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水音は薄暗い石の洞窟のような場所にいた。ところどころの壁が凹んでいて、そこに蝋燭が立っている。明かりはその蝋燭のみだ。洞窟は曲がりくねり、分岐もやたらに多い。
『これが紗木子の心の世界なの?』水音はつぶやく。洞窟には下の階層に行く階段もあり、何層にもわたって広がっているようだった。『帰れなくなったらどうしよう。ずっとここに閉じ込められるんだ』抑えようのない恐怖が襲ってくる。不安ではなく恐怖だ。そして一時間も歩いた頃、その恐怖はピークに達した。『これで蝋燭が消えたら、私は紗木子に閉じ込められてしまう』水音はそういう思いに駆られはじめる。
何度も、もうあきらめて帰りたいと思った。しかし裕也を助けなければいけないという気持ちの方が強かった。それに、もし自分が諦めてしまって、自分の代わりに千古さんが来て裕也を助けたら、もう永久に裕也は自分の手から離れてしまう。水音はそう思った。そして洞窟を歩き続け、下の階層へと降りて行った。
二時間も歩いただろうか。もう絶望的な気持ちになっている時に、水音は千古の言葉を思い出す。
「紗木子さんの世界ですから、そのままでは紗木子さんの方が強いですよ」
たぶんここは迷路になっていて、私はすでに閉じ込められている。このままでは私も裕也も閉じ込められたままだ。何とかしなければ。水音は必死に考え、そして簡単な事に気が付いた。持ってきた自分の携帯で裕也を呼んでみようと。
しかし携帯を見たら圏外だった。『やっぱり』
次に、大声で叫んだ「裕也~」
洞窟の中を声が反響してわんわんと響き続ける。二~三回叫んでから今度は耳を澄ましてみた。
すると、どこからかピアノの音が聞こえる。『やった、裕也だ』水音は必死にピアノの音のする方に進んだ。音が反響してどちらから聞こえてくるかよく分からなかったが、とにかく無我夢中で進んだ。
やがて、やっとの思いで少しだけ明るい部屋、蝋燭が何本もある部屋にたどりつく。中にはピアノを弾いている裕也がいた。
「裕也!」水音は泣き出す。
裕也は振り向いた。水音とは対照的に、穏やかな顔をしている。
「あっ、水音、来たんだ」
「何やってるの?」
「だから紗木子に頼まれた曲を書いているんだよ」
「裕也、何やってるの?みんな心配しているよ?」
「えっ?まだ三十分ぐらいじゃない?しかも夜中でしょ」
「違うよ。もう丸一日近く経ってる。裕也は眠ったまま起きないから、お父さんもお母さんも心配して、裕也を入院させちゃったよ」
「ええっ!そうなの?」
「そうだよ。早く帰ろう」
「でも、もう少しで出来るから、もうちょっと待ってて」
「だめだよ。曲ができたら、今度は何が起こるかわからないじゃない」
「紗木子の話を聞いたんだ。彼女はこの曲で自分の心が飛んでしまう癖を直そうとしている」
「でも、ここで書く必要はないじゃない。早く戻ろうよ」水音は泣いて頼んだ。
しかしその時、その部屋に紗木子が入ってきた。
「いつもそうなよの。私が何かをしようとすると、いつももうちょっとの所で誰かが邪魔をしに来るの。ず~っとそうだったわ。子供の頃から。今度は水音が邪魔しに来たのね」
「紗木子、違うよ。曲はちゃんと書くって言ってるじゃない」
「そんなのは信じられない。みんなそう言って、誰も最後までやってくれた人はいないのよ」
裕也が水音に言う。
「そうだよ。紗木子を救うにはここで曲を完成させて、彼女に弾かせなければならないんだ。ここで逃げても、何の解決にもならない。もう少し待ってろよ」
紗木子が言う。
「上条君、ありがとう。あなたが初めてだわ。そう言ってくれた人は」
「違うよ、紗木子」水音は千古の話を思い出していた。取り憑くには何か目的があるはずだと。それを探らなければならない。
「あなたの本当の問題は、そんな事じゃないでしょ。本当の問題から目をそむけて、ピアノ曲をちょっと裕也に書いてもらっても何の解決にもならないよ」
「水音、何言ってるの?そんな事あなたに分かるわけないじゃない。どうしてそう思うの?」
水音はどうしたらいいか分からずに急に怒りが込み上げてきて怒鳴る。
「紗木子、裕也をこんなところに閉じ込めないで。あなた自分勝手でしょ」
「なんで?裕也が私のために曲を書いてくれるっていうのがなんで悪いの?」
「だからって、こんなに薄暗いあなたの世界に連れて来なくってもいいじゃない」
「ここは薄暗くないわ。あなたにはそう見えるだけよ」
「裕也、帰りましょ」
水音は裕也の手を引っ張った。しかし裕也は動かなかった。
「水音、どうしたんだよ。今せっかくのって作曲しているんだ。曲ができたら帰るよ」
「違うよ。今の曲ができたら、紗木子はまた次の曲を頼むに決まってるじゃないの。あなたをここに閉じ込めておきたいから。いつまでたっても満足しないよ」
「水音どうしたの?おかしいよ」




