13:Alter ipse amicus.
検問含め街の北側一帯に広がる壁。それがカーネフェル側の砦。状況が状況だ。検問は北側も封鎖され、街の通り抜けは出来なくなっている。そのため砦付近には人通りも無いに等しい。
話を付けてくるとセレスタイン卿は俺を降ろし、砦の門番に事情の説明をしに行った。砦には兵士達や旅人用の宿泊施設も用意されているらしく、今日はそこを融通してもらうことになった。口と態度は悪いが、セレスタイン卿は親切と言えなくもないこともないかもしれない。待たされている間俺たちは特にすることもなく……俺は周りの景色に目を向ける。
都へ向かうにはこの砦を抜けなければならないため、この造りは南側よりも厳重になっている。まさに南部における最後の砦。岩壁は堅く頑丈。しかし触れてみるとじんわり温かい。
俺が驚くと、俺の背中の向こうで笑い声。イグニスだ。
「カーネフェル産の石材は、火の元素を纏っているんだよ。だから火に強い。炎だって好きこのんで仲間は殺したくないんだろうね。つまるところ、この砦に火責めは大した意味を持たないということだよ。ザビル大河も近い。カルディアで火事が起こっても消化は他より遙かに容易いことだから」
「へぇ……」
「でもイグニス様。火の元素を纏っているのなら、逆に燃えやすそうな感じがしますけど違うんですか?」
「壱と零の違いです。この石は零の火の元素。自分の構成数を犠牲にそれを相打ち……ゼロに変えるんです」
「壱の炎の元素は生み出すモノ。カーネフェルの壱の木材は薪としては良く使えますが、家材には向かない。火事が起きたら終わりです」
「こ、怖いな……それ」
「家を建てるならシャトランジアの水の木材と石材がお勧めかな。零なら火災の際燃え広がるのを抑えてくれるし、壱は水を生じて消火をしてくれるから。でも雨期には湿気が酷いっていう欠点もあったりするのが困りものかな」
「買い物の時は数術使いがいないと紛い物押しつけられてしまいそうですね……ああ、だからか!くそっ……昔安くて儲けたと思ったのにあの不良品はそう言うことだったのか!」
セネトレア時代の思い出し怒りを始めたルクリースの横で、セネトレアの土素材は地震に強いだとかタロックの風素材は台風にも負けないとか、イグニスはいろいろ教えてくれた。
四元素の関係で建築業には数術使いの目も必要だから、教会にはそういう依頼も結構来るらしい。その目利きのイグニスから見て、この砦はかなりの出来らしい。イグニスが褒めると言うことはそれなりのレベルだということ。
火攻めは効かない。それなら必要なのは戦力。砦で働く兵士達を横目で見るが、頼り甲斐があるとはとても言えない。中には屈強な男がいないわけでもないが、皆それは中年から初老。その数も多くない。おそらく戦える者は戦へ赴き、既に無い。ここに残されたのは都を守るための必要最小限の戦力。それを補う若き力は全てが女。姉さんのように剣を持ってはいるが、おそらく実践はほとんど無い、警備用の兵士だろう。
対するタロックは女こそ生まれないが、男はいくらでも生まれる。狂王が虐殺なんて血迷ったことをしなければ、……していても戦力差は桁違い。
この差を埋めるためにカーネフェルに残されたのは数術という道。タロックは数術に疎い。弱いカード達が俺のように数術に目覚めるとしても、向こうにはイグニスのように数術概念を一から教えられる者はいない。エルス=ザインの数術はカードの四元素数術とは別物。カードに与えられた数術は零と壱の神の力。二人は聖教会の神。カードが使う数術はイグニス達聖教会の概念で構成された術。
エルス=ザインがどんなに強い数術使いでも狂王達上位カードに数術を教えることは出来ないはず。彼が重宝されているのは彼自身が実践で使えるレベルにまで秀でているから。彼以外は、全て唯の人。使いこなすより早くに叩くのが一番。彼さえ何とかすればタロックはほとんど数術を扱えない。
(……俺は、何を考えている?)
何とかするって。俺は今最悪なことを考えている。殺したくないとか恨みがないとか言っておきながら俺は今、彼を殺しておけば良かったとか……そんなことを考えている。
相手のことを何一つ知らなくても、一でも十でも知ろうとも……殺さなければならないことがあるなんて。
大多数の幸福。そのために一間引くこと。その一の不幸の先に導かれる解は、幸福。引かれた以上の多くが幸せを享受できるのなら、俺は命令しなければならない。それを、殺せと。それが、王という者なのか。イグニス。お前はこの俺に……そんな椅子に座れと言うのか。君なら出来ると、信じていると俺に囁きながら。
俺の顔色の変化に、イグニスの雑学講座が消えていく。彼がうつむく俺に話しかけるけれど、今は彼の目が見られそうにない。ちょっと疲れたと軽く笑いながら壁にもたれて目を瞑る。
他に何か方法はないか。殺さなくても上手く利用する方法は?仲間に……引き入れる?
(無理だ……)
それは直接手を下すのが嫌だから、誰かに殺させようという逃げ。死という結果は変わらないのに、狂王のためじゃなくて俺のために死んでくれと……そんな言葉で誰が俺に従うって言うんだ。
(フローリプ……アージン姉さん)
俺は家族だった二人にもそれを言ったようなものなのだ。姉さんは自分の安全への身代わり。フローリプは……俺が彼女を助けたことは、その命を失うまで俺に尽くせと命じたに等しい。
二人だけじゃない。イグニスにもルクリースにも、俺というカードはそう語っている、言外に。存在し続ける限り俺は他者を搾取していく立場。
(やっぱり、何も知らない方が良かったんだ)
言葉も視線も交わさずに、容赦なく殺し合う。名も知らぬまま地上と冥府とに別れる。それが一番の殺害関係。哀れみなんか要らない同情だって。持って良いのは怒りと憎しみ。それ以外の情を敵に与える必要などどこにもないのに。何故俺は今苦しさを覚える。あの頃のように……人形のように何も感じないでいられれば、俺はもっと楽になれるのだろうか。
(……ギメル)
君が僕にくれた贈り物は、僕に多くの幸せと不幸を運んでくれる。
初めて心を知ったときは、もっと温かくて嬉しかったはずなのに。どうしてだろう。最近は悲しいことばかりだ。泣いてばかりいる気がする。ほら、また……閉じているんだ。ぎゅっと目を瞑って泣かないようにしているのに、俺の心は"悲しい"を抑えられない。何も喋られない。今口を開いたらすべてが嗚咽に変わるだろう。二人に気付かれる。駄目だ。それは駄目だ。そうだ。もっと楽しいことを思い出そう。
そう念じて思い描く風景に、俺の涙腺はどうしようもないくらい緩んでいく。
(くそっ……逆効果だ)
その風景は確かに楽しいものばかりだけれど、そこにはここにいない人たちがいる。姉さんがいて、フローリプがいて……ギメルもいる。
でも今は……誰もいない。声が聞こえない。顔は思い出せるのに、声は聞こえない。全ては道化師の笑い声に掻き消され……俺の思い出を深紅に染め上げる。
(フローリプ……)
彼女をこの手で助けたい。絶対に助ける。もう姉さんのようなことはごめんだ。絶対に守ってみせる。
でも。だから何だ?俺は助けた彼女をまた自分のために費やす事しかできない。彼女が死ぬまで。
それは結果として俺が彼女を殺すと言うことじゃないか。助ける?助けた?聞こえの言い言葉。
私は誰と、"彼女"は俺に聞く。その答えを見つけるまで、"彼女"は何度だって同じことを繰り返すに決まっている。
俺は道化師殺しのエースカード。その俺が殺せなかった。それはつまり……
「アルドール……君って本当…………馬鹿」
呼ばれた瞬間、身体が震える。名前の呼び方、その音が……少しだけ彼女に似ていた。たぶん、振りをしてくれようとしたんだろう。思い出の中の彼女をなぞろうと。でも彼の気遣いに俺はさっきの彼女を重ねて脅えるだけ。
彼の言葉は途中で吹っ切れたよう呆れた声に変わる。それは俺へか彼自身にだったのか。代わりに彼がしたことは、俺の頭に手を置くこと。彼はそれを何度か繰り返す。宥めるように俺の頭を撫でるのと叩くのと間の強さで叩く。
その何回目かの時、手は離れずそのままぐいと前へと引いた。抱きしめられている。彼の方が背が低いから、俺は彼の肩とか首筋に涙を落としているのだろう。
目を開けたらもっと彼の服を濡らしてしまいそうだから開けられない。何やってるんだろう俺。俺のが年上なのに。
嗚咽混じりに発する疑問の声に、イグニスがすぐ傍で笑う気配。
「僕には君の顔が見えないけれど、君の感情くらい簡単に読めるって教えただろ」
そうだった。彼には感情の揺らぎさえ数字として見られてしまうのだった。今の今まで忘れていた自分の浅はかさが疎ましい。今度は自分の馬鹿さ加減に泣けてくる。
「感情の数値が限界値を突破すると、人はみんな泣いてしまうんだ。それがどんな感情でも。その数値まで数値が堪る早さは人それぞれだけど泣かない人間なんていないんだ。だから別に恥ずかしい事じゃない」
「いや……でも、恥ずかしい」
「ルクリースさんには買い物を頼んだよ。君の具合が悪そうだからって言えば一発だった。彼女のならここでも目立たないから助かる」
「……俺、こんな格好だし」
「だから別に目立たないでしょ。君もそんな格好なんだから」
一理ある。人通りのない場所とはいえ、男の格好で真っ昼間から非常に情けない。そんな俺が年下の男のに慰められてる図は更に格好悪い。
唯今の俺は変装もとい女装。女の子なら泣いててもそんなにおかしくはないよな、うん。唯イグニスが生意気かつちょっと格好いい年下少年の図になるだけだよな、うん。
変な理屈で納得しかけた俺に、イグニスがわざとらしいくらい残念そうな声で言う。
「残念だな、僕が普通の人間だったら……君の間抜け面を拝んでやれるのに」
イグニスは嘘つきだ。俺からは彼の心は、感情は読み取れない。会話はいつも俺をからかい半分で俺をおちょくる。でも、根はいい奴で優しい奴だって事を俺は知っている。出会った頃のイグニスは今よりもずっと刺々しかったけれど、何時だって妹思いのいいお兄ちゃんをやっていて……ギメルが大事で棘が周りに向いてしまうだけだった。今だって冗談や含みに彼は多くの嘘を持つ。それが俺への気遣いであり優しさなのだ、彼なりの……何時も通り。いつまで続くかも解らない今に俺が脅えていることを悟り、彼はそれを演じている。
「イグニス……」
震える両腕で抱き締め返したい。やっぱりそれは許されない。知らない方が良い。知ったら、俺はその喪失に耐えられない。
これ以上俺に何も与えないでくれ。声も言葉も温もりも優しさも……何もかもがやがて奪われるのなら、何一つ俺に贈らないでくれ。それは悲しみを生むだけなんだから。
背中を撫でる左手も。髪を梳く右手も。その体温も零の海へと奪われる。俺は運命に一度彼を奪われたのに、神って奴らは俺からもう一度彼を奪おうとしている。誰を失ったって、辛いし悲しい。でも二人のそれは他の比じゃない。一度より二度。悲しみは足し算じゃない。かけ算として俺の心を締め上げるだろう。
「姉さんもっ……フローリプもっ……ギメルもっ……いないんだ」
「…うん」
「みんな……俺がっ……俺がエースだからっ……いなくなっちゃったんだっ、俺の…傍から」
「…うん」
「イグニスもっ……ルクリースも、いなくなんてなって欲しくないのにっ……俺はっ…俺はっ」
「…うん」
「なんで、俺が……エースなんだよぉ………」
道化師以外誰も殺せない。誰も守れない。守れ、死ね、殺せと命じるだけ。なんて傲慢な。
「アージンさんもフローリプさんも……ギメルも今は君の傍にはいない。でも今は僕がいる」
「嘘だ!イグニスだって……何時かいなくなるんだろ!」
かっと目を見開く俺。その目に映るのは、それを否定しきれず悲しそうに笑うイグニスだった。
彼はすぅと息を吸い、良くも悪くも嘘のない言葉を俺へと贈る。
「僕はずっと君の傍にいる。君が良き王であろうとする限り、ずっと君の傍にいる。君が未熟な王であるなら、それを傍で支える。君が強き心の王となるまで、僕は君を一人にしない」
「強くなったら……置いていく?」
「その頃には君はちゃんと一人でも歩いていけるようになる。その頃には……君にはもっと多くの仲間が出来るよ。彼らを世界を慈しみ、良き王になれ。それが僕の願いだ……約束できる?」
「君が誓ってくれるなら僕も誓おう。その時が来るまで僕は君の臣下だ。君を守り慈しみ……我が王、私はいつでも貴方の傍に」
俺の足下に跪き頭を垂れる彼。本当に人目が無くて良かったとしか言えない状況だったが、彼のその仕草は様になっていて劇の一場面を見ているようだ。混血は狡いな。何をやっても絵になる。
「イグニス、狡い……」
俺が約束を受け入れる前に彼は一方的にそれを取り決めているようにしか思えない。勝手に忠誠を誓って、俺が約束を反故に出来ないように逃げ場を奪う。
「否定はしない……僕は僕の願いのために多くを犠牲にするかも知れない。その過程で君を何度も傷付けてしまうかも知れない。それでもアルドール、僕は何時でも願ってる。"君が幸せでありますように"」
別れたあの日、俺に呪いの言葉を吐いた彼が今……俺に祝福を語る。彼に壱の数術は使えない。ギメルの言うようにそれは真実とはならない。だからこれは彼の言うよう、唯の願いだ。
やっとまっすぐ彼を見ることが出来たのに、また視界が揺らいでいく。俺は、ようやく本当に許されたのだ。彼に。
「君なら辿り着ける。僕じゃ届かなかった世界の解まで、きっと」
「イグニス…?」
世界の解?何のことだ?
首を傾げる俺の耳に飛び込む喧噪。どうにも聞き覚えのあるそれに驚く俺は、ようやく涙が引っ込んだ。そうなればこの状況は恥ずかしい以外の何者でもなく、俺はばっとイグニスから身体を離す。
「セレスタイン卿の声だ!何かあったのかも……イグニス!」
「……彼は本当に僕の機嫌損ねるの上手いなぁ、ここまで来ると一回りして感心するよ」
先ほどまでの穏やかさをかなぐり捨てたようなイグニスの顔に浮かぶのは嘲笑。それが不機嫌そうに見えたのは気のせいだろうか。
「イグニスはセレスタイン卿のこと嫌いなの?」
「ああ、大嫌いだよ。今日も明日も嫌いだよ。過去でも未来でも僕はきっと彼が嫌いだろう」
「そ、そんなに?」
「本当は話だってしたくないし出来ることなら視界にも入れたくないな。敬語だって使いたくなんか無かったんだけど、仕方が無く…ね」
イグニスの貴族嫌いここに極めり。彼の貴族らしい上から目線が不愉快なのかも知れない。確かに彼の第一印象は、典型的な貴族の子供だ。プライドだけが高くて人の話を聞かないでなおかつ我が儘上から目線。世界の中心、自分。正直、俺も苦手なタイプと言えば苦手なタイプ。
それでも彼にはここまで運んでもらった恩とか、ルクリース一連の言葉攻めとか縛りとかあの辺の引け目もある。プライドの高い貴族相手にあんなことしたらそれこそこっちが拷問されて殺されそうなものだ。それは避けたい。極力、至極。
「セレスタイン卿!」
彼の声がする方へ急げばそこは塀と門の間の前庭。そこでセレスタイン卿は、一人の青年と対峙していた。
怒りを装う彼の震える声は、他の感情の偽装なのだとすぐにわかった。
「ランスっ!てめー探したんだぞ!なんでもうカルディアに居やがるんだ」
「ユーカー!?お前、生きてたのか!?」
セレスタイン卿の口にする名前に俺とイグニスの耳がぴくりと動く。
彼は南部から北上していると聞いたが、もうカルディアまで来ていたとは思わなかった。セレスタイン卿がカルディアの外を探していたように、それは彼にとっても意外なことだったよう。そんな俺たちを余所に、イグニスだけはあまり驚いてもいないようだった。
「ランス……アロンダイト卿!?」
「……ああ、やっぱりこっちの彼も同じだったか」
「イグニス?」
「いや、何でもないよ。彼は数術使いだって言っただけ、凄腕の。僕の探索をはじき返したんだ……それなりにやるね、彼は。セレスタイン卿が言ってただろ?数術の気配には慣れてるって」
セレスタイン卿を見る青年。その顔は信じられないモノを見るような目。幽霊でも見ているような驚愕。その後……彼は目を伏せ優しげに微笑む。そんな風に笑うと噂の通りの美形がよりいっそう際立つようだ。
青年の瞳の青はセレスタイン卿より濃い青、髪の金は彼より明るい色。今は稀少なカーネフェルの男だ。年もまだ若い。セレスタイン卿よりは年上のようだがまだ二十にも満たないだろう。
すらりとした長身。腰に差した剣は装飾美の施された一品のようだが、それまで絵になる。混血ならともかく純血でここまでの人間はそうそういない。彼の周りに光の粒子とか花びらの舞う幻覚が見えてきそうだ。俺が女だったら危なかったかもしれないな。彼の噂を語る女達のように骨抜きにされていたかも。
「ふぃぎにふ?」
頬に走る悼み。痛い痛い、痛いですイグニスさん。
俺の幸せなんちゃらとか言ったその人が俺の頬をそんな思い切り抓りますか。
「君もああいうのがいいわけ?そっかー年上ねぇ~ふぅ~ん……」
なんだかまた彼は不機嫌気味。
イグニスが何考えてるのか、また解らなくなってきたが、妹大好きなイグニスのことだ。きっと彼女への裏切りだと解釈したのだろう。
「ご、誤解だって。唯、噂通りだなって…」
「だなって見惚れてたんだ。へぇ……見惚れてたんだ」
不機嫌は次第ににやにやとした笑みにスライド。俺をからかうモードに入ったらしい。
「酷いっ!僕とのことは遊びだったなんて君はとんだ女狐だ!売女め!夜の女め!君を殺して僕も死ぬ!」
「何そのノリっ!明らかに悪ノリだよな!?俺がこの格好で上手く言い返せないの良いことに無茶苦茶に言ってるよなぁ!」
「うん、死ぬ前に一回罵ってみたかった言葉シリーズ。今の内に言っておこうかと。こんな機会滅多にないし。次は雌豚とか罵ってもいい?」
「いいはずないだろ!お、俺にだって一応プライド的なモノがあって、フローリプにもそれを大事にしろって言われてて…」
「いいだろ?お願いだよ…ねぇ?」
「うう……だ、駄目!駄目ったら駄目!」
「ち、雌豚が」
「どっちにしろ言うんじゃないか!」
一通り騒ぎを終えた俺たちは、辺りの静けさにようやく気付く。
二人の騎士。それに周りの警備兵達の視線は俺たちの馬鹿げたやりとりに何とも言えない微妙な表情。
頬をぴくぴく痙攣させている者、あんぐり開けた口がそのまま塞がらない者。ウケ狙いでやった事ではないが、滑った漫才って結構こっちも堪える。
騎士二人は美形の面目と威厳を保ちつつも、微妙な顔。アロンダイト卿は眉間にしわを寄せ、頬には一筋の汗。セレスタイン卿は目をそらしながら、羞恥に頬を染めている。関係者であることがとても嫌だと言いたげなそんな顔。
「………………ユーカー、この方々は?お前が通行許可を取りたがっていたのは彼らだったな。都の道楽貴族達に呼ばれた旅芸人か道化か何か?」
「………………いんや、……………カーネフェル王(仮)と聖教会の神子様(自称)だって」
「そうか……」
軽く頷き、目を伏せるアロンダイト卿。彼はかっと目を見開き深き支配者の青で周りの者どもに命令を下す。
「警備兵!彼らを捕らえろ!」
「ちょっ、俺もかランスっ!!」
「当然だ。お前には聞きたいことが山ほどある」
アロンダイト卿の声にわらわらと集まってくる女兵士達に槍を突きつけられた俺たちは逃げ場がない。
「まぁ、どっちにしろ話を聞いて貰えるみたいで良かった」
「そういう問題かイグニスっ!久々のベッドだと思ったのに牢とかあんまりじゃね!?」
「悔しそうな君の声は小気味良いものだから構わないよ。顔見えない分、声って大事だよね」
「そんなに俺をからかうの楽しいか!?楽しいのか!?」
「うん、とっても。僕の生き甲斐かつ趣味だからこればっかりは君にも口出しさせないよ」
「その被害被るの俺デスよねぇええええ!?」
「馬鹿かお前ら!ランスの野郎頭かてーなんてもんじゃねぇんだぞ!?牢に何日ぶち込まれるかわかったもんじゃねぇ!さっさと逃げるぞ!」
大声で俺たちの不毛な会話を遮るセレスタイン卿。彼の言葉にイグニスはカチンと来たようだ。
子供らしいところをみせてくれてもいいのにとは思ったけど、何もこんな時に出さないでイグニス。ここは我慢してくれという俺の悲痛な願いは届かず始まる不毛な会話。尊翰も包囲網は狭められていく。
「ば、馬鹿に馬鹿って言われるなんて……屈辱」
「あぁ!?そこのパッキンミックス!今俺様に馬鹿って言ったか!?」
「言いましたとも、血統書の首輪パッキンが!僕はあんたの顔を金輪際見たくなかったんですけどねぇ!」
「あ?何言ってんだいかれミックス神子様よぉ!初対面でそんな口説き文句じゃモテねぇぞ!」
セレスタイン卿とイグニスの言い争いに若干引き気味だった俺は、アロンダイト卿の方に目を向ける。彼も俺と同じく若干引き気味。俺が苦笑すると彼は目を瞬いた後、同じく苦笑。頭は固いと言うが悪い人ではなさそうだ。詳しい事情を話せばきっと解ってくれる。それならイグニスの言うよう抵抗するのは無意味だろう。そう思いその場に腰を下ろし二人の諍いに耳を傾けていた。
「生憎。僕は親衛隊侍らす神子ですよ?よりどりみどりのハーレムですとも。婚約者に死なれた永遠のDT野郎とは縁遠い世界の住民なんですよ僕は」
「なっ……」
「過去も未来もそれくらい僕には見えている。だって聖教会の神子ですから」
セレスタイン卿とアロンダイト卿の顔色が変わったのはイグニスのたった一言。それはこれまでの軽口となんら変わらないような言葉だったが、二人にとってはそうではなかったらしい。
「…………唯の旅芸人では、ないようですね」
アロンダイト卿が片手を翳し、兵士達を解散させる。人払いの意味だろう。一瞬彼の瞳が輝き、その後展開される数式。これは見たことがある。イグニスもよく使う盗聴結界。
「彼の婚約者の話、どちらで耳に?」
「貴方ほどの数術使いならばお解りでしょう?神子がどういう力の持ち主か。お望みならば幾らでも語って差し上げましょうか?過去も未来も僕に見える範囲で貴方のことも」
「…………」
「……なんて、悪趣味ですね。こちらで十分かと思いますが、如何ですか?」
イグニスがアロンダイト卿へ差し出すのは首に下げていたロザリオだ。
「先代……いえ、現神子の真名です」
それを受け取ったアロンダイト卿は十字架の裏面を見、イグニスにそれを返した後一礼し非礼を詫びる。その様子にイグニスが本物だと知ったセレスタイン卿は「げ、マジかよ」と嫌そうな顔。彼はアロンダイト卿に無理矢理頭を下げさせられもっとふて腐れた顔になる。元が良いのに、台無しだ。
首にまたロザリオを戻すイグニスに、俺はその役割を尋ねてみた。
「それ、唯の十字架じゃないの?」
「君の本の知識じゃないだろうね。国家間の機密事項みたいなものだし。これは僕の身分証明。神子は後継者に自分の真名を記した十字架を託すんだ。神子の真名は各国の主要人物しか知らない」
「それを知ってるって事は……アロンダイト卿はカーネフェルの主要人物ってことか」
「だから言ったじゃない。都なんかより大事だって」
教会最高権力者から都より大事と言われた騎士は苦笑。その権力者から馬鹿呼ばわりされた方の騎士は相方の褒められっぷりに歯ぎしり。流石に可哀想になってきて、彼を見るが八つ当たりで睨まれた。俺、何も言っていないのに。
「北上する間立ち寄った教会で、神子様の話を耳にしましたが……まさか本当だったとは。長旅お疲れのことでしょう。部屋を用意いたします」
「ランス!俺の話はまだ…」
「お前のもその時聞いてやる」
セレスタイン卿の怒りを聞き分けのない子供をあしらうようにさらっと流すアロンダイト卿。大人だ……いや、セレスタイン卿があれなだけか。
彼に案内され砦の扉を兵士が開けようとした時、背後からばたばたと駆け寄る足音、荒い息遣い。見張りをしていた女兵士達だ。
「アロンダイト卿!緊急事態ですっ!」
「敵襲か!?」
「いえ、それが……族は一人でして」
「例の数術使いか!?」
「いえ、あの子供ではなく今度は女が……」
「それが鬼のように強くて私達じゃ無理です勝てませんん!」
「門兵のおっさん軽々吹き飛ばすとかありえないですよぉ!」
「タロックめ……女人まで戦に巻き込むか」
口惜しげに言葉を発するアロンダイト卿を見ていてとてもいたたまれない気持ちになる。
だって、その侵入者の声……すごく聞き覚えがある。
「すいません……それ……多分、うちのメイドです」
*
「アルドール!!心配したんですよ!勝手にいなくならないでください!イグニス様が付いていながらまったく…」
「まったくっててめぇ……化け物か!?門兵って女が吹き飛ばせるようなもんじゃねぇぜ!?」
「すみませんルクリースさん。こちらのセレスタイン卿の喚き声に心配した貴女の優しいアルドールが駆けつけてしまったので僕も仕方なく後を…」
「まぁ、そうでしたの……おい面貸せや眼帯貴族」
「てめーら俺になんか恨みでもあんのかさっきから!」
「いえ、別に無いですけど。貴方みたいなタイプは生理的に受け付けないと言いますか。貴方がいけないんですよ。なんか私に罵られたそうな顔してるから」
「し て ね え し!」
「恨みですか、僕はありますよ」
「初対面だよなぁ!?」
通されたのは作戦会議室。部屋には机と椅子が立ち並ぶ。しかしそれに腰を下ろす者はまだいない。
それは何故か。俺はルクリースに抱きつかれていて座れない。イグニスとセレスタイン卿は壁に背を預けたまま口論を続ける。そんなイグニスとセレスタイン卿の毒舌合戦にルクリースが加わり、勝敗はいよいよ明らかになってきている。これだけ騒いでも外には漏れないとは防音数術は素晴らしいなぁ。それに盗聴防止も付加しているとかだから敵の盗聴数術も恐れずどんな話も出来るのに……何でこんな下らない話をしてるんだろう。ため息を吐く俺に椅子を勧めるアロンダイト卿。俺がそっとルクリースの腕から抜け出し座ると彼も苦笑しながら隣に腰を下ろした。
「……ず、随分と可愛らしい護衛ですね」
……の前に()で何か入ってそうなアロンダイト卿の言葉。たぶん(どんなゴリラかと思ったら)とか、そんなものが入っているに違いない。
「彼女のおかげで、何とかここまで来ることが出来ました。本当はもう一人……」
「失礼ですがお嬢さん、貴女がカーネフェル王とはどういうことですか?あの方のご血縁で?」
こんな格好だけどお嬢さんじゃありません。貴女でもありません。ご血縁でもありません。
そのどれを否定するより前に声を発したのはセレスタイン卿。
「馬っ鹿!おっさんの一族は……全員」
王族は全員死んだ。イグニスが俺を王に持ち上げようとしたのも、それがそもそもの原因。
それを知るセレスタイン卿は……王に連れ添い北部鎮圧に行っていたようだ。南部に向かっていたアロンダイト卿はその辺りをまだ知らない。噂で聞いた憶測ばかり。その中にはカーネフェル王が死んだとか、数術使いの子供がカーネフェル王になっただとかわけのわからないものばかりだったという。……うん、後半は俺の噂だろうな。
「ええ。セレスタイン卿のおっしゃる通り、カーネフェリア家は断絶しています。王には跡継ぎが居らず、血縁は全て戦で失われています」
沈痛な面持ちの彼に、イグニスが話題を振る。唯の世間話の様な話題だが、彼がそんなことをするとは思えない。
「アロンダイト卿、今年が何年かご存知ですか?」
「審判九十九年。カーネフェルの滅亡は、神の審判だと神子様は言いたいのですか?」
「違います。何もしなければ、確かにそうなります。私はそうしないために動いているのです。カーネフェルはまだ滅びておりません。終わってなど居ない。神が選んだ新たなカーネフェル王、それが彼です」
「彼……ですか?」
「野郎なんざあんた以外に誰がいるんだよ?」
それに当てはまる人物を見いだせず目を彼方此方に向ける騎士二人。イグニスは咳払いを一つした後、俺を指さした。
「…………失礼、彼女ですが……彼女ではなくて彼です。カーネフェルの男は目立ちますから」
「詐欺だぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
部屋中に響くセレスタイン卿の大声に耳を塞ぐ俺たち。何も言う気力がない俺に反し、イグニスは水を得た魚のように生き生きとしている。
「騙される方が悪いんです。というより普通"カーネフェル王"って言われた時点で気付きますよね」
それに便乗する形で、床に倒れ込み頭を抱え悶絶するセレスタイン卿を嘲笑うルクリース。
「こんな可愛い子が女のこのわけないじゃな……じゃなくて、王様が女のわけないじゃないですか」
「そこは男のロマンだろ!むさいおっさんとか春の枯れた爺さん守るよりは女守った方が何か気分的に盛り上がるだろうが!そっちの方が何か絵的に俺が映えるだろ!」
起き上がり吼える騎士の語るロマン。なんとなくわかるけど最後の一文的には解らない。フローリプの言っていた話は嘘でもないようだ。彼、顔は悪くない。俺よりは普通に上だと思う。性格が酷く残念なのであまりそんな風には見えないが。美形にナルシストが多いってのは本当だったんだな。俺たちの身の上を話したら、あの反応。彼が勘違いしているようだったのでその点の誤解を解いたらあの有様。コレばっかりはルクリースの騙される方が悪いに一票入れたいところだが、余計なことは言わないに限る。巻き込まれても正直困るし。
「なっ…!うちの子じゃ盛り上がらないって言うんですか!?男か女かだなんてあるかないかって話じゃないですか。人種差別みたいなモノですよ!んな小さいこと気にしてるから背もちっちゃいんですね!」
「な…!お、俺は平均身長だ!十六だし!まだまだこれから伸びんだよ!」
「へぇ…私と同い年で?男で?その身長?私と対して変わらないじゃないですか」
「てめーが女の癖に高いんだよ!」
「あらどうも。でも……その低さなら貴方心配ですね。彼方の方の発育もきっとあれなんじゃないですか?」
「その理論で行くとてめーのうちの子とやらもそれに当てはまるんじゃないかおい?」
「いいんですよ。私はどんなアルドールでも愛してますから」
ルクリースに口で勝てないのをようやく悟ったらしいセレスタイン卿は椅子を蹴り俺を床へと落とす。八つ当たり以外の何者でもない。
「紛らわしい格好してんじゃねーよ、う゛ぁあーか!」
「し、仕方ないだろ。指名手配されてたんだから」
起き上がりながら言い返すが、彼は聞く耳を持たない。ああ、典型的な貴族の息子だ。苦手かも……
ていうか声で気付いてくれ。そんな俺の声男らしくないか?そりゃあ野太いとは言えないけど、女みたいにあそこまで甲高くはないと思うのに。
「無礼者」
「痛っ~……ランスてめぇっ…」
ルクリースが何かやらかすより先に、アロンダイト卿がセレスタイン卿こと無礼者に一発くれてやってくれていた。
「……カーネフェル王ねぇ、こんなガキが?信じられねぇ」
「信じられないかも知れませんが、それが定められた未来なんです」
「で、こっちのもっとちっこいのが聖教会の神子様とはなぁ……で?てめーらがそうだっていう証拠とかあるのか?無いわけないよなぁ?俺にはあれだけ証拠って迫ったんだし?百歩譲って?こっちのちっちぇーのが神子だって認めても、お前の方がカーネフェル王だって?何の証拠があるってんだよ」
「ユーカー……」
「だってそうだろランス!」
「本物の僕が認めればそれだけで王にするのは容易いことなんですけどね……まぁ、僕も何の理由もなく彼を担ぎ上げようだなんて言っていませんよ。アルドール、手袋を」
イグニスに言われるまま、俺は右手の素肌を外気に晒す。掌のAを見た瞬間、セレスタイン卿は目を瞬いた。続く言葉は「何だそりゃ」。うん……まぁ、そう思うよな。アロンダイト卿はといえば、無言でじっと俺の手に刻まれたモノを凝視していた。
ちらりとイグニスに視線を向けると、彼は仕方ないなと言わんばかりに目を伏せた後、顔を上げる。上手く説明できそうにない俺に代わってくれる。
「おいおい神子様よぉ?……クラブに、エース?トランプか?」
「はい。トランプカードの殺し合いのゲーム……壱の神と零の神による神の審判。参加者の証。スートは生まれから数字は上から国の重要人物……またはそうなるべき人間」
「審判世紀の九十九年。嘘か本当かしらねーが……大昔の神子様が予言した審判の年、だろ?世界が滅ぶとかなんとかって妄執を発表して世界を狂わせたとかなんとかって処刑されたって話の。でもあんなん今時信じてる馬鹿いねーだろ。迷信みたいなもんだろ?」
セレスタイン卿の言うそれは有名な……一種の神話だ。聖教徒なら誰しも一度は耳にしたことがあるような、有名な。
でも彼の言うよう現代の人間でそれを信じているモノは殆どいない。生粋の信者でも、それは同じだ。聖教会がそれを異端だと言ったくらいなのだから。
世界はアルカナ歴という仕組みで年を数える。聖教が確立される以前の紀元前が愚者時代、その後は百年ごとに魔術師から審判まで。今年を乗り切れば来年からはずっと世界と呼ばれる時代。聖教会の教えではそこまで至ったとき壱の神と零の神の争いが終わり、世界は楽園に変わるといわれているが……こっちを信じているモノも同じく少ない。世界に蔓延る様々な問題がたった一年で解決できるなんて誰も思わない。それくらい……今の世界は腐敗している。誰もがそれを実感しているのだ。
「ええ……ですが今現在この世界は神の審判が行われています。Aは、他の国でも国の表向きのトップに与えられる数値です。僕の調べたところですとタロックのスペードのエースは狂王須臾、セネトレアのダイヤのエースは奴隷王ディスクが長子であるユリウス王子。ディスクはタロックの姫を娶ってから政治は疎か。国の中枢から離れ奴隷商人業を再開したようで、王の仕事は彼に引き継がせているようなものです。だから彼になったのでしょうね。ちなみにシャトランジアのハートのエースはシャルル陛下であらせられます」
「な、なんでんなことまでわかんだよあんた…」
「僕の配下やスパイは世界中に張り込ませておりますので、それくらいは」
「……神子様の言うエースという者は、国王……またはそれを継ぐ者に与えられる。そういう解釈ということですか」
「はい。この審判においてもっとも弱きがエース。それを簡単に殺させないための立場と権力の盾。不平等に見えて実は平等だったりするんです」
滅びの預言、神の審判。信じる者がいなくとも、それは今行われている。二人の神は……カードを用いて世界を滅ぼすつもりなのだろうか?
国の上から下まで配置した不平等な強さのカード。それが呼ぶのは災いだ。内から外から争いを呼ぶ呪われた道具。
中立を守るシャトランジアが舞台裏とはいえ動き出している。もしエルス=ザインがそれを狂王へと告げれば、タロック人国家とカーネフェル人国家の対立は表にも現れる。
俺はイグニスを信じているけれど、シャトランジア国王派まで俺の味方になったわけではない。いきなり俺のために平和の礎になって死ねだなんて言えないし、言ったところで聞き入れるはずもない。
シャトランジアは内から綻ぶ。
俺は単純にタロック側のカードを殺せば、戦争は終わり平和が訪れると思いこんでいた。しかしこのゲームが終わる頃、一体幾つの国が生き残れるのか。これは、カードだけを殺せばいいゲームではない。カードが率いる者に宿る以上、無関係の命を巻き込む。
目を背けたくなる右手の刻印。その使命の重さに負けぬよう、俺はそれをじっと見つめる。耳からはイグニスが二人の騎士に語る声が聞こえていた。
「楽園が訪れるという保証はありませんが、このゲームの勝者が狂王ならば……世界は終わってしまうことでしょう」
「つまり神子様は、教会の教えの通りの未来のためにこいつを王に仕立てて平和っぽいものを作ろうって?今世界に何国国があるかわかってんのか?ふざけんな!一国残して他国に死ねって?カードに死ねって言うのか!?」
「シャトランジアも教会の教えなんか知りませんよ」
それを神子が言って良いんだろうか。イグニスは神子の地位は唯の手段なのだと吐き捨てる勢いだった。
「でも、今の世界は変わるべき。それは確かです。このままでは遠くない未来……必ず世界は闇に包まれる。それがどんな形であれ、確実に終わります」
神子だからではなく、運命から押しつけられた役割を、彼は自分の意志を持ってそれに挑む。その果敢さに評した運命が、彼の望みに見合う力や地位を贈っているようにも見えた。
「タロックが戦争を仕掛けてきたのもこのゲームが関係しているんでしょうね。ゲームの開始前に王族全てを廃してしまえば……不戦勝。ゲームの未来を間違った解釈で捉えたのかもしれません」
「わけわかんねー…なんだよカードだのエースだの。殺し合いだのなんだって……」
「……そうですね。そうかもしれません。ですが僕の未来予知は定められた未来においては絶対です。貴方が何を認めようと認めまいと彼がカーネフェル王になるのは変わりません。そしてアルドールには大きな役割が幾つもある。そのために僕は……聖教会は彼を支援しています」
ユーカーの呟きにイグニスは絶対の未来を語る。
「ですから貴方が気に病むことはありませんセレスタイン卿。例え貴方が守りきっていたとしても……カーネフェル王は、他のどこかで死んでいたんです」
慰めか哀れみか。穏やかなイグニスの声は騎士の怒りを買った。彼の青が俺の炎のように怒りに揺らぐ。
「……神子かなんだか知らねーが、てめーに何がわかるっていうんだ。勝手なこと言うな!決まってる未来だとか、決まっていない未来だとかそんなんどうして解るんだよ!?」
未来は本来全てが定められていないはずのモノ。可能性だ。
けれど彼が一言決まっている言うだけで、行動全てが無駄になる。その過程を過ごした人々の思いなんか知らないと、容赦なく切り捨ててて。
「“その代わり、最後の一人にはどんな願いも叶えられる”」
「ランス……?」
彼の従兄の呟きは、常人が知るはずのないルール。俺たちはまだそれを教えていない。その意味を誰より先に理解したイグニスが彼へと微笑む。
「やはりご存知でしたね、貴方も」
手袋を外しそれを俺たちへを晒す彼。その手の甲には俺と同じクラブの紋章。それを目にして真っ先に動いたのはセレスタイン卿。彼は反射的とも言える早さで従兄に詰め寄る。
「何でてめーがカードなんだよ!?ふざけんなよランス!てめーが死んだらあいつはどうなるっ!」
胸ぐらを掴まれているというのに全く苦しさを感じさせない涼やかな眼差しで、アロンダイト卿は従弟を見ていた。
「……お前の話を済ませるのが先か、ユーカー。なら聞こう。あの話は真実なのだな?今神子様が言ったよう……“我が主は既に死んでいる”。そしてお前は彼を守らず逃げだし、生き延びた。俺の言葉に訂正箇所はあるか?」
「……否定はしねぇ。"おっさんは、もう死んだ"。俺は生きているし守れなかったのは事実だ」
僅かの間を置き、つかみ上げた胸ぐらかれ手を放し……殴られる覚悟を決めたようきりと顔を上げるセレスタイン卿。
その様子にアロンダイト卿は目を伏せ……彼に歩み寄り、彼の頭を撫でる。
「そうか……よく生きて帰った。従兄としてそれは素直に喜ばしいことだ」
予想外の反応にセレスタイン卿が目を見開く頃、室内に響く乾いた音。
アロンダイト卿は、時間差攻撃で彼の横っ面を思い切り張り飛ばしたのだ。不測の事態に受け身を取れなかったセレスタイン卿は、そのままバランスを崩し床へ倒れる。
「だが……同僚として言わせてもらう、お前は騎士失格だ」
酷いフェイントだ。逆だったらまだしも、このアメムチコンボは来る。
セレスタイン卿とカーネフェル王の間に何があったかなんて知らないけれど、彼がアロンダイト卿を探していたことは知っている。彼と一緒にいたのはそんなに長い時ではないが、彼がアロンダイト卿を見つけたとき、彼が安堵していたのを俺は知っている。それだけ彼を心配していたんだ。それなのに彼は俺たちの騒動に巻き込んでしまって……
そうだ。彼はエルス=ザインとの戦いでも見ず知らずの俺たちに味方してくれた。カーネフェル王を本当に見捨てていたのなら、彼はあそこでエルス=ザインとの戦いにも参戦しなかったはず。でも、彼はそうしなかった。だから俺はこれ以上黙ってみていられなくて、二人の会話に割り込んだ。
「そんな言い方…ないんじゃないですか、アロンダイト卿」
「失礼ですがアルドール様、これは内輪のことです」
「でも彼は貴方を探…」
「ガキは黙ってろ!」
セレスタイン卿本人に一喝され、俺はそれ以上を無くしてしまう。それは余計なお世話だと言われてしまったのだから。
セレスタイン卿は従兄に殴りかかろうと拳を振り上げ……それが彼の顔面を捕らえる寸前で震えるそれを止めた。行き場のない怒りが彼の内側で猛け狂う。彼はその感情のままただ吼える他、術もなく……アロンダイト卿は彼の言葉を逃げずに受け止める。
「ああそうかよ!てめーがそんなに死にたいんなら俺は止めねぇ!勝手に何処でも犬死にしやがれ!騎士様だって?嗤わせるな!てめーが死んだらあいつは…エレインどうなる!姉のアスタロットも……もう、いねぇ!お前もいねぇ!男の癖に女一人の幸せ守れねぇで何が騎士だ!てめーは立派な騎士でも、人間失格だ!」
アロンダイト卿にそう吐き捨て、セレスタイン卿は怒りを扉に思い切りぶつけ、喧しく部屋から出て行った。
彼が騒がしかった分、彼がいなくなった部屋は……音がない。こういう時に言葉を発するのは少し勇気が要る。聞きにくいことなら尚更に。
「死ぬ、つもりだったんですか?」
躊躇いがちな俺の問いかけに……アロンダイト卿は頷きもせず、首を振るでもなく……真っ直ぐな言葉を持って答えてくれた。
「私の剣は主に捧げたもの。主を守れず生き恥を晒すのは騎士の名折れ。例え負け戦でも……最後まで主のために生きて戦うのが騎士でしょう。私は人間である前に、男である前に……一人の騎士です」
「……確かに立派で格好良い騎士様ですね。でも……男としてならあっちの彼のが上かもしれませんわ、認めたくないですけど」
そんな彼と扉を交互に見つめるルクリース。彼女は何とも言えない表情で苦笑。彼ら二人を哀れんでいるようにも見えた。
扉を見ている内に腰を浮かせてしまった俺の……その両肩を押し戻すイグニス。
「アルドール、まだ話の途中」
「で、でも……」
「ああ言うのは少し頭を冷やさせた方が良いんだよ」
「イグニスはそんなにセレスタイン卿が嫌いなのか?何か刺々しいような…」
「好きか嫌いかって言ったら大嫌いだな。ああいう貴族はとってもね。第一僕より何歳年上か知らないけれど、あそこまで子供だとは思わなかった。……何、その顔?」
「いや、それは俺もそう思うんだけど……彼はとても人間らしい人なんだな。好きとか嫌いとかじゃなくて……」
「俺は、羨ましいよ彼が」
思ったことを何にも言えなくなるのが大人になるって言うことで、それをそのまま口に出来るのが子供の特権だったっていうのなら……俺はそれを殆ど知らないまま大人にならなければならない。彼みたいに立場があり本来大人に分類されるような人間が、子供のように我が儘を口にする。それに俺はある種の好感を覚えた。死んで欲しくない人に、仲間に死ぬなと言うことも許されないのが騎士という立場なら、彼は騎士失格。でもそれはとても人間らしい言葉のように思う。
俺は道化師を殺すまで生き延びなければならないエースのカード。エースという立場が俺にその言葉を奪わせる。俺は、死ぬなと言うことが出来ないのだ。俺が言わなければならないのは「俺のために死ね」という真逆の言葉。だから、俺はセレスタイン卿が羨ましい。何となく、彼を一人にすることに後ろ髪が引かれ……彼を追いたい気持ちになった。それは俺に許されることではないけれど。
それなら俺は……
「アロンダイト卿、俺は今……敵に妹を奪われています。いつ、命を奪われるかもわからない、そんな状況です。本当は今すぐ都へ行きたい。彼女を助けたい。でもその前にカルディアを……タロックの魔の手を何とかしなければいけません。もし俺がエースでないのなら……今すぐ彼女の所へ向かいたい。でも……俺はカーネフェルの、クラブのエースです。だから俺はここにいます」
隣に座る彼をじっと見つめる。自分でも驚くような落ち着いた声が口から零れる。俺は観測者のように事実を唯語っている。
これから話すことも、俺にとっては事実だと感じることだ。
「だから親しい人間の身を案じる彼の気持ちが他人事には思えません。彼が貴方を心配していたのは本当だと思います。貴方は彼が心配だったのではないんですか?」
「……………………貴方の目には、神子様とはまた違うものが見えているんですね」
アロンダイト卿の嘆息、苦笑。その乾いた笑いがこれまでで一番彼の人間らしさを感じられるものだった。騎士様ではない、彼自身の。
「心配ですよ……いつも、いつだって。従兄弟というか……兄弟のようなものでしたから」
彼の青い目はルクリースが俺を見るような優しさと、"彼女"が俺を見るような憎しみが共にそこに在る。
「我々、地方出身の騎士は家を継ぐまでは都で働き、王の下で武勇を立てます。領地に帰るのは数年に一度。そんなものです。ですから親や本当の兄弟などよりも、ずっと身近に感じていました。従弟も、我が主のことも」
「昔から従弟は気弱なところがあります。剣の腕だけならいずれ私を凌ぐはず。王もそれを買って彼に経験を積ませるべく多くの戦場へ彼を連れて行かれた。それが……裏目に出てしまった」
「幼い頃から多くの死を見てきた従弟は死に脅えるようになった。その脅えはコインの裏表のように彼を強くも弱くもする。王が北部制圧にあれを連れて行ったのは、賭でした。代われるものなら代わりたかった。それでもあいつには指揮の力がない。あいつは唯の、純粋な力でしかない。剣は操る者無くして振るうことは出来ない。あれを責めるのは筋違いと言うこともわかっていますが……それでも、もしそこにいたのが自分だったなら……そう思わずにはいられないのです」
従弟としては……彼の無事を喜ぶ心がある。けれど同じ騎士としては主を守れなかった彼の不甲斐なさに心は怒る。先に述べた言葉は彼の本心だった。
「アロンダイト卿……」
「ランスとお呼び下さいアルドール様。私の使い捨ての命でよろしければ……喜んで貴方とカーネフェルのために」
握りしめていた拳を解いた彼は、その手を俺へと向ける。
命と同じ、自らの弱点。それを他人に明かすと言うことは急所を教えるようなモノ。彼はそれを躊躇いもなく俺へと差し出す。右手の掌に刻まれたのは、上から三番目の数。
「貴方はいい目をしておいでだ。貴方ならば間違った願いを行使することはないでしょう」
「ランス……」
彼がその手を取れば、彼は恭しく膝を折り俺へ頭を下げる。今日コレ見るのは二回目だ。イグニスのそれと違かったのは、彼が手の甲に唇を落としたこと。本で読んだことはあるけれど、自他共に認める引き籠もりだった俺がそんなことされるとは思ってなかったので、物凄い情けないくらい動揺してしまった。どっちかっていうなら家を継いだら社交界とかで挨拶でする側になるんだろうと思ってただけに、まさかされる側になるなんてこれっぽっちも思っていなかった。彼の仕草がいちいち苛立つくらい様になるのがいけない。これまたいらっとする。それに対して俺はどうだ?開いた口が塞がらないし、無理矢理閉じると奥歯がカタカタ鳴るし、顔は赤いし口からは「ああ」とか「うう」とか「ええ」とかそんな寄声みたいなのが漏れてるし、……思い出しだけど、今女装させられてたんだ俺。何、情けなさ過ぎるだろう俺。
「それではよろしくお願いします、我が君」
「え、あ……は、はい。よ、よろしく!」
爽やかすぎるランスの微笑に、己の惨めさと劣等感を感じずにはいられない。その全てが羞恥に代わり、顔が熱い。そんな俺の動揺に吹き出すイグニス。彼は笑いすぎて涙目だ。く、くそう……そんなにおかしいか。ええ、おかしいだろうよ。泣きそうな顔で助けを求めるよう視線を向けた先…
「る、ルクリース!?」
俺たちを見守っていた彼女が突然くらりと立ちくらみを起こした。よく見れば鼻から血が滴っている。
「だ、大丈夫ですかお嬢さん」
それに駆け寄る騎士。流石模範騎士。女性に優しいってのは本当みたいだ。
「だ、大ジョブ!大丈夫ですってお構いなく!唯の、気候変化ですからたぶん!」
「失礼。熱もあるようだ……」
「ふぇっ!?ほ、ほんと大丈夫ですよ!?あ、あの…」
俺も遅れて二人に駆け寄る。余計悪化したようだった。鼻血は止まらないし本当に具合が悪そうに見える。
「大丈夫かルクリース……そういえば旅の間果物とか野菜ってあんまり食べる機会無かったし……栄養の偏り?」
「なるほど、すぐに何かお持ちします。食べられないものはございますか?」
「い、いえほんとおかまいなくぅ…!た、唯の……えええと疲労ですから!」
俺たちの後ろで、一人冷静に大きなため息。彼には俺たちに見えていないものが見えてるようだった。
「………血の繋がりって怖いなぁ。ああ、大丈夫ですよアロンダイト卿。この程度なら僕の数術でも治せます」
「イグニス?」
「アルドール、もう行って良いよ。気になるんでしょ、彼のこと。どうせこれ、大したことじゃないから後のことは僕がなんとかしといてあげるから君は彼を捜しておいで。ああ言うタイプってあんまり放っておいても逆に拗ねるからそろそろが頃合いだ。構ってあげて来なよ」
気を使ってくれたのに、ごめんイグニス。セレスタイン卿のこと、すっかり忘れてた。
イグニスの言葉にランスも感心と呆れを含んだ感嘆の息。従弟の性格を把握しきっている彼に「流石神子様」と苦笑する。
「……何処まで見えてるんですか貴方は。確かに……心配といえば心配です。お願いできますかアルドール様」
「え、あ……はい!俺でよければ」
兄弟が心配だって気持ちは俺も同じだ。ランスとかルクリースのことで今の今まで忘れてたとか、そんなわけではあるけれど。彼に助けてもらったお礼も言っていない。彼と話をしたいっていう気持ちはある。ここはイグニスの言うよう、彼に任せるのが一番だろう。
「あ、その前に着替えて行っちゃ駄目か?」
「ああ……彼女が悪化するから止めた方が良いよ。予言しとく。そのままでgo!」
「うう……よくわかんないけどとりあえずイグニスの馬鹿ー…」
変な捨て台詞で部屋を飛び出す俺。扉が閉まればもう何も聞こえない。数術の自動施錠さえ聞こえない。だから俺は知らない。何も知らない。そこでイグニスがにこりと微笑んだことも。
「さて、アロンダイト卿。ここからが本題です」
「都、捨てましょう!」
今回は忠誠と友情の話のはず。長くなりすぎたので区切りの良いところで。