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妖狐とゾンビの渋音恋物語  作者: 北風とのう
第二章 琵琶
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第二章 琵琶

 その翌日、千古は裕也たちの教室に行き、廊下から水音を呼んだ。水音が出ていくと、千古は柔らかな口調で話しかける。

「あの、水音さんと上条君のお二人で、放課後に楽器博物館に来ていただけませんか。鏑木先生から『上条君は作曲をするので、ピアノ以外の楽器にも触れた方がいい』と言われましたので」

それに対して水音は「じゃあ、私がヴァイオリンを教えてあげるよ」とぶっきらぼうに言ってすぐに席に引き返そうとしたが、そこに裕也も教室から出てきて言った。

「あの千古さん、楽器博物館に行きます。でも夕方早く閉まってしまうでしょう」

「大丈夫です。学長先生が許可してくれましたから、ゆっくり見られますよ。楽器も触っていいそうです」


* *


 三人は閉館後の博物館にいた。ほとんど無名の博物館。普段からほとんど客は来ないのだが、閉館後という事で他に誰もいない事が確実だと思うと、大きな空間に無数の楽器たちが陳列されているのがとても不気味に感じられる。俗に『長年使いこんだ物には情念が移る』と言われるが、楽器などはまさにその情念を込めて弾くものだから、楽器たちはそれぞれの情念を背負って、人の見ていない所で音を出して楽しんでいるではないかと思えてくる。そんな怪しげな空間がそこにはあった。


 裕也と水音は色々な楽器を鳴らしてみた。

世界各地の民族楽器、西洋音楽の変遷を示す楽器。鍵盤楽器にしてもスピネット、ヴァージナルなど、聞いたこともない多くの種類がある。

そしてヴァイオリン属のコーナーに来た時に裕也がガラスケースを指差して言った。

「水音、そのケースに入っている高そうなのを弾かしてもらえよ」

それはクレモナ製の年代物だったが、千古がケースの鍵を開けて水音に渡す。

「水音、僕らしかいないんだ。いいから遠慮なく弾けよ」

と裕也に言われると、水音はおもむろに調弦をして弾き始めた。バッハのシャコンヌが広い展示室に浪々と響き渡る。普段、水音が教室などちょこちょこ弾いているのとは全く異なる、まるで別人のようにスケールの大きい、かつシャープな技巧を感じさせる演奏だった。裕也が驚いて言う。

「すごいね。素晴らしい。水音、ヴァイオリンめちゃくちゃうまいな。去年の春から練習始めたなんて絶対嘘だろ」

水音は嬉しそうに満面の笑みを浮かべて答える。

「どうもありがとう。いい楽器だねえ、これは。本当だよ。へへへ。まだ始めて一年ちょっと」


 それから千古は、小さな演奏会ができるような部屋に二人を連れて行き、客席の椅子に座らせた。千古はステージに上って言う。

「実は、今日お二人に来ていただいたのには、もう一つ理由があるんです。これを見てください」

そう言って千古はステージの奥に立てかけてあった琵琶を手に取った。

「これは、私が那須で眠っていた洞窟から持ってきた琵琶です。これを上条君に差し上げようと思います。受け取っていただけませんか?」

「えっ、なんで」水音が疑いの眼差しで聞く。

「どうしても助けていただいたお礼がしたくて」

「だからお礼はいいって。私らも千古さんに助けてもらったし。お互い様だから」

しかし裕也の眼はすでにその琵琶にくぎ付けになっていた。

「ちょっと鳴らしてみようよ」

そこで千古が琵琶をかかえ、弦にバチをあてる。

「バチで弾くんだ」

「そうです」

そうして千古が琵琶を弾き始めた。ボローンと琵琶の渋く低い音が鳴る。千古は目を閉じ、その顔つきは遥か昔の日々を思い起こしているように感じられた。暗く深い音。恐ろしく長い時間と、それを生きた千古の孤独が表現されていく。

「……」

あまりの素晴らしさに二人ともしばらく沈黙していた。

「う~ん、素晴らしいよ。幽玄って言うのかな。千古さん」水音もこの時はさすがに千古をほめる。

「まあ、だいぶ練習しましたから」


 裕也はだまって千古の演奏の余韻を楽しんでいたが、やがて口を開いた。

「これ、くれるのは嬉しいけれど、やっぱり千古さんが持っていた方がいいよ。この音は千古さんでないと出ない。練習だけの問題じゃないよ」

「まあ、とりあえず弾いてみませんか?」

そうして裕也が琵琶を手に取った。二匹のさぎが舞う絵の螺鈿らでんがついている。

「楽器もすごいなあ。これ」裕也はそれをまじまじと見てから、抱えて弾いてみた。ボロン、ボロンと音楽にはならなかったが、裕也にはその音の響きが面白いらしく、三十分もずっと弾いていた。


 結局、琵琶はしばらく楽器博物館に置いておくことになった。

「学長先生と館長さんに言っておかなければなりませんね」

と千古が言って、三人は楽器博物館の扉を閉めた。


* *


 さて翌週の水曜日、しとしとと小雨が降り続く日、教務室は怪談話で持ちきりだった。夜中の楽器博物館で誰もいないのに琵琶の音がした、と言う。たまたま夜中に次の日の授業に使う古楽器を取りに行った教師がいて、琵琶が鳴っているのを聞いた。最初はCDかなんかがリピート再生になっているのかと思ったそうだ。展示室の電気が消えていて真っ暗な中から聞こえてきたからだ。しかし電気をつけると、その音は止んでしまったと言う。もちろんCDも何もなかった。

「民族楽器が展示してあるところなんて、夜は結構不気味だろうね。俺は絶対に行く気がしないよ」などと先生たちが話している時に、学長が入ってきた。学長は六十三歳になるチェロ奏者で、他の音楽高校の校長を三年前に退職して渋音に移ってきた人だ。学長は、

「琵琶なら、千歳さんの琵琶だろう。古そうだから。いかにも一人で鳴りそうだよ」と言って笑った。


* *


 裕也たちのクラスで、音楽理論の先生がこの話をすると、水音は激怒してすぐ次の休み時間に事務室に駆けて行った。裕也もあの琵琶の事だと思い、急いで水音について行く。

「千古さん、あの琵琶、ひとりでに鳴るっていう話、聞いた?」

「はい。昨晩、新海先生が鳴っているのを聞いたそうです」

「聞いたそうです、じゃないだろう。なんでそんなもの裕也に上げようとしたの。裕也に憑いたらどうするんだよ」

「昔は一人で鳴ったんですけどね。ここ八百年ぐらいはぜんぜん鳴らなかったので、もう大丈夫かと思ったんですよ」と千古は笑って言った。

千古の平然とした態度に水音の怒りが加熱する。

「ここ八百年ぐらいね。……琵琶を持って来いよ」

「……では、今晩、見に行きましょう」千古がさらっと言う。

「……」

「…………」

二人がとまどって黙ってしまったのを見て、千古が悠然と言った。

「行きませんか?私は行きますよ」

「わかった、私も行く」水音は母親へのメールを書きながら言う。

「裕也は来るな」

「えっ?僕も行くよ」裕也もすでに携帯でメールを書いている。

「だめだよ。来るな」

「僕も行く」

「では、十一時に博物館の前に集まりましょう」

千古が二人の言い合いを無視して言うと、水音もあきらめたように千古に聞いた。

「ねえ、私たち学校に忍び込むの?セキュリティシステムとかあるでしょ?」

「大丈夫ですよ。セキュリティの会社に前もって言っておけばいいだけの話です。カメラも切ってもらいましょう」

「……」

「…………」

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