■第1話 君のこと
『ねぇ、キタジマ君。
日曜ってなんか予定ある?』
隣席のミホが左手で器用にシャープをクルクル廻し、この年頃の人間同士が
質疑応答するにはかなり難易度が高いそれを、まるでなんの ”意識 ”もし
ていないような飄々とした涼しい顔で問い掛けてきた金曜の放課後。
キタジマはやっと終わった本日の授業に、どこか疲れた顔をして腕をぐんと
突き上げ小さく伸びをしていた。
下校する為に机の上に気怠げに学校指定カバンを乗せると、そのかぶせ部分
を開いて引出しに無造作に突っ込んでいた教科書やらノートやらしまってい
た最中のこと。しまう途中の指先に掴んだノートの表紙には、隣席のクラス
メイトに勝手に描かれた青くて丸い謎の生物が威風堂々と鎮座している。
『・・・べ、別に・・・
・・・・・・・・・・・・・・・無い、けど・・・。』
キタジマは明らかにうろたえた。
耳に聴こえたそれは、自分の聞き間違えか、はたまた今考えている ”それ ”
とは全く別の意味合いを含むものなのか。
休日の予定を女子に訊かれるなんて・・・
しかも、相手はミホ。
キタジマがひとり自宅の机に向かい照れくさそうに隠れて描く、ノートを埋
め尽くす、その ”横顔 ”の張本人だ。
(に、日曜・・・
日曜の予定がなければナンなんだろ・・・?
・・・サワタニも、予定・・・無い、ってことなのか・・・?
お互い・・・ 予定が無ければ、ナンだってゆうんだ・・・?)
必死に平静を装うも心臓はバクバクと爆音を響かせ、一人脳内会議で絶賛
取り込み中のキタジマの様子など気にも掛けない、その張本人は
『じゃ、10時に駅前ね。』
それだけ言うと、カバンを掴んで軽く手をあげ一瞬ニコっと笑ってミホは
放課後の教室を出て行った。
キタジマは暫くその場から動けず、ノートを掴んだままで固まっていた。
黒板にまっすぐ向いた目は、意味も無くせわしなく瞬きを繰り返し、心臓
の早鐘の鼓動に合わせ、耳がジリジリと熱くなっていくのを感じる。
『・・・な、ナンなんだ・・・?』
日曜の ”時間と場所指定 ”だけ勝手に言い放ち、その ”目的 ”は告げ
られぬまま放課後のそこに一人取り残されたキタジマだった。
『どこ、行くつもり?』
日曜10時。待ち合わせ場所の駅前に、几帳面に5分前にはそこにやって
来たキタジマは、意外にも更に上回る几帳面さで既にそこに佇んでいたミ
ホの背中に第一声なんて声を掛けていいものか考えあぐねていた。
後ろから肩を叩こうと手を伸ばしかけ、しかし触れていいのか否か。一向
に叩くことが出来ずに中空を彷徨った指先。意を決して人差し指の先端で
チョンと突き、冒頭のたった一言をまだ振り返る前のセミロングの黒髪に
向けて早口で朴訥に呟いた。
すると、すぐさま振り返ったミホ。
その目は休日スタイルの私服のキタジマをやけに嬉しそうに見つめる。
そして、普通待合せて第一声に掛け合うであろう例えば『晴れて良かった
ね』だとか『すぐ分かった?』だとかお決まりのセリフなど一切すっ飛ば
すと、『ん~・・・ 散歩。』
そう言ってすぐキタジマから目を逸らし、スキップでもしそうにご機嫌に
歩き出したのだった。
そんなミホに続いて、キタジマも歩き出す。
ふたりは微妙な距離をとって進んだ。
ミホの数歩後ろを歩くキタジマは、こっそりその斜め後方からの彼女を見
つめる。 ”飾り気がない ”というのは、こういう事を言うのだろうと思
うほど、初めて見たミホの私服はシンプルで無駄が無くて彼女らしくて、
やけにしっくりとくる。
あまりにじっと見つめている自分に気付いたキタジマが、慌てて視線をは
ずした。やはり、例え斜め後方からだとしても真っ直ぐ直視するのは抵抗
があった。
日曜の駅前は、人も多く賑やかで親子連れやカップルがそこかしこに見て
とれた。その人混みの中をふたりはなにも話さず、かと言って無理やり会
話を探さなければならない程それは嫌な沈黙ではなかった。
学校の方角へ歩き出したミホが、初めて振り返ってキタジマに訊く。
『ねぇ、いつもドコの道とおってるの?』
急にミホからの視線が向いたことに慌てながらも、キタジマはいつもの通学
路へと足を進め促す。
ミホはキョロキョロと辺りの景色を眺めながら、なにやら愉しそうに続けた。
『ねぇ、兄弟いる?』
『あたしは、弟がいるの。 キタジマ君は?』 小首を傾げてその目は一点
の曇りもなく真っ直ぐ見つめて。
『・・・一人っ子。』 キタジマは照れくさそうに目線をはずすと、ポツリ
と答えた。
すると、『・・・だと思った~。』
そう言って、ケラケラ笑うミホ。
『なんだよ・・・。 どーゆう意味?』
ちょっと小馬鹿にされた気がして、不満気に眉根をひそめ口を尖らすキタジ
マにミホが尚も笑う。
そして、
『ん~・・・
色々ね、考えてたの。
キタジマ君、私服はどんな感じかな~?とか。
どの道とおって学校通ってんのかな~?とか。
・・・一人っ子だろうな~、とか。』
そう言って、また肩をすくめて笑った。
眩しそうに目を細めて、なんだかやけに嬉しそうにミホが笑ってた。
”色々ね、考えてたの。 ”
そのたった一言が、キタジマの胸の奥の奥を一気に熱く高鳴らせる。
ミホの口からサラリとこぼれたそれは、昨夜、照れくさくて恥ずかしくて
しかし愉しみで仕方なくて、ベッドの上で寝返りばかりを延々繰り返し、
中々眠れなかった自分とシンクロして。
たった一言で、胸がこんな音を立てるのだと生まれて初めて知った。
照れくさ過ぎてミホの顔など一切見られず、ひたすらいつもの通学路の脇
に咲く名もない花に目を遣った。
そんなキタジマを、ミホは嬉しそうに見ていた。
そうやって少しずつ少しずつ、ふたりは互いの事を知っていった。
ゆっくり。
ゆっくり。
ふたりのペースは、驚くほどにのんびりしたものだった。