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12:Serva me, servabo te.

 青と緑の大地に踏み入れた侵略者。

 奴らはすべてを黒へと帰す。街も、村も、森も人も……全て燃やされ黒になる。

 黒は終わりの色。その前に現れる色がある。それは何か。それは……赤だ。

 街を焼く炎にも、人が息絶える瞬間吹き出すそれにも、終わりを予言するようにそれは現れる。

 

 赤は嫌いだ。忘れたい記憶が甦る。

 視界を埋める鮮血。燃える死人花の葬列。

 二つの赤に灯る狂気に、臆される。誰だって同じだ。あいつの前に平然と立っていられるような奴もまた狂人。

 俺はそこまで狂っていない。だから俺は動けない。二本の足はその場深くに根付いた木。刈り取られるまで立ち尽くす。

 振り子のように何度も喉元を往復する死神の鎌。それがひやと咽をかすめた瞬間魔法が解ける。俺は走り出していた。

 奴は追わなかった。

 俺は逃げた。逃げて逃げて、生き延びた。

 そして知った。あの人が死んだと言うことを。

 

 あいつは知らない。まだ、誰も知らない。

 でも俺は知っている。

 カーネフェルに希望はない。ここは開け放たれた箱の中。

 その箱はとても大きく、高く俺たちの前に立ちはだかる壁。

 よじ登れない。逃げられない。

 どこまで逃げたってこの箱の中からは逃げ出せないのだ。絶望だけだ。

 ここは箱庭だ。出口なんかない。

 だから俺は走る。逃げ続ける。死んで堪るか、絶対に。

 俺は生きなきゃ行けない。どんなことを、してでも……だ。

 そうやって、逃げて逃げて逃げ続けた先……俺が見たのは、赤と青。

 

 *

 

 女は苦手だ。

 五月蠅いしすぐ泣くし我が儘だしすぐに嘘を吐く。

 俺にとって彼女たちとは、自分とは違う何かであり、得体の知れない化け物だった。

 俺が命令しているというのに、この女は事もあろうに昼寝を始めた。気絶?いやこれは誰がなんと言おうと昼寝。もしくは永眠だ。

 この俺が起きろと言って人が起きなかった前例はその二つしかない。

 

 「こら、てめっ……寝るな!くそっ……」

 

 両手に掴んだ肩は力なく、首はガクリと項垂れて。さっきまで海色を映していた両目が今は静かに伏せられていて。

 それでも俺は、それを無理矢理起こすため少女の肩を揺する。長い金髪揺れる度、同じ色の輝きが頭にちらつき、俺の苛立ちは増していく。

 掴む両手に力を入れてしまったが、起きる気配は全くない。もしかして、本当にくたばった?

 

 「どうせ寝るなら洗いざらい吐いてから死ねって」

 

 口元に片手を当ててみると、微かだが呼吸が感じられる。一応は生きているらしい。この俺様の目の前で昼寝とは、平民の娘が上等だ。

 

 「めんんどくせー……」

 

 手っ取り早くこのまま木にでも吊して頭から河に浸せば起きるか?

 時間があるならそれでも良いが……今はここを立ち去る方がいい。さっきの炎は遠くからも見えただろう。人が集って困るのは、この俺だ。

 唯でさえ最近俺と似たような年の男がタロック軍に手配されてて身動きが取れない。人違いで処刑なんかされて堪るか。

 

 「このまま引き摺ってくとか?だりぃ……」

 

 俺の口からやってらんねぇとため息が出る。それでもやるしかない、人が集まるより先に。

 こいつが何者かはわからないが、敵なら殺す。そうじゃないなら利用する。どちらにしても、これをこのままここに捨て置くのは得策とは言えない。

 

 「……ったく面倒なの拾っちまった」

 

 小さな子供ならまだしも、俺より背のない女とはいえ似たような年だ。背負ったり担いだりするより引き摺った方が早い。

 懐から取り出したロープを片手で振り回しながら俺は首を練り、それを見る。

 

(首……じゃ流石に不味いよなぁ)

 

 「足で良いか。足縛って死んだなんて話聞いたことねーし」

 

 両足首をを何度か縛り、あとは俺が犬橇の犬になったつもりでその縄を引き歩こう。

 引き摺られる際に砂利や木の根にぶつかる緩やかな衝撃が、そのうちこいつの目を覚ましてくれるだろう。そしたら自分で歩かせる。

 ずるずると荷物を引き摺りそうして数歩進んだ先、大地に転がる光るモノ。

 こいつのモノだろうか。装飾の飾られた立派な剣だが……実践向きとは言えない。

 どこから盗んできたのか知らないが、女の目は男と違い剣を見る目がないのは確か。おそらく焼けた街から金目の物を物色してきたのだろう。カーネフェルの平民の女は皆そういう目敏く意地汚い奴らばかりだ。

 

 「…………」

 

 見たところ服装は普通の軽装だ。ただ農作業には向かなそうな服だから、旅人かもしれない。

 南へ逃げる途中?橋を落とす前に運良く南へ来た人間か?

 しゃがんでまじまじとそれを見る。髪を引っ張ってみても取れない。染めているようでもない。地毛だ。こいつは一応純血のカーネフェル人っぽい。

 

 「でも……それにしちゃ」

 

 さっき見たこいつの瞳の青。俺より強い深海の青。髪だって俺と同じ?もう少し濃いかも知れない。

 赤い女は数術使い。消えたから間違いない。だとしたら、炎を出したのもあの消えた女が?

 こいつが倒れたことから推測するに、あれはあの少女がこいつに攻撃したと見るのが妥当。しかしこいつは見たところ一つの外傷もない。俺が"昼寝"と例えたくなるくらい、綺麗な無傷。服だって、焼けこげてはいない。

 

 「……こいつ、なんか持ってんのか?」

 

 荷物の手は何かを握りしめていた。そんな強い力でもない。無理矢理それをこじ開けると、黒い燃え滓。

 女の手には手袋。それさえ無傷。

 それなら……これは何だ?

 

(純血の……数術使い?)

 

 こいつは一体、何者だろう。

 純血の数術使いなんて、滅多にいない。いるにはいるが、本物と呼んでやれるレベルの使い手は城にだって数えるほどだ。本物は、9割以上が混血。

 さっきの数術。あれは間違いなく本物の奴だ。それを、純血がやってのけただって?

 

 「だぁもう……敵にしろ味方にしろ、どっちみちめんどくせぇ!」

 

 見なかったふりでここに置き去ろうか。俺様には関係ありませんってことで。あ、それいいかも。

 ぽいと縄を手放し足早に三歩。……駄目だ。後ろ向きに同じ距離を戻る俺。

 もしあの炎を出したのがこいつなら……こいつも数術使いって事で。もしこいつがタロックの手に渡ったらそれはそれで問題だ。この見た目なら、北側はきっと騙されこいつを受け入れる。置き去るくらいならここで殺した方がずっとマシ。

 

(……いや、待てよ)

 

 こいつは数術使い。それも結構な力の持ち主だ。飼い慣らし連れ歩けば役に立つかも知れない。最悪、盾にしてもいい。

 南部だってもう安全とは言い難い場所になった。ここいらにはタロックの奴らがわんさか向かって来ている。カルディアが落ち、都が陥落するのも時間の問題。橋を落としたとはいえ、セネトレアの糞共が奴らに船を貸し与えた船を使えば……

 海から都まで上ることはできないだろう。しかし近くの陸に停め、そこから船を運ぶ。後は都の目の前までやって来て直線距離で突っ切る。その程度なら余裕で奴らの船は耐えられる。

 都なんざこのまま落とされても良いのかも知れない。その場所に愛着もないし、俺は愛国心も持ち合わせちゃ居ない。

 滅ぶなら、勝手に滅べば良いんだ。都にゃ大した奴もいねぇ。守る価値もない腐れ都だ。法だ議会だって雁字搦めに縛り上げ、身動き一つ取れなくしやがって。

 王の権威も落ち、貴族の傀儡。かといって奴らはいざって時には頼りにもならない。

 命に代えても都を守れ?嗤わせんなよ。

 今度こそやばいってのもわかんねー低脳共が。何もかも騎士団に任せっきりでまだ踊り狂ってる貴族共。食うだけ食って肥えるだけ肥え、堕落を極めた醜い人種。あんな寄生虫と心中なんて趣味じゃない。

 俺のためだと言い聞かせ、俺は一度手放した縄を手に取った。そして森の外へと急ぐ。

 

 見知った感覚に酷く似ていた。呼ばれているような強い力に引き摺られ、俺の足は土を蹴った。俺は数術は使えない。それでも身近にずっと……そう言う奴が居た。だから術が発動する瞬間の、独特な空気の流れがわかる。肌がビリビリと震える。視界が一瞬光るのだ。空中に電気が走っている。鼓膜を揺らすノイズ。その先にはいつも、あいつがいた。

 やっと見つけた。そう思ったのに、俺が見たのはあいつじゃなかった。

 天まで届くような青い火柱。強すぎる熱風に俺は左目を瞑る。風が止む頃、青はなく……焼けこげた土と燃え落ちた木々、その真ん中に倒れ込んでいるこの女。それを見下す赤い服の少女。

 あれ程の数術を真っ正面から喰らっておいて、平然とその場に立ち続ける赤。

 消える寸前、赤は俺を見た。

 カーネフェルの金色の髪を宿しながら、目は俺たちのそれじゃない。暗く明るく……矛盾めいた光で煌めく琥珀の瞳。

 目があった瞬間、感じる畏怖。俺はその感覚を知っていた。

 あれは血染めの赤だった。女のそれはあれとは異なる色なのに、俺にあの日感じたモノと同じモノを与えてくる。

 女は見るからにガキだ。俺よりもずっと幼い。そいつは何の武器も持っていない。微笑んでさえ居る。

 それなのに俺は、そんな相手に戦慄していた。俺は今……肌の内側に隠してある心臓を、こいつに鷲掴みにされている。弄ばれているのだ。

 それはとても長い時間のように感じた。だが、それは瞬きにも満たない刹那。

 彼女は俺を舐めるように一瞥した後、鼻で笑った。女は俺を殺す価値もないと、嘲笑ったのだ。混血風情が、この俺を。

 

 屈辱だった。脳裏に甦る言葉がなければ、俺は選択を見誤っていただろう。

 あれは危険なモノ。俺では……勝てない。

 それを認める屈辱に耐え、俺はその場で息を潜め、赤が消えるのを待った。それが消える瞬間まで動けなかった。そう言った方がおそらく正しい。

 

 「混血……くそっ、気が治まらねぇ!」

 

 南の関所を落としたのは混血のガキだったと聞く。

 それをこの目で見なかった俺には信じられない話だったが、あいつは俺の目の前で消えた。

 そんな事が出来るのなら……いきなり現れて消えたという話も、嘘じゃないのかも知れない。あの赤い女がそうだったなら……こいつには洗いざらい吐いてもらわなくては困る。親しい間柄には見えなかったが、顔見知りであることは間違いなさそうだ。

 

 「……あ?」

 

 急に吹いた横風。髪を乱すその風に感じた悪寒。

 それが合図となったように、ズルズルと引き摺っていた重みが不意に途切れ、俺は前のめりになりかけた。

 バランスを取り戻し首をひねれば、俺と荷物を繋いでいた縄が片手の中で揺れていた。

 

 「やっと……見つけた」

 

 高い子供の声。しかし無邪気さの欠片も感じられないどす黒い殺気と憎悪、禍々しい期待を孕むそれ。

 身体ごと振り向けば、視界に入るのは金色の髪。

 ビリビリと肌が震える。空気に一瞬通る電気の色。ジーッと絶えない不愉快なノイズ音。

 俺には解る……ロープを切断したのは、数術。こいつは数術使いだ。見たところ、触媒もない。よく見れば目が青でも緑でもない。混血児。

 

(また、混血?また数術使い?)

 

 本当に、コレは何なんだコレは。やっぱり唯の女じゃないのか。

 これじゃあ盾どころか疫病神。

 

 「めんどくせーこと起こしやがって。さっさと起きろよてめー…」

 

 八つ当たりに、一応手加減をしながら女を蹴り飛ばす。荷物はまだ目覚めない。

 俺様の華麗な蹴りに、今やって来たばかりの混血は目を瞬く。

 それが何かを発する前に、ひゅと風が吹く。今度は電気を感じない。唯の風……だと思ったが、それは自然の風ではなかった。俺の後頭部に走る鈍痛。

 今のは唯の人間が作り出した風。もの凄い勢いで跳び蹴りを食らわせられたのだと気付いたのは、俺が倒れ込んだ後地面に降り立つ足を見てから。

 

 金色の髪。今度は女だ。目は青。カーネフェル人。素材の良いとは言えない服装から見て平民だろう。

 この俺を平民風情が足蹴にしただと?許せねぇ!

 

 「てめぇ……俺を誰だと……!」

 「あんたこそ、今何してたか言って見なさいよ」

 

 その声は俺が今まで聞いた女の声で、もっともドスの利いた声だった。というか女ってこんな声出せる生き物だったか?女って女って……もっとか弱くて頼りなくて……あれ?

 

 *

 

「あんたなんかに……渡さない!お父様もお母様も!この家も!トリオンフィは私が継ぐの!どうして……男だからって赤の他人が手に入れちゃうの!?私は頑張っても……届かないのにっ」

 

 小さな俺と妹。それを俺が遠くで見ている。

 歓迎の言葉は拒絶の言葉。振り払われた腕で涙を拭った。

 暗くて広い……新しい俺の部屋。そこで僕は泣いている。

 ああ……心を凍らせたきっかけは、フローリプだったのか。

 屋敷で過ごした最初の日。あれから俺は一度も泣かなかった。心を凍らせ生きていた。あの日ギメルと出会うまで。

 

 ギメルとイグニスに出会ってから、楽しさで悲しみの記憶を塗り替えた。忘れたんじゃなくて、思い出すこともなくなった。

 けれど二人を失って、沈んだ心が連鎖的に引きずり出すのは辛い記憶ばかり。

 フローリプと出会った日の記憶。まだ忘れられない、小さな傷だ。

 肌に刺さった棘。それを抉る勇気が無くてそのまま放置したせいで、いつまでもその棘は俺の中に存在し続ける。それが時折思い出しだ様に鈍い痛みを放つのだ。

 俺も妹も子供だった。

 でもあいつの方が先に大人になったのだろう。俺がいつまでも子供っぽい感傷を引き摺っていただけだ。

 あいつは口数は少なく、何を考えているのか解らない奴だったけど……何時からだろう?俺を気にかけ始めた。心配してくれるようになった。

 だから本当はもっと早く分かり合うことも出来たはず。それを拒んでいたのは、俺の方。心を閉ざし、他人であることを望み続けた。

 俺は奪うためにあいつの兄になったんじゃない。あいつだって奪われるために俺の妹になったんじゃない。殺し合うために出会ったんじゃない。

 

 

「私にも、できることがあるのだな」

 

 そう言ってフローリプは笑ってくれた。

 奪い合うんじゃない。憎しみ合うんじゃない。支えられたり支えたり……何かを与え、与えられる存在。それが本当の兄妹。

 それなら俺たちは、ようやく互いが兄妹なんだと互いに、自分自身に認められたということ。

 いつも後悔ばかりが、後から押し寄せる。悔いても悔いても時間は戻らない。止まらない。

 

 あいつは俺を助けてくれた。船でも、今も。

 今度は俺が助ける番。絶対に助け出す。じゃないと俺は、あいつの兄を名乗ることも出来なくなるんだ。

 これ以上、時は止められない。

 

(フローリプ……)

 

 彼女の名前を呟けば、視界が明るく開け……針は再び動き出す。

 

 

 *

 

「……とっとと吐きなさい!」

「てめぇ……良い度胸だなおい!」

「あらぁ?良い度胸なのは貴方の方じゃありません?……むしろ、良い格好と言った方がいいかしら?」

「……さっさと解け!ぶっ殺す!」

「馬鹿ですか?そんなこと言われて解く馬鹿なんかいませんよ」

「……今なら半殺しで勘弁してやるよ、女ぁ!」

「あら、素敵なレディファーストもあったものですね。もち、却下」

 

 これはどういう状況?

 目を開けた俺の傍にはイグニス。場所は馬車。

 声の聞こえた方に視線をやれば、ルクリースがいて……木に何かを吊し上げている。

 手を胸の前で交差させた状態の上半身を縄で拘束、さらに両足を縛られ逆さまになっているのは一人のカーネフェル人。深い金色の髪に隻眼ではあるが、空色の青。間違いない、カーネフェル人だ。

 カーネフェルに来てはじめて見る……若い男。俺より背は高い……何歳かは年上。それなのに彼は青年と呼ぶよりは少年と言った方がなんだか、"らしい"。

 ルクリースに言い返す様が、ギャンギャン吼える子犬みたいで子供じみて見えるからか。

 

「やっと起きた?」

 

 二人のやりとりをぼーっと見つめる俺に気付いたイグニスが声をかけてくる。一瞬、身体が強張のが解る。それが解ければ今度は右手が震え出す。彼女を燃やした記憶が残っているその掌。開けば靴の燃え滓。それにその手がガタガタ鳴り出して……俺は震える右手を背中に隠す。

 彼は悪くない……でも、目の色髪の色……顔の作りだってうり二つ。

 唯一の救いは声だ。イグニスの声は彼女のそれより低いのだ。もう少し彼の声を聞いていれば、この腕の震えも治まるだろう。

 

「い、イグニス」

 

 少し裏がったような俺の声。落ち着け、落ち着け。大丈夫。大丈夫なのに。

 

「そいつ……誰?」

「え?こいつじゃないんですかアルドール!?」

 

 俺の言葉に面食らったように振り向くルクリース。イグニスは別に驚きもせず、ああと頷いた。何がああなのか親友の俺にも解らない。適当な相づちには見えなかったが。

 俺の発言で自身の濡れ衣を完全に悟った青年は、噛み付くように声を荒げた。

 

「つかてめーらが何なんだよくそっ!俺様が誰か解ってこんなことしてんのか?」

「さぁ……誘拐犯の一味、置いてけぼりをくらった可哀想かつ私みたいな美女に拷問されてる羨ましい人ですか?」

「んなわけねーだろヴォケぇ!ここが俺の領地じゃなくて良かったなぁ?あそこなら今頃お前ら処刑用の焼鉄の女神とfuckで昇天してる所だ」

「イグニスさまー蝋燭あります?縛りと言葉責めだけじゃ駄目みたいです。この殿方は痛いのと火責めをご所望らしいので」

「ええ、ありますよ。旅には何かと入り用ですからね」

 

 笑顔で怖いこと言い出したこいつら。無関係の人相手に何言ってるんだ。

 フローリプのことを心配してくれる気持ちは嬉しいが、……妹が連れ去られたのはこの人じゃなくて俺のせいだ。

 俺が正体を見破れなかったから……だからなんだ。

 

「ふ、二人とも……ほんと、違うんだ。この人のこと俺知らないし……放してやってくれ」

「そ、そーだそーだ!良いこと言うじゃねぇか、農民の娘にしては」

 

 俺の言葉に一瞬考えるような表情を見せたルクリースだったが、すぐにまた元の笑顔に戻る。

 

「農民の…娘ぇ?うちのアルドールは確かに可愛いですけど、……こいつ不敬罪と侮辱罪で死刑にしちゃって良いですかイグニス様?」

「お気持ちは解りますが、ここはこの蝋燭で我慢してください。カーネフェルの男は貴重ですから」

「仕方ありませんね……火責めで勘弁してやります」

「放せ放せ放せ!つか離れろ!来るな、近寄るな!」

「ルクリース……フローリプを連れて行ったのは……"道化師"だ。その人は関係ないんだ」

 

 それ以上見ていられなくて、口を挟む俺。"道化師"の名前はよく効いた。ルクリースは動きを止める。

 

「……"道化師"?」

 

 青年がそれに眉をひそめると、ルクリースに時間が戻る。鬼のような形相だった。

 それが向けられたのが自分でなくて良かったと思ってしまうような、凄い顔だった。青いはずの瞳から感じるのは燃えたぎるマグマの温度。

 

「またあの女ですか……つまりこいつはあの女の手先って事ですね…………なら、火責めなんか生温いですよねぇ!そうですねぇ……コレはブーツだけ残して全裸に剥いた後、このぶっとい蝋燭を下の口からぶっ刺して着火。もっかい逆さ吊り。お子様には目の毒なので、二人は馬車に戻ってくださいね」

「なっ……てめーらの仲間だろ!?この痴女なんとかしやがれ!」

「仲間……ですか」

「仲間……だけど」

 

 今この一瞬だけは仲間でいたくないような。

 というか止めたらこっちまで火の粉が降りかかりそうな雰囲気だ。下手なことは言えない。曖昧な返事の俺たちに、青年の怒りは頂点に達した。

 

「俺様が宮廷騎士団ロードナイトが一人!セレスタイン卿だって知ってのことか!?てめーらこそ不敬罪でぶっ殺してやる!」 

 

「え……宮廷騎士団!?」

 

 彼の格好は騎士らしい鎧でもないし。普通の人に見えた。……が、そんなことも言えないか。俺だってこんな格好をしているんだ

 

「ロードナイト?こんな坊ちゃんがですか?」

「ったく!今日は本当ツイてねぇ……カルディアは通れなくなってるし指名手配の奴と間違われて黒髪に追われるわ……最悪だ!」

「ああ………」

 

 今言っても状況をややこしくするだけなので言わなかった。代わりに俺は心の中でごめんと謝る。彼は俺に間違われたのだろう。

 同情の念を浮かべる俺だったが、彼女は俺ほど甘くない。青年を一瞥し、地面に唾を吐き捨てる。

 

「嫌です信用できません。却下」

 

 苦し紛れの言い訳だと吐き捨てルクリースが鼻で笑うと、青年はぎりと奥歯を噛み鳴らす。その悔しげな様が負け犬ではなく、手負いの獣に見える気性の荒さ。

 彼はまだ起死回生の機会を狙っている。爪はなくともまだ牙がある。迂闊に近づけば噛み砕くと、その青が語っている。

 

「…………この人は本物だと思う」

「え、ちょっとアルドール!いくら人を信じなさいって言ったからってこんな誘拐犯まで……」

「どうしてそう思う?」

「目がなんか、そんな気がする。彼の青は……誇りを忘れていない。彼は……率いる側の人間だ」

 

 フローリプもきっとあの時、こういう目をして見ていたんだろう。俺と"彼女"を。

 

「(自称)セレスタイン卿(仮)、……騎士団の身分証にブローチがありませんでしたか?」

「なぁんか今の言い方気にいらねぇ。また混血だしよ……なんなんだ今日の混血ラッシュは」

「あら、こんなところに丁度いいサンドバッグ。蹴りとナイフ投げの練習どっちにしましょうか」

「……上着の内側だ」

 

 青年の上着を探れば、青い薔薇の花その周りに三枚の葉で飾られた三つ葉薔薇の紋章があった。その三つ葉にカーネフェルのクラブの紋章の面影が見られる。

 それを外し、裏返し……刻まれた文字を確認したイグニスが顔を上げルクリースに視線をやった。

 

「ルクリースさん、降ろしてあげてください。この人は本物です」

 

「ざまぁみろ」と勝ち誇った笑いを漏らす青年に、ルクリースは彼と枝とを繋いだ縄を支えもなしにナイフで切る。

 頭から落下する!……それが俺の想像した数秒後の未来。けれど彼はそれに従わなかった。

 両手両足が使えない彼は、身体を捻り…折り曲げ…両足で華麗に着地。俺には無理だ。三階から飛び降りたときだって、下は衝撃緩和材があったとはいえ酷い落ち方をした。死んだふりが成功するくらい情けない落ち方だったのだ。

 その鮮やかな着地に俺は魅せられ言葉を無くしていた。自分に出来ないことを軽々とやってのける人間を目の前にすると、嫉妬を通り過ぎて羨望というか脱帽だ。

 ルクリースに両手を突き出し目をつり上げる青年に、イグニスが近づく。それに気付いた青年は、イグニスに言った方が早いと彼の方を向く。

 さっきから最終的な決定を下していたのがイグニスだと思い出したのだろう。

 

「こっちもさっさと解け!俺は忙しいんだ!今なら半殺しで許してやるよ」

「セレスタイン卿といえばアロンダイト卿と懇意だったはず。彼の居場所、教えていただけませんか?」

「懇意って……そんなんじゃねーよ。唯の従兄弟だ!」

 

 嘆息しながら嫌そうにそう語る青年セレスタイン卿。その様子に懇意って言葉はしっくり来ない。

 

「大体俺は……あいつを探してるとこだったってのにお前らが邪魔してんだろ!数術の気配がしたからあいつだと思ったのに……」

「なんだ、役立たずですか」

 

 くすと零した笑みで青年を嗤うルクリースに、青年は再び歯ぎしり。

 髪を揺らす風に身を任せながら、俺はどうしたモノかと息を吐く。

 

「つかさぁ、てめーら何もんだよ?例えあいつの場所知ってても、怪しすぎて教えられねーよ」

「五月蠅いですよ、役立たず」

「てめー……ほんとに今に見てろ」

「大体貴方が悪いんですよ!うちのアルドールを連れ去ろうとなんかするから紛らわしいったらありゃあしません!疑わしきは黒!疑われるようなことをする方が悪いんです!」

「あぁ!?あいつは混血と一緒にいたんだ!しかもそいつはいきなり消えた!南を落とした奴も数術使いだって話だった!こいつ痛めつければゲロると思って普通だろうが!」

「……みぃつけた!」

「え?」

 

 二人の言い争いを傍観する俺の耳に聞こえた声。それは彼女のそれでもなく彼のそれとも異なっていた。

 それが誰のモノだと判別し終わる前に、俺は俺を背後から抱きしめる両腕の温かさに気付く。

 

「会いたかったよカーネフェル王……」

 

 愛しげに耳元に囁かれる声。その癖その両腕は俺の肋をギリギリと締め上げてくる。このまま真っ二ついに千切れてしまえばいいのにという強い悪意を悟り、俺は震える。

 その脅えに彼は気をよくしたようで、明るい笑い声を上げるのだった。

 

「アルドールっ!」

 

 俺のうめき声から、俺の異変にいち早く気付いたイグニス。その声に、振り向く二人が息を飲む。

 それを目に留めた背中の少年はケタケタ嗤う。背後から吹く風、それが俺の視界に映す黒髪。

 彼は風使いの数術使い。上陸した先の村を滅ぼした、張本人。俺が切り落とした片腕、その指をひらひら動かし無事をアピールする少年。

 

「ねぇ見てよ。キミに斬られた腕……くっついたんだ。凄いでしょ?ボクもね……すごーく痛かったよ」

 

 俺の利き手の右手を掴む白い腕。それがぐいと俺の腕を折り曲げ自分の方へと持っていく。それを振り払いたくても、力が入らない。何か、されたのか?

 背中での事は俺からは見えない。見えないから、何が起こるのか解らなくて、唯…唯、怖い。

 温く柔らかな感触の後、ひやりと感じる冷たさ。脈の通る手首が舐められたのだ。このまま噛み付いて、脈を噛み切ってあげようかと彼は俺に聞いてくる。何を答えても彼はきっとそうするだろうから、俺は何も言えない人形のように黙り込むしかない。……いや、喋れない。もう、うめき声すら咽から出せない。

 

(やられた……っ!)

 

 彼は風使い。数術で風を意のままに操れるのなら、そこに毒薬を混ぜることも可能だろう。俺が盛られたのは、痺れ薬だったのだ。

 

 

「だから今度はキミに同じ痛みを味合わせてあげたくて……キミを探してたんだ。通りで捕まらなかったはずだ」

 

 目の端に映る輝く数式。……彼は今、数術をを紡いでいる。すぐに終わるものではない。何をする気か知らないが俺たちにとって有利でないことは間違いない。

 どうすればいい。今の俺に動かせるのは眼球程度。それで見る限り、幸い他のみんなは無事のよう。

 それでも彼らは動けない。

 こういうとき真っ先に敵に向かっていってくれるルクリースまで動けないのは、俺が居るからだ。俺を盾にしてる彼のせいでナイフも蹴りも出来ず、苦い表情で俺たちを凝視していたが、やがて彼女は小さく舌打ちをした後、彼女は青年の縄を断ち切った。

 

「貴方には関係ありませんから、どこへなりとも消えてください」


 せっかく自由のみになったというのに青年はルクリースの言葉に反応せず、俺たちの方を呆然と見つめていた。

 

「……ザイン卿?」

「あれ?其処にいるキミは腰抜けのセレスタイン卿?久しぶりだねぇ、元気そうで何より」

「てめぇ……相変わらず汚ねぇ手使ってやがんな。こっちは二度と会いたくなかったっての、その忌々しい面は」

「知ってるんですか!?」

 

 顔見知りらしい彼らの会話に、驚くルクリース。青年の方も俺たちが彼を知っているとは思わなかったようで、訝しげな表情に変わる。

 

「野郎はタロックの天九騎士団が一人。エルス=ザイン卿だ。つかてめーらこそ、なんであんなんと顔見知りなんだ?やっぱタロックの手のモノか!?」

 

「セレスタイン卿脳みそ足りてる?それとも逃げる途中で鼓膜まで落として来ちゃったの?彼はカーネフェル王!君が見捨てて逃げた王様の後継者……擬きだよ!そう、即位なんかさせない。ボクが、今!ここで!殺してあげるんだから」

 

 エルス=ザインにの言葉にセレスタイン卿の片目が大きく見開く。傷を抉られたようにも、深くプライドを逆なでされたようにも見えた。怒りから彼の瞳に闘争心が火が付けたのを悟ったイグニスは、彼に援助を要請。しかしそう簡単に従うような人には見えない。ああ、やっぱり。

 

「セレスタイン卿、お力をお貸し願えますか?」

「は、どの口で……んな調子の良いことを」

「貴方こそ。これ以上舐めたこと言ってると不敬罪で殺す。……後、南落としたのたぶんあいつですよ」

「……ったく、しゃーねーな」

 

 ルクリースに人睨みされても彼は動じなかったが、最後の一言で心が動いたようだった。

 それでも彼は気怠げに、背中に背負った長剣を抜き放つ。装飾がほどんど無いその剣は無骨な十字架に見える。けれど日の光を浴びて輝く刀身は美しい白銀。

 彼が準備運動のようにそれを振るだけで、風が巻き起こる。柄の長さは中途半端な片手半。それを彼は片手で軽々持ち上げる。

 長さだって結構な長さだ。フローリプくらいの高さはあるかも知れない。1メートルと40とかそれくらいはあるんじゃないか。それと同じモノを俺が振り回せるかと聞かれたら……無理ではないだろうが難しい。きっとすぐにへばる。敵を斬るなんて出来そうにない。翌日からむこう一週間は筋肉痛の呪いに苛まれるだろう。

 でも、彼は違う。そこまで筋肉質にも見えないのに、俺より少し背が高いってだけなのにそれを自分の手のよう軽々振り回す。それでいて顔は平然としている。

 凄い、本当に騎士なんだ。まだ戦ってすらいないのに、剣を持ってるだけで絵になるというか格好良いというか。それまで子供みたいにルクリースとじゃれ合ってたのが嘘みたいだ。はっきり言って詐欺だ。同じ人だなんて思えない。今の彼に残る子供らしさといえば、口元に浮かんだ笑みくらい?いや……それも無邪気な子供というよりは、無垢な獣だ。ギラギラと光を放つ明るい瞳は肉食獣。羊を見つけ、捕食本能に火の付いた狼。

 

「……これはてめーらのためじゃねぇ。俺があいつにむかついてるだけだ。そこんとこ間違うな」

「ええ、それでも結構です。数術発動までの時間稼ぎ、頼みました。ルクリースさんは僕の守りを」

 

「い、イグニス様!」

「貴女は強い。でもそれだけです。切れすぎる剣は鞘まで壊す。貴女は貴女の鞘を壊したいんですか?鞘のない剣は、唯の凶器。人殺しの道具です。生きる意味も理由も価値もない、道具です」

 

 一度奴隷という道具になったことのある人間の言う言葉は重い。その重みは力を宿す。

 彼は今でも自分を道具だと語るのだ。平和のための道具だと。その彼が彼女に贈る言葉は祝福だった。自分では掴めない、希望を彼女へ託すその言葉に、彼女の心が傾いた。

 

「でも、貴女は人間だ。だから貴女は違うでしょう?」

「は、はい……精一杯、お守りします!」

 

 イグニスの数術ならなんとかしてくれる……それは一つの信頼だ。けれど彼女はそう思っただけではないはずだ。

 彼の言葉は力がある。ギメルのような現実を揺さぶる言葉ではなくても、それは人の心に響き、動かす力。彼女もそれに魅せられた。それもまた、きっと信頼と呼べるもの。

 そんな彼らのやりとり……そして向かってくる騎士見据える数術使いエルス=ザイン。彼はそれこそ無駄だと嘲笑う。

 

「馬鹿な人たち……エースのキミさえ抑えれば何も怖くない。ボクの勝利は約束されているのに来るなんて」

 

「だってボクはジョーカー。キミを殺す相手」

 

(……え?)

 

「ふふっ……驚いた?でももう脅えなくて良いんだよ?」

 

 彼がひらひらと交互に俺にみせる、その右手にも左手にも何の印はない。それでも彼は自身をカードと言い、ルールを理解している。Aと道化師は互いに殺し合うモノだと。

 

(ジョーカーは……無印なのか!?)

 

 何なんだ一体。そんなもの、どうやって見つけろと言うんだ。コレじゃあ、普通の人だって全員……道化師予備軍じゃないか。疑心暗鬼に陥ったなら……俺はカード以外誰も信用できなくなる。でもカードも俺を殺そうとしているのだから……俺は誰も信じられなくなってしまうじゃないか。守るはずの無関係の国民を殺すなんて……それじゃあまるで、狂王だ。

 

 そこまで思い、自分の考えの矛盾に俺は気付く。

 ジョーカーはここにいる。それなのに俺は今、この少年以外の人間のことを考えている。だってそうだろ?彼は船で、あの小川で俺を襲っていない。

 "彼女"もエルス=ザイン?いや……そんなはずがない。それなら彼はあの時こうやって俺を殺そうとしたはず。

 そうだ、それではまるで意味がないのだ。彼女の言葉、行動……彼の言葉、行動。そこに意味を持たせるなら……

 

(道化師は、二人いる……!?)

 

 ようやく自分の矛盾の答えに気付く。

 彼女の掌には、その甲には刻印が。それでも俺は彼女が彼女なのだと信じられない。きっとあれは数術でのまやかしだと信じてる。一度は幻影で現れたのだ。今日だってそうじゃなかったなんて誰にもわからない。彼と彼女を道化師と認めるならば……カードは五十四枚。偶数。

 

 "偶数ならば……誰も生き残れない"

 

 それは旅の最中俺が思い浮かべた妄想。……それは妄執に変わり今、現実へと現れる。死神が鎌を持って、俺たちに狙いを定める。

 

「決着着けようぜ!ザインっ!」

 

 俺が動揺している間にちゃっちゃと距離を詰めた騎士。彼から容赦なく振り下ろされる白刃に、舌打ちをするエルス=ザイン。

 数式で紡ぐ暇もなかったのだろう。俺を連れたまま、背後へ跳んだ。

 彼女が水に愛されてるよう、彼は風に愛されているのか……風が味方し、その距離は間近に迫った騎士と十メートル程も離れる。カードとしては無属性の道化師でも、人間である以上……どれかの元素には分類されているのかもしれない。元素に守られず数術に目覚めるはずのないコートカードであるイグニス……彼が境最高峰の数術を操ることが出来るのと同じ、カードに選ばれる以前の全てがなかったことにはならないように。

 

「キミの戦い方は無粋だね、相変わらず美しさに欠ける。ここは主のために死んでこその華。何のために騎士道文学って言葉があると思ってるのか」

「生憎!俺には守る貴婦人も!主も!いねぇんだよ!俺の剣はこの俺のためだけにっ!」

 

 セレスタイン卿はエルス=ザインの独特の美学には沿わないようで、物語る価値もないと彼は嘆息。

 

「セレスタイン、終わりよければ全てよしとはキミのための言葉みたいだね!キミみたいに生き恥晒した落ち武者でも、キミは今日ここで僕に殺されることで少しはマシな終幕を迎えられるよ。きみがどう思おうが思わなかろうがキミの死は悲劇の殉職となるのだから!」

「ご免だってな!俺の主はこの俺様だけだっ」

 

 エルス=ザインの紡ぐ風。目に見えないそれを彼は手にした剣で切り裂いて、進む道を自ら造り出していく。

 彼がエルス=ザインにたどり着く前、俺を捕らえた直ぐ後から紡ぎはじめていた数式が完成。辺りが一瞬光に包まれ、突如巻き起こる北風。

 

「冬の悪魔《ウィル=ヒエムス》!」

 

 それにひるまず飛び込む騎士。北風はたかが寒いだけ?それだけなら良かった。

 突然の気候変動が彼の肌に引き起こす異変。ざっくりと騎士の肌を切り裂く見えない敵。

 

「温室育ちのカーネフェリー!北国の辛さを少しは思い知ったかい?冬の寒さには悪魔が棲む。それは人を殺める力だよ」

 

 カーネフェルは暑い。彼の軽装が仇となった。彼の腕や足には無数の線が見える。まだ血は出ていないが、傷は深い……見ているこっちまで痛みを感じてしまうような傷。

 エルス=ザインはまた数式を紡ぎはじめる。今度は発動前に叩く。その判断は正しい。けれど、根本的な判断が間違っているのだ。

 彼が強くても、絶対の法則は覆せない。カードでもない人間が……カードでも勝てない道化師に勝てるはずがない。

 来るなと叫んでも、彼らには聞こえない。声が出ない。緩慢で僅かな口の動きでは、言葉も誰にも伝わらない。

 

(いや……まだ、だ)

 

 そうだ。俺は聞いたはず。

 イグニスに見える世界は数値。俺の口の動きなんて、元々彼には見えていないのだ。彼が見えるのは数値の波。

 言葉まで伝わらなくとも、俺の感情なら彼はきっとわかってくれる。

 今までだってそうだった。感情と言葉のやりとり……それが上手くいかなくても、彼は俺を見捨てなかった。探しに来てくれた。

 何時だって手を差し伸べてくれた。

 

(逃げろ!逃げろ!逃げてくれ!)

 

 俺の叫びは伝わらなくとも、この悲しみは彼は気付いてくれる。

 二つの琥珀はじっと俺を見据えながら、優しく笑う。大丈夫だと俺に微笑む。そこに逃走の意志はない。

 彼の周りに光る数術の幾つもの書き換え数式。それを読めない俺には彼が何をやっているのかなんて知りようがないけれど、それが俺を助けるためのモノであるのは解る。

 同じように、エルス=ザインの身体の周りにも光る数式の渦。

 短い数式で何度か風を起こしながら、騎士の攻撃を防ぎつつ長い計算を紡いでいる。これは完成してはいけない。身を捩り拘束を解こうとするが、動けない。渾身の力で動かした身体は、一瞬痙攣したよう震えただけだ。

 

「……っ、させるかよ!」

 

 向かい風の中、大地を蹴る騎士。風は味方しなくとも、己の肉体の力は裏切らない。

 彼はその跳躍は俺を蹴り飛ばし、俺を放し……後へ引いたエルス=ザインを己の領域へと捕らえる。

 数式はまだ完成していない。倒せるか倒せないかは別として、風使いはあの一撃は避けられない。必ず、喰らう。

 

「ぐっ…!」

 

 けれど、喰らったのは騎士の方。

 彼は愛刀を自ら放さざるを得ない。

 北風の冷風。それは吹雪と呼べるモノ。柄には布が巻いてあるとはいえ、元は金属。

 かじかむ手じゃ最後まで振り下ろせない。大きな隙を生み出すよりはと、騎士の命を手放した。手袋越しでありながら敏感にその冷たさを感じ取っての賢明な判断だった。

 持ち前の運動神経で見事に着地。剣を投げた方向へと降りたため、武器は再び彼の手に残る。しかし彼はコレまでと同じようには切り込めない。

 今のエルス=ザインは得体が知れない。見えない人間なら、尚更。

 今になって俺は気付く。イグニスがルクリースを当たらせなかったわけ。騎士は時間稼ぎだと言った。数術使いは数術使いしか倒せない?イグニスは自分の数術でエルス=ザインを破るつもりなのだ。

 そこまではわかった。それでも納得がいかないことがある。今のはかなりの大技だ。さっきの北風と同じ……それ以上の風。それなら数式ももっと長くなるはず。彼の数術は完成していない。それなら、どうして!?

 吹っ飛ばされ仰向けの体制ではイグニスの方が見えない。けれど彼の驚愕の声は聞こえた。

 

「まさか……召還数術!?」

「ふふ、そっちの混血の子は気付いてくれたみたい。それにしても驚いた。まさか中立のはずのシャトランジアが表舞台に出てくるなんて」

「ここはまで裏舞台。彼を即位させるまでは、ここは語られざる物語」

「なるほど、そう言う言い方もあるかもしれないね。でも彼の即位なんてボクは認めない。彼の葬儀なら大々的に行ってあげても良いけどね!」

「そんなこと……絶対にさせるものか、僕の命に代えてもお前はここで倒す!」

 

 こんな風に熱く語るイグニスを、俺は数度しか見たことがない。前にこんな彼に遭遇したのは……二年前彼と別れた時。

 でも今の彼は俺に呪いの言葉を吐くのではなく、俺を守るとその口で言っている。動かない身体でも、涙腺は緩むのか。

 

「セレスタイン卿より、キミの方がよっぽど騎士に向いてるねぇ。でも……可哀想に、頭の固い金髪族じゃ、この王様の傍には居られないね。それこそ即位なんかしたら」

「勘違いしないで欲しいな。僕とアルドールは主従なんかじゃない。唯の親友。それ以上でも以下でもない。近くにいても遠くにいても関係ない。共依存なんかご免だ。何があっても信じられる、信じたいと思える絶対の存在のことなんだ。親友って意味解る?風しか友達の居ないお前にはわからないだろうね。可哀想に」

 

 互いに互いを見下すための哀れみの言葉。鋭い言葉の刃の押収。

 その目的は、集中力の切断。イグニスのそれは上手く機能し、エルス=ザインの数術を紡ぐ速度が遅れはじめる。

 それに彼は舌打ち。すぅと息を吸い頭を整理し、再びイグニスへ言葉の刃を差し出した。

 

「それだけの数式を紡いでおいて毒舌吐いたり会話も出来るだなんて、物凄い集中力。波の数術使いじゃないね琥珀のキミは。でもいくら綺麗な数式でもそれは教会のものでしょう?教会の数術使いじゃ知らないのも無理ない。キミ達が異端と焼き払った書物だもの。金髪族からは失われた力だ」

「キミが仰ぐは零と壱の二人の神。認めるのは十人の数字の神様だけ。キミ達が存在すら抹消した神々。それを信じるタロックを遅れてるなんて思ってるんでしょうどうせ未開地の野蛮人だなんて」

「ボクらタロックが信じるは八百万の神々。僕は唯、風を作るんじゃない。喚んでいるんだ。彼の地で生を受けた僕は生まれながら人には忌み嫌われる変わりに、自然に祝福されたんだ。僕が風を愛する限り、彼らは僕を裏切らない」

 

 彼の紡ぐ様々な風。あの小さな風も、全ては何かの精霊……つまりは彼らの言うところの神々だ。

 言われてようやく気付く。彼の周りを取り巻いているのは、数値ではあるが数字ではない。タロック文字である漢字。異文化のそれは俺からすれば象形文字だ。俺はタロック語を聞き取れるし話せるが……文字はまた別の次元の話だ。見たことがあるような文字も何個かあるが、それだけだ。何を意味しているのかさっぱりわからない。

 そもそもタロックは閉鎖的だから向こうの書物がこっちまで流れてくることはほとんど無いに等しいし、それがカーネフェル人至上主義の貴族の家であったトリオンフィの家にたどり着くわけもない。

 見た感じだと、タロック文化圏のセネトレアにいた頃のあるイグニスやルクリースでもその解読は不能のよう。

 そもそもルクリースは数術の才がないから見えてすらいない。頼みの綱はイグニスだったが、彼にも不可能事はあるようで……こんな時に二人の弱点がわかっても嬉しくない。

 

「キミ達には見えてもこの数式は読めない解けない。僕は四季の風使い。四季って意味、解る?僕の風は、四大元素を自由自在に操れる。死角無しってこと!」

 

 わかりやすく言うならば……夏の乾燥した風には火の元素が混ざる。雨期には水の元素。そんな感じか。

 そもそも四元素は四季に分類される。火は夏、風は春、土は冬、水は秋と言った風に。彼は四元素全ての力を左右することが出来るというとんでもない力だ。

 今度はイグニスの数式が遅れはじめたようで、先に完成の歓声を上げたのは風使い。

 

「さぁ、完成だ!夏の悪魔《ウィル=アエスタス》!」

 

 彼が今度喚び出したのは、夏の乾燥した風。それはさながら炎の熱さ。騎士は再び剣を持てない。

 二体の悪魔を用い、今度は風使いが攻める番。ルクリースは迎え撃つ構えだが、ナイフは持たない。金属を手にしてはダメージを喰らうのは自分。下手に投げて弾かれてはイグニスが危ない。

 彼女の蹴り技は容赦なく強いが、長距離戦はいかんせん不利だ。接近戦が苦手な風使いは今、攻めて良し守って良しの悪魔に守られている。放って置いたら更に余計なモノを喚びだしかねない。

 彼との勝負はこの間のように短時間で済ませるべきだったのだ。だが俺のあれは全くの奇襲のようなモノ。いきなり数術に目覚めるなんて俺にも彼にも予想外。

 そして今回奇襲を仕掛けてきたのはエルス=ザインの方。俺たちには敗因しか見つからない。

 イグニスはそんなことにひるみもせず会話を続ける。何か勝算があるのだろうか。

 

「なるほど……貴方は数式の書き換えで人体を分解、構成、転移したんじゃないんですね。通りでピンピンしてるわけですか」

「ボクは箱庭育ちのキミたちみたいに弱くはないんだよ。生きてきた場所が違うんだから」

「どういうことですか、イグニス様」

「彼は僕がそうするのとは全く異なる数術の使い手です。彼は自分で何かをするのではなく、何かを出来る何かを喚びだして居るんです。その応用でしょう」

「大勢の移動は便利だけど、神様は気まぐれだからね。門番レベルになると供物や機嫌取りも大変なんだ。安心してよ。あれは向こう一年は無理かな」

 

 エルス=ザインの口が軽い。俺たちへの冥土の土産のつもりか。優位者の余裕というものだろう。

 それを利用しそこまで情報を聞き出したところで、イグニスが俺を呼ぶ。

 

「アルドール?……僕は君を信じてる。この僕がここまで言ってあげてるんだ。君は僕を裏切らない。そうだろ?」

 

(イグニス……)

 

 彼は今俺に何かを求めている。期待している。そして裏切るなと言う。

 でも今俺に何が出来る?

 俺の手は動かない。足だって。投げ出されたとはいえ、今俺を台風の目にをグルグル回っている北風に、誰も近づけない。触れればそれはその身を切り裂く刃に変わる。

 脳裏に甦るのは、姉さんと別れたときの言葉。

 

("お前に、勝利を"……)

 

 後ろ足に感じる温もり。見えない。でもこれはトリオンフィだ。俺に数術を紡げと訴えかけている。

 

(トリオンフィ……)

 

 この寒さの中にありながら、俺が凍えずに済んでいるのも、トリオンフィのおかげなのだろうか。

 今まで数術は手で紡いでいた。剣を使うか使わないかでも……数術を描くというイメージは両手で物に触れるという明確なヴィジョンが無ければ引き起こせなかった。

 でも、手と足がどう違うっていうんだ。

 今俺の足はトリオンフィに触れている。むき出しの部分は柄だけだ。でも俺はいつもそこを持って紡いだはずだ。出来る。出来るはずだ。

 

 この風は北風。冬の寒さ。

 俺の炎なら、それをきっと焼き払える。

 イグニスがあそこまで言ってくれたんだ。やれないなんて、言わない。やらなくちゃいけない。やってやる。

 そうは思うけれど、怒りじゃない感情で数術を紡ぐのは初めてだ。勢いのない感情では爆発するよう数式が紡げない。なかなか灯の灯らない湿った薪に火を灯すような作業。

 目を閉じ集中していると、変なことを考えてしまう。瞑想に入って居るんだろうか。様々な疑問と答えが頭の中を駆けめぐる。

 

 不思議な感覚だ。俺は今道化師を相手にしていて、みんなも危ない。けれど"彼女"を前にしたときのような不安がない。

 彼女はいつも俺以外を狙う。でもエルス=ザインが殺したいのは俺だ。きっと一番危ないのは俺だ。殺意は俺にしか向いていないのだ。だからこんなにも落ち着いていられる。

 みんながカードだとはまだ気付いていないこの風使いは彼らを殺す必然性を見いだせていない。俺が彼らを大切に思っていることも知らない。だから、それから攻略する方が有効だと気付いていない。

 彼も彼女も俺を殺したいと思っているのは同じでも、彼は俺をさほど知らない。今日まで俺の名前さえ知らなかった。彼女は俺をどこまでも知っているのに。

 

 エルス=ザインは死にたくないんだろうな。だからAの俺を殺さないと、あと三人も殺さないと気が休まらない。主の狂王すら、味方ではない。つまりは天九騎士団の仲間すら、敵なのだ。

 村を焼いた時の彼の残虐さに、俺は怒り狂った。

 でも今の彼は何処までも孤独で、ちっぽけな人間に見えた。可哀想にな。信じるモノも守りたいモノもない。きっと彼が愛しているのは彼が言うよう……風だけなのだろう。

 それは昔の俺みたいだ。俺には風すらなかった。他人から拒絶され心を閉ざした人形。信じたいモノも守りたいモノもない、空っぽの人形。

 彼は出会っていないのだ。自分を激変するような何かに。

 彼が誰も傷付けずそのままひっそりと生きているなら俺はそれを咎めない。けれど彼は今俺の前に立ちふさがる。だから俺はみんなを守るため、戦わなければならない。

 あの時のように殺したいとは思わない。知らない人間の方が、殺せる。どうでもいい相手の方が簡単に。

 俺はもう知ってしまった。だから殺したいとは思えない。守りたい、でも殺したくない。矛盾した気持ち。

 数術を紡ぐのが苦しい。自分の内側でジリジリと燃え上がった熱を持て余し、頭が痛い。

 

 頭痛と耳鳴りの中、目を開ければ俺の身体を包む青い炎。炎は相変わらず俺を傷付けない。けれど今日は静かな炎。それでも強い輝きを放つそれ。

 それは足下の草を伝わり次々に範囲を伸ばしていく。

 

「あれ……?」

 

 声が出る。身体も動く。俺を包むのは北風ではなく薄い青の光。

 その光は俺の中の異常数値を書き換えている数術だ。

 俺だけじゃない。俺たち全員を囲んだ炎は全員の異常数値を書き換えはじめた。その光に包まれた、騎士の傷も塞がりはじめる。

 

「アルドールは零の数術使い。いくらお前が元素を操れようと彼には何の関係もないんだよ」

 

 遠くから聞こえるイグニスの声。それが途中からすぐ傍で聞こえたように感じた。

 

「ここまで見事に嵌ってくれるなんて明日は腹筋が筋肉痛だ」

「イグニス…!」

 

 感じたのではない、本当に彼は近くにいた。俺のすぐ傍に彼はいた。

 イグニスが紡いだ数術は視覚変化。

 それにより俺たちは今までくっきり輪郭が見えていた。それは空間移動時の半透明になる身体を隠すため。

 エルス=ザインが俺を放すまではそれを使えなかった。間近で起こる書き換え効果に彼が気付かないはずがないから。

 最初にイグニスがやったのは数術自体の視覚効果。全く違う術を紡いでいるように見えるよう、自分の周りの空間をねじ曲げた。

 そして騎士を使って俺をエルス=ザインから引き離し、そこからは空間転移の数術。俺に言葉を投げたのも、自分からエルス=ザインの注意をそらさせるための罠。もっとも北風を破るくらいの働きは望んでいたかも知れない。

 そしてイグニスは今、俺の傍へ来て……「逃げるが勝ち」と小声で囁いた。

 

「アルドール。目を閉じて。そう僕の声だけ聞けばいい……」

 

 さっきエルス=ザインがそうしたように俺に後ろから抱きついて、彼が囁く。

 両手でトリオンフィを掴ませ、その上から彼の両手で包んでくれる。

 彼に言われるまま、俺は静かに目を閉じる。彼が俺にやらせたいこととは、きっとこれからなのだ。

 

「君は今、炎を出しているそれが包んでいる対象が解るね」

 

 イグニスの声に俺は頷く。

 

「僕と君。ルクリースさん、そしてセレスタイン卿。それから馬車と僕たちの荷物」

 

 意図的に一人を避ける言葉。彼は連れて行けない。来られては困る。来ないで。お願いだから。

 

「それを遠くへ遠くへと思って。そうだな出来れば北の方角が良い。だってここは暑いだろ?少しは涼しいところに行きたいね?」

 

 そうだ。ここは暑い。数術を使っているのにいつもみたいに身体が冷えない。身体が熱い。涼しいところ。そうだ。そんなところに行きたい。だってここは暑いから。

 

 イグニスの言葉に誘導され、俺が紡ぐ数式。

 彼は俺に空間移動を望んでいる。俺のそれはイグニスでも探すのが困難だったという滅茶苦茶のモノ。

 つまりイグニスの綺麗な数式で消えるより、俺の方が追っ手をまけるのだ。

 

(みんなを守れる。殺さずに済む……)

 

(遠くへ、遠くへ行きたい。姉さん……トリオンフィ……俺はみんなと遠くへ……)

 

 強く念じる。矛盾を掻き消す解決策。明日や未来は解らない。それでも今は俺はそれを望む。

 刹那、瞼の外側でまばゆい閃光。

 

 それが静かに引いていって最初に俺が耳にしたのはイグニスの声。

 

「……ありがとうアルドール、上手く行った」

 

 振り向こうとするが疲れが一気に押し寄せて、前のめりに倒れる。それを受け止めてくれたのは騎士だった。

 顔は明後日の方向を向いているが、一応気にかけてくれたみたいだ。

 

「女の癖に、そこそこやるな、お前。唯突っ立ってたお前の姉ちゃんとは大違いだ」

「なっ!」

 

「っておいおいどうなってんだ!?ここカルディアじゃねぇか!」

 

 騎士の言葉で気付く。確かにここは町中だ。俺には見覚えのない場所だが、都勤めをしていた彼が言うなら間違いなくここはカルディアなのだろう。

 驚く彼に対し、残る二人は顔を見合わせ鼻高々に……無意味に前髪をはらったり胸を反りながら酷く自慢げ。

 

「そりゃあ僕のアルドールですからこれくらい出来ますよ。僕も書き換え補助をしましたし」

「そうですね。私のアルドールですからこれくらい朝飯前ですよ」

 

 二人とも肯定しつつ、何か微妙に否定し合ってる。でもイグニスに褒められるなんて滅多にないから、少し……いやかなり嬉しかったりする。

 でもこれ、なんかあれだよな。ペットの犬がお手とか取ってこい出来ましたみたいな。そんでこいつら飼い主争いしてる家族みたいな……やっぱり喜んで良いのかちょっと微妙な心境に陥る。

 ため息を吐くとそのまま身体の力が抜けたようで、俺は道に座り込んでしまった。

 

「セレスタイン卿、この通りフラフラなんで北の砦まで連れて行って貰えないですか?いろいろお話ししたいこともありますし」

「……ったく仕方ねぇな」

 

 ひょいと俺を持ち上げる騎士の腕。俗に言うあれだ。お姫様抱っこだかなんとかっていうあれだ。正式名称は知らない。普段なら死ぬほど恥ずかしいだろうそれだが、今の俺にはもう恥ずかしいと騒ぐ気力もない。感想としては、肩車とかおんぶよりはマシだよなぁとか結構楽だなこれとか。人間疲れると恥より道楽ってことらしい。ごめんフローリプ。俺にはやっぱり自分の誇りというモノが底辺まで行かないと存在していないようだ。軽々と俺を運ぶ騎士に、ルクリースはやや不満気。騎士らしく様になってる様子が気に入らないらしい。

 

「ぬぅ……さ、流石は腐っても騎士ですか。で、でも私だってそれくらい出来るんですからね!」

「思ったより軽いな。ちゃんと食ってるか?あの女に取られてんだろ?わかるわかる。俺も昔は姉貴達に取られて散々。食事はある意味戦争だからな、負けんなよ?あいつこれ以上食ったら胸じゃなくてぜってー腹の方に肉が移動するに決まってっから」

「前言撤回。やっぱあんた騎士失格ですよ。レディに対する心配りが全然ありません!」

「お二人とも、お静かに。騒いで見つかれば元も子もありませんよ」

 

 イグニスの一言で二人は口を噤んだが、それきり視線は合わさない。

 とりあえず、今はカルディアに入られた。北の関所はカーネフェルの支配下。都まで、すぐだ。

 

 都……それを聞いて思い出すは“彼女”の言葉。

 

 “早く来ないと、殺しちゃうから”

 

 そんなこと、絶対にさせるものか。俺はあいつの兄になったんだ。それを受け入れた瞬間から、俺は何があってもあいつを守る義務が生まれた。

 それは俺の使命だ。カードだなんだって関係ない。

 王としてはあいつを選べなくても、兄としてはあいつを誰より一番に選ばなくてはいけないんだ。あいつは、俺の最後の家族なんだから。

 

(フローリプ……待ってろ。絶対、俺が助けるから)

 

 


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