第七章 クリスマスコンサート
十一月二十五日の放課後、千古が裕也と水音を楽器博物館の小部屋に呼び出した。六時頃なのにすっかり日が暮れてあたりはすでに真っ暗だ。千古は興奮していた。
「私が目覚めたのは今年の四月なので、クリスマスは初めてなんですよ。街のイルミネーションがとっても綺麗になりましたね」
「で?」水音が、千古が次に言う事に突っ込みの準備をするように身を乗り出す。
「クリスマスイブの夜に渋音でコンサートをやったらどうでしょうか?」
「だめだよ」水音はそれを即時にきっぱりと否定し、自分の予測がぴったり当たっていたと言わんばかりに微笑んだ。
「そうですか?いつもとは違うおおらかな気分になってぶらっとコンサートに来てみようかと思う人もいるんじゃないでしょうかね」
「いや、いない」水音は頭から全否定モードでしゃべり始める。
「そもそも、私たちのターゲットは男または女のサブカル・オタクなんだよ。そいつらは『クリスマスは中止になりました』って言ってる。クリスマスが嫌いなんだよ。それにここでコンサートをやっても、家でテレビとPC画面を同時に見ている連中には届かないでしょ。テレビが生中継でもしてくれれば少しは見る人もいるかもしれないけど、そんな事、あり得ないでしょ。それにオタクじゃない人はイブの夜は彼氏・彼女と食事をするんだからコンサートなんて今から企画しても来ないよ」
しかし千古も全く動じず、水音を憐れむような目をした。
「水音さんって、不思議な方ですね。世の中の仕組みを鋭く洞察して作戦を立てるのは得意なのに、そこに男女の問題が絡むと急に本質が見えなくなるんですね」
「……」
水音はあきらかに不機嫌な顔つきになり、その横で裕也が笑い出した。千古が続ける。
「水音さん、男女の問題なんて白か黒か、YesかNoかどちらかにはっきり分かれる事だけじゃないです。好きと好きじゃないの中間って水音さんにはありませんか?」
「……」
「あと、思っている事と言っている事が違う事だって多いし、さらに自分がそうだと思ってる事でも、さらに深く考えると本当は違ったりするでしょう?自分で気が付いていない『Love』だってありますよね。それが素敵な世界じゃないですか。違いますか?」
「……で?」水音は相変わらずムッとしている。
「今『クリスマスは中止になりました』って言っているオタクだって、すてきな人から誘われたらイブのデートを断ったりしないと思いますよ」
「それはクリスマスの中止とデートする事は別の事だからでしょ。この世の終わりの日だってデートできるでしょ」
「ははは、では、反対にイヴの夜にデートをする人の方の話ですが……最近聞いたんですが、独身の若者で彼氏・彼女がいる人はわずか二十三%だそうですね。まあ、この数字が正しいかどうか分かりませんが。あとの七十七%はみんな家でじっとしいるか、女子会でもやっているんでしょうか」
「そうだよ。そう」
「で、その人たちも、何かの切っ掛けがあったらデートしたいなと本当は思ってるんじゃないでしょうかね?」
「いや、思わないだろう」
そこで裕也が思わず口をはさんだ。
「僕は千古さんに賛成だな。イブのディナーに誘うにはかなり勇気がいるけど、無料コンサートなら誘いやすいんじゃないかな?ここは便利だから、誘いやすいよ。それに一人で時間をつぶすにもいいかもしれないよ」
いつもは裕也が何かを言うと水音は素直に言う事を聞いてしまうのだが、この時は必死に反論した。
「でも、問題が三つある。第一に、演奏する側の渋音の生徒がいないよ。みんなデートするでしょ。第二に、今から練習しても間に合うわけない。手持ちの曲しかできないでしょ。第三に、集客も間に合わない」
再び千古が落ち着いて言い返す。
「ではまず第一番と二番ですが……声をかけてみないとわからないじゃないですか」
水音はとりあえず自分だけ宣言するように言う。
「私は出ないよ。デートだから。裕也も出ないよ。デートだから」
裕也は少し困った顔をしたが、
「水音、少し話を聞いてから考えよう」と仲裁するように言った。
水音は涙ぐんでしまったが、こらえていた。
千古がそれを見て冷たく追い打ちをかけるように馬鹿にした顔をする。
「水音さん、イヴのデートにそんなにこだわるなんて、十年ぐらい前の話じゃないですか?そうテレビで言っていましたよ。もしかして水音さん、十年前からタイムスリップしてきたんじゃないですか?」
水音は千古の顔を真っ直ぐに見て、気をためてから言った。
「あんた嫌い」
「ははは。紗木子さんは出るんじゃないですか」千古も水音の顔を見たまま全く眼をそらさない。
「たしかに……紗木子は出るかも。彼女は使えるなあ。メンヘラがこんなに便利だと思わなかった」
「あなた、ひどい人」千古が外人のカタコト日本語の口調をまねる。
雰囲気がかなり険悪になってきたので、裕也が席を立ちながら言った。
「じゃあ、僕がチェロアンの連中に聞いてみるよ」
「裕也、それはまず無理だと思うよ。ここの男女比率は一対五なんだよ。……でも、まあ念のため聞いてみたら」
「で、第三番の集客ですが……」千古が平然と続けようとするが、水音がそれを遮る。
「わかったよ。その先は言わなくてもいいよ。この企画なら突発の方がいいって言うんでしょ」
「そうですね。つ板で拡散です。私のフォロワーはまだ五千人しかいませんけど」
「……」
「……」
* *
二日後に三人は再び集まって、他の生徒たちに声をかけた結果を話し合った。裕也ががっかりしたように切り出す。
「千古さん、チェロアンのメンバーは二人しか出られないって。あとは全部予定があるって。それからチェロアンの連中に頼んで彼らのクラスに声をかけてもらったんだけど、全然だめだよ。すぐに出るって言ったのは紗木子だけ」
「お二人って誰ですか?」
「二年の松野さんと浜垣さん」
「いいじゃん、松野さんはイケメンだし、浜垣さんは野性的な感じで」と水音が言うと、千古が少し馬鹿にしたような顔をした。
「へえ、水音さん、しっかりチェックされていますね」
「……だって、男子は少ないから」
「二人でいいじゃないですか。チェロのデュオで。曲はどうされるんでしょうか?」
裕也が答える。
「なんか二人は仲がいいから、コレルリとかヘンデルを編曲したのをいくつか持ってるらしい。クリスマスむけのを頼んでおいたよ」
「水音さんの方はどうでした?」
「ぜんぜんだめ」
「やる気あるんですか?」千古が軽蔑したような目つきで見る。
「いや、ない」
そこで裕也が水音に諭すように言う。
「水音、このコンサートは短くていいんだから、七時から八時半にしよう。それが終わったら渋谷のどこかで二人で食事をしようよ。コンサートの後のディナーって気持ちいいだろ?」
「うん、じゃあ、そうする」水音は急に優しい声になってそう言った。千古は下を向いて何かのメモ用紙を数枚広げながら、いかにも形だけという感じの返事をする。
「それは良かったですねえ、水音さん。クリスマス・ディナーができて。……で、私もちょっと報告があるんです」
「何?」裕也と水音は千古が広げているメモ用紙をのぞきこんだ。




