぎます!そんな事で孕むわけがないでしょう!私はどこの化物ですか!大体子供という者は湖の畔に落ちてたり川から流れてきたりと精霊が…」
「お前さ……本気で言ってる?」
「……と湖の精が言ってたが、何か間違いでも?」
「てめぇ今年で何歳だ!?いい年こいて純真ぶってんじゃねぇよ馬ー鹿!!んなファンタジーあって堪るか!嘘付くな絶対お前女遊びしてるだろ!?解ってて言ってんだろ!?わかってんだからな!!お前みたいな阿呆は媚薬で幻覚見て一夜の過ちの後に子供出来て認知迫られたり、上司の奥さんに横恋慕のち浮気とか最悪なことするに決まってんだよ!んで周り巻き込んだ挙げ句出家して死ぬんだ!ばっかじゃねぇの!?」
「やけに具体例がリアルだな、身に覚えがないが」
「ああもう!何でてめーみたいな駄目馬鹿男がモテんだよ!納得いかねぇ!!」
「欠点のないところが欠点だとか、顔と声と性格と頭が良いのが欠点だと以前言われたことがあったな」
「てめーの性格は最悪だ!!」
「アルドール、料理冷めちゃいますよ?私の隣席取っておきましたからいらっしゃいな」
「え、あ…うん」
ルクリースに手を引かれ、連れて行かれた席の向かいには門兵がいた。彼は今時間交代で今は休憩のようだ。
鎧を脱いだ軽装のせいで気付かなかったが話しかけられてやっと気付いた。鎧を脱ぐとあんまり怖い印象はない。髭を豊かに蓄えたナイスミドル……というには物凄い筋肉だ。すごい……ほれぼれするような上腕二頭筋。これをぶっ飛ばしたってルクリース……
「セレスタイン卿が俺たちと食事を一緒にするなんて、何年ぶりだろうなぁ……お前さんのおかげかい?」
「いや、俺は別に何も……」
「ん……?セレスちゃんやーい!こっちの席空いてるぞー!」
セレスタイン卿が席を探しているのを目敏く見つけた門兵が彼を手招き。自分の隣の椅子をバンと叩いた。
でも今彼は何と言ったか。せ、セレスちゃん?
「その呼び方止めろって言ったろ禿げ髭バロン!」
不敬過ぎる愛称に若干キレ気味にやって来るセレスタイン卿。門兵が彼のふて腐れた表情にガハハと笑う。
「相変わらずセレスタイン卿は口が悪い。少しは従兄殿を見習ったらどうだ?」
「へへっ……いい名前だろ?俺様が付けてやったんだ感謝しろ愚民兵」
「おーおーおー偉くなったもんだ。若かりし日のセレスちゃんの世界地図を片付けてやったのは誰だったかなぁ」
「馬鹿バロン!食事中だ弁えろ!」
また一つ過去のトラウマを暴露されるセレスタイン卿を哀れみながら、門兵のあだ名に首を傾げる俺。
彼は爵位持ちなのだろうか。それなら兵士なんかじゃなくて彼も騎士?
「バロン?……男爵?」
「こいつの髭、何かんな感じしねぇ?」
そんな理由か。でも言われてみればそんな感じが……
「た、確かに……俺の知り合いの男爵さんもこういう髭の人多い」
「だろ!だろ!!」
俺が同意するとセレスタイン卿はげらげら笑う。貴族らしさを感じさせない笑い方で、何だかおかしかった。
そう言えば、彼が俺に向かって笑ってくれるのは初めてだと思う。それに気付いたら、何だか微妙に嬉しい。
俺たちに絶賛されたバロンさんはと言えば、実にノリが良い。自慢?の髭を一撫でし、にやりとほくそ笑む。
「なるほど……それではこの戦で武勲を立て、男爵でも目指してみるのも悪くない」
「はははは!門守りのお前がどうやって武勲たてるって!?」
「そこはうむ……セレスちゃんあたりが上手い具合囮になって敵を誘導してだな」
「だからセレスちゃんじゃねぇっつの!」
「騒がしいぞセレス」
「お前まで悪ノリすんなランス!」
「すみませんサラさん、此方の席いいですか?」
「構いませんぞランス様」
「シカトかよ!」
「サラさん?」
「略すと可愛いけどな、バロンはサラマンダーが本名だからあいつ」
会話から漏れると途端に親切なセレスタイン卿。逐一義務もないのに説明してくれる。意外と放って置かれるのが駄目なんだろうか。
相方の手にしているモノに目を留めたセレスタイン卿は裏返った声で彼に尋ねる。
「って何だお前の持ってるそのキモイのは」
ランスもそれにはツッコミを入れて欲しかったのか、無視を解きほくほくした笑顔でそれに答える。
「これか?これは自信作のリアル鯛焼きに魚アイス添えなるデザートまで作ってみた」
「うう……どう見てもゲテモノなのに。しかもなんか美味いのがムカツクし違和感ないのがうすら気味悪ぃ……」
ふんわりとした鯛焼きの生地の中に入っているのはリアルに焼いた鯛。白目向いてる……と思ったら白玉団子だ。どこの出目金かと思ったら……
そして魚のに入っているのが大量の粒餡。
食後ではなく食前スイーツ派らしいランス。彼の切り分けたモノをひとつもらってみたがリアルすぎてトラウマになりそうな見た目に反して意外とイケる。ミントと共に添えられているアイスに至ってはどこに魚を使っているのかわからない。塩アイスと言われた方がまだ納得できるような……
箸の進まないセレスちゃ………いや、セレスタイン卿に俺は料理を勧めてみる。フライならあまり原型を留めていないから彼も食べやすいはず。
「いや……でもこのフライとタルタルソースなんかは絶品ですよセレスタイン卿!うちの屋敷でも食べたことがないくらい…」
「アルドール様、そんな余所余所しい。こいつのことなど呼び捨てで構いませんよ」
「は!?ざけんな!てめー年下だろ!俺を敬え!敬語だ敬語!名前にしてもせめてさん付けろ!」
「……名前はいいんだ」
気安く呼ぶなとか言われそうだと思ったから長ったらしい彼の名字で呼んでたのに。
俺のため息にルクリースが肩を叩く。
「気むずかしい人ですねユーカーさんは」
「女ぁ!てめぇぜってー馬鹿にしてるだろイントネーションがおかしい!俺どこの山だそれだと!」
「あら、私としたことが。セネトレア訛りが出てしまいましたかしら?」
「せ、セネトレアぁ!?て、てめーセネトレア出身なのか!?」
「出身はカーネフェルですよ。お屋敷に拾われるまで武者修行をかねて少々。あら?騎士様ともあろう方が怖いんですかぁ?うふふふふふ」
「べ、別に怖くなんかねぇ!」
「ユーカー、食事中に席を立たない。フォークを落とさない。食べながら喋らない。お前も家名を汚したくなければテーブルマナーくらい弁えろ。はしたない」
「こんなわけわかんねー食卓にマナーなんかあったもんか!お前さっき自分の皿の料理配ってただろ!」
*
食事を終えたあとお湯を浴び、ようやくいつもの格好に戻ることが出来た。思えば長い一日だった。スカートに慣れたせいで足下に違和感を感じるとかそんなはずはないと信じたい。
窓の外はすっかり暗い。窓から吹く風が火照った肌に心地よく、下ろした髪を風に遊ばせていると背中にかかる声。
「アルドール様……おや、その格好でお会いするのは初めてですね」
「流石ランス、よくわかったな」
「主が解らないなど家臣の名折れ……正直に申しますと御髪の長さとお背の高さで」
「……十分凄いと思うけどな」
この砦に二百人近い人間が居て、その全員が金髪で。そこから俺を間違えないとは。
「それにお優しい雰囲気が感じられましたのでそうではないかと」
「……俺なんか褒めても何も出ないって」
人にはそれぞれ人体を構成する存在数がある。それは一人一人別のモノだから他人に与える雰囲気なんかも違う、それは確かな話。その差違を感じとれるランスの感覚は研ぎ澄まされているんだろう。俺はそういうのはよくわからないから、彼のそう言うところは凄いと思う。
「あ……もうしばらくしたら俺たちの部屋で作戦会議するってイグニスが言ってたんだけど、ランスも来て貰えるか?ユーカーは……無理そうだよな」
「いえ、呼べば呼んだで五月蠅いですが呼ばないと呼ばないで機嫌を損ねるので私が連れて行きます。あれも一応北部に関しては当事者ですからいないよりは居た方がいいでしょう」
「そっか、助かるよありがとう」
「いえ、感謝の言葉を言いたいのは私の方です」
俺の感謝にランスが鸚鵡返しに礼を口にする。
「従弟があんな風に人前で騒ぐのも、私と話してくれるのも本当に久しぶりでした」
「……そう、なのか?」
そんな風には見えなかったけれど。カーネフェル王のことがあって多少ギクシャクしているんだとは思ったが、それさえなければ仲の良い従兄弟で通るように見えた。しかしそれは間違いだったのか。
「近年はあんなに長く会話が続いた試しがありません。ある時からあいつが何かを飲む込むようになり、それに私が言いすぎてしまい……普通に話すことも難しくなっていました」
自らを責めるようなランスの声。
「あいつが変わったのは、親しい者の死が原因です。私はそれを知っていながら……自分の言葉を止められなかった。あいつだって王を失ったことを、苦しんでいないはずがないのに」
二人にとってカーネフェル王は父親代わりだった。そんな風に慕っていた人間をユーカーは目の前で失った。辛くないはずがない。でもそれはランスも同じはず。その場にいなかったこと程己の無力さを感じることはない。どっちの辛さが上か何かわからない。第一比べること自体が間違っている。親しい人の死はそこに想いを傾けた人間は誰だって、辛いんだから。
「また溝が開いたと思いました。けれど貴方と帰ってきたあいつは……少しだけ、吹っ切れたような……そんな印象を受けました。錯覚かも知れませんが……何だか昔に時が戻ったような感覚で」
胸のつかえが取れたよう微笑むその様は、何かを悟った諦めだ。でも俺はまだ彼に諦めて欲しくない。
「ランス、一つお願いしても良い?」
そう呟けば彼は「何なりと」と頷いた。それを確認した俺は立場を利用し、酷い命令を下した。
「死ぬために戦わないで欲しい。俺はランスに生きるために戦って欲しいんだ」
俺の言葉に彼は唖然とした表情。カードの多くは死ぬために存在している。俺の言っていることは明らかな矛盾。「Aの俺が言うのはおかしいと思う」……そう前置きをして俺は言葉を続けた。
「俺は貴方の理想とする国、未来のカーネフェルの中に……貴方もちゃんと入れて置いて欲しいんだ」
ランスは諦めている。国のため民のため……その幸せを追い求めるけれど、そこに自分をカウントしない。それじゃあ駄目なんだ。彼を失った場所がどんなに平和でも、幸せになれない人間がきっと出てくる。これだけ砦の人々に慕われている彼なのだから。
「生きることは願うことだ。生き続ける限り人は願いを生む。それでいいんだ。それが生きてるって事だと思う。願えない生なんか生じゃない。それは死だ」
だから今の彼は死のうとしている。願いを殺そうとしている。俺はそれが嫌だ。生きているのに、無理矢理自分を納得させて殺してしまおうとしているのが気に入らない。
「どんな願いでも構わない。生き続ける限り貴方はもっと強欲であるべきだ。もしもの話……貴方が生きたいと願うため、俺を殺しても……俺は貴方を恨まない。絶対に」
「アルドール様……例えが不謹慎すぎますよ」
「極論だよ。分かり易い例えだと思ったんだけど」
「分かり易すぎて……困ります。私だって人間なんです。忠義という意志で固めようと、死への恐怖がないと言ったら嘘になる。守るべき貴方がそれを暴いてどうします」
「俺は死者の国の王になりたいわけじゃない。俺が作りたいのは……誰もが同じように願える明日だ。純血も混血もカーネフェルもタロックも関係ない」
死の空想ばかり蔓延る国に幸せなんか作れない。俺はそんな玉座なんか欲しくない。
「貴方がそれを願うなら、俺は絶対貴方を見捨てない。使い捨てのカードなんかにしない。みんなで生き残るための算段を死ぬ気で考える。だから生きるために戦ってくれ」
「アルドール様…………貴方は本当に、お優しい方ですね」
曖昧な微苦笑を浮かべ、彼は俺を見る。俺の声は彼に届いているはずなのに、彼の青はより一層深い諦めを宿してしまったように見えた。
そして彼は、従弟を呼びに行きますと言い一礼。俺の元から遠ざかる。
伝えないで伝えられないままというのも苦しい。けれど……伝えても相手に響かず伝わらないというのも苦しいんだな。どちらの後悔の方がマシだろう。わからない。
*
「お帰りなさいアルドール、長湯しちゃったんですか?確かに広くていいお風呂でしたね旅の疲れも取れるくらい」
「ま、マジ?男湯は普通だったけど」
「お屋敷に比べればどこだって狭いですよ。もっともここは女兵士の方が多いですからね、こっちのが広くなってるのかもしれません。水は綺麗だし、砦に温泉湧いてるなんて最高ですね。イグニス様も向こうをお使いになればよろしかったのに」
「そうしたいのは山々なんですが、戒律が面倒なんですよ」
「聖職者っていろいろ大変なんだな、人前であんまり肌見せちゃいけないんだったか」
部屋に帰った俺を出迎えるルクリースとイグニス。ルクリースは女湯を借りたみたいだが、イグニスは聖教会の教えに反するとかで部屋に付いている小さな浴室を借りたようだ。
大浴場があるのにどうしてそんなモノがあるのかと思ったら、ローザクアを訪れる中にはシャトランジアからの使者とか旅人とか、信仰に厚い聖教徒も多い。それは彼らのためだったようだ。
男湯は今の時間は貸し切りだって聞いてなかったら俺もこっちに世話になっていたかもしれない。でもまさかカーネフェルの男子少子化に感謝する日が来るとは思わなかった。おかげで俺は肩や背中の傷を気にせずゆっくり長居出来た。ルクリースの言う通り、水が良いんだろう。髪がいつもより大人しいし肌とかも艶がある。旅の疲れも忘れてしまいそう……………そこまで考え、俺は自己嫌悪に陥った。
「ていうか君も王になる人間なんだから少しは慎みを持つように……って、アルドール?」
イグニスが俺の変化に気付いたようだ。隠してるつもりでも彼には感情の揺らぎがすぐバレる。
「い、いや……そんな良い風呂だったんならフローリプにも入らせてやりたかったなぁって。ランスの料理も美味かったし」
楽しいことがあるとどうしても……彼女の不在を感じてしまう。一歩、引いてしまうのだ。彼女が居たらもっと楽しかっただろう。彼女も喜んだだろう。きっと笑ってくれただろう。
「アルドール……」
「大丈夫ですよアルドール!フローリプ様を取り返したら即位も兼ねてまた豪勢にぱーっとやりましょう!」
俺を労るイグニスと励ましてくれるルクリース。それに新たな声が加わった。
「そん時は肉用意しろよ、肉」
「セレスタイン卿、いらっしゃったんですか」
イグニス……そんなに冷たい声出さなくても。さっきまでの優しさを欠片も残さない。そんなに嫌いなのか?
「私狩りは得意ですよ。その時は猪鹿蝶なんでも用意してあげますよ」
イグニスの容赦ない対応に哀れんだのかルクリースが彼を優しく出迎える。
食堂の一件以来、ルクリースがユーカーに同情して少し優しくなってるような気がしないでもない。でも、蝶は肉じゃないと思うんだ。何か別なの混ざってると思うんだ。場を和ますボケだろうか。それともやっぱり嫌がらせ?
どちらかは解らないがユーカーは踏ん反り返った不遜な態度を保ったまま。イグニスの対応にも慣れたのだろうか。こんな下らないことで彼の成長を感じることになろうとは……複雑な心境だ。
「アルドールがどうしてもって言うから来てやっただけだ。感謝しろ」
「ユーカー、少しは主を敬え」
「俺はこいつの部下じゃねぇし」
「即位なさればお前の主になるんだぞ?」
「そん時は辞職する。セレスタイン家は金には困ってねーし俺がニートになっても問題ねーだろ」
「お前はそうやってああ言えばこう言うっ……そんな事をしたら家名に泥を塗られるとわからないのか!?」
と思ったら今度はランスと口論。これは良い会話なのか悪い会話なのかいまいち判別出来ず、止めるべきか放置するべきか悩む。
しかしこのまま放置していたら作戦会議もあったものじゃない。そう判断した俺は一応仲裁に入ってみる。
「ら、ランス……俺は別に呼び捨てでも全然構わないんでそんなに怒らなくても」
「ホラ見ろあいつだってそう言ってるじゃねぇか」
「お前は社交辞令という言葉を知らないのか馬鹿」
「な、馬鹿って言った方が三倍馬鹿なんだぞ!」
火に油だった。
「どこの小学生だって話だね全く」
「イグニス?」
「いや、何でもない。今の時代には存在しない単語だったか。そんなことよりそろそろ始めて良いですか?僕の保護数術がこんな下らない会話のために機能してると思うと死にたくなるので」
イグニスの言葉で部屋はようやく静けさを取り戻す。ユーカーもランスも数術が何の代償もないものではないことを知っているから、だろうか。
(イグニス……)
やはり彼にも何か、負担がかかっているのだろうか。
「アルドール……?」
俺の視線にイグニスが訝しげに俺を見る。
そうだ今は彼の数術を無駄にしないためにも話を進めるべきだ。
「……イグニス、南の砦の奪回はどういう手筈でやるんだ?」
「カルディア南を占拠してるのはタロックの数術使いエルス=ザイン。彼は天九騎士の一人。役職としては第六師団長という名前はあるけど、殆ど部下は連れて歩くことはない。自由気ままな彼にとって普通の人間の部下は足枷みたいなモノだからね」
「それじゃあ南を占拠してるのは……彼の視覚数術?」
「……だったら良かったんだけど残念ながら本物みたいだ。あれは彼が召喚した兵。南部攻めを行っている同僚の兵をいくらか拝借して……ね」
卓上の地図を指さすイグニス。彼の指先が指し示すのは獅子の形に似ているカーネフェル大陸。彼の指はその尻尾の辺りにあった。
「最初に南部攻めを行ったのは天九騎士の第七師団の骰子。南端の……この地図で言う尻尾の辺り。ニルマーナって名前は覚えてる?」
「ああ、あの混血の子供の故郷だろ?シャトランジアで俺が会った……」
俺が姉さんと……船着き場で奴隷商から助けたあの混血の子供。彼の生まれ故郷がニルマーナという街だ。
覚えてる。忘れるものか。彼に会った時感じた自分という存在のの無力さ。力が欲しいと願ったのは嘘じゃない。
「そう。あの子の故郷だ。そこで……アロンダイト卿がその討伐に向かい……見事彼を討ち取った。タロック軍も撤退」
「ランス、凄いんだな」
「兵達の働きあってのことです」
「貴方ほどの人が謙遜なさっても嫌味ですよアロンダイト卿。貴方の指揮があったからと聞いていますが」
俺とイグニスの賞賛を軽く流すランス。それに嫌味に感じないどころか優雅さを感じる。本当何やっても様になる。ユーカーはと言えばふて腐れていた自分はぞんざいな扱いの癖に従兄ばかり褒めるイグニスに気に入らないと言ったところか。
「タロックの元々の目的は食料品の略奪。それが前提となっている。だからカーネフェルも最初は都から軍を出そうとは思わなかった。ローザクアからニルマーナまでかかる距離を考えれば無理もない。船でも馬でも間に合わない。辿り着く頃には蛻の殻。もう略奪も撤退も終わっている頃。近隣都市のの兵を派遣、それが王の取った対応。あの時点では間違ってなかったと思う」
「な、なぁイグニス……おかしくないか?」
イグニスの説明に俺は口を挟む。当たり前のように彼の言うそれに俺は違和感を感じていた。
「指令は単独。大勢で進むより早いのは解る。でもそれだけの距離を移動するのにやっぱり時間は必要だ。それなら奇襲の知らせを聞いてその対策を伝えるまでにも時間がかかりそうなものじゃないか」
俺の発言にイグニスがくすと笑った。
「正論だね。でも、何のために数術があると思う?どうして教会があるか知ってる?祈るためでも懺悔を聞くためだけじゃない。教会は数術使いを配置するための布石。どんな小さな村にも教会は必ず置いてある。僕らがそこに派遣する牧師はみんな数術使い。これが通信手段。彼らは情報の共有能力を持つ」
教会が情報機間?そんな役目があったなんて初耳だ。しかし言われてみれば……心当たりがある。
「イグニスがテジャスの教会に寄ったのも…」
「そう。近況を知るためだよ」
あっさりイグニスが肯定する。情報とは教会の人がその目で見たその街の情勢のことかと思っていたが実際はそれだけではなく、他の教会から受信した情報もイグニスに与えていたのだ。
「シャトランジアは表立ってカーネフェルの支援が出来ない。だからそういう風に手助けをしていたんだ。素早く正確な情報は、時にどんな剣や盾より優れた武器になる。数術に疎いタロックは、どうして情報がそんなに早く伝わるのかわからなかった。だからこれまでは奇襲したら奪ってすぐ逃げるのが専らだった」
未知の力は恐ろしい。何処まで知られているのか。内通者がいるのか。戦が長引くほど、疑心暗鬼に囚われる。だからタロックは略奪だけに専念していた。
そこまで説明したイグニスは、小さく「でも」と付け足した。
「エルス=ザイン、か」
俺の呟きに彼が頷く。
「彼は数術の原理は理解している。理論的に数術に出来ないことはないって事も。だから彼は狂王に教えた。教会を潰せと。数術使いが死ねば情報の行き来も遅くなる。個人差はあるけれど情報を飛ばせる範囲は……」
地図上の教会をイグニスは次々に円で囲む。その円はいくつかの教会の円と重なっていた。
「この円の中で情報をやり取りできる。大陸は広いからこの円を何個も経由しないと都まで情報は届かない」
円は大中小様々なものがあったが、比較的大きなものを拾っていっても都までは五つ、六つは必要だ。
イグニスは書き込んだ円を南の方から消していき、散り散りになった円と円がギリギリ重なるような形になる。これまではその円の中に小さな円が幾らでもあったのに。
「万が一何かあっても言いように至る所に配置はしているから完全に情報が途絶えることはないけれど、その速度は遅くなる。ノイズも入るし正確さも多少は落ちる。そこに侵略の隙が出来る。だから今回タロックは帰らずそのまま進軍。援軍をタロックから呼んだのもこの時だろう。一撃を終えたタロックが帰らない。いつもと違うことにカーネフェルが気付く頃、既に情報にはノイズが混ざっていた」
「ノイズ?」
「命を脅されれば数術使いだって人間。嘘の情報を流すよう脅迫されたらどうするか……常人には解らないだろうと真実を伝える人もいた。恐れに屈し、嘘を流す者も居た。どちらにしても、殺されたけど」
「そっか……みんな混血やカードみたいに媒体なしで数術が出来るわけじゃなかったんだよな」
「そう言うこと。純血の数術使いが情報のやり取りを行うには祭壇も居るし、宝石も使う。捕らえられたまま数術を発動できる人間は居なかったんだ」
自分と民の命を脅迫され、それでも真実を送ること。それは多くの人の命を救うかも知れないが、目の前の全ての人々を見捨てること。
目の前と自分の犠牲を肯定することは、聖職者でも難しかった。彼らも結局の所、一人の人間だったから。イグニスはそれを哀れむように息を吐く。
「勿論何カ所かには混血の数術使いを派遣していたから、そう言うところは上手くいった。彼らは逃げて真実の情報を送ることが出来た。彼らのお陰でシャトランジアとカーネフェルはタロックの侵略が続いていることを知った」
混血は媒体なしで数術を行うことが出来る。そんな状況下でも自分だけは逃げることが出来る、特殊能力。迫害されるのもその力のせいなんだろうな。彼らの活躍で真実は都まで届いたけれど、その裏には彼らが見捨てた犠牲が確実に存在しているのだ。
「そしてその頃には北部にも船が迫っていました。王とセレスタイン卿は北へ、アロンダイト卿は南へ……ここからは僕よりお二人の方が詳しいですよね」
「北部と南部に戦力を二分させるのが目的だったのでしょう。そして戦力の弱まった都を……一気に叩く」
イグニスに話を振られたランスが頷き、大陸中央のザビル河、そこから上の北部と下の南部を交互に指差す。
「さっき神子様が言ったように奇襲を仕掛けた骰子は私が討ち、第七師団を追い返しはしました。けれど彼らは逃げ帰ったのではない。船で大陸中央へと向かった」
ランスの指は、尻尾のニルマーナから海を渡りザビル河まで。ザビル河は大陸東西を割る大きな河だ。
けれどその流れは荒く、大陸横断はセネトレアの船でもシャトランジアの数術船でも不可能。
南部のザビル河流域には山脈が連なり、東からの上陸は北部からしか不可能。南部から上陸するには南から周り西側に出なければならない。
北部攻めを行っている者達は、東から上陸。南部攻めを行った……俺たちが遭遇したエルス=ザイン達は南を周り西へと出たのだろう。
北部攻めの者達は陸から船を運び……ザビル河を縦に突っ切るつもりだ。横断には耐えられなくてもそれくらいなら、セネトレアの技術でも不可能ではない。
「そう言えば……先遣隊が河を渡ったんだったな。あれはどうなったんだ?」
少人数とはいえそれが都を攻めてもおかしくはない。俺の疑問にユーカーが口の端を歪める。
「あいつらなら俺が討った。カルディアが封鎖されるより前だから……一週間くらい前か。俺の部下を向こうには置いておいたし、渡ってきた奴らは片っ端から殺すよう言っておいた。直線距離とはいえ、結構揺れるからな。船酔いでコンディション最悪の連中斬るのは気分悪いが、その辺容赦してたら負け戦まっしぐら。その後すぐに……カルディアを抜けた。そしたらこの有様だ」
ユーカーの発言にランスが声を荒げる。
「お前はどうして場を離れたんだ。お前と部下は違うだろう。お前には容易いことでも彼女たちだけでタロック軍に勝てると思うのか!?」
「俺の部下を舐めるな!あいつらは唯の女じゃない、俺の兵士だ!この俺が命令したんだ、絶対に最終ラインは死守してくれる!」
一見唯の傲慢な命令。けれど彼の言葉には、部下への信頼があった。彼の傲慢さ、誇りは仲間への信頼の証。
彼はそう振る舞うことで……彼女たちを信じていたいのだろう。ユーカーも絶対ラインの守りが困難であることは承知していた。けれどそれより大事なことがあると彼は、そこから離れたのだ。
「……おっさんの亡骸は見つからなかった。おっさんの命令通り見つからないようにした。だからタロックは、決定打をカーネフェルに与える事が出来ない」
「確かに……王が死んだという証拠がなければ、支配に完全には屈しないでしょうね」
ユーカーの言葉に珍しくイグニスが同意。
「亡骸が彼方に渡ったというのはデマでしたか」
「ああ。そいつは影武者の方だ。それももう腐っちまっただろうし、首を掲げても意味はない。あいつらが目を付けたのが、ランス……てめーだ。おっさんの代わりにてめーの首を都入場で掲げるつもりだったんだ。あの人の腹心だったお前なら、その決定打になるって見込まれてな」
イグニスがランスを最優先と言ったのは、ユーカーの語る言葉がその答え。都は落ちてもカーネフェルは終わらない。ランスが終われば兵の士気は確実に終わる。戦う者の士気が消えれば……今度こそ本当の敗北。
「それじゃあ……お前は私にそれを伝えるために?」
「お前は都に来るな、北上を止めろって言うはずが……何でもうカルディアにいるんだよ、馬鹿」
蟠りが解けかけた従兄弟をイグニスが取り持ち、二人に優しい言葉をかける。
「大丈夫ですよセレスタイン卿……アロンダイト卿は、もう大丈夫です。タロックにはエルス=ザインによってアルドールの存在が知れ渡っている。首を掲げるとしたら……アルドールの方でしょう」
いつもの対応があれなだけに、少し優しいことを言うと……何だかイグニスが凄くいい奴に見える。しかしその内容は俺にとっては結構不穏だ。
「エルス=ザインはアルドールを殺すことばかり考えていて暴走していますが……一度落ち着けば即位までは仕掛けてこない。カルディア攻めも都攻めもそれまではあり得ません。名もない人間を殺すより、新たな王という希望が知れ渡ったところでそれをへし折る。その方が効果的な絶望と敗北を与えられる。そう考えるはず」
「……ってことは、俺が即位するまで南の砦は仕掛けてこないってこと?」
「うん、それは保証する。唯……アロンダイト卿、貴方もご存知ですよね?」
「敵の狙いを知り早馬に乗って仲間より一足先に帰ってきましたが、私の部下も遅れて到着するはずです……唯一つ杞憂があるとすれば神子様のそれと全く同じです」
「……つかてめーも人のこと言えねぇだろ。部下置き去りじゃねぇか」
「私は私の部下を信頼している。問題はない」
「大ありだ!」
「はいはい、脱線しないでください」
イグニスは南部の……俺たちが上陸した名もない村のあった辺りを指さした。
「援軍として、南部攻めに新たに命じられたのが天九騎士双陸。僕らがカーネフェルに上陸したとき泊まった村が襲撃された。あれを行ったのはタロックに船を貸したセネトレア商人と破落戸の請負組織。それを煽動したのがエルス=ザイン。略奪をせずそのまま進軍したのが双陸率いる第四師団」
「双陸……?」
「黒髪に赤い瞳の純血貴族だって話だね。……アルドール?」
「へ、へぇ……じゅ、純血……」
俺の脳裏に思い出されるのは、空間移動の先で出会った迷子の黒騎士。本人かどうかは解らないが……彼、なんか襲撃の有無を指示出来るくらい偉いみたいだったし……あの色の濃さなら真純血で間違いないだろう。悪い感じのする人ではなかったけれど……彼とも戦わないといけないのか。仕方のないこととはいえ、俺の口からは重いため息。それに気付いたランスが俺に話しかけてくる。
「北上する際、彼らの野営地を見つけたのですが……あのまま斬り込んでいたのなら私はここにいなかったかもしれません。アルドール様のお陰です」
「俺?」
「カーネフェル王が死んだという噂や憶測……それは私の心を挫かせようとしました。けれど貴方の噂を聞く度に、カーネフェル王は我が主は生きていらっしゃるのだと信じここまで来ることが出来たのです」
「ランス……ありがとう。……ってルクリース、大丈夫か!?さっきから大人しいと思ったら」
視界に入る赤より先に気付いたのは吹き出すその音。物凄い出血だ。
鼻と口元を押さえているが彼女のその手は血まみれ。長風呂でのぼせたのは彼女の方だったのか?
近寄るとまたしても逆効果。出血が酷くなる。
「い、いえ……あのアルドールがこんな風に真面目に作戦会議なんて、なんだか立派になったと思うと感慨深いものがありまして」
「てめーの感慨深さはどうして鼻から出るんだ馬鹿女」
「それは乙女の秘密です」
「鼻血塗れの女を何処の世界で乙女って言うんだ?あぁ?」
鼻栓をしながらユーカーと言い争いをするルクリース。見た感じ、元気そうではある。心配する必要はないのだろうか。
「と…まぁ、状況は理解してくれた?話を戻そう」
一度咳払いをし、イグニスが場を仕切り直す。
「それでこのカルディアの話だけど。エルス=ザインがカルディア南を単身奇襲し、部下に外から襲わせた。その部下というのがこの双陸の部下だろう。一番近場から移動するのが簡単だから間違いないと思う。つまり南部自体の侵略者の数は変わっていない。場所が移動しただけ。逆を言うなら双陸の第四師団は手薄になったとも言える」
「双陸は天九騎士の中でも頭が固い。良い意味でも悪い意味でも。彼の目的はローザクアを落とすこと。それ以外のことは命令されていないと、実行しないようだ。彼の通り道の情報を拾ってみるとエルス=ザインが大暴れさえしなければ、唯の一度も略奪、虐殺を行っていない。実に良心的な侵略者だ」
イグニスの指先の軌跡。それは村や街を避け森ばかりを進軍する第四師団。俺の家はローザクアだと言ったから……それを落とさないことは出来ない代わりに、その他の何も落とさないようにしてくれたのだろう。食料確保に村を襲わず、全部自力で狩りや釣りを行ったのだと思うと何だか泣けてくる。いい人じゃないか。
「……何で嬉しそうなのアルドール?」
「い、いや……敵ながらいい奴だなって」
涙腺の緩み始めた俺に、隣ではイグニスが首を傾げていた。
「まぁ……そうだね。だから彼にローザクアを一時支配させるのが一番って事なんだ」
「イグニス!?」
さらりと彼からもたらされた言葉。それは俺が予想だにしないもの。
「都を明け渡す!?正気かてめぇ!」
俺と同じく動揺を現したのはユーカー一人。ルクリースとランスは無言で俺たちを見守っている。
「僕は負けようとは言っていない。これも一つの策だよ。勝つための」
「アルドール、考えてみて。都が支配されれば、カーネフェルへの侵略は終わる。戦うより明け渡すことで、民の平和を守れるんだ。双陸相手なら無血開城も容易いはず。厄介なのはエルス=ザイン。これには彼だけ遠ざける必要がある。アルドール、僕たちは彼を何としても倒さなくてはいけない。エルス=ザインには狂王、そして他の天九騎士達にローザクア陥落を知らせた後……そこを叩く」
敵を最大限利用するだけ利用して、始末する。イグニスは、一体何処まで見えているんだ?敵の感情が引き起こす行動まで彼は計算の内に含んでいる。
「天九騎士達は基本的には都を落とすために進軍している。その目的さえ果たせれば次の命令が必要。それを簡単に伝えることが出来るエルス=ザインがいなくなれば、彼らは指示に悩む。そのまま残るかタロックに帰るか。帰るなら良し、帰らないのなら僕らで追い返す。そしてタロックが再び攻めてくる前に、今度は此方が打って出る。僕らカードで天九騎士二人をどうにかする。この戦い、まだ民の出番は必要ない。民には双陸の支配の下、力を温存させるんだ」
「で、ですが神子様。相手の軍勢は此方の比ではありません」
「タロック軍は戦いたくて戦ってるわけじゃない。それは戦ってきたお二人の方がお解りのはず。頭である天九騎士さえ何とかすれば後は蜘蛛の子。統率なんか取れない。彼らが欲しがっているのは死ではなく生。彼らは生きるために戦っている。カーネフェルは食料豊か。その食料で北部のタロック軍を此方側に付けさせる。衣食住の保証……それで彼らをタロックから裏切らせます。そうすることで僕らはこの戦力差を埋めることが出来るはず」
「敵を殺すのではなく、敵を生かす……ですか?」
「敵国を褒めるようで言いにくいのですが、タロック人は恩に厚く義理堅い。お世辞にも狂王は彼らに恩など与えていない。付け入る隙は小さくないと思いますが。タロックへ帰れば虐殺に脅える日々……どちらに付くかは明らかです」
「……カーネフェルをシャトランジアのように移民を受け入れるってことか?そんなの都貴族達が受け入れるはずがねぇ」
「そうですね。簡単にはいかないでしょう。貴族達も反対するでしょう。だから一度ぶっ壊すんです」
ぶっ壊す。満面の笑みでイグニスが破壊を口にした。呆然としている俺にもう一度彼は言う、ぶっ壊すんだと。
「今の都の制度は腐敗しています。王制は名ばかりの傀儡政権、議会は都貴族だけで形成されている。彼ら以外悪法を直す権利がない。タロックの支配を受けることで現体制はすべてが無に帰す。それを奪い返しても、今と同じにはならない。させません。一度壊されたものの上になら幾らでも新しいものが作れるはずです。何の縛りも柵も必要ない」
カーネフェル人がカーネフェルを直せないのなら、敵を利用して直させる。滅茶苦茶だ。滅茶苦茶なのに……
ちらりと横目でイグニスを見れば不敵な笑み。そんな彼がとても心強いと思ってしまう自分がおかしいのだろうか。
「僕らは一度負けた振りをする事で、カーネフェル攻めの将を二人まで減らすことが出来る。エルス=ザインと双陸は僕たちカードで封鎖します」
大群のタロックは敵ではない。敵は天九騎士唯二人。
その小さな数は差し込む光明。絶望的な戦力差が、何とかなりそうに思えてしまう。
「向こうは本気で国盗りに来ている。奴らは飢えた猛獣です。美味しい餌をぶら下げれば必ず食い付きます。こっちだって生きるために本気なんだ。こんな大一番でわざわざ負けてやるなんて、普通思わないでしょう?」
隙を見せれば確実に罠にかかる。こんな状況で罠を張れるくらいの余裕がカーネフェルに無いことは周知の事実。だから、確実に釣れる。
イグニスは見えないはずの未来を、こんなにも見事に組み立てる。
「……お前の神子、とんでもねー野郎だな」
「最初に聞いた時は我が耳を疑いました……失礼ですが神子様が十四の子供とは思えません」
騎士二人はイグニスに脱帽といった表情。しかし俺はランスのその言葉の違和感に気付く。
その言い方だと、まるで……
「ランス、知ってたのか!?」
「アルドールが彼を探しに行っている間、私達は一回聞いてたんです。簡単にですけど」
「ルクリースも!?」
俺とユーカーだけ除け者?そう考え、何時その話が行われていたのか俺は悟った。
「一度に説明をしたら驚くのはアルドールだけではありませんもの、収拾が付かなくなるでしょうから。ランス様は考える時間も必要だったでしょうし」
「そっか。ランスは砦のみんなにもどうするか話さなきゃいけないもんな」
「ええ。どこまで話したものか……悩みますが」
砦のヒエラルキーで権力を持つのは騎士。ユーカーよりもランスの方が指揮には向いている。ここを守っていた他の騎士が南との戦いで散った以上……彼がこの砦を取りまとめなければならないのだ。話せるものなら話したいが、それでは真実味が失せる。わざとらしく負けてはいけない。それでも本気で戦えば無駄な犠牲が出るだけだ。さじ加減が難しい。ランスはまだ答えが出せないようだ。
「それでも、アルドールの正体くらいは話しても良いかと思います。王の真実も……何時までも隠し通せるものではありませんからね」
「ええ……解っています。それは明日、皆に伝えようと思っておりました」
「それが良いと思います。アロンダイト卿、今日はこの辺りで」
「おい、神子……ちょっといいか?」
「セレスタイン卿?」
この二人が?大丈夫なのか組み合わせ的に。絶対不穏なことしか起こらないような気がする。
この場合どっちの心配をするべきなんだろう。数術なら圧倒的にイグニスが強い。剣と純粋な力ならユーカーだろう。
しかもお互い知らないみたいだけど、どっちもコートカードだしこの二人。イグニスはハートのナイト。ユーカーは……純血のカーネフェル人だし間違いなくクラブ。クィーンはルクリースだから残っているのはナイトかキング。イグニスは互角か敗北か二分の一の確立。心配だ心配だ……イグニスの方が心配だ。
イグニスの身を案じることにした俺に、イグニスは優しく微笑んでいい笑顔。
「大丈夫だよアルドール。仲の悪い同士は一発殴り合えば大抵問題が解決するって言う法則があるんだ。ちょっとボコって仲良くなってくるから安心して」
「な、殴り合う!?」
「話だって言ってんだろ!唯聞きてぇことだあるだけだ!」
「殴り合って友情を確かめ合う。青春ですわね……」
「る、ルクリースまた血が!大丈夫か!?もう今日は休めって!」
だらだらと鼻血を再開させた彼女の手当をしている内に、イグニスとユーカーは部屋から消えていた。
手当を手伝ってくれたランスも居なくなったし、ルクリースは眠ってしまったし、俺は一人だ。
イグニスが心配で眠れない。彼が帰ってくるまで俺は何度ため息を吐けば良いんだろう。
*
「お前、未来がわかるんだろ」
彼は単刀直入にそう切り出してきた。いつか聞かれるとは思ったけれど、彼も一応空気を読んであの場では自重してくれたようで助かった。
あそこで聞かれたら話がややこしくなるところだったから。
セレスタイン卿に連れて行かれたのは僕らの部屋から大分離れた場所。一応防音結界を張っておこう。彼の声は大きいし他の兵士にも迷惑だ。
「ええ、そうですよ。審判開始からは不確定の未来のため、もう殆ど見えませんけど」
「それじゃあ……おっさんが死ぬこと、知ってたのか?」
僕の肯定に彼が詰め寄る。そう、僕はカーネフェル王が死ぬという事は知っていた。それはゲームが始まる以前のことだから。
彼もそれに気付いたらしい。気付くくらいならはじめから聞かなければいいのに時間の無駄だから。
「知ってたんだよな。アルドール……あいつが王になることを知ってるくらいだ。それはあの人の死がなければ成り立たねぇ話だ。何で、止めなかった!知ってたんなら、助けられたんだろ!」
また、これだ。何度目だろう。どいつもこいつも結局はそういう思考に陥る。
胸ぐらを掴まれてもどうって事はないけれど、僕の胸の奥は彼の言葉にズキズキ痛む。
「幸福値を、ご存知ですかセレスタイン卿」
「幸福値?……ランスみたいな奴が高いっていうあれだろ」
「一般的にはそう言う認識でしょうね。ですが本当は違います」
知ったか凡人め。顔良し性格頭身体良し。家は金持ち身分有り。アロンダイト卿のようにあらゆる分野で秀でている者は生まれながら幸福。運が良いと思われている。それを妬んだ人間がそれは幸福値が高いからだと僻んだのが始まり。
でも本当は違う。
「それは生きているだけで消費していく人の寿命のようなものです、幸運の」
人は誰しも同じ数の幸福値を持って生まれている。それを消費仕切るまでの時間が違うだけ。
「彼はそれが尽きかけていた。それが零になった時彼は死ぬことになっていた。死はどういう形で訪れるか解りません。僕が知るのは情報としての未来のみ……今はそれさえ見えない時代に入りましたが」
酷い話だとあれだ。
美しいお姫様が生まれました。彼女は頭も顔も良くとても愛らしく誰からも愛されておりました。けれどそれを妬んだ王妃様に殺されました。彼女はまだ五歳でした。
こんな話か。このお姫様は一生分の幸せを生まれた時点で殆ど使い切り、僅か五年で消費しきった。
反対に普通の家に生まれた普通の容姿の女の子。彼女は普通の人生を六十まで生きました。
彼女は同じ分だけ与えられた幸福値を六十年で使い切った。
どちらが幸せか。一度に多くの幸せを得るか、細々と長い間幸せを受け取るか。
どちらにしても幸せの数はイコール。平等なんだ。
その使い方を自由に決められないと言うことでなら確かに人は不平等。生まれながら神に死期まで操られた存在だと言うことだ。
審判が始まり未来が不確定になっているのは、カードの幸福値が操られているから。カードの幸福値は常人のそれよりずっと多い。けれどカードには危険が多い。それを回避するには幸福が要る。
それが何時尽きるか……それはカードの戦い方次第。だから未来は不確定。カードは自身の幸福を自在に消費できる。普通の人とは違って……
「情報としての、未来?」
「何月何日に何処の誰が死ぬ。そういう情報です。その死因も時間も彼の行動によって変化する。けれど彼は明日には辿り着けない。それが解として導き出されているんです」
怪訝そうなセレスタイン卿の顔。
そうか、そうだよね。見えない貴方は解らない。だから貴方は僕を信じない。見えないのに解らないのに僕を信じる……彼が、奇特なんだ。
「僕が何を言っても言わなくとも、彼は死んでいた。迂闊なことを教えれば、教会が怪しまれる。わかりますか?死の未来を知ると言うことは、知らない者にとっては唯の殺害予告なんですよ」
いつもそうだ。僕の語る未来は何時だって周りと僕を苦しめた。神子という立場を得た今だって、未来が見えない今だって……それは僕を苦しめる。
「未来の見えない貴方が僕を責めるよう、未来視の数術使いは何をしてもしなくても他人から責められるだけ。都合の良いときだけ僕を頼って、要らなくなれば全部僕のせいになる。だから僕は貴方のような自分本位の人間が大嫌いです。他人に罪をなすりつけ責任転嫁することしか出来ない人間に、僕は未来なんか教えるものか。……いえ、一つだけ貴方に未来を教えてあげますよ」
目の前の青年が僕に脅えている。未来がそんなに怖いのか。怖いよね。貴方は失うことを知っている人間だもの。
「予言しましょうセレスタイン卿。貴方は最後の一人には絶対に残れない。貴方はこのゲームで死ぬんです。願いも叶えられずに無様にね」
そうだ。僕がアルドールを守る。絶対に殺させない。だから彼は最後の一人には絶対になれない。
彼が初めてだったんだ。アルドールはいつも僕を信じてくれた。いつも、何時だって……僕を疑わずにいてくれた。それだけで僕はもう、救われていた。
だから僕はアルドールを誰にも殺させない。彼にも、彼女にも……目の前の彼にも。
「クラブのナイト。もしお前が彼に仇をなそうというのなら、僕がお前を殺す」
「……あいつの前ではへらへらしてる癖に、おっかねぇ顔するじゃねぇか」
強がってはいるけれど、彼は僕の琥珀に恐れを成している。隠しているはずのカードを僕は当てて見せた。
怖いよね。どうしてそんなことを僕が知っているのか、貴方は解らないんだもの。
僕の知る一つの未来で、彼は僕の敵だった。僕の立ち位置が変わったことで世界は変わった。それでも彼自身のカードは向こうと同じようだ。言ってみるものだね。彼脅えてる。
この世界があの世界をを完全になぞることはないけれど、未来は不確定。明日彼が僕の敵にならないとも限らない。予防線は張っておこう。
「安心しろよ。俺もてめーが嫌いだ。過去も未来も知ったこっちゃねぇが、俺は明日も明後日もてめーが嫌いだ。だがあいつが道化師って奴を殺すまでは俺も大人しくしといてやる。ぶっ殺すのはそれからだ」
「そう。それなら精々祈りなよ。道化師が一日でも長く長生きするようにって。道化師の葬儀の日が君の告別式だよセレスタイン卿!」
「神子様の葬儀はきっと派手なんだろうなぁ!シャトランジア総出でぱぁっとやるんだろ?葬式まんじゅう用意しとけよそれと肉!」
未来は不確定。そうだ、見えないからこそ面白いこともある。
この傲慢な騎士が僕のアルドールに跪くのも面白いし、僕がこの手で冥府送りにするのも悪くない。
彼の味方になるなら生かしてあげる。彼を裏切るのなら、許さない。絶対に。
さぁ、賽を投げようかセレスタイン卿。どちらの目に転んでも、僕は全然構わないんだ。
*
僕がセレスタイン卿に棘を刺し部屋に帰ると、アルドールは起きていた。
彼も疲れているだろうに、僕を待っててくれたんだろうか。いや……それなら僕が帰ったことにも気付かないなんておかしい。
(ああ、なるほどね)
彼の纏う数値は彼の正常値ではない。感情の揺らぎ。どうせまたろくでもないことを考えているに決まっている。
「アルドール?」
「うぉあ!」
すぐ傍で彼を呼ぶと、びくっと背が跳ね上がる。本当に気付いていなかったんだ。どれだけネガティブな事を考えていたんだろう。
まぁ、心当たりはある。フローリプさんと“彼女”の事だろう。
「何変な声出してるの、ルクリースさんに迷惑だよ」
「あ、イグニス」
「あ、じゃないよ。また下らないことでも考えてたの?感情数が不穏だよ。君って本当情緒不安定だよね」
「う……」
否定も肯定もしない彼。沈黙が肯定?違う。彼はまだ自分というモノがどんな人間なのか解っていないんだ。
彼は自分の意志を持つ、人間になった。だから他人を思いやることが出来るようになった。無関心ではなく、他人を受け入れることを覚えた。
けれど彼は自分がわからないまま。だから彼をよく知る僕がそういうのなら自分はそういう人間なのだと理解する。君のそれが、僕の言葉を殺すってことも……君は知らないままだ。
君は君だ。僕が何も言わなくとも既にそこに存在している。それを彼はわかっていない。
神話では二という数が生まれて初めて自分と他人が存在する。認識し合うことで彼らは初めて自分という一を知る。これはおかしい話。
出会う前から一は確かにそこにある。それなのに、それは零。二人になるまで一は零のまま。
僕が何でも見えると思っているの?見えるわけ無い。僕にだって不可能はある。
僕が万能だったら僕はもっと上手く生きられたはずなんだ。僕がこんな風になったのは、僕が無力だって証明じゃないか。
(アルドール……僕じゃない、君なんだ)
君が僕を信頼してくれるのは嬉しい。でも、君のそれは……君から人間を奪う。それじゃあ君は、人形じゃないか。僕が言う通り、僕が望む通り……僕はそんなモノが欲しいんじゃないのに。
これじゃあ、駄目だ。僕はもっと言葉を選ばないと。じゃないと……僕は変えられない。
君に押しつけるんじゃない。君に僕が与えるのは切っ掛けであるべき。後は君がそこから自分で考えなければ意味がない。僕が変わらなければ、世界は何も変わらない。
「君ってちょっと一人にしてるだけですぐそうなるんだから……今回はフローリプさんのこと?」
君は沈んだ顔で頷いた。
僕の推測を伝えれば、君の悩みは一つ消え……一つ増える。新たな悩みは君を内から壊してしまう。君はまだ弱い。だからまだ、駄目だ。今はその時じゃない。
僕は確信している。でも駄目だ。僕には言えない。僕は一度たりとも期を読み違えてはならない。僕の力は多分今回で終わり。次までは、保たない。
君を死に至らしめる要因はそこらに転がっている。それを一つ一つ回避させなければ僕は僕の願いを叶えられない。
人の身の煩わしくなんと歯痒いことか。人になった君は脆くなった。弱くなった。心がとても。
出会った頃の人形の君は心が凍っていた。僕がどんな酷いことを言っても何も感じない。けれど今の君は傷つくし、涙も流す。
足引っ張りのお荷物A。でもそれは掛け替えのない重み。それが僕の守るべきもの。
「大丈夫だよ。多分彼女は同じ事は繰り返さない」
信じる僕の言葉でも足りず、彼の翳りは消えない。彼の不安は底知れず深いもののよう。
上辺の言葉じゃ拭えない。それなら同じ深淵の闇で答えよう。君の知らない闇を教えよう。
「人間は慣れる生き物なんだ。どんな苦痛もいつか耐えられるようになる。そして快楽も同じ。同じじゃ満足できなくなる」
だから拷問は永遠に続く。階段を登っていくだけ。
苦しみに耐えられるようになった頃、向こうが飽きる。もっと楽しむためにもっと苦しめるために新たな拷問を考える。
そしてそれに耐え…慣れた頃に、向こうがまた飽きる。無限ループ。でも所詮は人間のやることだからそれを突き詰めた先にあるのは一つの死。
彼女はまだ君を殺そうとは思っていない。より君を苦しめる方法を考えているはず。
殺すならその場で殺すはず。攫うなんて面倒なことをするくらいなのだから、利用手段があると考えたのだ。それなら……彼女はまだ、生かされている。
「彼女はフローリプさんを殺しはしない。それは保証する。もし僕が彼女でも……僕は彼女を殺さない」
まだ不安気な君に僕は、君たちから教えられたことを君へ返した。
「生きてれいれば、解けない問題はない。僕が君に再会できたのもある種の奇跡。生きていればどんな凡人だって奇跡を起こせる」
それは君が強く信じるものだったのかな。感情の揺らぎが治まっていく。
それを見、僕は小さく伸び。安心したらどっと疲れが身を襲う。
この疲れやすさだけ、何とかならないものか。ならないか。もうそろそろガタが来始めてるのかも。
「即位まで襲撃はない。明日には都に向かえる。今は身体をしっかり休めて。君、今日は働き過ぎだ」
「そうだな…………って“は”…ってなんだよ今日はって!」
やっと本調子に戻ったか。そう思った途端、また君の心が揺らぐ。
「そういや……イグニスは、大丈夫か?」
「……何?セレスタイン卿となら拳じゃなくて普通に話しただけだけど」
「そうじゃなくて……いつも俺、イグニスに頼ってばかりだろ?あんまり、無理するなよ。数術だって……何の代償もなく出来るものじゃないって聞いたし」
「アルドール……」
見えない癖にどうしてこう言う時だけ……見えるかなぁ。そう言うところ、腹立たしいよ。
解って欲しいことは解らない癖に、知らなくて良いことばかり知ろうとする。
「僕を舐めてるの?」
彼を馬鹿にしたような僕の言葉は、実にいつもの僕らしい声だ。本当自分の才能に惚れ惚れするよ。君はすぐ上辺に騙される。
僕が君に嘘を吐かないとでも思っているのか。そう思っていた時期もあった。でも、それは違うんだよね。
「僕はコートカードだよ?それに神子様だよ神子様。そこらの半端な数術使いと一緒にしないでよ」
君は僕が言いたくないことは聞かない。
僕が嘘を吐いてもそれを暴かないし、尋ねない。
君は僕に騙されたとしても、絶対に僕を嫌わないんだろう?君はお人好しで馬鹿だから。
(本当……馬鹿だよ君は)
なんでよりにもよって僕かなぁ。君のそのお人好しも馬鹿さ加減も……本当は僕が受け取るべきではないのに。それが心地よすぎて……僕は僕の目的を忘れてしまいそうになる。
でも駄目だ。僕には僕の役割がある。それは僕にしかできないことだ。僕の目的は君のため。それが僕のためであってはいけない。僕は思い出すべきだ。僕と彼との距離をしっかりと。
「下らないこと言ってる暇あったらさっさと寝なよ。僕も疲れた」
突き放すような僕の言葉に、きっと君は傷ついているんだろう。ごめんって言葉も君には言えない。その歯がゆさに僕はもう一度同じ言葉を心の中で繰り返す。君に背を向けて寝床に付けば、もう君は何も言わない。
僕は君ほどいい人じゃない。だから君のそれに乗っかるよ。
僕は嘘を突き通す。君を騙そう、何度でも。
君が知らなきゃいけないことも多いけど、君が知らなくて良いことだって……この世界には沢山ある。
僕は嘘つきだ。とんでもない大嘘つきだ。それでも僕は叶えたい願いがある。言葉で成せないものを成すために、僕は行動する。
君に真実を語ることが出来ないのなら、僕はどこまでも君のために。
イグニス&ユーカー祭り。次回こそようやくバトルのはず。