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妖狐とゾンビの渋音恋物語  作者: 北風とのう
第四章 紗木子
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 水音はそこで一呼吸してから、裕也の方に真っ直ぐ向き直って言った。

「裕也、よく聞いて。私も心を飛ばしてここに来たの。身体の方は私たちの教室に置いてある。裕也を紗木子の世界から取り戻すために来たのよ。しかし……裕也と会うのはこれが最後かもしれないよ。ごめんね。もう一緒にいられないかもしれない」

「えっ?なんで?」

「私は元の身体に戻れないかもしれない。もう裕也と一緒にいる事はできないのよ」

「どうして?」

「だからこれが最後のお願い。私と一緒にここから出て。今まで短い間だったけど、裕也と一緒に入られて楽しかったよ。どうもありあとう」

「おまえ、めちゃくちゃだな。どうしたんだよ。僕は曲を書いて、そして帰るんだ」

「裕也、分かった。じゃあ私はこうするよ」

水音は、ポケットからカッターナイフを取りだし、カチカチと刃を目いっぱい出した。そしてそれを自分の首の横、頸動脈の所にあてた。

「おい水音、めちゃくちゃだろ。どうしたんだよ。頼むからちゃんと考えてくれよ。ここで作曲してから帰るのがどうしてそんなにいけないんだよ」

「裕也、さようなら」

そう言って水音はカッターナイフをずらした。首から血が流れ出る。

「おい、水音、やめろ」

「やめない。裕也が『帰る』って言うまで」

「おい、めちゃくちゃだな。待てよ」

「…………」

なおも水音はカッターナイフを動かし、血の流れがさらに強くなった。

「……わかった。帰る。ちゃんと後で説明しろよな」

「できないよ。ここでお別れだから。さようなら」

「まて、分かった。やめてくれ。帰るよ。

紗木子、僕は帰る。帰してくれ」

紗木子が言った。

「みんな私を裏切るんだ。裕也もそうなの?」

「違う、曲はちゃんと書くから。もう頭の中ではできているんだ」

「じゃあ、今ここで書いてよ」

「紗木子、この状況わかるだろ、水音が狂ってるんだ。僕らを帰してくれよ」

とたんに紗木子の形相が変わる。

「裕也も私を裏切るんだ。分かったよ……もう消えてしまえ。」


* *


 紗木子がそう怒鳴った瞬間、水音は教室にいた。

水音はしばらくぼーっとしていたが、意識が回復してくると辺りを見回した。そして足元の方に立って心配そうにのぞきこんでいる千古を見つける。身体に力が入らずに起きられなかったので、寝たままつぶやくように言った。

「うまくいったかな」

「戻って来れてよかったですね。この身体はまだあなたを受け入れてくれるようです」

「裕也はどうだろう」

「どうでしょうか。携帯で電話してみてください」

水音が携帯を手にとり、恐る恐る裕也に電話をする。

「出るかな、もし戻ってきてるとしても病院で寝かされているから」


 しかし、裕也はすぐにその電話に出た。

「水音?分かったよ。大変な事になっていたことが。もう三十時間も昏睡状態だった。水音、どうもありがとう。無理やり僕を戻してくれて。首の傷はどう?」

「ああ、首の傷?血は出てないけど、ちょっと跡があるかな」

水音はカッターナイフを当てた所を触って言った。

「水音、ごめんね」

「今から行くよ。どこの病院?」

電話の向こうで、裕也が病院名を誰かに聞く気配がした。

「千駄ヶ谷の慶応病院。三号館の602」

「じゃあ、今から行く」

水音が電話を切ると千古が水音の肩に手を当てて起こす。

「水音さん、立てますか?」

「大丈夫。ちょっと肩が痛いけど」

「水音さんも机の上で一晩寝ていたんですよ」

「えっ?一晩?千古さん、私を守ってくれていてありがとう」


二人はタクシーで慶応病院に向かった。その途中、水音は紗木子の世界での事、裕也や紗木子とのやりとりを詳しく千古に説明した。

「さすがは水音さんですね」千古は関心して言う。

「まず一番に、裕也さん自身を帰ろうという気持ちにさせた事です。裕也さんは自分がやっている事が正しいと信じこまされていますから、水音さんが理屈じゃなくて自分の身体をはって裕也さんを動かしたのは大正解です。なかなか普通の人にはできない事です。それから紗木子さんを怒らせた事。紗木子さん自身に『裕也、ここから出て行け』という感情を持たせた事。これがお二人が戻って来れた最大のポイントです。そうでなければ、いくら二人で逃げたところで、迷路の中で永遠に迷い続けたでしょう」

しかし水音はそれを聞いても上の空のようで、小声で言った。

「……私、疲れたよ。実はもうこの身体に戻って来れなくてもいいと思ってた」

しかし千古は水音の方を向いて勇気づけるように言う。

「水音さん、裕也さんが待っていますよ」

「……そうだね」

「私は裕也さんの病室には行きません。水音さんを送ってきただけです」

「なんで?」

「水音さんも戻ってきたばかりで、また心が身体から抜けてしまうかもしれませんから。ちょっと様子を見ようと思ったんで一緒にタクシーに乗ってきたんです。それにお話も聞きたかったですから。裕也さんには水音さんが一人で会ってあげてください」

「千古さんは会わなくていいの?」

「いいんです」

タクシーの中で、しばらく無言の時間が流れたが、やがて水音が口をひらいた。

「千古さん、ありがとう。今日のところは千古さんの好意に甘えさせていただきます」

「水音さん、またそういう大人びた言い方をすると、裕也さんに怒られますよ。十五歳なんですから」

やがてタクシーが病院に着くと、千古はお金だけ払って、さっさと歩いて病院の門から出て行ってしまった。


 裕也は個室のベッドに寝かされて点滴も付けていたが、とても元気そうだった。お父さんもお母さんも泣いていたが、水音の顔を見るなり深くお辞儀をした。

「水音さん、裕也から聞きました。助けていただいてありがとうございます」

水音は裕也を見る。裕也はにこにこ笑って両親に言った。

「お父さん、お母さん、悪いけどちょっと二人だけにしてくれる?スタバに行ってきなよ。僕はもう大丈夫だからさ」

両親が部屋から出るとすぐに裕也は水音を手招きする。

「水音、首、見せてみろよ」

水音が首の傷を指で触りながら裕也に見せると裕也は言った。

「血が出た跡はないけど、ちょっとミミズ腫れみたいになっている。僕のせいだ。ごめん。僕を無理やり呼び戻してくれてありがとう。たぶん、普通の説得では僕は帰って来なかったと思う。あの時はあそこで作曲を続けなければいけないと完全に信じていて、他の事が考えられなかったから。水音のおかげだよ。深くて暗い迷路の奥まで僕を助けに来てくれて、自分の身体に傷をつけてまで、僕を無理やり呼び戻してくれた」

「裕也、もう大丈夫なの?」

「ああ。なんともない。それより、水音は『もう元の身体に戻れない』って言っていたけど、大丈夫だったの?」

「うん。戻れたみたい」

「どうしたの?」

「わからない。なんとなく、戻れないような気がしたの」

「水音、ちょっとこっちに来て」

裕也はもう一度水音を手招きした。

「もっと」

水音が近くにくると、裕也は水音の首のミミズ腫れの部分を触った、そしてそこにゆっくりと顔を近づけて、その部分にキスをした。

「ひゃ」思わず声をだす水音。「くすぐったいよ」

「ごめんな。大事な身体に傷を付けてしまった」

「大丈夫だよ」

そして裕也は水音を抱きしめた。

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