鯉
小学生の頃だった。
湖と通ずる水路が家々の周りに張り巡らされ、そこから田んぼに水が満ちていき、青々と茂っていく様を見ながら通学していた時分。
大雨が降ると、翌日には軽やかに水路へ向かった。いつもならばたいした水深はなく流れも穏やかで、水は金属で囲われた中を進み狭苦しいものだった。子供がしゃがめば入れる程度の広さしかない。水路ならばそれでも子供が入り込んではなにかと危険である。幸運なことに当時として危機感は皆無であったが、事故に遭うことはなかった。もちろん大雨でも降らない限り危険といえば蛇だ蜂だと生物相手であるからして、大人たちも子供が田んぼで遊ぶことに対してはむしろ寛容だった。元気があってよろしいと近隣の老人らかは孫のように褒められてもいた。
ある日、ざんざかと傘をひったくろうとする強風とともに白滝のような大雨が起こった。
一日では治まらなかった。二日経って、ようやく曇り空にかわり三日目には気分の良い青空に様変わりした。
学校帰りが丁度良い。夕暮れ前にはすでに濁りも引き始めるもので、ほどよく残った水量から魚が取り残されているからだ。身動きの制限された魚を網を操り捕ることが好きだった。
難なく捕まえることができる。釣りをするよりもよほどに楽で、見えている上に逃げようがないものだから簡単だ。それでも必死に逃げる様は滑稽で、けれども生き物の躍動だと興奮した。
捕まえてはアクリルの水槽に落とし込んだ。慌てふためく魚もおれば、泰然と状況を受け入れたように動かぬ魚もいる。
多様な魚、エビ、貝を採集して満杯の水槽をひとしきり眺めて、時折触ったり、水槽を叩いて反応を見ては一人できゃっきゃと楽しみそれから逃がした。
水路に戻すのはどういうわけか後味が悪かった。楽して捕まえたものの、だからといって人の都合で散々に苛め倒して、それで明日には泳ぐことも難しいほどに浅くなる水路に戻すことなどできなかったのだから、せっせと湖に近寄ってそれこそほどよい水深になる河口近くまで運んで放流する。それこそが、いつのまにかルールとして実践されるようになっていた。
今日はどれほどの魚がいるだろうか。期待に胸を膨らませていた。
大雨だったわりには水面は穏やかで濁りも薄い。魚影は不思議なことになかった。
不機嫌になったが、根気強く探した。上流から下流に向けて水路を睨み付けた。
深くて濁りが強い河口が見えてきた。そこまで行けば普通の魚捕りになってしまう。
意地でも見つけてやると息巻くと、水路の水が少しばかりあがっているような気がした。いつもよりうんと手前だ。さては大雨の余韻が残っているのだなと察した。もしかするといるかもしれない。焦る気持ちを落ち着かせることもせずに、歩を進めた。
「あっ!」
水路にぴったりと挟まっているのではないかと思うほどに太い姿があった。動いている。水しぶきの狂騒が生きていることを示した。
その長さは覗き見下ろすことで出来た自分の影では収まりきらないほどに大きかった。
とつぜん舞い降りた暗がりにわずかばかり居住まいを正したのか、尾びれが跳ねて水を叩いた。
びっくりして後ずさった。日の光が再び差し込むと、ギラギラとウロコが黒曜石のように輝いた。
立派な鯉だった。
幼心ながら気品漂う魚に思わず閉口し、それから、段々に癪に障った。
魚のくせにえらく立派だと思った。なんだか見劣りしている気分を味わったので、ただただこの鯉は馬鹿だと思うことにした。
「お前の身体でここにいてはダメだというのも判らなかったのか。実に馬鹿だな」
説教じみた口調は担任を真似した。小言が多くてすぐに説教をする嫌なやつだった。だからきっと鯉もこんな人に説教されるのは気分が悪くなるに決まっていると思った。
鯉は口をパクパクとせわしなく動かしている。巨躯は当然のように水面上へと露呈してキラキラと黒い光沢を放ち、無残にも黄金を含んだ腹を見せていることしかできない。
その哀れな鯉をひたすらに罵った。
滑稽だった。無様だった。いい気味だと口にした。
ひとしきり吐き出して言葉のネタが切れてしまうと、残されたのは哀れだった。
「おまえみたいなヤツが、なんでこんなところにきちまったんだ」
無念すら覚えた。
空を見上げる。青々とした空から太陽が容赦なく熱を放射している。そこへ影が映り、鳶を見た。烏の鳴き声が民家から木霊する。
無常だった。この立派な鯉が、このような草臥れた水路の一角で朽ちるのだ。ただひたすらにどうすることもできないと悔やみながら死んでいくのだ。
水路はまだまだ干上がる。もっともっと水かさがさがって、鯉はいずれ海に住まうマンボウみたく薄っぺらくならなければ呼吸もできずに死んでしまう。あるいは鳥目をもってめざとく飛来する鳥たちが、嘲笑のさえずりをもって啄ばむかもしれない。それは授業でならった食物連鎖だ。この鯉とて、逃れることもできずこのままでは自然淘汰に埋もれてしまうのだと解った。
鯉は必死にすくない水の中から生きるために必要な力を吸い取っていた。その真ん丸く潤んだ瞳が生々しい。この鯉がまぎもれなく生きているのだと神経をどうしようもなく刺激するので、どうにも身動きもせずにじっと見つめたものだった。
捕まえることは容易だった。すでに捕らわれているのだから、しかし持ち帰るにはいささか大きく、すっぽりと収まる水槽なぞ考えもつかない。家の風呂が良い按配だと想像するだけだった。
気がつけば、何かできることはないかと思いをめぐらせていた。無残な鯉の姿に心打たれた。まるで表情があるようだった。とても困っているように見えてならなかった。
腕を組んで良く観察する。砂利まじりの水底が目に付いた。それから、ぐるりと辺りを見回して田んぼの縁を模っていたトタンを拝借してきて、ためしに水路の底へ突き立ててみた。難なく刺さったものだから、そこからスコップ代わりに水底をかいた。一度始めてしまえば捗るさまが面白かった。
人のためではなく、鯉のために汗を流しながら土砂を水路よりあげるという動作が、日常ではありえない様相で新鮮だった。
珍しいことをしているからこそ、陶酔が生まれ身体は奮起した。尊い命のために頑張っているという事実が、いかにも正義を貫く義士に感じられて、小さくも活き活きとする快感が火照る身体に清々しい疲労感を植えつけた。
とりわけ興奮する自体が訪れた。このときにはもう水路の深いところを把握していたものだから、そこへ向かってひたすらにトタンを動かしていた。
腰の痛みに耐えかねて、顔を上げてみた。背伸びをやって、それから冷たい足元へ目線を落とすと不自然な水面の揺れが気になった。
振り向くとそこには鯉が居た。いまだ斜めの状態ながらなんとか泳げるようだった。
手を伸ばしても届きはしないが、目の届く位置に鯉はいる。先ほどよりもよほどに活きが良く見えて、それどころか、必死さが滲むかのように尾っぽは揺れていた。
ここまで来ると情が湧いて、頼られていると思い込めたのでやる気は漲った。
「よし」
掛け声を上げたほどで、すぐに作業を再開した。
あいにくと土砂をかき上げる作業は重労働。目的の場所までは十メートルはあった。夕暮れになるまで続けてから、もうどうにもこうにも腕があがらない。息も辛かった。勝手の違う動き方をしたものだから、余計に疲れていた。
「今日はここまで、また明日!」
宣言を放って、鯉を見た。鯉はふらふらと揺れているばかりだったが、ヒレの動きがねぎらうように優雅だったものだから、笑顔が作れるくらいの余裕が滲んだ。
トタンをフタ代わりにしようと思い立ち、ためしにと鯉のいる場にかぶせてみる。屋根のようで調子が良かった。このまま帰ったところで問題はないだろう。
たいした挨拶をするわけでもないが「じっとしてろよ」などと告げて家路に戻った。
今日はこんなことがあったと会話はすれど、鯉との遭遇には口をつぐんだ。
大人たちは鯉を食う。あんな立派な鯉だ。さぞや皆喜んで、おおとり物になるだろう。それだけは許せなかった。鯉が食われてしまう、というよりかは重労働の対価が鯉の命とは不釣合いにもほどがあった。
隠し事は気分が良い。大人には気づかれまいとする装いが、またいつもと違う日常を演出した。
その日は、ぐっすり眠った。
翌日の学校終わり、ランドセルをそのままに水路へは立ち寄らず、家に戻った。今日ばかりは準備を怠らない。
ただいま。元気に言って倉庫へ入り込んだ。先の尖った鉄製のシャベルを引っ張り出した。
気づかれまいと様子を見た。
決して大人に見つかってはいけない。自分ルールをこの場において毅然と課しながら、軽やかな足取りで水路に向かった。
誰かに気づかれていやしないかと心配した。あれだけ大きな鯉だ。トタンで隠したところで見つかってしまうかもしれない。
田んぼが近くにあるのだから、田んぼ仕事の大人が水路を見回ったところで不思議ではないと思って逸ったものの、杞憂に終わった。
今日もまた、見事な佇まいは眼下にあった。鷹揚自若と自らが水路の流れを司るかのように尾びれを動かしていた。
よし、今日こそはと意気込みを出すほどに嬉しさがこみ上げてきた。
快調に作業は進み、日暮れには開通を見越して汗水たらし砂利を取り除いた。
予定よりも随分と素早く事が運んだ気がした。ひとしきり確認を取って、陸に上がった。日は傾いたがまだ明るかった。
期待を込めて、それからもったいぶるよう振り向くと、まるで観とめることを待っていたかのように、その鯉は動いた。
狭くて不恰好な水路をやさしく撫でるように通過した。深い水場に到達すると、一度、素早く潜った。
水面に影が躍る様が見えた。早く行けばいいのに何をしているのかと、焦れたので声を出した。
「早く行けよ。こんなところじゃまた干上がりになってしまうぞ」
鯉は幾ばくかその場に留まり、仰々しく尾っぽを振り上げ水面を叩いた。音色を奏した鯉の影はそれきり見えなくなった。
十分すぎる別れの挨拶だった。